2015年6月28日日曜日

KEN mode/Success

カナダはマニトバ州ウィニペグのハードコアバンドの6thアルバム。
2015年にSeason of Mistからリリースされた。
名前だけは知っていたが聴いた事無かったバンドだが、悩んでいる男性をモチーフにした妙にカラフルなジャケットに惹かれて買ってみた。
KEN modeは1999年に結成されたバンドでいまは3人体制。バンド名のKENというのはKill Everyone Nowの略出そうな。今すぐみんなぶち殺せ!なモードってことらしい。まあそんな気分になる事もあるよね。

ジャンルを大まかに述べるとハードコアってことになるのだろう。一昔前ならカオティックハードコアと称されたかもしれない(まだ使っているのかな?カオティックハードコア)。Convergeのような速度に特化した様な攻撃性というよりは、スラッジからの影響をうけたどっしりとした演奏をベースに、2秒先にはどうなっているか分からないような一筋縄ではいかない歪んだ曲構造、そんなカオティックさである。
私は聴いてみてノイズロックっぽいなと思った。ボーカルの歌い方があるかもしれないが、基本じゃぎじゃぎしたギターはしかしともすると耳をつんざく様な高音のノイズやズルズルした泥濘リフを奏で始めるし、UnsaneやRusted Shutのような曲そのものというよりその背後にある”完全にどうかしている気配”を何となく感じ取ったのである。
ドラムはシンバルも多用した喧しいスタイルで、リズムキープに加えてやや変則的な叩き方がカッコいい。恐らく手数が多いのだろうと思うけど、そこも叩くのか〜というオカズがメタル的でない乾いた音だと鼻につかないので気持ちよい。
ベースはうねりまくる様な気持ち悪いもので、とくに速度の遅いスラッジパート(例えば1曲目なんかはそうだと思う)ではその気色悪さがよく目立つ。他のパートが暴れている時でもミニマルに支える屋台骨ではあるのだが、底意地の悪さがなんとなく這う様なリフに現れていて非常に良い。
ギターはじゃかじゃかした歯切れの良い音が基本形なのだが、いつの間にか高音リフを畳み掛けて来たり、喧しいソロを披露したり、ノイズを垂れ流して来たりとかなり自由に振る舞うタイプ。カッティングを多用したリフはメタル的でもハードコア的でもなくてかなりカッコいい!コード感のあるメロウなリフも良い。カオティック感を演出するに十分なバリエーションある存在だと思う。
ボーカルはちょっと鼻にかかった声はそれでも妙に通りが良く、少なからず頭のいかれたアジテーターがメガホン片手に大衆に怒りをぶちまけているさまがある。堂に入っているのにコイツ酔っているのか?と思わせる不安定感も雰囲気ばっちり。
ノイズ成分もそうだが、女性のボーカルを取り入れたり、ストリングスを部分的に導入したりと結構どん欲に世界観を追求していくタイプでその音楽性は奇々怪々である。やはりノイズロック特有の整然としている割には”どこかおかしい感”が緊張感のように漂っている。ノイズロックを通過したハードコア。疾走感もありながらも、スラッジパートも大胆に取り込んだ音楽性。文句無しにカッコいいそれらのアイテムをまとめあげて、なんとなく不穏な音楽に仕上げるこのセンスが売りのバンドかも。喧しい、けどなんとなくあまのじゃくのところがあって、そこが曲のところどころに垣間見えて面白い。

軽い気持ちで買ってみたがこれはカッコいい。
4曲目の様なストレートな曲もめちゃ良いが、やはり6曲目7曲目のような一筋縄でいかないハードコア感もたまらない。オススメ。

ドナルド・E・ウェストレイク/バッド・ニュース

アメリカの作家による犯罪小説。
犯罪プロデューサー、ドートマンダー・シリーズの10作目。2001年に発表された。
私は1作目「ホット・ロック」のみ読んだ事がある。この間よんだ「街角の書店」にウェストレイクの作品が収録されていて、やっぱり言いなと思って本書を購入した次第。

犯罪者ジョン・ドートマンダーにある日相棒のケルプから仕事が舞い込む。ネットで知り合った犯罪者ギルダーポストと組み、夜中に墓を暴き、棺桶を入れ替えるというのだ。ケチな盗みに失敗していたドートマンダーはしぶしぶ了承し、墓暴きは無事完了。仕事が完了し二人を亡き者にしようとしたギルダーポストらを見事出し抜き、ドートマンダーらは彼らの計画に無理矢理一枚噛む事に。しかしやはりというか計画は様々な障害に打ち当たり…

犯罪小説である。
すねに傷を持ち世にあぶれた日陰者の犯罪者たちがただただ鐘のために騙し合い、殺し合いを繰り広げる。このシリーズは勿論犯罪者たちが山ほどでてくるし、知力を振り絞って騙し合いを繰り広げるものの殺し合いは出てこない、それどころか派手な暴力沙汰もほぼほぼない(少なくとも私の読んだ2冊では)。
主人公ジョン・ドートマンダーはどこから見てもしょぼくれた中年男である。腕っ節が強い訳でもないし、車の運転も普通。じゃあ一体枯れ葉なんなんだというと、彼は犯罪のプロデューサーである。目的が設定されたと、侵入経路、脱出経路、騙しの手口もろもろを考え、手配するのが彼の仕事である。デカい山であればあるほどやる気が出る。どうみても”絶対不可能”な状況を覆すのがドートマンダーと彼の知略である。大胆かつ繊細で、誰も思いつかなかった様な荒唐無稽なアイディアが飛び出してくることもあれば、逆転の発想でだれもが身近にあるのに見落としていたアイディアを拾って来たりする。その手があったのか!の快感である。
ドートマンダーが陥れようとするものたちも、まあ鐘に目のくらんだ小悪党な訳で全員ろくでもない中で奮闘する中年男ドートマンダー、あくまでも楽天的なケルプは愛すべき犯罪者たちだ。決して正義の味方ではないのだが…

