2017年12月3日日曜日

Gnaw/Cutting Pieces

アメリカ合衆国はニューヨーク州ニューヨークシティのドローン・ドゥーム/ノイズバンドの3rdアルバム。
2017年にTranslation Loss Recordsからりリリースされた。
私はすでに解散済みのKhanateというバンドが大好き。メンバーはギタリストにSunn O)))などで活躍中のStephen O'Malleyに、ベースとしてアーティストだけでなくエンジニアとしても活動するJames Plotkin、ドラム担当がPlotkinとO.L.D.というバンドを組んでいたTim Wyskida、そしてボーカルがAlan Dubinである。
Khanate解散後Alanが始めたのがこのGnaw。Khanateはトーチャースラッジとして始まり、初期はそれこそGriefを叩きのめしたようなサウンドにハードコアというよりはメタル的案猟奇的な世界観をぶち込んだバンドで、後期になるに従いドローンやフリー・ジャズのようなアバンギャルドな要素の色を濃く打ち出していった。Sunn O)))はドローンの要素を色濃くKhanateから引き継いでいるが結果的に世界観は結構違う。GnawはよりわかりやすくKhanateの要素を受け継ぐバンドというイメージ。

O'MalleyとPlotkinという重量級の弦楽隊はなくなったものの、その空隙をうまく活かし、代わりにいやらしく這い回るノイズ分を充当している。Khanateも1stからノイズの要素が強かったのでそこも含めて違和感のない移行といえる。バンドアンサンブルに加えて専門のマニュピュレイターもメンバーに数える力の入れよう。
そんな最新作、基本的に前作・全前作からの流れを踏襲するものだが後半に流れるにしたがい、少しずつ音の形を変えてきているように感じる。具体的には音の数が減らされてきているように思う。1stアルバムだととにかく「Vacant」が好きなのだがこの曲はノイズが実態の重量を持って這い回るどころか屍衣のように曲を覆い尽くす、まさに重たさの塊みたいだった。今回はノイズ成分をうまくコントロールし、偏執病的に空隙をノイズで埋めていく、という作業からは幾分開放されている。khanateも活動時期の後半でも重たさ、重苦しさを別の次元に求めていたから同じような動きがこのGnawでも辿られているようだ。khanateは強烈な個性のぶつかり合いがせめぎあうバンドだった。スラッジから始まってもその範疇にとどまらないくらい(つまり文脈的にはハードコアというよりはメタル的な物語を感じさせるように)陰湿だった。猟奇的だった。病んでいた。この手のジャンルでは生命線である、”強くあること”という衣を剥ぎ取り、ソフトかつ捻くれて醜い中身をさらけ出していた。(ただスラッジは自己評価が低く、自己卑下が強い傾向にあると思う。)高い声で絶叫するAlanは、卑屈に笑みを浮かべる一見無害なやつだが、その実シリアル・キラーという物語/個性を打ち出しており、khanateもその魅力の一つとしてをそこに頼むところが大きかったように思う。その世界観をAlanは変わらず持ち続け、このバンドでも打ち出してきている。ベッドの下にばらばらになった死体を隠し持つように、透明人間が誰にも見られず溺死するように、今度のバンドでも誰かをバラバラに刻もうとしている。Alanの声にはなんとも言えない”弱さ”がある。(念のため言っているがAlan Dubinが現実的に弱い男であるというのでは断じてない。)体力で勝てない弱さ、自分の暗い欲望に屈してしまう弱さ、そんな強い世界(音楽という仮面のために作られた偽りの世界でもあることも往々にある。)では唾棄すべき弱さ、病的な性質がここではたちの悪い粘菌類のようにはびこっており、私にようなじめじめといじけた卑屈な人間はそういった場所こそが居場所がいいのだった。
壁にもたれかかり、猟奇的な夢想にふけるように、耽美な腐敗(現実ではありえない)が妙に時間を引き伸ばされているように、ぐーっと視界と思考の奥に伸びていく、そんな風景があえて音の重さを引き抜くことでもたらされている。質の悪い悪夢に囚われたような無力感に抵抗するすべもないような、どこかしら投げやりな客観性が獲得されつつあるように思える。「This can't be the right」「This must be the wrong place」と歌うように、現実に対する絶望的な違和感と、そこに育まれる正しくない感情の萌芽がこのGnawのテーマの一つではなかろうか。

思春期にサイコパス、シリアル・キラーの文献、ネットを読み漁ったような人なら確実にこの世界観にハマるのではなかろうか。拗けて間違っているが、だからこそ居心地が良いのだ。やはりAlan Dubinはかっこいい。おすすめ。

