2016年6月26日日曜日

Hi'Spec/Zama City Making 35

日本は神奈川県のDJ/トラックメイカーの1stアルバム。
2016年にSummitからリリースされた。
Hi'Specは同じく神奈川県のヒップホップクルーSIMI LABの一員で、彼らの1st、2nd、それからラッパーOMSBのソロアルバムでも楽曲を制作・提供している。どのアルバムも非常に良かったので購入した次第。
Zama Cityというのは恐らく神奈川県座間市のことだろう。どうも出身地がこの待ちだそうな。米軍基地で有名。

トラックメイカーということでインスト曲もそれなりに入っているが(15曲中5曲)、ほとんどはゲストのMCを迎えている。SIMI LABの盟友OMSB、Rikkiが名前を連ねるがグループ外からも色々な人が参加しているのでとてもバリエーションがある。ただ当たり前のように作曲しているのはHi'Specなので統一感があり、かつ多彩という事で非常に楽しいアルバムになっている。
SIMI LABで今まで聴いていた彼の曲というのは1stならまさにキラーチューン(私がかれらのCDを買う切っ掛けにもなった)「Show Off」、2ndなら一点ゆったりとして豊穣な「Worth Life」あたり。良い曲だなというくらいの印象でしかなかったが(あとすごい酔っぱらって超熱く釣りの話をする人なんだなという印象)、こうやってフルアルバムでどっぷり浸ってみるとなかなか面白い事に気がつく。それはかなりノイジーな曲が多い。ヒップホップといえばその文化の一つにサンプリングがあって、それは元ネタと言われる既存の楽曲を解体、時には複数の曲からパーツを集めて再構成するという手法だが、ラップを活かすために概ねほぼほぼビートで構成されたシンプルなものが多いと思う。(それゆえシンプル故ごまかしがきかないタイトな印象だ。)youtubeでメイキング(メイキングのメイキングだ!)の映像を見ているとMPCを駆使している様子がうかがえるからやはりHi'Specもこのサンプリングという手法をメインに使っているのだろう。(インタビューを読むと元ネタはレコードのみのとのこと。)しかしその元ネタというのはジャズやソウルをそのまま使うというよりは、もっと近代的である。恐らく曲の相当尖った部分だけを切り取って使っているのだろう。オーガニックなビートであってもその上に乗る音が非常にソリッドで攻撃的だ。音数もヒップホップにしてはひょっとしたら多めなのではないだろうか。MVも制作されている「Phantom Band」を聴いてみてください。ぶっといビートにきしむ様な音が乗っけられている。全部パーカシッブで全身これリズムの様な楽曲に、チップしたノイズが次第に重ねられていく。ちぎられたホーンがメロディの断片を奏で始める。ビートは非常にミニマルなので自然と中盤曲にのめり込んでいくと酩酊していく様な陶酔感がある。この気持ちよさである。
この複雑で良く練られたビートに乗ってくるラッパーたちも非常に個性が強い、アクが強いと言っても良いだろう。特にこれもMVが作られているABC(Air Bouryoku Club)との曲は完全にどうかしている域で攻撃的でサイケデリックだ。あとはRIkkiとのコラボ作「Taco-Nasu-Boke」は攻撃的なリリックがいかにもRikkiなのだが、良く読んでみると実際は口は悪いもの非常に愛情にあふれた励ましのような雰囲気があって、ちょっと大人っぽくなったラップに相まって非常にかっこ良い。同じくOMSBは恐らくHi'Specと幼なじみなのかな?非常に地元愛に満ちた自伝の様な曲をしっとりとラップする。

というわけで非常にかっこ良い曲が満載で滅茶カッコいい。すごくオススメ。SIMI LABに興味がある人はまずはこっちを購入しても良いかもしれない。すでにそっちのCDを持っている人は迷わずこちら買ってもらって間違いない。

2016年6月18日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/ビッグ・ノーウェア

アメリカの作家によるハードボイルド小説。
エルロイは沢山読んだ訳ではないけどファンなのでその本の多くが絶版状態にあるのが非常に悔しい現状。新作「背進の都」リリースに合わせて復刊という事で購入した。ただし電子書籍でのみ、ということなのでこれをkindleで購入。(電子書籍というフォーマットに関しては別の記事にでも感想を書こうかなと。)

1950年元旦、ロサンジェルスの保安官事務所に勤める若い保安官補ダニー・アップショーは通報を受けて男性の変死体発見の報を聴いて現場に駆けつける。その死体は眼球をえぐりとられ腹部には動物に噛みとられた様な傷跡、背中には刃物で執拗に斬りつけられた様な傷跡が残っていた。上昇志向の強いアップショーは周囲の反感を買いつつも独自の捜査を進めていく。一方地方検事局に勤める警部補マルコム・コシンディーンは検事補エリス・ロウから直々にハリウッドの労働組合UAESがその実共産主義者であり、彼らを裁判にかけるための捜査に加わるように持ちかけられる。相棒はロサンジェルス市警の同じく警部補ダドリー・スミス。離婚の危機にあるコシンディーンは出世と子供の親権を勝ち取るためにその仕事を引き受ける。部下にはかつての妻を寝取った男ターナー・バズ・ミークスを使う事に。ミークスは身を滅ぼす恋に片足を突っ込んでいた。アップショー、コシンディーン、ミークス目的の異なる3人の運命が交錯していく。

