2015年11月30日月曜日

Dragged Into Sunlight/Gnaw Their Tongues/N.V.

イギリスはリバプールのブラッケンドデスメタルバンドDragged Into Sunlightとオランダはドラハテンのブラックメタル/ノイズプロジェクトGnaw Their Tonguesのコラボレーションアルバム。
2015年にProsthetic Recordsからリリースされた。私はBandcampでデジタル版を購入。
Dragged Into Sunlightはメンバー全員が目出し帽を被った強面バンドで(どうもスタジオミュージシャンが集って結成されたらしい。)、今までに三枚のアルバムをリリースしていて来日経験もある。何と言っても「陽光の元に引きずり出された」というバンド名がかっこ良くて気になっていたので、何枚か音源を持っているGnaw Their Tonguesとのコラボということで買ってみた。Gnaw Their Tonguesは結構日本でも知名度があると思うのだけど、ブラッケンドなノイズを垂れ流す(かと思ったら美麗な別プロジェクトをやったり)、アートワークも不愉快な(日本人の犯罪者を関した不謹慎な音源もリリースしていたりする)Moriesなる人によるプロジェクト。

どう考えてみてもろくな音源にはならないだろうということが予想される2組のコラボレーション。嫌な予感しかしなくてワクワクしてくる。
1曲目「Visceral Repulsion」、のっけからGnaw Their Tonguesお得意のがろがろした金属質なノイズに不穏なSEが乗るイントロからスタート。ドゥーミィなイントロは徹頭徹尾黒く重たいが、金属質なノイズが不思議と気持ちよい。高音で絶叫するボーカルがのたうち回るように唸りだす。ジリジリしたノイズとギターの湿り気のある音、そしてややこもった様な全体的な音質があってか、浸水した地下室めいた閉塞感と汚さがあり、不愉快である。ブラストからの曲スピードが文字通り加速度的に増していくのだが、相変わらず空気の読まないボーカルの呻吟が気持ち悪く、疾走感があるのに気持ち悪さが一切払拭されない嫌らしい職人芸。性格の悪さがじくじくにじみだす曲作りは流石の一言。Gnaw Their Tonguesで個人的に好きなのはぐちゃぐちゃして汚い(褒めてますよ)音楽やっているくせに、やけにオーケストラめいた大仰さを入れてくるところ。この音源にもその大仰さが伺えてそれが非常に良い。どう考えてもアングラ感があるのに、妙にこう開けている様な大仰さが演出されている。シンフォニックでは全然ないのだが、なんというかこう露悪的である。
全編に渡ってこの調子。真っ黒という感じで基本速度も鈍足。フィードバックノイズの音色が豊かな事と(自分で書いててうーん?という感じだ。人間色んなものが楽しめるもんだ)ドラムが結構遅くても速くても活動的に叩いてくれるので停滞パートでも十分楽しめる。疾走パートだと音質もあってか結構弦楽隊がなにをやっているのか分からんし(ぐにゃぐにゃ動き回るリフが特徴的な4曲目は音質もあってPortalっぽいなあと思いました。)、しゃがれたボーカルはベール越しに聴こえるようにくぐもっている。カタルシスがあるようでないようで、真綿で締められているような嫌らしさは相当なもの。

全5曲と短いが廃液を煮詰めたような音楽なので、このくらいが妥当だろうと思うのだが、最後まで聴くと物足りなくなってリピートしてしまう。うーん、もっと聴きたいかもしれない。好きな人にはたまらないのではなかろうか。どっちかのバンドが好きな人は勝手損は無いのでは。

日影丈吉/日影丈吉傑作館

明治生まれの日本人作家の小説を集めた本。
全く知らなかった作家だが、Amazonにお勧めされたかってみた。どうも幻想味のある探偵小説を書く人らしい。帯にはかの澁澤龍彦さん賞賛した作家と書いてある。
全部で13の小説が収録されている。折口信夫や江戸川乱歩が絶賛し、「宝石」という雑誌の賞も取ったという「かむなぎうた」、泉鏡花賞を取った「泥汽車」。なんとなくこの2つの物語でもってその作風を窺い知る事が出来る。
「かむなぎうた」をはじめミステリーの要素を持っている小説が多い。どういう事かというとつまりある謎が物語の中心や根底にあって、その周辺にいる人物がその謎を解き明かしていくという骨子があるのだ。にもかかわらずどの話も所謂本格ミステリーとは一線を画す、さらにいえば少し変わった小説が多いなあというのが素直な感想。こういうと何だが、人に読んでもらうためにミステリーの体裁をとっているものの作者が書こうとしているのはちょっとそこからぶれているのかも、と思った。これは別に小説として出来が曖昧というのではなくて、ミステリーと幻想に両足を突っ込んだまさに作者独特の世界観を作り出しているのである。
冒頭の「かむなぎうた」もどちらかというと都会から田舎に都落ちした少年の、母親を失ったという来歴の寂しさと、田舎の豊穣で粗野な郷愁が豊かな筆致でもって丁寧に書かれている。(この描写の豊かさはちょっとミステリーには無いのではなかろうか。)ある登場人物の死が謎になる訳なのだけど、証拠至上主義というよりは主人公の少年が真相(と思われる)に達するまでの思考の道筋が書かれているようで、それゆえ結末もなんとも茫洋なものになっている。面白いのはその茫洋さがこの作者の持ち味になっているところだ。つまり謎の解決を書きたい訳ではない事がここら辺からなんとなく伺える。
前述の「泥汽車」なんかはミステリー風味のほぼ入らない、こちらも内省的な少年の回想録の趣を持っている。「かむなぎうた」とちがって少年の原風景が近代化によって破壊されていくとこんどはそこに幻想の世界が入り込んでくる。これがまたたまらなく日本人の心に刺さる。私は現代人で本当の田舎の風景はきっと見た事がないはずなのに、なんとも鮮やかに失われた風景が頭と心に再現されるものだ。
一方で配線濃厚になって来た苛烈な太平洋戦争末期のとある部隊の生き残りを描いた「食人鬼」。これはタイトルが物語をほぼ説明している。南方では全く聞いたことが無い訳ではないともう食人ネタを扱った物語。これは完全にホラーで、鬼というのはつまり人で無くなった人の事。山中の祭りの美しさとそこに入り込む幻想味がたまらない「人形つかい」はラストにゾクゾクする事間違い無し。
全編を通じて失われつつあるものや、すでに消え失せたものへの哀悼とそして惜愛の念がひしひしと感じられる。だからどの物語もちょっと寂しい。面白かった。