いわばドタバタ犯罪コメディとも言うべきこの小説はしかし、犯罪小説の醍醐味の一つ「完璧な犯罪計画」の部分で突出している。あえて暴力性を排除する事でむしろこっちに特化している。魅力的なキャラクターを配置する事で、暴力性の排除が逃げではなく、むしろ必然的に感じられるのが魅力の一つ。また、結局いい目を見れないドートマンダー一といのも良い目を見たら彼の犯罪人生が終わってしまうという事もあるだろうが、単に様式美(ルパン三世の様な)にとどまらずどこかしら天網恢々粗にして漏らさず、というかたいてい物事は思い通りに運ばないのだ、という説教臭くはないが何となく無常観というのがあって、それでもめげない一面というのがさらにいとおしく感じられるのだ。
楽しい、軽妙な犯罪小説を探している方は是非どうぞ。

ちなみにウェストレイクにはもう一つ「悪党パーカー」シリーズがある。こちらはメル・ギブソン「ペイバック」で映画化されたりしている(映画見た事あるけど原作の事は気にした事無かったな。)人気作で、こちらは容赦ない内容で是非読みたいのだが、絶版状態である事が残念でならない。

椎名誠/国境越え

日本の作家・椎名誠による写真連作小説集。
以前このブログでも紹介した椎名誠さんの「笑う風 ねむいくも」がとても良かった。この本は旅好きの作者が訪れた土地の風景や人物を撮った写真を配置してそれにまつわる紀行文を書くというスタイル。作者特有のユルさ、そして観察眼の鋭さが気に入って2冊目も読みたいなと手に取ったのがこの本。引き続き旅先で撮った写真が鍵になっているが、この本はエッセイではなくて小説になっている。つまりフィクションに転換している訳で少し趣が異なる。といっても基本的には作者本人の経験に大きく基づいているのだろうし(何と言ってもネタ元の写真を撮ったのが本人であるのだから)、SF形式ではなく、あくまでも架空の一般人が経験した”ありそうな話”という体裁を取っている。
この本には6つの物語が収められているが、やはり「笑う風 ねむいくも」とは少し趣が異なる。エッセイという形式上どうしても「こんなことがあったんだよ」と説明する文体になってくる。まあそこまで丁寧ではないにしても椎名さんの少し丁寧に書かれた日記を読んでいるような感覚だろうか。一方この本は小説の程を取っているから、常に主人公たちは旅のまっただ中で大抵日本の状況とはかけ離れた現場で厄介な問題に直面する事になっている。だから辛いし、楽しいし、苦しかったりする。変な話フィクションであるのに、何とも生々しさがあるのである。ここは作者の腕にもよるのだろうが、実地に自分の手足で行くというスタイルを地でいく作者はこの部分が圧倒的であると思う。

何と言っても表題作の「国境越え」が素晴らしく、これは撮影クルー(下請けの下請けの様なといっても日本人3人+現地のガイドの4人体制)が国境を越えたアンデス山脈を手配していた車がこなかったためまさに命がけでさまよう話。一歩間違えば命すら危うい危機的状況と作者特有のどこか抜けたユーモアに満ちた会話が同居したまさに危ない旅行小説。携帯電話も無いし、なんと地図も無い。食べ物も水も無い。コンビニどころか商店も無いから、判断を誤れば死ぬ。地平線いっぱい何も無い塩の浮いた道を延々と歩いていくのである。不思議なもので約束を反古にした男に対する怒りはくすぶっているものの、結構転換速く目的地に到達すべくてくてく歩き出す4人の男たち。歩いているだけでも人は色々考える訳だ。ご飯を調達する、ご飯を作るにしても面白さがある。(本人たちからしたら面白いどころではなかろうが…)
人の姿すらほとんどないアンデス山脈でもたまに出会う人々がいる。本当にただすれ違うだけ位の出会いが、非常に生々しい。キャラが経っているとかは別次元で、彼らは自分たちの膨大な時間を日常として活きている訳で、たまたま主人公たちとすれ違った故に主人公たちの(読み手が読む)物語日本の一瞬浮かび上がって来ただけなのだが、その背後にある膨大な時間が不思議と彼らの表情や仕草に刻まれているのだろう、読み手には何となく彼らの人間性が感じられるのだ。この一期一会感、たまらない。全然湿っぽくないのになんかこうたまらない趣がある。

今作も抜群に面白かった。言った事の無い世界中の辺境の景色がなんとなく思い浮かんでくるようで思わず「アンデス山脈」を検索してしまうくらい。
こんなところに言ったなんてすごいなあと思うが、ほんとは誰だっていけるのだ。そんな事を実感させてくれる小説。出不精の人こそどうぞ。

2015年6月21日日曜日

山嵐/マウンテンロック

日本は湘南のラップメタルバンドの4thアルバム。
2002年に自身のレーベル豪直球からリリースされた。

山嵐というバンドがいる事自体は知っていた当時私は中学生。にわかにかじった典型的な洋楽至上主義者だったので山嵐(笑)とかハズかしげも無く思っていたのだが、ある日部活からの帰ろうとすると一枚のMD(私MD世代。)が落ちていた。ラベルには「未体験ゾーン」と書いてある。恐らく先輩のだれかが落としたのだろう。友人と私は何となく自分たちのプレイヤーで聴いてみたんだが、これがかっこ良かった。自分の無知を反省しつつ何枚かのCDを借りてはMDに録音して一時期聴いてた。
あれから10年以上経った訳だけど、何となくまた聴きたくなって今度はレンタルじゃなくてCDを購入した訳です。

