2018年4月23日月曜日

FIVE NO RISK/ART IMITATION

日本は大阪府のハードコアバンドの3rdアルバム。
2014年にLove Over Voltage Recordsからリリースされた。
2004年に結成されたバンドでメンバーチェンジがありつつ今は5人編成。
先日新宿Duesでのネムレス、Super Structureとのライブで初めて見、初めて聞き、物販で買ったのがこちらのCD。このアルバムに収録されている「Crossword Drunker」という曲がとてもかっこよかった。

ライブの感想でも書いたのだが、基本はハードコア(・パンク)ながらも様々な音楽性を取り込みつつ、体内で醸造して独自の音楽として吐き出している。概ねハードコアが考え出すとろくな事にならず、特に日本ではエモバイオレンスとはやはり少し違う激情ハードコアというジャンルに落ち込んでいく事が多いのだが(念の為にいっておきますが私その手のジャンル好きです。)、このバンドはまたぜんぜん全く異なる方向に舵を取っている。メタルはもちろん、スカ、レゲエなどの他ジャンルの音を派手派手に取り込み、明るい投光器のように喜怒哀楽をぶちまけて全方向にギラギラ輝く音楽を放射している。一言で表現するならなるほど明るいと言ってもいいだろうが、何も考えずにすべてを肯定しているわけではない。内省や懊悩がむしろあるということは歌詞を読めばわかるだろう。FIVE NO RISKは辛いこと嫌なこと悲しいこと腹の立つこと、すべてを巻き込んだ上でポジティブなメッセージ(歌詞的にも音的にも)として発信しているのだ。「辛い」「死にたい」という方が楽ちんな現代でなかなか難しいことではある。なぜなら簡単にいってのければ軽薄で安っぽい「応援ソング」になってしまうからだ。
音楽的なバックグランドの豊かさ、そしてクロスオーバーな音楽を一本ハードコアという軸でまとめ上げているのがこのバンドで、ライブの感想でも書いたがその根底にはやはり人を喜ばせたい、という優しさがあるのではないか。なにがあるかわからない明日が、それでも良い日になるさ、というのはともすれば無責任なごまかしになりがちだが、お祭り騒ぎの狂騒の果にある、妙に哀愁漂うメロディに乗って歌われると胸にすっと入って来てしまうのである。日常に潜む悲喜こもごも(それこそが日常である)をあえてわかりやすいメロディとそして体が動く(先日の東京というアウェイの土地でのライブは非常に盛り上がっていた)やかましいグルーヴという卑俗なものに落とし込んだ、それが「ART IMITATION」こと「偽物の芸術」なのではと思うのだ。

特に何もしていないのに妙に疲れている私は9曲目「SPRINGSTEEN」をリピートしまくっている。日常に疲れているけど、ちょっとやそっとじゃ癒やされねえぜというひねくれたあなたは是非どうぞ。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス アドルフォ・ビオイ=カサーレス/ボルヘス怪奇譚集

アルゼンチンの作家、20世紀を代表すると称されるボルヘスと彼の盟友(wikiによると年下だがボルヘスの師匠であったとか)アドルフォ・ビオイ=カサーレスによる短編集。元々晶文社という版元から出ていたものだが、河出書房新社から文庫化されたので買ってみた。

ボルヘスは書痴として有名だが、この本も本好きの彼が全世界の様々な文献から怪奇譚を収集して一つの本にまとめたもの。(すべての短編の出典・出処が明記されている。)もちろんいくらかは読みやすいように編集や加工をしているのかもしれない。ただしあとがきによるとこのなかの幾つかの物語は後から原典を求めることができず、ボルヘスとカサーレスが創作したのではなかろうか、ということらしい。いわば世界の名作の中にこっそりと自作の物語を混ぜているということで、なんだかちょっとおちゃめである。どんな古典から狩猟して生きているかというとそれは本当もう様々で西暦2世紀ごろのタントラ(ヒンドゥー教の経典)や、1837年アメリカのエドガー・アラン・ポーの小説、1700年頃の千夜一夜物語などなど。時と場所に頓着せずに選者の二人が奇妙な物語だとしてその中に何かしらの含蓄(の有無はわからんが)を見出したものが並べられている。概ね短く、一番短いのは本当数行。長くても5ページ程度だろうか。どうやらボルヘスは物語の本質を短編に求めていたらしい。そういえばボルヘス自身長編は書いていなかったのではなかろうか。
起承転結がはっきりしているものもあれば、なにかしらの教訓めいたものを導き出すことができるものもある。そしてそれらの逆もある。つまりあまりに唐突に終わるもの、作者と選者の意図が(正直私の頭では)判断できないものもある。露骨にこの世ならざるものが出てくる話があれば、日常で起こり得るまれな出来事を書いているものもある。しかしどれも不思議に印象的でなるほどこれを選んだという気持ちはわかる気がするぞ、というのはある。
事実は小説より奇なり、というのはつまり奇なることは存在しないということになる。だから怪奇譚を書くことは想像力を活かした挑戦であり、そして世界を疑うことである。鬼や幽霊が本当に存在するのか否か、ということではなく世界をいつもとは異なる角度で眺めてみるということなのかもしれない。見知った世界の異なる一面をうかがい知ることができるかもしれない。(やはり鬼や幽霊そのものの面白さも個人的には切り捨ていることはできないのだが。)

