2016年2月20日土曜日

Hoax/Hoax

アメリカはマサチューセッツ州のハードコアバンドのコンピレーションアルバム。
2016年に来日ツアーに会わせて300枚限定でリリースされた。レーベルは不明。恐らく2013年にドイツのAdagio830からリリースされた音源に2曲追加し、歌詞の日本語訳を付けたものだと思う。(アートワークは同じっぽい。)
このHoaxというバンドは2013年に一度解散しているのだが、今回奇跡の来日が決定したとの事。この記事を書いている次点では既にツアーは終了している。私は(例によって)ツアーには行かなかった。お客さん巻き込んだ過激なパフォーマンスが話題を呼んだ色々すごいバンドとの事。youtubeで見たライブの「Fagget」という曲でやられてしまい購入。

この音源のラストの曲は「Sick Punk」というのだがまさにこれがこのバンドを表現している。病んだパンクだ。ストレートが信条のハードコアの中では異色のバンドと言えるかもしれない。鬱屈した怒りをそのまま発散している。鬱病ハードコアというと日本の屍をがぱっと思い浮かぶ。なるほど似通っている部分もあるけどこちらの方がハードコアの土台には乗っている印象だ。
そうなのだ曲自体はバタバタしたドラムが明快なビートを刻むまぎれも無いハードコアなのだが、なぜもこうグルーミィなのか。例えるなら地下室にフラストレーションがたまりにたまっていく様な閉塞感である。爆発前の緊張感で窒息する。
曲はほぼ2分に満たないくらいの尺で速度は基本的には速め。はっきりとしたドラムにうねる様な特徴的なベースがフックのあるビートを作り出して、ざらついたギターがその上で暴れ巻く様な構図。全体的にはまさに飾りっけの無いハードコアパンクである。はずなのだが全体的には墓場に猛スピードで向かっている様な破滅的な焦燥に彩られている。いわばパンクの速度をそのままに数多あるバンドが選択した上の方向ではなく、下の方向に舵を取ったのだろう。
ボーカルはGehennaのそれに似ている部分がある。要するに悪い感じ。彼がグルーミィさの演出に一役以上買っている事は間違いないだろう。吐き捨て型ハードコアか商法の中にちょっとイーヴィルな要素が入り込んだあの感じ。邪悪な企みをにおわせるアジテーションボーカルである。
憎しみをそのまま言葉にした様なストレートな歌詞がいかにも恐ろしい。社会に対する不満というよりは俺とお前の関係で書かれている。そして何より憂鬱で内省的、もっと言えば自己嫌悪に満ち満ちている。殺したいお前が実は俺(自分)なんじゃないか?そういった意味では二重に危ない世界観である。飾らない単語の数々が生々しい。このバンドの暗さを音楽以外でも知る事が出来る和訳は非常にありがたい。

「食い扶持を考えなくても良い事はとても誇りに思っている
 俺は言い訳を手に入れた
 6フィート程の深さの所に」 Sick Punk
なんとも凄まじい歌詞だと思う。(言うまでもなく6フィートは棺を埋める深さ。)

という訳で非常にカッコいい音源!暗いハードコアが好きな人は走って買いにいきましょう。(Baseさんの所によると3月に再発されるらしい。)ライブ行きたかったなあ…。

ロバート・E・ハワード/黒河を越えて 新訂版コナン全集4

30歳で夭折した天才作家ロバート・E・ハワードによるヒロイックファンタジー小説全集の第4弾。Amazonで売っているものを順番に買っているので、歯抜けになっていますが…

