2017年9月24日日曜日

Coke Bust/Confined

アメリカの首都コロンビア特別区(District of ColumbiaでD.C.)ワシントンのハードコアバンドの2ndアルバム。2013年にGrave Mistake Recordsからリリースされた。その後スプリット2枚とライブアルバム1枚をくっつけた「Confined/Anthology」という同じジャケット(手に取ったわけではないのでひょっとして違うかも)の編集盤もリリースされているが、私はBandcampで購入した9曲入りの「Confined」。たしかユニオンの中古LPのところでよく見るな〜と思って買ってみた次第。とにかくジャケットがかっこいい。メンバーの一人はMagurudergrindのメンバーらしい。ストレートエッジのバンドである。どうもCoke Bustというのはちょっとふざけたバンド名らしい。(なんだろうコーラの胸???スラングでしょうね。)

全9曲を9分4秒でやってのけるわけだからフルアルバムったって、普通のアルバムを聞く間に4周くらいできるコスパの良いアルバム。(最近の人はとにかく損をしたくないらしくコスパの良さを重視するよな。)とにかく激烈な音を出しているので「ウヒョーこれはパワーバイオレンス…!」と思ってしまうのだが、じっくり聞いてみるとちょっと違うかもな、というのが私の印象。
ノイジーなフィードバックにまみれたハードコアで(このアルバムでは)1分20秒より長い曲は存在せず、露骨な速度のチェンジが短い曲中で何回もある。ここまではOK。このバンドあんまりスラッシーではない。ミュートを挟んだメタリックなリフは使わないという意味で。もちろん使わないわけではないのだが、疾走するパートでは特に伝統的なハードコアの流れをくむジャージャーと休止を利かせない弾きまくるリフを使ってくる。下手すれば単調に聞こえるわけだけど、単にアップダウンで弾くのではなく抑揚は聞いているし、コード進行がよく練られているからか非常にかっこよく、かつキャッチーである。
昨今のパワーバイオレンスというと速度のチェンジ、というか低速パートに落とし込むいわゆるブレイクダウンが大胆に取り入れられており、洗練されたそれより音も汚く、ラフなアトモスフィアを感じさせるそれは遅いハードコア、つまりスラッジコアからの影響を強く感じさせる事が多い。一方速いパートはとにかく速いので、同じ曲の中で両極端を行ったり来たりするという醍醐味があるわけなのだ。しかしこのCoke Bustはそのスラッジ的な成分はあまり感じられない。遅いパートはあるのだが地獄のように遅く、引きずるようなそれではない。むしろ中速くらいで一点突っ走ったリフがちょうどよくグルーヴィにうねりだすイメージ。速度を落としても結構音の数は多い。踊れる(つまり暴れる)ハードコアというハードコア的なノリの良さはありつつ、現行のパワーバイオレンスとは微妙に一線を画す攻め方、曲の作り方である。
そう考えると前述の速いパートのリフもそうだが、パワーバイオレンスというか往年のハードコアを激速で演奏しているのがこのCoke Bustなのでは、という感じがしてきた。たしかに高速に対応する低速パートがあるわけだけど、そこもうまく自分たちなりの色を出していてちょっと他のパワーバイオレンスとは結果違うなと。ファストコアのモダンなアップデートみたいな感じだろうか。

パワーバイオレンスじゃない!ってわけではなくてよく聞くと結構面白いことやっているなあという感じで、人々がパワーバイオレンスに求める爽快な暴力性はきちんと備わっている。速いパートでも遅いパートでもスラッシーではない、リフのかっこよさがあるので大変聞きやすい。気になってい人は是非どうぞ。

2017年9月23日土曜日

ジェフリー・フォード/ガラスのなかの少女

アメリカの作家の長編小説。
山尾悠子さんの本が読みたいけど高いな〜と思っていたところ、彼女が訳している本があるという。それがジェフリー・フォードの「白い果実」という本でこちらもやはりというか国書刊行会から出版されておるわけで、それならまず作者の違う本を読んでみるかと思って手に取ったのがこの本。絶版なので中古品を購入した。

