2015年10月25日日曜日

Bongzilla/Nuggets

アメリカはウィスコンシン州マディソンのストーナーロック/スラッジメタルバンドのコンピレーションアルバム。
2007年にBarbarian Recordsからリリースされた。
前々から気になっていたバンドだったのでCDが売っているタイミングで買ってみた。
バンドは1995年結成された。恐らくBongとGodzillaを組み合わせたバンド名で、Bongとは水キセルのことをさす。しばしばマリファナをすうのに用いられるようだ。というかこのジャケットを見れば分かるが要するにマリファナすいまくりバンドってことなんだ。同系とうだとElectric Wizardが思い浮かぶが、あちらはまだラブクラフトだったりメタル特有の悪趣味さにその悪癖をぼやかすたしなみを持っていたのに対し、Bongzillaというのはマリファナ大好き感を隠す事無くむしろひけらかしている。インナーからCDのプリントまで真緑一色で、メンバーがBongを加えている写真も印象的である。その下にはBongzillaはマリファナに感謝するぜ、と書いてある。酷い。

さてストーナーというとなんとなくQOTSTAを思い浮かべてしまう私は明らかにこのジャンルの初心者である。(QOTSTAのフロントマンであるジョシュは自分たちがストーナーと呼ばれる事を嫌うのは良く聞いた話。)でもなんとなくちょっと楽しい感じがするロックンロールかな?と思っていたのだが、これが全然違って驚いた。超絶スラッジなんだもの。FBにも自分たちはストーナーロック/メタルと書いているけど、これはたぶん、というか絶対ストーンしているという意味で使っているのであって、音楽的には凶悪なスラッジである。
Eyehategodをもっと煙たくした感じで、煙の向こうからとてつもない激音が迫ってくる様な感じ。フィードバックノイズが縦横無尽に駆け巡り、エフェクトのかかったボーカルは悪意の塊だ。劣悪な音質でサンプリングしたSEも挟み込まれ地獄感を増している。弦楽器陣は中音域から低音域に特化した激音で曲間の放心した様なアンビエントパートが印象に残る。
中々の強烈さなんだが、意外に聴きやすいことに気がつく。例えばGrief(Griefとはスプリット音源もあったようだ)なんかのようなじわじわこちららが殺される様なトーチャー感は無い。とてもフレンドリーとは言えないのだが、完成された音楽は気持ちのよいものだ。まず印象的なのはドラムの音。その抜けの良さ。例えばここをべっとりとした重いメタル調にしたらそれこそ救いが無いのだろうが、一撃が重い乾いた音の乱打は非常に小気味よい。バスとスネアは乾いているがタムがたぶん唯一湿った音なのでそれのロールが映えてくる。馬鹿テクではないにしても手数が多くてドラムだけ聴いていてもきっと気持ちよいと思う。(特に12曲めとかは疾走感あってすごいよい。)
もう一つはリフのグルーヴィさ。Eyehategodもそうだが、リフだけ分解すればカッコいいビンテージ感すら漂うロック調のもので、抉じるように後ろに伸びる(チョーキング?)リフだったり、ブリッジミュートを使わないリフだったり、跳ねる様なドラムのリズムと合わさるとどちらかというと体が自然に動くような気持ちの良さ。
なるほど本人たちがストーナーを自称するのもよくよく聴いていると頷けるのが面白い。ただ逆にいえば気持ちのよい音楽をよくもまあここまで苛烈なもに仕上げて来たな、とも思う。あえて露悪趣味に走る様ないたずら心が何となく垣間見えてくる。

というわけで激しくも楽しい音楽でフルアルバムも気になるところ。煙たい感じに圧倒されるが一度入門すると楽しい事請け合い。ちなみにしらふでも楽しめると思います。


2015年10月24日土曜日

マイクル・コーニイ/ハローサマー、グッドバイ

イギリス生まれカナダ国籍の作家によるSF小説。
評判が良いのとAmazonにお勧めされるので気になっていたものの恋愛小説らしいということで敬遠していたのだが、何となく買ってみた。
作者のマイクル・コーニイはホテルやパブを経営したり、森林局に勤めたりと面白い経歴を持った作家で、いわゆるアウトドア大好きな人だったらしくそこが小説の細部をとても瑞々しいものにしている。

地球とは異なる惑星。冬はとてつもなく厳しい寒さに襲われる。星には二つの大国が存在しているが今は戦争している。政府高官を父に持つドローヴは夏の休暇を過ごすために温暖な港町に家族で出かける。そこで前年心を通わせた思い出の少女ブラウンアイズと再会。心躍らせるドローヴの前には明るい未来が広がっているかのように見えたが、戦争が次第にその影を落としていく。