音楽的にはいわゆるニュー・メタルの流れに乗るバンド。極端にダウンチューニングした弦の多い楽器陣が低音を奏でるあのジャンル。当時はヘヴィロックとかもいっておりました。ジャージに身を包みちょっと悪っぽいのが比較的若い層に受けて一大ムーブメントになり雨後の筍にように様々なバンドが生まれては消えていったり。
そんなニュー・メタルへの日本なりの回答の一つが山嵐だったのかも。ニュー・メタルのなかでもサブジャンルの一つラップメタルのカテゴリ。ターンテーブルのメンバーはいないのだが、2人のMCが在籍し俺様なラップを披露していくスタイル。
抜けの良い乾いたスネアが気持ちよいドラム。そこにやはりこの手のバンドの肝となるかなり動き回るベースが乗っかる。スラップも多め。そこにギターが乗っかるのだが、ラップ主体のパートではわりとミニマルかつ空間的、飛び道具的、ファンク調の音で攻め、サビにはラップに取って代わってがつがつした低音リフで圧殺してくる。改めて聴くと中々バランスが良い。まず五月蝿いのは五月蝿いのだけど、きちんと音の数をしぼっている。比較的素直な中音域のラップの邪魔にならないように高音と低音できっちりメリハリを付けて、声が届くようにしている。
ニュー・メタル特有の悪っぽさはあるし、実際ヘヴィかつラウドではあるものの、例えばKornのような張りつめた緊張感オンリーではなく、特有のユルさがありそれがいい感じに魅力になっている感じ。だから悪さも行き過ぎない感じで自然体に思える。肝心のラップも堂に入ったものに私には聴こえる。流行に乗ったバンドと切り捨てるには勿体ない。キッチリ切磋琢磨してバンドだと思います。

思い出に浸るつもりで買ったけどとんでもない。今聴いてもやっぱりカッコいい。

Su19b/The World Doomed to Violence

日本は東京のパワーバイオレンスバンドの1stアルバム。
2015年にY Recordsからリリースされた。
バンドにとっと始めたのフルアルバムなんだが、結成は1997年という歴史を持つバンド。私は初めてこの音源で耳にする。
「暴力に運命付けられた世界」というタイトル。モノクロのジャケットには法王、医者、暴徒鎮圧隊、兵士たちという権力者とその先兵たちがゾンビ化している絵が描かれている。骸骨の手が人の瞼をアイスピックで貫いている、それらのアートワークからおぼろげながらこのバンドの方向性が見えてくるように感じる。つまりパンクである。パンクといっても広義の意味を持つ単語になってしまっているけど、ここでは反体制で厭世観やフラストレーションを、そのまま攻撃性に転嫁した様な音楽を演るバンド、という意味。

パワーバイオレンスというととにかくハードコアパンクの精神でもってグラインドコアを独自に噛み砕いた超速いショートカットチューンを矢継ぎ早に演奏していく、という印象があるのだが、恐らくハードコアパンクと同じで単に音楽性にとどまらずそのメッセージだったり、背景だったり精神的なものを表現した単語でもあるのだろう。
再生ボタンをおすと地鳴りの様なノイズに彩られたイントロでこのアルバムの幕が開ける。アルバムのタイトルにもなっているこのナンバーは7分もある。ドローンめいたノイズ二あふれたギター登場し2分も半ばになるとグルグル唸る様なうめき声が登場してくる。超鈍足スタイルのスラッジスタイル。ひたすら重く苦しいまさにドゥームな世界観だ。聞き手はここで居住まいをたださないといけない。5分すぎるとギターが美しくも不穏なアルペジオを奏で始める。デスメタルそこのけのボーカルは黙らない。ガリガリしたギターがカットインしてくる、あれ加速している?と気づくと曲はもう止まらなくなっている。
アルバムの1曲目というのはそのアルバムの印象を強烈に左右する力を持っている。とするとこのアルバムの1曲目の出来は素晴らしい。Su19bはこういうバンドだというのがすぐ分かる。
ボーカルは胃の腑の奥から吐き出す様なグロウル。ギターは重たい芯の音とその周りを囲むジリジリしたノイズがグラデーションを描いて一体となっている。ベースは割れる寸前まで低音を強調した音で、こちらもギターと同様輪郭が曖昧になる位模糊としている。ドラムに関しても黒く低くその音像が設定されているものの、ボコボコしたスネアの連打は悪夢の様な曲の中に秩序めいたリズムを作り出し、一種の清涼感を演出している。またスラッジパートのキンキンしたシンバルの反復は反響が空虚で滅茶カッコいい。
どうにもこのバンドというのは極端から極端へ突き抜けたバンドで半端が無い。ドタドタしたドラムを筆頭に疾走するパート、手ひどく叩きのめされた様なひたすらスラッジーなパート。面白いのは同じ曲の中でも両極端をかなり頻繁に行ったり来たりするのだ、演奏が速くてもボーカルはぐええええええと叫んでいるなと思ったらスラッジパート。放心した様なノイズがいつの間にか突っ走ってたりする。緊張感で窒息しそう。なんとなくガチ過ぎて軽い気持ちでは聴けない。個人的には9曲目「Negative Legacy」でその緊張感がマックス爆発寸前でもうやばい。いっそ爆発してくれーーと聴いている方が爆発しそうになる。これは楽しい。

ひさしぶりに真っ黒なアルバム。
容赦ねえ〜という音楽が好きな人は是非どうぞ!

中村融編/18の奇妙な物語 街角の書店

東京創元社から出版されたアンソロジー。
アンソロジストの中村融さんが編集したシリーズは全部を読んでいる訳ではないのだが、今のところはずれ無しに楽しませていただいているので今回も購入。
今回のテーマは「奇妙な味」。私も何回か目にした事がある単語だが、元は江戸川乱歩が作った言葉で「ヌケヌケとした、ふてぶてしい、ユーモアのある、無邪気な残虐というようなもの」ということで英米探偵小説の一部の作品を指していたらしい(本署解説より)。それが今では何とも言えない読後感のあるSFとも幻想怪奇小説ともとれる作品に使われるようになり、その観点で持ってその”奇妙な味わい”のある作品をまとめたのがこのアンソロジーである。
一番有名なのは「くじ」のシャーリィ・ジャクスンだろうか。この間このブログでも感想を書いたロジャー・ゼラズニイ。ドートマンダーシリーズのウェストレイク(の変名)やフレドリック・ブラウンも名を連ねる。
いくつか気に入った作品を紹介しよう。

