2017年8月13日日曜日

Disembodied/Psalms of Sheol

アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスのハードコアバンドの編集版。
2009年にPrime Directive Recordsからリリースされた。
Disembodiedは1995年に結成され二枚のフルアルバムといくつかのEPやスプリットをリリースし、1999年には解散。その後再結成をしたようだが現状はやはり解散状態のようだ。メンバーは二つの異なるバンドに分かれて活動している。
「黄泉詩篇」と題されたこの音源はアルバムには未収録の音源をあつめたもの。気になっているバンドだったのだが、直近手に入りやすい(どうもその他の音源はプレミア化しているようだ)のがこちらだったので手っ取り早く新品で買って見た。Disembodiedはこの音源で初めて聞く。

大胆に黒魔術をあしらったアートワークからわかるように音的にも大胆にメタルの要素を持ち込んだハードコア。いわゆるメタリック・ハードコア、ニュースクール・ハードコアに属する音でザクザク刻む音に吐き捨て型のボーカルが乗っかるハードコア。ハードコア生まれの強面なリズム感にメタル譲りの黒く重たい要素がいい具合に組み合わさっている。このバンドはハードコアというにはかなり陰鬱で、オールドスクール・ハードコアの気持ちの良い明快さがほぼ皆無なのが面白い。ミドルテンポを主体に重苦しい雰囲気で進行し、ここぞって時にさらに速度を落としたりする。ダミ声ではなく結構艶のある声は吐き捨てシャウト以外にも、ダウナーな雰囲気のつぶやきからクリーンボーカルでのメロディのある節回しなどもこなすが、隆盛を極めたメタルコアスタイルのゴリゴリ演奏から一点甘ったるいメロディアスなサビを乗せるきらびやかな手法とは無縁なのが良い。曲はだいたい3分から4分くらいで冗長なパートには一切時間を割かない。単刀直入なのはいかにもハードコア的であって、変な飛び道具を使わず重量感がありつつも輪郭がやや潰れたギターの音は個人的にとても好みだ。ソリッド過ぎないのが良い。音的にもほぼほぼ低音のミュートを多用したリフに特化しており、つんのめるようなリフはスピード感をあえて殺すことでハードコア的なグルーブが生まれている。陰鬱な世界観ながらもあくまでも体を動かすハードコアとして成り立っている。

ラストはMetallicaのカバーを披露している。
こりゃかっこいい。メタリックさと黒い雰囲気で持って表現の幅をグッと広げているが、その実徹頭徹尾どこまで言ってもハードコアなのだ。個人的には電子音を使わないのにインダストリアルな雰囲気も感じられる「Scratch」が非常に好み。見つけたら是非どうぞ。

2017年8月12日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/キラー・オン・ザ・ロード

アメリカの作家による短編小説。
きっかけはもう忘れてしまったがジェイムズ・エルロイという作家が好きでもう何作かを読んでいる。母親を誰かに殺されてそして今でも未解決という体験があるからか、相当思い入れの強い人のようでどの作品も筆者の異常な執着が反映されており、それが私にとっては気持ちが良いのである。だいたい警察官が主人公なのだが、警察官と犯罪者どちらの立場にいようが違うのは立場だけで出てくるのは悪党ばかりである。中でも「血まみれの月」という作品に出てくる、主人公ロイド・ホプキンズに対抗する殺人鬼が私は好きなのだ。文学少年だったのに男にレイプされてから男に目覚めたのだが、それを受け入れきれず初恋の女性に似た女を殺さずにはいられない、いわば殺す方も殺される方も決して幸せにならない、全てが間違ったやつなのだが、その間違いようがとても好きなのだ。(私は自分がそうだから弱くて冴えないやつが好きなのだ。いうまでもないが現実の殺人は全く好きではない。)この「キラー・オン・ザ・ロード」はエルロイの作品にしてはいくつか珍しい点があるが、その一つに主人公が警察官ではなく犯罪者である。彼の犯す犯罪というのは性に絡む殺人で、そして彼はシリアル・キラーでもある。これは読まずにはいられない。とっくに絶版の本だが中古で購入した。

