2016年6月12日日曜日

グレッグ・ベア/ブラッド・ミュージック

アメリカの作家によるSF小説。
1985年に発表された小説でアーサー・C・クラークによるあの「幼年期の終り」の新時代版と評された話題作。ハヤカワ文庫補完計画のうちの1冊。

カリフォルニアに社屋を構えるジェネトロン社はバイオチップの研究開発を主とするベンチャー企業。そこで働くウラム・ヴァージルは天才肌だが人付き合いは苦手。そんな彼は社の施設を使って独自に進めていた。ヒトの体内にあるリンパ球の遺伝子を人為的に改変する事で自律有機コンピュータを作成するのだ。二年越しの研究がようやく花開こうとしているその時、会社に研究がばれてヴァージルは研究のすべてを廃棄するよう命じられる。あきらめられない彼は研究の成果を自分の体内に注入する事で外部に持ち出そうとする。彼は内部からヴァージルを次第に変えていく。

地球規模で人類が次の進化のステージに進んでいくのが「幼年期の終り」だとすると、こちらはマクロな単位で人類が、そして世界が変わっていく物語。
後書きによると世代もあってか作者はサイバーパンク陣営の作家の一人として数えられる事もあり、実際作者本人もそれを歓迎していたようだ。確かにその要素も感じ取れるけど、個人的にはいったい個人の意識というのは何なのか?という例えばフィリップ・K・ディックが良く用いていたテーマも含まれていると思う。考えるコンピュータ、改変された細胞は一旦ヒトの体内に取り込まれるとどんどん増殖していく。彼らは理論上いっこいっこが独立した自我を持ち、また互いに連携する事であっという間に並列化していく。コピー、ペーストによって個性を際限なく増殖していく事も可能だから、彼らが言うには彼らに乗っ取られる事はない。なぜなら宿主の意思は保存可能なので。ただ彼ら全体と融合し、ある程度数が増えれば独自の通信手段によって別の人間内の彼らと更新する事も可能だ。いわば知的なネットワークということになる。人間がその意思を内部から乗っ取られるというのはホラーの一個の類型だ。例えばクトゥルーものなんかは本当にこの手の至高と言っていいほど恐ろしい短篇がいくつもある。人間の意思というのは例えば脳に存在するとして、脳の細胞が意志を持つそれらに改変されていったら(並べられたトランプがぱたぱたとひっくり返る様なイメージだ)、どこから自分が自分ではなくなるのか?ちょっと怖い。ただこの物語では意思というのは細胞の中にパッケージするからなくならないよ、というわけだ。(ただこれも意識を持った細胞ヌーサイト側の主張なので本当かはわからないが。)
このヌーサイトの拡散の描写はまさにパンデミックという感じで世界全体が恐慌に陥っていく様はまさにホラーそのものでまた面白い。慌てる人類を尻目にヌーサイトはさっさと自分たちを次のレベルに引き上げるべく行動を開始する。彼らは知的にどん欲だが優しい種類の生物だという事が、アメリカの少女を通して書かれるのだがそれが面白かった。人類はむしろ劣った存在で時代に取り残されているかのようにすら見える。いわば旧世代の我らから新世代が生まれ、本邦に育った彼らが旅立つのを感慨深い顔で見送るのが私たちと言った構図でやはりそのラストには一抹の寂しさが漂う。
ヌーサイトたちの個性が人間に近すぎず、遠すぎずでそこが良かった。内容に難しいところがあるけれども(乱暴に言うならぱーっと読んじゃっても大丈夫だと思うし)、非常に感情豊かな物語。面白い。

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