2016年8月31日水曜日

映画「奪還者」

オーストラリアとアメリカの合作映画。
2013年に公開された。監督はデヴィッド・ミショッド。主演はガイ・ピアース。
原題は「The Rover」で放浪する人の意。
とても面白かったので興奮冷めやらぬうちに感想を書いておこうと思う。

時代ははっきりとしないが恐らく未来の地球。経済が世界的に破綻を来たし、文明社会は退化と変容を余儀なくされていた。オーストラリアは鉱物資源を求めるならず者たちが幅を利かせた半ば無法地帯と化していた。そんな地をあてど無くさまようエリックは酒場で休んでいるうちに自分の車を強盗に奪われてしまう。一度は強盗団に追いつくもののあっさり返り討ちに合ったエリックは常人には理解しがたい執念で自分の車を奪還すべく、強盗団の後を追う。道中で偶然強盗団のメンバーの一人の弟を拾い、彼に兄の場署まで案内させる事にしたエリックだが…

オーストラリアと後退し荒廃した無法の世界で繰り広げられる暴力というと最近の「マッド・マックス」を彷彿とさせられ、実際公開当初はそういった盛り上げ方をされたようだが、似ているのは設定で中身は大分違う。アクションはあるもののもの凄く地味だ。ただし生々しい。ほぼ拳銃での銃撃戦は血がほとばしる大虐殺とはいわないが、乾いた大地に吸い込まれていく流れる血のにおいが画面越しに漂ってくるようなリアルさがある。体に穿たれた銃痕は赤黒い。埃にまみれた希望のない浮上の地で汚いおっさんが言葉少なく、訳の分からない情熱に文字通り命を賭している。
文明も世紀末というよりは私たちの毎日の一歩先にある様な感じで、例えば恐らく携帯電話やインターネットは使えなくなっているが無線や軽機関銃はあるし、軍隊はその威光と力を失いつつも存在しており、大陸を走る電車も走っている。(ただし武装した私兵団が厳重に警戒している。)
登場人物はほとんど(例外も2人くらいいる)、主人公も勿論そこに含まれるのだがろくでなしばかりでほとんどが人殺しでもある。善人はいないし、例えばイモータン・ジョーのような悪のカリスマもいない。今日を生きるのに必死な悪党しか出てこない。この映画が何を描こうとしているのかというと、私はこれは断絶と孤独を描いていると思う。現代がユートピアだとはいわないが、特に先進国では食うに困らない状況が成立している訳で、良くも悪くもそれが人への信頼を生み出している。ここでの信頼というのは一応自分の寝床と食べ物と命を狙いにくる”敵”が存在しない(もしくはごくごく少ない)という意味であり、私たちは偶々ベンチで隣に坐った誰かとひょっとしたら仲良くなれるかもしれない。少なくともその誰かが自分に危害を加える”敵”であるとは通常思わなくて良い。この映画で描かれる世界ではそんな”豊かさ”と”信頼”が文明とともに瓦解し、消え失せている。道を誰かが歩いて来たらそいつは自分の食べ物か寝床か命を奪いに来た誰かであり、知らない人は、そして知っている人、それも家族兄弟であっても信頼できない。なぜなら食い扶持は限られており、自分以外の人は自分の食い扶持を減らすという事が基本的な法則であるからだ。ぱぱっと他の人のこの映画に対する感想を読むと登場人物たちの行動が理解できないという声があった。彼らがとても愚かに行動しているように見えるそうだ。それはそうだ。登場人物たちは私たちからすると無軌道に愚行ばっかりなしているように思う。疑心暗鬼で誰でも殺し、自分のおかれている状況をさらに悪化させている事は間違いない。しかし、もし貴方がこの世界に放り出されたらどのように振る舞えるだろうか?向こうから汚いなりをした誰かが歩いて来たら、私は敵じゃないよというのだろうか。相手は貴方を殺すかもしれない。どうするんだ?貴方は偶々銃を持っていたとしたらどうするんだ?殺されたら終りだが、殺したら相手が善人であれ悪人であれ貴方はちょっと長生きが出来る。向こうから来る誰かは善人だろうか?悪人だったら貴方は殺されるかもしれない。ところで貴方の手には銃がある、どうするのだ?答えは人それぞれだろうが、現代と同じように振る舞うのは難しいように私は思った。ここで面白いのはこの映画の”敵”というのは現在でたまたまベンチで隣に座った誰かだということが十分あり得るという事だ。こんな世界はどう思う?とても悲しいだろう。一つにはこんな世界では生きるにしても死ぬにしても意味がなさすぎる。一つには生きるためには本質的に人は人を害していかなければならない。一つには状況が状況なら人はもっと信頼して生きていける事を知っているから。だから登場人物が流した涙が、本当に悲しいのだ。この映画は暴力を描いている訳ではない。暴力が発生するある特定の状況について提示しているのだ。

乾いて、ひび割れた不毛の大地は、環境に合わせて荒む人の心を描くのに良く合っている舞台だと思う。あと音楽がとても良かった。良い映画というのは大抵音楽が大変良い。非常に面白かった。明快なバイオレンスを期待すると明らかに陰鬱すぎるだろうが、そのような映画が好きな人には強烈にお勧めしたい。

