2018年2月12日月曜日

STATE CRAFT/TO CELEBRATE THE FORLORN SEASONS

日本は東京のハードコアバンドの1stアルバム。2000年にGood Life Recordsingsからリリースされた。STATE CRAFTは1995年に結成されたバンドでデモやスプリットなど音源の数はかなりあるようだがアルバムはこの1枚のみ。いろいろなところで名前を聞くバンドで普通に新品で売っていたので買った次第。

「孤独な季節への祝福」と題された今作。ニュースクール・ハードコアの名作と聴いていたがアートワークはおそらく聖書のノアの洪水に題を取った宗教画で飾られているのが意外だった。再生してみると1曲め「Ecliptic Horizon」はなんともエピカルなインストで驚く。どうもハードコアではこういったキリスト教的なモチーフを好んで用いる動きがあったようだ。メンバーにはストレート・エッジの方が含まれるようだがおそらくクリスチャン・ハードコアではないと思う。
2曲めが始まるとザクザク刻んでくるメタリックなギターに力強く絞り出すようなボーカルが乗るハードコアだ。ガッチガチにソリッドにして一部の中音域を完全に振り捨てたようなベースが伝統的なハードコアスタイルを彷彿とさせる。ボーカルもやや憂いを含んだ日本独特のものなのだが、あくまでもタフで例えばnaiadのようにそこから激情方面に進んでいくような”迷い”が見られないのがよい。あちらはあちらで超格好いいが、こちらはあくまでもニュースクール・ハードコアだ。迷うより先にまず体を動かすのだ。演奏の方も巨大なハンマーをぶん回すかのような重量感で、ブリッジミュートを用いた緩急のあるリフでハードコア特有の”はずみ”のあるリズムを作っていく。疾走するところは走り(といっても基本激速はなくて中速よりやや速いくらい)、それから一点速度を落とし込んでいくブレイクダウン。要するにモッシーなハードコアでなるほど徹頭徹尾筋肉質でタフであるけど、同時に非常にメロディアスだ。全編これメロディアスと言っても良い。一時期隆盛を誇った売れ筋メタルコアのようにクリーンボーカルで激甘なサビをつけるのではもちろんなくて、演奏、具体的にはギターが非常にメロディアスなのだ。ギターが歌うタイプでやり方的にはブラック・メタルにおけるトレモロギターみたいな。もちろんこちらはトレモとは全然使わなくて、代わりにハードコアのパーツを分解してそれを一つずつ丹念に磨き上げていく。メロディに振りすぎると軟弱になってしまいがちなところをまさに職人技で持ってタフさを一切失わずに絶妙なバランスでメロディ性を混ぜ込んだ、まるで混ぜることで美しい刃紋を浮き上がらせる合金で作った日本刀のような鋭さ。結果的にモッシーだけど非常にエモーショナルなニュースクール・ハードコアが出来上がる。なるほどニュースクールといえばPoison the WellやShai Huludのような叙情派という言葉が思い浮かぶ。私は全然詳しくないけど例えば前述の2つのバンドに比べるとこのSTATE CRAFTはちょっと異なっていて面白い。メロディアスかつ短いギターソロなんかはこの間感想を書いたFinal Sacrificeみたいだが、あそこまでくどくはない感じ。すべてがコンパクトに纏められている、というのはあくまでもハードコアで勝負という気負いを感じる。

海外で生まれたハードコア・パンクという音楽が日本でジャパニーズ・ハードコアという独自のジャンルを生み出したように、ニュースクールの分野でもひょっとしたら日本独自のものが育っていったのかなと思う。例えばenvyが旗を振る激情方面がそうかと思っていたのだが、もっとこうピュアでタフなニュースクール方向の輝かしい未来もきっとあったのでは。(シーン自体はもちろん今もあります。)残念ながらSTATE CRAFTはこのアルバムを出した後活動を休止してしまった。残念。
6曲目「Forever Yours」からの流れが個人的には大変すきだ。新品で買えて幸運だった。非常に格好いい音源。おすすめ。