1932年のアメリカは大恐慌真っ最中。市民は貧困に喘いでいるが、金はあるところにはあるものだ。17歳の少年ディエゴはメキシコからの不法移民で今はインド人になりすまし、インチキ霊媒師トマス・シェルを父親代わりに詐欺を働いて生計を立てている。ある日訪れた金持ちの屋敷でシェルが本物の幽霊の少女を目撃、彼女はその少し前に失踪していた。ディエゴたちは彼女たちの失踪事件を調べ始める。

どうもジェフリー・フォードというのは山尾悠子さんが翻訳するくらいなので、普段は幻想文学のジャンルで活躍している人のようだが、この小説は霊媒師という”不思議”を扱いつつも結構真面目なミステリーになっている。この小説でアメリカ探偵作家クラブ賞を受賞したというのだからなかなかどうして器用な人である。禁酒法が幅を利かせており、人種差別が色濃く残る過去のアメリカのミステリーというとまっさきにジョー・ランズデールの名作「ボトムズ」が頭に浮かぶし、実際その雰囲気もいくらか共通していると思うのだが、こちらの方は「ボトムズ」ほど暴力的ではないし、むせかえるような南部のねっとりとした闇は書かれていない。フォードの幻想文学という出自もあってかもっと上品に(しかし差別や歴史の暗部に鋭くメスを入れる批判精神は負けていない)書かれているのが本作だろうか。ロマンスあり、弱い立場にいるものたちが団結して巨悪に立ち向かうという構図の胸のすく冒険的な展開もあり、さらには主人公が大人になりきれない17歳というのもあってヤングアダルト小説と言ってもいいくらいの雰囲気がある。
主人公が過去を回顧するという形式もあってか昔のアメリカのセピア写真を見ているようなノスタルジーがあってそこが魅力。インチキ霊媒師やフリークスなど、現代ではおそらく善意によって生きられない存在がたくましく生きている姿が端正な文体で描写されている。ディエゴのターバンを巻いたオンドゥーの格好もそうだが、ややゴシックな香りがするのだが、もちろんそれも虚構であって中身はもっとしたたか。蝶を愛するシェルというキャラクターの性で腕っ節で生き抜くアンダーグラウンドというより、華麗に人を煙にまく幻想味といった空気感になっている。

がっちりした男たちによるミステリーと言うよりは、どこか奇妙の色合いのする謎めいたミステリーと言う感じなので、そんな感じの世界観が好きな人は是非どうぞ。
私も楽しく読めたのでいよいよフォードの書く幻想文学の本も読んでみたいと思っている。

2017年9月18日月曜日

Queens of the Stone Age/Villains

アメリカ合衆国カリフォルニア州パームデザートのロックバンドの7枚目のアルバム。
2017年にMatador Recordsからリリースされた。
元Kyussのなんていう言葉はもはや不要になっているJosh Homme率いるロックバンドの最新作。ビルボードで3位、英国では1位、iTunesでは日本含む各国で1位になっているらしい。要するにとても売れている。この夏にはFujiRockに出演して大いに聴衆を沸かせたそうだ。
元々私は学生時代に友達から教えてもらったのが知ったきっかけ。「Songs for the Deaf」の頃で「Go with the Flow」はいいけど、友達が押している「No One Knows」はそこまで…って感じだった。(当時はグラインドコアとかを好んで聞いていた。)それがなんのきっかけかは忘れたけど再発された1stを買ったらこれにハマって、結局アルバムを買い揃えることになった。なので新作出たら買うぜとなったわけ。

