2014年3月30日日曜日

Motörhead/Bastards

イギリスはロンドンのロックバンドの11thアルバム。
1993年にZYX Musicからリリースされた。
Motörheadである。1975年に結成されたバンドでコンスタントに活動を継続し、勿論未だ現役。創立者のベーシスト兼ボーカリストのレミー・キルミスターは様々な逸話もあって最早ロック界の生ける伝説になっていて、顔を見ればあ、知っている、となる人も多いだろう。
私も勿論Motörheadのことは知っているが、ぼんやりと人生を過ごしているうちに遂に彼らの音楽については触れることなく今まで来てしまった。Foo Fightersのフロントマンで他にも様々バンドでドラムを叩いているデイブ・グロールのSouthern Lordからでたソロプロジェクト「Probot」のCDを持っていて、その中にデイブとMotörheadのレミーのコラボレーション曲「Shake Your Blood」が入っていて、それでけは聴いたことがあった。

この間メタルに関係するドキュメント映画を取っているサム・ダン氏のドキュメンタリーを見る機会があり、それはメタルの歴史を年代とカテゴリに切り分けて、その時その時活躍したいろんなバンドや関係者にインタビューしていくというものでとても面白かった。でその中にMotörheadのレミーのインタビューがあって、うーんやっぱり格好よいな、と思ったものである。当然一枚くらい買ってみようとなるのだが、何せキャリアが長いバンドだから多数ある音源からどれを買うか迷う。どれにすべいかと思っていると偶々「On Your  Feet or On Your Knees」という曲を耳にして、これは格好よいな!と感動。その曲が収録されているこのアルバム「Bastards」を買ったという訳。

真っ黒いバックにバンド名とアルバムタイトル、スペードのマーク(MotörheadにはAce of Spadesという超有名な曲がある。)を背後にあしらわれたイメージキャラクターであるWar-Pigが中央に鎮座するというシンプルなジャケットが如何にも格好よい。
Motörheadはレミーは不動だが、他のメンバーについては結構変動があるようで、基本はシンプルな3人体制だが、このアルバムを出したときは4人体制だったようで、なるほどギターが2本な分音の厚さや曲の作り方はどっしりしたもの。
WikiによるとMotörheadの音楽性はなかなかどうしてカテゴライズが難しいそうだ。確かに「爆走ロックンロール」みたいに紹介されているような印象があって、実際に聴いてみるとパンッキシュだがパンクではないし、メタルの成分はあるがそれでは何メタルなのだ?という感じでなるほど、たしかにちょっとコレだ!というのは難しい。

ギターはハードロック然とした音作りでギラリとしてちょっと湿り気のある音で艶っぽい。たまに挿入されるギターソロもクラシカルなハードロックの要素があるが、全体的にメタルほどゴテゴテやり過ぎない様なバランス感覚。メタリックなリフにパンキッシュな疾走パートの組み合わせが自然で格好いい。
ベースはソリッドな低音でよく聴いていると結構動き激しい。ギターミュートを使ったメタリックなリフで緩急をつけるが、ベースはシンプルかつ大胆に動き回る印象。ただしこちらもテクニックのひけらかしは皆無のいぶし銀なスタイル。
ドラムは力強く重々しいが、メタルのそれほど低音重視ではなく、徹底的にノリ重視。爆走ロックンロールの由来はドラムとベースの気持ちよさじゃないかと思う。バスンバスン兎に角気持ちよい。ちなみに前述のサム・ダン監督のドキュメンタリーだと確かツーバスを踏むのはMotörheadが一番最初!(このアルバムでは多分ドラマーはその人じゃないんだろうけど。)と紹介されていた。オリジネイター!
ボーカルは言わずと知れたバンドの顔役レミー。何ともいえない年季の入っただみ声で酒焼けなのかわからないが、兎に角独特。吐き出すように歌うそのスタイルは男臭いが、不思議と耳になじむように心地よい。渋く老獪な反面ちょっと年を感じさせないやんちゃな感じもして格好よい。
曲の方は結構その作りに幅があって、スピードが速めで爆走ロックンロールを体現したように突っ走る曲。中速でずっしりしつつもノリとグルーブで体を跳ねさせる様なハードロック調の曲。アコースティックギターを大胆に取り入れたしっとりしたバラード。ジャケットはシンプルながらも内容は結構バラエティに富んでいる。共通しているのは爆音で暴力的な中にもポジティブなエネルギーが横溢していることで、その音楽性たるやテクニカルにして単純明快、その中心には心臓を飛び跳ねさせる様なノリが鎮座している様な作りで、聴いていると元気になってくる。自然とからが動いて頭を振ってしまう。こりゃー気持ちがよいぜ。

というわけで言わずと知れたMotörheadは噂に違わずすばらしく、その巨人っぷりにただただ圧倒された次第。名前は知っているけど聴いたことないや、という人は是非どうぞ。

2014年3月23日日曜日

エドワード・D・ホック/サイモン・アークの事件簿Ⅰ

アメリカの作家によるオカルト探偵が活躍するミステリー。
中編短編が10個収められた日本独自の編集版の第一弾。

新聞記者を勤める私はある村で村人73人が全員が崖から飛び降りて自殺する、という陰惨かつ奇妙な事件の取材に向かう。私はその村で同じく独自に調査を進める奇妙な老人サイモン・アークに出会う。彼は二千歳を数え悪魔や怪異の秘密を探求しているという。一体彼は何者なのか。そして事件の真相は…

作者エドワード・D・ホックは推理小説の分野で活躍し、多くの魅力的な探偵を創造したそうで、本書の探偵役サイモン・アークもその一人。ライフワークだったのか、1950年代の作者のデビュー作「死者の村」(上記あらすじは同タイトルのもの。)から始まり2008年になくなるまで書き続けたようで、本書でも1955年の「死者の村」から始まり2003年に書かれた作品までが収録されている。(編集にあたり意図的に各時代から2編ずつ収録していることが解説に書いてある。ちなみに作品の選定には生前のホックも関わっている。)
オカルト探偵ということで元々興味があったので、いざという訳で買ってみた次第。
基本はミステリーで不可解な殺人が起こり、一見超常現象でも持ち出さないと説明が出来ない様な状況を主人公の「私」と探偵のサイモン・アークが解決するというもの。
結果的には現実的な謎解きが提示され、結果悪魔やオカルトは出てこないというのが定石になっており、オカルト探偵といってもあくまでも基本は本格ミステリーである。
じゃあ怪奇風味を装った普通のミステリーじゃねえか、というとそうではなくてたった一つ奇妙な存在があってそれが探偵役のサイモン・アークである。

サイモン・アークは一見70代の男性で、よく見ると若々しくもありハンサムでもあるが、やはりそうはいっても老人である。だいたい黒いスーツを着ているようだ。かつて(1500年くらい前)はコプト教(エジプトのキリスト教。いろいろと歴史と問題があるようだ。調べてみると面白そう。)の僧侶であったが、現在は自身の悪魔や超常現象への探究心を満たすため、世界を気ままに放浪しており、その筋では有名人でたまに各国の大学で特別講座を持ったりしている。そして滅多にいわないが、親しい人間には自分が長いこと生きていることを打ち明けるのである。
サイモン・アークはその他の色々な創作物に出てくる不老不死キャラクターとは一線を画す人間性を持っている。魔人めいていないし、不老不死以外の不思議な力は(恐らく)持っていない、態度も尊大ではなくむしろ物腰は穏やかで親しみやすい。勿論他人の血を吸ったりはしない(と思う)。一部の分野での膨大な知識と鋭い洞察力を持っているが、思考力そのものは常人と変わらない。歴史の陰に暗躍する訳でもなく、ひけらかすことは無いにしても長生きしているサイモン・アークであることをことさら隠す訳でもない。
要するに本人が「1500年〜2000年くらい生きているよ。」という以外は普通の賢いおじいちゃんなのだ。奇妙な事件があると「オカルトに関連するかも!」と嬉々として駆けつけるが、大抵は種も仕掛けもある人間の起こした犯罪である。
私はこういったキャラクターを始めて見た。一風変わったおじいちゃんはたまにお茶目で特に奇抜なことはしないのに大変魅力的である。特に怪奇小説となると古今東西行き過ぎたキャラクターが多いし、彼らは人を引きつける。だからこそこういったとぼけた感じのキャラクターが面白い。
ホックの分は平明簡潔でわかりやすく、しかし必要充分なボリュームは饒舌でサイモン・アークの一挙手一投足が頭に浮かぶようである。要するに何がいいたいのかというと、キャラクターを確立させるのにあまり変なギミックはいらないのではないだろうか、と思ったのである、私は。それこそ作者の技量によってキャラクターというのは息づき、個性がついてくるのだろうかと思う。
そしてこのシリーズの大きな魅力が一つあって、10編の小説は発表された年代が異なるが、新しくなるにつれて作中の人物も年を取ってくることである。一番最近の話だと「私」はサイモン・アークと初めてであってから40年経っている。もう会社も引退した。しかしサイモン・アークは出会ったときからあまり年をっているように見えないのである!うーーん、これは流石!と思った。面白い。