ミルドレッド・クリンガーマン/赤い心臓と青い薔薇
病院に入院する「わたし」。向かいのベッドの女が話をする。クリスマス前の時期軍隊に行った息子が休暇に道中一緒になった男を実家に連れてくる。何とも言えない雰囲気を持った男は語り手の女のことを「マム」と呼び、その振る舞いは次第に奇妙さを帯びてくる。
語り手が病院に入院しているからか、聴かされる物語は次第に不穏さを帯びてくる。結局何が正しいのかは判断つかないのだが、一つ一つのエピソードに少しずつ真実が紛れ込まれているようで底から類推するのが楽しい。なんせ主人公の「わたし」も語り手と一緒に入院している訳で全部夢か妄想なのではとも思えてしまう。

テリー・カー/試金石
会社員ランドルフはある日怪しい本屋で「試金石」と呼ばれる魔術道具を買う。真っ黒くて三日月の形をしたその石は不思議とランドルフの手に馴染んだのだ。ランドルフの手は石を求め、意識は次第に鈍麻してくるようだ。日常が奇妙に少しずつぶれていく様な気がする。
大事件は起きないのだが、なんかおかしくないだろうか?と思う、その違和感を欠くのが抜群に巧妙だ。魔術道具、たとえばお守りもそうだが、説明をつけるのが目的だとすると自派よく動いている。ランドルフに起きた不調の説明が試金石のせいでないにしても、最終的には石が悪かったって事になるのが面白い。きちんとその役割を果たしのかなと思う。

ケイト・ウィルヘルム/遭遇
保険のセールスマンクレインは仕事に向かう途中大雪に遭遇し、長距離バスの待合所に一晩止まる事になる。イラストレイターだという女性も一緒だった。暖房が良く効かない密室の中でクレインは決して良好とは言えない妻戸の関係に思いを馳せていくが…
雪に降り籠められた密室で一見完璧な男の表面がいちまいいちまいはがれていき、その中に隠した狂気が暴かれていく。解説にある通りのラストにはぞっとするのだが、むしろその破綻に至るまでのクレインの深奥が明らかになっていく過程が素晴らしかった。無論ほかの17の物語も文句無しに面白いのだが、この一遍だけでお金を払う価値があるなと思う。作者が女性だからだと思うのだが表現と台詞が感情的かつ鋭くて良いんだよね。
クレインはメアリ・ルイーズを殴った。初めて殴った。手術後の彼女は蒼白で出血のために弱っていた。クレインは彼女を殴った事を何とも思わなかった。のびた手が彼女の頬にぶつかって、赤い跡を残しただけだ。
この分の冷静さ、そしてそれ故の恐ろしさよ!男性作家ならもう少し誇張して書いてしまうのではあるまいか。

どれも面白かったが個人的には女性作家の手による作品が壷に入ったのかなと、改めて思い返してみると思う。情念!というほどの濃い作品がある訳でもないが、説明できない不可思議が主題になる時、感情を素直に表す女性の感性が冴えるのかもしれない。こんな単純化できる話でもないかもしれないけど…
さてSFとも超自然とも説明できない、または説明しない作品というのは怪異そのものというより、怪異が引き起こす状況自体が描写したい対象となる様な印象がある。厄介な状況は人間の感情を、それも複数の感情が入り交じった複雑な気持ちや感覚を誘起する。その感情が入り交じった状態が”奇妙なあじ”なのではと思う。これは中々病み付きだ。
好きな人にはたまらない短編集だと思う。不思議な物語の収集家の貴方は是非、手に取ってみてほしいオススメの一冊。

ウィリアム・ギブスン+ブルース・スターリング/ディファレンス・エンジン

アメリカの作家二人による合作SF。
1991年にアメリカで出版された。
復刊だったりで昨今また盛り上がりつつある(のかな?)サイバーパンクムーブメントの大立物二人による合作作品。

チャールズ・バベッジが差分機関(ディファレンス・エンジン)を完成させた19世紀イギリス、ロンドン。蒸気と歯車で動くコンピュータであるこのエンジンは時代を大きく変えた。キノトロープと呼ばれる動画も、国民番号制を管理する巨大なコンピュータもエンジンを使って産まれた。古生物学者のマロリーは蒸気者競争場で明らかに堅気ではない男女にとらわれた女性を助ける事で巨大な陰謀に巻き込まれていく…

所謂SFカテゴリ内の歴史改変ものってことになる。ぱっと思い浮かぶのはディックの「高い城の男」だが、それも含めて私はこのジャンル全く読んだ事がないと思う。
この本はどうも中々一筋縄でいかない類いの小説である。
まず蒸気機関が登場ってことでスチームパンクか!と思うところなんだが、上巻で解説も書いている故・伊藤計劃さんによるとスチームパンクじゃなくてサイバーパンクらしい。個人的にはサイバーパンクである事は分かったけど、同時にスチームパンクでもいいんじゃないか?って思うのだが、スチームパンク読んだ事無いし、ここら辺は詳しい人に任せよう。
で中身の方も(少なくともこの本では)歴史改変ものは現実から”どこ(誰)”が”どのように”変わっていくのかってところが面白さなのだが、イギリスを中心にアメリカ(合衆国ではなくてどうも北と南で分かれているようだ)、フランス、そして日本と実在の人物が数多く登場する。これらの人たちが歴史上何をしたのかってのを知らなくても楽しめるのだが、勿論知っている方がより楽しめる。だから下巻の末尾にはかなり長い辞典が乗っている。人物、出来事、単語、歴史、諸々の関連する事柄が説明されている。ここに関わってくるのだが、さらに実際の19世紀イギリス+改変された歴史の階級闘争、政治闘争が物語に深く関わってくる。色んな思惑の人たちが出てくる。さすがに単純に善人、悪人って分けにもいかないので中々ややこしい。
それから物語の運びも厄介で、色んな登場人物がいて主人公が変わるのは全然良いのだが、物語がある程度進むまで明確に主人公たちが何に向かって動いているか分かりにくい。これは私の頭の出来と読み込みが足りない所為と思うのだが、マロリーも偶然巻き込まれた感があるのでなにか陰謀だな…って所は分かるのだが果たしてゴールがどこにあるのかは判然としなかった。もっともそれ故にマロリーと次第に混沌としてくる町をさまよっている感、それから一気に物語が加速して冒険活劇めいてくる後半のカタルシス感は良かった。
読み進めて思ったのはこの本の主人公は人物たちではないのかなってことだ。要するに人間とその近くを持って描写される都市が主人公かと思ったのだが、都市ってよりはそれより大きい時間や言ってしまうと時代を描写する事に終始しているようだ。これは要するに違う世界そのものを書くのが主体の小説って事かなと思う。