2016年8月28日日曜日

ZAZEN BOYS/すとーりーず

日本のオルタナティブロックバンドの5枚目のアルバム。
2012年に自身のレーベルマツリスタジオからリリースされた。
私が買ったのはデジタル版でボーナストラックが1曲追加された全部で12曲。
ZAZEN BOYSといえば向井秀徳さんであり、向井さんといえばNumber Girlであろう。いうまでもなく日本のオルタナティブロックバンドであり、その影響は大変大きいのではなかろうか。私はばっちりその世代であり、MutomaJapanで「透明少女」のMVを見て以来のファン。思春期にありがちな「邦楽はクソ」時代でもその例外になっていたもの。さすがに同級生みんな聴いてたとはいわないが音楽好きな人ならNumber Girlかスーパーカーのいずれか、あるいは両方を聴いていた。
Number Girlは2002年に解散。その後ギターボーカルを勤めたフロントマン向井さんが組んだのがこのZAZEN BOYS。Number Girlの幽霊を追い求める私はチラチラ聴いたものの、Number Girlとの方向性の違い(これもちゃんと聴いていないから適当な判断なんだけど)とそれを「わからない(理解できない)…」と認めるのが怖かったのかちゃんと作品を聴く事はなかった。今回たまたま視聴した楽曲がかっこ良くて本当に何となく買ってみた。

Number Girlは何ともいえない衝動(よく性的衝動という歌詞が出てくる)を焦燥感のあるキャリキャリギュンギュンしたギターにこめて打ち出した音楽でなんとなく全体的に青春の目のくらむ様な青い感じがあった。後期は歌詞がその青さを脱して念仏的になり、ラップを大胆に取り入れたりとその形を買えていったものの根底はやはり轟音ギターロックであった。
ZAZEN BOYSはそんな後期のNumber Girlの特異な要素を抽出して突き詰めた様な音楽性という事が出来るかもしれない。ただし音楽性はかなり異なる。恐らくファンクだったり、プログレッシブだったりするのだろうが私はその方面全く明るくないので、何を言っても知ったかぶりになってしまう。なんとか自分なりの感想を述べていきたい。
まず全体的に音色は明るく明快。楽器陣はドラム、ベース、ギターそしてキーボード(シンセサイザー)でそれぞれの出す音は非常にクリアで乾いていて分かりやすい。弦楽隊の音は適度に歪ませて入るのだろうが、基本最低限という感じでクリーントーンが主役。恐らくメンバー全員がとてつもないテクニックの持ち主なのだろう。これらが比較的短い曲の中にぎゅっとまとめられている。全曲そうだといえないのだが、一つの指向性としてリズムが非常に重視されており、曲によってはほぼリズムで構成されている。変な言い方だが、全部の楽器がぶっちり千切れており、それを一子の狂いもなく打ち出してくる。曲を聴くのが手っ取り早いのだが、すごく乱暴にいうとギター、ベース、そして曲によってはボーカルをドラムとシンクロさせて曲が進んでいく感じ。普通曲は始まりと終りが当て、曲によっては展開はありつつも主題というか特定の(複数の)リフを反復させていくのだと思うが、ZAZEN BOYSはこのリフが極めてシンプル。確かな技巧でもって相当難しい事をやっているのだろうが、出す音は一見シンプルで最低限だ。(例えば超絶技巧のスラップまくりや超速弾なんてのは皆無。)ただこれはどれかがずれるととてもかっこわるいのだが、どれもぴたりと合っている。(ちなみにライブ動画を見てもぴたりと合っている。)これによくわからない歌詞が乗ってくるのだが、曲が進んでくると(多分)リズムが意図的に変更されていて分け分からなくなる。で反復的な歌詞もわざと順番を買えて変なくっつけ方でのせて来たりする。(曲でいうと「ポテトサラダ」とか)この計算された混乱ぶりが大変面白い。なるほど曲によってはいわゆるポップ性は希薄だが、リズムが強調されているので「難解過ぎてわからない」ということにはならないと思う。「よくわからなくてスゲエ」のだが正座して拝聴します、といった類いのものではなくとても肉体的。
と、こんな感じなのだが私このアルバムの「はあとぶれいく」という曲が本当に気に入ってしまった。この曲は多分このアルバムの中で一番分かりやすい(敢えていうと一番Number Girlっぽい)のだが、(これも多分)展開が逆に酷く単調でほぼ一本調子に進むのだが、そこに乗る歌が非常にエモーショナル。歌詞もよくよく読むとどうもおかしく精神のバランスを損なっている気がする。あまりこんな事いうのは好きじゃないのだが(最上級をいっぱい使ったら当然その価値がないので)かなり、最高ってやつだ。
中でもこうだ。
「いつか悪魔と対決する日を待っている
 惰眠を貪り食っている
 悪魔が来るのを待っている」
悪魔を待っているのだ。私もだいたいそう思っている節がある。悪魔なんていないのだ。もしいるにしても倒しにいかないで昼寝して待っている。くるはずがないのを分かっているのだ。卑怯な心だ。この何ともいえない駄目さ、これがとんでもなく心に刺さるのだ。向井さんはこういう歌詞を書かない様な気がしていたからちょっと驚いた。本当にこの曲ばかり聴いている。他の曲も良いのだけど、この曲だけでも「すとーりーず」というアルバムを買って良かったと思う。こんな曲に出会えることは中々ない。ちなみに「はあとぶれいく」の他にも意外にメロディアスな曲はあるのでご安心ください。
という訳で個人的には大変良いアルバム。もし興味が出て来た!って人がいたら是非どうぞ。
リズムの塊「ポテトサラダ」。