2018年2月11日日曜日

サミュエル・R・ディレイニー/ノヴァ

アメリカの作家の長編小説。

西暦3100年代。人類はその版図を宇宙に大きく広げ、それぞれの星系で文化を発展されていた。距離が離れればやはりそれぞれの文化の思惑でときには対立が発生するもの。地球を含むドレイコ(蛇竜)領に属するトライトンという星でサイボーグ船士マウスことポンティコス・プロヴェーキは特徴的な男に会う。銀河の大富豪ローク・フォン・レイ。美男だが醜い傷跡が縦方向に顔に走った異形の男に誘われ、他の何人かとロークの船「ロック」の船員として雇われる。ロークはやはり大富豪のレッド兄妹と因縁があり、莫大なエネルギーを持つ物質イリュリオンを取りに行くらしい。ローク一行の危険に満ちた冒険が始まる。

壮大なSFなのだが星間移動のシステムがきちんと説明されていなかったりとかなり特徴的だなと思った。作者ディレイニーは相当変わった人物らしく、「ダールグレン」を始めSFの枠に留まらないファンタジーやその他の領域に足をかけた様々な物語を書いているらしい。この「ノヴァ」もSFの体裁を取っているが、物語の足をすすめるのを時として妨げるくだくだしいSF的な説明は大胆に省いてかわりに破滅的な物語を船に乗せて、ロケット燃料に点火してクライマックスに叩き込むかのような勢いがある。
あとがきでも役者の伊藤典夫さんが述べているように神話的な意味合いがある物語で、個人的には呪われた男の話であり、爆発して進化していこうとする神と安定と停滞、そして死を司る神の終わりなき闘争の神話の一部にも思えた。中心にはローク・フォン・レイという魅力的だが頭のおかしい男と、彼と対立するやはり常軌を逸したレッド兄妹(ただし経済的な問題から端を発したいるところから始まり、妹との三角関係からいまいち脱却しきれないプリンセス・レッドはロークほどの神性が感じられないのが面白い。)の関係を、個性豊かだがあくまでも普通の人間のマウスとカティンの目を通して描いている。タロー(タロット)カードが象徴的で強い意味をもち、マウスの奏でる電子ハープが物語を導いてく、不思議で先進的なロマンスが見え隠れし、破局に一直線に突き進みながらも、未来の銀河の異様さにも目を向ける旅情はまさに王道のファンタジーとも言える。決して豊かで奇抜な設定のみに陥るわけではなく、物語の骨子は相克と対立と闘争なので、見た目の異様さに反して頭に入りやすい。
キャプテンロークのカリスマ性に心惹かれるのはなにもマウスたちだけではないが、とにかく彼というのは横溢するエネルギーが尋常ではなく、やはり人には思えない。名家の子息としての自身と傲慢、プライドと気負いなのか、それとも恋をした(?)レッド兄妹の片割れルビーへの執着なのか。それともただ似た境遇にあるプリンスへの反抗心、負けん気の発露なのか。イリュリオンを奪取し、今ある銀河の近郊を崩壊させんとする彼は正義のみかたというよりは、むしろただの無軌道な反逆者にも見える。闘争を運命づけられ、衝突と不幸を周囲に撒き散らす彼はやはり呪われた男だ。
タイトルにもなっている「ノヴァ」とはイリュリオンが生まれる星の大爆発である。(いわゆるスーパーノヴァとかとは少し違うやはり作者独特のものらしい。)善悪の彼岸を超えた異形の物語が、星の死である大爆発に収束していく。一体その先に何が残り、冒険者たちが何を得られたのかというのは、非常に面白いところだと思う。

非常に面白くて手に汗握って読んだ。想像力の限界に挑む知的なSFがついつい忘れがちな自暴自棄な激情がほとばしっている。作者の違う本も読んでみようと思っている。

小手/雑記

日本の東京のポストロック/ハードコアバンドの1stアルバム。
2018年にIOTOからリリースされた。
小手は2000年に結成されたバンド。メンバー四人は作務衣に身を包み、ボーカル以外は日本の伝統的なお面(狐と鬼)をかぶっている。5弦ベースと7弦ギターを使い、バンド名やその世界観からわかるように和を意識したバンドだが、出している音はかなり特殊。
私はこのバンド名前だけは知っていたのだが、会社にいる音楽好きの(元々バンドをやっていた)人からとにかく聞きなさい、ということで紹介された。これがとてもよくて仕事中にyoutubeのライブ動画を聴いたりしていた。で、タイミングよくアルバムが発売されたので購入してみた。