決して分かりやすい話ではないのだが、物語の構成(というか仕掛け)が素晴らしいので最後まで是非読んでほしい作品。多くは語れないのだがサイバーパンクである。

ところでスターリングの本は前に紹介した「塵クジラの海」と本作以外は全部絶版になっているのだが、両作品とも一風変わった作品であるのはどういうことなんだろうな、と純粋に気になる。どちらもその性格故に転換を生み出した作品ってのは分かるんだけど、肝心のサイバーパンクはいつ読めるんかのおという気分でもあります。

2015年6月14日日曜日

Cohol/裏現

日本の3人組ブラックメタルバンドの2ndアルバム。
2015年にフランスのOsmose Productionsからリリースされた。
タイトル裏現(りげん)とは”表現”のさらに裏側という意図があるそうな。
1st「空洞」から4年半、heaven in her armsとのスプリット「刻光」から1年ちょっとぶりの新アルバム。「刻光」は(両バンドともに)良かったんで新アルバムも期待して待っていたんだけど、そんな期待の遥か上をいくアルバムに。

ぱっと聴くとブラックメタル感がぐっと前に推し出て来ているように感じる。
地鳴りの様なバスドラの連打。乾いてダスダスしたスネアはリズムキープからマシンガンの様な正確な連打まで。シンバルの音色も豊富でここまで多彩な表現が出来るのかともはや感動するのですが。
ベースはリズムキープにとどまらずかなり活発に動いている。低音が極端だから、ゴロゴロ這い回るようだ。3人体制なので遊びが無い分、ひとりひとり高いものが求められるんだなあとと思う。
ギターは迫力のある低音リフと、不穏な高音を使い分けてトレモロで攻めてくる。ボーカルが邪悪さを担当する分、こちらが饒舌になってくるわけで、荒廃した攻撃性の中にもメロディアスが隠し様も無くここら辺が気持ちよいポイント。リフの最後のきゃらきゃらした不協和音めいた音やハーモニクスなど端々に見せる個性が曲を豊かなものにしている。
個人的にはやはりバスドラが連打しているのに、中音域でためるようなリフを繰り広げる曲展開がとてもツボ。(5曲目の後半部分とかとか。)疾走パートがカタルシスだとするとじらされている訳なんだけど、しかしなんか独特の高揚感があってテンションあがる。
ボーカルは引き続きしゃがれ声のスクリーム。ブラックメタル直系のイーヴィルなもの。意外にクリアで日本語歌詞が結構聞き取れる。
全体を通してブラックメタルの形式に則りながらもこの表現の豊かさはどうしたことだろう。ポエトリーリーディングだったり、その歌詞だったりポストハードコアな影響は今回も激烈な音楽と見事に同居している。思想的には明確にプリミティブなブラックメタル(分かりやすく言えばサタニズム)と距離がある(と私は思う)唯一無二の音楽性は研ぎすまされているものの流行に全く左右されず、「空洞」から一貫している。

HMVのサイトでバンドのかなり長いインタビューが読めるので是非どうぞ。アルバム制作を中心にバンドの結成から色んな状況が飾らない言葉で読めます。とても面白い!
アルバムのブックレットには歌詞が日本語と英訳されたものが乗っている。ブラックメタルではその特徴的な外見も含めて神秘的な側面があるジャンルだが、むしろCoholは積極的に自分たちを素直に配信していく様な動きがある。
地道な活動で確実にその名を浸透させているバンドだからすでに聴いている人も多いだろうが、まだの人は是非どうぞ。カテゴリにはまらないまさにこの日本で現在進行中のブラックメタルだと思う。オススメ。

Mrtyu!/Witchfucker

ニュージーランドのノイズ/ドローン/アンビエントプロジェクトの2nd?アルバム。
2012年にAurora Borealis Recordingsからリリースされた。
Mrtyuとはサンスクリット語で死を意味する単語だそうな。Antony Miltonという人のソロプエジェクトでこの人はPseudo Auroraというレーベルのオーナーをやりつつ、本名を含めて様々な変名で活躍している。
私は切っ掛けはもう忘れたが、2009年に発売されたアルバム「Ornate Shroud」というアルバムを購入して大いに気に入って、20 Buck Spinから2006年にリリースされていた「Blood Tantra (Rituels De Sang Du Culte De Tantra)」を購入、一時期結構聴いていた。派手に活動するアーティストでもないのでそれぎりになってしまっていたが、この間記事に書いたSutekh Hexenの音源を探していたらレーベルのBandcampでこの音源を見つけてこっちをすっと買った次第。