怖い話好きの人というよりは物語好きの人は是非どうぞ。

Sentence/domination on evil

イタリアのハードコア/メタルコアバンドの1stアルバム。
2000年にDark Sun Recordsからリリースされた。私が買ったのはその後2003年に日本のAlliance Traxから再発されたもので、ジャケットが一新されてボーナストラックが2曲追加されている。5人組のバンドで1997年に結成、2007年には解散している。
Arkangelに触発されて前回紹介したReprisalと一緒に買ったもの。いわゆるフュリー・エッジというジャンルでは有名なバンドのようだ。ReprisalもこのSentenceもイタリアのバンド。あとFrom the Dying Skyというバンドがいて、こちらの音源を手に入れるのはちょっとむずかしいかもしれない。(ReprisalとSentenceはまだ新品で買える。)

ミリタントといわれるハードコアのくくり(フュリー・エッジは音を指す、音のカテゴリと言えるがミリタントはもう少し大きいカテゴリのようだ。)に入れられる。Millitantというくらいだから音は攻撃的で、とくにSlayer直系といわれるくらいにリフを単音で組み立てるのがフューリー・エッジ。同郷ということでReprisalに似ているが、こちらのほうが体感速度は速めに感じられる。こちらはボーカルは1人でかすれた声のボーカルは声は高めだが中音も抑えていてかなりドスが効いている。
やはりアコギをフィーチャーした楽曲を混ぜてきたりで単にブルータリティを追求しているバンドではない。というか叙情派ニュースクールを筆頭に引き合いに出すまでもなく、メタルなどの他ジャンルから要素を引っ張ってきて何かしらの”追加の表現”を試みるのが、ニュースクールなのかもしれない。頻度は多くないがつぶやくようなクリーンボーカルも導入し、そしてなにより単音リフのストレートというよりはフックのような速度を落とした豊かな表現力が、速度を至上とした初期のハードコアにはない魅力を生み出している。いわゆるイカツさだったりするのだが、単に「ゴリゴリ」のような単純な説明では圧倒的に不十分だ。そんな単純なものではない。このジャンルの中にはたとえ最終的に追求しているのがイカツさだっととしてもそれをなんとか音で表現しようとする切磋琢磨が垣間見える。フューリー・エッジの場合は低音に頓着しない単音リフがある意味では耳で判別しやすいので、実は結構前述の表現力が判断しやすいのでは…と思った。
速度を落とした低音でミュートを使ってすりつぶすように演奏する、いわゆるビートダウンのパートも、高音の単音リフからよどみなくつなげるのでそういった意味でも節ごとにメリハリがある。とにかくきっちりとしていたReprisalより、(もちろん演奏がラフ、というのではなく)もっと自由にやっているのがこちらのSentence、という感じ。

筋肉は鍛錬によってのみ発達するのであって見た目がゴリラのごときでも脳まで筋肉ということはない。このメタルコアのジャンルでもイカツさを表現するために表現力を研ぎ澄ましていてそこがやはり面白く、そして格好いいなと思う次第。ReprisalとSentenceは音源をもう一枚ずつ買っているのでそちらも楽しみ。