プロデューサーにMark Ronsonという人を迎えていてどうもそれが結構な驚きとともに迎えられたらしい。私は知らない人なのだが調べてみるとヒットチャートによく出るような音楽を主にプロデュースしている人らしい。QotSAはいってもその出自はアンダーグラウンドであるから、そうやって表舞台の仕事をこなしている人を起用するというのは結構意外な出来事だったのかと思う。
さて多分山崎さんのサイトで見たのだと思うけど、JoshはQotSAの音楽をストーナーと評されるのをたいへん嫌っており、ロボットロックだよ!と彼の作った言葉で読んでくれといっているらしい。このロボットロックというのは機械的にという意味で確かにリフをリフレインしていく様はロボットのようだ。QotSAは面白いバンドでどんどんメジャーになっていく(というか私が知った3rdの頃は(その時点でKyussは知らなかった)とっくにメジャーなバンドだったんだけど)けどどこかのアルバムの時点で強烈にその音楽性を変えたわけではないけど、自然に少しずつ洗練されていって表舞台に出てきた、というイメージが有る。私は1stでハマッているから懐古主義者というわけではないけど「Avon」や「The Bronze」(ギターソロがめちゃかっこいい)、それから一番が「In the Shade」(ちなみに歌詞もすごく良いのだ)ってな具合で昔の曲のほうが好きかも。そんなもんで長くなってしまったけどもうロボットロックではないかな〜なんて思っていたのだが、いざ買って聞いてみると「Feet Don't Fail Me」のイントロなんてまさにロボットロックじゃん!音こそ初期のそれとは違う軽くて乾いたものだけど、まるで戯画化された工場の流れ作業を視覚的に聞いているようだ。
Joshはもっと光の中に出ていきたかったのかもしれない。7枚というアルバムの中で初期のこもって埃っぽく重量感のある、いわばストーナーの幽霊というか呪いを引きずった音(私はこの音も超好きなのだが)が徐々にJoshとバンドから落ちていき、そして残ったのが、もっと普遍的に”楽しい”(このバンドは暗い曲はいっぱいあるけど陰鬱とまで突き抜けた、あるいは落ち込んだ曲はないし、アルバムで見ればどれもやはり楽しい。)ビートがそのままリフになり、それを繰り返していくような”ロック”が残ったのかもしれない。「悪者たち」というタイトルには「ロックって悪いものでしょ」というJoshの思いが込められているとのこと。このアルバムの音は枯れたように軽く、ゆったりとしており、そしてとにかくJoshの声は演奏に縛られないくらい(音を軽くして更に歌が自由になった印象)自由だ。楽しくて、しかしでもやっぱり鈍く光るロックのかっこよさがある。それは枠にとらわれない”悪さ”でもあるのだ。演奏はソリッドだが、歌う声の艶もあって出来上がった局は非常に幻想的で浮遊感すらある。ソリッドでかつ浮遊感があるのだ。この相反する2つの要素を徐々に完成させていったのがQotSAなのだ。バンドからしたらこれはまだ通過点だろうがそれでもやはり初期から聞いていると、その進化っぷりにすげーなと思わせる。革ジャンをきて荒野を歩く大きい背中のJoshのバンドの最新作である。かっこいいぜ。

ハーメルンの笛吹き男のように男の子(と女の子)を惹き寄せてやまないQueens of the Stone Ageの新作。ロックが好きな人は是非どうぞ。おすすめ。

2017年9月17日日曜日

GASP/Sore For Days Demo'96

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのパワーバイオレンスバンドのデモ音源。
1996年に自主リリースされていたものが2017年にDark Symphoniesから再発された。もとはカセットだったが、今回はCDのフォーマットで再発。
Gaspは1996年から1999年まで活動していたバンドでフルアルバムは1枚のみしかリリースしていない。ベーシストの女性はDespise Youでツインボーカルの片方をやっていた人のようだ。InstagramやFBでの動きがあるのでどうも再活動を始めているような感じがする。Full of Hellが影響を受けたアルバムとして彼らの唯一のフル「Drome Triler of Puzzle Zoo People」(これはかのSlap a Ham Recordsからリリースされた。)を挙げていたので気になっていたのだが廃盤だしな〜と思っていたところ図ったようなタイミングで再発されたので買ってみた次第。