このMrtyu!というプロジェクトの音楽はノイズを主体とした音楽性は酷く攻撃的なものだが、激しさを追求したハーシュノイズというよりは、バンド名の通り退廃的かつ荒廃的な暗い音楽である。いわば死んだ後の絶対的静寂を音楽的に再現するような(絶対的な無音状態を五月蝿い音楽で表現するというこの矛盾、好きです。)試みがあって、結果だいぶ前衛的な音楽が出来上がっている。
五月蝿いながらもどこかしら放心した様な空虚さを追求した音楽性で、聴いているとノイズならではの常に蠢く不定形な音の波の洪水に飲み込まれるようで大いに気持ちがよい。
こう書くと結構取っ付きにくい印象なのだが、おそらくロックの影響を結構取り入れていて、おぼろげながらもドラムがあるかなきかのリズムを刻んだり、うっすらとシンセ音のメロディらしくものがかすかにたどれたり、このアルバムではなかったけどアコースティックなギターが流麗なアルペジオを奏でたりする。いわば聴きやすいポイントが随所にちりばめられているので私の様な軽薄なロックファンでもすんなり聴ける。
不穏なアンビエントっぽさも一つの売りで、ゴーンという鐘の音がなんとなく和風な雰囲気を醸し出して夜の寺に侵入して墓地の真ん中で佇んでみました、という趣な曲もあったりする。
個人的にこのプロジェクトの真骨頂は五月蝿いノイズが喧しく鳴り響くのに、微妙なメロディを聴かせてくるというパターンであって、とにかくこれが泣ける(泣かないけど。)あざといくらいにぐっと来る。アルバムタイトルにもなっている「Witchfucker」がなんとも素晴らしい出来で、低音ながらも透明感のあるシンセ音にしみ出して来た様な細いノイズが被さるイントロから殺しにかかって来ている。ミニマルかつ冷徹なシンセと対照的ににノイズは悲鳴をあげつづけ、たまにデジタルっぽいバスドラムがリズムを刻む。霧のようにかすかなシンセ音が空間的な色づけをする。ノイズは悲鳴を上げ続ける。とにかくどの楽器でもアタックの後の残響の余韻に美しさを見いだすような人間ならこの音楽の素晴らしさを分かち合えるのではと思う。
ノイズをコントロールするのではなくむしろ思うままに放埒に任せて、曲全体に他の要素である程度の反復性だったり目立たないメロディだったりを付与する事で秩序らしきものをもたらすという面ではBen Frostに少し似ているかもしれない。

個人的にはタイトル曲だけで本当何回リピートでもいけるまさにトリップ盤。
興味ある人は是非どうぞ!!!
Bandcampで気軽に購入できますよ〜。

2015年6月13日土曜日

Noisem/Blossoming Decay

アメリカ合衆国はメリーランド州ボルティモアのデス/スラッシュメタルバンドの2ndアルバム。
2015年にA389 Recordingsからリリースされた。
元は2008年にNeccropsyという名前で結成された5人組のバンドで、結成当時はメンバー全員10代だったとのこと。2013年に現在のバンド名に変更し、1stアルバムをA389 Recordingsからリリースしている。そちらは未聴。

刻みまくるギターリフに彩られた速めの曲という原型はスラッシュメタルなのだろうが、リリース元のレーベルがハードコアな事もあって、なかなかごった煮感のあるサウンドをならしている。
曲はだいたい1分台後半から2分台。スラッジーな鈍足パートを織り交ぜた曲も2曲ほど。
楽器陣はさすがに重低音を強く意識しているが何より勢いに特化したバンドなのでハードコアさながらに前のめりに突っ走るタイプ。そこに不協和音めいたやけっぱち感のあるギターソロをぶち込んでくる。全体的にタイトル通り退廃した荒々しさがあってヒリヒリするような音になっている。
ドラムはブラストビートもふんだんに取り入れた五月蝿いもの。一音一音を力を込めて叩いているカッチリ感があってここは結構メタル(グラインドコア)っぽいと思う。ベースはガロガロいう凶悪なものでたまに他のパートが黙って存在感を出してくるのが良い。
ギターはスラッシュメタルを彷彿とさせるざくざくしたリフと、疾走パートではぎゅるぎゅる巻き込む様な爆走リフの対比が売り。フィードバックノイズだったり、空間性のある空虚な音だったり意外に芸達者。粒子の粗いざらざらした音が特にスラッジパートでは良く映える。前述の通りとにかく生き急いでいる感のあるソロパートもうるせー感満載でハードコアいスタイルに良く合う。
ボーカルはデスメタルというよりはハードコアを彷彿とさせる吐き捨て型で、若いはずなのに堂に入っている。このボーカルがいい感じにラフい雰囲気を倍加させている。ラフといっても血管ぶち切れそうなシャウトが終始続くんだけど。
とにかく全体的に窮鼠っというか崖っぷちっぽい退路無しな雰囲気があって、そこが良いす。変に気取ったところが無い。

個人的にはなんとなくTerrorizerを思い出しました。あそこまでカッチリはしていないのだが、吐き捨てボーカルはちょっと似ている。あとPretty Little Flowerとかスラッシーなグラインドコアって意味では共通点あるかも。
ハードコア好きもメタル好きもいけるバンド。なんといっても中途半端さは皆無。正しく両者の良い所取りできている素晴らしいアルバム。オススメ。


2015年6月7日日曜日

チャック・パラニューク/ファイト・クラブ[新版]

ファイト・クラブ規則
第一条 ファイト・クラブについて口にしてはならない。
自動車会社のリコール業務担当の僕は物質的には恵まれた生活を送っているものの酷い不眠症に悩まされていた。不治の病に冒された人の互助グループに身分を偽って参加する事で生を実感しなんとか心の平穏を保っていた。ある日自宅が爆破された僕は偶然知り合ったミステリアスな男タイラー・ダーデンの家に転がり込む。「俺を力一杯殴ってくれ」バーの駐車場で力一杯殴り合った僕とタイラーはファイト・クラブを始める。メンバーはバーの地下室で殴り合うのだ。僕の非日常が加速していく。

