2016年1月24日日曜日

J・G・バラード/時の声

イギリスの作家によるSF小説の短編集。
SFの中でも「ニュー・ウェーブ」活動の旗手とされる作家で独特の作風で人を惹き付ける。私も「結晶世界」(エクスペリメンタル・ドゥーム/ドローンバンドのLocrianもこの小説をアルバムの元ネタにしていましたね。)を学生の時に読んで以来、ぽつぽつと思い出したように何冊か読んでいる。

SFといえば広大な外宇宙に漕ぎ出していく人類!といった印象があるのだけど、この人はむしろ「内宇宙」に目を向けるべきだと主張し、新しいSFを模索した人でした。といっても彼の作る小説というのはひたすら人間の内面の真理のみを書いていた訳ではなくて、やはりSF作家という事もあり、なにかSF的な状況、例えば温暖化により海面上昇した世界だったり、宇宙に進出した人類が故郷である地球を顧みなくなった世界だったり、そういった特異な状況を作り出し、そこに直面する人間たちの心理状態に深く着込んでいく、そんなスタイルになっています。とはいえその手腕はSF的な状況を描くにとどまらず「楽園への疾走」(これは特異な状況を書いているのですが)などのあまり現実から離れていない世界を書くことも。
J・G・バラードの各世界は大抵破滅に向かっていて、それは世界が破滅に向かっている(前述の水没した地球などもそう)場合と、主人公となる人(たち)が色んな世界の中で破滅に向かっている場合、大まかに分けて二つある事が多い。もちろん前者の話の場合は必然的に後者も適用される訳で、そうなるといわば二重の破滅を描く非常にくらい作風になる。登場人物は皆ガリひょろというわけではなくて鍛え上げられた軍人なんて人も出てくるけど、メインとなる彼らに関しては活動的であってもその視点は内側に向いていてる、つまりどこかしら自己探求的で、内省的な一面を持っている。だから物語の進行するに従って、J・G・バラードの描く物語というのは浮かんでいくというよりは、むしろ沈降していく様な趣があって、さながら暗い沼に捕われるがごとく、それを読む側もその足をがっしり掴まれて底なしに向かって落ちていく事になる。思うにそれがこの作者の小説の魅力の一つでしょう。
この本に収められた7つの短編に関してもだいたい上記の事が言えてバラード流の破滅の口がぽっかりとその深淵を見せている。
「重荷を負いすぎた男」はフォークナーは徐々に発狂していた。という非常に印象的な一文から始まる短編。妻に内緒で仕事を辞めた甲斐性なしの男が自分の内側を一枚通して世界を眺めるうちに次第にその精神の均衡を崩していく、というまさにバラード流の破滅を描いた一遍。
「音響清掃」は音楽から聞こえる音という要素が一切排除された未来世界で過去の栄光にしがみつくかつてのプリマドンナと彼に心酔する唖の青年の組み合わせが起死回生を狙う。この物語は彼らの内面を行動で描写している趣があって、バラードのなかではとても読みやすい。結末が最高で何とも言えない味がある。SFとは単に奇異なガジェットをかくものではないという事を証明していると思う。

破滅を描くといってもその性質上、巨大な爆発それ自体が無く、その暗い未来に向かって爆走していくそんな過程を描いた作品群。暗い、暗いSFが好きな人は是非どうぞ。非常に楽しめた。

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