こちらはZAZEN BOYSではないのだけど「はあとぶれいく」。最高。

Oathbreaker/Eros|Anteros

ベルギーはヘントのハードコアバンドの2ndアルバム。
2013年にDeathwish Inc.からリリースされた。
2008年に結成された4人組のバンドでボーカルをとるのは女性。
このアルバム発売当初幾つかのサイトでレビューされていた事もあり名前は知っていたが、なんとなくスルーしていた。
2016年に新作がリリースされるにあたり新作に収録されている曲が幾つかネット上で公開されているのだが、それがあまりに良かったため目下の最新作を購入した。タイトルの「エロース|アンテロース」はそれぞれギリシア神話の愛の神のことみたい。

新曲のビデオがこちら。ブラックメタルに取り憑かれたハードコアという感じでトレモロの嵐が凄まじい。女性ボーカルはなりふり構わない叫びから、情念こもったクリーンまでこなし、凄まじいテンションで突っ走る8分間。これはちょっとすごい。

じゃあこちらの音源はどうなのかというと基本的な路線は同じ。ブラッケンドハードコア。女性ボーカルといってもドイツのSvfferの様なパワーバイオレンス/グラインドコア要素はそこまで強くない。Convergeは情け容赦のないハードコアだが、その根底には間違いなく色々な感情が渦巻いている。このバンドはそういった意味ではConvergeに似ている。多分に感情的なので激しい音楽なのだがとても共感しやすい。楽器の音も真っ黒い壁の様な最近のクラストの様などうしようもない終末感はなく、生音を活かした感じでまだ血が通っている感じ。なるほど音の迫力で劣るのだろうが、なんといっても感情が乗りやすいエモーショナルなサウンドだと思う。この音の作り方は非常に好きですね。
女性ボーカルは8割型叫んでいる。ただ叫びすぎて男性だか女性だか分からない類いのものではなく、間違いなく女性が叫んでいるんだなと分かるもの。残りの2割でクリーンを入れてくるのだが、ぽつぽつ呟くような恐ろしげなものでメロディ性は全体的にほぼ皆無。女性の強みを活かした、というとあまり良くない言葉かもしれないが、男性とは明確に異なる情念の強さみたいなものがうり。これが脆さもある演奏とすごく合う。やや不安定というか想いが強すぎる故に病んだような物語性があるとても良いボーカル。
演奏の方は洪水の様なトレモロリフはいかにもブラッケンドな感じだが、全編トレモロの嵐というわけでもなくかなり練られている。これがかなりかっこ良くてとくにボーカルが入っているときのバッキングでアルペジオを投入して来たりとハードコアにしてはかなり凝っていて音の数が多かったり、逆に伸びやかに演奏したりとかなり多彩で、なにより大変メロディアス。ボーカルがヤバい分、メロ成分はギターが一手に担っているといっても言いかもしれない。ブラックメタルだとトレモロが非常にメロいことはありがちだが、トレモロ意外でもキャッチーさを出してくるのは面白い。音の幅も低音〜高音と広くて単調になりがちな曲が適度に光っている。(勿論ぴかぴかしすぎてはいない。)
ジャンルとしては間違いなく(ブラッケンド)ハードコアなのだろうが、分かりやすいスタイルに迎合しないで自分たちの音楽性を確立させている印象。

新曲のビデもでもそうだけど、ライブでも濃紺のローブの様なものを着込んだりと結構見た目にも気を使っているみたい。これは新作でぱーっとブレイクするかもですね。待ちきれないという方はまずこちらの音源を是非どうぞ。私はなんで発売当時に聴かなかったんだろうと思うくらい気に入りました。

2016年8月27日土曜日

ヘニング・マンケル/北京から来た男

スウェーデンの作家によるミステリー小説。
名誉ある賞を獲得した刑事ヴァランダーシリーズを始め様々な分野の小説で北欧を代表するヘニング・マンケルのシリーズ物でない独立した本。

2006年1月ノルウェーとの国境近くの寒村ヘッシューヴァレンで住民のほとんどが鋭い刃物で惨殺された。被害者のほとんどは老人で、子供が一人だけ混じっていた。老人のほとんどは親類関係にあり、過疎だが平和だった村。当然恐慌の動機は判然とせず、捜査は難航。ヘルシングボリで裁判官を勤めるビルギッタは殺された被害者の中に母方の親類がいる事に気づき、休暇を利用して現地に赴く事にする。