作務衣にお面、弦の多い楽器とくれば和製Slipknotか?って思ってしまうけど、聴いてみるとぜんぜん違う。(和)太鼓を意識したような独特の叩き方のドラムがリズムを刻み、ギターはクリーントーンでアルペジオまたは単音で透明かつ温かみのあるクリアな音を奏でていく。音の数は少なく、残響が意識されている。ミニマルに繰り返されるアンサンブルが穏やかに暖かく胸にじわじわ染み込んでくる。ベースも存在感はありつつあくまでもさり気なく滑るように入り込んできて、ギターとドラムの間にもう一本の太い綱を張り渡す。そこにボーカルが乗ってくる。やはり和を意識したようなお経や、古典芸能のように独特な節をつけて歌うパートもあるけれども、基本的にクリーンボーカルで歌詞を読んでいく。ほとんどメロディはないわけで、どちらかと言うと語りに近い。いわばポエトリー・リーディングであり、そういった意味ではバックの演奏と相まって非常にポストロック的なアプローチだ。ただ殆どのポストロックがポエトリー・リーディングを主役に据えることはあまりなく、ときには単に激しさとの落差をつけるだけのかったるい夾叉物でしかない。小手はしかしここを主戦場に据えて自分たちだけの音楽を模索している。この歌詞こそが小手の音楽だ。小手の歌詞は長い、そしてリフレインが殆ど無い。長い歌詞を良くも忘れずと思う(ライブでも正確でこの間は少なくとも一回も言い淀んだことはないと思う。)くらいとつとつと読んでいく。いわゆるいい声でもないが、それでも歯切れよく歌詞を見なくてもわかるくらいはっきりと読んでいく。ボソボソわかるんだかわからないんだかわからないそれらしいことを喋る自己陶酔めいた音楽とは異なる。そうなるとラップでは?と思うし、実際に聞きやすさは韻の踏み方というところで意識されていると個人的には思うが、抑揚がなく、やはり語りかけるような手法はラップと言い切るのは無理があるように思う。
さてじゃあその長い歌詞はどうなの?って話になるのだが、ひょっとしたら小手の音楽は若い人には刺さらないかもしれない。特に今音楽をやっているような若者からしたら負け犬のおっさんの愚痴めいた繰り言・遠吠えにしか聞こえないなんてこともあるかもしれない。音楽で一旗揚げられず、かといって家庭と仕事にもフルコミットできず、未練が残る。葛藤と後悔、いい年こいて「まだ俺にも!」なんて捨てられない希望。それが生々しく綴られていく。感情だけを綴っていくとどんどんアート的詩的になりがちだが、そこはこの小手きっちり曰く「灰色」の日常生活に感情を落とし込み、溶かし込み、コンクリートでできたかのような正確な描写で書き連ねている。この毎日のつまらないこと!つまらない割には圧倒的に時間を取られる仕事、毎日がいつも同じ。怒られるだけでちっとも冴えない。うだつの上がらない。お金がほしい。後悔ばかりの人生。まだ自分には何かできるはず。そんなどこにでもある失敗した人生が飾らない言葉で綴られる。このつまらない人生にはしかし、本当に何もなかったのか。だいぶ偏った喜怒哀楽、勘違いだけど熱い気持ち、わずかばかりの大切な人、一瞬だけ火花のように燃え上がって消える1日、そんな退屈のなかの幾つかの日々がちょっとだけ光っている。重たい灰の下にちょっとだけ光っている。それを灰ごとすくい上げたのが、この小手の音楽だろう。だから終始ミニマルな演奏も繰り返す日々のメタファーという意味で非常にしっくり来る。

小手の音楽は1枚の写真に似ている。なぜ彼らがお面をかぶっているか。それは彼らが誰でもないからだ。つまり誰でもある。この冴えない人生は、この雑記は彼の、あなたの、そして私の物語にほかならない。無常に進んでいく日々の横方向の動き、感情の起伏の縦方向の動きで織り上げられた、冴えない物語。あなたは写真のように切り取られたこの灰色の毎日に、自分の人生を振り返る。砂金のように少しだけ揺らぐ煌めきに空っぽだと思い捨てた人生の重みを知るだろう。なんという前向きな、そして優しい音楽だろうか。

2018年2月4日日曜日

assembrage/A Curtain Call of an Aeon

日本は大阪府のデスメタリック・ハードコアバンドの1stアルバム。
2017年にGuerrilla Recordsからリリースされた。assembrageは2011年に結成されたバンドで現在のメンバーはCataplexy、Second to None、Greenmachineなどのメンバーでもあるようだ。どうもフライヤーを見るとバンド名は「Assembly of the Rage」を短く詰めたもののようだ。