1950年のアメリカというとどんな時代か想像がつかないが、どうも所謂アカ狩りというのが猛威を振るっていたらしい。ようするに共産主義者を国家の敵としてオーソリティはこれを徹底的に取り締まっていたと。これはその最先端の警察の物語なわけでそういった意味では警察小説と呼ぶ事は出来るのだけれど、大分その様相は一般的な警察小説とは異なる。まず出てくる警察官はどれもこれもロクデナシばかりである。昨今の警察小説の主人公というのは癇癪持ちだったりセックス中毒だったり大麻中毒だったりと何かしらの問題を抱えている事が多いのだけれど、この物語だと次元が違う。どうもこの時代警察官になるのは本当に腕っ節の強いヤクザみたいな人ばかりだったらしい。ギャングから賄賂をもらい、自分でも麻薬を売る、(信じられない事に)人を殺す、何でもありである。
エルロイの小説を好きな人はだいたいいつも通りだと分かるだろう。この人の小説というのは徹底的に汚い。人の暗部を書いているというと聞こえは良いし、実際例えばデニス・ルヘインなんかも人の暗部を書いているし、そこに乾いた独特なアウトローの格好良さがある。しかしエルロイの場合は血と硝煙と精液のにおいがする、リアルに”汚い”小説でそこに通常のフィクション的な格好良さに入る隙はあまりない(ただし結果的には勿論非常にかっこ良いものになっている)。作中でも言及されるがこの大層なアカ狩りの作戦でさえ茶番であるし、エリス・ロウからしてミッキー・コーエンとずっぷりで権力欲に取り憑かれた豚の様な存在である。この大義のない作戦に、異常な連続殺人という要素を入れる事で物語が一気に加速している。どちらというと「血まみれの月」みたいな猟奇的な殺人こそがエルロイの持ち味でそちらに権謀術数の要素を追加した、というのが正しいのかもしれない。
エルロイの小説に出てくる登場人物たちは個人的な動機でしか動かない。それは金と権力と女!でなにか、今以上の何かを得ようとしている。その飽くなき欲望の裏には動機と背景として何かしらの欠損や弱点が見え隠れする。いわば金、権力、女はその暗い穴を埋めようとする大小にすぎず、それゆえ決して満たされる事なく常に新しい何かを求め続けていく事になる。その中でもダニー・アップショーというのは面白いキャラクターをしていて捜査を進めるに連れて自分がホモなのではと実は子供の頃から抱えて来た根源的な疑問に相対するが、その事実を受け入れられなくて次第に崩壊していく。時代と文化的な背景があって、さらにマッチョさが過剰に求められる警察官(保安官だが)でホモというのは今の私たちからすると想像を絶するほど認めがたい真実なのだろう。

相変わらず熱気にくらくらするように読んだ。面白い。
電子書籍大丈夫な人は是非どうぞ。

SUMAC/What One Becomes

アメリカとカナダの混成メンバーからなるスラッジメタルバンドの2ndアルバム。
2016年にThrill Jockey Recordsからリリースされた。
言わずと知れたアトモスフェリックスラッジ(そしてその他のジャンル)の一つ里程標になっているバンド元ISISのフロントマンにして、様々な(変わり種)ハードコア/メタルバンド(にとどまらないけど)の音源を世に送り出したHydra Head Recrodsの首魁Aaron Turnerの新しいバンド。メンバーはベースに元Botch、現Russian CirclesのBrian Cook、BaptistsのドラマーNick Yacyshynという布陣。デビュー作「The Deal」は2015年リリースで、色んなサイトや人の年間ベストにあがる事も多かったですね。来日も果たしてライブもそれは凄まじかったそうな。私は完全に乗り遅れていたので今作で初めて聴きます。プロデュースは売れっ子Kurt Ballou。