2015年11月23日月曜日

中村融・山岸真編/20世紀SF③1960年代 砂の檻

河出書房新社からでているSFアンソロジーの第三弾。
このシリーズは(恐らく)読んで字のごとく20世紀に発表されたSFを世代(ディケイド=10年)ごとに分類、編集していくもので、1940年代からはじまり1990年代まで全部で6冊が刊行されている。この本は3冊目で1960年代。この時代というのはSF界では大変革の時代だったようで旧態然として死にかかったSFの復権を計るべく(もしくは古いオーソリティにとどめを刺すべく)「ニュー・ウェーブ」が展開されたそうな。この本にはそんな新しい波に属する刺激的な小説も含めて全部で14本の小説が収められている。
ちなみになぜ第3弾から買ったのかというと単純で1弾と2弾が絶版状態になっているからに他ならない。ちなみに4弾と6弾も同じ憂き目に遭っている訳で私は泣く泣くこの3弾と恐らくこの後紹介する5弾を注文したのだった。
作家陣に関してもとても豪華で、この間紹介したゼラズニイや学生時代に読んだ「結晶世界」から何冊か楽しんだバラード、それからトリックスターエリスン(「世界の中心で愛を叫んだ獣」はエヴァの元ネタでなにかと私世代では有名なのかな?)、復刊した「寄港地の無い船」が最高過ぎた(個人的に今年ベスト)オールディス、巨匠クラークと。個人的にはSFというとこの世代が思い浮かんでしまうかもしれない。私的にはこの上ないラインナップ。
さて「新しい波」とは何かというと旧体制に反動的な文字通り新しいSFという事になりそうだ。歴史的な背景があってカウンター・カルチャー的な側面がある。中村融さんも紹介しているがバラードは外宇宙では無く内宇宙に目を向けろ!と叫んだらしい。この本に収録されているこの本の題名にも採用されているバラードの「砂の檻」というのはまさにこの流れにある"SF" 小説である。廃墟と化した地球の海岸線に集った宇宙と関わりのあった、そして挫折した3人の男女が集まって死んだ宇宙飛行士が乗った人工衛星を眺める、というこの逆説的なSF小説はその情景の危ういくらいのやるせなさと退廃的な美しさ、華やかな成功と多いな失敗、そして天と地という対比を描きつつ、完全に人間の心理を中心に据えてその主題としているように思える。SF的なガジェットは舞台装置と言っても良いくらい。SFに文学的な価値を付加したというと明らかに言い過ぎだろうが、読み物(芸術)としてのSFに新しい可能性を見いだそうとしたのが、ニュー・ウェーブではなかろうか?と思った次第である。時に大仰すぎる舞台装置と夢物語、ちっぽけな(そして崇高な)人間の意識のさざ波を描くのに必要なのかもしれないのだ。

復讐の二つの側面を見事に描いている(どちらにも感情移入できるまさにアンビバレントな真理が楽しめる)アンソロジーの冒頭を飾るゼラズニイの「復讐の女神」。一見おどけているのにオーウェルの「1984年」めいたディストピアを描くエリスン「「悔い改めよ、ハーレクイン!」とチクタクマンはいった」。まさに人間の内宇宙を書き出した暗黒小説ディッシュ「リスの檻」は主人公の言葉はすべて虚無に放り出されて跳ね返る事無く消えていく恐ろしさを書いている。誰からも忘れられる事は死ぬ事より辛い。シルヴァーバーグの「太陽踊り」は巨大な舞台装置(文字通り!)で人間のトラウマを書いた作品で異形の愛くるしい生物がひしめく一つの「楽園」を舞台装置に、これも内宇宙を描いている。
そしてやはりオールディスだった。「讃美歌百番」は個人的に大好きな1週巡った世界を書いている。身勝手な人間が一人残らず<内旋碑>の向こう側に一体となって消えた世界を描いている。そこは静寂が支配する世界で、人間の作り出した優しい異形たちが穏やかに暮らしている。どこかしらクロウリーの「エンジン・サマー」に通じる世界観であってその情景を想像しただけで頭と胸の色んなところが締め付けられるようだ。遥か彼方見た事も無い(そして金輪際存在する事すら無いかもしれない)情景に何故人は郷愁を感じ得るのか、それがとても不思議だが、そんな面白みをもつのがSFと読み物の面白さだ。

というわけでSF好きのみならず物語フリークには是非お勧めしたいアンソロジー。おすすめすぎる一冊。
最後に働く貴方にハーレクインからの一言を引用しておきたい。
「どうして、いいなりになっているんだ?どうして勝手ほうだいにいわせておくんだ?アリやウジみたいに、いつまでもちょこちょこうろうろしてるだけでいいのか?時間をもっとかけろ!すこしは、ぶらぶら歩きもしろ!太陽を楽しんでみろ、そよ風を楽しんでみろ、自分のペースで人生をおくったらどうだ!時間の奴隷じゃないんだぞ、最低の死に方だぞ、一寸刻みに死んでいく……チクタクマンばんざいか?」
ハーラン・エリスン

Oneohtrix Point Never/Garden of Delete

アメリカはニューヨーク州ブルックリンで活動しているアーティストのアルバム。(6枚目か7枚目だと思うのだが。)
2015年にWarp Recordsからリリースされた。
私が買ったのはボーナストラックが1曲追加された日本盤。
だいたいいつも乗り遅れるのが私だから、日本のみならず話題になっているこのアーティストの音源を購入するのはこれが初めて。
日本盤リリース元の前作のページを見ると
スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、ギャヴィン・ブライアーズ、ブライアン・イーノ、ハロルド・バッド、クリスチャン・フェネス、エイフェックス・ツイン…
そして間もなくのそのバトンはこの男の手に渡るだろう。
と書いてある。まあリリースする側は煽る訳だけど中々の力の入れ様なのでその人気のほどが伺えるという訳だ。トレント・レズナーのラブコールを受けてnine inch nailsのツアーにも同行したというのだから、ようやく私も聴かないとと慌てだしたという訳です。