全15曲で9曲がアルバム用の曲、残りの6曲は2014年にリリースされたLP「A Wheel of Wraith」収録の曲を取り直したものということ。装丁も凝ったものになっていて、ジャケットの表の緑色のもやもやはスリーブではなくケースに直接塗装が施されている。1stプレスは発売後にすぐに完売し、今売っているのはケースの緑の塗装を赤に変更した2ndプレスとのこと。
「アイオーンのカーテンコール」というタイトルでアイオーンには調べてみるといろいろな意味があるそうだ。曰く「時間」「時間の神」「真の神」など、どうやら様々な神秘思想で用いられる言葉らしい。インナーも開いていみると凝った世界観が提示されており、重厚な物語性があるという意味ではメタル的である。
音の方はと言うと強烈に撓ませひび割れた音が特徴的なサウンドが耳を突く。いわゆるスウェディッシュという言葉で評されることもある得意なサウンドで、ギターにHM-2というエフェクターを噛ませて作るあのサウンドである。レーベルインフォによるとこのエフェクターをフルテン、つまり効果をかけるつまみをマックスまで振り切らせているとのこと
。チューニングも下げているし実際相当な低音なのだが、このサウンドはただ重たさ一辺倒ではなく、やはりグチャッと潰れたような、ひび割れてささくれだち、意図的な雑味が聞いている。ドス(またはエフェクターかな?)の効いたボーカルも同様にひび割れた声で低音うめき声から高音喚き声。どう考えてもユーザーフレンドリーな音楽ではないので圧倒される。「これは気合の入ったデスメタルだなあ」と私は思っちゃったわけなんだけど、3曲くらい聴いていると不思議なもので音の衝撃から立ち直って慣れてくる。どっしり構えてずんずん進むドゥーミィなデスメタルとは違う。装飾過多な荘厳さはあまりなく代わりにもっとストレートな突進力がある。かなりハードコア的なアプローチで、この音でハードコアというとTrap Themが頭に浮かぶけどあそこまで冷血でカオティックではない。なんかもっとこう熱く、血潮がたぎるような、とここでそうか日本のハードコアか!と納得がいく。かなりいかつい音なのではじめは気が付かないのだが、速く重たく、しかし爽快で気持ちがよく、なにより聴いている人を熱く盛り上げる情熱をもったあのハードコア。そう考えるとメタルから持ち込んだ色彩豊かでテクニカルなリフと感情のこもったメロディアスなギターソロが説得力を持って前にせり出してくる。もちろんアンダーグラウンドな音楽であることは間違いないだろうが、思ってたよりずっと聞きやすい。唸るツインギターのソロなんてクラシカルであり、この間再発されたDeath Sideを彷彿とさせる。個人的に好きなのはボーカルでここだけは完全にメタル的なアプローチだと思う。だから熱いハードコアサウンドと相克と対比がよく出ていて陰影がきっちりしているし、オリジナリティが出ている。ただ熱いねえ!というのではなく、まず一回は完全に初見でぶん殴ってくるみたいな迫力があり好きだ。

HM-2を使った音でハードコアをやるというアプローチで冷たい方に走った海外勢と、真逆の熱い方に走った日本と差が出て面白い。熱いハードコアが好きな人は是非どうぞ。

2018年2月3日土曜日

ミシェル・ウェルベック/素粒子

フランスの作家の長編小説。
「地図と領土」、「プラットフォーム」に続いて三冊目。

1928年にアルジェリアに生を受けたジャニーヌは当時にしては先進的な女性だった。野心的な医師と結婚。豊かな暮らしの中で子供を設けるが子育てには感心がなかった。不倫の末もう一人男の子を設けるが、やはり育児は放棄。異父兄弟の兄ブリュノは平凡な教師に、弟のミシェルは天才的な分子生物学者になった。ともに愛情の欠如した家庭で育った二人は全く異なる個性を持つが、その奇妙な関わりはおとなになっても続いていた。