事件はどれも昨今のミステリーが持っている派手さは無いが、地の文に何気ないヒントが隠されている正々堂々とした本格もので勘の良い人なら文章より先に真相にたどり着けるかもしれない。
作者の知識の豊富さがチラッとみえるようないぶし銀の作りで事件にも結構幅があって面白い。最大の魅力はやはり鋭い中にもちょっととぼけた感のあるサイモン・アークだろうか。
ラブクラフトのようなオカルト成分を期待してはいけないが、ミステリーが好きな人にはオススメ。

なのるなもない/アカシャの唇

日本のヒップホップアーティストの2ndアルバム。
2013年暮れにFLY N'SPIN RECORDSからリリースされた。

なのるなもないは日本は高田馬場のヒップホップ集団降神のMC。私が本格的に日本のヒップホップに触れたのは恐らく降神が最初ではないだろうか。彼らのセルフタイトルの1stアルバムはヒップホップの枠の中でかなり独特な内省的な世界を披露していた。そのバランスが門外漢の私には心地よく良く聴いた。続く2ndアルバム「望〜月を亡くした王様〜」では前作ではヒップホップというジャンルに無理矢理収めていたその個性でもって境界を浸食した様な、オリジナリティを突き詰めた様な作品で、その常人のヒップホップという認識を完全に裏切る様な(しかし同時にヒップホップでもあった)陰鬱な作風はネクラな私にはいたく刺さった。
その後降神の2人のMCはそれぞれソロアルバムを発表。なのるなもないの「melhentrips」(2005年)はそのタイトルの通り、メルヘンで暗くも暖かいその世界観に私はどっぷりハマってこちらも学生時代の一時期よく聴いておりました。

さてそれから8年(!)なのるなもないのソロアルバムの第2弾が発表され、私はそれを華麗にスルーし、あり得ないことだが3ヶ月後の今になって気づいてあわてて買ったという次第である。
お洒落なコラージュで構成された絵本の様な形に装丁されており(後ろには奥付がある。)、完全に彼の世界観であって、わくわくしてくるじゃないか。

さておよそヒップホップに限らない現代音楽では喜怒哀楽を始めとする感情を歌に込めて結果明るかったり、暗かったりする音楽性を確立することが多いのだが、そんないわば二項対立の方式からあえて距離を取ってなんともいえない立ち位置というかいわば別次元の世界観を確立するアーティストというのが少ないながらも存在する。その音楽性は感想にしても簡単に言葉に落とし込めることが難しいため、ともすれば難解と評されることもあるだろうが、そもそも感情なんてそのまま言葉に翻訳するのは無理に決まっていると考える私にとって、そんな変わった音楽に出会ってなるべくその音楽をそのまま聴いて何ともいえない感情がわき上がってくるのを体験するのが何ともいえない音楽を聴く上での楽しみの一つである。

なのるなもないもそんな”変わった”アーティストの一人で降神から始まってソロではその独特の世界観を突き詰めている。メルヘンとは言い得て妙で、人間に共通の感情をノスタルジックな物語性の文脈で語る(スポークンワードに近い形式を取ることもあって文字通り語ることもある。)ことで、普遍性を根底に持ちつつ夢を見る様な別の世界のお話に変換している様な趣がある。その世界というのは喜怒哀楽どれか一つ、暗い明るいどちらかでは表現できない、それらすべてが絶妙に混ざり合った音楽である。
形式としてはヒップホップということになるのだろうが、一見したところ大分趣が異なる。トラックはビートが太い音数の少ない、確かにヒップホップ由来のそれであるが、ドラムとベース音を組み合わせたビートの上にのるいわば第3の音が自由奔放である。暖かいシンセ音にとどまらず、ドローンめいたゆったりして曖昧な音像や、水のしずくが跳ねる様な音や鳥の声など自然由来っぽい音が見事に調和するようにコラージュされている。また曲によってはビートそのものが排除されている。
ラップは時に訥々と語る様なポエトリーリーディング・スポークンワードのように聴こえる。ビートが無いと本当に自然にしゃべっている様な、こちらに語りかけてくる様に聴こえるナチュラルさ。でもよく聴いてみるとなるほどそのリズム、曲によって跳ねるように繰り出される言葉のリズムがビートとハマっていて気持ちよい。うーん、確かにこれは大分遠くまで来てしまったようで実はきっちりとヒップホップだぞ、と気づく。(トラックの作りがしっかりしていることも大いに関係すると思う。)
曲によってなのるなもないのフロウ(使い方あってるかな…)に幅があって、ちゃんとすぐあ、これはヒップホップだとわかるものも沢山あるのでご安心を。
面白いなと思うのはフックの様なバースの様なわかりやすいサビの部分はあまり無くてページをめくるように次々と新しい展開が出てくる。それでいてこの聴きやすさはなんだろうか。マニアックなことは間違いないのだが、同時にその暖かくも少しかげりもあるその世界がすっと耳に入ってきて気持ちがよい。
リリックはもう完全に地上からふわりと遊離した様なメルヘンさがあるが、ある一節ではっと身につまされる様な鋭い現実性が潜んでいて沁みる。
「宙の詩」の全編なのるなもない一人の緊張感ったらないが、「melhentrips」でも共演したtaoらが参加する「STYX」のきらびやかさも楽しい。

この間紹介した同じ日本のヒップホップ集団SIMI LABとは全く異なる方向性だが、こちらもすごく良い。
私はヒップホップは詳しくないし、まして所謂本格的なヒップホップに関してはほとんど無知だが、それでも日本のヒップホップ(の少なくとも一部は)は本当面白いなあと思う。
というわけで本当すばらしい。滅茶苦茶オススメなので、是非視聴だけでもしていただきたいと思います!

アガサ・クリスティー他/厭な物語

「厭な物語」なんとも嫌らしいタイトルだが、本書は古今東西の後味の悪い厭な物語を11編も集めて一つの本にした日本独自のアンソロジーである。
最近ランズデールにハマっていて彼の本の絶版ぶりに憤りを覚えつつなんとか短編を読めるアンスロジーを探している中で出会った本。残念ながら本書に収録されている彼の作品は「ナイト・オブ・ホラー・ショウ」というタイトルで以前紹介したシルヴァー・スクリームに収録されている「ミッドナイト・ホラー・ショウ」とは訳が違うが同じ短編で、そういった意味では残念なのだが他にも面白そうな短編が収録されてそうなので買った次第。
一体後味の悪い作品というのは人を深いにして遠ざける反面、同時に何ともいえない魅力で人を引けつける。本書の解説でも書かれているが、私もこの道の大傑作ジャック・ケッチャムの「隣の家の少女」を読んで以来後味の悪い作品というものに何となく引きつけられている。後味が悪ければそれで良いという訳ではないが、あのすばらしいできばえを持った作品が何とも嫌な結末を迎えたときの、すりつぶされる様な読後感がなんとも癖になるものだ。
そんな需要にぶち込んできたのがこのアンソロジーで国境と時代を超えてただただ後味の悪い作品を集めたというまさに嫌らしい本である。
「夜鳥」のモーリス・ルヴェル、ミステリーの女王アガサ・クリスティー、「変身」のフランツ・カフカからマシスンの実子リチャード(父親と同じ名前)、前述のランズデールなど古典からモダンホラーまでと結構作品の幅は広いのではなかろうか。

いくつか気に入った作品を紹介。
パトリシア・ハイスミス「すっぽん」は母子家庭で起こるある悲劇について書いた作品だが、当然のように後味の悪い結末よりそれに至る過程がなんともいたたまれない。母親と子供の関係性で、お互い噛み合ない会話がこんなにもうら寂しいものだとは。
シャーリィ・ジャクソン「くじ」は村で伝統的に行われているくじに関する物語。前にも別のアンソロジーで読んだがやっぱり良い。発表当初批判されたのもわかる。こんなことは現代では起こらないはずなのに、なにか罪をとがめられている様な気がする。
フラナリー・オコナー「善人はそういない」は旅行に出かけたある家族に起こる悲劇を書いた作品で、このアンソロジーではこの短編が一番好きかも。祖母のキャラクターが良い。彼女は確かにトラブルメイカーだがこの結末を迎えたのは一体誰の所為かのか?と考えさせるようなその構成が意地悪かつ巧妙だと思う。完全に悪いことが起こるのはわかっているのに止める術無く終末に向かっていくラストの凄まじさといったらない。哲学者めいた半端者のキャラクターも良い。