寒村で住民皆殺し、というとなんとなくジェームズ・ロリンズのようなモダンなホラー小説のような幕開けだが、流石はヘニング・マンケル、衝撃的な冒頭で読者の興味を惹き付け、どっぷりと深い深い歴史にまつわる物語に引き込んでいく。
現代は「KINESEN」でこれは中国人という意味。「北京から来た男」というタイトル通り、スウェーデンの田舎で起こった事件は、中国、アフリカとその幅を大きく広げていく。元々モザンビークに住んでいた(後年はスウェーデンと半々で生活していた)マンケル、その視点はスウェーデンにとどまらず前述の代表作刑事ヴァランダーシリーズでは1作目「殺人者の顔」で移民問題を取り扱い、早くも2作目「リガの犬たち」でその舞台を海外に広げている。以降はとくにアフリカなど途上国を中心に世界的な観点でもって広がりのある物語を書いてきた。この「北京から来た男」はそんなマンケルの一つの集大成ともいえるのではなかろうか。
今回中心になるのは中国。中国というと日本からすると一番近くの大国。近い訳だけど実はどんな国なのか知らない人は多いのではなかろうか。私もそんな一人で毛沢東って悪いやつなの?中国って共産主義なの?天安門事件ってなんなの?位の気持ちでいた訳だが、本書はそんな謎に分かりやすく回答していってくれる。中国の歴史、それも近代中国の歴史は受難の連続だった。慢性的な貧困しかり、アヘン戦争しかり。本書のもう一人の主人公ワン・サンは2人の兄弟とともに若い自分に村を追われ、アメリカに奴隷として売られ、死と隣り合わせの過酷な状況で鉄道線路敷設の仕事に使役される事になる。絵に描いた様な悪辣な現場監督、逃亡すればおいかけ連れ戻され、病になればそれは死を意味する。地獄の様な環境でワン・サンは望郷の想い強くし、必ず兄弟とそして無念の内に死んだ仲間(仲間の体の一部から肉を削ぎ落とす描写は中々に衝撃的だ)の骨と必ず故郷に戻る事を誓う。ワン・サンがたどる世界半周の旅、こんなに過酷で不幸な道行きもないだろうと思う。
「白い雌ライオン」でも顕著に表れていたが、マンケルには人種差別と強者が弱者に振るう暴力に対して非常に強い怒りがある。マンケルにとって書く事とはそんな父性に対する戦いなのだと思う。そのくらいの力がぎゅっと込められて一文字一文字刻印するように書いているのだろう。単に過去の過ちに対する糾弾にとどまらず、多を踏み台にして拡張していく傾向を見せる現代への警告も含んでいる。マンケルが着目するのは常に人、それも弱き人々であるから、特定の国をただ「良い」「悪い」と断罪する事はない。中国に対する複雑な想いも物語を通して読み取る事が出来る。
なんで主人公ビルギッタが裁判官なのかというと、刑事でないので自由に動く事が出来るというのは勿論だが、作中でもビルギッタが直接吐露しているが罪と罰、そして人を裁く事がいかに難しいかという事を提示するためだろうと思う。因果応報ではないが物語的にどうしても落とすべきところがあるところは納得できるし、読んだ人なら分かるだろうがその法則に従っていない罪もある訳で、こういったところもマンケルの正義感、そして未来へのまなざしが反映されているような気がする。

ミステリーと思って読むとかなり重厚で戸惑うかもしれない。すっきりしない、という感想を持つ方もいるようだ。一応ご注意ください。ヘニング・マンケル好きな人は文句無しだと思うので是非どうぞ。歴史を感じさせる重厚な物語が好きな人も是非。

Bad Brains/Bad Brains

アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のハードコアパンクバンドの1stアルバム。
1982年にReachout International Recordsからリリースされた。私が買ったのはボーナストラックが追加されリマスターされた再発版。
Ramonesの曲名を冠したこのバンドは1977年に結成された。暴動の様なライブでワシントンD.C.のすべてのライブハウスから出演禁止を言い渡された「Banned In D.C.」(Band In D.C.とかけてる)のエピソードは有名。速度の速いハードコアとゆったりとしたレゲエを組み合わせたその独特の音楽性で持ってミクスチャー音楽の先駆者として名を馳せる。メンバーは全員黒人で当時のアメリカではきっとこれはすごい事だったのではなかろうか。
にわかの私でも鋭角的にジグザグを描く稲妻がホワイトハウスを直撃する黄色を基調とし、ラスタカラーで彩られたアートワークは知っていた。このたびBad Brainsの映画が公開されるという事で遅まきながら買ってみた次第。