中編くらいのボリュームがある3編が収録されている。コナンはまだ原野にいてその腕で血路を開いている。男だったらワクワクする様な冒険がいずれにも詰まっている。打ち捨てられた廃都で繰り広げられる全滅戦、100年以上生き続ける魔性の美女、クレータのように隔離されたジャングルの奥にある無人の都とその奥にまつられる秘宝。そんな世界を力強い腕で切り開いていくコナンの活躍が存分に楽しめる。
中でも帯で煽られてもいる最高傑作と名高い表題作「黒河を越えて」が素晴らしい。
解説でも述べられているがこの物語は王道ヒロイックファンタジーからはちょっと異なる。コナンも大活躍するし、怪しげな魔術は出てくるのだが、妖艶な美女は出てこない。スカッとするというよりは重厚な読後感に打ちのめされるようなパワーがある。
蛮族ピクト人に対して進行した文明人たちの砦に関する顛末を描いた作品で、解説を読んでなるほどと思ったのだがこれは開拓史時代のアメリカをそのネタ元にしいている。つまりネイティブを駆逐していく白人の構図になっているわけだ。とはいえ湿っぽく説教的な成分はほぼ皆無で、ピクト人たちはひたすら醜く残虐である。対する白人の先兵たちは誇り高く勇敢だが、無能な支配者たちの傀儡となって絶望的な状況で破滅に向かって行進していく。いわば破滅に向かって歩んで行く両者がまさに生命を賭した全滅戦に赴く様を描いているのであって、全体的に死の予感とそれから逃れられない死が充満し、その血の血おいにむせるほど。故郷を文明の名の下に侵されるピクト人の怒り、文明人の矜持それらが胸を打ち、特に後者は物語の狂言回しになる若者を通してかなり熱く描かれている。ハワードが優れているのはこの物語を文明人の勲にしなかった事である。ラストの国境地帯の男の台詞にも集約されているのだが、うずたかく積み上げられた死体が陰惨な戦場のむなしさを強烈な戦争描写の背後に、つまり言外に描いている。戦場にあるすべての栄光も文明の繁栄も素朴な野蛮人の生活もすべてひっくるめて、強烈な衝突が生む寂寞とした靄の中に落ち込んでいる感じすらある。一言で言うなら無常観であろうか。一見ド派手なヒロイックファンタジーの底にはこのような冷たい流れがあったのだ。それがヒロイックファンタジーのすべての源流となったコナンシリーズを、傑作足らしめているのかもしれない。この「黒河を越えて」はそんな無常観を見事に濃縮した作品だと思う。ハワードの天才の片鱗を間違いなくこの短編にかいま見た。

剣と魔法と美女のファンタジーというと娯楽性に富んでいる分、軽く見られがちな趣があるかもしれない。かくいう私もどうしても単純な構図という先入観があった事を恥ずかしながら認めないわけにはいかないのだけれど、実際に読んでみれば想定外の深みがあるのは楽しい驚きである。気になった人は是非どうぞ。

2016年2月14日日曜日

Bird Eater/Dead Mothers Makes the Sun Set

アメリカはユタ州ソルトレイクシティのデスメタルバンドの1stアルバム。
2014年にBlack Market Activitiesからリリースされた。私はデジタル版を購入。
バンド名のBird Eaterは鳥すら食べる(らしい)巨大な蜘蛛の意味、虫嫌いの私からするとググるのすら恐怖である。2005年に結成されたバンドでMetallumをみると解散済みになっている。Gazaの元ボーカリストJon Parkinが在籍する。Gazaはその解散が2013年だからJonは平行してこちらのバンドにも籍を置いていたという事になるのだと思う。(問題を起こしてこのバンドを始めた、というのではなさそうだ。)この音源に関してもwikiをみると録音されてからリリースされるまで3年の隔たりがあったようで、やはり解散しているのか何かしらの問題があったのかもしれない。

改めて聴くとJon Parkinのボーカルというのはやはり凄まじい。ハードコアを通過しているこの声はやはりちょっと類型が見当たらない。手負いの獣というった危うさがあってざらついたその声は物理的な衝撃すら伴うようである。既に決別しているからこう比較するのもアレかもしれないがCult LeaderのボーカルAnthony Luceroと比較するとJonの方が太い。野太いと行っても良いが獣性ではこちらに軍配が上がるかもしれぬ。(ただし「Lightless Walk」のAnthonyのスラッジ方面に大きく幅を広げたその表現力ははっきりいってもはやJonに劣るものではないと断言できる。)
否が応でもGazaと比べてしまうし、実際アグレッションに満ち満ちたそのサウンドは確かに共通しているところもあるのだが、よくよく聴いていると相違点も分かってくる。まずはこちらの方がデスメタリックである。メタルコア的と行っても良いかもしれない。ざくざく刻むリフはハードコアというよりはメタルのそれで、攻撃的でありながら冷徹である。演奏陣と一緒になだれ込むGazaと比べるとBird Eaterは両者に温度差がある分分離が良くてそれぞれが実際には映えている。どちらが、というのは完全に好みだろう。
もちろんスラッジ成分も入っていて特に曲の後半放心した様な崩壊具合を見せる様はGazaを彷彿とさせる。ただ面白いのはこちらはややフレンドリーな印象であくまでも曲の範疇にその要素をとどめている。かなりメロウなギターソロも多分に饒舌で違和感無く曲に取り込んでいる。また陰鬱なアコースティックギターで腐敗したカントリー臭を漂わせているのもの大きな特徴。1曲目はイントロ、11曲目はアウトロ的な意味を持った曲だがそれぞれ5分と8分もあり、特に前者はメタルアルバムのイントロにしては異例の長さではあるまいか。他の楽曲の徹頭徹尾容赦のなさとよい対比になっていて激しさだけでなく、もっと複雑な感情を表現してやろうというバンドの意気込みが感じられる。