その筋の有名な作品が入っているのでこういった話に興味はあるけどまだ良く読んでない人にはとても余韻じゃないかと。私の場合は知っている作品も知らない作品もあって楽しめたっす。全体的に枚数も少ないのでさらって読めるし。

2014年3月22日土曜日

Full of Hell/Rudiments of Mutilation

アメリカはメリーランド州オーシャンシティのグラインドコア/ハードコアバンドの2ndアルバム。
2013年にA389 Recordingsからリリースされた。
耳慣れないタイトルは「切断の初歩」でよいのだろうか?なんとも不吉なタイトルであることよ。
A389といえばこの間紹介したSeven Sisters of Sleepも所属しているレーベルだから、まあなんとなく音の方も想像できるのではないかと。

ちなみにアーティスト写真がこちら。
かなり人を食ったテイストに彼らのアティチュードが垣間見えるが、意外に素直に自分たちのルーツをさらけ出しているのかもしれない。
左からDarkthrone、Man is the Bastard、Cursed、Pg.99だと思う。
言わずと知れたプリミティブブラック(最近はちょっと違うけど)のレジェンド、パワーバイオレンスの創始者、スラッジいハードコア(実はこの中でCursedはだけは音源を持っていない。)、ダークなハードコアパンクと。
なるほどなるほど。これらのバンドからの流れを汲んでいることは理解できるのだが、このバンドはなんというか偉大なる先達に敬意を払いつつ、それよりさらにぶっ飛んだ音楽性を独自に確立しつつあるようだ。
基本はかなり粗い感じのドゥーム/スラッジメタルの要素を取り込んだハードコアなんだろうが、全編を覆うノイズが半端無い。この手のジャンルはフィードバックノイズと切っても切れないまさしくノイズな音楽性が売りの一つだが、このバンドはノイズ分が非常に過剰である。要するにやり過ぎなのである。ちなみに大好きだよ、私は、そういうのが。

のっけからキーーーンとしたノイズにちょっとくぐもったうめく様な絶叫が乗るという、ちょっとEyehategodの名曲「My Name is God(I Hate you)」を彷彿とさせる(こっちは全編ほぼノイズだが)いやぁな感じのオープニングナンバーから始まる全10曲。1分台の曲もそれなりで、長くても5分に届かないから本当竜巻みたいに終わるのだが、その内容の濃密さといったらない。
ドラムは中音を強調した質で叩きまくるスタイル、ブラストもあるが目まぐるしい曲展開の中で結構叩き分ける様な感じ。スラッジパートでも結構手数が多い。シンバルの連打はある種カタルシスめいた開放感を曲に与えていて気持ちよい。
ベースは硬質でソリッド。ガロンガロン動いていてやっぱりこちらもハードコア由来っぽい。スラッジパートではギターはほぼノイズだからベースがドラムと結構しっかりリズムを刻んでいる。いわばノイジーななかに聴きやすさを作り出している縁の下の力持ち的ポジション。
ギターはメタルに比べると幾らかは軽めの音作りなのだろうが、その分粒子が粗いざらついた音で、やはりハードコアなのか刻むというよりは縦横無尽に弾き散らすスタイル。一番の持ち味はフィードバックノイズでギーギーキーキーズゥオオオオと常人が聴いたらただの騒音じゃねえか、切れ切れと不満を漏らすこと請け合いのその凄まじさといったらない。一部の人にはたまらんよ、これは。
あとは多分ギターとは別にノイズを出している。きゅわきゅわした音や不気味な人の声のサンプリングなども結構効果的に使っている。
ボーカルは呻き、わめきまくるギャーギャーしたボーカルに、前述のMan is the Bastardを彷彿とさせるハードコア由来のふっといドスの利いた低音(ノットデス声)の2種類で畳み掛けるスタイル。ぅげええええっと正しく吐き出す様な不快なスクリームは結構聞き応えあり。あとは余韻を残す様な独特の悲鳴の様なスクリームが個人的にはツボなのでそこら編も非常にグッド。
曲によって、また曲中でも緩急を、それも0か100かの振り切ったスピードを嵐のように使い分けて突っ走るかと思ったら、地獄の様なスラッジパートに沈み込むその目まぐるしさ。なかでもアルバム中一番長い「The Lord is My Light」はほぼ全編圧殺スラッジで悪夢のようにうねりのたくるノイズ地獄は悶絶必死で、一気に加速する(といっても速度はそんなに速くならないのだが、)後半の展開が○。

ノイジーなハードコアというとこの間紹介したNailsがぱっと思い浮かぶけど、あちらは結構カッチリした印象なんだけど、こちらはもっと曲の輪郭が溶けてぐちゃぐちゃになった様なカオス感があってよりおぞましい。
ジャケット通り不愉快な音像で好きな人にはたまらないだろうというとても良いアルバム。
視聴してよかったら買ってみて損はないでしょう。

2014年3月16日日曜日

Morgue Side Cinema/Napalm Life

日本のロックバンドの1stアルバム。
2004年にCH Recordsからリリースされた。多分廃盤なんじゃないかな。
Morgue Side Cinemaは日本は大阪のバンドで、恐らく97年に結成された4人組。
2002年に「Domestic Predator」(既に廃盤)という音源をリリース、2006年にWhisky Sundayというバンドとスプリット(こちらはitunesで売っている。)をリリースしている。(どちらも未聴です。)
それ以来ひょっとしたらしばらく活動を停止していたのかもしれないが、彼らのFacebookページを見ると最近はライブ活動をしているようだ。
要するにあまり情報がないバンドなのだけど、たまたまYoutubeで目にした楽曲がとても格好よかったのでCDを探して買ってみた。

音楽としてはパンクということになるのだろうか。
大分独特だが魅力的なメロディがある。
といっても多くの楽曲は2分台だから短めではあるけど特別早くはないし、わかりやすいコーラスが入っている訳ではないから所謂メロコア(この言葉は今でも使うのかなあ)とは大分趣を異にする音楽性。
ドラムは軽めでスタタンタタンと叩いていく感じが気持ちよい。兎に角地の部分がやっぱりパンクだからリズムが跳ねていると思う。
ベースはソリッドで乾いたこれもパンク由来の音だと思う。グルグルいってこれも気持ちよい。
ギターは中音域を強調した音で勿論メタルとは全然違うが重みがありつつもギターという楽器の良さをそのままアンプで出している様なざらついた爽快さがある。こういうギターは兎に角ジャージャー弾くその様が格好いい。ギター担当は1人だと思うけど録音ではリズムギターの上にクリーンな音でつま弾く様な旋律が重ねられていて、これが何とも物悲しくてよい。
最大の特徴はボーカルでかなり独特のしゃがれてかすれた声なのだ。男らしいというよりは男臭い声でちょっとミッシェルガンエレファントのチバさんの声に似ているところがあると思う。こちらはビブラートっぽさはあまりなくて、演歌かってくらいの強い歌い回しが特徴。
彼らが集まって作る楽曲はパンクっぽさに富んだシンプルかつメロディアスなものなのだが、なにがすごいってその哀愁である。ちょっとその他のバンドではない様な物悲しさが楽曲に満ちあふれている。例えば物悲しさといっても鬱々とした暗さだったり、あるいは攻撃的な激情だったりに転嫁させて表現するバンドは沢山いるのだが、このバンドはからっとした明るさの中にちょっとした陰があってそれが私の心を打つのであった。
悲しいなあ悲しいなあという悲しさも良いのだが、明るい人が見せるふとした寂しさがグサっと胸に刺さる様な、そんな魅力があると思う。はっきり言って決して派手ではなくて、なんなら地味ですらあるのだが、それ故の飾らない不器用さというものがあって、それがこの独特の哀愁さの秘密であるように思う。
日記をハンマーでたたいて言葉を落としたような無愛想な歌詞も良い。突き放したような感じがするのに妙に優しい。

という訳ですごい格好いいアルバム。めっちゃ渋い。
文句なしにオススメなのだが、ちょっと手に入れにくいかもしれません。見つけたら是非確保してほしい。損はしない。
活動中ということなので是非是非新しい音源を出してほしい!

