2016年5月7日土曜日

デニス・ルヘイン/過ぎ去りし世界

アメリカの作家によルノワール小説。
「運命の日」「夜に生きる」に続くコグリン家サーガの3作目。全2作を楽しく読んだので勿論こちらも購入。
原題は「World Gone By」。

ジョゼフ(ジョー)・コグリンはギャングだった。しかし抗争で妻を失ってからは引退し、”組織”バルトロ・ファミリーの顧問役として表舞台からは立ち去った。実業家として組織を潤して来たジョーだがある日刑務所に収監された女殺し屋から自分の暗殺依頼が走っていることを知り愕然とする。一体誰が?なぜ?ジョーは半信半疑ながら犯人探しを開始する。

第二次世界大戦真っ只中の1942年、アメリカはフロリダ州中部の都市タンパを舞台にしたノワールもの。「運命の日」では脇役だったコグリン家の末っ子、ジョーが裏世界でのし上がっていく様を書いた「夜に生きる」の本当に後日談であり、登場人物も「夜に生きる」と共通している。裏表含めて実際に生きた人々(一番有名なのはチャールズ・ラッキー・ルチアーノだろうか、ただし彼は名前のみの登場)も登場している。
表向きは引退しても実際はギャングにどっぷりのジョー。こういう言い方をするとあれだけどジョーはどんどん弱くなっている。一番は家族が出来て、もっというと息子が出来たこと。おまけに妻で子供の母親を抗争で失っているため彼を孤児にしたくないという強い想いから、自分の命が危険にさらされているかも知れない状況(この確定ではない状態が人を一番苦しめるのかもしれない)が非常なストレスになっている。面白いのは作者が意図的にジョーを気丈に書いてみせているのだが、ジョーの言葉とは裏腹に彼が弱っていく様子がかなり克明に描かれている。
しかしジョーはそんな危ない家業から足を洗う気は全くない。たとえ危険が多くても既存のルールに沿って生きるなんてまっぴらなのだ。体制はヤクザかそれ以下だと考えているし、自由であることは死より、つまり自分の生より重たい。ところがそんな世界でもジョーは自分の付き合っているギャング仲間だけでなく所属している組織にも不信感を抱いてくる。それでもギャングを抜けることは考えない訳だから、いったいジョーは本当はどうしたいのだろうか?もし子供を守るなら、極端な話すべてを放り出して2人で外国にでも逃げれば良い。そうしないジョーは、そもそも子供を守ろうとは思っていない(守ろうとは思っているけどギャング生活の方が大事)、もしくは自分は結局死なないと思っている、のどちらかではなかろうか。「運命の日」の主人公でジョーの兄は元警官で信条のために命を賭して戦ったがそんな生活に嫌気がさして全く別の道(ハリウッドで脚本家になった)に進んだ。ジョーはそんな兄を愛しているけどやはりどこかで日和った、と感じている様な気がしてならない。ジョーにとって抗争の日々から抜け出すことは死よりは恥と考えていたのだろう。
ルヘインは華やかで刹那的で暴力都市に満ちたジョーの生活が果たして良いのか悪いのか2関しては全く書かない。ただ彼に密着して彼の生活を丁寧に描写していく。ルヘインは美学がある作家だと思う。過剰にセックス、ドラッグ描写、そして暴力を描かない。だから一発の銃弾が人の体にあけた赤黒い穴が異様に映える。特にこのシリーズでは殺人は真っ昼間陽光の下で行われる。うたれたギャングの死体から赤黒い血が流れていく。太陽の下で埃が待っている。その様は何とも言えない美しさがある。

面白かった。虚無があるというと格好付け過ぎ。ジョーは生きている。ギャングは骨の髄までギャングでいっていることがむちゃくちゃすぎる。人は裏切る。ただ彼らは裏切ったあいつも、そして自分もギャングだからといってひょっとしたら許すことが出来るのかもしれない。
万人にお勧めしたいのだが、まずは「運命の日」、もしくは「夜に生きる」から読んだ方が良い。

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