いくつか作者にしては目新しさがある本だと書いたが、その一つとしてこの本は非常にオフビートな文体で書かれている。エルロイの本なら一番有名なのは映像化された「LAコンフィデンシャル」、「ブラック・ダリア」あたりだろうが、そのあたりの本を読んだことのある人ならわかるだろうが、”熱病に浮かされたような”とも評される異常なテンションの一人称の語りに圧倒される。どいつもこいつも(エルロイは器用な作家ではないからかき分けはあまりできないということもあるかもしれない)、何かにとらわれていて、決して癒されることのない乾き(出世、金、女、恐れ、トラウマなどなど)に突き動かされている。汗と血と精液の匂いがページから立ち上って来てむせ返るような、そんな趣がこの本からは全く感じ取れない。というのもこの本はシリアル・キラーがその半生を振り返って執筆した本(の一部)という体裁をとっているからで、この主人公というやつが全くエルロイの描く主人公像からかけ離れているからだ。ただやはりこの男というのが何かに囚われていて、それによってアメリカ全土をさまよっている。そして彼にしかわからない法則によって無辜の人々を殺して回っている。セックス殺人であるが、彼はレイプはしない。これはエルロイらしからぬと思われるかもしれないが、犯罪者の心理に迫るという意味では大きな成功だったと私は思う。このためコマーシャルな暴力性に特異な個性が埋没しなかった。エルロイは残酷な犯罪を描きたいのではなく、犯罪を犯す人を描きたかったのはと思う。彼の姿はエネルギッシュな殺人鬼というよりは、徹底的に周囲の世界に溶け込めない半分死人のように見える。彼の法則は理解できないが(どうも彼の妄想は統合失調症の域まで達しているように、素人目には思える)、しかし彼の行動の動機は少し理解できる。というのもそこまで人並みから外れたものではないように見えるからだ。後半彼がやっとその思いを満たすことができるのだが、普通の人が難なく達するところができる地点に彼のように殺人行脚(彼は100人くらい殺してる)を経てようやく不器用にたどり着くのだ。それは愚かと言えばそうなのだが、やはり何かこうわかってしまう。良い悪いではなくて、そういうことはあるだろうなと思うのだ。つまり殺人が彼にとっては目的でなく(当初はどうも目的だったような感じはあるが)、手段に思えてくる。普通の人が話しかければ事足りるところ、彼は殺人を犯すのだとしたらそんなに間違っていることはないだろう。そしてその間違いが面白い。思わずため息が出る。決して報われることがないという意味で、非常にべっとりと陰湿であると同時に嫌になるくらい虚無的な物語であり、それゆえ最高なのだ。

忌まわしい話だが、色々と感じるところがある人もきっといるのではなかろうか。人と上手く接することができないと感じる人は手に取ってみると良いかもしれない。

2017年8月5日土曜日

スタニスワフ・レム/ソラリス

ポーランドの作家によるSF小説。
私が買ったのは早川から出ている新訳版。
SFで著名な作品だけど個人的にハードルが高いな〜となんとなく思うのが「ハイペリオン」、「砂の惑星デューン」とこの「ソラリス」なんだけど、いよいよ!と思って買ってみた。他の二つは長いからまだ躊躇している。

遥か未来、ソラリスという惑星には粘性の海があり、そしてこの海は意志を持った生命体であることがわかった。人類は長きにわたってソラリスに学者たちを派遣し、海とコンタクトを図ろうとしてきたがまともな交流には成功していなかった。様々な仮説と憶測が入り乱れ、次第にソラリスに対する期待と熱量が冷めてきつつある時代、心理学者であるケルヴィンがソラリスにジンルが設置したステーションに到着する。ところが3人いるはずの学者のうち一人は死亡。残りの二人の態度も極めて不自然である。不信感を募らせるケルヴィンの前に地球で死別した恋人が現れる。