SIMI LAB/Page2:Mind Over Matter

日本のHip-Hop集団SIMI LAB(シミラボ)の2ndアルバム。
2014年にSummit(自主レーベルかな?)とP-Vine Recordsからリリースされました。
私が買ったのはハンディカメラで撮影したドキュメンタリーDVDがついている特別版。
前作「Page 1 : ANATOMY OF INSANE」はこのブログでも紹介しましたが、そこから3年ぶりの新作ということに。「狂気の解剖学」から今回は「事象を超えた精神」でしょうか。前作リリース後リーダーでもあったQNが脱退し(あまり良くない分かれ方だったようですが仲直りしたのかな…DVDでも脱退についてちょっと触れられてます。)、メンバーにも変遷が生じているようです。元々メンバーは結構沢山いてこれだ!って感じはない曖昧な感じだったと思うので、今回のアルバムに参加してる面々を紹介すると新リーダーOMSB、DyyPRIDE、MARIA、Hi'Spec、JUMA、USOWAは変わらずですが、新しくDJ ZAI、RIKKIが加わりました。

さて前作の後各々ソロ作品をリリースしたりしてスキルもあがっている期待感が自然に高まってくる今作、音の方はというとより深化した感じ。ファーストがどのくらい売れたのかはわからないけど、ヒップホップに詳しくない私が買ったくらいだから結構話題になったんじゃないだろうか。さすがに天狗になって日和るには早過ぎですが、それにしてもよりハードコアに研ぎすまされた新作になりました。ジャケットの雰囲気も前作が外で明るかったですが、今作は屋内で暗いものになっております。
全体的にトラックは音の数が減り、ビートがさらに強調されている印象。シンプルな作りながらも菊地成孔がサックスで参加したりしていて曲の幅が広がりました。曲によっては結構ノイジーな音が使われたりしていて意表をつく展開。
要するに格好いいトラックを作りつつも、やはりラップそのものを小細工で隠すことなく前面に打ち出したガチンコなつくりになっております。
みんなそれぞれ味があって格好いいのだけど特にDyyPRIDEとJUMAがよかった。
DyyPRIDEは相変わらず下ねたジョークで隠しつつ求道者めいた哲学を打ち出してくるスタイルでねっとりしたラップがよりスピードを増して偉いことに。
JUMAはちょっと不安定なところあるかな?と思っていたけど今作では露骨に上手くなったと思います。ちょっとひょうきんな言葉回しと跳ねるようなリズムが良い緩衝剤になっていて、紅一点のMARIAとともに結果曲の幅がぐっと広がっていると思います。

前作では日本という国で生活するハーフというある意味アウトサイダーな視点で、目立たないだけで確実に日本にも存在する人種差別を受けた経験をバネにヒップホップというフォーマットで彼らなりの鬱屈を見事にリリースした作品でした。俺たち変わっているけど何か?というまさに自己紹介的なアルバムだったと思いますが、今作ではそこからもう一歩進み、疎外感は引き続きモチベーションにしつつ、そこだけにとらわれない前向きなものになっています。面白いのはリードトラックの「Avengers」みたいにバキバキした攻撃的なトラックもありつつ、自己の内面に深く切り込んでいく様な内省的なトラックがアルバムの中で同居しているところ。1stでもその傾向もありましたが、今作ではよりその傾向が強くなった印象ですね。さらにその2つの要素を見事に融合させた様な楽しく聴けるんだけど、ストイックな雰囲気を持つ曲がすらっと出てきたり、これは面白い。特にタイトルトラックの「Mind Over Matter」と続く「Worth Life」は彼らの本領発揮という感じでベラボウに格好よいです。

今作も文句なしにすばらしい内容ですね。前作聴いたときも思ったんですが、ネガティブな主題を中心に据えつつ、やっぱり前向きな印象なんですよね。
ひねくれているんですけど、腐ることなくそのメッセージはまっすぐ前向きで聴いていて気持ちがいい感じ。
普段ヒップホップを聴かない人も是非どうぞ。オススメのCDです。

クリストファー・コンロン編/ヒー・イズ・レジェンド

アメリカホラー文学界の巨匠リチャード・マシスン(ご本人は2013年ご逝去。)へのトリビュート本。
現代ホラー文学界の最前線で活躍する第一人者達が集って、マシスンが書いた作品に関わる作品を新しく書き下ろし、それを集めるという面白い形式になっている。ありものの作品を集めてアンソロジーにするのとはちょっと趣が異なる。以前紹介した映画にまつわる恐怖短編を集めた「シルヴァー・スクリーム」もそうだったが、より統一感がある感じ。
マシスンというと一番有名なのは「地球最後の男」だろうか。2007年にウィル・スミス主演で「アイ・アム・レジェンド」としてなんと同タイトルの3回目の映画化がされている。(ちなみに本書のタイトルも同作にちなんだものです。)2011年に映画化された「リアル・スティール」もマシスン作。
巻末で瀬名秀明さんが解説の中で引用しているように、マシスンという名を知らない人でもマシスンの関わった作品を目にしたことがある人は多いだろう。というのも優れた文学作品は勿論、前述の「アイ・アム・レジェンド」もそうだが、自著が映像化されることも多く、また始めから映像となる作品の脚本を沢山書いていたようだ。かのスピルバーグの「激突!」もマシスンの手による。恥ずかしながらこの本を買うまでは知らなかった。昔12チャンネルの午後の洋画で「激突!」をみて手に汗握ったのは懐かしい記憶だ。
ドラマの脚本も多く、本国アメリカでは日本以上に影響力があるのだと思う。
本書ではクトゥルーものの著作も有名なラムジー・キャンベルが序文を書き、モダンホラー界の巨匠スティーブン・キングとその息子ジョー・ヒルの合作、「始末屋ジャック」シリーズのF・ポール・ウィルソン、マシスンの実子で脚本家として活躍するリチャード・マシスン、最近私がハマっているジョー・R・ランズデールなどなどそうそうたる面子が、マシスンが発表した作品にまつわる作品、例えば別の登場人物の視点で書いたもの、続編を書いたものなどを書き下ろしている。
恥ずかしい話だが、私はマシスンは早川書房から出版された短編集「運命のボタン」しか読んだことがなく、今作に収録されている小説の元ネタに関してはどれも読んだことがなかったのだが、それでも楽しめて読めた。
中でも気に入った作品をいくつか紹介。

冒頭を飾るキングと息子のヒルの合作「スロットル」。元ネタは追い越したトラックに執拗に追い回される「激突!」。スピルバーグの手になる映画がとても有名。
キングの息子のジョー・ヒルは以前「ホーンズ 角」という長編を読んだことあるけどとても面白かった。冴えない男の純愛物語でヒーローではなく角の生えた悪魔になって家族にさえ疎まれるけど孤軍奮闘して一度は失った恋人と再びよりを戻すという内容はネガティブな駄目男の神話みたいな感じでぱっとしない私にはグサグサ刺さりました。
乾いた砂漠でバイカーギャング達がやはり素性不明の巨大トラックに追い回される、という内容で私は元ネタを映画で見ていたこともあって、誰もいないひたすら伸びていく道路で鉄のかたまりに追い回される、というそのシチュエーションがすごく絵になって恐ろしい。4輪から2輪になって元ネタ以上に脆い感じが強調されているんではないだろうか。

ウィルソンの「リコール」は「種子(たね)をまく男」の続編。偽名を使っては引っ越しを繰り返し近隣の家々にたわいのないいたずらを仕掛けて隣人同士を不和に陥れる男の物語。始めはしょうもないなあ、と思うんだけど諍いが段々エスカレートしていくと緊張感が増してくる。元ネタでは人も死んでいるらしいし結構シャレにならない。今作でも平和だった界隈がにわかに殺伐としてくる。そこにあの男が!ということでカタルシス満載の短編に仕上がっている。ウィルソンのファンは絶対気に入ると思う。

何と言っても面白かったのが本書で一番枚数の多いナンシー・A・コリンズのてによる「地獄の家(ヘル・ハウス)にもう一度」。これは「地獄の家」という作品の前日譚にあたるもので、人里離れたカナダとの国境近くに建てられた豪邸で魔人めいた男が人知を超えた淫猥で残虐な快楽の限りを尽くした後に失踪。廃墟と化した屋敷には悪意を持った幽霊達が手ぐすね引いて蠢いているという。そこに大学の先生達が霊媒をともなって調査に赴き怪異に巻き込まれるというもの。いわば幽霊や敷物の正統を踏襲したものなのだが、邪悪としか言いようがない悪霊達のもう普通に生きているんじゃないのって位の生々しい騒ぎっぷりが恐い。是非オリジナルを読みたいのだが、現在では絶版状態みたいで残念。