ボーナストラック1曲を追加した全部で16曲を36分で突っ走る爆走ハードコア+レゲエ。
30年の月日が経った今リマスタリングを考慮してもその音は軽く、現代のハードコアのそれとは隔たりを感じるがその勢いは今聴いても凄まじい。1曲目の「Saillin' On」を聴いたらもう体を動かさずにはいられないだろう。スタスタ突っ走るドラム、音はソリッドでシンバルのクラッシュが非常に印象的。音数が多く印象的なフレーズを入れてくる主張の強いベース。弾き倒すような前のめりなギター。たしかに余計な装備を剥ぎ落とした速度のみを追求する危険な乗り物の様なストイックな格好良さがある。しかしよくよく聴いてみると、短い曲の中にも一筋縄でいかない展開、速度の変更、短いギターソロは良く練られていてキャッチー、まくしたてるボーカルもあってハチャメチャに聴こえるのだが、なぜかとてもポップ。どうもwikiによると元々フュージョンのコピーなどをやっていたらしくかなり技巧的には優れたバンドだったようだ。完全に意図された爆走という訳ではなかろうが、この勢いの裏側には努力の末に獲得された技術があるのだろう。
そんな確固たる演奏陣に引けを取らないのが、なかなかトラブルメイカーの様な印象のあるボーカリストH.R.。現在確立されているハードコアのボーカルの範疇には収まらない破天荒なもので、強面感はほぼ皆無。まくしたてる早口はいたずらっ子のような若さ、青さがある。フリーキーな歌唱法もあって非常に自由な感じ。良くも悪くも不安定であっちに行ったりこっちに行ったり。
そんなボーカルと演奏を聴いてみて思ったのは初期の、ADK盤のころのあぶらだこに似ている。勿論あぶらだこの結成は1983年でこのアルバムがでた後だから影響を受けたのはあぶらだこのほう。基本的にハードコアの速い演奏だが、妙にフックを入れた曲の構成。けいれん的な危うさがあるボーカル。そして激しい演奏の裏に見え隠れする奇妙ないたずら心。結構似ていると思う。(ちなみに映画のオフィシャルであぶらだこのひろしさんがコメントを寄せている。)
Bad Brainsには大きな特徴があってそれがレゲエの要素。ミクスチャーの走りといってもこの頃はハードコアスタイルとレゲエスタイルは曲によって明確に使い分けられている。ハードコアの曲間に完全にレゲエの曲が挟み込まれる。ぐっと速度は落ち、そして裏打ちするギターを始めとする楽器陣は音の数もすごく減る。居住まいを正した様なH.R.はゆったりとしかしソウルフルに伸びやかに歌い上げる。主張があって音楽がある。とても自然な事なのかもしれない。

Fugaziもそうだったけど歴史のお勉強ではなくて今聴いてもカッコいい。あの印象的なアートワークをモチーフにしたT-シャツが未だに愛されているのは単純に見た目がカッコいいからじゃなくて、Bad Brainsの音楽と主張が今でも非常に力を持っているからだと思う。ハードコアのルーツを探りたい人以外でも、あぶらだこ好きだ!という方は是非どうぞ。


Russian Circles/Guidance

アメリカ合衆国イリノイ州シカゴのポストメタルバンドの6枚目のアルバム。
2016年にSargent Houseからリリースされた。
3人組のインストバンドで結成は2004年。奇妙なバンド名はwikiによるとアイスホッケーの練習方法からとられたそうだ。ベーシストのBrian Cookは元Botch(!)で今はAron Turnerと一緒にSUMACもやっている。

私は一個前のアルバム「Memorial」をChelsea Wolfeが参加したのを切っ掛けに購入した。彼らのアルバムはこれで2枚目。そんな私のこのバンドの印象としては”無愛想”という感じ。ロックにしろメタルにしろ頭に”ポスト”と付けるとちょっと小難しくなると思う。この界隈では完全にインスト、もしくはボーカルパートは少なくなる傾向にあるが、一番分かりやすく感情移入しやすい要素である人の声が削られるのでどうしても抽象的になりがち。緻密な計算のように精緻に音を一個ずつ積み重ねて作られるかの様な楽曲は良くも悪くもアート的な表現になってきがち。使用される楽器もバンドアンサンブルからどんどん増えていき曲の尺もながーくなっていくと。これらはいまや一個の様式美として(つまりポスト〜というジャンルとして)成立している事の証左であり、これが悪い事は勿論ない訳です。(各人が色んなバンドのアウトプットを体験して善し悪しの判断をすれば良いのです。)そんなジャンルにカテゴライズされながらも結構それらと距離をとって自分たちなりにやっているのがこのRussian Circlesというバンド、というイメージ。
今回にしても表面的なアートワークにしても意味は掴みにくいもののはっきりしているし、アルバムタイトルと各曲名も単語一つのみで表現されているという無骨っぷり。曲にしても全部で7曲で41分弱と。このジャンルでは明らかにコンパクトにまとめられているのではなかろうか。だいたいまあ5分か6分には収められている。曲の方も”ポスト”の代名詞というか存在理由といっても言い芸術的な部分を徹底的に削ぎ落とした内容。勿論全編これクライマックスという、実はただ単調な楽曲でも全くなく、ポストの醍醐味である楽器時んのみが導きだせる抽象的だがそれゆえの陽炎の様な美を追求している訳なのだが、とにかくもうソリッドかつ必要最低限の潔さ。各メンバーの一音一音とっても非常にクリアかつ明快。使用されている楽器にしてもバンドアンサンブルにシンセを追加したくらい。(だと思う。)ゴリゴリ迫るベースをちょっと聴いただけだとあの朦朧としたポスト感の幻想などがらがらと音をたてて瓦解していくようだが、ちょっと待ってほしい。かの澁澤龍彦さんがこのようなことを言ったそうだ。曰く「幻想文学といって曖昧に書いてくるやつが沢山いるが文体はあくまでも明快でなくてはならない」(細部色々違うと思います。)なるほどこのバンドはこの哲学を地でいく様なスタイルで、使われている音は非常に無骨だが、それらが作り出す曲のダイナミクスはどうだ。必要最低限の反復と多彩な展開でもって圧倒的な”劇的”を作り出している。眼前に光り輝く別世界の入り口が見える、これはまさにポスト音楽の神髄ではないか。素材と作りに拘り、釘などを一切使わないで絶妙な芸術品と評して間違いない家をつくる宮大工のようだ。そうして作られた社には神が宿るのだとしたらこれが幻想でなくて何なのだ。幻想と信仰には確固たる土台が必要なのかもしれない。