「地図と領土」でも自分自身を登場人物として描いていたが、後書きによるとこの本の主人公には作者自身の生い立ちがかなり反映されているようだ。親に顧みられず友達も少ない、人付き合いへの苦手意識が長じても治らず、孤独感に苛まれるが故に他者を強烈に求めるが、自分の経験と自己評価の低さでまたもや人と良好な関係を築けずさらに孤独と身中に貯まる欲求不満と怒りをふつふつとたぎらせていくという悪循環。ウェルベックは割りと飽食と薄れ行くつながりという視点から現代を鋭い角度で描く作家と言われるが、昔の人間が皆仲良くやっていたわけではなく、きっといつの時代にもその次代に馴染めない人たちと彼らが抱える孤独があったのだろう。現代社会ではその孤独が豊かさの中で浮き彫りになっているのかもしれない。(そういった意味ではやはり現代を書けているとうことになる。)
読んでて思ったのはちょうど「地図と領土」と「プラットフォーム」の間の子みたいな作りになっているなということ。孤独で強い、つまり一人で生きていくことができる飛び抜けた才能を持った天才分子生物学者のミシェルはどうしても「地図と領土」のやはり天才芸術家ジェドを彷彿とさせる。一方ミシェルの兄であるブリュノは「プラットフォーム」の主人公性欲は強いが常に満たされない不遇の冴えない男ミシェルに通じるところが多いにある。二人はともに社会と健全で普通の関係は築けていない。前にも「プラットフォーム」の感想で書いたが、ウェルベックはとにかく対立する2つという一人構図が得意でこの小説にも主人公の兄弟をはじめとする様々な2つが出てきて、それの対立と類似、つまり異なる2つの比較というところが肝になってくる。面白いのは相変わらずウェルベックの小説というのは筋やストーリーというのはあまり強くなく(「プラットフォーム」はストーリーにわかりやすい動きがある、比較的。)、特定の場面を切り取って会話や感情の動きを丁寧に書いていく。いわば切り取った日常により大きな場面を封じ込めているわけで、全体的に比喩的な作りになっている。甘いノスタルジーに中年の汚い性欲を重ねるなど、露悪的に受け取られるかもしれないが、単に奇をてらって悪趣味に走っている趣はいよいよ感じられず、やはり愛情を軸とした関係の一つの頂点にあるのがセックスという、ひとつの儚い(おそらくそうではないことを作者も登場人物もすでに気がついている。)理想があり、ウェルベックの物語に出てくる主人公たちは人間関係の形成に重篤な障害をかかえているあまり、そのセックスというところだけを切り取ってそこに執着してしまう。(性欲が根源的に強い衝動であるというのもあると思う。)つまりセックス狂やニンフォマニアとは明らかに異なり、あくまでも思春期の子供が思い描く究極の愛の果にあるセックスへのあこがれが、愛情そのものへの経験の無さからセックスの前後をすっ飛ばし、愛の象徴としてのセックスを強烈に希求させている。だからかパートナーとのセックス描写はその殆どが幸福な雰囲気の中で描かれている。いわばずれた人間を描いており、その浮きっぷりが切ない。彼らが汚いとしてもどこかに純粋さがあり、それがキャラクターを複雑かつ愛嬌のある物足らしめていると思う。だからやっぱり個人的にはミシェルよりブリュノの方に感情移入してしまうのである。
お互いに好きなことをぶつけるだけで微妙に噛み合わない兄弟の会話。やっと手に入れた愛情のある関係の終焉。確執のあった母親との別れ(ここに一つの大きな虚無、いわば復讐後の虚しさを取ることができる。)。断絶と死に彩られているが、最後が新しい”子供”を作って自分(たち)を受け継いでいく、と受け取ることができて大変興味深い。

2018年1月28日日曜日

小手1stFULLALBUM「雑記」発売記念イベント@三軒茶屋Heaven's Door

小手という少し変わったバンドが居るということはなんとなく知っていた。最近会社の音楽好きの人からかっこよいから聴いてくれ!と小手のyoutubeのライブ動画を紹介されたのをきっかけに仕事をしながら聴いてみるととても良くて驚いた。タイミングと言うものが人生にはあって、その紹介してくれた人も意図してたわけではないが、小手が1月に結成18年目にして初のフルアルバム「雑記」をリリースした。これは当然買うわけだし、発売記念のライブをするということなら行くことになる。「雑記」もそこまで聴き込めてないし、ライブを見るのも初めてだ。会場は三軒茶屋Heaven's Door。始めていくがいい雰囲気(スタッフの方が皆さん愛想が良い)のところで、ステージの正面が少しだけフロアにせり出しているのが特徴か。