Gaza好きな人は買って損はないだろう。似ているところと違うところがあってそういった意味でも楽しめる。フィジカルは限定500枚らしいがitunesなら問題なく購入可能。非常に楽しめたのでもっと音源が聴きたいところ。

ヘニング・マンケル/霜の降りる前に

スウェーデンの作家による警察小説。
2002年に発表された。
2015年作者のヘニング・マンケル氏が亡くなった。67歳だった。
私がクルト・ヴァランダーシリーズの第1作目である「殺人者の顔」を買ったのは2012年。今となっては買った理由は思い出せないが、恐らく何となく紹介を見てだろう。「殺人者の顔」は警察小説というジャンルを知らない私からすると衝撃的なミステリーだった。殺人を扱った本である事は間違いないのだが、読み終わるとそれは象徴にすぎず、スウェーデンという国が抱える問題をそれを通してまざまざと見せられた気分になった。全体的に暗雲が立ちこめた様な暗い雰囲気で進行し、読後感は良いとは言えず、しかし私は2冊目「リガの犬たち」に手を出した。国境をまたぐ重厚なストーリーと派手なアクション、渦巻く陰謀と物語のスケールが一気に加速したその本をあっという間に読んだ。それからは「白い雌ライオン」「笑う男」「目くらましの道」と続編を読んでいくのが最高に楽しかった。デニス・ルヘインのパトリックとアンジーシリーズもそうだが、優れたシリーズに出会い一気読みするというのは読書体験の中でも相当な醍醐味の一つだと思う。ヴァランダーシリーズを読んで私は警察小説や北欧ミステリーに手を出していった。そういった意味では非常に思い入れのあるシリーズなだけに今回のヘニング・マンケル氏の訃報は非常に残念です。ご本人がスウェーデンとアメリカで暮らしていた事もあり、氏の作品には常に人種や弱いものへの差別に対する強い怒りと批判の精神があると思う。ヴァランダー刑事も絶対正義である警察機構に所属しながら殺人の向こうに存在する差別や欺瞞と戦い、時には正義の矛盾に苦しんだ。いわばこのシリーズはマンケル氏の鋭い洞察力と批判精神が警察小説という体裁にガッチリはまり込んだもののだと私は思っている。デートに出かける娘の後を追って元妻との食事の約束に遅れるヴァランダーを見て果たしてこんなに情けない主人公がいるのかと思ったのですが、癇癪持ちで太り始めたこの刑事がどんどん好きになったものだ。もうこのシリーズの新作が発表されないというのは非常に悲しく残念な事です。作者ヘニング・マンケル氏にに深い感謝を捧げたい。そしてご冥福を御祈りいたします。

クルト・ヴァランダーの娘リンダは警察学校を卒業し、父親と同じイースタ署への配属を後わずかに控えている状態だった。配属するまでは父親であるクルトと同居しているが強情な2人なので喧嘩も絶えない。時間を持て余したリンダは一時疎遠になっていたかつての友人アンナとの友情を復活させるが、ほどなく彼女は失踪してしまう。彼女の失踪に疑問を感じたリンダは父の忠告に耳を貸さず独自の捜査を開始する。