AaronのバンドというとMamifferだったりHouse of Low Cultureだったり幾つか音源を持っているのだが、バンドというとやはりISISの印象があるのでそちらと比較してしまう。そうするとかなり音の種類が違うなという感じ。ミニマルさ、という共通点はあるのだけど反復していって外に外に開花していく様なイメージのあったISISと比較するとこちらは圧倒的に内にこもっていく。メンバーは3人だけどそれぞれの主張が極めて激しい。音の広がりとか多様性は最小限なのだが、それぞれが研ぎすまされている、というか重たく過剰に強調されている。スラッジメタルということでそれぞれの音も決して多くはないのだが、それぞれの一撃の音の重みが違う。ドラムは比較的手数が多めなのもカッコいいのだがこの手のジャンルではちょっと不思議かも。ベースは非情に硬質で裏をなぞる、道穴イメージでかなりゴロゴロ言っている。ギター無しでドラムとのアンサンブルだけ聴いたら面白いかもしれない。ギターはほぼほぼ低音のリフをひいていく。人を寄せ付けない音楽性のオアシス、ギターのメロディといったご褒美もあまりなく、巨大な機械が噛み砕いていく様な重圧系の無慈悲なリフが続いていく。だいたいこの手のジャンルだと異常に遅くしたり、ノイズをぶちまけたりとメロディがほぼ死滅していても別の要素でもってキャッチーさを演出していくわけだけど(一番分かりやすいのは衣装もこだわるSunn O)))ですかね)、このバンドに関してはその要素は皆無。非情にストイックで黙々と人を圧殺するような無慈悲なリフを繰り出していく。Aaronのボーカルは終始咆哮している。なかなか特徴的であまり技巧的な使い分けとかはしないものだから、周りの爆音に耳が馬鹿になって来てお経のようにも聴こえる。
もはや聴くのが苦行の様相を呈してきそうなこのバンドなのだが、ミニマルパートが徹底的に研ぎすまされているので呆然として聴いていると時間が経っていたぜ!的な楽しさがあるのが一つ、それから長い曲の中で結構凝った事をやっていて、ボーカル無しのパートだったり、アンビエントなパートを大胆に取り入れているのだがそれが非常にカッコいい。アンビエントパートはクリーンぽいギターがつま弾かれていてちょっとOmっぽい。要するに前述のお経じゃないけど求道的な一面があるように思う。少なくとも激しい音楽である割に暴力を売りにしているバンドではない。勿論インテリぶってもいないわけで、これはストイックさもあって探求者めいていると評しても良いかもしれない。いわば背中で語る音楽性であって、男の子だったらうおおぉぉぉ…とため息まじりに憧れちゃう系の音楽ではあるまいか。

全5曲ででほぼ1時間という、外身も中身もとにかくストイックな音楽だが、そんなに構えなくても楽しく聴けると思う。

PRURIENT/Unknown Rains

アメリカはニューヨーク州ニューヨークで活動するアーティストのアルバム。何枚目なのかは分からないです、申し訳なす。(リリース多過ぎ問題)
2016年にHospital Productions(なんちゅうレーベル名なんだ)からリリースされた。
言わずと知れた色んな名義で活躍するDominick Fernow氏による一人ノイズ/パワーエレクトロプロジェクトの新作。恥ずかしながら(もう恒例と言っても良いが)リリース自体に気づいていなかったのだが、ぺちゃさんの2016年上半期ベストに入っているのを見てあわてて買った次第。

2015年にリリースされた「Frozen Niagara Falls」は何人の方のその年のベストに入っていた傑作で、私も遅ればせながらデジタル版を購入しその圧倒的な荒廃した風景に圧倒されたものだ。CDだと3枚組トータル90分以上という圧倒的なボリュームだったが、新作である今回の音源は全4曲トータル33分というコンパクトな仕上がり。
音の方も前作とはちょっと印象が違うかなと。大分取っ付きやすい印象。キャッチーと言って良いかもしれない。勿論分かりやすい歌ものになりました!って訳では全然ないのですが。PRURIENTというと非情なインダストリアル/パワーエレクトロ成分とセンチメンタルといってもいい程のドローン/アンビエント成分が融合(曲によってどちらかの局面に大きく振っている事もしばしばだが、アーティストとして振り幅があるという意味でも)しているプロジェクトだと思うのだが、今回は前者のパワーエレクトロ方面が減退し、後者のアンビエント成分が強めに押し出されている。どちらの成分も多分に感情的なのでがらりと印象が変わるというよりは、今回はこっちで振ったのか!という感じ。
ビートのない曲はいわゆるほぼノイズで構成されているのは相変わらずだし、音の方もパワーエレクトロを彷彿とさせるがっつりうるせー系。ただし全体的に見るとどうしようもないノイズの垂れ流しというよりは、ある程度秩序めいたものを志向する作意を感じ取れる。ノイズの音は中音から高音に特化した湿度のあるしっとりとしたものが、渦を巻くように、つまりある程度のミニマル性をこちらが認識できる程度に流れている。雲を見ているとその形が次第に変わっていくように、ずっと見続けていると次第にぼんやりしていくように、まさにそういった幻惑を誘発させる何かを備えている。ただこの雲というのが青空にぽっかり浮かぶそれではなく、点を覆い尽くした分厚い雲の海と言った様相でとにかくに陰鬱な気分にさせる。そこに有るか無きかのメロディめいたものをのせてくる。このメロディも崩壊しつつある美音みたいな使い方でやたらとぼろぼろしていて、それがまた何とも言えない切ない気分にさせてくる。そういえばいつものヤバい叫び声も今回は封印されている。(ぼそぼそつぶやきは入る。)私が持っている音源だとSecret Abuseのノイズと叙情的なメロディのクロスオーバーという観点で似通っている。こちらの方がノイズが本気なのだが。
正しく曇天という感じの音楽で、個人的には特に2曲目「Before Rain Becomes Snow」は本当良いすね。激センチメンタル。