さてこの「Garden of Delete」略してGoDと意味深なアルバムはアーティスト本人によると新作をレコーディングしている時に出会った皮膚病を患うエイリアンの非行少年Ezraと出会った事にその端を発しているらしい。
確かにイントロを挟んで始まる2曲目のタイトルは「Ezra」だ。音がぶつ切りに鳴った印象的な冒頭はCDに傷が!?と不安になる。が静かにEzraが進行していくに連れてエイリアンとの少年との物語に引き込まれていく事になる。よくよく聴いてみるとこの曲というのはなるほどこのアルバムを象徴している。意図的に聞き手を煙に巻く様な底意地の悪さがある反面、曲が進んでいくとすぐに意外に優しいメロディに包まれている事に気づくのだ。そして曲の終盤のシンセサウンドはちょっと意図されたチープ感があって確かに(嘘くさい)エイリアンを思わせる。
謎めいたインタールードにまたもや混乱させられるのだが、すぐに(32秒後に)シングルカットされた「Sticky Drama」が開始される。調子の外れたような人口の声がぎこちなくメロディを歌い上げる始めると私は唸らざるを得なかった。これは確かに確かに人を惹き付ける電子音楽だった。
全編を通じて思った以上に(もっとドローン色が強いのだと思ってた、過去作はたしかにそうらしいのだが)、メロディアスである。この人の曲というのはとにかくひねた諧謔というか意地悪さがあって、曲のぶつ切りやあえて曲の真ん中で曲をぐちゃっとさせたりして、コラージュ感を出してくる。こちらがこれが未来?と思っていると「HAHAHA、悪い悪い」見たいに美麗なメロディをすっと出してくる。始めっから出せや!というと最早彼ではなくなってしまうのである。そしてコラージュがあるからこそ、メロディとそれ未満の透徹なフレーズが生きてくるのではと思っている。
音の使い方は巧みでドローンとした音、ぶつぶつとしたノイズ、グリッチノイズ、たしかに異質なものを集めてひとつの異質なものとして凝集させれうるでは確かなもので、コラージュ感は当然彼がいとしたものだ。美しいパートを聴けば、多彩な音が鳴っているのにまとまっているという台風の目の様な状況にはっと気がつくだろう。

というわけで流行っているのがどんなものかみてやるか…俺はひっかからねえぞとばかりに聴いてみたのだが、すごい!天才!とまんまと騙されている私がいるのだ。うーん。これは気持ちのよい体験です。
まだ聴いてない人は是非どうぞ。私は過去作が気になるのでどれか買ってみようと思います。

2015年11月22日日曜日

Extreme Noise Terror/Extreme Noise Terror

イギリスはイングランド、イプスウィッチのハードコアバンドの6thアルバム。
2015年にWillowtip Recordsからリリースされた。
不穏なコラージュで構成されたモノクロジャケットがカッコいい6作目にしてバンド名を冠してアルバム。
Extreme Noise Terrorといえば1985年結成からバンド名通りエクストリームな音楽界にその名を轟かすバンドなのだが、私はちゃんと聴くのはこのアルバムが初めて。同郷のこちらもいける伝説Napalm Deathと一時期ボーカリストを交換していた、というエピソードあったよね。(調べてみると1996年ごろのことのようだ。)

全13曲で26分だからやはり平均すると1曲2分くらいの”速い”バンドだなという事が分かる。クラストコアを土台にグラインドコアやデスメタル(Metallumには後期はデスメタルと書かれている!)を飲み込んだその音楽性は確かに速いのだけど、速さにだけ特化した音楽とは明確に一線を画す。まず聴いて驚いた事が二つあって一つ目はパンクっぽい!ドコドコスタスタ叩くドラムのビート。それからささくれ立ったギターの音質と、高くいななく様な高音リフ(勿論こちらが本家なんだろうけどWorld Burns to Deathを思い出した。)がとにかくオールドスクールなパンク感を演出する。渋い、まさにいぶし銀な、バックグラウンドを感じさせる動の入りっぷりに思わずうおおと熱くなる。
もう一つ驚いたのがボーカルで、ライオンの様な金髪のたてがみがアンチヒーローのようなDean Jonesの声はDischargeからの直系を感じさせる男臭い吐き捨て型なのだけど、これがデスメタルバンドをはったおす様な迫力!唸り上げるさまは獣じみていておっかない。デスメタルとは全然違うのだけど強面という形容詞がぴったりの声質。低音がなり、高音ギャーギャーが目立ちがちなんだけど、力を込めずに早口で巻くしたるところが個人的にはカッコいいと思う。
疾走感というのは単純な体感速度にすべて左右される訳ではないなと実感。例えば10曲目はスラッシーなリフから開始するのにあっという間にハードコアな展開に流れ込む。流れる様に弾き倒すリフがとっても気持ちよい。必殺という感じでの高音フレーズもサビ以上に饒舌。ラスト13曲目はスラッジーな展開で幕を開けつつやはりお得意のハードコアに引きずり込む。飽きさせない展開は流石だが、きっちりとぶれない軸が曲とバンドを軽薄なものにしていない。キッチリ自分たちのカラーがあるバンドなんだなあと実感。

どんな音楽だろうドキドキと聴いてみたけど、ストレートなハードコアパンクでビックリした。勿論メタルっぽさも感じられるのだけどトータルではハードコアパンク。バンドの歴史を感じさせるどうどうとした仕上がりにしびれた。オススメ。

Svffer/Empathist

ネオクラストバンドAlpinistのメンバーらが結成したドイツはミュンスター/ベルリンの女性ボーカルハードコア/エモバイオレンスバンドの2ndアルバム。
2015年にVendetta Recordsからリリースされた。
私はBandcampでデジタル版を購入。
2014年に発表された1st「Lies We Live」はその苛烈かつ人を惹き付ける音楽性でもって日本でも話題になったバンドなので、今作も2nd出てるぜ!とTwitterで話題になっておりました。タイトルの「Empathist」というのはどうも造語らしい。Empathyというのが感情移入という意味なので、感情移入者だろうか。なかなかこの類いのバンドには珍しいタイトルかもしれない。
今回は全部で8曲、16分と速かった前作よりさらに削ぎ落とし、切り詰めて来た超攻撃的な作品にし上がっている。