「ファイト・クラブ」は有名だ。どっちかというとデヴィッド・フィンチャー監督ブラッド・ピット主演の映画の方が有名ではなかろうか。カルトというには有名になりすぎているが所謂メインストリームから外れている作品であるのではなかろうか。私ももう何年前になるのか主出せないほど遠い昔に映画を見た記憶がある。
その原作は小説だった。有名作品の原作だというのにどうも長らく絶版状態になっていたらしいのだが、このたび早川70周年復刊フェアの一環として著者の後書きを追加して新版として再販された。ギブスンの「クローム襲撃」を買いそびれた私はこちらに飛びついた。
映画を見たのは学生の頃だからもう忘却の彼方だ。初めて読むくらいの気持ちで楽しめたが、この小説なかなか一筋縄ではいかない。途中までは翻弄される主人公同様にかなり戸惑い気持ち悪い思いをしたものだが、読み終えてまず言いたいのは(当たり前だが)これはアナーキストの教科書ではない。これは何にもなれなかった惨めな男の奇跡の物語なのだ。いわば危険でミステリアスな男タイラーが「僕」の天使だった。ただあまりに変わっていたから彼が天使だと「僕」は思わなかった。これは象徴的且つ比喩的だが、こう思うのだ。だれでも天使にあって彼に導かれても彼が天使だと分からないのだ。戸惑って流されるが、自分が行き着くところが予想できたら天使を拒絶するだろう。それこそが「僕」も含めて冴えない男たち(=私たち)が冴えない理由でもあるのだが。
冴えない私たちはいつもこう思っている「変わりたい」と。だが本当に何かかえた事があるだろうか?「僕」は不眠症に悩むくらいだったら仕事を辞めたって良かった。「僕」はマーラに自分の気持ちを伝えたって良かった。「僕」はファイト・クラブが制御不能になったときさっさと離脱して良かった。でも実際にはどうした?どうもしなかった。そんな「僕」の日常をタイラーは荒々しく壊した。でも「僕」はそれを歓迎できたのだろうか?タイラーは荒々しい天使で、文字通り冴えない「僕」を殺そうと、変えてやろうとしたのだ。「僕」が冴えなかったのは幾らか外的な影響(仕事、家庭、そして支配的かつ適当な父親)も勿論だが、最終的には自分の所為だった。自分を変えるにはそんな自分を壊すしか無い。ファイト・クラブは殴るクラブではない。ファイト・クラブは他人に暴力をふるうクラブではない。ファイト・クラブに所属する人間は社会転覆を目的にするアナーキストではない。彼らは壁に落書きをし、ものを盗み、爆弾を作るが決してアナーキストではない。ファイト・クラブは確かに殴る場だが、殴られる場でもある。武器の使用は認められない。お互いに正々堂々殴り殴られ合わなければならない。私たちは自己を破壊しなければならない。駄目で冴えない自分を、私たちは殴って壊さなければならない。「僕」そして私たちは頑迷で固陋だった。私たちは不満に満足してしまった。私たちは決して天啓を得られず、そして「僕」のように奇跡が起きてもそれを受け入れる事は難しい。そういった意味で大変無慈悲で無常な小説であるといえる。
一言で言えば最高の小説じゃん。

名前は知っている、映画は見たけど…という人は多いだろう。沢山の人に愛されている作品なのだから読むのに躊躇する理由はないだろう。すぐに買って読んだら良いと思いますよ。
映画のトレーラー、バックの音楽がえらいカッコいいと思ったらPixiesの「Where is My Mind?」という曲らしい。Pixies聴いた事無かったけど買ってみた。良い!

Adventures/Supersonic Home

アメリカはペンシルベニア州ピッツバーグのインディーロックバンドの1stアルバム。
2015年にRun for Cover Recordsよりリリースされた。
Adventuresは5人組のバンドで編成はドラム、ベース、ギター、ギター/ボーカル、キーボード/ボーカル。今まで2枚のスプリットと2枚のEPをリリースしているが私はそちらは未聴。Deafheavenのメンバーの別バンドWhirrと一緒にライブやったりしているようでそこら辺からも何となく音の方が予想つくかも。
写真を見るとどこかで見た事あるメンバーがいるだけど、それもそのはずで何とこのバンド5人中の3人が激音ハードコアバンドCode Orangeの面々(ドラムとベースとギター/ボーカル)。たしか10代でデビューしているからまだめっちゃ若いはず。

さて音の方はというと基本Code Orangeとはかけ離れているインディーロックをやっていている。個人的には全然違う事をやってくれる方が何となく得した気分になるので好き。
同じバンド編成ながらもアルバムのアートワーク通り、暖かみのある色彩豊かで外に開いたロックをならしている。メロディアスで爽やか。
ドラムはぱしんぱしんとリズムを刻み、ベースはロックバンドらしくリズムをなぞるように低音を鳴らす。(よくよく聴いてみるとこの低音部隊はかなりしっかりしているというか前に出てくる訳ではないけど、しっかりしているのはその出自故かも。)ギターはコード感のある乾いたものに、単音のキラキラしたアルペジオがのっかる。キーボードが空間的な広がりをバンド的な音に付与する。
音の厚みはどっしりしているが(勿論メタル的でもハードコア的でもない)最近流行のシューゲイザーっぽさはあまり感じられない。空間的な広がりはありつつも、地に足の着いたロックという印象。
ボーカルは基本Code Orangeの女の子がメインなんだけど、男女のコーラスが頻繁にはいってそれがこのバンドの持ち味の一つであり魅力の一つ。無理矢理気分を高揚させるあざとさは全くなくて、本当自然にメインの旋律をなぞるようにはもってくる様なイメージ。
メインボーカルはちょっとした気怠さを交えつつも、飾らない素直さで歌い上げるタイプでなんといっても、その素っぽさとそして若さにあふれたストレートな強さがよい。インディーロックというとちょっと脆弱なイメージがあったりするかもしれないが(それが魅力のバンドも沢山あると思うが)、このバンドに関しては芯がしっかりしているし、ボーカルは気の強さと言うか反骨精神がなんとなく感じられる。それは何かをぐっと押し返す様な強さを持っていて、それがカッコいい。
リリース時期も相まって初夏のさわやかな風の様な清涼感。
Code Orange好きな人は、どれどれ位の気持ちで聴いてみてほしい。違いに驚くが結構気に入るのではなかろうか。