2018年4月21日土曜日

PUTV Tour2018 SEX PRISONER Japan Tour@小岩Bushbash

幸いなことに私の上長は自身が音楽をやっていることもあって、ジャンルは違えど私の音楽趣味に理解を持っていてくれる。
私「今日ライブ見に行きます。(ので早く帰りたい…)」
上長「なんてバンド?」
私「セックスプリズナーです。」
上長「え?」
私「セックスプリズナーです。」
上長「それはいかがわしいな」
私「真面目なやつです」
みたいなやり取りがあって会社を出た。
そう、アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソンのパワーバイオレンスバンドSEX PRISONERが来日しているのだ。私は来日ツアー二日目の公演を見るべく小岩にむかった。
私には珍しくオンタイムで小岩に到着。5つの日本のバンドがSEX PRISONERを迎え撃つ。

leech
一番手は千葉県船橋シティのパワーバイオレンスバンド、leech。5人組で専任ボーカルにギターが2本。ボーカルの人がガッツリハードなスタイルで異彩を放っている。
甲高いボーカルが終始シャウトをかまし、高速と低速を痙攣的に往復するさまは正しくパワーバイオレンスだ。このバンドは低速に特徴があって、スラッジ的というかそれを一歩通り越してスワンプ的だ。アメリカ南部の泥濘というか、ねっとりした腐敗したブルーズ臭が漂う。ハードコアのリフをただ低速に引き伸ばしたというよりは、妙に停滞したグルーブを打ち出していくる。このモッタリ感が非常にかっこいい。うわ〜ダメになる〜という感じ。もちろんフィードバックノイズも多めで不穏な感じ。低速が印象的なのでそこからの高速もよくよく映えてくる。

Thirty Joy
続いては東京のパワーバイオレンス/ファストコアバンド。ELMOとのスプリット音源を持っている。こちらはギターが1人に専任ボーカルの4人組。
めちゃくちゃ早いので「なんてバイオレンス…」と圧倒されるのだが、よくよく聞いてみると(今あらためて音源を聞いても思うんだけど)、楽器の音はモダンなハードコアとはちょっと違ってまだ生の音がいくらか残されているガシャガシャしたもの。リフもミュート用いて溜めを作っていくタフなものではなく、音の雰囲気もあってか80年代風のハードコアを高速でプレイしているような趣。ボーカルは高音だがやや喉にちょっと引っ掛けて叫び出すようにちょっとしゃがれている。なるほどたしかにファストコアだ。音はでかいし、攻撃性に満ち満ちているがどこかカラッとした感じがある。持っている人にしかわからなくて恐縮なのだがELMOとのスプリット3曲め(曲名がわからない音源なのだ)の曲に象徴されるようにリフがパンキッシュ(オールドスクール感)でキャッチーだ。

Fight it Out
ぼんやりしていたらいかつい見た目の人がセッティングしている。あれ?Fight It Outだ。ツアーに帯同しているからてっきりトリ前かと思っていた。そんな寝ぼけた頭をふっ飛ばしに来たのが横浜のパワーバイオレンスバンド。ギターが2人、ボーカルは専任。
Fight It Outはとにかく怖い。ピットができるのだが客の暴れ方が半端なくそれに合わせてピットも広がる。非常に暴力的だ。すでに何か会場にぴりっとした雰囲気が漂う。私はいつも後ろに下がろうかな…と思ってしまう。(この日はときすでに遅しだった。)
隠しようもなくモダンにアップデートされたパワーバイオレンスを演奏するバンドだが、この日思ったのはドラムがすごい。パワーバイオレンスは短い曲の中で速度がコロコロ変わる音楽だ。ドラムも速度だけでなくフレーズ(ドラムの場合はリフというのだろうか?)も目まぐるしく変わっていく。私は楽器の上手下手はからきしわからないのだが、FIOの場合はこのドラムが圧倒的に空間を支配している。ガッチリとしたリズムがフロアに残酷に今のリズムを叩きつけていく。この明快さ!(明快と言っても実際にやるのはすごく難しい。)
それから暴れるなら、盛り上げるならまず自分からを地で行くのがこのバンド。いかついボーカリストがフロアに降りて縱橫に暴れて、観客もそれに触発されて盛り上がる。怖くて、そして格好いい。