滅茶速い音楽性は確かにグラインドコア感もあるのだが、由来を感じさせるのは圧倒的なハードコア感。それでいてパワーバイオレンスとは一線を画すこの音楽性は改めて新作を聴くと中々面白いものがあると思う。
重たくざらつきまくったギターの音色はダークなクラストを感じさせる。ただクラストにくくるには速すぎる感じがある。勢い重視の曲展開、そしてその短い曲の中にアイディアが詰まっており、高速⇄低速を始めとして展開が目まぐるしく変化する。なんとなくカオティックハードコア感が感じ取れる。なんというか神経症患者がConvergeを早回しでプレイしている様な激烈さがある。カオティックハードコアというと凝りまくった展開という要素でもってともするとインテリジェンスかつアーティスティックに走ってしまう傾向もあるもんだけど、このバンドに関してはそこら辺の装飾性は皆無であくまでも曲の勢いを殺さないというか、むしろ色々やっているのにスピードは増している様な印象すらある。メタルの正確無比を突き詰めた結果の非感情的な残虐性とは無縁で、怒りを筆頭に日々の感情を2分そこそこの曲にむりやり詰め込んだ様な音楽性。例えばスピードアップして正気じゃない人間の日記を読んでいる様な訳の分からなさとそして無類のかっこよさ。エモバイオレンスというのはなるほどこういった音楽性なのか。確かにエモい。
この間紹介したYacopsaeのトリビュートにも参加していたLeonieのボーカリゼーションもいよいよ映えて良い。掠れまくったハスキーボイスで終始叫びまくっているのだが、これが重たく速く金属質な演奏の波にぐわーっと乗っているかのように聞き手に迫ってくる。Svfferの音楽は巨大な波が崩壊しつつこちらに迫ってくるような勢いと恐ろしさの予感がある。ラストが少し長めで(といっても3分台だけど)余韻を残して終わるのも非常に良い。何回でもリピートしてしまう。

という訳で短いスパンでいりリースされた今作も素晴らしいものでした。
気になっている人は是非どうぞのオススメ音楽。

2015年11月16日月曜日

高木敏雄/日本伝説集

高木敏雄が蒐集した日本全国の伝説をまとめた本。
大分前に購入したまま読んでいなかったが、この前ボルヘスの「伝奇集」を探している時に本棚から見つけて読んでみたらこれが面白かった。
作者の高木敏雄は作家ではなくて学者。日本の神話、伝説、民話の研究を行っていた人でこの本はタイトル通り日本全国から東京朝日新聞上で告知、民話を集めて、そのうちの250ちょっとの物語を区分に分けて、少々の筆を加えてまとめあげたもの。何と始めは高木の自費出版という形で大正二年に出版されたもの。100年の時を経て出版社を変えながらも世に出続けているというのはよくよく考える必要も無く偉大な事である。
私は本好きだが活字中毒ではない。手に取る本は9割型小説だからどちらかというと物語中毒である。(読んでいる数はそんなでもないが。)民話というのは難しくて明確な作者がいない場合がほとんどで、なるほど現代において読み返してみるとフィクションなのだろうが、それでも小説とは全く異なる類いの物語である。しかし短いその民話の中には物語の原型とも言うべき核があってそれが大いに楽しめた。
民話というのはその土地土地で語られているものをある個人が語っているものである。(神話や伝説となるともう少しオーソリティなもので原典などがあるイメージ。)当然ある個人が違えば微妙に語り口や内容も変化していく訳で、厳密に言って全く同一のおはなしが明確に存在している訳ではない。面白いのは全国津々浦々おはなしの細部(登場人物や土地)が違えど大筋が似ている話が多い事で、だから高木先生がやったように分類する事が出来る。例えば弘法大師が出てくる民話などは寓意に富んでいるが、全く層でない不思議なものも多くて、それが全国に共通して散見されるのは大変興味深い。
人間の発想力というのはとにかく自由なもので、暗闇に妖が潜んだ昔に語られる物語たちはまさに縦横無尽である。蛇がでてくる、山姥がでてくる、神様が出てくる。人間が妖怪となる。妖怪と人間が結婚をする。この物語の意味は何だろうと考える前にその内容の豊かさきらびやかさ、そして恐ろしさに目がくらんでしまう。間違いないく超常を扱っているのに、不思議な生々しさがあるのは具体的な土地の名と人々とその生活が描写されているからだろう。私は田舎の暮らしというのが分からないのだけど、それでも何となく農家の風景や漁師の生活、奥深い山の奥など不思議に頭に情景が浮かぶのはやはり日本人だからだろうか。子供の頃に読んだおとぎ話集や日本昔話の世界がまた脳裏に蘇ってくるようで楽しい。
学術的には恐ろしく価値のある書物に違いないが、いわゆる学術書的な要素は皆無で、まずは蒐集した民話だけほぼほぼ並べている形である。そこからの民族的な考察については奇麗に省かれているから、物語として楽しむ事が出来る。きっと若い人でも小さい頃に聴いたり読んだおとぎ話と良く似ている物語がこの本に含まれる250あまりの短編のうちいくつかに見つける事が出来る。確実に貴方のノスタルジーを刺激する、それでいて作り物感が無いとても素晴らしい本。私が買った切っ掛けは中身よりもこの美しい表紙だった。日本人の心に訴えかける良い写真が使われていて、中身もまさにその通りであった。読み進めるのがとても楽しかった。オススメの一冊。

2015年11月8日日曜日

Cult Leader/Lightless Wlak

アメリカはユタ州ソルトレイクシティのハードコアバンドの1stアルバム。
2015年にDeathwish Inc.からリリースされた。
個人的に今年最も楽しみにしていた2つのアルバムの1つ。(もう一つは本邦のBirushanahの新作でこちらも期待を上回る素晴らしさだった。)
故あって解散したメタルコア/スラッジコアバンドGazaのギター、ドラム、ベースのメンバーが2013年に結成したのがこのバンド。ベーシストがボーカルにシフトし、新しいベースプレイヤーを引き入れて4人組体制。ConvergeのJacobらが運営するDeathwishと契約し2014年に「Nothing for Us Here」、2015年に「Useless Animal」という2枚のEPをリリース。今回満を持してのフルアルバムを完成させた。自らの音楽性をしてProgressive Crustと称する苛烈な音楽性はGazaに比べるとより装飾性を排除し、ノイズとストレートさを増した荒々しいもの。