小手
初っ端は小手。半端に知っている状態でいきなりライブを見るというのは面白い。4人のメンバーが揃ってややくたびれた作務衣に身を包み、ボーカルの人以外は狐のお面をかぶっている。当然音源で聞くより音量がでかく、また音も立体的に聞こえる。小手というバンドは変わっていて、ボーカルは歌を歌うというよりは詩を語る、というのに近い。節回しは少なく(曲によってはある。)、リズムを付けて押韻していくのでもないからラップとも趣が異なる。(ただし押韻に関してはかなり意図しているのではと思う。)ポストロックや日本の激情系ハードコアのスポークン・ワードのパートに通じるところがあるといえば伝わりやすいのではなかろうか。ただ小手の詩というのは、ポエトリーとはまた異なる、もっと散文めいた、日記めいたもので、それも書き手の日常生活を包み隠さず生々しく書いたような内容だ。装飾的なかっこよさとは大分かけ離れた音楽なのだ。その特異さ、異質さがまずは大音量で強烈に意識される。ただ音源よりもっと音楽的である。特にギター、ベースの存在感が有りながらも濁りのないクリアな音は印象に残る。決してディストーションを噛ませた(パワー)コードで弾きまくるようなことはなく、単音もコードも弦の一本一本それぞれの音が分離して聞こえるような透明さが意識され、またアルペジオやそれよりもっと少ない音がほぼほぼ全編に渡って続く。いわばポストロックの静謐なパートに語りが乗る、というような特殊さ。ただしベースもギターもそれぞれ通常より弦が一つ多く、たまに繰り出す重たいパートはかなりの重量感がある。まずは圧倒されているうちに持ち時間は終わり。小手はこの日一番手とトリの二回ステージに立つのだ。

phone
続いては栃木県足利のバンドphone。この日小手以外は初めて見る聴くバンドばかり。phoneは三人編成のバンドでドラムとベースとギター。弦楽器の二人がどちらもボーカルを取る。マイクを正面でなくややステージ中央に向けて配置するからメンバー三人ががっぷりしのぎを削る用な構図になっていて面白い。曲が始まってみると完全にハードコアだ。それも結構ややこしいやつで、なんとも形容し難い複雑な世界観を持っている。開始当初はギター・ベース両者の叫びも生々しく(基本的にクリーンはほぼ歌わなかったと思う。)、かなり初期衝動的なエモバイオレンスかと思った。ギターの音をガッチガチに武装するのではなく、ややジャギジャギした生音を残しており、黎明期のエモに対する愛着と敬意があるのではと。スリーピースならではのムダと冗長さがないヒリヒリした音なのだが、曲がかなり凝っている。カオティックやマスコア的な要素があり、展開が目まぐるしく変わっていく。そうこうしているとボーカルが鳴りを潜め、インスト曲に突入。突っ走るギターが一点空間的な音色を身にまとい、ポストロック的に反復していく。この時も緊張感を途切れさせないのがさすがで最後までビリビリしていた。個人的にはドラムが正確なのと展開が多いのと、特にバスドラムを打つタイミングが微妙にずらされているような気がしてそこが気持ちよかった。これがグルーヴ感と言うやつなのだろうか。

Slang Boogie
続いては地元三軒茶屋で長く活動しているというSlang Boogie。ドラム、ベース、ギターにボーカルの四人組のバンドで音的にはやっぱりちょっと変わっている。基本はハードコアパンクだと思うのだが、ボーカルの人が「ヤーマン」といってステージが始まったこともありレゲエ(音的にも思想的にも)の要素がある。ハードコア・パンクが軽くなるととたんに軽薄になったりするもんだが、このバンドに関しては結構軸がぶれていないのか、ハードコアの肉体的な明快さと、レゲエのゆったりとした楽しさが良い感じに結びついていて独特のミクスチャーサウンドを出している。というのも突発的な疾走パート、唸る硬質のベース、コーラスワーク、日本のハードコアを彷彿とさせる感情的なギターソロなどきっちりとハードコアのポイントをオリジナリティをだしつつきちんと抑えているので、ここがどっしり発信の中心になっている。ソリッドかつ余裕がなくなり、際限なく攻撃的になっていきがちなハードコア精神を良い感じにレゲエの要素がゆるくさせている。半端などっちつかずの中庸に陥らずに、潔くそれぞれの特徴が生かされているのが印象的。ボーカルの人はとにかくピースサインを良くする。この世がもし地獄なら、「この世はクソだ」というよりは「平和を!」と叫ぶほうがきっとこんなんだろうと思う。ステージの前には(おそらく)メンバーのお子さんがいて、とても良い雰囲気だった。不思議なバンドだ。