恋愛小説であると同時に青春小説でもある。なんせ異世界が舞台であるから主人公たちも人間ではない(人間の形して心の動きも似ているよと作者からの注釈が物語の一番最初にある)のではっきり言えないがまあ中学生くらい?かなという年頃だと思う。
Amazonなんかでも評判が高いし、新訳もされたということで人気の作品なのだろうが、なかなか最初の方は読み進めるのが大変だった。というのも主人公ドローヴにちっとも感情移入が出来ないもんで。こいつは反抗期なのか政府高官の父とそれに追従する母親にとにかく敵対心を持っている。勿論この性格は思春期の少年というキャラクターを形成するにあたって意識的に作者が付与したものだと言う事は分かるのだが、かといって中々こいつのかたりについていくのは私には難しかった。年端が行かない特権階級のボンボンのガキでそれが恋愛するってもんだから、自分が嫉妬しているのか?と思ったのだがそうでもない。反抗的な態度、鋭い洞察力なんかは別にどうでも良くてようするにどうも自信満々なその態度が気に入らなかったようだ。むむむ〜と思っているとしかし戦争が不穏な影を少年の輝かしい人生に影を投げかけてくる訳で、こうするとこの少年もようやっと成長しなければならない訳で、そこらへんからは(生れたってのもありそうだが)楽しく読む事が出来た。とはいえどちらかというと父親の方のか保ってしまいがちな私。だって(恐らく早田と思うのだが)世襲制でもないのに政府高官にまで上り詰め、なるほど高圧的で支配的ではあるものの、家族を愛している故の主人公への接し方である(それがあまりよろしくない形で発言しているのはわかる)ことは結構分かりやすいもんで、そこら辺は少年の方も歩み寄れば良いのになと思ってしまう。
少年と戦争という物語の大筋があって、最後まで主人公が子供扱いされるのは戦争の不条理さを書き表していてとても良い。常に傍観者である、というところか。知恵はたつし、行動力もある、結構上手くできるのに戦争という大局に影響を与えることはかなわないという無力感が、恋愛にも影響を与えまさに苦い感じである。また恋愛小説、青春小説であると同時に一流のSF小説である、というところは主人公云々をぬきにしても流石と唸らざるを得ない。面白い。そして良く出来ている。
同じ少年が主人公のSFというとパオロ・バチガルピのヤングアダルト小説「シップブレイカー」の主人公は素直に応援したくなったものなのだが。彼が苦労人のせいだろうか。なんとなく批判的になってしまったが、物語がシリアスになる中盤以降とそこに絡んでくるSF要素で持って結構楽しめたのでした。続編も出版されているので読んでみようかな。調べたら表紙がスゲーんだが
青春小説〜?と思っているSFファンは読んでみると良いと思います。

スーザン・ヒル/黒衣の女 ある亡霊の物語

イギリスの女性作家によるホラー小説。
原題は「The Woman in Black」で1983年に発表された。
私が買ったのは新装版で帯には日本での演劇のお知らせがついている。本国でも長く演劇が上映されたり、ダニエル・ラドクリフ主演で最近映画化されたりと中々色んな国で愛されている物語らしい。まさにイギリスらしい正統な派ホラーなんだが、言っても発表は1983年だから古典ってほどでもない。

もう孫にいる年齢にさしかかっている弁護士アーサー・キップスは優しい家族に囲まれていて幸福だった。しかし彼には愛する家族にも言えないある秘密を抱えていた。イギリスの田舎町でアーサー自身が遭遇したある館とそこにまつわる奇怪な体験はアーサーの心身に深い傷を残し、完全に過去の出来事になった今でもつきものが落ちた気はしない。アーサーは自身の体験を文章にする事にした。彼があったある女の幽霊についての…

イギリスと言えばホラー、それもしっとりとした幽霊譚。アメリカ式のスプラッターホラーやお化け屋敷的なビックリどんでん返しとは明らかに一線を画す、日本の幽霊譚にも通じる静謐でしっとりしていて、それでいてその根底には人の恨みつらみがこってりと閉じ込められている恐怖譚である。これはまさにその王道を行く様な物語。
若くて健康で科学の信奉者で自信にあふれた才気ある男性が、田舎町の曰く付きの館で優麗に遭遇するという筋。これでもかというくらいのこってりさだが、この本を読んで王道というのはやはり良いなと思う。そして恐ろしい。お約束かよ〜という人にこそ是非読んでいただきたい。はっきりいって超怖いのだ。
この物語は満潮時には人が通えないほど孤立した、ほとんど湿地帯で覆われた離れ小島にぽつんと立つ人っ子一人いない洋館が舞台なのだ。これがまず良い。周りには何も遮るものが無く、空はどこまでも抜けるように青い。主人公もそうだがその風光明媚な景色の描写には思わず心が躍る。それが一点夜になると、また昼までもにわかに空が曇り始め、霧が忍び込んでくる。そう、この物語には霧が出てくる。怪異は霧とともにやってくる。湿った霧が音も無く忍び寄ってくる。霧自体はもやっとした水蒸気にすぎないのに、払っても払いきれないそれはこの物語の恐怖を凝縮した様な存在だ。霧が立ちこめる、超常的な”現象”が主人公の眼前に現れる。開かずの部屋から漏れてくる怪しい物音。そとでは馬車が底なし沼に落ち込みポニーの嘶きと沼に引き込まれる子供の断末魔の絶叫が聴こえる。それも何回も繰り返し繰り返し。憔悴しきった主人公の前に満を持して”それ”が現れる。この恐ろしい事。まずは静謐さ、安定があってそこに不気味が入り込んで来て次第にその存在感を増していく。幽霊とはなるほどこちらを驚かす存在なのだ。しかしその知恵といった巧みな訳で、せいぜい幻覚を見させるとかその類いである。気を確かに持てば大の大人が惑わされるものでもないのかもしれない。しかし舞台装置と幽霊の悪意がまさに一流の知略でもって主人公と読者を追い込んでいく。これが恐ろしい。
またしっかりとしたミステリー要素も物語に織り込まれており、幽霊と対峙する主人公は次第に彼女の悪意の由来に近づいていく。ここら辺は大変面白い。長編と言ってもそこまで長くない物語だから、恐怖とそれに相対する主人公の戦いがぎゅっと詰まって、簡潔な言葉で書かれている。余計な出し惜しみは一切無くさっと読める。
極め付きの幽霊の恐ろしさは是非一読して味わっていただく事をお勧めする。原題の主人公が過去を回想する形式だが、ある程度予測は出来るのだけどかといってその恐ろしさが減じられる事は一切無い。むしろ約束された不幸と恐怖に落ち込んでいく物語の緊張感と言ったらないだろう。嘆息とともに本を閉じるだろう。それはやるせない重いとそしてもしかしたらほんの少しの安心感かもしれない。つまり訳された恐怖がついにここで結末を迎えた事に対しての。
という事でものすごーーーーく楽しく読めた。ホラー万歳である。一流の恐怖を味わいたいのなら是非どうぞ。とってもオススメ本です。