なんとなくパワーバイオレンスにノイズを加えた激烈なショートカットチューンをやってそうな先入観があったのだが、果たして聞いてみると結構印象が違った。
このデモ音源には8つの曲が収録されていて、トータルタイムは約28分だから結構この手のジャンルにしては尺が長い。
不穏なニュースのSEから幕を開ける1曲め表題曲「Sore For Days」からして圧倒的に遅い。ヌケの良い乾いたドラムがパタパタ刻み、その上をジリジリノイズがかかったギターが叩きのめしたような牛歩リフを奏でていくさまはどう聞いてもスラッジコア。タフというより何かに追い詰められている、もしくはそのたぐいの妄想を抱いている偏執病患者のような病的な声でタフなハードコア、パワーバイレオンスのそれとは明らかに一線を画す。もったり陰鬱なスラッジから、不穏なアルペジオを挟み突如切れたかとのように疾走パート(曲によってはブラスビートを入れているのでグラインドコアといっても差し支えないはず。)に突入する。パワーバイオレンスといっても色んな形があるが、その一つに低速から高速を中間を挟まずに移動する、というのがある。今でこそ目新しくないが、Gaspはこれをもっと時間を贅沢に使って表現している。スラッジパートはスラッジバンドのそれと同じように楽しめるし、激走パートはファストコアさながらである。今はいいとこ取りがパワーバイオレンスの醍醐味見たくなっているが、Gaspの場合はこれを馬鹿正直に1つの曲に丁寧に両パートを演奏する。曲によってはそのつなぎに不穏なパートを入れて、唐突な激速チェンジに一旦かませることで違和感を減じようとしているのだ。これは今ある程度パワーバイオレンスの方が決まっているから、こういうことができるけど当時はこれが試行錯誤の果にあった最先端だったのだと思う。これを今再発するということがどういう意味を持っているかを考えると特に。
(今聞いても)たらたら長いパワーバイレオンスにならずに、私からすると奇形のスラッジコアと言う印象が強くてめちゃかっこいい。逆に型にはまっておらず非常に自由だ。ある程度長い時間を使って曲を演奏するからこそできる、パワーバイレオンスだと思う。「何日間ものひりつく痛み」というタイトル(医者が言うセリフのようだ)が不穏である、病的なジャケットもやはり一捻りした厭世的スラッジの成分を感じてしまう。

世界で1,000枚限定とのこと。現時点では普通に店頭に並んでいるので気になっている人は早めにどうぞ。パワーバイオレンスファンはもちろん、Griefなど往年のスラッジバンドのファンにはピッタリあってくる音楽だと思う。
このアルバムはノイジーであるもののハーシュノイズの要素はあまり感じられず、話を聞いているとどうもフルアルバムはまたこの音像とは全く異なるらしいので、再始動をしている今他の音源も再発されないかなと、密かに期待しているものである。

2017年9月16日土曜日

エドワード・バンカー/ストレートタイム

アメリカの作家による長編小説。
原題は「No Beast So Fierce」、どうやらシェイクスピアの文(創作物の一部なのか、格言なのかはわからないが)の一部からとっているらしい。
1973年に発表された小説。
さて世の中にはいろいろな作家がいるが、このエドワード・バンカーという人はプロの犯罪者だったという意味で非常に珍しい経歴を持っている。プロというのはつまり犯罪で飯を食っていたという意味だ。この長編は彼が獄中で書いた(おそらく)フィクションの第一冊めということで、もちろん創作だがその多くは本人が実際に体験した事柄で構成されているようだ。あとがきでも触れられているとおり、私の好きなジェイムズ・エルロイも怪しい経歴と収監歴があるが、バンカーのように完全に犯罪をなりわいにしていた人とは明確に異なる。日本でも元ヤクザの作家の方がいるが、どうもバンカーは特定の組織に属さずに一匹狼でやっていたようだ。ギャングに関しては組織だって金儲けに特化しているが臆病だとこの作品中でバッサリ切っているのは面白い。

マックス・デンボーは31歳で仮出獄を迎えた。物心ついた頃から犯罪を働き、幼くしては感化院、ある程度の年を食ってからは監獄とシャバを行ったり来たりの毎日で、この度は八年間のお勤めを食らっていた。八年間の間にマックスは改心することを決意。もう二度と(少なくとも)重犯罪には手を出さない。まっとうな職業を得てカタギとして生きていく。しかし獄中から送った履歴書はことごとく不採用の返信が。自分には犯罪者の知り合いしかいない。果たしてまっとうに生きていけるのか、マックスは自由になれる喜びと同じくらいの不安を抱えながら出所の日を迎える。