Risingtones
続いてはレゲエ、スカ、ロックステディバンドのRisingtones。なんといってもテナーサックス、トランペット、トロンボーンというホーン隊がいるのが特徴。さらにドラム、ベース、ギター、ボーカルに加えてキーボードがいるから全部で8人の大所帯。流石にステージが狭い狭い。ホーンはアンプを通さないので、音を拾うマイクの本数も多い。
この日一番ブラックな音をだしているバンドでやはり異彩を放っていた。手数は多くないがしっかりとしたドラムに、音の数のメリハリがついたベース(リフが凝っていて格好良いのだが、小節の中でかなり休符を入れてグルーヴを意識している。)、裏打ちのギターはあくまでもシンプル。そこにボーカルがとにかく歌いまくる。激しい音楽を聞いているとなんだかメロディアスさが悪徳みたいになってくるが、このバンドはもう伸びやかに歌う。歌詞も甘いもので、下手なポップスみたいに格好つけた割に語彙が貧弱だったり、ただ下品なそれらとは異なり、真っ直ぐで情熱的でそこが格好良かった。ホーンは私の耳が慣れないせいもあってかとにかく印象的で、一個の音を吹いたり(これも強弱がついていてやはり弦楽器とはぜんぜん違う。)、リフを奏でたり、どれも音に圧力があって、それでいて音は暖かく、歌を後ろからブワーッと押すような、浮かすようなそんな力がある。途中でそれぞれの楽器のソロパートを挟んだり、カバーを2曲(宇多田ヒカルとJackson5)披露したりと、やはりロック、ハードコアのフォーマットとは流儀が違って面白かった。あとメンバーが多分みんな(トランペットの人はタオルかも)帽子をかぶっていた。おしゃれである。

小手
トリは何と言ってもこの日2回めの小手。とにかくそのオリジナリティに圧倒されてあっという間に終わってしまった先ほどとは違ってこちらももうしっかり聴く気満載である。
相変わらずポストロックのフォーマットに語りが乗っていく。音源を聞いたときは静かに始まり、それが盛り上がっていく(つまりポストロック的な王道展開)のが面白いのだと思っていたがこれは明確に違う事に気づいた。まず小手の歌詞は長い。普通ならあるサビのリフレインとかがほぼない。なるほど演奏の方はミニマルかもしれないが、存在感のあるボーカルのせいであまり反復性は感じられない。そして静かに始まると思っていた部分も生で見ると全然むしろ迫力しかない。言葉は力強く、そして生であるゆえに揺らぎもある。ボーカルの人の力が異常にこもっている。詩というにはあまりにも赤裸々な言葉の羅列がその書き手の人生を詳らかにしていく。起こった出来事とその時感じた気持ちが語られていく。そこには実際面白いこと、新奇なことは一つもない。曰く「冴えなく」、「灰色の」、「ひからびた」日常の写し絵である。それが、私の旨を強烈に打つ。そこにあるのは紛れもない、ある人の人生である。小手の音楽はヘヴィだ。音的にはもっともっと重たいバンドはいる中でも、図抜けて異常にヘヴィと言っても良い。そしてエモーショナルだ。感情的に叫ぶから情熱的ではなくて、毎日についてうたっているから必然的に情熱的になるのだ。つまらない毎日には、たくさんの面白くないこと、悪心、たまにある良い心、時間の浪費、怠惰、愛情が細切れになって散らばっている。単に善悪という二項対立ではなく、その細切れの感情が小手の音楽に詰まっている。小手の音楽はウルトラ・ヘヴィだ。なぜなら取るに足らない(あなたの/私の)人生でもそれなりの重たさがあるからだ。私もまた取るに足らない男なので、小手という他人が歌うその歌の中に、私の人生があるのである。
小手がなぜ通常のハードコアのフォーマットで曲を演奏しないのか、澄んだギターのアルペジオは落ちつている心を反映しているのではない。むしろ逆に生きることに焦りはやる気持ちをあえて透明な音で抑えているのだ。あの独特な静謐さの裏には爆発的な感情がぎっちぎちに詰まって、それが嵐のように相克している。どろどろした原始の海のような感情をどうにかあの形に押し込めて、うたに昇華しているのだ。だからたまにフラストレーションを爆発させるような重たいパートに凄まじい説得力があるのだろう。(単にうるさいパートのために退屈な静かなパートがある音楽とは全く趣が異なる。)いわば透明になりたい音で、そうなりたいと思っている時点で決して透明なんかじゃないのだ。それが良い。
終演後まさかのアンコールに次ぐダブルアンコール。最後の最後にはかなり大規模なモッシュが発生していた。小手のライブでモッシュというのは見たことがない、と私に小手を紹介してくれた会社の人はいっていた。