前作がちょっとこってりすぎたな…というかたでも楽しめるのではないでしょうか。切ないノイズが好きな人は是非どうぞ。
ちなみにデジタル版はBoomkatで購入できます。私もこちらで買いました。凝った装丁のカセットは売り切れ状態。(カセットプレイヤーそろそろ欲しい)

2016年6月13日月曜日

RENA/RENA

日本のエモバンドの1stEP。
2016年にBE WATER Recordsよりリリースされた。
バンドメンバーは元bluebeard、元As Meiasの人を中心にaie、元the chef cooks me、元onsaで構成されているとの事。なのだが前述のバンド一つも知らなかったです。バンド名はあの能年玲奈さんからとったとか。私が全く聴いてこなかったジャンルなのだろうが、3LAで強く押されているのを視聴して「ふむふむ(まあ買うほどではないかな)」とスルー。その後なんとなくメロディが残るからそのPVをたまーにみる。そうするとその頻度が段々高くなって来て、よし買うかとなった次第。ちなみに同じ様な経験がたまにあって一番良い出会いになったのがあぶらだこの「冬枯れ花火」。(最初はやっぱなんじゃこれって思ったもんね)

全部で5曲収録されているが最後の曲はアウトロかな?歌が入っているのは4曲。
オーソドックスな4人編成という事でほぼほぼバンドサウンドのみで構成されている(と思う)。速度は中速で音質的にも中音域がブーストされている。コード感のあるツインギターは結構音数が多くて、それでも曲調がゆったりしているから喧しさは皆無で、むしろフレーズがたまに(晴れた日の小川の照り返しくらい)キラキラしていてとにかく心地よい。そこに伸びやかなボーカルが乗る。繊細で少し青臭いくらいの声質がバンドサウンドに良く馴染んでいる。歌詞はすべて日本語で書いてあり、手書きの歌詞カードが詩の世界観を良く表している。ちょっと抽象的だけど出てくる名詞がいつも私たちが日常で使っているもの立ちなので耳にすっと入ってくる。そういった意味ではメロディセンスが抜群でくどいほどのキャッチーさはないものの、何回か聴いていると一緒にボーカルラインを謎くるくらいに歌いたくなってしまう。
全体的にちょっと幻想的。これは多分曲、というよりは音の作り方が非常に凝っているというか、すごいんだろうけど。エモといっても色々な音質がある訳だけど、やっぱりエモーショナルというとスクリームはないにしても、ガシャガシャと主張の強い楽器陣と情念のこもったボーカルと言うイメージ。このRENAに関してもその要素はそうなんだろうけど全体的に聴くとそこまで生々しくないんですよね。これが不思議。ジャケットのアートワークのようにちょっとぼやっとしている。そのぼやが(普段好んで聴きがちな)酩酊とか、悪夢とか、逆に(例えばシューゲイザーのような)朦朧とした、あるいはちょっと作為的な煌めきみたいなのとはちょっと異なって、日差しがある程度強くてちょっとまぶしくて見えにくいな、みたいなそんな感じ。それが非常に良い。

という訳で非常によろしいすね。飾らないといっても実際本当に飾らないというのは特に芸術の分野では難しい(というか無理じゃないか)と思うんですけど、こういった過去の積み重ねを感じさせつつ今日の歌を歌う、というのはたしかに自分の日常にも共通点ある様な気がしてぐっと来るなと思いました。口ずさめる、というのはいいすね。オススメ。
なんといってもPVにもなっているこちらの曲は白眉の出来。

Slamcoke/Des Flis De Pute

フランスはパリを中心としたハードコア/デスメタルバンドの2ndアルバム。
2014年に自主リリースされた(と思う)。私はデジタル版をBandcampで購入。
Slamcokeは元々Slam Cokeとして2009年に結成されたバンド。2011年に1stアルバム「First Cookie」をリリースした後バンド名を変更したようだ。(といっても間のスペースを省いただけなんだけど。)拠点はパリなのだがメンバーは他にオーストリア、ドイツ、そしてアメリカ合衆国と各国にまたがっている。恐らく顔を合わせる事はまれでデジタルで情報と音のやり取りをして最終的にアウトプットを出しているのだろう。さすがにこの手法ももう珍しくなくなって来たのかもしれないね。だから当然ライブはやらない(出来ない)バンド。
私は前述の1stを何の気なしに購入して気づいたら結構よく聴いている事に気づき、今回2ndを購入した次第。やっぱりカッコいい。タイトルはどうも英訳すると「Son of a Bitch」ではなかろうか。