ELMO
続いては東京のパワーバイオレンスバンド。昨年末にリリースしたEP「Draw Morbid Brutality」は自分の中では空前のヘヴィローテンションで2曲め「Depth of Despair」はリリースから今まで際限なく聞きまくっているため、この日どうしても見たかった。ギター1人に専任ボーカルの4人組。
極端にノイズを強調したギターとベースが流行とは一線を画す凶暴なハードコアを鳴らしていく。高速パートは疾走感もあって気持ちが良いのだが、ノイズまみれの低速パートが長すぎる。高速パートの勢いを一時停止するどころか完全に息の根を止めるような執拗さでフロアを地獄に叩き込んでくる。前回、前々回見たときもそうだったがとにかくボーカルの剣呑さが常軌を逸していて、この人はラップもやっているそうなのだが、ライブが進行していくとどんどんボルテージが上がっていてこの日も相当恐ろしかった。目が据わっていて観客に怒鳴りまくっている。FIOは健全に暴れるという感じだが、(ちょっと語弊があるかもだが)ELMOの場合は絶対的にバンドと観客の間に溝があってその孤独に病んでいる感じが恐ろしくかっこいい。ノイズが全身を這っていくのに合わせて鳥肌立った。すごかった。

FIXED
続いてはFIXED。最近結成されたバンドでOSRUM、endzeweck、FRIENDSHIPのメンバーらからなるバンド。専任ボーカルいれて4人!アンプもドラムセットも(おそらく)完全に持ち込み。アンプは山積みだし、ドラムセットもなんだが一個一個がでかい。(裏にライブハウスのドラムセットがあることもあって)全体的に前に張り出して迫力がある。ちなみに出している音も超デカイ。
パワーバイオレンスではもちろんなくてどっしりとしつつも非常に柔軟なハードコアだった。ボーカルは終始シャウトしていて、ギタリストもシンガロングというかもう一人のボーカルのようにかなりの頻度で叫んでくる。速度はたしかに速いのだが、とにかく曲がとても豊かでギターはとくにただただ速度を追求して刻んでいくような弾き方ではなく低音から高温まで満遍なく使っていく。ベースも運指があってスライドも多用したりで速度を落として獲得したふくよかさがヘヴィで格好良かった。個人的には休符をすごくうまく使っていて、曲間でもまた一から合わせていくような出足の気持ちよさというのがなんかも体感できてよかったな〜。止める、というのは止めること自体の楽しさとそこから、ガッチリアンサンブルで合わせて始める、という楽しさがあるなと。
曲の複雑さとかっちりさ、再度ボーカルの使い方というところで、出ている音はぜんぜん違うがなんとなく柏シティのkamomekamomeを思い出してしまった。
物販を見ると音源はまだみたい?

SEX PRISONER
いよいよトリ!アリゾナ州ツーソンからのパワーバイオレンスバンド。専任ボーカルいれて4人組。メンバーが非常にリラックスしたムードで淡々とセッティングしていく。ささっとライブがスタート!これが非常に楽しかった!格好良かった!!のだけど思っていたのと違ってかなり驚いた。
まずパワーバイオレンスって非常にいかつい音楽である。前述のFight It Out、ELMOは出している音は似ていないがそんなジャンルを印象的に象徴していた。つまりヒリヒリしていておっかない。内面に湛えられた目に見えない怒りがもはや現実になって観客に獰猛に襲いかかるような、そんな雰囲気がある。そしてそれこそがパワーバイオレンスという恐ろしげな単語で表現される音楽だろう!と個人的には思っていた。SEX PRISONERに関しても音源を聞いてもやはりそうだな…こええな…と思っていた。ところがライブを見るとちょっと違う。確かに曲はばかみたいに速い、音は分厚い、おっかない、しかしなんというかもっと非常にカラッとしている。雰囲気で言えばそれこそThirty Joyの表現する80年台からのハードコアを正当に継承している感じだ。重たく速いが、あくまでも透明に澄んでいるような。爽快感と言っても良いかもしれない。ゆるいわけではもちろんなくて多分この日一番かっちりしていた。(すごい練習いているか、もしくはライブをやりまくっているか、どちらかだろうと思う。)ハードコアはラフが信条なんて戯言吹き飛ばす勢いでアンサンブルが噛み合い、それでいて荒々しさが露も失われず、そして音もでかすぎるというのではなく非常に良い塩梅に調整されていた。
曲がわかりやすい、乗りやすいというこもない。たしかにキャッチーではあった。というのもこのバンド高速低速の両極端も強いが、実は最大の持ち味は中速ではなかろうか?というのは中速と高速の合間にとどまることが多く(比較的、時間的にはやはり短いのだが)、その中速リフこそがハードコアらしい溜めのあるリフが縦ノリ横ノリのグルーヴを産んでいく。これが気持ち良い。ただ低速と高速が目まぐるしすぎるほどに矢継ぎ早だ。FIOは高速と低速にそれなりに時間を割くことで観客に現状を理解する時間を与えるが、SEX PRISONERの場合はそれすらきっぱり削ぎ落としている。曲も圧倒的に短い。極限までにハードコアを削ぎ落とし、それでも明確なハードコアとして存在しているのだから尋常ではない。いわばハードコアの核や真髄を彼らは鍛錬の果についに見出してそれを提示しているのかもしれない。そんな戯言も現実味をちらりと帯びてしまうほどに堂々としたハードコアだった。
そしてやはりカラッとしている。怒りはもちろんあるだろうが、それは完全にもう飲み込んで別の何かになっている。繰り返して言うが腑抜けた音楽では全然ない。おっかないのである。でも同時に非常に楽しい。本当もう私ずっと笑っていたと思う。本当に。
いかつい見た目のボーカリストの方は獰猛でしかし非常にしなやかであった。走るような格好で飛び上がるジャンプは格好良かったし。楽しそうにフロアでステップを踏むこともしばしば。(twitterでハードコアのライブでステップに対して疑問を呈する発言を見たが、そんなのどこ吹く風でかっこよかった。本当自由だった。)
ショートチューンを幾つも披露し、そしてあっという間にライブが終わってしまった。私はもう事前に考えていたことがことごとく違って本当痛快だった。「あっはっはっっは」って笑ってしまいたいくらいであった。すごかったな〜〜〜〜〜〜。