FAIRLYSOCIALPRESS presents [BOYS DON`T CRY 5]@初台WALL

たまにあることだけど12月2日(土)のライブイベントのかぶり方と行ったら豪華という水準を高く通り越し、もはや残酷だった。スケートパークで轟音に浸るというのも一興だし、killieの凄まじいライブをもう一度みたいというのもある。しかし自分は何回かライブを見たSaigan Terrorというバンドがよく消化できなかったのでその音源欲しさに初台に行くことにした。この日はSaigan TerrorとFight It Outのスプリット7インチのレコ発なのだ。日本のヒップホップのアーティストも名を連ねているので、ヒップホップのライブも見てみたいな、という気持ちもあったので。
ライブハウスにつくとすでにもうかなりの客が入っていてかなりキュウキュウだった。WALLは入り口に「〇〇(多分バンドなのだろう)の☓☓とヴィジュアル系出入り禁止」みたいな張り紙がしてあり、私はどうみてもヴィジュアル系ではないがなんというかハードコアな雰囲気がしてちょっと怖いと思う。(実際怖めの人が多かったし、私のようなオタクっぽい人がいなくてさらに怖いというのがあります。)
ステージの前が不気味に人がいなくて不穏であり、これを見るとハードコアのライブに来てしまった…という感じがする。

Super Structure
一発目はSuper Structure。私は何回か見ているけど見るたびに好きになる、このバンドに関しては。この日もかなりとんがった音を出していた。後のFriendship、Fight It Outはとにかくパワーと音量がでかい。Super Structureも音はでかいのだが曲の方はもっとカオティックだ。別にプログレッシヴだ、カオティック・ハードコアだというのではないが、もっと混沌としている。変な言い方だがどの楽器もフルスピードで鳴らしまくった音が重なると奇跡的に曲に聞こえる、みたいな雰囲気がある。この日共演するバンドと比べると音はもっとざらつき、音の数は多い。パワーバイオレンスといっても流行とは一線を画す内容でもっとラフだ。例えば地獄のようなスラッジパートがあるわけでもない。甲高い、と評しても良いボーカルが激しく細かく忙しないバンドアンサンブルにさらにカオス感を注入している。バンド名は(あとから知ったのだけど)USのニュースクール・ハードコアバンドFall Silentの2ndアルバムからとっていることもあり、ルーツとなっているのがそういった音楽なので、パワーバイオレンスたろうとするパワーバイオレンスバンドとは明確に違う音に仕上がっているのではなかろうか。まさしく鉄砲玉、それも恐ろしく命中率が悪く乱射しまくるような凶悪なバンドで、ラストにやった「Despair」(だと思う。唯一気軽に聴けるこのバンドの音源でもある。)には中盤にギターの高音を響かせる地獄のようなモッシュパートがある。非常に格好いいのだ。私がお金持ちだったら最高の環境で音源を録音してもらうのにな、といつも思う。(音源出してほしいです。)

Friendship
続いてはFriendship。今年アルバムが出てからはみたっけな?結構見る回数が多いのは色んなイベントに招かれているからだろう。全くフレンドリーではないが、普通の意味とは違うキャッチーさがあって、それがわかりやすく”ハードコア”なので少しジャンルをまたぐようなイベントに引っ張りだこになるのかな、と思う。
Super Structureの直後ということもあって両者の違いが明確になる。こちらも非常にやかましいが音の数はぐっと減る。数というか密度だろうか。とにかくキチンと音を抜くことで重苦しいのに閉塞感から適度に脱しており、過密のコントロールが上手いのか、その結果ある意味ハードコアの枠組みだけ残したみたいな音楽になるのだが、それが非常に頑強で非常に暴れられる。初めてFriendshipを見た人でも絶対すぐに「のれ」ると思う。相変わらず一切MCはなく、ボーカルはほぼフロアに降りて歌う。毎回すごいと思うのは一切一体感は演出しない。シンガロングパートはもちろんないし、フロアに降りるボーカルも急に回りの客に向けてタックルを仕掛けてくる。みんなで楽しくモッシュ!って感じでもない。曲もそうだし、こういった姿勢の作り方というのも非常によく考えられている。「策士だね〜」というのではなくて、茨の道を我が物顔で進むな〜という感心の気持ちのほうが勝ってきた。若手、というのだけでなく、例えば私のような門外漢にとってのハードコアのゲートウェイになっていてそういった意味でもすごいバンドだ。

CENJU from DMC
続いては日本は東京のラッパー。実はヒップホップのライブを見るのは初めてかな?結構楽しみにしていた。CENJUはがっしりとした高身長と体躯に恵まれた大男でかなり迫力がある。低音のラップパートを同期させてそこにラップを被せていくように進む。これは合唱で言う下のパートってことだろうか。ヒップホップのライブは(他のラッパーは違うかもだけど)こうなんだな!と面白かった。強面なのは外見だけでなく、かなりハードな内容を噛み砕いた言葉でリリックにしたためるアーティストらしく、(ストリートのなんたるかを知らない私が言うのもちょっとおかしいのだけど)”ストリート感”のあるラップを披露する。つまりリアルでアンダーグラウンドな世界観である。悪いのだ。音の洪水を通り越し、もはや壁(WALLというライブハウスの名前は非常に格好いいと思う。)になっているハードコアとは全然ちがう音の数だ。とにかくシンプルに限界まで削ぎ落としたトラックが鋭い。そして鋭いだけでなく、煙たい、ダルいを表現する。これが良い。よくヒップホップのラップでは「スキル」という言葉が浮き彫りになるが、一人でステージに立つ(そうでない場合も多いが基本的にラップをするときは一人だ。)ラッパーは露骨にその出来にごまかしが効かない。タフな役回りだ。(それ故かっこいい。)CENJUは韻を踏みつつ結構フリーに煽ってくるタイプで客席を大いに沸かせていた。見た目に反して声は少し甘い感じがあるのが個人的には良かった。