2015年10月19日月曜日

ジョン・クロウリー/古代の遺物

アメリカの作家による短編集。
ジョン・クロウリーは「エンジン・サマー」という長編しか読んだ事が無い。これは所謂一周した後の(既存の文明が一回滅びさった跡地から別の文明が発生しつつある)地球を舞台にしたSF小説である。ひとりの少年(彼が私たちと同じ人間なのかは定かではない)が微妙に過去の文明をにおわせるガジェットが散見される不思議な、私たちの見知らぬ地球を旅するという内容で、これがもう、本当にもう素晴らしいのである。この一冊が私の人生をいかに豊かにしたのかとても言葉にできないくらいである。この一冊だけで私はもうこの本を書いたジョン・クロウリーという人が好きになってしまったのである。ところがこの作家というのは日本にはほぼ紹介されていない様な人で、この本が出るまではもう世界幻想文学大賞を獲得した「リトル・ビッグ」という本と短編集が一冊翻訳・出版されているだけである。こちらは両方もう絶版状態(今見たら何と「エンジン・サマー」も絶版で私としては憤懣やるかたない気持ちでいっぱいである!!)。
というわけでこの本がでて大変嬉しいのです。(買ってから読むまでですごい時間がかかってしまったのだが)。後書きによるとこの本は日本オリジナルの短編集という事。(版元に感謝。)

ジョン・クロウリーという人は前述の「エンジン・サマー」でもそうだったが、SFと幻想文学の垣根無く物語を書く人であると思う。(「リトル・ビッグ」は幻想味が強いのかな?是非読みたいんだが。)SF的なガジェットは出てくるもののそれの説明は非常にあっさりしていて、本当に”不思議さ”を演出するためにそれらの小道具や時代(または世界)の設定にSFを用いているという印象。何かの寓意が込められているというよりは不思議や幻想、謎そのものを書く事を探求しているように私には思える。だからそのもの語りというのは独特の雰囲気と読後感があって、それがこの短編集でも遺憾なく発揮されている。
先鋭的なSFと違ってどの物語も常に登場人物を丁寧に描写し、その内面の感情の動きにフォーカスが当てられている。それらが豊かにしかし簡素で平明な言葉よって紡がれている。ようするに感情的だが、押し売りしている様な強引さは皆無である。このバランスは非常に難しい。いわば感情的だが感情的ではないのだ。(感情にしぼっているのに、感情過多ではないという意味で)思うに感情が最終的に登場人物の行動に表れているから、それが結実するのが文字でなくて、読み手の頭の中だからだと思う。ほんの書き方は様々だが私はこういう書き方が好きだ。(あくまでも個人の好みだと思うけど)

さてこの短編集全部で12の短編が収録されており、どれも素晴らしいものだったが個人的には「消えた」(原題「Gone」)があまりに素晴らしく、このわずか30ページたらずの短い物語だけでもこの本を買う価値が十二分にあったと思う。これは何かというと一人の女性、離婚していて子供がいる普通の女性がとある決心をする、というだけの話なのに何故こんなにも胸を打つのか分からない。この物語には世界支配を狙っていると人間が勝手に思っている異星人の作ったロボット(彼らは人間の言う事ならたいてい何でもやってくれるけど主に皿洗いとか芝刈りとか、人殺しとかは駄目。見た目もあってドラえもんが思い浮かぶ)が出てくる。彼らが謎の存在で、実際それが人類、そして主人公に与えた影響もあるような?という様な書かれ方なのだが、私は思うに彼らは何もしていないかもしれない。謎めいたメッセージを通して人間が何かに気づいたというだけの事かもしれない。(「幼年期の終わり」のオーバーロードをもっと柔らかくした感じ。)そういった意味ではもの凄く前向きな物語だ。
”それは大きくて神聖なものを、今か今かと待ち続けたあげく、自分たちが手にするのは、長い長い、ひょっとしたら一生よりも長い時間の待機と頭上のむなしい空だけ言う事に気づいたものたちの宗教だった。”
なんとなくConvergeの名盤「Petitioning the Empty Sky」を連想とさせる。
”ああ、なんてきれいなんだろう。なぜだか、わたしはここに属していないと決断する前よりも美しく見える。たぶんその頃は、ここに属そうとするのに忙しくて、それに気づかなかったんだろう。
以降、愛はすべて順調。でも、以降っていつからはじまるの?いつ?”
これは誰しも思っている事かもしれない。

素晴らしい短編でした。何とも言えない物悲しい感じ。謎が明らかにされないまま屋根裏部屋の日のあたる棚の中でほっておかれる様な感じ。他の本は古本で買うしかないかもしれない。

