2014年10月26日日曜日

Sombres Forêts/Royaume de Glace

カナダはケベック州のブラックメタルアーティストの2ndアルバム。
2008年にSepulchral Productionsからリリースされた。
私はこのバンド全然知らずで、この間紹介したSargeistのCDを買うときに折角だからといって一緒に注文したもので、いわばジャケ買いの様なものだった。

バンド名はフランス語で「暗い森」の意。メンバーはAnnatar(どうも指輪物語のサウロンの別名らしいが。)なる人一人のみ。この界隈では珍しくない一人で全部やるバンドである。(ライブをやるようで勿論そのときはサポートメンバーを迎えているようだ。)
ブラックメタルというとメタル界で言えばかなり先鋭的なジャンルではあれど、 今では様々なバリエーションがあるのはご周知の通り。このバンドはバンド名からも想像できるが、プリミティブブラックのコールドさを保ちつつ、ブラックメタルのもつ攻撃性よりも孤独感に代表される暗い叙情性を突き止めたもので、一つの指標となるのが森をキーワードにした自然指向であろうと思う。ブラックメタルで自然というとどうしてもカスカディアンブラックスタイルの大立物Wolves in the Throne Roomが思い浮かんでしまうが、このバンドも曲の尺は比較的長めなものの、もう少しロウなブラックメタルな音楽を演奏している。取っ付きやすいとは言わないが、あそこまで(たとえば新しいアルバム「Celestite」の用な)突き抜けちゃった感、ある種仙人の様な孤高感はない。

ドラムはややもったりしたもので、はじけるように叩かれる様はアクセントに響いて良い。
ギターは真性プリミティブブラックメタルな感じでとにかくガリガリざらざらしており音の像が曖昧である。それなりに音の厚みがあるが、ジリジリしていて全体像がはっきりしない感じでテクニックというよりは雰囲気重視(テクニックがないとか下手とかではないです。)プリミティブな感じ。疾走感のあるトレモロはほぼ無し。
ボーカルはブラックメタルの一つの典型とも言うべきイーヴィルなもの。如何にも阻害されたものの叫びと行った感じで尾を引くそれは恐ろしさというよりも、どことなく悲痛な響きがあって曲の雰囲気に良く馴染む。
たまに出てくるシンセ音も浮遊感のあるやや荘厳な感じだが、あくまでも霧のように使われており、バンドサウンドの邪魔にならない程度。良いバランスではないでしょうか。
なんといってもアコギの使い方が 絶妙で、つま弾かれるアルペジオは本来暖かみのあるもののはずなのにここまで寂寥とした孤独感を表現できるのはすごい。イントロやアウトロ派勿論のこと曲中での使い方も巧妙である。
概ね曲のスピードは中速だがその悲哀を帯びた曲調の所為でよりもったりと感じられる。曲の運びはあくまでも陰鬱でブラックメタルの爽快感を代表するようなお家芸トレモロリフ成分もほぼなしで、バンド名通りくらい閉塞感の中進んでいく。メロさはほぼギター担当でたまに飛び出るフレーズは全体的な閉塞感もあってとにかく心に刺さること。間の使い方が上手でボーカルとギターの語尾をのばすかニュアンスとでもいうか、たまに見せる伸びやかな演奏スタイルが気持ちよい。

という訳で大満足な一品。ブラックメタルに何を求め得るかという事もあるが、孤独感疎外感、そんな魅力をそこに感じたい人にはまさにうってつけのコールドなブラックメタル。オススメです。


京極夏彦 柳田國男/遠野物語remix 付・遠野物語

民俗学者の柳田國男が1910年に岩手県遠野で採集した民間で流布している説話をまとめた「遠野物語」を、著者没後50年経過により著作権が切れたところ、作家で意匠家の京極夏彦がリミックスした本。
私が買ったのは元となる柳田國男の「遠野物語」がついた角川ソフィア文庫版。
「遠野物語」は民俗学界にすくっと立つ記念碑的な文献であるとともに、物語として面白い文学的な側面をもつ作品でもある。私はどこの出版社かは忘れてしまったが大学生のときに「遠野物語」の元の本を読んだ事がある。大変面白く読んだが、やはり文体が原題のそれとは少し隔たりがあるので読みやすいとは言えなかったのは事実で、作者が伝えたかった事が本当に理解でいているかははなはだ怪しいところがあった。ということで今作は渡りに船というかなんというか。リミックスというのは中々言い得て妙であり、原点をそのまま交互に訳したのは少し違う。順番をかえたり、ニュアンスを補ったり意訳していたりと、作家ならではの変更を加えているそうである。いわば独自の解釈というか。例えばやはり翻訳というのとは少し違うようだ。
元々民俗学というと堅苦しいが、原点に関しても柳田國男が遠野の佐々木さんからきいた昔話や民間伝承をなるべくその魅力を失わないようにまとめあげたものだから、好きな人にはたまらない面白いおはなしが満載なのである。かの泉鏡花も物語として面白いと評したとか。

一つ一つはとてもも次回おはなしが120弱収められており、そのどれもが不思議な話、奇妙な話、恐ろしい話 で、いずれもどこの誰々がその体験をした、もしくは彼から聞いたという形である。山中奥深くに住む恐ろしい山人や狐が人を化かす話、亡くなったはずの女が幽霊となって現れる話。 神隠し幽霊お化け妖怪天狗なんでもござれのまさに昔話の宝庫である。(当時の)不可思議の説明装置として上記のような怪異が社会の中で生み出され、機能していたとは如何にも現代的な解釈でそれはやはり間違いはないのだろうが、この本に収録されている不思議達は単純にそのの解釈にとどまらない豊かな色彩をもっている。恐ろしい妖怪達は実際に霧深い青い山々の奥に息づいていたのであり、人間はたまにその姿をかいま見たのだろうし、現代人がタイムスリップすればやはりその陰を同じく目にするのだろうと私は思う。だから怪異の解釈はなく、あった事感じた事がそのまま書いてあるその生々しさたるや、100年隔たった今でも身を凍らす。

個人的に面白かったのは山人で、コイツらというのはとにかく背がデカくて目の色が常人と異なる。こういう表現を読むと現代人である私たちは日本に漂着した外国人でしょ?と訳知り顔で意見を述べる訳である。所謂鬼達の一部に関しても山中に隠れ住む白人 という解釈がなされる事がある。しかし遠野物語でははっきりと西洋人に対する見識が既にあった事が書かれている( 85など)。ということは当時の人たちだってとっくに白人のことなんてご存知な訳であって、そうなれば当然山人や鬼が白人説は灰燼に帰すのである。昔の人間だからって馬鹿にするなよって訳である。(とにかく現代人は昔の人が素朴で馬鹿だったと考える傲慢な傾向があると思う。)じゃあ山人って何だったんでしょうね?うーん、面白くないですか?ゾクゾクしませんか?

