2013年6月23日日曜日

R・D・ウィングフィールド/フロスト気質

フロスト警部シリーズ第4弾。
物語はいよいよ長くなり、ついに上下で分冊と相成りました。
相変わらずの面白さです。

イギリス郊外の町デントン。所謂ぱっとしない田舎町に赴任した部長刑事リズ・モード。上昇志向の強い彼女は警部の一人が不在の今こそ手柄を立てて出世への手がかりにしようと意気高揚していた。おりしもデントンでは乳幼児の傷害事件に加え、子供の殺人事件、富豪の娘の誘拐事件、子供の失踪事件が同時多発的に発生し、混乱を極めていた。これらの事件をある種のチャンスと捉える彼女はしかし、デントン署きっての風采の上がらないお荷物警部フロストのもとで働くことを余儀なくされる。下品で粗野、礼儀知らずでうだつの上がらないフロストのもとで。さらにフロストやデントン署の面々と因縁のある警部代行のキャシディが赴任し、自体はさらに混迷の一途をたどるのである。

今回はメンツにちょっとした変更があって、ライバルのアレンは今回も早々に退場。相棒になる「坊や」はなんと今回女性刑事の「嬢ちゃん」に。相変わらず自信家で上昇志向なのはかわらないが、今回の相棒は全3作の最後までフロストの本質を身抜けたかった坊やたちに比べるとにくらべると今回は結構かわいげがある。マレットは本当に嫌なやつだが(本当に回を重ねるごとに嫌らしさが増してきてる)、今回はさらにジム・キャシディというキャラクターが出てくる。役目的にはアレンの代わりなのだが、過去にとある因縁があって兎に角フロストに絡む。上昇志向がつよいのはいいにしても、性格が悪く意外に小物で我が強いからみんなに辟易されている。こいつがいろいろと自体をかき回す訳である。話の筋としては今回も所謂モジュラー型で事件が立て続けに起こるから、4作目にして混乱はいや増すばかりである。

さてフロスト警部ものというと主人公であるフロストの強烈なキャラクターでもってして、警察小説の中でもかなりコミカルな部類に入るのではなかろうか。殺人事件などの犯罪を扱うのであるから、シリアスであるんだけど、全体的にそこまで陰惨にはならない。私は当初そう思っていた。ところが前作を読んでからちょっとその考えを改める必要があるかもしれないと思った。前作は老女連続殺人事件という軸があって、文字通りフロストはその犯人であるサイコキラーと対決した訳だ。性質上ほかにもいろいろな事件が発生し、また繰り返すがフロストのキャラクターでもってなんとなくコミカルにまとめられている。しかしこれはカモフラージュというか作者の読者に対する配慮ではないか?と考えるように至った。前作は陰惨さ凶悪さがかなり増して、形だけでいえばアメリカのサイコキラーものの警察小説と遜色がない気がする。勿論派手な科学捜査やプロファイリングは出てこないけど、(私の考えでは)そんなものはギミックであり、警察小説の本質ではない。作者は作品の暗さをあえてコミカルさで覆い隠してしているような印象を受けた。誤解がないようにいいたいのは暗さを書いていないということじゃない。しっかり描いているけど、それが、それだけが作品にあふれかえらないように配慮がされているのではないかと思っているのだ。
今作を読んでその思いが強くなった。今回はメインになるのは子供に対する殺人と誘拐がメインである。思えば老人や浮浪者、子供など作者は常に弱きものを書いてきた。弱い人たち、駄目な人たち(酔いどれや宿無しもたくさん出てくる。)を本当にリアルに紳士に描いたけど、常にその扱いには(フロストを通して)優しさがあった。弱いものたちへの愛があって、フロストは彼らを決して見捨てない。浮浪者をぞんざいに扱う部下には怒ったし、時には加害者に同情することだってあった。どんなやつが殺されても、必ず自分で家族に報告に行く、それがフロストだった。
フロストは警官ですらないかもしれない。フロストは実は警官の流儀や動機で動いていない。今回誘拐事件に挑むフロストははっきりと子供の発見を犯人の逮捕より優先すると断言する。署長に対してだ。警察官は法を犯したものをとらえるのが仕事なんじゃなかろうか。勿論未然に犯罪を防ぐことや、誘拐された子供を無事に保護することだって警察の仕事であることは間違いないと思う。でも犯人を逮捕するということは所謂花のあるしごとではなかろうか。とかくフィクションである小説の中では。しかしフロストは否であるという。俺は子供を助けたい。死んでいるかもしれんが、子供を見つけて親元に帰してやりたいというのである。そのことで犯人を捕まえられなくても俺はしょうがない、というのである。私はいったいどちらが正しいのか分からない。けどやっぱりフロスト警部は弱いものの味方であって、彼らを決して見捨てないのだ。軽口をたたいて下品な冗談をいくら喋ったってフロスト警部は常にぶれないのだ。本人も気づいていないかもしれないが、適当(彼が適当であるのは間違いない、そこが面白い。)な本質の下には弱いものたちへの愛があって、だから彼はそういった人たちを食い物にする犯罪(罪を憎んで人を憎まず)を憎み不眠不休で働き続けるのだと思う。

フロスト警部ものはコミカルな小説であることに間違いはない。吹き出したり、声を出して笑っちゃうところもたくさんある。ただしあなたがこれを警察小説の形をとった風采の上がらない親父がなんとなく事件を解決してしまうコミカルなだけの物語と思っているのな、それは大きな間違いである。喜劇性の覆いをとれば、そこにあるのは残虐な犯罪とそれに苦しむ人たちである。誤解している人たちにこそぜひ読んでいただきたい。これは正義の人のお話である。
作者の逝去が残念でならない。ここまで来たらフロスト警部の長編は残り2作である。

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