解説によると原著はもっと沢山あるそうだが、邦訳するにあたって選定を行っているとのこと。他の短編も気になるところだな〜。
でもとにかく絶版になっている元ネタの復刊を望む次第。
マシスンのファンは勿論ホラーファンなら是非どうぞの一冊。

2014年3月9日日曜日

Nothing/Guilty of Everything

アメリカはペンシルベニア州フィラデルフィアのシューゲイザーバンドの1stアルバム。
2014年にRelapse Recordsからリリースされた。
Relapseといえばグラインドコア、ドゥームメタルを始め数多のエクストリームなメタルバンドを輩出してきた名門レーベルだが、昨今ではメタル以外にもその手を広げているようですなー。

「すべてにおいて有罪」というタイトル。真っ黒な背景に白い旗がはためくジャケットが印象的。真っ黒い旗はアナーキスト達のシンボルだが、真っ白い旗はいうまでもなく降伏のシンボルであるから、なかなかどうしてこれは一筋縄でいかなさそうではないか。
私とこのバンドの出会いは、昨年Relapseと契約したことがアナウンスされ、来るアルバムに向けて「Dig」という曲が公開された。確かBandcampで買ったのだが、無料でダウンロードしたのか忘れてしまったが、なんとなく入手したその音源にま〜〜やられてしまったのである。ざらついた轟音ギターにリバーブのかかった様なボーカルが乗るスタイルは間違いなくシューゲイザーであるが、しかしこの独特の暗さと憂いを満ちた儚さはどうだ。

私は「Dig」をヘビーローテーションしフルアルバムを心待ちにしたのだった。
そして2014年3月まさに満を持してリリースされたこのアルバムを聴けるということの嬉しさである。

ジャンルとしてはシューゲイザーということでよろしいかと。
歪めて音量をマックスにした様な轟音ギターにともすればバックの演奏にかき消されそうなな物憂いボーカルが乗るというスタイル。
ドラムは乾いた音でドタタドタタと結構重めにビートを刻むスタイル。
ベースは輪郭を曖昧にした様なもうろうとした音で水面下に潜むクジラのようにゆったりうねる。
ギターは粒子の粗いざらついた音で歪められた音が曲を引っ張る。フィードバックノイズも多めなラフな音像。
ボーカルは男性の声がベールの向こう側から聴こえるようにくぐもって浮遊感がある。
これらが一体となって曲を作っていく訳なのだが、もう全体に漂う憂鬱な感じがたまらない。シューゲイザーの魅力の一つに耽美な儚さと暴力的な演奏との相克があると思うのだ。音は凶暴なはずなのに、全体で聴くとドリーミィな方向に舵を取るバンドが多い中、このバンドNothingの暴力性はどうしたことだ。まるで破壊衝動の爆発のようだ。分厚い音が放射状に空間を埋め尽くさんとする執拗性、そんな凶暴さがあると思う。巨大な伽藍に響く様なエフェクトがかかったギターの引っ張る様な渦を巻く様なフレーズ。
その劇的な負の感情を無理矢理ねじ曲げてシューゲイザーという枠に押し込んだ様な、ともすると強引なその音楽性にはひたすら感服するしかね〜。安易に暴力的な音楽性をあえて採らず、なぜこの演奏にそのボーカルを…と驚嘆するそのひねくれたセンス。
この間紹介したAlcestは光に向かい外に飛び出したが、こいつらはひたすら暗く自分を掘り進んだようだ。これは偉大な空虚のような、そんな凄まじい憂鬱さが曲に横溢している。

一体なんでこんな音を鳴らすのだ、と疑問に思ってバンドのことを調べると結構面白いことがわかった。(以下は英語版のwikiの情報によりますのでひょっとしたら間違いがあるかもしれませんことご了承ください。)このバンドNothingは2011年Domenic Palermoという人物を中心に結成された。彼は以前Horror Showというパンクバンドを組んでかのDeathwishから音源をいくつかリリースしていたが(Deathwishのホームページで何曲か視聴可能です。なかなかハードコアパンクですな。)、喧嘩相手を刺してしまい凶器による傷害と殺人未遂で逮捕、2年刑務所に入ることに。出所後4年間彼は人生をどうしたら良いのかわからなくなり、毎日死ぬことも考えたが、ようやっとまた音楽をやることにして結成したのがこのバンドだそうな。劇的な話だが「間違いを犯してしまった男がバンドでもう一回やり直す」話にしては簡単すぎるよな〜。喧嘩とはいえ人を刺してしまうというのはこれはもう犯罪だもん。良い話として賛美するには重すぎるよね。私としてはさされた人とDomenicが死ななくて本当に良かったと思うよ。そういったドラスティックな経験がこのバンドの破壊的な反面妙に諦観めいた空虚さを抱え込んだ音楽性をすこしは説明するよすがとなるのかもしれないね。

という訳でオイオイこれはスゲエ。予想より大分スゲエ。Alcestの新作もすばらしかったが、個人的にはざらついて救いのないこちらにもシューゲイザーというジャンルの新しい地平線を見たようだ。Alcestの新作を買った人は是非こちらも聴いてほしいと強く思う。
いやいやいや3月にしてもの凄いCD買ってしまったな、という感満載の超オススメ盤。たくさんの人に聴いてもらいたいね。さあはやく買うんだ。

Bandcampでアルバムの曲が視聴できる。兎に角「B&E」という曲を聴いてみてほしい。



Schoolboy Q/Oxymoron

アメリカ在住のヒップホップアーティストによる3rdアルバム。
2014年にInterscope Recordsからリリース。
Schoolboy Qを知っている?私は知らなかった。Amazon先生にオススメされて覆面をかぶった男のジャケットが気になって視聴したら気に入って買ったんですよ。
調べてみるとSchoolboy Qは1986年生まれの27歳。元はドイツで生まれたが今はアメリカはカリフォルニア州ロサンゼルスに住んで音楽家として活動している。彼はBlack HippyというHip-Hop集団に所属していている。そこにはKedrick Lamarというラッパーもいて、彼が成功を収めたのでSchoolboy Qも注目を集めたらしい。(wikiより。)なんだか友達が有名になったので隣にいた彼もそれなりにまあ〜みたいな書き方でちょっと失礼だよね。まあ本当にそうなのかもしれないけど。

ヒップホップってなんでしょう。私の認識ではサンプリングとともに発展してきたジャンルなのかな?という認識がありました。つまに既に発表された曲の一部を切り出してつなぎ合わせてトラックを作り、その上にラップをのせるのがヒップホップだ!という訳です。まあこの認識が本当にあっているかどうかはわからないんだけど。
ところがありものをつなぎ合わせなくても全部自分でやれば良いんじゃないの?と誰が言い出したのかわからないのですが、現在ではヒップホップミュージックでは勿論サンプリングオンリーで作っている訳はないので、ちょっとした縛りもなくなって楽曲の幅がぐ〜んと広がってきました。私はたまにTVでビルボードのヒットチャートを見てヒップホップを始めとしたブラックミュージックの音の使い方の自由さにたまげることがあります。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、このSchoolboy Qのアルバムもそういった新しい種類のヒップホップミュージックの範疇に入るのではないでしょうか。恐らく自前のビートにのせて結構自由にラップをしている印象です。音はそうなのですが、スタイルとしてはそこまで前衛的ではない純然としたヒップホップなのでかなり聴きやすいです。
実はいざ買って聴いてみると結構思っていたのと違ってビックリ。もっとイケイケな感じかと思ったら意外にも結構内省的な音作りになっています。ヒップホップということもありやはりバックの音はほぼほぼビートが主体のシンプルな構造ですが、全体的に結構暗めな雰囲気。音は冷たくミニマル。ただしヒップホップ特有の跳ねる様な躍動感があって暗いながらも体が動いてしまう様な気持ちよさがありますね。前から思っていたのだけどヒップホップはビートだけ聴いても結構格好いい。ちょっとくぐもった様なバスがビートを刻んでいるだけなのにな〜、これは結構不思議。
ラップの上手い下手はよくわからないのですが、ちょっとしゃがれた様な声で矢継ぎ早に言葉を繰り出してきます。一見そんなに早くないかな?と思うんですけどよくよく聴いてみるとパートによってはよく舌を噛まないな!と感心。この人は結構きれいなラップをしていて言葉が本当にするするっとつながって聴こえる様な気持ちのよさがあります。
ビートがシンプルな分露骨にスキルが注目されるのがヒップホップミュージックですが、独特の音作りをする割には、そこに隠れる様なことがない清々しさがあって、例えばイケイケなカエル見たいな声でギャングスタっぽさをアピールしたり、自分の内側に切り込んでいく様なサイレントな独白の様なライミングをしたり、ピアノをバックに意外にフックのある歌い回しをこなしたりとなかなか器用。