という訳で日本の神話が好きな人、昔話が好きな人で何となく「遠野物語」を敬遠してた人、まだ読んでない人は是非是非読んでいただきたい。一遍一遍はとても短いので本当さらっと読める。さすがは京極夏彦さん。オススメです。

2014年10月19日日曜日

Today is the Day/Animal Mother

アメリカはテネシー州ナッシュビルの(FBみるとホームタウンはフロリダ州のオーランドになっているが)ノイズコアバンドの10thアルバム。
2014年にSunn o)))の Greg Andersonの運営するSouthern Lordからリリースされた。私が買ったのはボーナストラックが1曲追加された日本盤でこちらはいつも通りというかなんというかDaymare Recordingsから。

Today is the Dayは1992年に結成された比較的歴史のあるバンドで、かつては現Mastodonのメンバーが在籍していたりと 知っている人を多いのではなかろうか。実質フロントマンSteve Austin(同名のレスラーがいるらしいが勿論別人。)という人のプロジェクトである。Austinはレーベル(今は休業中かも。)もやっていて、たしかConvergeの「When Forever Comes Crashing」をプロデュースしていたハズ。バンド自体はメンバーチェンジが結構激しく、今のメンバーは3人(最近はだいたい3人編成が多いようだ 。)だが、Austin以外は2013年加入との事。
私は学生の頃たしかカオティックハードコアの文脈で知って、名盤と誉れ高い6thアルバム「Sadness Will Prevail」とライブ版「Live till You Die」がセットになった3枚組のセットを買ったのが出会いである。人生この1曲を選べと言われれば、前述のアルバムのタイトル曲「Sadness Will Prevail」を挙げるかもしれない(滅茶苦茶美しく悲しい曲なので皆さん聴いていただきたい。)位は好きである。一個前のアルバムが出たのがこの前の様な気がするが、調べてみると2011年だから時の経つのは速いものだ。
歴史が長い割にはあまり話題には上ってこない(今回日本盤出たのは結構すごいかも。)バンドの様な気がするんだが、何とも形容しがたい音楽性と所謂メタル文脈とは違う露悪性の所為かもしれない。 ノイズコアと称される音楽性だが、分解して聴いてみるとグラインドコアっぽくもあり、スラッジメタルっぽくもあり、メロディアスなロックであったりもする。全部が中途半端ではなく、Austinの頭の中の音楽を表現するために色々形を柔軟にかえている様な印象。その音楽性は悪夢的でとても取っ付きやすいとは言えない。とにかく嫌悪に満ち満ちており、それはこういった界隈では珍しくないのだろうが、例えてみれば他のバンドが観客とともに嫌悪を叫ぶなら、Today is the DayはとにかくAustinの嫌悪をひたすら リスナーが聴かされる様な孤高さがあって、なんとなく気安くお前の気持ち分かるぜって訳にはいかないのである。私の様なそれが好きな人にはたまらないのだが。

さて今作は10枚目であるがその権勢全く衰える事なく、今回も憎悪と厭世観にまみれた凄まじい音楽になっております。
全体的な音質はややもこもここもった感じがして閉塞感、アングラ感が出ている。
このバンドの常としてドラムが結構救いになっていて、手数が多くて比較的抜けの乾いた音質での良い連打は小気味よい。バスドラは結構えぐいが。
ベースは曖昧模糊とした唸りあげるものでギター音とシンクロするように良く動く。
Austinの手によるギターの音は流石というか結構音色的にも多彩である。乾きまくった固いハードコア音質のもの、メタルぜんとした若干湿気のある押しつぶす様な重たい音。アコースティックなものなどなど。このバンドの特色の一つでもある重たい音とぺなぺなした高音を織り交ぜたリフがなんとも嫌らしい。
さらに特徴的なのはボーカルスタイルで、しゃがれた声で吐き出すように歌い上げるもの、ドスの利いた低音シャウト、そして気の狂った猫の叫び声のような高音である。特に高音は精神がガリガリ削られる様な独特なものなのだが、慣れてくるとこれが不思議と癖になるから不思議だ。
全体的にはAustinの恨み節といった感じで時代を経る毎に衰えるどころが、偏屈にでもなったのか今回ますます盛んであり、リスナーはひたすたAustinおじさんの恨み言を聴かされる事になる訳である。一つ一つの音楽的な要素はそれぞれを突き詰めたエクストリームメタル界のバンドに比べれば抜きん出ている訳ではないが、兎に角Austinの混じりっけ皆無のぶち切れっぷりのスパイスがノイズロック、アートロックとさえ呼ばれるその音楽を結果的に悪夢的なものにしているから驚きである。そして屋台骨となるのが器用とも評価すべきそのソングライティング能力ではなかろうか。逆に凶暴過ぎても成り立たないとても希有な音楽性だと思う。ノリのある疾走感のある曲、一転速度を落とした低音の塊の様なスラッジ曲、前作の「Remember to Forget」を思わせる持ち前の暗いメロディアスさを堪能できる静かなアコースティック曲、バリエーションのある曲が絶えず蠢き続け得る悪夢のように一つの連なりになって全体的には違和感なくまとまっている。以前に比べると昨今はアートっぽい前衛さはいささか減退し、その分よりバンドサウンドでの表現の幅が広がっている印象。偏執狂っぽさは変わらないが。

日本盤はMelvinsの「Zodiac」の大分変質した様なカバーが収録されていてこれはとても格好いい。
思い入れのバンドのニューアルバム となると期待と不安が入り交じるところだが、今作は個人的にはもうちょっと暗いメロディアスさを押し出した楽曲がもう少し欲しかったところではあるが全体的には非常に楽しく聴ける。なんか嬉しい。というか10枚目なのに全くぶれていないところに喜びを抱くとともにSteve Austinって人はやっぱちょっとやべーなと再確認。
という訳で人の恨み節を聴くのが大好きという貴方には文句無しでお勧めできる一枚。快哉を叫びたいくらい。イエー、Today is the Day!
まあそんな感じなんでこの記事を読んだ貴方、まあちょっとまずは聴いていただきたい。

2014年10月18日土曜日

Kendrick Lamar/good kid, m.A.A.d city

アメリカはカリフォルニア州コンプトンのラッパーの2ndアルバム。
2012年にTop Dawg Entertainmentからリリースされた。
ラップ界の大物達をして西海岸の新しいキングといわしめたというからラップ好きのかたならとっくに知っているだろうミュージシャンで、このアルバムも世界で120万枚うりあげたからというからすごいものだ。
私はKendrickが所属しているグループBlack HippyのメンバーSchoolboy Qのアルバムやこの間紹介したFlying Lotusの新作での客演で彼を知った訳だが、2回となればなんかの縁だってことでこのアルバムを買ってみた。2枚組のデラックス版や日本盤も出ているが私が買ったのは通常盤。