Fight It Out
危ないことになるから後ろに下がったんだけど結局ダメでした…。
続いては横浜シティのパワーバイオレンスバンドFight it Out。この日の主役の片方でもある。バイオレンスを音にしたらこうなりました、というバンドで今年発売された3rdアルバムは私のようなオタクも聞いていると何か自分が強くなったように錯覚するようなブルータルなアルバムだった。ライブはモッシュ天国(普通の基準で考えればなぜ金を払ってそんなことを?と思わずにはいられない地獄)になるのは何回か見てことがあるので私は後ろに下がった 。WALLは後ろに長いライブハウスなのだが結果から言うとこの長さを活かした縦長のピットができて、だいたいほぼほぼ安全地帯がなし。全員が当事者に。
音の作り方はFriendshipと似ているモダンで金属的で良い感じに音の数を落としたものだが、こちらはもうモッシュに特化していると言っても良いかもしれない音で、Friendshipのような黒いヴェールのようなものもない粗野な音像。激速と激遅(げきおそ)を行ったり来たりするくせに神経症的な痙攣という病的な感じではなく、暴力性の発露のような運動性が特徴。そういった意味では健康的なのだろうか。あっという間にフロアにヘイトが感染して凶悪なモッシュパートが出来上がる。ボーカルの人はほぼフロアにいたのはFriendshipと同様だが、こちらはシンプルながらシンガロングできるパートがあったりしてモッシュピットに一定の法則、というよりは一つの指向性があったように思えた。腕を振り回す人、足を振り回す人、タックルをかます人、マイクを取りに(一緒に歌おうとしてね)行く人、サーフする人(カオスなのであまり長く上に居続けられない)、もみくちゃで後ろの方にもピットの動きが人を通して伝わってくる。ライブと音源の違い、というの一つのテーマに対する回答を明確にFight It Outが示し、そしてライブ(ともするとライブのみ)がリアルである、というのもうべなるかな、という状況でした。

ILL-TEE
つづいてはILL-TEE。DJの他にもう一人ラッパー、多分MASS-HOLEという人かな?がステージに立つ三人体制。トラックの内外とわず自由にやるCENJUに比べるとこの二人のラッパーはかなりかっちりタイトにトラックにリリックをはめ込んでくる。小節頭に言葉の喋りだしが噛み合ってこれはこれで非常に格好いい。やはりリアルな感じのするリリックだったと思うけど(固くて低い声質もあってCENJUに比べるとやや聞き取りにくい場面もあった。)、もう少し言葉遊びと陰陽の陽にあたるようなリリックもあってヒップホップの楽しさ、というのがわかりやすくそして最大限に発表されるようなステージングだった。ある意味淡々と韻を踏んでいくスタイルではじめは聞き惚れるような感じなのだけど、トラックとのかみ合わせが非常に良くてどんどん気持ちよくなってくる。フックのようなものもあってわかりやすい。ハードコアという明確に違うフィールドで徐々にヒップホップの楽しさ、というのがじわじわ浸透してくるようなライブでやはりもう最終的にはかなり前の方は盛り上がっていた。トラックがシンプルでビートが強いので実は乗りやすい、というのはあると思う。真面目と言っていいほどしっかりしていて格好良かった。

Saigan Terror
続いては東京高円寺のハードコアバンドで結成は1997年(素晴らしいインタビューより)。クロスオーバー、つまりこの場合はハードコアに刻みまくるスラッシュ・メタルをかけ合わせた音楽で私は何回かライブを見たかな?格好いいんだけど言語化するのが難しいな(音源もいまでは廃盤状態なので。)と思っていた。本日はスプリット発売の主役で堂々のトリ。
改めてライブを見るとこんなに重かったっけ?となったブラストビートが冴えまくり、ブラストビートに乗って突っ走るさまはもはやTerrorizerでは!?と思うくらい凄まじかった。よくよく聴いてみるとなるほど確かにグラインドコアというには音が良い感じに抜けていて、より疾走感が強調されているけどそれでも軽薄ということはまったくない。ブラストビートにすべてを掛ける、という音楽性でもなく、シンプルな2ビートが土台を作りそこに凝ってはいるが決してスピード感を減じさせない”刻み”のスラッシュリフが乗る。この日ドラムとともにすごいなと思ったのはベースで、おそらくエフェクターを噛ませて幾つかの音をコントロールしているのだが、かなり硬質で刻みのリフと相対するようなガーンとアタックしたあとミュートしない弾き方が、硬い地面に金属が跳ね返るような強烈さで非常に格好良かった。この日前の3つのバンドは共通点があってそれはとにかく突っ走るときは突っ走る、ということだったが、Saigan Terrorは速度はあってもミュートを用いたリフにはつんのめるような独特の粘りのあるコシが生まれているところが明確に異なる。つまり何が言いたいかというと他のバンドにはない「グルーヴィ」さが生まれていた。これはとにかくピットに反映されていて、Fight It Outの殺伐としてたピットと比べると同じことをやってい人はいるのだけど、もう少し多様性があり、ステップを踏む人やそれこそ女性の人もいた。そして沢山の人が笑顔だったのが一番印象的だった。危なくないわけではないけど、それを圧倒的に上回る楽しさ。ギタリストの方のキャラクターやMCもそんな雰囲気を作り出していくことに大いに寄与していると思う。 20年の貫禄がバチバチ発揮されていた唯一無二のサウンドだった。