さて本書だが、今までのシリーズとは決定的に違う部分がある。それは今までは主人公サイドは常にヴァランダーの視点で進んで来たのだが、今作はヴァランダーの娘であるリンダが登場。紆余曲折あったが父と同じ警察官への道を歩む事を決めた彼女の視点が恐らく半分以上。このリンダというのは実はまだ警察官ではないから(入署をすぐ後には控えているとはいえまだ本配属されていない状態)、ある意味警察官より自由に動く事が出来る。(その分勿論バックアップも受けられない)また今回事件の切っ掛けの一つになるのがリンダの友人の失踪なので彼女は私的な理由もあって積極的に捜査に乗り出していく。いわばリンダに関しては警察小説というよりは探偵小説の様な趣があって、物語の展開も速い。ヴァランダーはそんな娘を父としてというよりはむしろ熟年の警察官の先輩としてたしなめる事になるのだが、そこは親子ということもあり上手く行かない。捜査と娘の両方のハンドリングをしないと行けないから、その苦労もひとしおである。今作はそんな親子の関係についてもかなりの比重でページが割かれている。今までもヴァランダーと偏屈すぎるその父親(リンダからすると祖父)の問題のある関係についてはシリーズを通して書かれて来たが、今回は30歳を目前にしてまだ何にもなれていないリンダの心の葛藤を描く事で親子関係というよりは一人の人間の成熟について書いていると思う。だからリンダの自殺未遂のエピソードは非常に重要である。
ヴァランダーシリーズは先にも書いたが犯罪そのものというよりはそれを発生させる歪んだ精神を描く事にその主眼をおいているシリーズであるから犯人サイドの視点も本文のうちかなりのウェイトを占める事になる。今回の敵もなかなかの経歴を持ったヤツなのだが、私からすると何かと言い訳を付けて逃げ出す臆病者にしか見えなくて歯がゆい思いだった。何度も書くが敵役が憎たらしい作品は面白い。そういった意味でも今作は素晴らしかった。事件は解決したけどなんともすっきりしない感じも引き続きで、曇天の下何とも言えない気分で佇んでいる様な、そんな読後感はやっぱり最高だ。

本書の帯や柳沢由美子さんの後書きによるとエッセイ「流砂」は刊行予定であり、それからヴァランダーシリーズで未訳となっている2作品についてもなるべく速く手をつけたいと書かれています。ファンとしてそれらを首を長くして待ちたいと思います。その前に「北京から来た男」を読まないとな…

2016年2月11日木曜日

UXO/UXO

アメリカのノイズロックバンドの1stアルバム。
2016年にReptillian Recordsからリリースされた。私はオフィシャルサイトでデジタル版を購入。
デビュー作と行っても新人ではなくて名だたる2人がタッグを組んで結成されたスーパーバンド。その2人はToday is the DayのSteve AustinとUnsaneのChris Spencer。あとの2人もIronbos、Livverというバンドのメンバーとのこと。Today is the Dayに関しては私はアルバムを何枚か持っているが1992年からSteve Austinを中心として活動し続けるノイズロックバンド。かつてはMastodonのドラマーBrann Dailorもかつて在籍した事がある。SteveはまたConvergeの「When Forever Comes Crashing」などもプロデュースしたことのある影響力のある人。Unsaneは1988年から活動するノイズロックバンドで私は目下の最新作「Wreck」(2012)しか聴いた事が無いのだが、乾いた激音の中にも強靭な狂気を感じる凄まじい音を鳴らしている。その両者がタッグを組んだという事でこれはもう完全にどうかしている音楽になるに決まっている。

