2016年7月2日土曜日

MAKKENZ/土葬水葬火葬風葬空想

日本のヒップホップアーティストによる7thアルバム。
2016年にTrauman Recordsからリリースされた。
ストリートで育った厳つい俺たちが腰パンスタイルでリッチになっていく様をラップするのがヒップホップの一つの王道だとしたら、それに対抗するように内省的、言い方に問題があるがオタク臭いヒップホップも生まれてくる事はいわば自然の法則だったのだろう。しかし多分に内省的なのだが、かといって完全なるカウンターとしてはカテゴライズできない様な音をならすのがこのMAKKENZという人。
2004年にリリースされた1stアルバム「わたしは起爆装置なわたしか」は妙に和の雰囲気を取り入れたトラックに合わせて、感情というものを漂白した様な声が支離滅裂な事(アーティスト本人にとってはきっとそうではないのだろうが、しかしそこに意図がなかったかというとそうでもないだろうと思う)をすらすらと述べていく。こちらのリアクションは全く無視しているかの様なそのスタイルは、まるで壊れて止める事の出来なくなったプレイヤーから流れる、廃墟(きっと精神病院だとまことしやかにささやかれるのだろう)から見つかった正体不明の古びたテープのようであった。前述の通り元来ストリート、つまり生活に密着した音楽(そうでない音楽はあまりないのだろうが、でもEDMとかは違うのかな?)であり、必然的にその歌詞はリリックと呼ばれ「悪自慢」だったり「母親にやたらと感謝」などと揶揄されたりする事はあるものの、やはりその内容というのは重要なファクターであった。リリックを読めば各々やり方はあるものの彼ら彼女らの主張したいことの一端が伺えてくるものだった。またヒップホップでは特に「リアルである」ことが重要視されたりする。ところがこのMAKKENZという男は言葉が多いのだけれど何を言っているのかさっぱりわからなかった。ヒップホップのスタイルに乗っ取りながらも(ただし分かりやすいフックの様なものはなかった)、ある意味では一番ヒップホップではなかったのかもしれなかった。ともすると統合失調症患者の日記めいたリリックをもってして、MAKKENZは少年Aなのではという(今思うと非常に作為的だが)噂もあったりした。

そんなMAKKENZがarai tasukuとタッグを組んで作ったのがこのアルバム。
arai tasukuさんというのは私全く知らなかったのだが、暗い電子音楽をつくる作曲家で夢中夢のハチスノイト(極めてどうでも良いがずっとハチノスイトさんだと思ってた)とコラボしてたりするからなんとなーくその音楽性が想像できる。
「土葬水葬火葬風葬空想」というタイトル通り今作は明確に人の死にフォーカスした作品で、もっというと死というか、死に方だったり死後の始末だったりである。
ピアノが多用されたトラックは始めの印象だとどうしてもアンビエントな雰囲気に思えてしまうのだが、2回も聴けばその美麗なアンビエントの中にどうもな凶暴性が潜んでいる事が分かる。ヒップホップのトラックにしては凝っているという事になる。つまりトラックの中で曲の雰囲気が頻繁に変わる。ディストーションをかけたビートが突然暴走する様はどちらかというとテクノ/ロック的だ。
非常に面白いのがMAKKENZのラップで、この人の声はそんな刻一刻と変化するトラックを全く気にしないでいる風なのである。前述では感情がないと評した。このアルバムでもやはり妙に白っぽいイメージのあるその声は、しかしその奥に何とも無しの感情を感じ取る事が出来る様な気がする。ひとつはそのリリックに変遷があり、1stの頃の分裂したような支離滅裂さは減退し、明確なアルバムのテーマもある事もあって一つの指向性を持っているように思える。ただこれは決意表明とかではなく、主人公が目で耳で取り入れた出来事を述べていく、いわば日記的な雰囲気を持っている。これは1stの頃からもあったMAKKENZの個性とも言うべき独特なスタイルで、今回かなり現実の出来事に関しての記述が多いので文学っぽいというか、ラップのスタイルもあって朗読している様な雰囲気もある。丸くなったのではなく、ラップを通して感情を取り戻した、ラップが彼のリハビリになったというとさすがに嘘くさく、MAKKENZからしたら余計なお世話も良いところだが、自分のスタイルを確立しつつ、表情という意味で表現の幅は広がっている。
よくPVなんかで人にフォーカスされて、彼または彼女が歩いていくと背景だけが移ろっていく様な表現がある(分かりにくと思うけどよく四季を表現するのに使っているイメージ)けど、このアルバムはそれを音楽でやっている様な趣がある。つまり基本ダークだが表情豊かなトラックが変遷していくのだが、中心にいるMAKKENZはぽつぽつと歩くようにラップをしていく、そんなイメージだ。

所謂「ヤバさ」(正体不明なもの、しかも病んだものに対する)は減退したものの、代わりにメッセージは研ぎすまされ、(まだまだ普通のアーティストに比べると分かりにくいのであるのだろうが)感情は豊かになった。変わり者である事は間違いないが、奇抜さを売りにする色物ではまったくないな、というのがその印象。王道に与する事のないカッコいいヒップホップといいきって全く問題なかろうと思います。オススメです。

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