もちろんスプリット音源(とZine)を購入してほうほうの体で帰宅。終始激しかったけど楽しかった。ライブを見に行く醍醐味に知らないバンドを知れる、というのがあると思うがそういった意味ではハードコアとヒップホップとクロスオーバーなイベントで知らないジャンルを垣間見れてよかった。

2017年11月26日日曜日

ダン・シモンズ/エンディミオンの覚醒

アメリカの作家によるSF小説。
「ハイペリオン」サーガの最終章。どんどんボリュームも増してきて、今作では上下分冊の上それぞれが700ページある。長かったアイネイアーとロール・エンディミオンの旅路もついに終りを迎える。

宇宙と人類を統べるカトリックとその軍隊パクスの猛追から辛くも逃れ、マゼラン星雲に位置する失われたはずのオールドアースに到達した人類の救世主アイネイアーとロール、アンドロイドのべティック。謎の勢力の実験により蘇った建築家フランク・ロイド・ライトの弟子として平和な4年間が過ぎた。しかしアイネイアーは安寧の生活の終わりを告げ、エンディミオンはかつてとある惑星に隠した宇宙船を確保する命令を受ける。嫌々ながらカヌーに乗り込み転移に備えるエンディミオン。動き出したアイネイアー一行に対して再び、いよいよの追撃を掛けるパクス。そしてその背後にはもう隠しようもなく”コア”の存在が見え隠れする。人類の命運を分ける戦いがついに始まり、そして決着する。

時間の墓標に住むシュライクが活性化したため原因を探りに行く、という物語だった4部作の冒頭を飾る「ハイペリオン」から4作、物語は進み、270年の時間が流れ、人類の版図とその生活は大きく変わり、そして登場人物たちを(一部は残っているけど)一新し、そして彼らも成長させた物語もついにここで終焉。4冊を2つに分けられるが、前半で謎のままにされた幾つかの謎もついにすべてが明らかになる。長きに渡って人類を陰ながら支配していた人類自身が作り出したAI群テクノコアと全面対決をし、いよいよ人類がインターネットを発明してから失った(テクノコアはちょうとネットともに誕生したという設定)自由を再び手に入れられるか、というところと、さらには人類という種が宇宙の中でもう一段進化の階段を登るか、というSF的な命題が、一人の救世主となる助成によって復讐的に、そして革命的に実行されるという物語的なカタルシスを持った壮大なエンターテインメントSF小説だったなと、振り返って読み終えるとわかる。おおよそ目新しい設定などはないものの、既存の設定、ガジェットのみでよくもここまでSF小説の醍醐味をほぼほぼ網羅したような集大成的な大作が書け得たものだ。相変わらず道の存在しない世界への旅行記としての魅力は兼ね備えていて、特に三分構成の今作の二部の物語の中心となる、アジア系の播種船が長い年月で打ち立てた惑星天山のチベット的な世界観の描写には日本人としては心打たれるものがあるだろう。未来なのになぜかノスタルジーを感じさせる(しかも一回も言ったことない外国なのにね)描写はさすがの手腕で、1400ページ普通の小説なら寄り道として切り捨ててしかるべきところに丁寧にページをさき、そしてその緻密な描写こそがこの本の楽しさの大きな柱になっている。物語の構成も純朴なロールと言う男を狂言回しにすえることで、きになる大きな謎が最後まで明らかにされないという作りになっており、流石に物語が加速する後半はジリジリしながらページをめくる手がスピードアップした。やはりアメリカの作家からなのかかも知れないが、(といっても明らかに意図的に直接に書いていることは明白だ。)基本的には堕落したキリスト教的な世界観を、ひとりの救世主的な、つまりキリスト教的なリーダーが(さらに彼はか弱く若い女性である)不屈の精神でひっくり返していく、というストーリー。
最後まで面白く読めたのだが、のめり込めたゆえに不満があるところもあって、大きく3つかな。一つは物語の構成上仕方ないけどロールが最後までアイネイアーの使いっぱしりでしかないこと。所々で男気を見せるのだけど、あくまで字も一番普通の人間が自力で進歩してほしかったところ。一歩を踏み出すのがアイネイアーのドグマなのだが、どこかで自分なりの一歩を見せれたら良かったかな。もう一つはこれは「ハイペリオン」の時からもそうだったが、体制側がのんきすぎる。今回コアが主だったカトリックの頭たちに演説をぶつのだけど、証拠が一個もないのにも頭から信じてしまう人類側が全然だめでしょ。仮にも人類を統治しながら影で裏切ってる悪の首魁なんだからもっと賢くならないと。コアを出し抜いてほしかった。(これもアイネイアーとロールの関係と立場は違うけど構図は同じだね。)まあ聖十字架で弄くられているから、って言い訳は通りそうだが。最後はテクノコアというのが最後まで寄生体というのがいまいち納得できない。テクノコアに限らず、極度に進化したAIなら肉体に縛られないのだから、さっさとロボットでも作って人類から離れていくようなきがするのだが。SFだと必ず人類に反旗を翻すのがAIの役目なのだが、実際には肉体という檻にとらわれない彼らは思考が全く人類のそれとは異なるのでは。そうなったら人類に対する拘泥や恐れなんてあるかな??と思ってしまう。(AIがやけに人間くさすぎる。)まあこれは私のSF全般に対する思いなのであれなんだけど。