どうもKendrickの出身地コンプトンというのは由緒のある犯罪多発区域らしく、そんな土地で生まれ育った彼の音楽にもその影響が強く出ているようだ。いわゆるギャングスタラップである。さてそんな前情報もありこっちも構えていざ聴いてみると、いきなりキリスト教のお祈りから始まるアルバムにまずはビックリさせられる。その後聴こえてくるラップはギャングスタっぽさ(自体私はよくわかっていないが、)は皆無でむしろ年齢(27歳だそうだ。)より大分落ち着いた男性の声ががやや浮遊感のあるアブストラクトな音楽に乗せて呟かれるようにだが、非常に力強く落ち着いたリズムをもって吐き出されるではないか。続く2曲目でも彼のペースは変わらない、強く打たれるバスとばっちりシンクロした彼のラップはすごく格好よい。トラックはどちらかというと落ち着いたもので否応無しにラッパーのスキルが問われるシンプルかつハードなもの。そこを力でねじ伏せる訳でなく、流れるようにしなやかに流れるラップ。思わず唸る様なクオリティだが、続く3曲目ではスタイルを変えてがなる様なひょうきんともとれるスタイルでいい感じの酔っぱらいの様なテンションである。しかしその口の早さには思わずこちらが舌を巻く。スキルの幅が広く、飛び道具風の変わり種も落ち着いて聴いてみたらきっちりものにしている。
アルバムを通じて暗いというか明るい曲調はあっても内省的なところがあって、それはどちらかというとストイックという形容詞がよく合う。トラックとラップで勝負というヒップホップの基本を押さえた堅実な作り。一番難しいのだろうがそこを平気の顔で繰り出してくるスキルにやはり圧倒される。
例えばこの曲なんだけど、 ラップを早口といったら全世界のラッパーが怒るだろうが、その早口の中にもリズムがあって一見ただ流れてくるはずの言葉が明確に跳ねているのが分かってもらえると思う。



とにもかくにもその落ち着いた真摯なスタイルに超ビックリした。勿論限界を超えるように背伸びはしているのだろうが、このハマり具合といったらちょっと他にはないのではなかろうか。全部が自分の言葉という感じで変な違和感がいっさいない。極めて自然体に聴こえる。

歌詞がついていないので分からないがリリックは抗争やハードな日常を歌ったものが多く含まれるという事だし、曲のアウトロに挿入された会話や銃の発射音などギャングっぽさはあるもののそこから一歩引いたところからラップをしている様な感じがあって、そこが私の様なリスナーにとっても非常に聴きやすい音楽になっていると思う。
普段ヒップホップ聴かない私でもすごいってことは分かるすごいアルバム。
普段ヒップホップ聴かない人でも是非どうぞ。ジャンルをぬきにしてとても良いアルバムを買ったと思ってます。超オススメです。

大江健三郎/死者の奢り・飼育

日本のノーベル文学賞もとった作家の初期作を集めた短編集。
私は本を読むのが好きだが、だいたい流血沙汰や飲酒など下世話でゴシップめいた要素の強い派手な作品が好きで、SFや幻想文学だったり現実から隔たりのある物語を 読む傾向があるようだ。根が低俗なもので手当り次第に気になるものを読んでいるだけなので、教養とかと向上心いったものとは無縁なのだ。学生の頃はそれでも芥川龍之介や太宰治や坂口安吾など大変面白く読んだものだが、最近とんと文学読んでないな〜ってことで別に高尚なものにコンプレックスがある訳ではないが、折角だしなんか読んでみようと思って手に取ったのがこの本。むかし町で大江健三郎さんご本人を見た事があるし。スラっとしてんな〜と思った。

始めにも書いたがまだ国内国外の文学賞を獲得する前に書かれた物語を集めたのがこの本。読んでみると私が普段読んでいる本とは大分趣が違って面白かった。
まず書き方の距離が大分近い。ほぼ密着していると行っても過言ではない。小説だと主人公の一人称であってもここまでの密着感はちょっとないのではなかろうか。見たものすべてを文章に起こすと行ったらさすがに語弊があるが、主人公が見たもの、嗅いだにおい、触れたものの感触がかなり細かくと着に執拗といっていいくらい書き込まれている。さらに主人公の心情も事細かに書いてある。ほぼ独白スタイルの日記ってくらい。言動も含めて振る舞いによって人間の様を書くのが文学の一つの側面だが、大江さんの小説はとくにその視点の置き所が細かく、そして詳細である。まさに微に入り細に穿つ。

たとえばエルロイの暴力の描写は凄まじく生々しい。匂い立つように下品だがやはりどこかに装飾性の格好よさというのがあると思うのだが、大江さんはその装飾性を取っ払ったように書く。別に露悪的という訳でもなかろうが、なんとなく嫌らしい感じがする。これは一体何が原因だろうと考えたのだが、日常といっても事件があってそれを書いているのだが、根本的にこの人というのはそれでも日常を書いている訳であって、その描写の凄まじさが私になんとも嫌な感じを呼び起こさせるのではなかろうか。私は日常を嫌悪している訳ではないし、そこは作者の視線の偏りもあって大分負のバイアスがかかった書き方をされているのもあって何とも言えない退屈で消耗させる日常(のさらに一段階すすんだ嫌らしさを有した、いわば可能性としての。)がその分の向こう側に透けて見えるどころかにおいもまざまざと生々しく眼前に広がってくるわけで。当然日常のある側面によって疲弊されているこっちとしてはなんともゲンナリするのである。いわば人生をある出来事に凝縮したものを読んでいる訳であってその濃さ、そして 現実とそれに必ず付随する(負だけでない)人の感情というもののやるせなさ(としか言いようがないがやるせなさだけではない事を是非主張したい。いわばこの「やるせなさ」という曖昧な一言に代表される過剰すべてを惹起させるために物語が必要なのだ。)に圧倒される。

派手な訳ではないがこっちの精神をガリガリ削ってくる様な陰湿な力を持った作品である。なんだか酷い言い方だけど見た事もない田舎の景色が現在の都会に生活する俺やお前の眼前に現出する様な化け物じみた筆の力を感じられる恐ろしい本でした。私の頭では本当の良さがちょっとでも分かっている気もしないけど、本好きかつまだ読んでない人はどうぞ。

2014年10月13日月曜日

Rocket from the Crypt/Group Sounds

アメリカはカリフォルニア州サンディエゴのロカビリー・パンク・バンドの5thアルバム。
2001年にVagrant Recordsからリリースされた。私がもっているのはボーナストラックが1曲追加された日本盤でビクターからリリースされたもの。