もう完全にいい気持ちで(私はこの日お酒は一滴も飲んでいない)、物販でSEX PRISONERの長袖T-シャツを買う。ボーカリストの方と握手して(日本にきてくれてありがとう!と言えました。)帰宅。楽しかった!自分の狭量な偏見がふっとばされたのがとにかく気持ちよかった。
(あと小岩はやはり遠くていつまでたっても家にたどり着かず絶望した。)

2018年4月15日日曜日

レイフ・GW・ペーション/許されざる者

スウェーデンの作家による長編小説。
この物語の主人公ヨハンソンの設定は面白い。あまり他に類を見ない。まずすでに定年を迎えた老人であること。それから現役時代は制服警察官から始まり国家犯罪捜査局の長官にまで上り詰めた有能な男であること。警察小説では概ね出世すればするほど嫌われるものだけど、引退した今でも現場からは厚い信頼と好意をむけられていること。自信家で頭の回転が早く、口が悪いが友人には恵まれていること。妻は20歳年下の銀行の頭取であること。家族は裕福で自分も警察意外の会社の役員であること。普通警察小説の主人公たち、あるいは彼もしくは彼女と組むことになるパートナーというのは敏腕であるがどこかしら社会性を欠如している人物であることが多い。同じく北欧のヘニング・マンケル(RIP)による刑事ヴァランダー・シリーズや、ユッシ・エーズラ・オールスンの特捜部Qシリーズなどなど。これは犯罪事件の解決に、1人の人間である刑事が抱える個人的な問題の解決(あるいは未解決)をダブらせることで物語に深みを与える手段でもある。だからこうやってともすると読み手に嫌な気持ちを持たれてしまうような、完璧な人物を配置することは普通やらない。ペーションは持てるものである主人公を老人にすることで、さらにそれゆえ(老衰ではなくて体にガタが来ているという意味で)死にかけている(主人公ヨハンソンは脳梗塞で倒れて右半身が麻痺している。)という属性を付与することでそんな批判的な感情をうまく回避している。さらに主人公が老齢ゆえの物語の機能的な「苦味」がうまく走るように巧みに物語を設定している。

警察組織に属さない、体もうまく動かないので安楽椅子探偵のような趣で、警察組織の面倒なしきたり(縄張り争い、無能な上層部の入れるチャチャなど)から開放されていて、好きに動ける。それに尊敬を集めているがゆえに警察の機能は無限に使える。金持ちの兄、トラウマを抱える腕っ節の強いロシア移民の若者をチームに入れて、いわばチート状態で事件捜査に乗り出すわけで、そういった意味では警察小説というよりは探偵小説のか形式なのかもしれない。兎にも角にもそうすることで色々なしがらみから解脱した結果捜査のテンポがあがり、ただただ目の前の時効を迎えた殺人事件にフォーカスされている。
犯人はわかっても法的な精査を課すことができないので、当然主人公は彼/彼女の殊遇について一体どのような判断を下すのか、というところが犯人は誰か?という根本的な問題に加えて読者の楽しみになる。これは大きい。章ごとの冒頭には「目には目を」というあの有名な警句を配置し、またトラウマを抱えたロシア人を主人公のそばに配することで暴力的な解決方法(それが読者の望みの一つでもある。)を目の前にチラチラさせる、というこなれた書き方である。(ペーションの小説が日本で発売されるのはこの本が初めてだが、本国では国を代表する作家だそうだ。自身警察官ではないが警察で働いたこともあり、犯罪学の教授でもあるそうだ。)