たしかに面白いSFを読みたいという人はこのシリーズを読むのが手っ取り早いかもしれない。ハードなSFだとハードルが高い、という人にはおすすめでそういう意味では入門編に良いかもしれない。ただしとにかく最後まで読むと長い、というのとこれ読むともうSFはこれで良いかになるかも(自分はならないが)ってなるかもしれないな…。

Wormrot/Voices

シンガポールのグラインドコアバンドの3rdアルバム。
2016年にEarache Recordsからリリースされた。
先日来日し、そのパフォーマンスで観客を魅了しまくったらしい。らしいというのはちょうど私はTDEPの公演と日程がかぶり身も心もマスコアに捧げたため彼らのステージは見ていないからだ。(平日公演もあったんだけど行けなかった。)ただ本当にちょっとやそっとの高評判ではなかったのでせめて音源だけでも、というわけで購入した次第。三人組のバンドで2007年に結成、2012年に活動を休止し、メンバーを一部入れ替えて再始動し作成したのがこのアルバム。

グラインドコアというのはデスメタルとハードコアがクロスオーバーしたジャンルで、ブラストビートが多用される、という説明は実は肝心な音楽性に対する正確な言及はない。ブラストビートを入れればなんでもグラインドコアになるかというとそれも違うわけで、そういった曖昧性もあってか”グラインド”というのは幅広く激しい音楽で使われている気がする。そんな中でピュアなグラインドコアバンド、というのは実はそういないのでは。というのもピュアであろうとすれば音楽的な選択肢の幅が広がり、強烈な個性が出しにくくなるからだ。例えば今はもうスマートフォンでも曲を作れるが、それでドラムのパートを全部叩かせると「ダダダダダダ…」となっておお!グラインドだ!となるが楽しいのは最初だけですぐににつまらなくなってしまう。ただの垂れ流しに飽きちゃうのだ。グラインドコアバンドはいかにたくさんグラインドするかというよりは、どうやってグラインドするか、どこでグラインドするか、むしろどうやってグラインドしないか、を突き詰めるようになるのではないか。前置きが長くなったが、このWormrotというバンドはそこを突き詰め、グラインドコアの表現の限界に果敢に挑もうとするバンドのようだ。
ベースレスのトリオ編成でもちろん基本的にはどの曲も異常に速く、そして短い。紛れもないグラインドコアだがその表現力が半端ない。まずはギターの音を意図的に軽くしている。重さは迫力を増すが、圧倒的に選択肢を阻めてしまう諸刃の剣ということだろうか。代わりに軽快なフットワークと流れるようななめらかな表現力がギターに付与されている。アイディアの塊のようなリフワークで、ブラストビートの上によく映える王道のスラッシュなリフはもちろん、溜めのある中速を彩るミュートを多用するリフ、ハードコア的なゴリゴリしたリフ、それからブラックメタル顔負けのトレモロリフにはやはり圧倒的に欠けているメロディの要素を補って余りある表情の豊かさ。普通ならリフとアイディアだけで4分とかそれ以上、もしかしたら複数の曲を賄えるくらいの量を1曲にそれも多くは1分前後の曲に圧縮している。なんという贅沢。なんという酔狂。だがそれが良い。代わりにともすると突っ走るだけのどんぐりの背比べに陥るグラインドコアという非常に尖ったジャンルに全く新しいバリエーションを生み出すことに成功している。
ギターに負けじと多彩な声で叫びまくるボーカル、そしてブラストを叩くだけでないドラムも三人の真剣勝負のような緊張感を煽ってくる。
”縛り”というのはあえて選択肢を絞ることだ。自らに課すルールと言っても良い。一見選択肢の削除は自殺行為に見えるが、実はルールを持ち出すことは表現を研ぎ澄ませ、出来上がってくるものを引き締めて面白くする。(例えばゲームのバイオハザードをナイフだけでクリアする、なんて緊張感のある縛りプレイですよね。逆に無限ロケットランチャーははじめはテンション上がるけど意外に面白くない。)厳格に自らを縛っているのに、こんなにも豊かな色が出せるとは非常に驚きだ。少なくとも音楽のジャンルでは何かが完成するなんてことはないんだな〜と思わせる。

