2016年1月11日月曜日

ユッシ・エーズラ・オールスン/アルファベット・ハウス

デンマークの作家によるミステリ小説。
ユッシ・エーズラ・オールスンといえば北欧の優れたミステリにおくられるガラスの鍵賞を獲得し、映画化もされた「特捜部Q」シリーズが有名で日本でも6作目までが翻訳されている。かくいう私もファンで目下のところ出ているものはすべて読んでいる。
この本は作者のシリーズ物ではない単発もので、小説家としてのデビュー作。(小説を書く前にノンフィクションの本を少なくとも2冊発表していたそうだ。)1997年に発表された。作者の人気の隆盛に合わせて外国でも翻訳されるようになったとの事。

第二次世界大戦末期イギリス軍のパイロットであるジェイムズとブライアンは密命を帯びてドイツ領空にマスタング(アメリカ軍との共同作戦のためアメリカの戦闘機に乗る)で侵入する。そこで撃墜された絶体絶命の状況に追いつめられるが、砲弾ショックで精神に異常を来したドイツ軍のSSに成り代わる事で状況を乗り切ろうとする。しかし2人が搬送されたのは通称アルファベット・ハウスという孤立した病院施設。電撃治療や精神を鈍麻する薬、なによりも詐病が見つかれば即死刑、という過酷な状況だった。さらに同じように病気を装う悪徳将校らに目をつけられてしまう。2人は脱出出来るのか…

デビュー作だが舞台は本国デンマークではなく、まさかのナチもの。
二部構成になっていて、前半があらすじの通りの戦時中の話。それから後半がいわば本番という訳でミュンヘンオリンピックが開催される1972年で、からくもアルファベット・ハウスを脱出したブライアンが親友ジェイムズを探しにいくというもの。そう、ブライアンだけは地獄の様な環境から逃げる事が出来たのだ。ただし一人で。作者ユッシ・エーズラ・オールスンは後書きでこう書いている。「これは戦争小説ではない。『アルファベット・ハウス』は人間関係についての物語である。」
前半の描写の凄まじさは中々筆舌に尽くしがたく、戦況が悪くなって来たドイツに余裕のあるはずも無く、また技術・知識も今とは異なりまともな治療が行われているとは言いがたい。なにせ病気を装っている訳でばれたら死ぬ。おまけに悪徳将校たちは自分たちの保身のためブライアントジェイムズを執拗に殺そうとしてくる。精神を病んだ人を装うというとそんな無茶なと思うかもしれないが、主人公の2人は大真面目な訳で文字通り命を削ってほぼ1年そんな生活を続けていく訳だ。
ブライアンは辛くも脱出するわけだが、罪悪感に苛まされ続け、手を尽くして親友ジェイムズをさがすものの効果は上がらない。(脱出してすぐに終戦を迎えたため銃後の混乱でアルファベット・ハウスも闇に葬られ、探索が著しく困難になった。)とはいえ本国に自分が探しにいく勇気はなかったのだが、とある切っ掛けで28年ぶりに自分の過去と向き合うことになる。28年前は逃げ出した悪徳将校たちと今度は正面切って対決する事になる訳だ。作者はデビュー作から緊迫した相手側との応酬を書く事に長けている。流石という展開に手に汗握る訳だが、本筋はブライアンとジェイムズの関係な訳で。人間の内面の暗さを深く描いている「特捜部Q」シリーズを読んでいる人ならそんな彼らの再会がどんなものになるかはある程度想像がつくのではないだろうか。
一人で逃げたブライアンを批判できるのはジェイムズだけだろう(状況を鑑みれば仕方の無い事だという意味で)、ブライアンは当然親友に対して罪悪感があるわけだから、ある意味ジェイムズだけが許されるチャンスなわけだ。勿論彼自身を救出することがブライアンの目的である訳だけど、そこに許されたいという利己的な気持ちが介在しない事も無く、そのせめぎ合いが物語に苦みを与えて何とも味わい深いものにしている。

精神病等の閉鎖された空間内での肉体的にも精神的な不潔さ。そして高きから低きに流れる暴力の陰湿さ。萎縮し、対抗していく健全な精神がいかんなく書かれた前半と、苦みばしった後半と、なかなかよくも悪くも読み応えのある一冊になっている。ナチものが好きな人はユダヤ的な成分がそこまで入らないこの本は中々変わり種になると思う。デビュー作という事もあって「特捜部Q」よりはむきだし感がつよい印象。前半は描写が辛かったが脱出計画が動き出す中盤からは一気に読めた。

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