アルバムのタイトルは不思議な語感ですが、矛盾した概念を一語や一文に集約する修辞の技法のことを言うらしいです。新しい音を使い、伝統的なヒップホップミュージックに敬意を払ったスタイル。そのの中にちょっとした陰を落とすような独特の暗いストイックさが格好よいアルバムだと思います。
ぼんやりなんとなく買ったけどこれは良い買い物をしました。オススメっす。

Alcest/Shelter

フランスのブラックメタル/シューゲイザーバンドの4thアルバム。
(バンドの読み方はアルセなのかあるセストなのか…)
2014年にprophecy productionからリリースされた。
私が持っているのは簡単な写真集みたいになった豪華版みたいな仕様でボーナストラックが1曲収録されたディスクがくっついております。

さて元はと言えばPeste NoireだとかMortiferaだとかいった玄人嗜好なブラックメタルバンドで活動していたNeigeパイセンですが、いつのまにか耽美というよりは夢見心地なシューゲイザーに傾倒してみたらこれがなかなかどうして大ブレイクしてしまったという感じなのかどうかはわかりませんが、Alcestの1stが発売されると結構日本でも好意的な評価が多く見られたように感じられ、2ndそして3rdと発売するたびにその人気も高まってきたように思います。元々音楽的な親和性もあったのかと思いますが、近頃ではブラックメタルバンドがシューゲイザーを色濃く打ち出したアルバムを発表することも珍しくはないのかもですが、そのムーブメントを強く後押ししたのもNeigeさんによるところがありそうですね。
元々出自がガッチリブラックメタルの人なので過去作なんかでは結構金切り声の様なスクリームを聞かせたりしておりましたが、今作ではそんなブラックさもほとんどなくなってドリーミィな方向に完全に舵を取った様なそんないさぎの良い作品になっております。

ギターはよりクリーンになり、ドラムはちょっと奥に引っ込んだように感じられます。ボーカルはゆったりとした余韻をはらんだように尾を引くエフェクトがかかった様なはかなげなもので、スクリームは皆無。
ジャケットの写真のように光に満ちたキラキラした作風で、基本明るめなのだがちょっとしたメランコリックさが影を落とす、そのバランスがとても良いす。
今作の魅力は曲の間だと思うんですけど、曲がちょっと長い(6分くらいだけど)分、結構贅沢に間を使っていますね。例えばギターがちょっとつま弾かれるところだったり、ふっと一息ついてドラムがビートを刻んでいるところだったりが非常に空間的な広がりを持っていて気持ちよく聴こえるんですよね。ゆったりしている感じ。
個人的にはたまに厚くなるギターが好み。フィードバックノイズではないんだが、やはりギューーと後に残る様な余韻がたまらん。ブラックメタルかといわれると最早違うんだと思うんですが、やはり通常のシューゲイザーのアプローチとはちょっと違うように聴こえました。クリーントーンでくるくるトレモロするのも結構気持ちがよいすね。
あとはNeigeさんの歌ですかねー。ちょっと特徴のあるへろ〜とした感じが魅力的なんだけど新作を出すたびに良い意味で落ち着いてきているというか、風格が出てきたのかな?単に上手くなったのかもしれませんね。前はもうちょっと引っ込んだ感じでしたが、今作は結構グイグイ前に出てくる様な印象。ちょっと不安定なところがあるのでひょっとしたらこういった曲調の方があうのかも。(Mortiferaの「Ciel  Brouile」(ちなみに超がつくほどの名曲なので皆さん問答無用で聴いてください。)みたいな独特の鬼気迫った歌い方も好きなんだけど。)

という訳でみんなもう買っていると思うけど良いです。私は前作より好きです。ファンの人ならきっと気に入るかと。
ちなみにボーナストラックは女性のボーカルがグイグイくるかなり良い曲なんで、お金に余裕がある人は豪華版を買った方がいいんじゃないかと思います。と思ったらitunesで普通に買えるみたいだな。まあ良い曲なんでこっちも聴いてみてよね。


ジョー・R・ランズデール/罪深き誘惑のマンボ

アメリカの作家によるミステリー小説。
以前紹介したこの作者による長編小説「ボトムズ」が大変面白かったので、別の長編も買ってみた。バディもので不可解な事件に挑んでいく様はまさにミステリーだが、主人公2人が警察官でも全くない一般人なのが面白いところ。

テキサス東部に住む日雇い仕事で糊口を凌ぐ冴えない40代の白人ハップ。その友人で筋骨隆々、弁が立ち喧嘩っ早いゲイの黒人レナード。2人はレナードの隣人への放火の罪をもみ消してもらうために知り合いのハンソン警部補の失踪した恋人を隣町に探しに行くことになる。彼女フロリダはハップの別れた恋人で黒人の弁護士、かの町にはとある黒人が刑務所で首を吊った事件の真相を調べにいったとこのこと。その町グローブタウンは現在でも黒人差別が苛烈を極めKKKの様な組織が生意気な黒人を制裁して回っているという。果たしてフロリダ失踪の真相とは…

実はこの本の主人公ハップとレナードのコンビは作者の人気シリーズで(アメリカでは11作が刊行されている。)今作はその第三作目にあたる。第一作目は邦訳されていないが、他に二、四、五、七作目が一応邦訳の上出版されている。(一応というのは既に絶版であって新品はきわめて手に入れにくいからです。)
前にも書いたが女性の失踪だから一応これは刑事事件の範疇に入ると思うのだが、主人公2人は警察官ではないし、なんならゴロツキヤクザものとはいわないがなんともダメダメな感じがする大分変わり者であって、いわばちょっとしたアウトローだから結果他のミステリーとは一線を画す様な作品になっている。
兎に角下品で軽妙な会話がこの本の大きな魅力の一つで、主人公2人は勿論登場人物が喋る喋る。一癖も二癖もある連中だらけだからマシンガンのように繰り出される会話の中身というのもこれはまたかなり苛烈なことになっている。軽口といえば聞こえは良いがちょっとおいそれと口に出来ない様な下品で猥雑な内容が歯に布着せぬストレートさでこれでもかと繰り出される。会話の8割がけんか腰だし過剰に暴力的である。ブラックなアメリカンジョークが満載の犯罪映画を見ている様なアクの強さがある。私には多いに魅力的だが、ひょっとしたら受け入れられない人もいるかもしれない。

さてハップとレナードはやる気と行動力はあるものの、一般人であるから科学的捜査は勿論できないし、名探偵でもないから推理力も抜群というわけにはいかない。おまけに黒人差別の色濃い町にゲイの黒人を連れて行くわけだからこれはもう悶着が起こらない訳がない。レナードは「世界一頭の切れる黒人」を自称し、売られた喧嘩はウィットに富んだ啖呵を切って片っ端に買っていくものだから、事件を解決するどころが彼らが関わったことで混迷をきわめて行く訳だ。
「ボトムズ」と違って主人公2人が明るくへこたれないから閉塞感はそこまでじゃないし、絶望感もそれほどない。じゃあ底抜けに明るいドタバタ犯罪小説なのかというとそんなことは全然ない。「ボトムズ」でもあったが、今作でも未だに尾を引く人種差別の醜さというものをこれでもかというほど書いている。この作者の巧みなのはその残酷さやおぞましさを見事に軽妙な軽口の中に塗り籠めたのだ。一見明るいし、確かに読んでいて小気味よく面白い。ただしいやな後味のように隠されたメッセージがじんわりと効いてくる。
徹頭徹尾重いテーマを扱えばピュアな分重すぎて読み物としてはうんざりしてしまう。そこを旨く煙に巻くように甘い味で包んで「はいキャンディです」ととばかりに差し出してくる作者はさすがであるなと思う。
圧巻は凹まされた主人公2人が立ち上がる後半で、同じ作品かと勘ぐりたくなるくらいシリアスになってくる。不器用な2人の友情と生き方に思わず拳を振り上げたくなる様な熱い展開に快さいを叫びたい。

という訳で非常に面白かった。
会話で魅せるお手本の様な小説だと思う。まあだまされたと思って手に取ってほしい一冊。
兎に角シリーズの他の本が読みたくて仕方がないので、角川書店には是非重版を御願いしたいところ。こんなに面白いのにみんな一体なぜ読まないのか!!
電子化もされていないようだし、中古はあんまり好きじゃないのだが買うしかないかな。