ともするとどん詰まりになるようなグラインドコアというジャンルの壁をぶち壊すような快作。ライブの評判は本当すごかったからぜひまた見る機会があればな〜と思わずにはいられない。

Wolves in the Throne Room/Thrice Woven

アメリカ合衆国ワシントン州オリンピアのブラックメタルバンドの6枚目のアルバム。
2017年にArtemisia Recordsからリリースされた。
1stアルバム「Diadem of 12 Stars」を2006年にリリースするやカスカディアン・ブラックメタルというジャンルを圧倒今に打ち立てたブラックメタルバンド。カスカディアンといえば複雑な大作指向でまごうことなきアンダーグランドなジャンルだったが、アトモスフェリックな音作りはその後のブラックメタルとシューゲイザーの融合に影響を与えたのではと密かに思っている。2014年に発表された前作「Celestite」では前編ほぼシンセサイザーの音で構成された内容でファンの度肝を抜いた(おおよそネガティブな方に)バンドの3年ぶりの新作。もしやまた…というファンの不安を裏切り結論から言うと元の完全なブラックメタルなバンドサウンドに回帰している。中心となるのはNathanとAronのWeaver兄弟で、そこにKody Keyworthというメンバーが新しくギターと歌で参加している三人体制。プロデューサーにRundall Dunnを迎え自前のスタジオ(文字通り自分たちで建てたらしい。)で録音された。今でも多分そうだがWeaver兄弟はオーガニックな思想を持ち、そこに根ざすスタンスで活動している。農場で暮らし、電気を使うことに矛盾を感じつつ、ブラックメタルをやっている。

今作「Thrice Woven」は直訳すると「三回織」になる。おそらく織物の形式の一つではと思うが。バンド三人に加えてスウェーデンのシンガーAnna von Hausswolff、それから暗黒メタル界の巨人NeurosisのSteve von Tilがゲストとして参加している。
全5曲で42分。インタールード的な4曲目を除くとだいたい1曲あたり10分くらいだろうか。過去にはもっと長い曲があったが、「Celestial Lineage」から割りと(それまでに比べると)コンパクトに曲を纏める、という動きがあるように思う。そういった意味でも前前作を踏襲する流れなのだが、一通り何回か聞いた後に思うのはやはり問題作となった前作「Celestite」の影響はまだあるなと。確か前作の感想を書いた際に表現の際にブラックメタルという”やり方”がじゃまになったため、というかそのやり方だと表現しきれないため、ああいった別のアプローチを取ったのでは、と書いた。今作でもシンセサイザーは使われているが私が言いたいのはただ今作もシンセサイザーを使っているので、とか微妙にそういうことではなくて。まず今作を聞いて思ったのは曲に今までにない広がりがあることだ。大作指向だし大胆に女性ボーカルをゲストに招いたりしているが、実はこのバンド表現の幅は結構かっちりしている。どちらかと言うと多彩なのは展開であって、あくまでも愚直なまでのブラックメタル絵巻を展開してきたように思う。同じカスカディアンというジャンルに属するミネソタ州のPanopticonが「Kentucky」で大胆にバンジョーを取り入れたときは衝撃だったが(私はこのアルバムが非常に好きだ。)、実はWolves in the Throne Roomはそこまで柔軟にジャンルをまたいでいなかった。今作「Thrice Woven」ではさすがにバンジョーやその他の楽器を取り入れることはないものの、今までの彼らからするとかなり新しい要素を取り入れていると思う。女性ボーカルや複雑な構成という強靭な縦糸に、フォークの要素、シンセサイザーの浮遊感、アンビエントパートなどの横糸を噛まして、強靭かつ今までにない色彩豊かな織物を描き出した。それが今作だ。

ある意味相当アヴァンギャルドだった前作がマンネリからの脱却や、第一人者としての重圧からの逃げを打った失敗作とするのではなく、自分たちの本質がどこにあり、どこまで行けるか、ということを確かめる作品だったとすると、全くバンドサウンドを用いないという「Celestite」という作品を経て、改めてブラックメタルの形に回帰し、そしてその幅を大胆不敵に広げてきたのが今作「Thrice Woven」ではと思う。
複雑なバンドだが、私はやはりメロディの残滓の上を紙を引き裂くようなイヴィルなボーカルが疾駆する、ストレートなパートがWolves in the Throne Roomの醍醐味だと思うので(そういった意味ではEP「Malevolent Grain」はすごーく好きな音源。)、今作でもその鋭さが遺憾なく発揮されているのが嬉しい。やはり芯はぶれていない。普通のブラックメタルなら「冬は死につつある、太陽が戻ってきている」と春を称える歌を歌わない。これはやはり野菜を育て豊かな春の訪れの本当の豊穣さ、ありがたみを知っている人でなくてはつくりだせないだろう。崇高な何かに対する畏怖と畏敬の念が詰まっているように思う。そういった意味ではやはり、温かい、血の通ったブラックメタル、という稀有な音楽だ。