Dr.Breaker/Meede Cossaello

日本は出雲の国(島根)のハードコアパンクバンドの2ndアルバム。
2015年に広島のBlood Sucker Recordsからリリースされた。
たまたま動画でこのアルバム収録の楽曲を目にしたのが切っ掛けで購入してみた。9年前に1stアルバムがリリース。メンバーチェンジを経ての久方ぶりの音源との事。
変わったタイトルは帯によると「破壊と創世」という意味との事。
ハードコアパンクに和楽器と和音階を大胆に取り入れた神楽ハードコアと称される独特のスタイルを構築したバンド。バンドメンバーはギター、ベース、ドラムという通常のバンドスタイルに篠笛(日本由来の横笛)、締太鼓、破壊屋太鼓(カスタマイズした和太鼓だろうか)、チャッパ(金属製の打楽器)、チントン太鼓を加えたもの。
スラッジメタルにメタルパーカッションと和音階を取り入れた同じく日本は大阪のBirushanahが大好きな私としては俄然興味が出てくるバンドである。
前述の通り、太鼓を始めとする打楽器の布陣が分厚いため、音楽的にもハードコアを基調としながらももの凄くパーカッシブ、つまり直感的で肉感的な独特の音楽にし上がっている。

熱い心情を日本語歌詞に込めて吐き捨てるように歌うストレートなハードコアスピリット。反戦!と声高に歌い、常に現状以上の前身を鼓舞する様な歌詞はひたすら熱い。その熱く硬質さに篠笛が軽やかに、間断なく前向きなメロディをのせると、なんと不思議一気に祭り囃子感が出てくる。あれれ?と思うと和太鼓のリズムがどんどんどんどんと響いてくる。これは…楽しい!もはや卑怯じゃない?って位日本人ならたぎってくる。あの、子供の頃の近所の神社の夏祭りなんだもん。これは踊れる。ハードコアで男臭いコーラスワークも”熱さ”を倍加させていく。汗を振り飛ばしながらそれでも踊らずにはいられない祭り囃子ハードコア。
打楽器にしても、ドラムの洗練されたソリッドな音色に加え、和太鼓の熱く暖かみのあるおおらかな低音、チャッパとチントン太鼓の細かくキンキンした跳ね回る様な高音と音の種類が圧倒的に豊富である。様々な音が複雑にしかしお互いに邪魔する事無く、曲間にぎゅっと詰まっている。そこに伸びやかなベースが乗る。リズムに調子が出てくる。ギターの音は粒子が粗いパンクな音で厚みはあるものの、繊細で暖かみのある和楽器の音を殺さない程度にとどめられている。疾走感のあるフレーズから、こまくちぎった様なパーカッシブなリフまで引き分けがキッチリしている。そんな無骨な屋台骨(相当がっしりしている。まさに丁寧に組まれた櫓のように。)に、篠笛が乗ってくる。これが結構すごくてですね。まずお祭り感というのがすごい。この音を聞いただけでワクワクして来てしまう。かと思えば例えば6曲目のイントロなどは、独特の音の豊かさ(残響とはべつにふくよかさがある)、そしてすこし物悲しい様なソロが披露されている。楽しさ、そして物悲しさのなかにも強さとそして日本人の心を打つ郷愁というのがあってそれが、耳から入って胸に響いてくるようだ。歌から叫びの中間を行く様なボーカルも血が通っているし、熱いんだけど、それとは別枠でメロディを奏でるこの篠笛が常に攻撃的な曲にもう一つの次元を付与している。楽器の首里の豊富さを見れば通常プログレッシブになりそうなところ、直感的なところはそのままに豊かにしている実に点は見事としか。

踊れるハードコアというのは聴いた事無いフレーズではないけど、日本人が踊れるハードコアというと初めて聴いた。とにかく楽しい、そして熱い!日本人の胸を打つ祭り囃子ハードコア。こりゃーカッコいい。とってもオススメなので是非どうぞ!

2015年10月13日火曜日

Twolow/Glutamic Acid

日本は(恐らく)東京のヘヴィロックバンドの1stアルバムにして初音源。
2015年にDiskUnion配下のレーベルSecreta Tradesからリリースされた。
2014年に結成された3ピースのバンドでドラムはHellish Lifeなどで活躍する塚本さん、
ベースはポストハードコアバンドDetytusの亀井さん(偉そうに書いているが両方ともに聴いた事無いです。)、ギター/ボーカルはLongLegsLongArms Records(妖怪手長足長からとったのだと思う。お洒落。)というレーベルのオーナーの水谷さんというシーンでは名の知れた方々が結成したバンド。
不思議なバンド名Twolowは2+ロウ、つまり「二郎」。「ラーメン二郎」のことらしい。つくづく思うんだけどTwitterを見るとバンドマンとその周辺の人たちはラーメン好きな人が多くない?私も勿論ラーメン好きだけど、所謂二郎系のラーメンはたべたことない。ゆっくり食べているとすごい怒られるんだよね?私はとにかく食べるのが遅いので怖くてとても食べに行けない…話がそれたけどそんな中毒者が集って出来たのがこのバンドなんだな、タイトルを翻訳すると「グルタミン酸」でこれはいわゆる旨み調味料(にはいっている成分)のこと。二郎系ラーメンはこれをどばどばいれるそうだ。(調べたら二郎系ってすごい沢山あるんだな、全部がこうってわけじゃないんだろうけど。)