私は犯罪者でないからこの小説がリアルであるか?という判断はできない。しかしこの物語では他の犯罪小説が書いていない(知らないのでかけないということだろうと思うが)犯罪者の生活、彼らが犯す犯罪について事細かく書いている。麻薬の隠し場所、使い方、強盗に入るときの心得、盗品の捌き方、犯罪と犯罪の合間に彼らがすること、それから犯罪者の家族に生まれるということがその後の生活どういう影響を及ぼすかなどなど。マックスの目を通して平明な文体でサラリと書いてある。(もちろんフィクションだから誇張や省略大いにあるだろうが、決して大げさに書かないのがバンカーの流儀らしく、私はそんな文体がとても好きだ。)
マックスは犯罪者以外の生活しか知らないし、当然周りの人も(出所したとしても)犯罪者として扱うので、彼は自然に昔の生活に引き戻されていく。この生き方しか知らない、といえばかっこいいが、実際にはそんな格好いいものではない。当然周囲の圧力に負けずにカタギとして改心して生きている犯罪者もいるわけで(おそらく作者もこの本を書いたあとはまっとうに生きている)、そういった意味ではこの小説はマックスによる長い言い訳でもあるのだが、それでもなかなかどうして元犯罪者というのは辛い目に合うのである。面白いのはそれでももしあなたが隣人を選べるとして、犯罪履歴のある人とない人どちらをえらぶだろうか?私はきっと犯罪歴のない人を選ぶだろうと思う、臆病者だから。マックスが悪さを犯すことを言い訳するように、私も適当な言い訳で犯罪者を差別して圧力をかけていることになるわけで、なんとも素晴らしい世界が構築されていくさまが見えるようだ。私は犯罪をおかすことは悪いことだと思うし、やはり懲役を終えても周囲の人が同じように扱うのは難しいし仕方のないことだと思うが、元犯罪者だからといって不法に不当に扱えばそれは犯罪である。その場合は犯罪者を犯罪者と断罪せしめたまさにその法で裁かれるのは当然であると思う。
デニス・ルヘインの「夜に生きる」だったと思うが、やはり犯罪者の主人公が犯罪者というのは生き方で、とにかく他人のルールで生きるのはまっぴらゴメンである、というようなことを言っていてこの小説の主人公マックスもやはり同じように感じているのが面白い。彼は誰にも守られない立場で育ったので、根本的に豊かに育った人々(例えば私のような)とは根本的に考え方が異なる。彼らは怒りで生きているようだし、実際そのようだがマックスも言うとおり人間というのはどんなときでもいかっているのは非常に難しい。そしてどんな手段で手に入ったとしてもお金はお金で、犯罪者は稼いだ金を湯水のごとく使ってしまう。一回ミスをすれば下手するとしぬ世界で、宵越しの銭はルールの中で生きているものとは異なった価値を持つ。犯罪者はこの世のすべてが虚飾で、金で楽しむ世界がかつて彼の尻を手ひどく蹴飛ばしたこともわかっているが、それでもそこで酔いしれずにはいられない。一体ルールの外で生きるとは何なのか、ルールは誰が作っているのか、本当のルーラーはどこにいるのか、私たちは誰の手のひらの上で踊っているのか、そんなことを考えるのである。

というわけで非常に面白かった。この小説はもう40年も前にかかれているのだが、犯罪者のというの何時の時代もいるし、使っているデバイスは変わっても彼らの心持ちというのはきっと大差がない。この本にはそういった意味で犯罪(者)の本質がある程度書かれているだろうと思う。気になっている人は是非どうぞ。ちなみ過剰な暴力描写なんかはあまりないのが驚きでもある。すでに絶版なので(しかし作者の他の長編「ドッグ・イート・ドッグ」がニコラス・ケイジ主演で最近映画化されているというのにその原作本すら再販しないって一体どういうことなんだろうと思わざるをえないのだが)、古本でどうぞ。

DEATH SIDE/BET THE ON POSSIBILITY

日本のハードコアバンドの2ndアルバム。
元々は1991年にSelfish Recordsからリリースされた。私は1stアルバムとともにリマスターの上Break the Recordsから再発されたCDを購入。
DEATH SIDE前作から二年後にリリースした2nd。もちろん1stと同時に購入したわけです。「その可能性に掛けろ」という希望に満ちたタイトル。バンドはこのあとはフルアルバムはリリースせずに1995年には解散している。