2014年3月2日日曜日

ジョー・R・ランズデール/ボトムズ

アメリカの作家による長編小説。
2000年にアメリカで発表されアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞を受賞。2005年に邦訳の上日本で発売されました。
以前このブログで紹介した映画をテーマにしたホラーアンソロジー「シルヴァー・スクリーム」に収録されていた「ミッドナイト・ホラー・ショウ」(超恐い。)にいたく感動して是非著者の他の話を〜という訳でこの本を手に取った次第です。
作者ジョー・R・ランズデールはこの本以外でも様々賞を獲得しており、アニメ版バットマンの脚本も担当したことがあるとか。Wikiによるとなんとマーシャルアーツの実力者でもあるそうです。

老人ホームで寝たきりの生活を送るある老人は70年近く昔のことを思い出す。
1933年テキサス東部に暮らす「私」こと11歳の少年ハリーと妹のトムはある日怪我をした愛犬を安楽死させるべく入った森(地元ではボトムズといわれる深い森)の奥深くで、つり下げられ全身を切り刻まれた黒人女性の全裸の死体を発見する。森に棲むといわれるゴート・マンの仕業だろうか。治安官であるハリーの父親は捜査を開始するが人種差別の蔓延する世相なのか黒人が被害者の捜査は遅々として進まず、ハリーは半ば巻き込まれるような形で独自の捜査を開始するが…

形としてはミステリーとなると思いますが、主人公が少年でまた1930年代の田舎が舞台ということで科学捜査や組織捜査は当然望むべくありません。
隣人たちのうわさ話や凄惨な死体に残された少ない手がかりをもとに捜査が進んでいく訳なのですが、進んでいくというよりは現在進行中の出来事にある種流されているような感じ。とはいえそこで11歳の少年がそのちっぽけな体で何が出来るかという話でもあります。いわば少年の成長物語ともいえるのですが、ちょっと簡単にさわやかな成長物語といえないほど凄惨な要素を含んでいる作品になっています。(とはいえ物語自体は真っ暗な訳ではなくて、少年ならではの明るさや楽しさも同じ位豊かに書かれています。この古き良き時代の表現の巧みさは是非読んでいただきたいところ。)彼は誰と対峙するのか殺人鬼ゴート・マン?確かにそうかもしれません。でも実は彼はもっと大きいものと戦っているのでした。それは一体何か?私はそれはその時代そのものだったんだと思っています。
この本では中心に殺人があるのは間違いない。いっこうに進まない捜査の向こうに不気味な角ある怪人(もしくは悪魔)ゴート・マンの陰がちらつきます。しかし彼が捕まらないのは時勢の所為もあるのです。殺されたのが黒人ならば白人社会はとくに何も感じないのです。ただし白人が殺されたとなれば話は別でそのときは白人の群衆は証拠がなくたって怪しい黒人をリンチして殺してしまってそれが正しいと思っているのです。
そんな嫌らしい描写がこの本意はふんだんに盛り込まれていて、無教養だけど聡明な父親と母親に育てられたハリーはそんな大衆の愚かさと暴力性に果敢に立ち向かっていくのです。こんなこといったらアレですが、真犯人なんてある意味おまけみたいなもんなんです。
私は黒人差別とKKK団がこんなにも醜いものだなんて、この本を読むまで本当は知らなかったんだなと思いました。今思い返してあれは間違いだったというのは簡単ですが、もし自分がその時代に産まれて生きていたなら絶対に黒人を吊るせと叫んでいたんじゃないかと思います。そこがこの本の本当に恐ろしくて読者に訴えかけてくるところじゃないだろうか。(念のためお断りしておきますが説教臭い本ではございませんよ。)
主人公を治安官の父親ではなく子供にしたのも最終的に差別に対抗するのは暴力ではなくて意思の力なんだ、それは子供だろうが大人だろうがみんなが持っているんだ、という作者のメッセージなのだと思いました。

例えばフロスト警部シリーズもそうですが、巧みな筆致の面白い物語の中に犯罪の本当の恐ろしさや被害者の無念さを見事に封じ込めるようにかける人たちというのがいて、この本もそんな作者の手によって書かれた恐るべき一冊なのだと思っています。エンターテインメントとしては申し分ないのだが、その身に恐ろしい毒を秘めているようなそんな中毒性があります。罪と悪意と差別に対する深い反抗心があってそれが作者にこういった話を書かせるんじゃないかと思います。そしてそれが私を猛烈に感動させるのです。

あとはなんといっても主人公の父親が格好よかった。寡黙で冷静沈着ですが、焼きもち焼きで落ち込んで酒に溺れたりするあたりが人間臭くて非常に好感が持てました。癇癪持ちは彼の欠点として書かれていますが、本書の中で癇癪を文字通り爆発させた彼の姿に快さいを叫んだのは私だけではないはず。
ラストもすばらしく純粋に緊迫したサイコサスペンスとしても一級の出来ではないでしょうか。

というわけで非常に面白い本でございました。
文句なしにオススメでございます。

他の本も読みたいのにほとんど絶版状態じゃねーか、くわーーー。

Cynic/KINDLY BENT to FREE US

アメリカはフロリダの皮肉屋Cynicの3rdアルバム。
2014年にSeason of Mistから発売されました。
私が買ったのは歌詞の和訳がついた日本版でマーキーインコーポレイテッド株式会社から発売されております。(当初はボーナストラックが着いているとアナウンスされてなかったっけ?買ったらついてなかった…勘違いかな。)

Cynicは元々デスメタルバンドでしたが、結成当初からテクニカルかつプログレッシブな要素をいち早く取り入れたある意味生きる伝説のようなバンドです。私は日本独自の編集版を買ってみてとても良かったのでその流れで今回のニューアルバムを買った次第です。
どうも調べてみるといろいろとメンバーの変遷があるようだが、このアルバムに関してはギター/ボーカルのPaul MasvidalとベースのSean Malone、ドラムのSean Reinertという3人で作られたそうです。バンドの中核となっているのはPaulとReinnertの方のSeanの2人のようですね。

以前紹介したこのアルバムの前の音源にあたるEPではほぼほぼデスメタルの要素はフレーズの端々に面影が見れる位のニュアンス。曲に関してはキラキラとした要素のあるロックで、前衛的なプログレッシブさは巧みに作成された曲の背後にどっしり構えつつ、単純な曲の出来の良さを前面に押し出したような聴きやすい作りでした。マニアックなのにとてもキャッチーというバランス感覚に富んでいたような印象です。
そのEPから2年経って発売された今回のアルバムですが、基本路線自体は変更ないのですが、ディテールは結構違ってきているようです。
基本はプログレシッブなメタルですが、デスメタルの要素はほぼもう見られません。ちらっとみえるようなフレーズは皆無といっていいんじゃないでしょうか。勿論多分にテクニカルですからバンドやっている人とかはデスメタルの要素を結構見つけられるのかもしれませんが。バンドの特徴だった不気味な無機質なヴォコーダーの使用もみられません。(エフェクト自体は曲によってかけてます。)楽器の音はより乾いたカッチリしたものになっています。ヴィンテージ感すら漂うロック風味がかなり前面に押し出されており、前作にあったオルタナティブなちょっとキラキラしたようなわかりやすさに関しても鳴りを潜めています。
ドラムは乾いた音で比較的軽めの音質でたすんたすんとならす様は気持ちよい。ここぞって時に突っ走るのですがそれが気持ちよい。
ベースが結構特徴的でフレットレスベースを使用しているとのことですが、非常に主張の強いぐろんぐろんもこもことした独特の音質です。こいつが縦横に動き回る様はなかなか気持ちよい。ぱっと聴いたところすぐにプログレっぽいなと思わせる感じ。
ギターはこちらも乾いた音質ですが、結構音の幅が広くてクリーンで伸びやかな音が主体ですが、アコースティックな音質だったりメタルっぽいキンキンとした音質だったりとかなり多様な音像を見せております。結構細かいフレーズをすらすら流れるようなイメージ。
ボーカルはほぼクリーンなスタイルで曲によってはエフェクトをかけていますが、メタルの持つ不気味さを演出しているようには聴こえません。ちょっとささやくように歌うところと伸びやかに歌うところのコントラストが良い感じ。
はっきりいって全体的にはちょっと地味といっても良いくらいかっちりまとまりが良いのですが、個人的にはこのバンドの魅力聴きやすいメロディーが曲の随所に見られていて、始めはおどろいたもののよくよく聴いてみると気持ちいいです。
私がプログレッシブというジャンルに詳しくない所為かもしれないのですが、曲の中また曲毎にかなり違った趣があるのですが、アルバム全体を通して聴くと不思議と一体感のあるような印象があってそれが面白い。

ファンの人はもう買っていると思いますが、普段プログレッシブを聴かない人たちも結構すっと聴けてしまうんじゃないでしょうか。

heaven in her arms / COHOL split CD release tour 2/23@渋谷Eggman

昨年9月にリリースされたheaven in her armsとCOHOLのスプリットCD「刻光」。
大変すばらしい出来で私も僭越ながら拙ブログで感想を述べたりしましたが、その発売にあわせて2つのバンドが日本各所をツアーで回っております。
2014年2月現在まだツアーは続きますが、一回東京に帰ってきてのライブが23日に渋谷で開催されることになりました。
実は私は恥ずかしながら全くこのライブに気づかず、ダラリとしていたところこのブログにコメントを書き込んでくれたJakeさんからチケットを譲っていただきまして、へへへと締まりのない笑みを浮かべてせかせかと足を運んできた次第です。Jakeさんどうもありがとうございました!