バンド名とタイトルにはそんな面白い由来があるんだけど音の方は待った無しの緊張感にあふれた殺気のある仕上がり。ジャケットのバンドロゴは実際に轍で出来たオブジェを撮影したものらしいが、結果的に良く中身を表現している。つまり無骨で重たく、シンプルで飾らない、まさにむき出しの荒々しい音楽。
ミドルテンポで歌が中心にある。かといって過剰にメロディアスな訳ではない。弦楽隊が出す音はほぼ低音に偏重しているので全体的に閉塞感のある暗めの雰囲気。ドラムは重々しくも回転していく様なリズムは破裂する様なタムのともあってシンプルなのに気持ちよい。ベースはガロンガロンした硬質な音でこれが転がるように良く動く。ギターはやや広がりのある重い音。リフはスラッシーっぽさもあるが、重々しくも間断なく弾いていくのはポストハードコア感もあり。曲間で荒廃した感のあるパートを挟んだりもして個人的に好印象。ただしあくまでもシンプルに。ボーカルは悪い雰囲気のあるやけっぱち感のある吐き捨てタイプ。
(冒頭のイントロはのぞいて)ノイズやバンド編成以外の音を入れる事、また曲をむやみに引き延ばす事(9分弱の曲が1曲あるが密度は濃い。)などの小細工は一切なし。三人で出す音を飾らずに表現している。どちらかというと内省的な雰囲気なのだが割と外に広がっていく様な間口の広さがあるので、閉塞感あって鬱々とした圧迫感はなし。もすこし前向きといったらアレだけど、進歩的な姿勢を感じる。ストイックさ。
ネットを見渡すと90年代のオルタナティブロック、グランジ、ノイズロック、モダンへヴィネスなどのジャンルが引き合いに出されている。バンド名になるとToday is the Day、TAD、Helmetなど(後半二つは音源持っていない、特にTADは初めて知った)。個人的にはなんとなくAlice in Chainsにもちょっとだけ似ているかな?と思った。面白いのは前述の様々な音楽的なバックグラウンドを感じさせつつも、それらを飲み込んで自分たちなりの新しさを追求しているところ。周りを見回してもなかなか現行のこれっぽいというのはない。ジャンル的にも何かでくくるのはちょっと難しい。(私の知識の問題もあると思うけど。)

ヘヴィロックというとニューメタルの日本なりの呼び方だったと思うけど、ちょっとそのさすところが変わるとなるほどこのバンドにはしっくり来る。90年代ドンピシャ!な方は絶対感じるところがあると思う。骨太なロックを聴きたい人は是非どうぞ。オススメ。

2015年10月12日月曜日

Teenage Time Killers/Greatest Hits Vol.1

アメリカはカリフォルニア州ロサンゼルスのグループの1stアルバム。
2015年にRise Recordsからリリースされた。
いわゆるスーパーグループでその筋で有名なミュージシャンたちが集まってできたプロジェクト。中心人物はMy RuinのギタリストMick MurphyとCorrosion of ConformityのドラマーReed Mullin(私はどちらのバンドも音源を持っていない、恥ずかしながら)。このプロジェクトでは曲によってボーカルを始め他のパートでも参加している人がバラバラ。だから人数も偉い事になる。Dave Grohl、SlipknotのCorey Taylor、EyehategodのMike Ⅸ Williams、Sun O)))のGreg Anderson、Dead KennedysのJello Biafra、他にもBlack FlagやProng、Blink-182だったりとひとりずつ挙げるときりがない位。FBのカバー写真を見ていただければその人数の多さと豪華さに驚くと思う。
Kill Timeで暇つぶしだが、Time Killerで「娯楽」という意味があるようで、とすると10代の娯楽というバンド名は何とも不思議だ。昔からの仲間と遊び心満載で作ったよ、という事かもしれない。しかし中身は大御所の娯楽というにはあまりに素晴らしい出来になっている。
なんせ参加しているメンバーもメタル、ハードコアのサブジャンルからと多岐にわたるので中々形容が難しいが、全体的にはごった煮感のある荒々しくほこりっぽいハードコアロックンロールともいうべき音楽でまとめられている。曲はほぼほぼ疾走感のある中速から高速で、だいたい2分台くらいでコンパクトにまとめられている。ざらっとしたラフな感じが持ち味で、攻撃性や毒気がパンキッシュな感じで表れている。ストーナーらしいほこりっぽさもあり。演奏はぶっとい轟音なので迫力がある。何も考えずに楽しめる音楽。ただ荒々しいものの乾いた陽気さがあって陰惨さや陰鬱さとは無縁なスタイルで耳に優しい。
最大の魅力は曲毎に変わるボーカルでやはりバンドの顔という訳で全20曲が矢継ぎ早で繰り出されるのは楽しい。Jello Biafraの跳ねる様なリズムの怪しさ、Mike Ⅸ Williamsの完全に向こう側の吐き出しスクリーム、Trenton Rogersのなぜだか癖になるしゃがれ声。
ボーカルが多彩な反面、ほぼほぼドラムを叩いているのがReed Mullinだからか意外にもとっ散らかっていないし、メンバーのメインバンドを考えるとエクストリームになりすぎていないから、好き勝手やっているようで実はきちんと芯が通っている。首謀者の2人は人望も厚く、流石の手腕で見事にプロジェクトの舵を取っているのだと思う。

このアルバムにも参加しているDave GrohlのプロジェクトProbotにコンセプトや音楽的な背景が似通っているところがある。くだくだしく説明するより聴いてもらった方が速いと思う。下手なコンピレーションを買うくらいならこのアルバムを買った方が良いかもしれない。豪華な面子という以上に曲が良いので。オススメ。早くも第二弾に期待。
個人的にはMike Ⅸ Williams参加のこの曲がひたすらカッコいい。ガロガロしたベースはNick Oliveri!