小手の「葛藤、極まる」を購入して帰宅した。23時を過ぎてライブハウスの外はあまりに寒く震えたが、実のところ感動して体がわなないているのだった。楽しかった。

2018年1月22日月曜日

ダグラス・アダムス/ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所

イギリスの作家による長編小説。
作者ダグラス・アダムスはなんといっても映画化された「銀河ヒッチハイクガイド」シリーズが有名だと思う。かくいう私も大学生時代に何気なく買った冒頭の一冊が大変面白くてシリーズを一冊ずつ読み進めていった。とても楽しい経験だった。(「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」のwikiページがすごい充実していることに気づいたので後で読む。)私はそれっきりになってしまったのだが、と思って調べてみると元々寡作な人だったようで邦訳されていたのは上記シリーズくらいのものらしい。この「ダーク・ジェントリー」シリーズもNetflix(どうでも良いがもてたいならNetflixでみんなが見ている映像作品を見れ!と言われたことがあるがまだ入会すらしていない。)でドラマ化されたようで、おそらくその流れだろうか、このシリーズも邦訳されたのでワクワクしながら買った次第。

ケンブリッジ大学の卒業生リチャード・マグダフは真面目な学生ではなかったが、紆余曲折あった末にプログラマとして成功していた。ある日彼が務める会社の社長が撃ち殺され、家を荒らされた上に放火されるという事件が発生。リチャードは彼の死の周辺に不自然な邂逅を果たしており、警察に重要参考人としておわれることに。偶然にも大学時代の旧友でカンニングの罪で放校処分になり、今は私立探偵をしているダーク・ジェントリーに助けを求める。ダークは全体論という独自の理論で事件を解決すると豪語するが…。

ダグラス・アダムスがミステリーを書くのだから一筋縄で行くはずがなく、冒頭からイギリスらしい持って回った諧謔に飛んだ文体で、わけの分からない文章が綴られていく。キャラクターはどこか奇矯であるが、ほとんどみんな愛嬌があり、ウィットと皮肉(いかにもイギリスな感じ)、そしてユーモアに富んでいるため読みにくいというのはないのだが、どうにも後にも話しの中心というのがみえにくく、しばらくは座りが悪い。ミステリーというのは(大抵)一人もしくは複数人の殺人自体(状況と犯人(動機))が謎であって、それを解きほぐしていく物語だが、この物語に関しては体裁はミステリーで、たしかに主人公の雇用主の殺人も謎なのだが、その他にたくさんの謎が散りばめられておりその中の一つでしかない。夜空に煌めく星が星座を隠しているように、ダーク・ジェントリーがこの雑多な謎を一つの回答に導くのがこの本の醍醐味だろう。ジャンルの垣根を超えてもそういった意味では謎を解き明かすという意味で抜群のミステリーと言える。
全体的に軽いノリにくるまれているし、読後感も爽やかなのだが、そこは(あっさり地球をぶっ壊してこの上なく天蓋孤独になった男を主人公に据えたシリーズを描いた)筆者のことなのでこの作品でもやはり深淵のような孤独(しかも2種類の)を描いていて、よくよく考えてみるととても笑ってられない。さらっと書いてあまり言及しない、というのは一つの美学であり、読者としてはそこが楽しみだったりする。いわば物語が文字だけでなく、こちらの頭のなかでカチリと音を立てて完成するようで、とても爽快である。混沌とした遠景が一つの絵として捉えることができたように。そしてその絵の奇妙さに感動するように。

すべての読書好きな人におすすめの一冊。二作目も近々邦訳の上発売のことでとても楽しみ。