ぼんやりかつ冗長がポスト感だと思っているやつの顔に轟音ぶつけてくるRussian Cirlces。これは壮快。是非どうぞ。個人的にはラストの「Lisboa」にただただ圧倒されるばかり。オススメです。

2016年8月21日日曜日

ハーラン・エリスン/死の鳥

アメリカの作家、ファンタジストによる短編集。
ハーラン・エリスンはエヴァンゲリオンの最終話のタイトルの元ネタになった「世界の中心で愛を叫んだけもの」が有名だろうか。これは短編集で私は以前に楽しく読んだ。エリスンはSF作家ととしてでなく優れた脚本家としても活躍し、かの有名な(私は見た事がないんだけど)「アウターリミッツ」も手がけた。
とにかく作品に劣らず本人も話題性に富んだ人らしく、色々な伝説があるらしい。じつはまとまった本として奔放で発売されているのは前述の一冊だけのようだ。ようやっと2冊目が刊行される事になり、嬉しい限り。本書は日本独自の短編集との事。

別のアンソロジーで読んだ事もある『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』から始まる全10個の短篇が収録されている。ちなみにこの短篇は是非是非辛い毎日を送っている社会人の方に読んでいただきたい。自分の時間を生きようぜ。
SFにとどまらない豊かな発想力で持って自らを「ファンタジスト」と称するエリスンだが、この短編集でもSFにとどまらない作品を楽しむ事が出来る。本人同様内に秘めた情熱が隠し様もなくきらきらと煌めくような力の強いものから、一点徹底的に抑制された文体で冷静に語られる物語もある。
何といっても過激な描写と胸の悪くなる様な、冒涜的といっても良いくらいの挑戦的かつ露悪的なモチーフが特徴的。意志を持って人類を一掃し、荒廃した地球を支配するコンピュータ(後書きによるとエリスンは「ターミネーター」をアイディアの剽窃のかどで訴えているそうだ。)、時空を超えて未来人に奉仕させられる中世のあの殺人鬼、大いなる主に対抗する蛇、殺人を目撃しながら通報しない現代人、タブーをものともしない奔放な想像六が様々な設定屋がジェッットに結実している。それではエリスンの書くものは熱狂に浮かされた表層的な物語なのかというと、それは決定的に違う。前述の『「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった』は明確に時間に支配される現代文明への批判であり、搾取される弱きものたちへの暖かいエールである事は間違いないし、「鞭打たれた犬たちのうめき」では現代と買いに生きる人々の抱える偉大な虚無感(誰もが持っている共通認識のはずなのにそれを持ってここが繋がる事はないのだから面白い)を架空の神への信仰として表現している。一昔前お手製の異形の神たちが重篤な犯罪の言い訳に使用される事がなかっただろうか???勿論エリスンはそんな一昔よりさらに前この話を書いている。大人になる中で失うはずの”よきもの”、幸運か神のいたずらでそれをなくしていない事に気づいた若く心優しい男が、目先の利益からそれを本当に失ってしまう”苦い”物語。(「ジェフティは5つ」)などなどエリスンの物語はその奇抜な設定と過激なテーマ、文体でもって誤解される事も多いだろうが、その骨子は非常にしっかりと人間とその性質、その毎日の生活にフォーカスが合っている。だから当然荒唐無稽の物語以上の説得力がある。
個人的に気に入ったのは凄惨な殺人〜解体の描写が凄まじい殺人エンタメ(読んだ人は分かってくれるはず)「世界の縁にたつ都市をさまよう者」、それから表題作でもある物語とは全く別個と思われるエピソードや設問がコラージュされたように挿入される前衛的な雰囲気の「死の鳥」、エリスンが書くのに2年以上費やしたという「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」。
とくに「ランゲルハンス島〜」は意味が全然分かっていないのだけど(相当模糊とした物語なのだが恐らく後書きにあるように一つのはっきりとした意味があるようだ)、どうも自分の魂を探して完全なる死を希求する男の物語の様な気がしてならない。現実に立脚しながらも橋は死に幻想世界に片足突っ込んだ様な雰囲気がたまらなく、出てくるアイテムのそれぞれに何か曰くいいがたい意味がある様な気がしてならない。

一言でいうと最高な短編集、なのでエリスンのみ訳の作品をどんどん読むマシーンと化したいところ。色んなジャンルを読むのが好きだけど、SFというのはやっぱり想像力の自分の限界をぱっと飛び越えてとんでもない景色を文字を通して眼前に現出させてくれるのでこれを読むのは無上の喜びと言って良い。やっぱりSFはいいな〜と思った。滅茶面白いので是非どうぞ。非常にオススメ。