2015年10月11日日曜日

デニス・ルヘイン/ザ・ドロップ

アメリカはマサチューセッツ州ボストンの作家によるハードボイルド小説。
タイトルの「ザ・ドロップ」というのは汚い金の中継地という意味。

寡黙な男ボブはいとこのマーヴのバーでバーテンダーとして働いている。体躯は良いものの人と関わるのが苦手なボブは多くの人には優しいけど鈍くてぱっとしない男だと思われている。ボブ本人も自分の冴えない人生を憂鬱に思っているが、なにも手に入らないものだと思う事であきらめようとしている。そんなある日仕事の帰りにゴミ箱に捨てられた子犬を発見するボブ。要領の悪い彼は犬を捨てる事も出来ず、成り行きで飼う事に。犬の守護聖人からロッコと名付けた犬とそしてロッコを通してであったナディアにより、ボブの生活は少しずつ豊かになってくる。だがマーヴの店に強盗がはいり、またロッコの飼い主というチンピラが現れボブの生活に暗雲が立ちこめる…

翻訳した加賀山卓朗さんによる解説によると面白い由来のある物語で、始め簡単な短編があり、それをマッドマックスのトム・ハーディ主演で映画化。(日本では未公開のようだ。)その映画を元に(細部で異なる点もあるとの事)さらに長く書き直したのがこの小説。
探偵もののパトリックとアンジーシリーズ、ギャングものの「夜に生きる」、映画化もされた「ミスティック・リバー」などで”黒い”社会を書いてきたデニス・ルヘイン。今回は少し趣が異なる。というもの主人公ボブは場末(治安が悪い地帯、実際かつてマーヴのものだったバーはチェチェン人マフィアに乗っ取られている)のバーのバーテンで生計を立てている。恋人は勿論友達すらいない。真面目で優しい性格で頭は悪くないのに要領が悪くてみんなからは薄のろだと思われている。前半のボブと彼の生活の描写はとにかく灰色一色で、生きているのに全く楽しみのない生活が後ろにもそして前にもずっと横たわっていて、私(ボブのように真面目で優しくもないし頭も悪いのだが)の様な冴えない男にはもう読んでて切なくなってくる。犬を通して社会に再度馴染もうとするボブ。さすがはルヘインというべきかチンピラ、強盗、マフィアと不穏なアウトサイダーたちを生々しい描写で書き出し、物語を黒く塗りつぶしていく。「夜に生きる」などに比べれば規模の小さい話ではあるがその分悪意の嫌らしさが生々しい。教会に通い続けるボブを通して、罪というのは許されるのか否か、そして許されるとしたらそれは神によるのか、人によるのか、というのが一つのテーマになっているようだ。そんな中ボブが最後に下す決断というのは実際は切れ者のボブが次第に意図的に(読者の目からも)隠していたその本質を(別に騙している訳ではないから本性ではない)あらわにしていく様は、これまたカッコいいのである。

という訳で非常にオススメの一冊。とくに友達もいないよ…という冴えない男性諸氏は胸が締め付けられる事間違い無しなので是非どうぞ。
ルヘイン(レヘイン)の本で邦訳されているものはだいたい読んでいると思う。後「コーパスへの道」というのがあるんだけどこれは絶版になっている。どうにかして読みたいものだ。(電子はあるんだけど紙で読みたいんすよね。)

J.L.ボルヘス/伝奇集

アルゼンチンの作家ボルヘスの短編集。
購入したのは大分前だったのだが(調べたら6年前だった)、当時は最初の短編をほんの少し読み進めただけで???と訳分からなくなってしまってそのままそっと閉じて本棚の肥やしにしてしまったのです。(貧乏性な私には珍しい。)
この間もっかいチャレンジするかと別の本その名も「砂の本」を読んだらとても面白かったので、そろそろ良かろうという事で本棚の中から探し出して再読。今度は楽しく読めた。
どうもボルヘスというのは小説だと長編を一度も書かなかったらしい。この本もそんな彼の短編が収められている。処女短編集という事で1944年に発表されたもの。「八岐の園」(1941年発表)と「工匠集」(1944年発表)という二つの短編集をくっつけたものだと思う。

多分に言い訳じみているが何故(少なくとも私にとって)この本が取っ付きにくいのかという事を自分なりに考えてみるに、大抵の娯楽小説というのは事件があってそれに沿って書かれている。例えば密室で人が殺されて時系列純にそれを解決したり、異星人がせめて来るので時系列純にそれを撃退したり、ある親子が終わった世界をあてど無く旅をしているのを時系列純に描写したりと、まあ事件というと十分ではないのだけど、時間に沿ってある人物(たち)や場所(空間)にフォーカスを当てて描写していく。ところがボルヘスはこの短編集初っ端から架空の国(または世界)についての謎について書いていく。これも”私”がその謎に出会う所から始まっているので、上記の様な小説の流れをとっているものの、”私”を通して架空の国の概念(分かりやすく言うと図鑑の説明みたいな)に分け入っていく事になる。こうなると誰がどうしたか、という事ではなくてもっと観念論みたいになってくるから私の様な俗人には大きすぎる(もしくはもっと小さすぎる)という意味でとっても難しいのである。しかも大真面目な文体で進められるものだから、むむとなってしまう。前衛的だがシュールではなくてくそ真面目だ、つまり架空の図鑑を紡いでいくのがボルヘスであって、これは彼の図鑑である。だから小説をよむぜという6年前の私はおどろいたのだ。ちょっとテンションを変えて読めば普通に楽しめる。不思議というのは概念だから必ずしも筋を必要にしないのだという点では発見かもしれない。(事象賢い人たちの高尚な小説というのではないと思う。(その証拠に馬鹿な私でもとりあえず読む事は出来る。ボルヘスの真意を組めているかは謎だ。(開き直るようだがなにかの芸術に触れる時作者の意図なんて知った事かとも思う。)))
さてそんな感じでボルヘスの架空の概念を取り扱った図鑑が最後まで続くのかという塗装ではなく。特に後半ではちゃんと今風の物語の体を取った小説が姿を現してくる。なかにはある連続殺人に立ち向かう異色の警察官の物語も出てくる。(「死とコンパス」)これなんかは要するに完全なミステリーだ。「刀の形」、「隠れた奇跡」などはなんとも暗い味わいのある私たちのいる現実に立脚し、さらに空想のスパイスを(後者には幻想のスパイスも)隠し味に加えた何とも味わいのあるフィクションである。こっちを頭に持ってくれればな、と思うけどこれは日本オリジナルのアンソロジーという事でもないからそれは仕様がない。もし私にように買ったものの挫折している方がいたら前述のいくつかの短編を再度試される事をお勧めしたい。
広大な空間に無限に6画で区切られた図書室が無限に連続して存在する「バベルの図書館」。山尾悠子の短編でも言及されていて気になっていたけど、この果てのなさには実際頭がくらくらするようで大変面白い。想像力の極地だ。ボルヘスの物語は寓話っぽいのにそれの意図するところを読み取るのが大変難しく、そんな分かりやすい回答は無いのかもしれないと思った。つまり物語のための物語である。
大変面白かった。買って良かったな。読み終えるのに何と6年もかかってしまったが。