ひたすら風格を見せつける最新作。前作に否定的な感想を持った人にこそ聞いてほしいと思う。非常に格好良い。おすすめ。

2017年11月19日日曜日

Iron Monkey/9-13

イギリスはイングランド、ノッティンガムのスラッジコアバンドの3rdアルバム。
2017年にRelapse Recordsからリリースされた。
Iron Monkeyは1994年に結成されたバンド。Earacheから2枚のオリジナルアルバムと日本のChurch of Miseryとのスプリットなど幾つかの音源をリリースして後、1999年に解散。その後2002年にはボーカル担当のJohnny Morrowが心臓発作により逝去。Iron Monkeyといえばこのボーカル、ってこともあり再結成は絶望的に。ところが今年になって再結成して作った音源がこちら。ギターを弾いていたオリジナルメンバーJim Rushbyが真っ白い覆面マスクをかぶってボーカルを担当(ギターも弾く)。解散前に脱退したギタリストであるSteve Watsonがベースに転向。ドラムにScott Briggsを迎えた三人編成。Briggsはアーティスト写真でただならぬ存在感を漂わせているな…と思ったらハードコアパンクバンドChaos U.K.のドラマーとのこと。ボーカル不在という難しい状況をオリジナルメンバーを主体に再結成ということでこれはかなり期待が煽られるというもの。私はだいぶ遅れてオリジナルアルバム2枚セットの音源を買った周回遅れの後追いで、多分それが起因して今回の音源は結論から言うと非常に楽しめています。(オリジナルのボーカリストの魅力が…という意見もあるようで、やはり思い入れのある方はそういう感想を持ってしまうこともあるよなと。私も当時から聴いていたら多分そうだったと思う。)

イギリスと言うと紳士の国だが、ドゥームの国でもあるというのは半ば常識であって、そもそもからBlack Sabbathがイングランド出身ということもあり、現行ではやはりElectric Wizardや解散してしまったけどCathedral(とRise Above Records)などなど、激しいだけでなく怪しい、不穏である、剣呑な、退廃的な、そんな形容詞のよく似合うドゥームバンドをたくさん排出しております。私は激しさの探求からスラッジコアにたどり着いてやはりEyehategod(アメリカ、ニューオーリンズのバンド)を聴いてわかりやすく「やべー」となった口。Iron Monkeyを聴いたときはその一見するとの聞きやすさにびっくりしたものの、すぐにその軽快かつだるくて不穏な音世界にハマったものだ。
音質的には確実に2010年台の洗練されて迫力のある音にアップデートされている。ジリジリした感じは消えて非常にクリアだ。ただ中身的にはやはりIron Monkeyだ。バンドが存続していたらなるほどこういう音を出していただろうと言う感じ。スラッジコア/サイケ・ドゥームを自称することもあってただただ遅く陰惨なスラッジとは一線を画す音と曲作り。ヴィンテージ感のあるロックからの由来を感じさせる溜めのある、ひっぱるようなリフが特徴でゴリゴリ圧殺系とは明らかに異なるうねりのあるリズム感が魅力。決して音の数は多くないのに魔術のような空間を組み立てるリフ。もっと危険な音を出すバンドはあるが、このIron Monkeyの現実的なヤバさというのはジャンルは異なるがUNSANEなんかに似ているかも。ひょっとしたらストリート感と言っても良いかもしれない。不敵に微笑む危険な男、という感じで余裕がある感じが逆に不穏だ。酩酊しきって酔歩するように経過なロック/ドゥームの境界を超えて、明らかに行き過ぎた/やりすぎた感のあるスラッジの世界に足を突っ込むところが最高。前半のノリの良さがゲートウェイでヤバみが増してくる後半に気づくと案内されている、というかケツを足蹴にされて悪夢の陥穽に落ちたような非道な感じ。ラスト「Moreland St.Hammervortex」は大団円という感じ。
そしてやはりボーカルが一番気になるところ。なくなったJohnny Morrowという人はほんとう危険な感じのする声の持ち主で混沌とした悪徳を声で表現した、みたいな魅力の持ち主だった。このバンドの(当時の)看板はMorrowの独特なボーカリゼーションということは残されたメンバーも自覚するところであって、全く異なる系統のボーカルを載せるというよりはMorrowの歌唱法をなぞるようにJimがマイクを取る。前のボーカリストは上手い下手とかではない次元で人を魅了したが、その魅力は声質によるところもあって、異常なしゃがれ声だった。さすがにJimは体格と喉も別物なのでそのしゃがれの妙味というのはほぼない。ただぐしゃっと潰したようなこもった高音がよく出た耳障りな下品な、というところはかなり良い味を出している。ナチュラルに歌い上げる、もしくは叫ぶ(Morrowはかなりナチュラルに思える。)というよりはやはり演技力というのは明らかに酷だけど装飾性を感じるのは確か。ただし個人的にはこのくらいくどい方がいかがわしさがあって良いと思う。私的にはIron Monkeyの今のボーカルはJimで全く問題ない。思い入れのある方はまた違うのだろうが。