Fugazi/End Hits

アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のハードコアバンドの5枚目のアルバム。
2016年にDischord Recordsからリリースされた。
「DischordがBandcampに対応した!」と話題になっていたので前々から気になっていたバンドの音源を買ってみる事に。結構伝説的なバンドなので何となく構えてしまう。どのアルバムを買うか迷ったのだけど、なんとなくバンドキャリアで言うと後半のアルバムを買う事にした。Fugaziは1987年に結成されたバンド。中心になったのはIan MacKayeという人物でこの人はハードコア界では知らない人はいないのではなかろうか。Minor Threatの元メンバーで(恥ずかしながら聴いた事ないです。)、酒飲まない、タバコすわない、愛のないセックスはしない(間違ってたらすみません)という厳格なスローガンを掲げるストレート・エッジ思想の提唱者。前述のMinor Threat解散後結成され、物販を行わない、モッシュを禁止などハードコアのみならずアンダーグラウンド音楽業界としてはかなり異色のスタイルで持った活動したバンド。(ここら辺のエピソードが興味深いので上手くまとめた本などのメディアがあったら教えていただきたいところです。)
よくよく考えてみると私は煙草は吸わないし、お酒も(好きだけど弱いので)あまり飲まない、セックスは(愛の有無にかかわらずすごくしたいのだが)全然出来ないので、ある意味ストレート・エッジである可能性があるのでこの機会に聴いてみた。

私は軽薄な音楽消費者なのでハードコアにしてもパワーバイオレンス!クラスト!など完全に流行の最先端の尻馬に乗っかるタイプ。ルーツをほってみようという熱心なファンではないので、(ハードコアに限らないけど)伝説的なバンドであっても聴いてこなかった。なんとなくFugaziというと荒々しいストレートなハードコアだと思っていたから、再生した瞬間かなり驚いた。別のバンドの音源なのかとおもったくらい。
ハードコア(音楽)というとストレートかつシンプル、直情的でがなり立てるボーカルに代表されるその音楽性はまずもって過激、という認識なのだけど、このFugaziはのっけから(1曲目「Break」)複雑なリズム、ディストーションのむしろあまりかかっていないクリーンな凝ったリフを奏でるギター、ジャズのような技巧を見せるベースのアンサンブルがゆったりとした曲を演奏する。ゆったりとしながらも複雑さを感じる曲で、難解とはいわないし、メタルの様なかっちりとした装飾性に富んだ様式美はかんじられないのだが、なんとも一筋縄では行かない。少なくともハードコア然とした粗野な五月蝿さとは無縁だ。あっけにとられる2曲目「Place Position」ではボーカルが圧倒的な存在感を見せてくる。思っていたより高い声でちょっとビブラートがかかっているように不安定に震えるそれはちょっとJello Biafraに似てると思った。曲の方は相変わらず複雑怪奇にその枝葉をのばし、曲中に大胆なブレークを入れてくる。ハードコアの枠からは完全にはみ出しているぞと呆然としていると3曲目「Recap Modotti」が始まる。シンプルにビートを叩くドラムに、やはりリズムと渾然一体になりつつも良く動くベースが絡む、チリチリしたノイズからギターが入るがやはりそのトーンはクリアだ。ボーカルは何かを待っているかのように抑えたトーンで詩を読んでいく。なにかあるという焦燥をはらむ緊張感がたまらない。オフビートと言っても良いが中盤以降徐々にテンションを挙げてくる。緊張感の中にも伸びやかさが横溢している事に気がつく。私はこの3曲目でやっとなんとなく、このFugaziというバンドがおぼろげながらも見えて来た様な気がした。とにかくこの3曲は自分の不勉強もあって衝撃的だった。し、とても面白かった。
Fugaziの音楽性はポストハードコアに分類されるらしい。また初期の作品は大分ハードコアらしいアプローチで作成されたとの事。その後ハードコアにとどまらない音楽性を模索し、それが別のジャンルという事で結実したのがこのアルバム、ということだ。
全体的に速度を落とした気怠い雰囲気の中に、フリーキーで反復的な音楽が伸びやかにつめられている。隙間が結構空いているので油断しがちだが、前述の「Recap Modotti」のように実は緊張感が満ち満ちている。いわばFugaziの間合いであって、その思想もあって殺気というのはあれだろうが、この空間にはいると完全に異界に持っていかれる。

「実は未だ…」という人は是非どうぞ。実はあまり構えなくてもただ聴いてみる、という感じでも良いのではなかろうか。結構ビックリすると思います。


2016年8月20日土曜日

Dinosaur Jr./Give a Glimpse of What yer Not

アメリカはマサチューセッツ州アマーストのオルタナティブロックバンドの11thアルバム。
2016年にJagjaguwarからリリースされた。私が買ったのはデジタル版。
Dinosaur Jr.は1984年に結成されたバンドでグランジ隆盛の一角をになって活躍。7枚のアルバムをリリースしたが、1997年に解散。2005年に再結成し、再始動後はこのアルバムも含めて4枚のアルバムをリリースしている。サマソニでたしか今、というか今日あたり来日してプレイしているのではなかろうか。
私は後期オルタナティブ世代なのだが当時からミーハーな性質を遺憾なく発揮し、NirvanaとThe Smashing Pumpkinsは聞いたが、Dinosaur Jr.もSoundgardenもAlice in Chainsも聴かなかった。何事にも凝る友人が多分MDで聴かせてくれた覚えがうっすらあるのだが、うーんといってあまりに印象に残っていない。(その友人は今は音楽業界で働いている。)インストサイケデリックバンドEartlessがDinosaur Jr.のフロントマンJ MascisのHeavy Blanketとコラボした「In a Dutch Haze」だけ持っているから、私とこのバンドの繋がりはその程度だ。