このアルバムがどんなアルバムかは本当に1曲目を再生した瞬間に分かる。1分23秒の曲にこのバンドのすべてが詰まっていると言っても過言ではない。ドラムの一撃、次いで鈍器の様にパーカッシブな弦楽隊による重たいリフが余韻を残す、ノイズを挟んでボーカルとともに疾走するパートが始まる。暗いリフが崩れた波頭のように襲ってくるが、混沌としていて何がなんだか分からない。かと思うとまたスラッジパートに突入している。あっけにとられていると曲はもう終わっている。私がこのバンドに求めていたものがほぼここに結実している訳で、この1曲目から前に進めなくなってしまうほどだ。
Cult Leaderはデビュー作から常軌を逸していた。しかしGazaの最終作が間違いなく自分史上特別なアルバムになるだろうと確信している私には、このメンバーの大半を引き継ぐ形で始まった新バンドはどうしてもGazaと比較してしまう。ほぼ文句の付け様の無い音楽性だが、強いて挙げるならボーカルの面ではどうしてもGazaに軍配が上がるかもしれない…と思っていた。それは優劣というよりは両者の個性と私の好みの問題かもしれないと感じていたが、その問題はこのフルアルバムで完全に払拭された。このボーカルの迫力はどうした事だろう。声質的にはそこまで低いものではないだろうが、感情を物理的な塊にして苦痛とともに吐き出す様な情念がこもったボーカリゼーションというのは中々無いのではなかろうか。獣めいた咆哮が売りだったGazaに比べてCult Leaderは半人半獣と言った趣で、その暴力性の中に人間特有の迷いや惑いといった憂いが詰まっているように思う。人間性を獲得するとそこには悩みが付きまとっていた、そんなアイロニーめいた後ろ暗さがある。
「Lightless Walk」暗闇の中を歩く。先が真っ黒いトンネルが描かれたアートワークが印象的なこのアルバムはまさにそんな自分の足すら見えない様な暗闇のなかに、自分の足で切り込んでいくアルバムであると言える。沢山のバンドが真の闇について歌い表現して来た。このバンドはそれそのものではなく、その闇への旅路を描いているという意味で大変興味深い。そこら辺にこのバンドの目指すところが何となく見える気がする。
Gazaでもそうだったが、このバンドも音楽性は荒廃しきっているが、不思議な郷愁がある。それは破壊的な郷愁を描いているのではなくて、徹底的に破壊された廃墟(の様な音楽)に私が郷愁を感じているだろうなとおもっていたし、このアルバムでもたしかにそうだ。しかし一方で3曲目「Sympathetic」(同情的な、思いやりのあるという意味)でのグルーミィで饒舌なフレーズや6曲目「A Good Life」やラスト「Lightless Walk」での放心した様な空虚さは徹底的な破壊と荒廃の”その後”を感情豊かに書き出し始めているのが新境地ではなかろうか。
音楽を聴いて感動するのが楽しみだ。何にも代え難い。このアルバムは私をほぼ物理的な衝撃を伴って打ちのめすようだ。素晴らしいアルバムだ。これがあるから音楽を聴くのをやめられないのだ。私が音楽と、それだけでない表現に求めているものの確実に大半がこの小さいCDに詰まっている。感謝である。少なくとも私は大好きなアルバムです。気になった方は是非聴いていただきたいと、そう思います。


Yacøpsæ/GÄSTEZIMMER

ドイツはハンブルグのパワーバイオレンスバンドのMCD。
2015年に同郷のPower It Up Recordsからリリースされた。
Yacøpsæは1990年に結成された3人組のバンドで、1stアルバムのタイトルが「パンク糞食らえ、これはパワースピードバイオレンスだ!!!」という素晴らしいバンド。その音楽性は徹底的に苛烈なのだが、The Cureのカバーをしたり、「Pop-Punk Alienation」というカバーアルバムではNirvanaやEverclearのほぼほぼ原曲に忠実なカバーを披露したりとなかなかマイペースというか、面白いバンドである。私は彼らの膨大な音源をたまーに買う程度だがとにかく元気が出るので大好きだ。とにかく曲が短くて一つの音源に沢山入っているので、シャッフルで聴いているとYacøpsæ率が非常に高いのが私のipodなのだ。
そんなバンドが結成25周年を記念したのがこの音源。全部32曲なのだが扱いとしてはMCDになっている。まあ16分しかないからね。だいたい1曲30秒ないです!最高だ。タイトルは日本語に訳すと「ゲストルーム」。(ちなみにジャケットはぼろぼろに壊れきった廃墟の建物でこれが俺たちのゲストルームだ!といわんばかりのユーモアセンスが良い。)どういう事かというと全32曲すべてゲストボーカルを迎えて歌ってもらっているのだ。その面子が豪華絢爛で最近新作がTwitterでも絶賛されているSvffer、この間来日した大御所Capitalist Casualties、イタリアのグラインドコアCripple Bastardsなどなどなどなどと本当にそうそうたるもの。ドイツだけでなくアメリカ、イタリア、インドネシアと色んな国のバンドマンたちがゲストで参加している。(ブックレットには丁寧に彼らの思いが綴られている。)この手のジャンル好きな人ならこの面子が集まって一つの音源が出来ている事に驚きを隠せないのではなかろうか。

でやる事と言ったら全く容赦ないショートカットチューンの32連続である。
ぎゃりぎゃりした低音を強調したギター。伸びやかで唸る様なこれも低音のベース。終始ブラストしまくるドラムといういつものYacøpsæがまさに嵐の様な演奏を披露。演奏面で言うと音質もあってかやっぱり結構メタリックに聴こえる。(ただアティチュードは完全にハードコアのもの。)素直に終始突っ走る曲、曲間にスラッジパートを取り入れた曲、終始ドゥーミィなノイズを聴かせる鈍足な曲などなど短い中にもまず様々な曲のバリエーションを見る事が出来る。バンド結成して25年が経っているというが日和ったところは一切なし。このバンドに限って言えば音源と技術が向上している分進化しかしていないんじゃないかなと思える。すげえ事だ。
そこに多彩なボーカルが乗る。まず男と女(女性ボーカルかなり多い。)があるからそれだけでも聴いていて楽しいし、デス声、ハードコア声、金切り声、シャウト、妙に伸びのある歌声と色々なものがまるでおもちゃ箱やーってくらいに矢継ぎ早に飛び出してくる訳でこれが楽しく無い訳が無い。
個人的にはYacøpsæは明るいバンドだと思っている。例えば超名曲「Frost」のように度を超した激しさの中に暗い憂いを持っている事曲も沢山あるし、一般の人が聴いても決して明るいとは思わないだろうが、ハードコア特有の気持ちの良さとい明快さがあってそれが無邪気でカッコいいのだ。怒りや悲しみだってそのストレートさに胸が空く様な気持ちになるわけでこっちが元気の無い時だってすっと入ってくるエクストリームな音楽。今回はその気持ちよさが友情とリスペクトとユーモアでもって倍加されている様な印象がある。初っ端から童謡からはじまるんだもの。彼らがふざけているとしたら全力でふざけているのであって、それが聞き手には楽しいのである。笑われてるのではなく、私たちを笑わせているのである。