Rocket from the Cryptは名前は聴いた事はあるもののよく知らないバンドだったが、以前紹介した日本のロックバンドMorgue Side Cinemaのアルバムを結構気に入って聴いているんだけど調べてみるとRocket from the Cryptに影響を受けている、と書いてある。気になって調べたら「Return of the Liar」という曲が格好いいんだが、曲が収録されているこのアルバムはどうも廃盤になっているようだ。iTunesで買うしかないかな(前述の曲だけはこちらで買って聴いてた。何回も書いているけど私はCD大好きアナログ人間。)、と思っていたらAmazonのマーケットプレイスで新品が偶々売っていたので買った次第。ラッキー。
Rocket from the Cryptは1989年にギター/ボーカルのSpeedoことJohn Reisを中心に結成され主に活動していたのは90年代。その後(2005年)解散して2013年になって再結成したようだ。 このアルバムを作ったときのメンバーは6人で通常のバンド体制に加えてサックスとトランペットのホーン担当が2人いる。
サウンド的にはパンクだが、ホーン部隊がいるものの所謂スカとはちょっと違う。メロディ重視なのはメロディックハードコア(メロコアとイコールなのかな?わかんないが。)と通じる部分もあるが、もうちょっとというかかなりロック寄りの音である。ロック??然り。ロックの定義が昨今は広すぎるがここではロックンロールでを指しております。クラシカルでアメリカンなアレである、私の場合はなんとなくブライアン・セッツァーが思い浮かぶが。勿論あそこまでパーティー感はないが。コード感のあるギターサウンドはガレージパンクにも通じるところがあると思う。手っ取り早いのはボーカルのしゃがれっぷりもあって日本のThee Michelle Gun Elephantにちょっと似ている、といったら(若い人には分からんかもしれないですが)ちょっとイメージがつくかもしれない。(因に私は「バードメン」を聴いて以来TMGEのファンです。)

ギターはじゃかじゃかしたコード感のある弾き倒すようなスタイルが疾走感をあおって良い。パンクというよりはロックンロールということで音の厚みも十分。低音域が強調されていてほどよい厚みがありつつ耳に優しい。ロケンローな短いソロも良し。
そしてパンクという事でベースが気持ちよい。とにかくよく動く印象だが曲の勢いを殺さない感じ。
ドラムは乾いた軽いスネアの連発が軽快でクリアな音の切れが小回りが利いて踊りまくる様な感じ。
ホーンは同じ音でも勢いの緩急があって面白い。まずイントロでは勇ましい。そんでここ盛り上がりますよってところは本当そのまま音がくわ〜〜っと右肩上がりに伸びていく感じ。これで曲を本当力業みたいにぐっと持ち上げる。これが普段あまり慣れない所為かもだがなかなか楽しい。勿論ミドルテンポの曲ではむせび泣くように吹かれるとこちらも感情をあおって良い。バンドの弦楽器陣に比べるとより感情に直結した音を出すな!と感心。
ボーカルはとにかくしゃがれた声でこれも男臭い中音域が歌う事。歌う事。コマーシャル臭くないし全体な歌い方なんだけど自然に背中を推す様なイメージ。これは熱い。そしてパンクという事でコーラスワークも勿論。これは盛り上がる。楽器はテクニックだけど声は才能というか声質によるところもあって、とにかくSpeedoの声質は硬派なパンクという演奏陣にカッチリあって素晴らしい。速い曲ではちょっと悪っぽくやんちゃ。バラードではしっとりという万能感。
曲の尺も短めであっという間の14曲だが、終わってしまってまた始めから聴きたくなる様な気持ちの良さ。良いっすね〜。後半は少しスポードを落としたミドルテンポ主体になって曲によってはかなりバラードなんだけどそこも男臭くて良い。押し付けがましさとか皆無。勿論目立つのは前半に固められた疾走感のあるパンキッシュなロックンロールソング達でこれはもう男らしいとしか言いようのない格好よさ。バンドの格好よさを凝縮した様な潔さ。これは体が動く。 なんていうか大人の格好よさと子供のやんちゃさのハイブリッドというか。音の楽しさ派手さは目を引くが、同時に全体的に迎合する事なく地道に作り上げられた丁寧かついぶし銀の香りがする作り。

という訳でとにかくバンド名通りスコーンと突き抜けた様な気持ちの良い音で、聴いていて楽しくなる事請け合い。普段は負の感情丸出しの音楽ばかり聴いている貴方にも超オススメできる素晴らしい音楽です。是非是非どうぞ。(CDは手に入りにくいかもなんですが、デジタルならかえますんで。)

ジム・トンプスン/ポップ1280

パルプ・ノワールの巨匠トンプスンの長編。
1964年に発表。ポップといっても原題は「Pop.1280」でこのピリオドというのは略していますよ、の意で本当は「Population 1280」、つまり人口1280人という意味だそうだ。
この物語は人口たった1280人の小さな町を舞台にしたノワール。
2000年のこのミステリーがすごい海外編で堂々1位。

人口1280人の小さな町ポッツヴィルで保安官を営むニック人はいいが遅鈍な人と思われ、妻からは意気地なしと罵倒され、売春宿のヒモには脅され、他の町の保安官には馬鹿にされる始末。しかしその実は自分がポッツヴィルの保安官でいるという目的のためには人殺しも辞さないサイコパスだった。せっせと不倫に励みつつ保安官再選の選挙に向けてニックは動き出すが…

田舎が舞台。顔が良くてとにかく女には不自由しない切れ者だが人格に重大な欠陥(アル中とか共感能力の欠如とかバリエーションはある。)を抱えている主人公がうちに秘めた(他人から一見隠しているが連続性のある)暴力性を爆発させるという概ねの筋は他の作品とも共通する。今回もウィスキーを片手に主人公である保安官ニックの軽口めいた語り口で物語は進んでいく。
おそらく冒頭から読者はニックの性格に戸惑うはずだ。食欲がないと良いながら沢山食い、眠れないと行って8時間も寝ている。どうも今回は本当にアホなのか?と思うのだが、89ページまで読むと暗い笑いがこみ上げてくる。いつもの奴だと。初めてトンプスン作品を読む人もとにかく89ページまでは読んでほしい。(言われなくたって読むだろうが。)

さて今作を人一通り読んでの感想は「暗い」。これにつきる。解説でも書かれているが糞尿方面に主人公の軽口が冴えまくるので抱腹絶倒度もテンションも今までの作品以上に高いのだが、読んだ後のこの虚無感はなんだろう。主人公が今まで以上にニヒリストだからだろうか?羊の群れに紛れ込んだ狼の様に異常な サイコパスだからだろうか?
今作は特に黒人差別をあげて露骨な社会批判成分が強めだが、トンプスンは最終的に黒人を差別する輩は勿論、そうでもない輩も一緒に滅んじまえと言わんばかりに、主人公に真っ黒い虚無を吐き出させる。
この本は色んなことが立て続けに起こっていくが結局自体がどうなったかというのは書かれていない。(削除されたというラストの2行は置いておいて。)主人公は不倫にうつつを抜かしていた訳でそれが大事件を引き起こしたが、主人公が泰然と構えているようにとくにそれが主人公に何かをもたらす訳では(今のところ)なさそうだし、ヒモの件もまあ大丈夫そうだ。じゃあ一体何が?というのがちょっと戸惑うところ。私はここに続いていく毎日の意味のなさ=生きる事の圧倒的な虚無と生きとし生けるものすべてにつばを吐く嫌悪感と厭世観を見て取ったのだが…

読書メーターでこの本のページを読むと同じ本でも様々な感想があって面白い。私はこの本を読んであまりの暗さと救いのなさに愕然としたのだが、下品でとにかく面白かった!という感想もあってなるほどな〜と思う。(前述の通り結局どうなったのか?という出来事が省かれている性も大いにあると思う。)
これが自分の感想だ!と思っているけどなんとなくもやっとしたあらかじめもっている感情とかを、偶々読んだこの本に投影しているだけなのかな?とも思ったり。この本を読んでどういう風に思ったのか、色んな人に聴きたいっすね。そういった意味でも非常にオススメの一冊!
そして前にも書いたんだけど、とても半世紀前に書かれた小説は思えない色鮮やかさ!まるで昨日書かれたかのようだ。これは作者トンプスンの手腕もそうだが、翻訳の三好さんによるところも大きいと思う。非常に読みやすい!是非どうぞ。

2014年10月12日日曜日

Flying Lotus/You're Dead!

