2016年4月9日土曜日

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/あまたの星、星冠のごとく

アメリカのSF作家による短編集。
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは同じ短編集の名作「たった一つの冴えたやり方」しか読んだ事が無い。今その本は表紙がオシャレなものに変わっているから、読んだのは結構前だと思う。
有名な話だがジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは筆名で本当はアリス・ブラッドリー・シェルドンという女性作家である。CIAで働いていたという事もあってデビューしてから10年弱くらいは性別は明らかにされなかったそうだ。(wikiによると本意ではなかったのだろうがある出来事から女性だという事がばれてしまった形だそうな。)認知症の夫を打ち殺してその後自分も自殺したという末期のエピソードもとても衝撃だ。この短編集はそんな彼女の死後1年経ってから刊行された最晩年の作品集。原題は「Crown of Stars」だから「あまたの星、星冠のごとく」という邦題はなかなか印象的だ。(どうでも良いがSFは良いタイトルの本が多いな。一番好きなのはスタージョンの「君の血を」かも知れない。)
全部で10の短篇が収められている。一つは非常に短いものだが他は結構分量があって読み応えがある。異星人、タイムリープと扱っているガジェットもあって内容的にはほぼSFだが、ハードさはさほどでもない。あくまでもガジェットはさらっと、当然あるかのごとく存在しているように書かれている。タコ型の宇宙人が地球人と邂逅する「アングリ光臨」、神の死をきっかけにサタンがかつて追放された天国に弔問に行く「悪魔、天国へ行く」、寓話風のおとぎ話のような文体と雰囲気で書かれた「すべてこの世も天国も」などは軽妙と言って良いほどの陽気さ、面白さがある。
一方で薬物中毒の離脱体験を極めてリアルに描いた「ヤンキー・ドゥードゥル」(この話はSF的な要素は表に出てこない、薬には実際にモデルがあるのではと思わせる程克明だ)、貧富の差が天と地のように開いたディストピアを描く「肉」、なんと地球に恋をし、”彼”とのセックスを熱望する女性を描いた「地球は蛇のごとくあらたに」などはとにかくシリアスである。
明るい話も、暗い話もかける器用な作家である事は間違いないが、後書きでも指摘されているが一見明るい物語でも実はくらい未来が暗示され、何とも言えない陰鬱さは陽気さの影に見え隠れする。どの作品でも暗示される未来は概して暗く、ティプトリーはとにかく人口が増えすぎることが人間文明の荒廃や衰退を導くと思っていたのか科学的計画的な人口抑制がいくつかの作品でテーマになっていると思う。「アングリ光臨」は一見心温まるファースト・エンカウンターものだがどうしてもこの緩やかに衰退していく人類の姿が隠せずその穏やかな語り口の背後に横たわっている。「地球は蛇のごとくあらたに」は性的描写にちょっと辟易してくるとだんだんと女性の狂気が肉欲以外に向いてくるあたりで俄然面白くなる。良い意味で読者の期待は裏切られる事になる。そういった意味でこれはタイトルが非常に良い。この作品では地球はストレートに崩壊に向かう事になる。一方「死のさなかにも生きてあり」は個人の世界の崩壊を描いている。鬱病にかかったやり手の投資家である主人公は銃口をくわえて自殺してしまうのは作者の未来と重なる。その後彼が奉公する死後の世界は何とも滑稽であると同時に”死んでしまうくらいつまらないこの世界”が死後もずっと付きまとうという一つの地獄が描かれている。主人公が捕われるのは作中では「リンボ」(言わずと知れた辺獄)であると表現されている。つまりこの世はすでに「リンボ」であるとティプトリーは、そんな風に思い至っていたのかもしれない。

ゴージャスな邦題通り、キラリと光る多彩な作品が収録されたこの短編集はまさに星をリちりばめた様な宝石箱だが、その底には毒蛇が潜んでいる。その箱に手を突っ込めば私たちはいつの間にか知らず噛まれた毒が回っている、そんな趣がある。説教臭くないので非常に読みやすい。未来は暗い。そして人間が園も自体に希望が無いのかもしれない。そんなSFが好きな人は是非どうぞ。

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