両者の出自がガッチリハマって結果出される音はノイズロックである。ノイズといっても変に高尚的なものではなく、音の輪郭がビリビリと震えている事が音源からも感じ取れるほど凄まじくデカい音で鳴らされるロックである。ほぼほぼバンドアンサンブルのみによって構成される音はひたすらノイジーで、自称するように確かにメタルというよりはハードコア的な音色である。1枚しか持っていないのであれなのだが、個人的にはToday is the DayよりはUnsaneっぽいなと思う。まずは音の異常な図太さだけで昇天できる事請け合い。豊かな中音域は暖かみがあって生命力に満ちている。全体的に砂漠のように乾いているのも印象的だ。Today is the Dayは様々な音をならして来たバンドだが、日本ではカオティックハードコアの文脈で語られる事もあって、ハードコアの荒々しさにSteveの完全にどうかしている神経症質なこだわりが反映されている、いわばねっとりと濃いバンドなのだが、その底意地の悪い漆黒の闇というのはUXOでは控えめである。たしかUnsaneのレユーでも書いた覚えがあるのだが、UXOにも共通して一見して開かれている様なのにその目は完全に坐っているのだ。アルコールに酩酊しているのか、人生に絶望しているのか判別不能だが、完全にどうかしている、そんな感じがノイジーな音の向こう側に透けて見える。それは一泊おいた後に気づく怪談の様な趣がある”怖さ”であると思う。黒魔術の怖さというよりは隣人の異常な一面をふと見てしまった様な、そんなリアルな質感を持った黒さである。
彼らがノイズ”ロック”なのにはハードコアでもメタルでもない歌心があるからだと思う。Today is the DayにもUnsaneにもそれらは確固たる形で存在したが、それらがいっそう荒々しく素直に表現されているのがUXOだという気がする。一言でいうとUXOの出す音には感染性みたいなのがあって、どうかしているはずなのに心を揺さぶってくる、高揚させてくる。UXOの音楽は気持ちよいのである。その乾いたストレートさが矢のようにまっすぐこちらを貫いてくる訳だ。

という訳でこれ滅茶カッコいい。デジタルで買ったがフィジカルで欲しいと思っています。ジャケットもすごくカッコいいし。Today is the Dayの去年の「Animal Mother」もすごかったけど、発売して間もないこちらの方が再生回数が多い様な気がする。全7曲というのもその理由かもしれない。だがなにより曲が素晴らしい。この気持ちよさはなんだろう。(レビュー書いといてわかんねねえなという感じで恐縮だが。)
めちゃくちゃオススメなので好き者の皆さんは是非是非!!!

2016年2月7日日曜日

Lycus/Chasms

アメリカはカリフォルニア州オークランドのフューネラルドゥームバンドの2ndアルバム。
2016年にRelapse Recordsからリリースされた。
2013年リリースの1st「Tempest」時は確かもとDeafheavenのメンバーが在籍するバンドという事で話題になっていた様な気がする。私もご多分に漏れず興味を持って1stを買った。期待の2作目も購入。全4曲で43分。激長いわけではなかろうが、平均すると1曲あたり10分以上だからやはり普通からしたら十分ドゥームなアルバムだろう。Chasmとは深い裂け目とか溝のことを言うそうだ。

音楽的にはやはりフューネラルドゥーム。文字通り葬式な雰囲気で、真性ドゥームメタルバンドに比べると攻撃性に怒りの感情に劣る分、何とも言えない陰鬱な悲しみが全体を支配しており、体感速度も遅く感じる。
一通り聴いて思ったのはこんなに表現の豊かなバンドだったかな?ということ。フュネーラルドゥームは感情の極北めいたジャンルである。尖った分どうしても単調になりがちで、その灰色の単調さがこのジャンルの魅力の一つである。ところがこのアルバム、非常に表現の幅が広い。勿論速度が速い訳ではないし、楽しい気持ちなど付け入る隙すらない。深い悲しみと公開が支配した典型的なお葬式感なのだが、その表現の幅と行ったらちょっと目を見張るものがある。このジャンルに特有のひたすら低いボーカリゼーションを主役に置きつつも、朗々としたお経めいた不穏で気怠い詠唱やクワイアっぽい歌唱法(ちょっとBell Witchっぽい雰囲気ある。)、低音と対比をなすギャアギャアしたわめき声の投入。そしてなによりバックの演奏陣の色彩の豊かな事。例えばドラムは牛歩戦術がメインだが、たまにバスドラの乱打を投入してくる。弦楽器隊のテンポは遅いままなので曲全体の速度が加速する訳ではないのだが、なかなかこの手のジャンルには無い感情を獲得する事に成功していると思う。そしてギターリフはタメのある刻みリフに加えて、中音域の厚い暖かみのある単音を披露し、またアコースティックなコード感のあるフレーズなど、その表現の幅はとても広い。長い尺を活かしたインストパートにストリングスを投入したりと結構色々やっている。これらはともすればポスト感をますあまり、フューネラルな雰囲気をぶちこわしかねない要素となり得るのだが、どっしりとした芯でもってあくまでも出自を堅持しつつ使いこなしている様は中々どうして器用である。私の様な軽薄な愛好者は長い曲でも飽きずに聴けるし、むしろこの変化は大歓迎。なんといっても悲しみの要素が一切その魅力をそがれる事無く、それどころか陰影色濃く強められている印象がある。