アメリカはカリフォルニア州のテクノアーティストSteven Ellisonによるプロジェクトの5thアルバム。
2014年にWarp Recordsからリリースされた。私が買ったのはボーナストラックが1曲追加された日本盤。

名前は知っているもののちゃんと聴くのはこれが初めて。曲の数が多くて驚いたのだが(全部で20曲もある。)、1曲1曲の尺は短い。だいたい1分から2分台で矢継ぎ早に繰り出すタイプでどうも他のアルバムでもそうらしいので彼のスタイルなんだと思う。
Warpということもあって結構前衛的かつヒップホップの要素強めのテクノかと思っていたのだが、聴いてみたらビックリ結構ジャズっぽい。日本盤に付属している解説を読むにどうも彼のおじさんというのはジャズ界では有名なジョン・コルトレーンという方らしい(私は名前しか知らない。)まあそんな背景もあって今回のアルバムはジャズっぽく行くぜってことらしい。
なのでテクノアーティストというよりはプロデューサーというかそんな感じかもしれない。勿論曲自体は彼が書いているのだろうが。解説を読むとどうもドラマーも4人というから分からないが、楽器に関しては生の演奏を録音したものではなかろうか。(ドラムも含めて全部が生音ではないと思うが。)テクノと言えば何と言ってもビートだろうからそこを放棄して生音にしたというのだから、中々ラディカルなアルバムであると言える。
ギターは唸りをあげるように即興っぽいソロを奏でるし、ドラムは 乾いた音で一般的なテクノというには音数が多すぎる、 (ドリルンベースというには音色が違いすぎる、やはりジャズだ。)、ブラシ?ていうのかな?なでるようにシンバルをシャリシャリ言わせるのは如何にもだし、ベースも主張が激しくよく動く。ホーンも伸びやかに歌い上げればこれは正しくジャズ。ゲスト陣も豪華(らしく)大胆にボーカルが導入されている曲も多い。
1枚のアルバムの中でも短い曲の中で結構毛色が変わって面白い。ジャズに振り切る事自体もそうだが、とにかくアイディアの多い人なのかもしれない。
何かと話題のKendrick Lammerのラップをフィーチャーした曲はピアノから始まる、ソリッドなドラムと唸るベースが楽しい、ジャジーなヒップホップ。中盤のドリーミィな曲群はリバーブのかかった女性ボーカルが詩を歌う訳でもない「ラララ」と歌うだけで妙な艶っぽさがある。そして一見目立つそれらのゲストを迎えたもの意外の曲群を聴くととはいえやはりテクノらしいビートミュージックの片鱗をかいま見る事が出来る。もったりとした音質の打ち込みバスドラの機械的な連打。this is コンピュータサウンドなピコピコした音。自由に飛び交うびよびよしたアシッドな遊び音。目まぐるしいボーカルのサンプリング。
シリアスな中にも落ち着いた大人な雰囲気、体の揺れる楽しさはなるほどジャズ由来のものだろうが、 そんな多彩な音達をテクノの才でくるっとひとまとめにしつつ、色相豊かなアルバムを 作り上げちゃうのは流石って感じで散漫になる事なく、統一感あるサウンドは最後まで聞き通せる。

印象的なアートワークは日本の漫画家駕籠真太郎さんが書いている。ちゃんと読んだ事はないがエログロな漫画界で名を馳せている人でその筋ではかなり有名な方なんだと思う。奇を衒っているのかと思いきや、折り畳まれたブックレットには1曲ごとにちゃんと駕籠さんのイラストが添えられているという力の入れっぷり。wikiによるとStevenさんは日本の映画やサブカルチャーに今日があるそうなので、おそらくはその流れで駕籠さんに依頼したのだろう。
日本盤も出ているくらいだろうから人気のアーティストなんだろうけど、たまには お洒落な奴聴きたいわ〜って人はどうぞ。

中島らも/心が雨漏りする日には

日本は兵庫の作家によるエッセイ。
中島らもである。
中島らもさんを初めて知ったのは多分高校生くらいの頃で、当時4チャンネルで爆笑問題が作家の方を招いて話を聞くみたいな番組が夜11時にやっていて、京極夏彦さんとかが出ていて私は結構好きでよく見ていたものだ。そこに登場したのが中島らもさんだった。名前くらいは知っているが勿論作品を読んだ事もないし、どんな人かも知らなかった。帽子にサングラスでノースリーブのデニムっぽい?ジャケットみたいなのを着ていた(腕に陰陽のマークのタトゥーも入っていた。)中島らもさんはとにかくすごーくゆっくりしゃべる人でこの人なんか色々と大丈夫なのか?と思ったのを強烈に覚えている。その後ギターを取り出し放送禁止用語満載の歌を歌ったりして(ピーがすごい多く入って事なきを得た。)印象はかなり強烈だった。しかしその後作品を読んだのは大学生になってからで名作サイキック小 説「ガダラの豚」から始まり、アル中小説「今夜、すべてのバーで」、とにかく手当り次第にドラッグを試しまくるエッセイ「アマニタ・パンセリナ」まで結構な作品を楽しく読ませていただいた。その後も 逮捕、収監などスキャンダラスな話題を世間に振りまきつつ、残念きわまりない事に2004年に逝去。