彼らというのはハードコアを基調としながらかなり色濃くデスメタルの要素を取り入れ、さらにそこにドラムンベースの要素を持ち込み、さらにラップを持ち込んだりしてとにかく好き放題ぶち込んだごった煮の音楽をやっている。好きなものなんでもぶち込んでみましたよ、というわがままなものなのだがトータルでキッチリ聴きやすくまとまっているのが面白い。中途半端に間の子みたいな音にしないでどれも結構素材そのままなので結果メリハリがきいて良いとこどりみたいになっているのでは、と思う。
今回は前作に比べるとドラムンベースの要素が減退し、ヒップホップとデスメタル成分が強くなっているかなと思う。演奏に関しては地の部分はビートダウン・ハードコアでよろしいのではと思っている。パーカシッブなギターがザクザクシンプルなリフを刻んでいく。非常にソリッドな音質のバスドラと絡んで非常に強引な縦のノリを作っていく。もこっとした這う様な低音をフォーカスしたベースはどちらかというとデスメタル的でこいつは別に超絶技巧という訳ではないのだろうが、要所要所でとてもカッコいい。どちらかというと偏差値の低めの音楽(問いったら非常に語弊があるだろうが、皆さん許してください)で退廃的というよりは今が楽しければよいんではないでしょうか?と言った趣でこれがとにかく楽しいわけです。
ボーカルはグロウルスタイルで完全にここだけ切り離したらハードコアには聴こえないだろう。こいつがぐろぐろぐろぐろ唸りまくる。これがビートダウンの低速と非常に合う。スラミング・デスメタルとビートダウンといいとこ取りといったところか。(バンド名は”slam”cokeだ。)
下手すると非常にコアな音楽になりそうなところだが、ここにヒップホップの要素やドラムンベースの要素を追加する事で一気に曲をキャッチーなものにしている。別にパーティ感が出ている感じはしないのだが、何となく派手な明るさが出て来てそれが結果的にs別かの要因にもなっているし非常に上手いなと。

ぼやけているがジャケットはいわゆる立ちんぼってやつだろう。アートワーク通り下品な音楽なのだがこれが非常に楽しい。オンライン上で成立しているという素性だったり、複数のジャンルにまたがるその器用さもあってともするとリアルじゃない感、もっといえばハイプ感もない訳ではないのだろうけど、私はむしろそういった人を食ったような底意地の悪さに翻弄されるのも悪くないと思うし(むしろ皆の言うリアルってなんなの?というよろしくない対抗意識も出てきたり)、なにより純粋に出している音がカッコいいので文句なんてありゃしないのである。目下のヘヴィローテーションで非常にオススメ。

2016年6月12日日曜日

Peter Pan Speedrock/Fiftysomesuperhits

オランドのアイントホーフェン出身の爆走ロックンロールバンドのベスト盤。
2011年にSuburban Recordsからリリースされた。
Peter Pan Speedrockは1997年に結成された3人組のバンドでいままでに9枚のオリジナルアルバムをリリースしている。名前は知っていたけどどんな音楽だっけか?とyoutubeで何の気なしに聞いてみたらあまりの格好良さに即注文した。日本独自に過去の名曲をボーナストラックとして追加した最新作もあったのだが、その切っ掛けになった「Killerspeed」という曲が収録されている事もありこっちを購入した次第。「50曲以上のスーパヒッツ」というタイトル通り2枚組で58曲が収録されている。

その音楽性は明快でひたすら格好よい爆走ロックンロールであり、まさにスピードロックというしかない。もうこっちは興奮してスピードロックなんだよ!という気持ちだしそれでいいだろと思う事この上ないのだが、仕方がないので説明します。
爆走ロックンロールがなにかというと、このバンドの説明にもよくでてくるMotörheadという事になるのだろう。不信心者の私は彼らのアルバムは一つしか持っていないので何を言ってもはったりになってしまう。中音域をブーストしたロックンロールをかなりの速度で突っ走らせるのがこのバンド。私が持っている音楽の中ではとくにZekeと似ているところがあるが(スプリットもリリースしているようだ)、勿論ZekeがPeter Pan Speedrockに影響を受けているわけだ。速度も爆速なZekeに対してこちらの方はそれよりはゆったりとしたスピード。ハードコアパンクの疾走感、つまり勢いをとりこんだロックンロールという説明に落とし込めるかもしれない。男らしい厳つさと楽しさという共通項をほどよくブレンドしている。
いかにも酒やけしたようなしゃがれ声、そして老舗のバーの梁のような、いぶされたような暖かみがあるギターサウンドがかなりブルージィだ。そこにハードコアのようなコシのあるベースとシンプルなセットながら叩きまくるドラムがバネのようなビート(曲によっては本当にサイコビリーの様なあのズンズン来るビートがひたすらかっこ良い。)を持ち込むとスピードロックの完成である。ギターはコード感のある弾き方で刻みまくるメタル的なそれというよりはやはりパンキッシュなイメージで、チョーキングを多用した哀愁のある泣きのメロディもあって、マシンのように最速を目指す無慈悲な音楽とは明らかに一線を画す。(無慈悲なヤツも勿論大好きですが。)ストーナーのような気怠さもほぼほぼ感じられない。ひたすら前を向いている。いわば血の通ったロックンロールであって、聞くものにはその滾りが伝染していく。速度で殺陣に揺らせてくるかと思えば、ブルージィなグルーヴで横によらせて来たりと爆走ロックンロールの中にもスタイルがあってひたすら楽しい。
私があまりこういった音楽を普段聞かない事もあってか相当新鮮で、ひたすらかっこ良い。滅茶苦茶オススメなんで是非聞いていただきたい。次来日したら是非ライブに行きたい。ヒートシーカーベイベーしたい。