有名なアンドレイ・タルコフスキー監督(一作も見たことないんだけど)とスティーブン・ソダーバーグ監督(この人のもどれも見たことないや!オーシャンズ〜の監督。)によって二回も映画化された。本邦でも発表されてから60年後に新訳が出るくらいだから、世界的な人気のほどがうかがわれる。二度の映像化に関して作者スタニスワフ・レムはどちらもひどく不満だったようだ。どうも色々な解釈をされる作品であるようだが、私はこの作品は科学的な挑戦と不屈の意志を描いている作品だと思う。なるほど自殺してしまった恋人と急かつ不自然に再開し、恐れつつも以前とは異なる関係を結ぶ、というところは非常にロマンティックで実際大変面白いのだけど、この作品は明らかにその先を描いている。
人間は想像力があっても基本的には既知のものから新規のものを考えることしかできない。いわば地球の法的式のようなものがあって(魔法的なものでなく環境的なもの)人間はそれに縛られる。ところが無限に広がる(広がり続けるとかいや縮んでいるとか色々言われる)深遠な宇宙では当然この方程式が聞かなくなってくるだろうと思う。確かイーガンだったと思うが、地球と異なる物理法則に計算で戦争するみたいな短編がなかっただろうか。いわば絶対的な法則も実は多様性の一つでしかなかったみたいな壮大さが自分は好きで、これはもう妄想の域だが、それでもやはり宇宙には全く異なる生物というのがいたとして、彼らと人間が出会った時向こうがなんの反応も示さなかったりはしないだろうか?(レムもいっているがアメリカだと大抵向こうが殴りかかってくる(それはそれで好きだが))はたまた精神体みたいな存在がいるのではないだろうか?なんて色々子供の時から考えたものだ。そんな多様性から出発したのがこの「ソラリス」ではなかろうか。そんな中でもあくまでも(能力的な限界でもあるから仕方がないのだが)コンタクトを図ろうとする人間たち。それをマクロ的な視点(主人公ケルヴィンが図書館に納められた書物から紐解くソラリス史)とミクロ的な視点(いうまでもなくケルヴィンが体験する様々な事柄)で書いているのが今作。結局なんなのか?という問いが残るケルヴィンと死別した女性との再会。白黒はっきりするだろうな、というのは淡い期待であることをレムは書いている。仲良くなるわけでもなく、喧嘩するわけでもない、ただ同じ時と同じ場所で別の生き物が生きているという事実。ケルヴィンを始めとする地球人たちの試みはこの小説の時点でははっきりとした成果を出せていないのだが、それでも自分たちなりのやり方でやり続けようというのが、この小説なのではなかろうか。要するに意志の問題を書いていて、未知のものに挑んでいく高潔さを書いているのでは。根本的に努力が報われると思っている人からしたら虚無的だろうが、疲れ切ったケルヴィンがステーションを飛び出し出会う景色はむしろ感動的だと思った。(ここは物語的ではある。つまりちょっとご褒美っぽくも見えてしまう気もする。)ここではないどこかに連れていくのは自分の足なのだということをそれとなく解いているようにも思える。

二つの色の違う太陽に照らされるソラリス、そこに横たわる広大な海が一つの生命体で、粘性のあるその体を使って様々な現象を引き起こすという絵が大変美しく、そして圧倒され畏怖の念が出てくる。この設定だけで映画人を引きつけるというところは非常に納得感がある。そこで繰り広げられるのは切ない恋模様というよりは、より硬派な不屈の意志であると思う。硬派だ。グッとくる。是非どうぞ。

Integrity/Howling,For the Nightmare Shall Consume

アメリカ合衆国はオハイオ州クリーブランドで結成され、今はベルギーを中心に活動しているハードコアバンドの10枚目のアルバム。
2017年にRelapse Recordsからリリースされた。
1988年に結成されボーカリストのDwid Hellionだけは不動のオリジナルメンバーとして活動し続ける(長い活動の歴史で中断はあったようだが)ハードコアバンド。知らない人でも印象的なロゴマーク(トゲのついた帽子をかぶって牙の生えた骸骨?)はどこかで目にしたことがあるのではなかろうか。私は全くもっての後追いで一つ前のアルバム「Suicide Black Snake」(2013)から聞き始めた。ブルータルでプリミティブなハードコアかと思って聞いてみたらかなり印象の違う音でびっくり。以前の聞かないとな〜と思いつつ新作が出たので買ってみた。