2015年10月4日日曜日

Jay Rock/90059

アメリカはカリフォルニア州ロサンゼルスのラッパーの2ndアルバム。
2015年にTop Dawg Entertainmentからリリースされた。
なんかヒップホップが聴きたいなと思っていたところ、前にブログで紹介した事のあるKendrick LamarとScHoolboy Qと(あとAb-Soulという人がいるが彼に関しては未聴)Black Hippyというヒップホップグループを結成しているJay Rockの新しいアルバムが出るという事で買ってみた。
デジタルとCDで値段が変わらないのでCDの方を買ってみた。つや消し黒に手のひら、指紋の部分がガシガシ消されているというもので、こうなると「90059」というタイトルも一体どんな意味があるのか気になってくるところ。インナーは入っているものの残念ながら歌詞は掲載されていない。前述のBlack Hippyのメンバーの他にBusta Rhymesや女性シンガーのSZAといった面々が参加している。(どうやら同じレーベルメイトらしい。)

Black Hippyのメンバー2人のアルバムと同じく悪さを演出しつつ、音楽的には例えば生粋のギャングスタっぽいものとは一線を画すアーティスティックなヒップホップを披露している。
トラックはあくまでも音数の少ないものでアンビエントというほどでもないが落ち着きのある音像。あくまでもラップを主体にしたもの。(恐らく)サンプリング以外でも音をのせているのではないだろうか、と思うのだが。さて良いヒップホップというのはラップ無しのバックトラックがとにかくカッコいいよ、とヒップホップ好きの友人が言っていたものだ。このアルバムに関してもとにかくトラックが良い。トラックと言ってもドラムとベースと上物2〜3個位なもんだがそれで十分良い。引き算の美学である。思うにバランスが良い。ドラムにしたって音が重すぎる訳ではないし、手数も少ない。しかし跳ねる様なリズムがあってこれが気持ちよい。思うにベースがしっかりしているとラッパーもうねりのあるラップをのせやすいのだろう。浮遊感のあるシンセや人の声、つま弾かれるアコースティックギターなどうわものもオーガニックな雰囲気でしっくり来る。
ラップに関しては流石のスキルでかなり個性的なLamarやScHlbooy Qに比べると良い意味で尖っていない声質で中音〜低音域で広がりのある落ち着きのあるもの。まくしたてるようにラップする様は結構耳にすっと入ってくるものの、良く聴いてみると相当早口。(ラップを早口というと本当にヒップホップ好きな人からは怒られそうなんだけど…)
最近の流行なのかわざと酔っぱらった様な変な声のラップも披露。中々様になっているけど個人的にはこの人は地声がカッコいいからそこまでしなくても…と思ってしまったり。
Hippyの面々とマイクリレーをする「Vice City」は気の置けない仲間とという事もあってかそれぞれがのびのびとかつ火花を散らす様なスキルの応酬でカッコいい。やっぱりそれぞれ個性があるのでそれが1曲にぎゅっと濃縮されているのは贅沢でかつ滅茶面白い。

というわけでKendrick Lamarが好きな人はかって損は無いのであろうか。
落ち着きのありつつも悪さが垣間見えるバランスの良いヒップホップの優れたアルバムだと思います。

2015年10月3日土曜日

Knave/Discography of Darkcore-X

日本は大分県のダークコアバンドのディスコグラフィー盤。
2015年に自主リリースされた。
独特の3つ折トールケースでつや消しブラックに銀が鈍く光る凝った装丁。結成10周年を記念し、今までにリリースしたデモ音源、1stミニアルバム、Grind Bastards!のコンピに収録された曲群に未発表曲を1曲追加した全22曲。


Knaveを初めて知ったのはyoutubeの映像である。
路上ライブである。私はだいたいメタルの中でも特に激烈な個性を持ったバンドというのは現実から乖離している分、真っ暗な深夜のライブハウスがある種の舞台装置として必要というか、一番映えるのではと思っていた。しかし彼らは曇天の下恐らく真っ昼間から人の行き交う路上でもってライブを演奏していたのである。それも顔と体にはコープスペイントを施し、鋲を打ちまくった革ジャン、ガンベルト、ニードルのついた衣装と完全にブラックメタル全開の格好で持ってである。私は自分の未熟な認識を恥じるとともに、このバンドのいわば一番自分たちから遠いところに打って出るというその一歩も引かない姿勢に大いに感銘を受けたのである。素直にかっこ良い。
音源を探したものの売り切れ状態で歯嚙みしていたところ今回のリリースという事で飛びついた次第。