レコード屋のdisk unionが配布しているfollow upという冊子に今回のリマスターにあたってDEATH SIDEのボーカリストであるIshiyaさんのアルバム解説が乗っている。それによるとこのアルバムというのは、当時プログレに凝りだしたギタリストのChelseaさんがああでもない、こうでもないと1年以上もレコーディングを続けていてさらに終わりのみえない感じになっていた(非常に凝り性な方だったのだろう)のをIshiyaさんがある程度ディレクションをして完成に導いたそうだ。
もともと1stもハードコアとして素晴らしい攻撃性を持ちながらも、非常に表情豊かな曲が魅力的なアルバムだったわけで、その背後にはこのハードコア以外のジャンルに対する音楽的なバックグラウンドがあったのだろうと思う。(大体バンドをやっている人はとにかく音楽好きなのだから幅広い知見を持っているのはどのバンドでもそうだろうとは思うけど。)この2ndではさらにその方向性が推し進められており、インタールード的な曲の導入や一貫した世界観(Chelseaさんにはコンセプトアルバムにしたい!という希望があったそうだ。)、チャンネルを多用した録音、ピアノの音(!)などが取り入れられている。15曲と1stから曲数は落としているが、トータルは42分半と収録時間は伸びている。
ただ1stであった爆発するかのような推進力を失っているかというとそうではない。最後の曲が7分あるので実は1曲あたりの曲の長さも1stからそんなに変わっていない。このバンドはとにかく表現力がすごいと個人的には思うわけなんだけど、この2ndでは1stをさらに推し進めて、短く、速く、攻撃的というハードコアの枠の中で一体どれくらいの表現ができるのか、というテーマにチャレンジしている。速くて短く恐ろしい曲がハードコアの最高峰なら、Naplam Deathの名曲「You Suffer」があればハードコアはもう充分なはずではないか?
低音部だけでなく、中音域から高音域までを自由に使ったリフはなんとなくオリエンタルな雰囲気がある(1曲めや8曲目など!)、吐き捨て型のボーカルを彩る熱いコーラスワーク(にも曲によって非常にバリエーションが有る)、あいかわらずメリハリの効いた曲展開(ギターのアルペジオパートを導入するなど1stに比べるとかなり鮮やかだ。遙か後ののポストロックや激情に影響を与えたというと言いすぎだろうか。)、そこに込められた渦巻く感情の豊かさ(このあたりはただ怒りを撒き散らすのではなく、ただクソだと言い捨てられない世界に対する様々な感情を、「どうしたら良いのだ?」という一種のやるせなさに彩られた歌詞にこめているように思えて、個人的にはとても好きだ。このアルバムから歌詞はIshiyaさんも書くようになったとのこと。それまではChelseaさんが書いていたようだ。)、それを表現する叙情的なメロディ、そしてなにより技術一辺倒にはなりようがないトータルできっちりまとめるハードコア。
やはり8曲目の「Life is Only Once」が個人的には好きだ。テーマとなるリフがかっこいいし、その背後で黙々とリフを綴るようなベースも良い。その上に乗るギターは中音域がよく伸びて感情の高まりとともに高音域に伸びてくる。コーラスに彩られたボーカルがメッセージを吐き出すが、曲全体を覆う雰囲気はもっと複雑だ。そしてテーマを速度を落としながらリフレインするクライマックス。1stの「Mirror」が突進型ハードコアの一つの精華だとすると、この曲にはグラデーションがあって、ハードコアでありながらもそこを飛び越えようとするこのバンドの良さがギュッと詰まっているような気がする。

ハードコアでありながらも豊かな表現力が魅力のバンドだと思うし、まさにその限界に挑んだという感じがするのがこの2ndアルバム。個人的には非常に甲乙つけがたいのだけど、通して聞くなら1st。じっくり曲単位で聴き込むならこちらの2ndかな〜〜。是非1stとセットでどうぞ!