バンドが作り出す音の風景は表現力を増した分より深くなっていると思う。個人的には前作より今作の方が好きですね。オススメ。

Prurient/Frozen Niagara Falls

アメリカはニューヨーク州ニューヨークを活動の拠点とするアーティストのアルバム。
2015年にProfound Lore Recordsからリリースされた。
一個前のアルバム「Bermuda Drain」を持っていてこちらも買わないとなと思っているうちに時間が経ってしまった。複数の人が2015年ベストに入れてもいたし、遅まきながら購入した次第。私が買ったのはデジタル版だがCDだと2枚組、全16曲で1時間半というなかなかの大作である。

Prurientは様々な変名やプロジェクトで活動する(私が音源を持っているのは多分Vatican Shadowくらいだと思う)Ian Dominick Fernowという人物(どうももの凄い多作なひとらしい。)がソロでやっているユニット。ジャンルとしてはパワーエレクトロ/ノイズなのだろうが、この人は独特の美学を持っているらしく、私もこのジャンルに明るい訳ではないがそれでも分かるくらい尖った音楽を作っている。
まずはその幅の広さ、凶悪なノイズを披露する事もあれば、ドローンめいたアンビエントなもの、アコースティックギターやピアノを取り入れた美麗なものなど。音数自体は決して多くない(ノイズの場合は音数分からないし、勿論音数が少なくても超五月蝿い曲も沢山あるのだ)がそのバリエーションは豊富だ。どれも質は高く、しかも散漫な印象は無い。Pruirientというのは懐の広さに共通して名状しがたい”暗さ”という太い軸を一本通す事で、完全にその楽曲群を統制している印象がある。後述する特徴もあってPrurient節みたいなのが全編を陰鬱に覆っている。いわば表現すべき風景があって、様々な道具や演奏法でもってその世界を構築しようと言う試みである、という姿勢を何となく感じさせる。虚無的な美というものがあって、ノイズの使い方もただ五月蝿いというのはほぼ無い。特にこのアルバムに関しては強くそう思った。垂れ流し感は皆無で全編に渡って良くコントロールされている印象。ノイズと対をなす様な浮遊感のあるアンビエントなシンセ音の使い方は堂に入ったもので、足下を這う霧のように聴いている人を異界に迷い込ませる作用がある。その静寂にノイズを忍ばせてくるあたりはコントラストが利いていて個人的には好きな手法である。
さてそんな五月蝿くも美しい世界をぶちこわさんばかりに本人の絶叫をいれてくるのがPrurientのやり方でこれがもの凄く怖い。バンドのボーカリストとはやはり違うのかよくも悪くも不安定で、極限にまで追いつめられた男の絶叫に他ならない。ある意味凶暴性のなかの美を一切取り去ったような原始的なもので、曲によっては演奏の対極にあるものである。いわば折角作った美というものをこの絶叫で持って台無しにぶっ壊してやろう、というもう歪みまくった底意地の悪さが感じられて、奇麗な曲が続いたりするとそろそろ包んじゃないかとドキドキしたりして、すっかりこの要素に見せられている自分を発見するのである。
一癖も二癖もある音楽性だが、今作は前述の通り、激しさは引き続き存在しつつも一枚ベールを噛ませた様なアンビエント性が全体を覆っている様な印象。より不穏になったというイメージで個人的には前作寄りはこちらの方が好きだと思う。より潜行し、内省的になっている。捻くれた音楽が好きな人は是非どうぞ。オススメ。

ジョージ・オーウェル/動物農場

イギリスの作家による風刺小説。
ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んでその内容に衝撃を受けたのはほぼ2年前である。何か別の一冊をと思っているうちに年月が経ってしまった。そろそろ読まないとと思って購入。いくつかの版元から出版されているが私が買ったのは角川文庫からでているもの。買ってから気づいたのだが、タイトルにもなっている「動物農場」の他に3つの短編が収録されている。さらに「輝ける闇」(これしか読んだ事無い。)の開高健さんのエッセイと翻訳した高畠文夫さんの手による丁寧な解説がついている。
そういえばThe Mad Capsule Marketsの上田さんのプロジェクトAA=はこの小説に出てくるフレーズ「All Animals are Equal」からとったそうだ。今度聴いてみようかな。