グレッグ・ベア/ブラッド・ミュージック

アメリカの作家によるSF小説。
1985年に発表された小説でアーサー・C・クラークによるあの「幼年期の終り」の新時代版と評された話題作。ハヤカワ文庫補完計画のうちの1冊。

カリフォルニアに社屋を構えるジェネトロン社はバイオチップの研究開発を主とするベンチャー企業。そこで働くウラム・ヴァージルは天才肌だが人付き合いは苦手。そんな彼は社の施設を使って独自に進めていた。ヒトの体内にあるリンパ球の遺伝子を人為的に改変する事で自律有機コンピュータを作成するのだ。二年越しの研究がようやく花開こうとしているその時、会社に研究がばれてヴァージルは研究のすべてを廃棄するよう命じられる。あきらめられない彼は研究の成果を自分の体内に注入する事で外部に持ち出そうとする。彼は内部からヴァージルを次第に変えていく。

地球規模で人類が次の進化のステージに進んでいくのが「幼年期の終り」だとすると、こちらはマクロな単位で人類が、そして世界が変わっていく物語。
後書きによると世代もあってか作者はサイバーパンク陣営の作家の一人として数えられる事もあり、実際作者本人もそれを歓迎していたようだ。確かにその要素も感じ取れるけど、個人的にはいったい個人の意識というのは何なのか?という例えばフィリップ・K・ディックが良く用いていたテーマも含まれていると思う。考えるコンピュータ、改変された細胞は一旦ヒトの体内に取り込まれるとどんどん増殖していく。彼らは理論上いっこいっこが独立した自我を持ち、また互いに連携する事であっという間に並列化していく。コピー、ペーストによって個性を際限なく増殖していく事も可能だから、彼らが言うには彼らに乗っ取られる事はない。なぜなら宿主の意思は保存可能なので。ただ彼ら全体と融合し、ある程度数が増えれば独自の通信手段によって別の人間内の彼らと更新する事も可能だ。いわば知的なネットワークということになる。人間がその意思を内部から乗っ取られるというのはホラーの一個の類型だ。例えばクトゥルーものなんかは本当にこの手の至高と言っていいほど恐ろしい短篇がいくつもある。人間の意思というのは例えば脳に存在するとして、脳の細胞が意志を持つそれらに改変されていったら(並べられたトランプがぱたぱたとひっくり返る様なイメージだ)、どこから自分が自分ではなくなるのか?ちょっと怖い。ただこの物語では意思というのは細胞の中にパッケージするからなくならないよ、というわけだ。(ただこれも意識を持った細胞ヌーサイト側の主張なので本当かはわからないが。)
このヌーサイトの拡散の描写はまさにパンデミックという感じで世界全体が恐慌に陥っていく様はまさにホラーそのものでまた面白い。慌てる人類を尻目にヌーサイトはさっさと自分たちを次のレベルに引き上げるべく行動を開始する。彼らは知的にどん欲だが優しい種類の生物だという事が、アメリカの少女を通して書かれるのだがそれが面白かった。人類はむしろ劣った存在で時代に取り残されているかのようにすら見える。いわば旧世代の我らから新世代が生まれ、本邦に育った彼らが旅立つのを感慨深い顔で見送るのが私たちと言った構図でやはりそのラストには一抹の寂しさが漂う。
ヌーサイトたちの個性が人間に近すぎず、遠すぎずでそこが良かった。内容に難しいところがあるけれども(乱暴に言うならぱーっと読んじゃっても大丈夫だと思うし)、非常に感情豊かな物語。面白い。