デジタル版をBandacmpで購入したのだが、ボーナストラックが5曲入っており、全部で15曲。全部で72分ある。その音楽的な”濃さ”もあって一回聴き通して見るとうおお、濃厚だな…とただただ圧倒されたのだが何回か聞いて見ると結構この世界に入り込むことができたのか、全然普通に聞ける。(全体でちょっと長い感は否めないけど。)
Integrityというのは初期は知らないのだが、少なくとも直近の2作ではメタリックなハードコアを演奏している。メタリックなハードコアは「メタルコア」という名称も含んで実際はかなり懐の深いというか、同じくくりでも様々な音楽が内包されている。(きっと本当にすごく議論が尽きないところだと思う。)そんな中でもIntegrityは独特のメタリックハードコアを鳴らしている。なんせ、メタルとハードコアという要素が非常に明確に一つの曲、Integrityという一つの音楽性の中で分離して共存しているからだ。一番わかりやすいのは非常に饒舌なギターソロだろうか。さすがにクラシカルさやテクニカルさでは本場の先鋭的なテクニカル・メタルとは一線を画すだろうが、ハードコアでここまでメロディアスで叙情的なギターソロを飛び道具的ではなく曲に持ち込んでいるバンドは他に知らない。やけっぱちな短いソロがキンキンしてやや潰れた音で披露されることはあるが、Integrityの場合は明らかにクリアで聴きやすい音で滑るように滑らかに弾きまくられる。
メタリックなのでリフでも刻んでくるのだが、いわゆるスラッシュコア、スラッシーなハードコアという名称もこのバンドの場合はあまりしっくりこない。鬼のような速度で刻みまくる勢いというのはあまりなくて、曲は結構ミドルテンポで尺もそれなりにある(今作は特に)のでHellnationみたいなざらついたパワーバイオレンスめいたスラッシュコアというの音像からは距離がある。今作では女性ボーカルを取り入れた曲もあるし、なんというか世界観が本当に独特。
もうメタルでいいんでは?という気が通して聞くとそんなにしないのは、やはりDwid Hellionのボーカルもあるかもしれない。ちょっとMotorheadのLemmyに似ている酒や煙のダメージを露骨に受けたようなしゃがれたかすれ声。低音が強いがあまり作為的な香りがしない、結構ナチュラルな歌い方だが、この歌唱法は周りのバンドサウンドと同じくらい他に類のないもの。
メタリックというとだいたい音の種類のことをさすがこのバンドの場合、ハードコアにはない漆黒感(ブラックメタル感ではないです)を持ち込むためにメタルの武器を使っているという感じ。だから前に進んでいく攻撃的なパワーバイオレンスにならなくて、むしろ奥行きを増して曲が長くなっていくのではなかろうか。女性ボーカル、アコギ、ストリングスと使っている楽器の種類も豊富でボーナストラックはちょっとトラッドな雰囲気すらある。表現力という意味ではやはりちょっと別の次元で勝負しているハードコアバンドなのだが、そうなるとハードコアってなんだろうな…となる。難しい。全体的にメタリックではあっても、メタルには聞こえないんだよな〜。不思議。

来日公演も迫ってきたしきになる人は是非どうぞ。漆黒のメタリックハードコア。ハードコアでは稀有な濃密さに驚くけどハマるとかなり良いです。


2017年7月29日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/獣どもの街

アメリカ文学会の狂犬、ジェイムズ・エルロイによる連作短編集。
犀のファッションに身を包んだマッチョな刑事と、殺人も厭わない強靭な精神を持った女優を主人公に据えたエルロイ流のおとぎ話。

この間「悪党パーカー 人狩り」を読んだらそのあとがきで訳者がエルロイをして「ケレン味がある」暗に本当のノワールとは言えないと批判するような形で書いていて、まあ確かにとは思って面白かった。一体エルロイという人は「狂犬」とか「熱に浮かされた」とかいった言葉で表現されるようにとにかくその筆に勢いというのは情熱的でそして大仰である。なんせホモフォビアの筋骨隆々の刑事が血まみれ、薬物まみれで大きく損壊された死体に立ち向かって行くような話ばかりを書いている。警察、ギャングどちらのサイドにいようが基本は悪人であって、ある意味では非常にアメリカ的なわかりやすい話をものすごく低俗に描いているとも言える。そんなエルロイがセルフパロディのように書いているのがこの物語。元はと言えば作品集に書いた作品の中から、この犀狂いの刑事リックと、彼のファム・ファタールドナのシリーズ三作品を抜き出したもの。三作品あれば十分一冊にはなる重厚さだけど、一つ一つは短編なのでエルロイ流の嫌になるくらいの濃厚さはちょっと抑えめで、陰惨さもそこまでではない。バラバラ死体は出てこないし、何より権謀術數渦巻く警察の闇の描写も少なめで全体的にカラッとしている。(ねっとりとした強迫観念が(あまり)ないのだ!主人公のドナへの深い想いはむしろ純愛に転化している。)その代わりいつも以上にエルロイの筆が冴えまくり、とにかく前編主人公リックから語られる言葉がマシンガンのようになっている。何がどうなるかわかりにくいところもあるのだが、勢いでとにかくリックに首根っこを掴まれてぐいぐい追い立てられているようだ。
そんな勢いが現れているのが文体で、もともと「ホワイトジャズ」ではその一つの到達点に行ってしまった感もある、独特の文体が持ち味のエルロイなのだが、この一連のシリーズでは徹底的に頭韻が踏まれている。私も頭韻って何だ?と思ったが例えばこの一文である「信じられないような臭気の襲撃に死にそうになる。顎に朝飯があふれかける。羽虫を払いのける。」要するに単語の頭の子音が一致している。書いたエルロイ本人もすごいが、何より訳した人がすごい。意味が変わるといけないから使える言葉は限られるだろうに、頭がさがる。熱狂的な語り口が無軌道にほど走っているように思えるが、その実相当緻密に組み立てられている。具体的には頭韻を踏むことで無意識に(結構意識しないとそのまま読んでしまうのだ)リズムが生まれて、その波に乗るが如く勢いに乗ってスイスイ読める。
わかりやすいのは主人公リックのドナに対する愛情でこれはもう常軌を逸している。なんせドナのいきそうな飲食店の店員を手なずけて彼女が来店したら連絡するように情報網を作っている。連絡を受けたらすぐに飛んで行く。それなら普通に連絡したら良さそうなものなのに、どうもそうはいかないらしい。要するにストーカーめいているわけなんだけど、そんなリックをドナは愛している。異常な事件とドナによる殺人がないと二人の愛は最終的には燃え上がらないわけでそう行った意味では異常な二人なのだが、それでもリックに比べるとドナは男にとって理想的な女になってほとんど健全に生き生きしている。つまりもうこれは現実を通り越しているわけで、エルロイの方も外連味を効かせすぎていることは承知でこれを書いている。いわば突き抜けた作品になっていて、そう行った意味でおとぎ話めいていると思う。こんな幻想の中でももちろんエルロイの魅力は全くその輝きを失ってないわけで(むしろ順序が逆で自分の強みをルールの外にまで伸ばしてるわけだから)、突き抜けることで躊躇の無さが面白さになっている稀有な例かもしれない。波の作家なら遠慮してしまって中途半端になるところではなかろうか。