Eggmanは初めていきましたが、ライブハウスで小さいながらもそれなりの大きさのバーカウンターを備えたお洒落なライブハウス。ステージ前が一段低くなっておりますが、それが半円形になっているのが一番の特徴でしょうか。ステージ近いな!というのが最初の印象。
18時開場で18時半開演。私がギリギリに到着するとちょうどトップバッターが演奏するところでした。既にお客さんは結構入っていました。

Boris
まずはBoris。見るのはLeave them All Behind以来だから結構ご無沙汰ですね。
同じ東京出身の若手2バンドを大先輩のBorisが盛り上げるような形でしょうか。
スラーっとメンバーが入場して演奏開始。音がでけー。強烈なノイズで開始。しばらく苛烈なドローンを披露した後、ロックい曲に流れ込む様は目を見張る格好よさ。
ドローンといってもザラザラして乾いた音が結構ロックなので、特にライブではとても聴きやすいと思いました。ロックバンドの進化は多様の一言につきますが、そのままノイズの方向に舵を取るにしても意外にも素直に移行した感じがあって、それが却ってオリジナリティとなっているのかな?
新しめのアルバムから比較的キャッチーなナンバーを披露した後Atsuoさんが「後の2バンドは光を刻むので(スプリットのタイトルは勿論「刻光」)、僕らは闇を」といって闇Boris全力発揮モードへ。あら意外に静かな?と思いきやズブズブと沈み込んでいくのでした。最後はドラムレスのパワードローン。Atsuoさんがダイブしてきて終了。
さすがの貫禄でござんした。スモーク炊き過ぎで会場の火災報知器がなってましたね。演奏の一部と思ったら警報だったという。

Cohol
さて次のバンドなんですが、セッティング変更中は白いカーテンが引かれてよく見えない。Twitterなんかを見てればバンドの演奏順がわかるんですが、潔くチェックしていない私は次はどちらのバンドかわからんな!と多分会場で一人わくわくしてました。Coholはこの間のPortalのライブで見ていたので、ギターの音出しでお!とわかりました。
アコースティックギターの静かな音色から嵐のような曲展開での幕開けにテンションあがりまくり。
ドラムの威圧感が半端無く、ツーバスの上にシンバルやタムがずらっと並ぶ様はまるで戦車のようで、叩きっぷりがすごい。兎に角叩く叩く。ちょっと頭を振るのを忘れて見とれてしまったほどでした。竜巻のようなギターリフは兎に角気持ちがよい。端々にちょっとしたフレーズを入れるのがライブで聴くと映える。ベースはもこっとした音とエッジがたった音を使い分けていて3ピースながら幅があって楽しい。
ItaruさんのアツいMCも良かったですね。真っ黒な曲とのギャップが面白いですが、よく考えればバンドをして曲を作るというのはきっとどんなモチベーションにしてもなかなかエネルギーを使うとても生産的かつ能動的な行動だと思います。そう考えると俺たちはやりたいことを突き詰めたら自然とこういう曲つくってライブしているんだよ!というMCは素直に格好いいものだと思います。
強いていうなら双方のボーカルの音量が弱かったような。演奏の裏に隠れてしまった印象で、もう少し強く出しても良いのでは、とも思いました。

heaven in her arms
最後はheaven in her arms。ライブを見るのは初めて。結構このバンド目当てのお客さんが多かったんじゃないかなと思いました。フロアの雰囲気がちょっと変わったような印象。
メンバーが出てくると思っていたより若い印象。Coholも同じくらいだろうけど覆面かぶってたり長髪だったりでちょっと特異な印象ありますからね。
ギター3本のアンサンブルがとても気持ちよい。とくにざらついた轟音にクリーントーンの単音のフレーズを入れてくるアレはやっぱり気持ちよい。音のバランスを作るのが相当旨いのではないでしょうか。どの音もきれいに分離して聴こえました。ベースの人はデロンデロンしてて良かったっすね。
聴いてて思ったのはやっぱり由来がハードコアのような気がしました。はっきり言えないんですが、やっぱりちょっとメタルとは違いますよね。トレモロいリフはブラックメタルに通じるところはありますが、曲全体的にみるともうちょっと硬質でクリアな印象。
個人的には声明から痣で埋まるの流れが格好よかったっす。あれは卑怯。
こちらのバンドも結構アツいMCが好感を持てました。
最後にアンコールを1曲やって終了。

というわけで3バンドとも堪能させていただきました。
とても豪華な布陣でした。重ね重ねチケットを譲ってくれたJakeさんに感謝。
ブログやってよかったなー。

Crosses/Crosses

アメリカのニューメタルバンドDeftonesのボーカリストChinoのサイドプロジェクト。
2014年にSumerian Recordsからリリースされた1stアルバム。

Crossesはオフィシャルサイト含めて†††という記号で表記されたりしている。
また曲のタイトルには1曲(その1曲だけは十字架文字一個でタイトル。)をのぞきすべてTの文字が含まれていて、それが前述の十字架の特殊文字に置き換えられている。
2011年にChinoの幼なじみの友人で隣人だったFar(Deftonesと共演することもあったそうな。)というバンドのギタリストShaun Lopezと謎の男Chuck Doom(この記事によるとサウンドエンジニアだったんだろうか。)の3人で結成。今までにネットでEPを2枚発表していて、今回のアルバムはそのEPからの曲も含めた構成で発表された。

バンド名の記号表記や全体的にモノクロを基調としたややぶっきらぼうでシュールなデザインセンスからするとウィッチハウスか?という疑問が当然起こる訳で。たしかに2011年といったらそこら編が盛り上がった時期。お、流行に乗った?という印象。
たしかにエレクトニクス主体の曲の構成の中でも、もったりとした独特のビート、空間的広がりのあるシンセ音などなどはウィッチハウスの影響下にある要素といえるけど、ちょっと曲を聴けばこのプロジェクトがビッグネームが単に流行に乗ってみただけの軽薄なバンドではないことはすぐにわかると思う。
はっきりいって全体を通してウィッチハウスだと断言する奴はいないんじゃないだろうか。なぜかって簡単でこのバンドの曲はすべてロックの手法で作られている。ギターは入っているもののドラム、ベースのバンド編成ではない。音自体は繰り返しになってしまうがエレクトロニクス主体で作られているのだが、曲自体はロックの解釈である。
冷徹な機械由来ビート(曲によって結構バリエーションがあって面白い。)が比較的ゆったりとした土台を作り、余韻を残すような独特のシンセ音徐々に広がっていく。そこにChinoの歌声が乗ってくるのだが、これがもう完全にChinoが歌っているのだ。変に気取っている訳じゃない。エフェクト盛りだくさんにする訳ではない。スクリーム成分はきわめて少なめ(なくはない。)であの独特の歌声で艶やかにかつ伸びやかに歌い上げるのである。むしろDeftonesと比べるとバックの演奏陣がそこまで饒舌ではないから(つまらない訳ではない、種類が違うのだ。)、より歌声に比重がよるようなイメージ。
Deftonesのスクリームはそれはすばらしいものだが、すこしウェットな感じのChinoの歌声は歌ものにすごいあう。ISISのメンバーと組んだ別プロジェクトPalmは孤高なイメージがあって曲もアーティスティックだが、こちらはもっとのびのび自由に歌っている感じ。
さらにバックの演奏陣がかなりマニアックにかつ成功に音を作っているので単にPopで売れ線な歌ものに成り下がらないところが面白いところだろうか。ウィッチハウスの影響を飲み込みつつその豊富な音楽キャリアによって(ウィッチハウスの)そのアクの強い音楽性を消化した上に、さらに独自の指向性を持たせている。

日和ったサイドプロジェクトと思うなかれ。Palmもすごかったがこちらもかなりすごい。
Deftonesファンは勿論、ちょっと変わった音楽好きな人にもお勧めできるとても良いアルバム。