なんといってもこの曲にやられて買ったんだよね、本当に良い曲。

2015年6月6日土曜日

Sutekh Hexen/Become

アメリカはカリフォルニア州オークランドのブラックメタル/ノイズバンドのEP。
2014年にいくつかのレーベルからリリースされた。
このバンドの事は全然知らなかった。実は国内のとあるディストロに入荷されて興味を持ったんだけど、メディアがカセットテープだった。私はカセットを聴ける環境に無いSentient Ruin LaboratoriesのBandcampからデジタル形式で購入した次第。(ディストロさんには申し訳ないです…)

バンドは2009年に結成されて現在は4人編成のようだ。読み方はステク・ヘクセン?スーテク・ヘクセン?Metallumにもページがあるブラックメタルバンドなのだが、少なくともこの音源ではどちらかというとノイズ成分の方が多く感じた。分かりやすく言うと分かりやすいドラムによるリズムがない。(代替としてずずずずという低音が脈動しているのだけど。)ブラックメタルの特徴の一つであるトレモロギターリフが無い。ボーカルは酷くエフェクトをかけられている。さらにバックのノイズにとけ込んでいて判別がつかないといった様相。2曲でそれぞれだいたい15分ずつ。
特に反響を意識したその音楽性はドローンの影響が色濃いと思う。ただし正統派のドローンというよりは多重構造のノイズが常にその形態をかえながらずりずり蠢く悪魔めいたもので、その音楽性故かなり五月蝿い。メタルの音楽性だと単発の音の連続がすごく多いけど、この音源はずっとなり続ける音がうねり続ける。
ベースにはズズズズズという低音があり、若干ガリガリしたノイズが押っ被さる。2曲目の方は結構ギターリフははっきり聞き取れる。反復的なそれはあまりメタル的ではない。どちらかというと曲の雰囲気も相まって反復的なリフが儀式的に聴こえる。リバーブが極端にかかったボーカルがなにかわめく。チリチリしたハーシュノイズが顔を出す。全体が霧のように模糊としている。いかにも召還の儀式めいて来て霧の向こうから異形が姿を見せる、何かが動いている、あくあまでも異形そのものではなくて、その到来の予感矢不安感をあおる音楽性でそういった意味ではなかなかに美しいところがあると思う。
こうなってしまうと私の頭と語彙では曲を分解してどこどこが良いというのは非常に難しいのだ。どうもとらえどころが無く、それ故に楽しい。思うにこういう音楽はとにかく音量をマックスに上げて聴くのが最高に気持ちよい。

ところでカセットテープは実は優れたメディアで嘘かほんとか分からないのだが、特にノイズのジャンルには音質的に適しているらしく最近リリースが増えているとか。必要に応じてターンテーブルを購入して大分経つが、いよいよカセットが聴けるデバイスを購入しなければならないのかもしれないな。なんだか面白いよ。私はどちらかというとMD世代なのでカセットというと中学生とか高校生時代の英語の授業を思い出してしまう。
という訳で私は非常に気に入りました。別の音源を探してみようと思っております。

ACxDC/Antichrist Demoncore

アメリカはカリフォルニア州ロサンジェルスのパワーバイオレンス/グラインドコアバンドの1stアルバム。
2014年にMelotov Recordsからリリースされた。
ACxDCとはいかにも人を食ったバンド名だが、アルバムのタイトルと同じくAntichrist Demoncoreの略らしい。訳す前もなかなか厳つくかつやり過ぎ感が出ていて実際に聴く前から期待が持てる。結成は2003年ということでキャリアも長い。詳細な歴史は分からないが現在は5人体制なようだ。

音楽的にはパワーバイオレンスになるのだろうが、バンド名やヤギをあしらったアートワークなどブラックメタル成分を感じさせる。ただあくまでも味付けという感じで、おどろおどろしさと飾りっけの無い行き過ぎたユーモアが融合していて面白い。気になった人は彼らのFacebookのページでフライヤーやアートワークなどを見てみるとよいかも。
全部で16曲収録されているが、アルバムトータルで19分51秒。
ようするにクソ速くて、クソ五月蝿いわけです。
ドラムは速いんだけど重さがあってグラインドコア感もばっちり。ただ速いだけでなくて、跳ねる様なバスドラ(これはビートは普通のリズムなのになんでこんな気持ちよくきこえるのかわからん、不思議)だったり、スラッジパートの抜けのよいスネアだったり、要所要所のシンバルだったり、非常に気持ちよい叩き方。
ギターとドラムもかなり重量感のあるメタリックな音で、速いだけでなくて重苦しく刻んできたりと凝っている。特にドラムは速いのにギターとベースは低音で放心した様なリフを披露したりとバンド名通り中々一筋縄ではいかない深みを持っている印象。
ボーカルは基本わめき声タイプ。力強さとどことなく気怠さ、やけっぱち感はやはりハードコア。中音わめきからの高音わめきがバックの演奏と相まって曲が一気に加速していくようでカッコいい。たまに出てくるスラッジパートで喉をからして叫ぶさまが個人的には非常にツボ。血管ぶち切れそうな絶叫。グロウルっぽい低音も(多分他のメンバーじゃないかと思う。)良いアクセント。
速いのは速いのだけど1分以下の短い曲の中でもスラッジパートに自然になだれ込んだり、フィードバックノイズに満ちた間を作るなど起伏があって面白い。どのパートも必要充分な長さで冗長さが皆無。濃厚な音楽性がさらに圧縮されていて混乱する情景を倍速出見ている様な爽快さがある。うるせーーって感じでもあるし、やかましーーって感じでもある。ジャケット通り真っ黒な音楽性だが、独特の諧謔性があって困った奴だが嫌な奴じゃないな…という厄介な友達みたいなバンドだと思う。(写真見るととても怖そうな人たちなので絶対友達になれそうにないですが!!)

BandcampではName Your Priceで公開されているので気になった人はまずどうぞ。
私的にはお金を払ってでも聴くべき素晴らしいアルバムだと思います。
最近やる気が出ないという貴方は是非このアルバムから元気をもらおう。