あとがきにも書いてあるがエルロイ初めての一冊にはこの本が良いかもしれない。絶版だけど。エルロイ気になっているけど、三部作とかな〜とか気になっている人は是非どうぞ。いわゆるエルロイサーガとは別系統だけど、好きな人はもちろん楽しめるはず。

V.A./Asylum

日本のベースミュージックレーベルGuruzのコンピレーションアルバム。
2014年にGuruz Recordsからリリースされた。
GuruzはDJ Doppelgengerにより設立された東京のレーベル。主にベースミュージック、ダブのジャンルのレーベルらしい。タイトルの「Asylum」は収容所という意味、通常「アサイラム」と読むと思うがこのアルバムは「アシュラム」と読み仮名がついている。Guruzが主催しているライブイベントのタイトルから取ったものだと思う。
コンピレーションアルバムということで様々なアーティストが参加しているが、多分みんな日本の人ではなかろうか。沖縄の人と北海道の人が曲を提供しているまさに日本全国からのコンピ。
私は全くこのレーベルのことも知らなかったが、とあるライブでDJの方がかけている曲がカッコ良いのでShazam(みんな知っていると思うけど曲を聴かせると情報を教えてくれるアプリ)を使って調べて見たらこのコンピ収録の曲だったので買った次第。大抵ライブ行くとかっこいい音楽がかかっているので私はしょっちゅうShazamを起動しています。

さてアルバム冒頭を飾るHarikuyamaku(この単語も沖縄の踊りから取っているようだ)による「KumeAkaBushi」(「久米阿嘉節」が元ネタかと)を再生するとのっけからダブと沖縄民謡がマッシュアップされた楽曲に驚く。続くChurasima Navigator(美島と書いてちゅらしま、もちろん本邦の沖縄のこと)や、City1など沖縄にゆかりのある(多分沖縄の方)アーティストたちが自分たちの出自をうまくテクノに融合させていることがわかる。この異国情緒が電子音楽に新しい息吹を吹き込んでいる。結構元ネタが濃いというか、口で歌われる民謡にそのままビートをつけたような(もちろんそんなことはないのだが、うまく調整されて作曲されているはず)生々しさ、同じ日本だが別の系統を育んできた本土とは全く異なる、むせ返るような濃厚な熱気が冷徹なビートに乗っているのが面白い。土着的であり、もっというと魔術的でもある。
一体ビートミュージックとは何かというとどうも低音に特化した電子音楽で、元をたどるとヒップホップにその源流があるという。なるほどビートは強烈だが音数は決して多くない。一撃一撃が重たく、そしてただ重い音の垂れ流しではなく、”少ない音で作る”という制限(縛りが物事を面白くするというのは特に芸術、音楽ではとても有効だととみに思うのだが)がシンプルなビートをとても作り込んだものにしていると思う。キックに対するスネアだったり、ビートの隙間を埋めるような小さい音だったり、複数組み合わせて作っているような重厚なビートだったりと、技巧が見える。
重たいビートにもったり煙たいスローなダブがよく合う。エコーを響かせ、回転して行くような上物が被ってくるわけだけど、ここに土台を作るビートに加えて各人が自分の持ち味を活かしている。沖縄勢も強烈だが、もちろんそれ以外のアーティストも洗練されたモダンなそれではなく、やはり土着のものっぽい濃厚で荒々しい”原型”をうまくコントロールしてビートの作る土台に融合させている。
お経を繰り返し唱えることで法悦に浸るように、陶酔感にはミニマルの要素が重要なわけでそのためには曖昧模糊とした感じで全てを覆うのではなく、強固なビートで持ってそれに至る道を作って行くというのが面白い。