強気に振る舞う主人公にとってこの事件の操作が大きな楽しみであると同時に、大きな負担になっていることは作者は直接的に書かない。(ロシア人の若者がちらほら心配する様子を書く程度。)ここのバランス感覚が個人的には好きだ。つまりただ文字を追うのではなく、その情報を組立てて頭のなかで完成する物語が。忠臣蔵を紐解くまでもなく、古今東西西洋登用問わず、人間というのは復讐譚が好きなものだが、そのきれいな物語は実際どのような味がするのだろう、というテーマを非常に真摯に(そのテーマについて作者が直接的に登場人物の口から語らせている描写は皆無である)描いている、と思った。面白かった。

Reprisal/Boundless Human Stupidity

イタリアのメタルコアバンドの2ndアルバム。
2000年にGood Life Recordingsからリリースされた。
同名のイギリスのメタルバンドとは違ってイタリアのヴィーガン・ストレートエッジ・ハードコアバンド。1996年に結成し、2003年に解散済み。サブジャンルで言うところのフュリー・エッジに属するバンドで、先日感想を書いたベルギーのArkangelがかっこよかったので同じジャンルに属するバンド、ということでReprisalにたどり着いた。
余談なのだが、ここらへんのバンドの多くが音源をデジタルで販売していないような気がする。これは新品CDで購入できた。私が持っているのはボーナストラックが2曲入っている特殊ジャケットのもの。

スラッシュ・メタルバンドSlayerに影響された単音リフに、やはりメタルの影響色濃いイーヴィルなボーカルを載せた攻撃的なハードコア、言うまでもなくメタルとハードコアの融合という意味でメタルコアのことをフューリー・エッジ、エッジ・メタルというらしい。アルバムのタイトルは「果てしない人間の愚かさ」であるからやはり自己反省的で厳格なミリタントなバンドなのだろう。菜食主義で酒もタバコもドラッグも快楽目的のセックスもなし。現代社会の良さと言われるすべてに中指を立てるスタイル。
経験がある人ならわかってもらえるだろうが普通の人はあまり激しい音楽を聞かない。だから私も会社の人とかには面倒くさいので「デスメタル好き」とか言われてそれを甘んじて受けている。普通の人からすると激しい音楽というととりあえずデスメタルで、別にそれ以上の興味は持っていないから仕方がない。私も今はフュリー・エッジにハマっているんです、なんていわないし。なんでこんなことを書くのかというと、この手のジャンルを聞くとハードコアをハードコアたらしめるのは何なのか?と思うからだ。前述の通りリフもボーカルもメタルからの影響がでかいとしたらそれはメタルではないの?となる。前情報でメタルコアだと知っているからということもあるだろうが、ArkangelもReprisalもメタルっぽくはあれどやはりハードコアに聞こえる。

ドラムはよく叩くが曲の速度は中速くらい。それから単音リフも間にブリッヂミュートを挟んでいる。速さを追求してよどみなく突っ走る、もしくはザクザク刻んでいくというメタルの王道からは逸脱している。タイムラインにリフをわかりやすく分解したような変則的なメタルノームを聴いているような感覚で、やはり強烈にビート感(モッシュ感)を意識している。つまりあえて遅くしている。高速をスローモーションのように引き伸ばしていくドゥーミィなそれとは明らかに異なる。首を振る縦の動きではなく、合わせて体が揺れる横の動きだ。
Arkangelと比べると単音リフ意外の低音リフの頻度がかなり高く、鎧を着ているように堅固。吐き捨てるイーヴィルボーカルに低音咆哮も乗るので、より遅くより暴力的になっている。演奏はかっちりしていて、ミニマルなリフを振り回し一転してやや速度の乗る単音トレモロリフに突入、溜めのあるミュートを挟んだ単音リフに回帰、という流れ。
7曲目はツーバスにストレートなミュートリフを主体としたほぼメタルな曲なのでこの曲を聞くとフュリー・エッジらしさが明確に浮き彫りにされていて面白い。