DEATH SIDE/WASTED DREAM

日本のハードコアバンドの1stアルバム。
元々は1989年にSelfish Recordsから発売された。私が買ったのは2017年にBreak the Recordsから三度目に再発されたもので、紙ジャケ仕様でリマスターが施されている。
DEATH SIDEは1983年、もしくは1984年頃に結成されたハードコアパンクバンドで1995年には解散している。近年何回か再結成の上、ライブをやっているようだ。
私も最近知ったのだが日本のハードコアというのはかなり独特で非常に先鋭的。日本でなく海外のバンドに多大な影響を与えたそうだ。時にバーニング・スピリットというサブジャンルで語られることもあるその手の音だが、「Burning Spirit」というのはこのDEATH SIDEというバンドの曲名である(この曲はこのアルバムでなくこのあとの2ndアルバムに収録されている)。また再結成して海外に遠征すればアメリカのニューヨークのライブハウス(700人入るという規模)が2日間瞬く間に完売するという人気がある。そんなバンドなので三回も再発されているのもうなずけるが、私は聞いたことがなかったのでこれを気に購入した次第。ボーカルのIshiyaさんが今やっているForwardのライブを何回か見て感銘を受けたというのもある。

全18曲を39分で駆け抜ける、1曲大体2分のハードコア。一般のポップスからしたら短いが、最先端のハードコアからすると馬鹿みたいに短くはないことがわかってもらえるだろう。ただその中には爆発するかのような突進力があり、それを120秒維持できる(ただ突っ走って120秒は長い)曲の構成力がある。
リマスターのせいもあるだろうが、楽器の音はどれもクリアでクラストのそれのように意図的に(あるいは環境的に)わざとたわませたような劣悪な音質で録音されていない。ベースとギターはどれもメタリックな硬質なカバーでその音を武装している。いわゆるメタリックなハードコアを演奏している。ギターは特に重量感のある太い音で曲に迫力を持たせている。基本的にミュートを多用せず(効果的に用いている場面は多々ある)、常に突っ走るように弾き、初期衝動に満ちたハードコアを自由奔放に描き出していく。だがそれならもっと曲が短くてよいはず。このギターと曲には実は結構秘密があると思う。
一つはリフが魅力てかつ多彩。ただただジャージャー、ジャージャー、ジャージャーとただ同じようなストロークでコードだけ変えて引くのではなく、きちんと抑揚がついたリフをかなりの速さで弾いている。(例えば「Laugh Til You DIe」なんかは速くて短い拍の中に乙一の多いリフがギュッとコンパクトに入って繰り返されているのがよくわかる。)速い、ミュートを使わないという厳しいルールの中で多彩なハードコアリフが詰め込まれている。後ろの演奏がこっているから基本吐き捨て型のボーカルだけど曲が非常に豊か。
もう一つ、曲がよく練られていてわかりやすい展開があること。それはリフの種類もそうだし、イントロ、Aメロ、サビのように明確に展開がわかれている日本の歌謡の影響もあるのかもしれない。(別にわかりやすいサビがあるわけではないが。)それからちゃんと聞くとハードコアのかっこよさのキモである速度(テンポ)のチェンジをうまく取り入れている。遅めのイントロから加速するのはわかりやすいし、ある程度の速度を維持しながらこっそり(ってわけでもないと思うけど)変えたりよくよく曲が練られているな〜と思うのはここらへんが由縁である。
短いけどたまに入るギターソロは昨今のハードコアのそれとは趣が異なり、かなり感情に満ちて叙情的である。コードの妙なのかわからないが曲もほどよくメロディアスである。ボーカルは叫びっぱなしなので、やはり曲が感情的なのだ。歌詞を見るとやはり怒りに満ちているのだが、その怒りを表現するにしてもいろいろな手法、アプローチでただ聞き手に叩きつける以上の成果物を提供していると思う。
とにかくアイディアと気配りがこれだけ込められているのに、結果曲からハードコアの初期衝動に満ちた攻撃性が全く削がれていないのが、この音源の一番すごいところ。凝ったリフ、メロディアスな叙情性すべて入っているが、完成したのは全くタフなハードコアだ。つまり技術的な説明をしてもこの音源に関してはその魅力を半分も伝えられないかもしれない。怒りに満ちて叫ぶのがハードコアならこのアルバムは最高のハードコアアルバムである。

前述の通り曲の良さに加えて、リマスターの質が非常に良いせいもあるのだろう、とにかく全く古びて聞こえないのでハードコア興味があるという人は(好きな人はもうすでに聞いているような気がするので)この機会に是非どうぞ。ハードコアってこんなに表現力豊かなのか!とびっくりすると思う。おすすめ。