しばらく中島らもさんの作品は読んでいなかったのだが、人生には中島らもの文章を読む時間というのは必要なのである。とにかく中島らもさんの本が読みたいということで中身も調べずにAmazonで注文したのがこの本。
このブログでは初めてだが、この本は小説ではなくエッセイ。
それも著者の躁鬱病体験を中心に据えたものである。幼少時代から現在に至るまでおおよそ時系列にそって躁鬱病との付き合いが面白く描いてある。この面白くというのがポイントでとにかく電車の中で読めないくらい面白いのだが、よくよく読んでみるとかなり尋常ではない悲惨な状況が綴られている事に気づく。私は中島らもさんにはあった事はないが、恐らく戸とも優しい人ではなかったのだろうか、と勝手に思っている。どんな本でも人を楽しませようとする姿勢があふれている。この本もそうなのだが、軽妙な語り口の向こう側には結構深刻な状況がチラチラ見える訳である。 以前ケッチャムの小説を軽妙な語り口で恐ろしい泥沼にはまり込んでいくようだと書いたが、大分印象は違うがやり方的にはちょっと似ている。とにかく赤裸々に書くものだから、オイオイ大丈夫なのか(勿論大丈夫じゃない。)というエピソードが満載である。気持ちの浮き沈みは勿論、バランスを欠いた精神がどのような身体的な症状、また社会的な状況を引き起こすのかということが(作者の経験を活かして)書いてあるのだが、やはり面白いではすまされない過酷な状態が垣間見える。
アルコールそして楽物中毒である事を隠す事なく告白する作者の鬱病かも?という人への
メッセージは至極簡単である。「病院行って薬をもらいなさい 。」死ぬほど思い悩むんじゃないよ、とりあえず経験上薬飲むと症状は良くなるよ、まず行って来なさい、とこういう訳である。(勿論ペットロスの女性とのエピソードをあげて特異な状況で病気になった場合は単純に薬の効果だけで万事収まる訳ではないと書いている。)

久しぶりに読んだけどやっぱり良いな〜。別に心を病んでいる人でなくても面白く読めるのでとにかく楽しいエッセイが読みたい!という人は手に取っていただいて問題無し。

Electric Wizard/Time to Die

イギリス、イングランドのドーセット、ウィンボーン(読み方違うかも)を拠点に活動するドゥームメタルバンドの8thアルバム。
古巣Rise Aboveを離れ(どうも余り良い分かれ方ではなかったようだが)2014年にSpinefarm Records(調べたらフィンランドの名門レーベルのようだ。)からリリースされた。
プロデューサーは外部の人を立てず唯一のオリジナルメンバーであるJusが務めた。


ドゥームメタルといえばBlack Sabbathがいける伝説なのだろうが、昨今のアーティストと言えばElectric Wizardなのではなかろうか。(とはいえ1993年結成のバンドだから今ではもう立派なベテランなのだが。)私もとりあえずこのバンドを聴いておけば間違いない、みたいなネットの書き込みをみて3rdアルバム「Dopethrone」を買ったのが彼らとの出会い。とにかくデスメタルの暴力性ともブラックメタルの禍々しさとも違うヤバさをもったバンドで(ある意味前者2つのジャンルより大分捻くれている。)音楽的には勿論ドゥームなんで速度は遅いし、妙に放心した様な気怠さもあるのだが、なんとも名状しがたい近付き難さがあってそれが彼らのヤバさの要因の一つかもしれない。
前作「Black Masses」はタイトル曲でもある1曲目のイントロを聴いたときの衝撃外までも残っていて妙に明るいというか開放的なサウンドであったのに対し、 今作は全体的に煙の立ちこめる窒息しそうな黒さに満ちたアルバムに仕上がっている。現在メンバーは4人らしいが、このアルバムのクレジットをみると制作時は3人体制だったようだ。
Jusの気怠いへろーっとした歌い方は相変わらずだが、呪詛めいたボソボソボーカルはより密教的な怪しさが増したようだ。演奏陣はビンテージってほどに乾いた音質だが、とにかく低音がぶわーっと強調された音でドラムは勿論弦楽器陣も演奏はより地下に潜るような演奏スタイルで体感速度は前作より遅くなった。
今作はでは曲の尺の長さが全体的に増したように思うし、ボーカルの入らない演奏パートも大幅に増えた。間の取り方が全体的に贅沢になったというか。そしてこの演奏パートこそがこのアルバムをより煙たく、より息苦しい緊張感に満ちたものにしていると思う。バンド然とした聴かせる前作に比べると無愛想かつ腕力の強いサイケデリック性が大きく台頭して来た。 ミニマルなリフが酩酊感を誘い。そこに徐々に付加されるノイズや、ワウ(乾いたギターリフトとてもよく合う。)による変化がズルズル感を強調し、もはや渦を巻きながら徐々にその領域を広げていく悪意をもった靄のように聞き手を浸食してくる。タイトルは「Time to Die」だが確実にこちらを殺しに来ている音である。冒涜的なタイトル(昔からラブクラフトの短編名を曲名に拝借したりと粗野な中にも知的なセンスが光るのは相変わらず。)や不穏なSEまじりのインスト曲など外連味もたっぷり。

ラストの曲の最後が前述の3rdアルバムの1曲目「Vinum Sabbathi」に使われていたSEと同じというのも面白い。確かにあの頃を思わせる暗黒である。黒基調のジャケットも容赦しねえぜというメッセージのようだ。
という訳で8枚目のアルバムという事だが、ベテラン はまだまだ現役最前線ということを力でねじ伏せて分からせる様なアルバム。ドゥームメタル好きなら既に買っていると思うがまだの人はどうぞ。とても良いアルバムです。オススメ〜。

2014年10月11日土曜日

夢枕獏 編著/鬼譚

作家の夢枕獏さんが自身がお気に入りの鬼にまつわる物語や書き物を集めて本にしたアンソロジー。元は1991年に天山出版から出版されたもので、1993年に立風書房から再販、このたび2014年に筑摩書房からさらに再販されたようだ。
夢枕獏さんといったら私は一時期野村萬斎さん主演で映画化もされた陰陽師シリーズを何冊か読んだことあるくらいなのだが、鬼のアンソロジーといったらかわないわけにはいかない。鬼といったら歴史的に見ても我々の社会とかなり長い付き合いで、現代でもフィクションでは引っ張りだこの存在である。中国の鬼や欧米のオーガなど世界的に見ても鬼的な存在は多いが、本書に出てくるのはどれも日本の鬼達である。
収録作品は下記の通り。
  • 桜の森の満開の下 坂口安吾
  • 赤いろうそくと人魚 小川未明
  • 安達ヶ原 手塚治虫
  • 夜叉御前 山岸涼子
  • 吉備津の釜 上田秋成
  • 僧の死にて後、舌残りて山に在りて法花を誦する語、第三十一 今昔物語集
  • 鬼、油瓶の形と現じて人を殺す語、第十九 今昔物語集
  • 近江国安義橋なる鬼、人を噉ふ語、第十三 今昔物語集
  • 日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事 宇治拾遺物語
  • 鬼の誕生 馬場あき子
  • 魔境・京都 小松和彦・内藤正敏
  • 檜垣 --闇法師-- 夢枕獏
  • 死にかた 筒井康隆
  • 夕顔 倉橋由美子
  • 鬼の歌よみ 田辺聖子
(日本SF作家クラブ様のページからコピーさせていただきました。)
ご覧の通り手塚治虫さんと山岸凉子さんの漫画が入っていたりと中々自由なアンソロジーである。
坂口安吾、上田秋成の雨月物語は学生の頃読んだが今読んでもすごい。特に「桜の森の満開の下」は解説ででも述べられているがラストが凄まじい。この短編を読んで坂口安吾作品を色々読みあさったものだ。小説内の桜の森の描写は恐ろしいが不思議な魅力があって、この作品を読んだ人ならやはりその真ん中に一人きりで坐ってみたいという考えを抱くはずだ。誰もいない山中で、きっと桜の花が落ちる音も聞こえるくらいの静寂の中で。たまらない。
他に気に入ったものをいくつか紹介。