ニュースクール・ハードコアというとなんとなく叙情派のイメージがあったけど、こういうクリーンボーカルやメロディを一切顧みない激しい音楽があるのかと思うと面白い。

ドン・ウィンズロウ/ダ・フォース

アメリカの作家の長編小説。
私立探偵、麻薬取締官ときていよいよ本丸の警察官を書いたのがこの作品。(サーファー探偵で元警察官という主人公はいたけど。)警察の戦いを書いているのだが、そこはウィンズロウなので一筋縄ではいかない。主人公たちは汚れきった警察官であり、立場を利用してギャングやマフィアと結託している。賄賂を受け取る。麻薬を嗜む。(正当防衛でない)殺人をする。
個人的には警察小説の醍醐味の一つに実在しない”正義”という概念を無理やり現実に当てはめようとして、当然生じる両者の不整合がもたらす葛藤があると思っている。ところがこの小説の主人公マローンはこの葛藤がない。もはや迷う境地には居ない。なぜなら最前線(=街/ストリート)で戦う警察官として嫌なものを多く目にしてきた結果、現場に合わせて自分の正義の形を器用に変えてきたから。これこそが彼と仲間たちが落ちていく過程だった。つまり柔軟になるということが。ヤクザものたちに幅を利かせ、N.W.A.の「Fuck the Police」を鳴らしながら愛車のカマロを駆り街の王を自称するマローンは一見タフだし、自分でもそう思っている。ところがマローンは前述の通り自分の持つ正義に拘りがなく、場面場面で都合よくその正義のかたちを変えてきた男だ。正義を捨てる潔さはなく、ギャングを非合法に葬り、その麻薬を強奪しても自分は正義だと思っている。マローンは愚かな男だがそれは汚職警官だからではない。端的に言ってダサいのだ。言っていることとやっていることが全く一致していない。タフぶっている割にすぐに楽な方に流れる。その証拠に忌み嫌っているネズミにいざ自分がなる段には全く逡巡すらしないではないか。仲間を家族以上の魂のつながった存在だと賛美する割にあっさり彼らを裏切り、そして「妻と子供のためだから」というのである。ダサい。ダサすぎる。この男の弱さはもはや醜い。(私は自分がマローンよりタフだと言っているわけではない。彼ほど虚栄心が強くないだけだ。)
この物語は二段階の堕落を描いている。正義に燃える警察官であったマローンが悪党に落ちる様、そして汚職警官から裏切り者に落ちる様。いずれも心の弱さ故の自業自得(私はこの言葉あまり好きじゃないんだけど)なわけで、ほとんどの警察官は作中ですら真面目に働いているのである。たしかに腐敗が横行している、上に行けば行くほど低リスクで私腹を肥やしている、司法制度が機能していない、全て然りだろう。下のものが割りを食うのはいつの時代、どの業界でもそうである。しかしそれを糾弾するマローンの姿はやはり格好悪かったのである。

この小説を読んで面白かったのはキャラクターが立っているが決して内面に深く切り込んでいるわけではない。つまり人物像系としては(巧みにそうしないようにしているのだろうが)やや形式的だと思う。民族的なあるある感が詰め込まれておりわかりやすい。(私は日本育ち日本在住なのでこの判断はフェアではない可能性が大いにあるが。)だから汚れた警察官を主役に据えても、アメリカ文学海の狂犬ジェイムズ・エルロイの書く警察小説とは明確に雰囲気が異なる。エルロイは警察官を動かすことで彼らの内面の動きを描こうとするが、ウィンズロウは逆で主人公の内面的な葛藤はふんだんに書くが、あくまでも社会問題として警察官の汚職を描こうとする。身も蓋もないがエルロイの書く警察官たちは皆変態であるが、この小説には変態は一人も出てこない。変態とは例えばホモフォビアのホモとかそういうことではなくて(つまり説明として不十分)、異常なこだわりを持った人物という意味。エルロイ作品の登場人物たちは出世欲が強くても社会がどうなろうと知ったことではないのだ。毛色が異なるということで優劣はもちろんないが、個人的にはやはりウィンズロウという作家はどこまでも真面目な人なんだなという印象が強くなった。

主人公マローンのことをボロクソに貶してしまったがもちろん小説としては大変面白かった。