2016年6月5日日曜日

ヨアン・グリロ/メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱

イギリス人のジャーナリストによるメキシコの現状についてまとめたノンフィクション。
これについてはタイトルが全てでメキシコの麻薬戦争について書いている。この間読んだアメリカの作家ドン・ウィンズロウによる小説「ザ・カルテル」の元ネタになっている、という事を聞いて買ってみた次第。果たして小説に書いてある事のうち何割が実際にメキシコで起こった/起こることなのだろう?というまさに野次馬根性であった訳だ。
この本を読むとウィンズロウが書いてある事がほぼほぼ事実に即している、という事が分かる。というか実際に出てくるギャングたちはなんと実際に存在するそれらから(ほぼ)そのままとって来ている。さすがに人名は変えているようだが、恐らく「ザ・カルテル」の登場人物たちにはそれぞれ元ネタとなっている実際のナルコ(麻薬商人のこと)がいる。生きているときのエピソードから壮絶な死にざままで結構実際からとられている。”こんなこと”が実際にメキシコで起こっている訳だ。
こんなことってのはつまり、麻薬商人が力(暴力と権力)を持ち、国家権力に賄賂を握らせるどころかその下働きにし、敵対する組織だけでなく罪のない一般市民でもわらのように殺しまくり、その死体を激しく損壊させて市中にばらまくのがメキシコの一部の地域では日常になってしまう事だ。麻薬はとても利率の良いビジネスでギャングのボスたちは有名な雑誌の長者番付の上位に付けたりする。(どうもきちんと正確な資産は試算できないらしいので結構な予測値を元にしているらしいが、それでも大金持ちには変わりない。)彼らのパーティにはミスなんたらが多数出席するとか。ギャングたちは貧しい地域に学校や教会を建設したり、自警団を気取ったりするから貧しいもの(この貧困は日本人には本当には理解できないだろう。食べるか食べれないかの貧しさである。)にとってはヒーローであり、ナルコになって大金持ちになる事はサクセスストーリーであり、希望である。なんと殺人の値段は85ドルまで落ち込み、少年たちが小銭を取り合って殺し合う。
ナルコをテーマにした歌謡曲その名もナルココリードは貧困層の若者にギャングスタラップのような(内容はもっと酷いが)求心力を持ち、ギャングの後ろ盾を得た歌手たちはボスをたたえるコリードを作って歌い、これまた大金を手にする。(殺される事も非常に多いが。)
なんともゆったりしたリズムだが、「マリワナ〜」というパンチラインが強烈すぎる。
完全にどうかしているメキシコ国内だが「メキシコ麻薬戦争」というのは決してこの異常な状態を誇張して言うものではない。麻薬がらみの死者は万単位で戦争のそれを軽く越える。ナルコにはイデオロギーはないので内戦ではないという声もあるようだが、実際に政府を顎で使うナルコたちはメキシコという国家を脅かしているし、彼らが幅を利かせて死体の山が気づかれるならそれは戦争である、と作者は言っている。
アメリカに入ってくる麻薬のほとんどがメキシコからのもので、メキシコは内戦顔負けの状態であるからトランプ氏が国境を封鎖する、メキシコ人は全員犯罪者である、という発言が受けるのはわかる。それでも先にする事があるだろと思うが(麻薬は使う人がいるからナルコがいる訳だ。ナルコがいるから使いだす人も多いだろうが。)、誰しも身内には甘いものだ。ちなみにナルコが使っている銃火機のほとんどが逆にアメリカから持ち込まれているらしいよ。
この本はナルコ本人(現役の人も収監されている人も)、ナルコの手先の殺し屋(まだ子供)、政治家(インタビュー後にナルコに殺された人もいる)、ナルコに親族を殺された人などなどさまざま現地の人から直接話を聞く事で書かれている。いわば本当に血の流れている日常の話で、不謹慎でいかにも日本人らしい物言いで申し訳ないが非常に興味深い。あまりにもかけ離れている毎日に文字通りめまいがする。興味のある人は是非どうぞ。

Banane Metalik/The Gorefather

(本当は地獄なのだが便宜的に)フランスはレンヌのハードコアパンク/サイコビリーバンドのEP(だと思う)。
2015年にDevil Rats Recordsからリリースされた。私が買ったのはボーナストラックが追加された(なんと)日本のRude RunnerRecordsからリリースされた日本盤。ちなみに帯には「血まみれロックンロール」と書いてあり、バンドと音楽の事を簡潔かつ明確に表現しており、さらに言葉の上でも格好よい事この上ない。

音的にはサイコビリーバンドなのだが、メンバーの見た目が尋常ではなく、普通でも(といっても普通の人からしたら大分攻めていると思うんだけど)サイコカットのところ、このバンドはどう見てもゾンビみたいな格好をしている。顔は真っ白だし、血まみれだし、脳みそがでたりする。そう彼らはGore 'N' Rollを標榜とする独自の指向性があるバンドなのだ。タイトルも「The Godfather」をもじった「The Gorefather」。「冒涜的」、「ゴア」といえば一部のデスメタル(ゴアグラインドというじゃんるもあります)の専売特許なのだが、パンク方面から独自のユーモアをもってアプローチするのがこのバンド。勿論その個性的な見た目を軽くしのぐほど音楽もカッコいい。
腐臭漂う地下室に降りていく様な密室的なメタルに比較して、圧倒的に開放感があるのがこのバンドでひょっとするとパーティ的な楽しさすらも感じさせる。「バナーヌメタリック」(金属のバナナ?)というバンド名からしてユーモア/悪ふざけの精神が横溢している。それは聴いているものを高揚させ、拳を振り上げさせる楽しいもので、ほとばしる血が象徴するようにまさに血が騒ぎたぎっていく系の音楽。
サイコビリーなのでウッドベースのバチバチくるスラップ(ベースのモコっとした音とカチカチパーカシッブな音が同時にせめて来るウッドベースは面白いな〜)が余計な装飾性を省いたソリッドなどラムと相まってずんがずんがしたリズムを作り出す。そこにギターが乗ってくるんだけどこのギターもシンプルな中にもワウを多用して来てカッコいい。そこにしゃがれた吐き出しボーカルが乗れば完璧である。全身これリズムの塊、といった感じの音楽性でとにかく乗れる。女性ボーカルも大胆に取り入れたりしてとにかく楽しもうぜ!という雰囲気に満ちて楽しい。そんな楽しさの中にもやはり見え隠れする(例えばギターのリフやメロディが一番分かりやすいか)のが、アイリッシュパンクにも通じる(と思うんだけど…)哀愁のメロディである。これが曲の楽しさを損なわずに断然深いものにしていると思う。まさに大人の隠し味と言った感じでひょっとしたらこの手のジャンルの魅力の一つかも。(もっと他のバンドも聴いてみたいすね。)
おどろおどろしい外見はストレートにその音楽性(そして見た目やアートワークも含めた表現の統べて)に出ている。それは恐ろしくも楽しく、フレンドリーなものだ。
ゴッドファーザーのテーマのカバーから本当捨て曲内くらいのクオリティの楽しさ。べらぼうにカッコいいので是非聴いていただきたいオススメ版。ボーナストラックの2曲は文句無しに代表曲なので是非日本盤を。