Yacøpsæはとにかく音源の料が莫大なのでバリエーション豊富という意味で初めてYacøpsæを聴く人には意外に良いんじゃないかなと。(後はいくつか出ているベスト盤かな?)とにかくストレートに胸に突き刺さるハードコア。同じ様な取り組みでこの間紹介したTeenage Time Killersの音源があったんだけどあれを振り切ったのがこっちという印象。とにかく度を超しているのにそれがきちんと成立していて、しかも滅茶かっかいいのがすごい。オフィシャルサイトによると限定1000枚らしいので是非どうぞ。この手のジャンルが好きなら絶対勝手損はしないと思いますよ〜。短さもあってか私はすごく沢山聴いています。超オススメ。
視聴が見つからなかったので名曲Frostで。

ニコラス・ブレイク/野獣死すべし

イギリス(アイルランド)の作家による探偵小説。
原題は「The Beast Must Die」、1938年に発表された。
私が買ったのは表紙がリニューアルされた再発版。早川のオフィシャルサイトで表紙とタイトルに惹かれて購入。
ニコラス・ブレイクはペンネームで本名はセシル・デイ=ルイス。詩人として活躍していた。小説を書く時はニコラス・ブレイクの名前を使っていたのかな?
ちなみに「野獣死すべし」というと大藪春彦の小説とそれを元にした映像作品が有名らしいが、こちらの本が元ネタになっているようだ。私は大藪春彦の方は全然知らない。面白いのはこの「野獣死すべし」という印象的なタイトルはかの江戸川乱歩が考えたらしい。素晴らしいネーミングセンスだね。

推理小説家フィリクス・レインは愛する息子をひき逃げで殺された。妻は死んでいる。警察の捜査は遅々として進まず独自の捜査を開始したフィリクス。犯人の目星をつけ、彼を殺すべく、緻密な計画を進めていく。

特に予備知識無く買ったのだが、この本はナイジェル・ストレンジウェイズという探偵が活躍するシリーズの第4作目。いわば探偵小説なのだが、ハードボイルドというよりはミステリーっぽい雰囲気。ただ面白いのは前半が上記あらすじで登場したフィリクスが殺された息子の仇討ちを進める独白体の日記になっていて、後半から探偵ストレンジウェイズが出て来て事件に挑む。いわば犯罪者サイドと探偵サイド双方の視点から同一の事件を眺める事が出来る。前半は小説家のフィリクス、つまり一般人、それも力自慢でも裏の世界を周知している訳でもない文学青年が復讐、つまり殺人という途方も無い犯罪に手を染める過程が彼の心情を丁寧に描写しつつ下記進められる訳で、一歩一歩獲物に近づいていくこの犯罪が果たしてどういう結末を迎えるのかという緊張感はただならぬものがある。
一転して変わり者の探偵ストレンジウェイズに主人公が移動した後半は、いかにも天才肌な探偵は明晰な頭脳でもって真相に近づいていく面白さがある。ミステリーと言ってもいわゆる本格ものの証拠とパズルの様な緻密な謎解きに主眼が置かれたものとは大分趣が異なる。もっと知的というと語弊があるが、ある犯罪とその周囲にいる人物たち一人一人の個性とその心情に焦点が当てられている。人情小説というのではないが、ストレンジウェイズというのは誰がこれを出来たかというのはそのある人の考えを理解して改名しようと言うのであって、こういう書き方をするミステリーというのは私はあまり読んだ事が無いので面白かった。謎解きというよりは復讐といびつな家族を軸にした人間関係に踏み込んでいくものだから凄惨と嫌らしさ、そして何とも言えないやるせない暗さがあって、それは変人ストレンジウェイズとブラント警部のキャラクターで陰惨になりすぎないもののやはり何とも言えない味わいがある。それは結末においてある意味完成されている。
なんともいえない味わいが光る一冊。変わり種のミステリーが好きな人はどうぞ。

2015年11月3日火曜日

Dead Fader/Glass Underworld

イギリスはブライトン生まれで現在はドイツ・ベルリンにて活動するJohn Cohenによるインダストリアルテクノユニットのミニアルバム。
2015年にRobot Elephant Recordsからリリースされた。
タイトル通り焦土としかいいようがない無慈悲なインダストリアル世界を提示した2014年発表の「Scorched」は衝撃だった。ボーカルが無い電子音楽でここまで凶暴な音楽を帆湯減できるのかと打ちのめされたものだった。しかし同時に発売した「Blood Forest」では一転してドリーミーでアンビエントな世界観を模索するという思考の多様性を魅せていた。そんな彼が2015年になってからは同じくRobot Elephant Recordsから「HYP30」、「Sun Copter」というEPを立て続けにリリース。「Blood Forest」方面をさらに突き詰めるという音楽活動に今は熱中しているようだ。前述の2枚に続いてリリースされた本作もほぼ同じベクトル上にあり、さらにその音楽性を進めた内容になっている。

こちらにのしかかるような極端に歪められた重低音ノイズはいかにもDead Fader節なんだが、そこにのっかるうわものに関しては音数の少ない余韻はあるが澄んだ音であってこの前者と後者の対比が独特の音世界を作り上げている。
どの曲でも中心にあるのは微妙なメロディなんだがあまり饒舌ではなくて、かすかなフレーズがひたすら反復される。どれも残響が意識され、ある程度の広さのある空間に放り出された音が余韻を残して消えていく様な儚さがあって、ここが好きだ。
その脆弱なフレーズを囲うのがお得意のインダストリアル要素なんだが、こうなってくると彼の独壇場というか、元々ノイズが上手いので、ミニマルさの中でも微妙に変化し続ける変幻自在さ(というかちょっとの居心地の悪さと言うか不穏さというか)がどの曲でも非常に活きて来ている。たしかにドリーミーなんだか、微妙にしみ込んでくるノイズが曲の雰囲気を刻一刻と変容させている。
インダストリアルさとアンビエント性が混ざり合わずに一体化した、というと変な表現なんだがこの音の共生関係が大変面白い。周りを囲う音は音量抑えめにしてあるから自然に粗野な音に挟まれた、フレーズが生きてくるという構造でアンビエントというには正直なところ音の数は多めなのだが、ある程度数のあるからこそ沁みてくる寂しさもあるものだなと感心。
個人的には1曲目がその方向性を一番分かりやすく突き詰めたもので白眉の出来かなと。
Dead Fader好きなら是非どうぞ。
ちなみにほぼ同時にTouchin'BassというレーベルからはDosage EPというインダストリアル路線の音源を出していてこちらもすこぶるカッコいい。ハードな路線が好みの方はチェックしてみてください。

