2014年5月18日日曜日

デニス・レヘイン/闇よ、我が手を取りたまえ

アメリカの小説家によるボストンを舞台にした探偵小説パトリックとアンジーものの前に紹介した「スコッチに涙を託して」に続く第二弾。
1996年にアメリカで発表された後、2000年に邦訳されて日本で出版された。
原題は「Darkness,Take My Hand」だから今回はほぼそのまま翻訳した感じ。

ボストンで私立探偵を営むパトリックとアンジー。アンジーは暴力亭主と別れたものの2人の関係に進展は無く、パトリックは女医のグレイスとその娘メイと幸せな日々を送っていた。ある日旧友のエリックから彼の友人である精神科医のディアンドラの依頼を受けるよう依頼された2人。話を聞くとディアンドラの息子ジェイソンの身がアイリッシュ・マフィアに狙われているという。マフィアの恐ろしさを知っているパトリックは躊躇するが、アンジーの提案で引き受けることになる。調査を始めた2人だが、事態は全く予測のつかなかった方向に向かい、2人の生命を脅かす危険をはらんでいく。

前作があんまり面白かったもので、立て続けに続編を購入した訳だが、まず厚さがぐっと増えボリューム満点。中身の方もより派手になって凄まじい読み応え。
前作はマフィアを軸にした物語だったが、今作はなんと主人公の地元であるボストンの比較的貧しい地域に20年にわたって密かに行われて来た連続殺人が軸になっている。被害者はどれも酷く猟奇的な拷問の上殺されており、事件は未解決、おぞましい死体の山がその高さを増していくというハリウッドお得意のサイコパスを相手に迎えたスリラーの様な展開である。面白いのは形は派手なスリラーだが、あくまでも前作から引き継いだハードボイルドな私立探偵のやり方で物語が書かれて進められるところだ。皮肉とウィットに富んだ、しかしどちらかというと平明で簡潔な文体。機関銃の様に繰り出される軽口。そしてそれらが隠しきれていない何ともいえない暗さをはらんだ物語。
派手なサイコスリラーが捜査の進展とともに外に進んでいくとしたら、この物語は捜査を進めるに従ってどんどん内側に沈み込んでいく様な趣があって、主人公は災いの中心に巣食う闇に相対することによってむしろ追いつめられていくように見える。
読んでて思ったのはこれちょっとスティーブン・キングの「IT」に似ている。道化の衣装に身を包んだ怪しい男達が主人公の幼少期のトラウマの一つになっていること。それからそのトラウマに大人になった主人公パトリックとアンジー、アンジーの元夫フィル、ブッパ、それからケヴィン(こいつは立ち位置がちょっと違うけど。)という昔の友人と立ち向かうという構成がすこし通じるものがある。ただしこちらの方が苦い。悪の象徴ペニーワイズではなくて、こちらは自分の過去と家族にまつわる、いわばそこにある悪に立ち向かうことになる。

デニス・レヘインはどの小説でも暴力を書いている。人殺しやマフィアが出てくる。嫌になるくらいの丁寧な暴力描写。ただ他の暴力が出てくる小説と何が違うのかというと、作者は暴力を振るう人と同じ位、暴力をふるわれる人も精緻に描く。一瞬すれ違うだけの様な被害者もその生きている様な描写といったら結構他に比類の無い位ではなかろうか。殺される人たちはというのはこういった物語では完全脇役であるから、どのくらい死んだってただの数の上の一人ではない様な、要するに顔の無い血の通っていないマネキンの様なものなのだが、デニス・レヘインというのはこういう人たちにこそ血を通わせ、丁寧に描く。それが一体なにのために?といったら私はこう思う。私たちを嫌な気分にさせるためである。作者が性格が悪くて、読者の気分を害してやろうと思っているということではない。思うにデニス・レヘインという人は暴力、いわれのない暴力を酷く憎み、そしてそれが日常に潜んでいて誰もがその被害者になりうるということを私たちに伝えたいのでは。
厭世的な無常観とは少し違うのは、主人公達の存在では無かろうか。彼らが傷つきながらその闇を白日にさらしていくというのは、そんな暴力が蔓延する世界に対しての、作者なりの抵抗というか希望の暗示なのかもしれないと思った。

という訳で下品な物言いで悪いのだが、本当クソ面白い小説で、500ページがあっという間であった。寝る間を惜しむ読書のなんと楽しいことか。
気になった人は前作から読んでいただきたい。

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