不思議な夢を見た農場の豚メージャー爺さんは「動物たちの呻吟は彼らを酷使する人間たちが原因に他ならない。人間の軛から動物たちは解放されるべきだ」と演説をぶった。それに賛同した動物たちは農場の経営者に対し反乱を起こし、彼らを追い出す事に成功する。人間から解放され自分たちだけで農場を経営する、そんな理想郷はしかし豚が指導者に収まった時から微妙にその雰囲気を変えていく。

私はとにかく政治に疎い。恥ずかしい事に学生時代、政治経済の授業は見事に聞き流していたため基本的な知識が良い年になった今でも欠如している。
この小説はかの有名なスターリン独裁かのソヴィエト社会を批判する内容になっている。舞台を農場に置き換え、歴史上の人物たちを豚や馬、ロバなどの動物に置き換えているのだそうな。動物たちがでてくるとイソップ物語やグリム童話などのおとぎ話を思い浮かべてしまう。実際に「動物農場」は教訓をうちに秘めた寓話なのだが、それを隠れ蓑にしつつ痛烈な批判と風刺という、寓話から一歩進んだラディカルなものだ。(実際にオーウェルが仕上げた後にはいくつかの出版社から政治的な理由で出版を断られている。)極めて指示的な小説ではあるのだが、オーウェルの筆致は巧みなもので、私の様な素人以下の頭の人間でもこの小説を楽しむ事が出来る。一つは登場人物が動物である事。ディズニーとは言わないがやはり頭に入りやすい気がする。もう一つは革命、社会主義というと極めて難しいのだろうが、それらの実体・弊害が個々(この小説では動物たち)の視点出懸かれている。例えば豊かになっていると行っているはずなのにご飯は減る一方だったり、体制の主張はコロコロ変わっているような気がするけど、強引さと証拠の無さでそれが言いにくい雰囲気があったりと。政治的なパンフレットというとどうしても高尚な分ハードルが高いが、このような構造を持っているとどんな人でもそのテーマに触れる事が出来る。そういった意味ではこの小説の持つ社会的価値のすごさの一端がわかる。
訳者による丁寧な解説を読むとオーウェルという人は学者タイプではなくて、感情で動く熱い人だったようだ。人間の基本的な感情に強く共感し、それを強いる体制に強い反発を覚えたのだった。記者としていくはずがスペインの内戦で戦士として戦ったというのは印象的なエピソードだ。オーウェルという人は社会を下の視点から眺める人で(実際に社会の下層と言われる人々と一緒に寝起きする事でその素質を育んだようだ。)、それゆえ常に物事を”人”、それも恵まれない人に寄り添って考える。だから革命や圧政は社会的な現象というよりは個人レベルの災厄(実際には人災として批判しているのだが)として書かれる。それは殴られた時の痛み、食べれない時の空腹の辛さ、正しい事が言えない腹立たしさ、そんなもので構成されている。どんな人が読んでもだからこの物語は共感を呼ぶのだと思う。それがこの本の持つ力だ。根底にあるのはまぎれも無い「優しさ」だと思った。
同じ視点で書かれている「1984年」は極めて強烈な小説だと思う。苛烈と行っても良い救いの無さ。まさに人類の進化の終点である完全なディストピアだった。「動物農場」はたしかに「1984年」に至る過程の一つだが、描写も含めて読み手への配慮が見られる。実は本質的な恐ろしさは変わらないのだが、それでもオーウェルの持つ優しさはこちらの方が断然感じられるだろうと思う。(だから勿論恐ろしさと同じレベルで「1984年」も優しさにあふれた物語である事が言える。)
この小説は指導者を殺せ!と行っている訳ではない。ただ自由の無い社会の恐ろしさと辛さを書いているのだ。社会に属する人が読めば、必ず何かを感じる妥当と思う。遅いという事は無いと思うので読んでいただきたいと思う。