Iron Monkeyは名前だけしか知らないな〜という人はまずこの音源から買ってみたら時代のギャップはないと思う。Iron MonkeyといえばJohnny Morrowでしょ!という人も気持ちはわかるが、一旦通して聴いてほしい。やはり他に類を見ないバランスの”悪い”スラッジコアを鳴らすバンドだと思う。
どうでもいいけどとにかくあのお猿のロゴが格好良すぎてパーカーとLPのバンドルを買った上にT-シャツも購入した。もったいなくて着れないくらいかっこいい。

DS-13/UMEÅ HARDCORE FOREVER, FOREVER UMEÅ HARDCORE

スウェーデンはヴェステルボッテン県(調べるとスウェーデンの上の方)、ウメオのハードコアバンドのディスコグラフィー盤。
2017年にLPやCDの形式で複数のレーベルからリリースされた。私が買ったのは日本のCrew for Life Recordsからリリースされた日本盤。(CD形式は日本盤だけみたい。)
DS-13はDemon System 13の意味で1996年に結成、本国だけでなくアメリカ、ヨーロッパ、日本なども含めて世界的に活動したが2002年に一度解散。2012年に再結成し、また精力的に活動している。Pusheadのイラストを使った音源は聞いたことない私でもなんとなーく知っていた。おそらく来日を記念してという意味もあってのこのディスコグラフィー日本盤だろうと思う。私は再来日ライブには行けなかった。この音源とても内容が素晴らしいので非常に残念。
この音源はアルバムを除く1997年から2000年までのスプリット音源や、EP、コンピレーションに収録、提供した音源を集めたもの。全部で67曲あり、リマスターが施されている。

最近日本のハードコアバンドのインタビューを読むと一昔前は本当にハードコアを聞く人が少なくて大変だったようだ。最近は(自分が興味を持ったことも大きいだろうけど)一昔前に比べるとやや盛り上がってきたのかな?という感じ。
このDS-13は1996年から活動しているバンドだから現行スタイルにはむしろ影響を与えた方のバンド。67曲を聞いてて思ったのは非常に聞きやすいってこと。(とくにパワーバイオレンスなどの激しいタイプの)ハードコアバンドは1曲が短いからアルバム全体も短くなる傾向にある。短くても中身的には結構重たくて濃いので、濃厚な家系ラーメンのように短い尺がちょうどよいくらいなのだけど、このバンドに関しては67曲がすっと聴ける!それもあとに残らない軽さではなく、これはいい曲、これもいい曲という感じに耳を通して脳にガツガツくる。こういうのはなかなかない。ディスコグラフィーだから良い曲のみを集めたベスト盤ってわけでもないし。この聞きやすさの秘密は今のところ3つくらいあって、一つは音がおもたすぎないこと。低音をバリバリ強調して不穏でノイジーなフィードバックノイズを添えた昨今の音とは一線を画す、ハードコアパンクの延長線上にある中音域の厚みがあたたかみすらある音が非常に気持がよい。もう一つは曲によって聞き所がきちんと用意されていること。たしかにとんでもない速度で突っ走る曲がほとんどなのだが、スラッシュ一辺倒でなくて結構コード感のある聞きやすいパンクな曲構成になっていたりもする。シンガロングに彩られたメロディが出て来る曲もある。(「Degenerated Generation」や「(I'm Not Your)Steppin' Stone」なんかは歌えるくらいキャッチー。)強烈な速度とその極端にある急停止からの鈍足、というスタイルが(もちろん良いことでもある)一つのやり方になっている昨今は特に、こういうふうに脇道にそれているというか、いろいろな試行錯誤が、結果的に勢いのある曲を主体とした音源の中でいい感じに異彩をはなちつつ凹凸を作っている。そして最後の要素は全体を覆うポジティブ感。ぬるいポップパンクだというのではないし「死んだ警官だけが良い警官だ!」と叫ぶ過激さ、攻撃性がありながらも、音的には陰惨にならないでエネルギッシュでありながら創造的だ。聴いていて単純に元気が出てくる。

演奏の感じやボーカルの親しみやすさからCharles Bronsonにちょっとだけ似ているかな?なんて思った。非常に格好良くこのDS-13というバンドを紹介しているディスコグラフィーだと思う。現行のパワーバイオレンスのようなキレッキレのハードコアが好きな人も、きっちりとしたハードコアパンクが好きなのだという人にも進められる音源では…なんて思ったりする。非常におすすめ。