Deftones/Gore

アメリカはカリフォルニア州サクラメントのオルタナティブメタルバンドの8thアルバム。
2016年Warner Bros. Recordsよりリリースされた。
Deftonesと言えば最早説明不要のバンドだと思う。私にとってはこのアルバム買うのはちょっとした問題だった。私は1984年生まれの後期オルタナティブ〜ニューメタル世代である。ご多分に漏れずNirvanaから入ってSmashing Pumpkins、Marilyn Manson、nine inch nailsを聴いていたところに、Korn、Limp Bizkit、Linkin Park、Slipknotなどの洗礼を受けてそこにどっぷりハマった。私が人生で一番聴いたアルバムは間違いなくninの「The Fragile」なのだが(今でもすごく良く聴く一番のアルバム)、青春の1曲を選んでくださいと言われたらDeftonesの「Around the Fur」収録の「Be Quiet and Drive」を挙げるだろう。私はこれを大音量で聴いては家族から苦情を言われていた。とくに何の起伏もない灰色と言った感じの思春期だったが、大いにこの曲に助けられたものである。要するに私はDefonesが大好きな訳で3枚目まではアホのように聴いた。(今も良く聴く)なのだが4枚目「Deftones」を聴いた時む?と思ってしまった。今聴いても悪くない、むしろ良いアルバムだと思うんだけど当時はなんか違う気がしてしまった。駄作という訳ではなく方向性に波長が合わなかったんだと思う。その後2006年の「Saturday Night Wrist」、2010年「Daimond Eyes」、2012年の「Koi No Yokan」は買わなかった。なんか大好きなDeftonesの駄作(勿論駄作でない可能性だって大いにある訳なのだが)を聴きたくなかったのだ。良い思い出のままとっておきたいとはま〜〜〜なんとも臆病な考え方なのだが、youtubeでちょっと聴いて良いか悪いか分からないうちに「うわ〜」とかいって途中で閉じるくらいだから本当全然聴いてない。こりゃあ良くねえなと(そして別に例え駄作でも始めの3枚は素晴らしく、幸せな時間を享受した事は間違いない事実だと)思って今回新作を買ってみた次第。

さすがに初期のニューメタルを期待するわけではないのですっとアルバムに入れた。当時からニューメタル界のRadioheadと言われていたりして、暴力的な轟音の中にとろんとエアポケットに落ち込む様なすこし耽美な酩酊、憂鬱な停滞の要素を入れてくるバンドだった。私が聴いていなかった間に苛烈さにそれらのいわばドリーミィな轟音が完全に取って代わった。勿論音の方はガツン!と来る轟音だがChinoのボーカルはほぼほぼクリーンで歌い上げる。スクリームもない訳ではない(「Gore」でのスクリームは全然衰えてないな〜とニヤリとする)が元々クリーンの比重の多かったバンドなので(例えば叫びっぱなしの様な「Lotion」の用な曲の方が特異だった)、違和感は全くない。不満が全くない訳ではない。これは4thの頃から感じていた事で好みの問題だから仕様がないのだけど、ギターの音が金属的な音の塊に固められている。私はどちらかというとつぶつぶした密度のこい音色が好きなので、ここだけはちょっと旧作と比べると残念。ただもしそうすると所謂シューゲイザーっぽくなって、轟音と耽美さというそれらの本質に違う音像からアプローチをかけていく、という今の醍醐味が減じてしまうのかな…と思う。しかしラストの「Phantom Bride」、「Rubicon」の流れは素晴らしいな。ギターがかせを外れたように自由に動きまくる。やはりこうなるとボーカルもその自由さを増していっそう映えてくる気がする。滅茶苦茶楽しい。
いわば新しい個性を獲得し押し進めているDeftonesの新作、結果から言えば素晴らしく、なのでかえって勝手に怖がって中間のアルバムを買わなかったのかと反省ばかり残る。Deftonesらしさ、はなにかという時に単純に激しさ、音の作り方ではなかったのだ、私の場合。勿論陰鬱で内省的、そして傲慢なまでの暴力性は今ではないのだけど、それなら過去のアルバムを聴けば良いし、私がこのバンドに求めていたのはそれだけじゃなかったのだな、と思った。ありがとうDeftonesありがとう、という多幸感。そして今更ですが2013年に亡くなったベーシストChi Cheng氏のご冥福を御祈りいたします。ありがとうございました。青春でした。