日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事 宇治拾遺物語十一巻より
徳の高いお坊さんが吉野山の中で鬼に会う。曰く元は人間だったが恨みがあって鬼になり、恨みを晴らすように怨敵の一族郎党を皆殺しにしたもののちっとも思い晴れなく山中をさまよっているという。
人を恨む事と復讐の空しさを説いているのかもしれないが、恨みが消えず行く場もないと泣く鬼は悲しいと同時におぞましい。話しているうちに鬼火が燃えるくらい恨みが強いのだ。恐ろしいものだ。

安達が原
安達が原といったら鬼婆だが、漫画の神様がみごとに舞台をSFにリメイクした作品。手塚治虫は実はそこまで熱心に読んだ訳ではないのだが、漫画表現云々をぬきにして単純に物語を作る才能がずば抜けている。やっぱりすごいな〜と素直に感動。恋人達のすれ違いを相対性理論を使って描く手腕と、2人の邂逅に際しての心の動きを漫画の動きで表現する様が面白いんじゃないかと思うのだが…どうでしょうか。

魔都・京都
政治的な視点でもって京都という町の成り立ちにせまる対談形式の読み物。政治といっても対談形式という事で話し言葉で描かれているし、堅苦しい事なくスラスラ読める。
夢枕獏さんも解説で描いているが男ならわくわくする様なネタが満載で面白い。個人的には寺社の山門の上の部分はあがる方法がなく洞の空間に鳴っているところとか読んでゾクゾクした。

一口に鬼と言っても色々な鬼がいるものだ。人が成る鬼も入れば、生まれつきの鬼もいて面白いのは一人一人の鬼に背景というかストーリーがある。(筒井康隆さんの物語に出てくる鬼は理不尽な力の象徴みたいな存在なんだけど 最後にちょっと愛嬌があって良い。)ただ恐いというよりはその鬼なりの物語が人を魅了させる。
鬼好きな人にはたまらないアンソロジー。

2014年10月5日日曜日

Kryptic Minds/One of Us

イギリスはイングランド、エセックスのダブステップミュージシャンの1stアルバム。
2009年にSwamp81というレーベルからリリースされた。
Kryptic MindsはBrett BigdenとSimon Shreeveからなる2人組でアルバムは今作を含めて2作しかリリースしていないもののディスコグラフィーを見るとかなりの量のEPなどをレコードの形で世に出しているようだ。なんとなく現場よりのハードコアさを感じる。
私は勿論彼らのことなんて全く知らなかったのだが、「第9地区」の監督ニール・ブロムカンプによるSF映画「エリジウム」を見ていたところ(主演がマット・デイモンで突っ込みどころはあるものの概ね大変面白く見れた。監督の未来の風景を描く手腕は流石であった。)、とあるシーンで何とも陰鬱なダブい音楽が流れているものだから、すかさずスマホで曲名を調べて、その曲が収録されているこのアルバムをかったという訳だ。(ネットの技術は特に音楽にはすごい影響力があるなと改めて実感。)

ダブステップは2000年代前半にイギリスから火がついたジャンルであって、 本当に一時期市場をせっけんしてSkrillexのようなアーティストがスターダムに上り詰めたりしていたようだ。私はと言えば何回か視聴してみたものの今一乗り切れない感じではあったが、いかに新しいジャンルとはいえ一言ではくくりきれない懐の広さがあって、このブログでも紹介したことがあるが、Burialやら日本のDevilmanのようなアーティストは本当楽しく聴いている。このKryptic Mindsもどちらかといえばその傾倒に属するアーティストで鳴らす音はと言えばひたすら低音が強調された陰鬱なもので、音の数は多くなく、ミニマルな展開に装飾する様な要素がいくらか付加されたわりかしストイックなものである。まず聴いてみたところ同じくイギリスのNapalm DeathのドラマーMick HarrisのプロジェクトScornとの類似性であった。あそこまで寡黙ではなかったが。陰鬱で音数の少ない、音のデカい割にアンビエンスを多大に意識したその作風はかなり似通ったところがあると思う。
ダブ特有の湿り気のある重々しいバス、対応するように乾いた無骨なスネア、チキチキいうシンバル。根幹と鳴る要素はほぼこれらのみ。ほぼミニマルに構成されたビートがどっしり中心にあって、 曲によってそれらに装飾が施されていくイメージ。
装飾といっても過剰さはいっさいなく、ひたすら低音を意識したベース音、ドローンめいた唸る低音、ジリジリ言うノイズ、エフェクトのかけられた人の声のサンプリング、単発のブリープ音が霧に中から現れる幽霊のように現れては通り過ぎていく。全体的にエコーがかったというか、残響が強く意識された音作りで、太いビートとそれにのる幽玄的なノイズたちが曲を潜行していく様な怪しい雰囲気を作り出している。ミニマルでビートを追っていくうちに不思議な酩酊感に誘われるから不思議。深夜車に乗ってどこまでも続くトンネルに潜っていく様な、そんな格好よさがある。ちょっと都会派なところというか洗練された感じも漂う。

決して取っ付きにくい音楽ではないが、無骨なダブが好きな人は是非どうぞ。
こちらが映画「エリジウム」でも使用された曲。

西崎憲 編訳 A・E・コッパード/郵便局と蛇 A・E・コッパード短編集

イギリスはケント州出身の詩人・作家の日本オリジナル短編集。
翻訳し編集したのは西崎憲さんで以前このブログでもいくつか短編集を紹介したことがある。この人はジェラルド・カーシュを紹介したりと個人的には琴線に触れまくる作家や短編を紹介してくれて嬉しい限り。
表紙はエドガー・アラン・ポーでも御馴染みハリー・クラーク!

今回はAmazonにお勧めされてかってみたので作家のことは知らなかった。あらすじが面白そうだったのだが、果たしてとても面白く読めた。
A・E・コッパードは1878年生まれの1957年没だからそんなに古めかしい作風でもない。本書の解説を読むと作家生活を通じて長編は子供向けの1編のみというのだから、かなり筋金入りの短編作家と言えると思う。同時に詩人でもあり、どの短編も詩情にあふれている。面白いのはほとんどの作品が現実を舞台とし、日常を扱ったものにも関わらず何とも言えない幻想味がある。靄と霧に包まれた様な不思議な物語。どの物語も一抹かそれ以上の人生の辛辣さや物悲しさ、寄る辺のなさ、残酷さが含まれているが、解説で西崎さんが述べている通り後味が悪くなく、読後感がさわやかなところがある。寓話的であるが、はっきりとした真意を測りにくい、メッセージ性というよりは作家の思い描いた風景を干渉する様な感覚に近いから分かりやすい話を求める人には厳しいかもしれない。しかし(このブログでは何回か同じ様なことを言っているが)人生が分かりやすいことなんてあったでしょうか?