Panopticon/Autumn Eternal

アメリカはケンタッキー州ルイビルのA.Lunnによるブラックメタルバンドの6thアルバム。
2015年にBindrune Recordingsからリリースされた。
私はBandcampでデジタル形式で購入。
前作「Roads to the North」から1年という短いスパンでリリースされた。前作が露骨に「冬」だったのに対し、今作は「永遠の秋」ということでずばり秋がテーマ。四季では秋が一番かなという私歓喜のアルバム。
色彩豊かなジャケットはブラックメタルバンドらしからぬイメージだが、ご存知の通りこのPanopticonというバンド元々(といっても私が聴いているのは3rdの「Social Disservices」以降なんだけど)カスカディアンな鬱々とした長めのブラックメタルを演奏していたのだが、続く4thアルバム「Kentuckey」でバンジョーなどのブラックメタルらしからぬ楽器陣、そして曲調に関してもカントリーやフォークを大胆に取り入れるという方向転換を魅せて独自の音楽スタイルを築いている。

長めの尺はそのままにブラックメタルというフォーマットはあくまでも崩さずに、しかし喜怒哀楽の感情豊かに(通常エクストリームなメタルは怒りと悲しみに特化しますよね。)聞き手の頭の中に雄大な自然を思い浮かべさせる様な豊かなサウンドスケープを描いている。いわば一点集中型のパワーバトルから別次元にシフトした訳なんだけど、その変遷が自然に進化していることが聞き取れる訳だ。メロいトレモロに情念のこもったボーカルがのっかる疾走パートのかっこよさと、まったりとは言わないもののたき火を眺めている様な安心感のある静のパート、両者をつなぐ色彩豊かなパートこそこのバンドの本領が発揮されるのかもしれない。ジャッケと同様豊かな音のおりなす風景。楽器陣の豊富さ、そして多すぎずすぎなすぎずの音の数、雄弁に語ると言った感じのメロディ。相当器用な事をやっているのだが、決して技巧自慢にならないこと。逆に強引でパワーでねじ伏せる様な荒技のなさ。(特異な楽器の使い方一つとっても自然になじむ曲の土台があると思う。)基本的に外に向かっていく音楽でやはり自分の中には無い、雄大なものへの愛着そして憧憬がテーマになっているように感じる。Bandcamp記載の文によると「秋は眼前に横たわる道の希望に満ちている一方、変遷と喪失への哀悼がテーマ」ということ。なるほどどの曲も前向きで勇壮である反面、哀愁を誘うメロディがどこかで顔を出している。
最早メタルの枠を抜け出して孤高の高見を目指したWolves in the Throne Roomとカスカディアンというジャンルの中でも方向性とそのアプローチ、そしてたぶん作り手の見ている景色の違いでて面白いなと思う。(彼らは宇宙に行ったけど、こちらは地に足がついている。そしてもちろんそのどちらも素晴らしいのです。)
6曲目「Pale Ghosts」(青ざめた幽霊たち)はイントロからしてキラーチューンの雰囲気しかしない訳なんだけど、激しい前半、牧歌的なインストが心温まる中盤、そして幽玄な雄々しいボーカルが入る終盤、泣きのギターとむせび泣くボーカルで迎えるクライマックスと本当に集大成みたいな曲で涙がちょちょギレル。このギターの音とメロディの柔らかさ!!!あ〜〜。

同じくBandcamp記載の文によると「Kentucky」「Roads to the North」、そしてこの「Autumn Eternal」で三部作は完了という事だ。はやくも次の作品に期待せずにはいられない。一体次はどんな風景を描き出すのだろうか。
まるで一枚の絵画か写真を見ている様な、奥行きがあってそこに迷い込んでいる様なアルバム。うーん、本当に好きですね。非常にオススメ。

増田俊也/シャトゥーン ヒグマの森

日本の作家によるホラー小説。
会社の人のオススメってことで買ってみた。感謝。
ネットでは有名な話だが熊は恐い。熊というと可愛いイメージもあるんだけど、ヒグマはおっかない。北海道の三毛別で実際に発生した事件を元にした吉村昭さんの「羆嵐」はとても有名ですね。かくいう私もたしか学生の頃読んで熊の恐ろしさに震え上がった。
今作も北海道の北部手塩を舞台に羆が暴れまくるホラー小説。題名の「シャトゥーン」というのは冬ごもり(冬眠)しそこねた(危険な)熊という意味。「このミステリーがすごい!」第5回で大賞に輝いた作品。出版社は宝島社でよく考えるとあまり買った事の無い版元かも。

北海道のテレビ局に勤める土佐薫は娘の美々と同僚の瀬戸と手塩の研究林にむかって車を走らせていた。薫の双子の兄弟で北海道大学で鳥類を研究している弟の昭と研究林にある小屋で年越しをするためだ。道中人間の死体をよけるために横転してしまう一行。事故の原因と生った死体は無惨にも食い荒らされ持ち去られていた。この広大な森林に冬ごもりに失敗した凶暴なヒグマがいる。小屋に急ぐ薫たちだが…