自分たちの音楽を持ってしてダークコアと称するその性質というのはやはり強烈であって、なるほどこれはダークコアを自称するのも納得の出来。
もっとブラックメタル然としている音楽を想像していたのだが良い意味でそれが裏切られた。ぱっと思い浮かんだのはグラインドコアっぽいなと。要するにストレートかつ重たく速い。音楽性は攻撃性に満ちている。ブラックメタルの持つ(本当に色んなバンドがいるので)儚さや内省性というのはあまり感じさせず、またいわゆるトレモロに彩られた美メロというのもほぼほぼ無い。とにかくもっと邪悪で勢いがある。時間と空間を真っ黒に染め上げていく暴風雨のようである。
音質は良いとは言えない。ずたずた突っ走るドラムはハードコア的である。ブラストビートは素直に気持ちよい。曲によっては冒頭にクリーンなトーンでアルペジオをみせる事もあるが、基本的には低音に特化したギターは人数が少ない分音の厚みが半端無い。ぎゃりぎゃりとした湿りっけのある音でひたすら黒い。時にリフが判別できないほど。ボーカルは金切り声を一歩か二歩進めた超音波ボイスの用で「キィイイイイイイ」とまさに耳をつんざく悲鳴のようだ。これはヤバい。常軌を逸している。たまに入る低音グロウルに何かしら落ち着きを感じてしまうほどだ。
短くて1分以下、だいたい3分前後でほぼほぼ突っ走りまくる。(恐らく)基本バンド編成のみで構築されていて余計な音の付け入る隙がない。その音楽性はとにかく喧しいとしか言いようが無い。真っ黒いノイズ。この徹底的な荒廃は例えばGazaだったりに少し似ているところがある。美的感覚を決定的に欠いたその容赦のない音楽性が、結果的にある種の退廃的な美(問いって良いのか分からないが)を獲得している様な希有な音楽性である。なるほどこれがダークコアかと思った次第。

予想と違ったがその恐ろしさに呆然とした音楽体験であった。容赦ない。黒い引力。これはカッコいい。殺気に満ちた音楽を聴きたい人は是非に。オススメ。

ウィリアム・ギブスン/クローム襲撃

アメリカのSF作家による短編集。
絶版状態になっていたが版元である早川書房の70周年にあわせて復刊された。
オンライン上ではあっという間に売り切れてしまったのだが、意外に地元の本屋においてあったのですかさず購入。
ギブスンといえばサイバーパンクの旗手として有名で私は大分前に「ニューロマンサー」を読んで感激(ちょうどブログをやりたいと思ってHNをその作品の登場人物?からとって冬寂としたのでした。)したのだが、なんせ他の本はことごとく絶版状態。この間虚淵玄さんがアニメ「楽園追放」公開にあわせて発売したサイバーパンクものを集めた短編集で「クローム襲撃」だけ読む事が出来た。というわけではやくはやく次のを!となっていた餓えた口にこの本をようやく放り込む事が出来たのだった。

処女作も含めて全部で10の短編を収めたこの本。意外に他作家との共作も含まれている。内容としてはかなり多様。「ニューロマンサー」に登場したヒロインモリイが登場する(つまり「ニューロマンサー」都政界を共通にする)サイバーパンク作品「記憶屋ジョニイ」、それからハッカー二人が町を牛耳るマフィアを電子的に襲撃する表題作「クローム襲撃」もサイバーパンクだ。かと思えばバーを通して夜の闇の向こう側に蠢く何かを描いた「ふさわしい連中」は完全にホラーだ。老宇宙飛行士と失敗した宇宙計画の終末の悲哀を書いた「赤い星、冬の軌道」はセンチメンタルいSF。「ニュー・ローズ・ホテル」は電子スパイの騙し合いを描いた完全にハードボイルドなSF。
このバリエーションの豊富さというのは一つは他の作家との共作で作品に幅が出たというのもあるのだろうけど、私はギブスンというのはサイバーパンクという新しい”技術”を書くハードなSF作家という説明だと不十分だと思った。というのはこうだ。基本的にギブスンというのは人間の感情を書いている。この感情というのは技術の革新だったり、脳改造だったり、時にはドラッグでブーストされて入るものの現代人のそれからそこまでかけ離れている気がしない。とくに寂しさ、失恋の傷心といったどちらかというとマイナスの感情を描く事が多いと思うけど、それらというのは私が読んでも十二分に感情移入できるものである。どうしてもそのアイディアと世界観に目を奪われてしまうけど決してそこに終始する作家ではないと思う。ナード(オタク)だったり、後ろ暗い過去があったりと若干のアウトサイダー感のある登場人物たちが冴えない私のハートをガッチリ掴む。彼らの悲哀、生きにくさが伝わってくる。ときにはそれが冒険を経て解放されるカタルシスがある。なんとも気持ちのよい事よ。要するに巨大な都市(スプロール)と広大な電脳空間を舞台装置としてとてつもないスケールで描きながらも、蜂の巣状になったそこに息づくどちらかというと底辺に所属する様な市民たちの生活を見事に書ききっている。これを長編でなくて短編でやるのだから、それはそれはすごい事だと思う。

私が一番気に入ったのは何と言っても「辺境」。この一遍だけでこの本を買う価値は十分に合った。まず宇宙の一部が別の宇宙に繋がっていて、向こう側はさっぱり分からないけど人間が行って帰ってくるとまず発狂しているか死んでいるか。たまに超人類的な”おみやげ”を持ち帰ってくるためそこに人間が送られ続けている、という設定だけでご飯何杯でも行ける。そこに行けなかった主人公の哀切ったらない。偽物の天国は利益の追求のために作られている。この醜さよ。素晴らしい。最高だ。やっぱりギブスンはサイバーパンク岳の作家ではないと確信。

というわけで買えるならすぐに買った方がよい。とにかく他の物語も再販してくれと強く思う訳であります。