特に気に入った作品をいくつか紹介。
郵便局と蛇
山の麓の郵便局で世界を食い尽くすという蛇が山の頂上にある沼に封じ込められているという。沼に向かった主人公が出会ったのは…
まずこの短編集弾かれたのはその不思議なタイトルである。中々結びつかない2者である。そんなタイトルのつけられたごく短いお話。象徴的だが、物語としてただ面白い。3人しか登場人物が出てこないがみんなそれぞれ愛嬌があるのが良い。牧歌的とでも言うべきか。

アラベスク-鼠
町の片隅で隠者のように暮らす中年の男。ある夜更け彼は暖炉の近くをうろつく鼠を発見する。鼠を意識しながらも過去の人生を振り返る男。断片的かつ瑞々しい彼の記憶と忌まわしい鼠の存在が一つの出来事に集約していく。
ある意味この短編集で一番衝撃を受けた作品で読後の何とも言えない感じが忘れられない一遍。なんともいえない人生の悲哀が象徴的な出来事に集約しており、楽しかった過去とその後の悲劇的な運命、年を経てからの人生の喪失感がないまぜになって非常に苦しい。なんともやるせない。人生の楽しみは若いときの思い出にしかなく、楽しかった日々もしおれていく花のようにダメになってしまうように運命付けられている様な、そんな悲しさが支配している短編。

シオンへの行進
大天使ミカエル、あるいは世界の王の元に旅することを運命付けられた男は道中不思議な修道士に会う。彼は得体の知れないところはあるが快活な好人物。しかし悪人であれば自費なく打ち殺し、その身ぐるみを剥ぐ残虐性をももっていた。修道士に疑念が生じ始めた主人公はしかし、偶然であったマリアに恋心を抱くが…
シオンというのは言うまでもなく聖地シオンのこと。この物語はとにかく象徴的寓話的で幻想味に満ち満ちている。すべてが現実を元にしながらも現実から遊離しており、含蓄に飛んでいそうなのに、その真意は極めてとらえにくい。登場人物の会話は著しく現実性を欠いており、詩心にあふれたそれは最早禅問答のようになっている。(私の頭と理解力がよろしくないことも大いにあるだろうが。)道中主人公達が登る山の描写のなんと美しいことか。桃源郷というのではないが、こんな風景は誰かの頭の中にしかないのかもしれない。そのあるはずもない景色が何故こんなにも心を感動させるのは分からない。しかし読書の最大の楽しみの一つだろうと思う。

はっきり言ってそんなに間口の広い小説ではなかろうが、好きな人にはたまらないのではないだろうか。日本では他に違う出版社からも短編集が出ている。そちらも注文したので読むのが楽しみである。幻想的な話を好む方は是非どうぞ。

2014年10月4日土曜日

Endon/MAMA

日本のノイズバンドの1stアルバム。
2014年に日本のDaymare Recordingsからリリースされた。
Endon始めてみたのは多分かなり前のVampilliaのライブでそのすごさに圧倒されてミニアルバム「Acme Apathy Amok」をかって帰った。音源は勿論格好いいものだったけどライブがすご過ぎた印象だった。
それからもう一度ライブを見る機会があってそのときも相変わらずもの凄いステージングだったけど、凶暴さは変わらずより音楽としては混沌としたものから、徐々に形が作られている様な印象でこれはすごいことになりそ〜と密かにしめしめと思っていたのだが、ようやっとという感じで1stアルバムがリリースされたということで一も二もなくかった次第。ちなみにアルバムリリース前にかのJustin先生とVatican Shadowによるリミックスレコードが出ていてこれもかって自分の中でも期待を高めておりやした。プロデューサーはBorisのAtsuoさん。ちなみにEndonのメンバーの方はMASFというエフェクターや楽器のブランドをやっていてBorisのWataさんモデルのエフェクターも出したりしているようだ。あぶらだこのヒロトモさんもMASFの楽器を使っているらしい。
アルバムのタイトルは「MAMA」である。ノイズバンドがこんなタイトルを付けるのだからこれはかなり気持ち悪いアルバムに決まっている。期待も高いがあまりにパワーのあるライブを見ていると音源に彼らの音楽が収まりきるのかな?という不安もちょっとはあったが、果たして聴いてみるとそんな不安は杞憂に終わった。

Endonはボーカル、ドラム、ギターというバンド編成にノイズ担当が2人もいる。
Swarrrmの感想では音楽で混沌を表現するのはとても難しいのでは、というような記事を書いたが、ノイズというのは混沌を表現にするにはとても適した音楽ではないだろうか。
私は完全な聴くだけの消費者だから詳しくは分からないが、ノイズは他の楽器と違って完全に同じ音が再現できないのではなかろうか。勿論演奏している人がこんな音やあんな音って器用かつ自在に操っているのではあるだろうけど、例えば音源と完全に同じ音をライブで再現できるかというと難しいと思うし、それこそレコーディングでも演奏するたびに微妙に異なってくるはず。まさにカオスだ。このアルバムではそんなカオスが自由自在に空間を支配している様なそんな音楽が展開されている。
ノイズが主役の様なバンドだから無理を承知で言うが、ノイズを省くと音楽性としては結構グラインドコアっぽい。2回目のライブを見たときもそう思った。ドラムがブラストビートをたたき出して、ソリッドなギターが疾走感のあるリフを奏でる。ただしどちらかというと音が流れているバンドなので、勢いを殺さない様なハードコアテイストの強いリフだと思う。とはいえピュアなグラインドバンドではないので、矢継ぎ早にショートカットグラインドを披露する訳でもない、CDでは一番短い曲でも3分ある。
突っ走らないパートも多いのだが、そのパートとグラインドパートの使い分けが抜群に上手い。そういうバランス感覚で曲を半ば強引にまとめているのがノイズだと思う。兎に角ノイズというのは縦横無尽かつ多彩なもので、よくよく聴くと本当に色んな音が流れるように連続して飛び出してくる。低い音高い音、金属音、ドローンめいた持続音、表現の幅の広さにはただただ舌を巻く。結果野蛮きわまりない動物園を超高速で移動しているようなカオスさが産まれている。
ボーカルはその風貌もあって人間というよりは凶暴や恐竜とか、そんなイメージ。ギャーギャーわめいたり、ぐおーぐおー唸ったりして獣の咆哮に近い。並のボーカルではノイズの洪水に埋もれてしまうだろうに、この轟音の中でもその異彩をはなつのは相当な個性だと思う。

ミニアルバムにも収録されていた「Acme Apathy Amok」はその姿を変えて15分超の一大ノイズ絵巻になっている。中盤以降の放心しきった様な不穏なノイズパートは静かなのに喧しいという非常にアンビバレントな状態が成立していて大音量できくと気持ちよいことこの上無し。

という訳で非常に気に入りました。破壊的な音楽を聴きたい人は是非どうぞ。