どれも低音がすごい出ているし、濃厚な土臭さみたいなのもあるからクラブで聴いたら楽しいんだろうけど、以外にも一人で大音量で聴いてもだいぶ楽しい。でかい音自慢みたいな感じでは全くない。気になった人は是非どうぞ。

Elliott/False Cathedrals

アメリカ合衆国ケンタッキー州はルイビルのポストハードコアバンドの2ndアルバム。
2000年にRevelation Recordsからリリースされた。
ElliottはハードコアバンドのFalling Forwardが解散し、そのメンバーとEmpathyというバンドから離脱したメンバーによって結成されたバンド。1995年から2005年まで活動し、既に解散している。
Revelation RecordsがBandcampを開設したのでなんか買おうと思ってジャケットが良いのでなんとなく買って見た。

ポストハードコアといってもメンバーがもともとハードコアをやっていた(視聴するとFalling Forwardも楽器隊はハードだがのちにElliottに通じる歌のセンスがあるようだ。)という経緯があるからそう呼ばれているだけなのでは、と思ってしまうくらい歌が溢れたロックを鳴らしている。実際wikiにはインディーロックと書かれている。もちろんヒットチャートに乗るような音楽性ではなかろう、つまり楽器の演奏がしっかりしていて、(適度に)うるさくなっている。といってもザクザク刻むメタリックなリフも、軽快にツビートで疾走するハードコア感も皆無。伸びやかな声を持つボーカルがメロディを歌い上げる。このメロディがバンドの肝になっていてなんともノスタルジックで良い。とにかく甘く、とにかくくどく、わかりやすいがすぐに印象が薄れていくような初速だけ意識したメロディアスさとは違う。もっと静かで抑制が効いており(ほぼ叫ぶようなこともしないので、さすがにスクリーモの文脈で語るのも無理なくらい)、一見地味のようだけど腰を据えて効いて見るとじわじわとあなたの心の隔壁を溶かして浸透してくる。陰鬱ではないし、むしろ曲によってはきらめいてさえいるんだけど、それが例えば昔の写真や楽しかった風景を今思い返しているような、ちょっと昔日の過去めいたノスタルジーさ、懐かしさ、今はもうないという切なさに満ちている。楽しかった夏休みの思い出のように、どこかくすんできらめいている、あの感じである。叙情的という言葉がバンドで再現するとやはりくどくなることがあるが、このバンドに関してはあくまでも過ぎ去る風のようにさわやか。
全体的にあえて抑えている美学があって、ポスト(ハードコア)といっても難解で美的センスの高い装飾性は皆無で、クリーンなアルペジオ、適度に歪ませたギターのコード感、手数の多くないが力強いドラムなど、全てがあえて自分を抑えることで曲を完成させているイメージだ。その曲というのは一見抑えてあるトーンの中に、それと同調することで拓けてくる感情を込めることに他ならない。ボーカルのあくまでも叫ばないという縛りの中で訴えかける歌い方が読み手の感情に呼びかける、特定の感情を惹起する。つまり演奏する側で完成していないような、ある種聞き手がいて初めて完成するようなそんな感じであり、なんとなく優しい感じがすると思ったら、多分この要素がその優しさの秘密であろうか。

もはや世に出てから17年という月日が流れた作品だが、おそらく普遍的な感情を歌っているのではなかろうか。全く古びることなく、それこそ昔取って今忘れられた写真のように屋根裏であなたを待っているような音楽ではなかろうか。ぜひどうぞ。