八百万の死にざまというが、これだけは嫌だなというのを考えた事、ありませんか?私はあるんですが、(どれもまあ嫌なんだけど)これだけは〜というのに何か巨大なものにゆっくり押しつぶされる、海の真ん中で乾きに苛まれる、などなどに並んで野生の生き物に生きながら喰われる、というのがある。ようするに相当嫌なんだが、この本にはそんな嫌になる様なシーンがてんこもりである。
実際に北海道大学で学者を志したという作者だから書ける(柔道もやっていたということで格闘シーンや武器の説明なんかも非常に微にいり細に穿ちリアル!)北海道の自然の厳しさ、そして美しさ、極寒の地に生きる生命の力強さと、自然に相対する人間たちの無知蒙昧さ、短絡性、愚かさ。なんせ氷点下40度の世界だからゆるく都市部で生きている私からしたらまさに別次元なわけで、広大な森の深閑さ、読んでいるだけで荘厳な気持ちに生る。文体も平明で飾ったところが無いから非常に読みやすく、伝わってきやすい。
そこでおお暴れするのが巣ごもりに失敗したヒグマ=シャトゥーン。350キロ超の肉体を持つこのヒグマという生物の圧倒的な膂力、そして賢さについてまずは登場人物の口を借りて丁寧に読者に説明。はっきりって地球最強の生物で無かろうか。。50メートルは3秒で駆け抜け、なんなく木をのぼり、極寒の冬の河川も厚い毛皮でなんなく泳ぐ。爪は15センチの長さで各々がナイフのよう。火を恐れず、散弾銃程度ではほぼダメージは与えられず、心臓を撃たれても、頭を撃たれても(脳に損傷が無い限りは)うごきつづけるというからこれは最早化け物だ。(確か最強はシロクマだという話をどこかでよんだきもする。)現実に熊とライオン、ヒョウを戦わせても圧倒的に熊が勝つらしい。パンチ一つで首が取れるらしいよ。おっかない。さてそれだけで恐ろしいのだが、この本で書かれているのはヒグマの底意地の悪さである。賢さの裏返しでもあるのだが、とにかく獲物に執着する性質があるとのこと。たとえば登山者のバッグでもそうだし、死体に異常な執着を持ちそれを奪われると執拗に追ってくる。この設定が助けのこない森に閉じ込められた主人公たちにとって最大の恐怖になる。私は実家で猫を飼っているから分かるけど、人間の断りというのは本当に他の生き物には通じないものだ。可愛がっていた虎に食い殺された人だっているだろう。言葉が通じない恐怖、それはある意味厳しい自然の掟だが、ここにヒグマの狡猾さと言う悪意が加わってくるとそれ以上の恐怖が追加される。人間の弱さというのがこれでもかというくらい描写される。はっきりいって武器を持たない(持っていてもほぼ役に立たないんだけど)人間はまったくヒグマに歯が立たないので、ひたすら逃げるだけになるわけでそういう意味ではカタルシスの無い非常に暗澹とした小説。
前述の食べられる描写に富んでいて生きながら顔を食べられたり、腕も喰いちぎられたりと描写を挙げるときりがない。痛々し過ぎて無惨である。
吉村昭さんの「羆嵐」にくらべると肉薄する様な(ある意味では露悪的と言っても良いだろう)描写と映画的な構成でエンタメ感は勝っていると思う。スピーディーな展開の中にも人間の文明批判をくどくならない程度に混ぜてあるのも効果的。
あえていうと過酷な環境なのに無線や抗生物質などの医薬品が無いのと(勿論無線があったら面白くないので、あるんだけど壊れたのにすれば良いのにな、と思った。)、中盤何を脱した主人公がなぜ目的地をあきらめて小屋に帰ったのかはちょっと首を傾げたところもあったかな。
北海道に憧れがあったんだけど、美しいだけでなく危険をはらむのが自然だな…と考えさせられた一冊。痛いの大丈夫な人は是非どうぞ。

エドワード・ファーマン&バリー・マルツバーグ編/究極のSF 13の回答

由緒ある出版社を経営し編集も手がけるエドワード・ファーマンと自身作家として活躍するバリー・マルツバーグの手によるSFアンソロジー。
「究極の」と付けるとそれはもう完成してしまって後の発展がなさそうな気もするなあ、と思っていたのだがさすがにこの面子は読むしか無いなと思って購入。
原題は「Final Stage」だからちょっと邦題とはニュアンスが違いますね。1974年に出版されたこの本にはまさにSF界の巨匠がその名を連ねている。例えばアシモフ、オールディス、ディック、エリスン、ティプトリーJr.と。このジャンルを少しかじった私でもお〜とうなる様な歴々たる作家陣である。原題「ファイナルステージ」というのも意味があって、だいたいSFというジャンルは十分に成熟し、その想像力というのはだいたいジャンルの限界までいききりました、そういった意味で終着点。もちろんこれが終わりではなく、同じテーマでもどんどんこれからSFは発展していくよ。ただここで原点に立ち返って、つまりこれがSFだ!という要素を抜き出しそれをテーマに小説を集める、こういうアンソロジーを作ろう!というのが編集したお二人の意図なのであります。
このアンソロジーすごい事があって、それはそのSFを象徴する様なテーマを12個選び(なかでも「未来のセックス」というテーマは2人の作家が書いているので、12のテーマで13個の小説が入っているというわけ。)、そのテーマで持って作家に全く新しい物語を書いてもらっているのだ。普通のアンソロジーというと既存の小説群を作家やジャンル、国家時代などの特定の共通するテーマでもってまとめあげるのが多いのだろうが、この本は逆。テーマがあってそれを生み出す事から始めたのだ。贅沢。それでいてこの面子、この編集した二人というのがいかにSF業界で人望のある人かというのが想像できるね。
12のテーマというのは「ファースト・コンタクト」、「宇宙探検」、「不死」、「イナー・スペース」、「ロボット・アンドロイド」、「不思議な子供たち」、「未来のセックス」、「スペース・オペラ」、「もうひとつの宇宙」、「コントロールされない機械」、「ホロコーストの後」、「タイム・トラベル」。なるほどSFというジャンルの骨格をなす要素がぎゅっと濃縮して集められているのが分かる。

個人的には何と言っても楽しめたのはロバート・シルヴァーバーグの「旅」という作品。
これは多次元宇宙を自由に移動できる男の遍歴のおはなし。彼は逃避ではなく探求のために色々な世界をジャンプして旅行する。原題の地球と少し違っているだけの世界、枢軸国が勝利した世界、崩れた死体がさまよい歩く世界、地球自体がない無の世界、様々な世界を渡り歩いていく男。本人は否定するだろうが別れた奥さんに未練があって完璧な彼女(離婚する前の彼女か)を求める男、新世界につくと常に彼女を探してしまう。良くにた世界での彼女との邂逅そして拒絶、この物語は絶対的な孤独を表現している。広大無辺な宇宙空間をさまよう話も確かに孤独の極北に違いないが、知らない人しかいない、しかも自分が生まれたのではない世界というのはもう一つの究極の孤独では無かろうか。そこでは言葉が通じても彼らが言っている事は本質的に理解できないのだ。彼はどんな世界にもジャンプできるが、到着地点を選ぶ事は出来ない。宇宙は無限に存在する。永遠にエイリアン。前進。センチメンタルが入り込まない平明な文体が孤独を突き放したように書く。最高だ。
SFにでてくる様々なガジェットは隠喩だというが、巨大な舞台装置を使って作り上げた物語、効率悪いけどそれくらいしないと到達できない感情というのがあるのかもしれない。そういった意味ではSFはまさしくロケットだ。
タイトルがハードルを挙げている気がするが、中身は非常に真面目で真っ当なアンソロジー。SFが好きな人は是非どうぞ。