紫を基調とした色あいがなんともサイケデリックなジャケットが印象的。
轟音と評される事も多いがなるほど納得の出来。ドラム、ベース、ギター&ボーカルという最小単位のバンドながらもそれぞれの楽器が結構なレベルで演奏されており、荒々しい喧しさはまさにロック然としている。勿論ハードコアやメタルではないので、メロディは歌がそれを担当して非常に伸びやかかつ気怠く歌っている。この轟音アンサンブルに気怠くやる気がないボーカルというのが世間も認めるこのバンドの持ち味。マルチなプレイナーでもあるJ Mascisは決して取り乱す事なく淡々と歌っていく。メロディラインが非常に感情豊かなので、声や歌い方が気怠くても説得力があり、奇を衒っている訳でもなく非常に魅力的。メロディはどちらかというとアップテンポというよりは、哀愁に富んだものでしっとりとしみ込んでくるタイプ。ここで声に感情がこもっていたら、恐らく私は食傷気味になってうさんくせーといって好きじゃなかったんだろう。メロディラインはキラキラしているから声と歌い方はこれがベストなんだなと思う。別に哀愁があるから大人のロック、というのではなくて。
Heavy BlanketではEarthlessと一緒になってとにかくギターソロを弾きまくっていたJ Mascis。さすがにこちらでは全編ギターソロというわけにはいかないんだけど、それでもグランジというジャンルからするともの凄く弾いている。だいたいどの曲にもギターソロがある。歌はヘロットしているくせに、ソロになるとが全やる気を出してくるのがMascisで「えー!」って位グイグイ前に出てくる。困ったやつだ。太い豊かな音でまろやかな中〜高音でもって波のように迫ってくる。べつに早引きを披露する訳ではなくどの音も非常に伸びやかで贅沢に時間を使っている。いかにも堂に入ったプレイはメロディラインに加えて非常に感情的。
欲を言えばシングルにもなっている「Tiny」のようなアップテンポの曲がもう何曲があっても良かったかなと思った。今更聴けないなって人もこっそりどうぞ。

J・G・バラード/クラッシュ

イギリスの作家による小説。
バラードといえば絶賛映画公開中の「ハイ・ライズ」が話題なのだが、その前に気になっていたこちらを購入。
J・G・バラードは「アウター・スペース」に対して「インナー・スペース」を追求する異色の作家でSF作品が特に有名。私も暗黒ドローンユニットLocrianの「Crystal World」、遠藤浩輝さんの漫画「EDEN」の元ネタになった「結晶世界」を始め、「沈んだ世界」や「楽園への疾走」、短編集「時の声」その他アンソロジーに収録された短篇を幾つか読んだ。SF的なガジェットを用いつつ、それらや特徴的な状況を文字通り道具として使いつつ人間の心理状態を描くのが特徴的でそれゆえSF的なシチュエーションにない(たとえば前述の「楽園への疾走」などもそう)作品であってもその魅力はちっとも減じる事はない。この「クラッシュ」という作品もそういった意味ではSF的な要素はほぼない作品。出版当時とても大きな反響を巻き起こした問題作。

イギリスのロンドンで広告業界で働く私ことバラードはある日コントロール不能になった車で衝突、相手の運転手を殺してしまう。法的には無罪が言い渡されたバラードは車、さらに衝突に性的な興奮を抱いている自分に気づき、妻を始めとする女性と倒錯的な好意に傾倒するようになる。そんな中同じ趣向を持つ男ヴォーンと出会う事で、バラードの性的な思考はさらにヒートアップしていく。夜な夜なヴォーンと車で町を流し衝突事故を待ちながら拾った娼婦たちと痴態を演じていく。

あらすじを読んでいたからなんとなく分かっていたものの実際読んでみるとほとんど見開きのページのどこかにはかなり先進的な性的描写があるので非常に困った。自分で言うのもなんだが、良く通勤途中の車内と会社で読んだものだ。
性的に倒錯した小説というとバタイユに「眼球譚」が有名だろうか。大学生の時に買って読んだ事がある。やはりむむむと思いながらも結構普通に読む事が出来た。どちらかというとこちらの「クラッシュ」の方がより深く物語に入り込み、そして頭を抱える事になったと思う。
主人公たちは一様に車に対して性的な衝動を抱えるようになっていくのだが、これはまだ未発見のフェチズムということであって、実は色んなパターンがあるのが面白かった。理想状態は衝突事故によってその衝撃と壊れた部品によって損壊した肉体というのが至高で、これはまあわかりやすい。(私がそういうフェチを持っている、あるいは持つに至ってという事はないんだけど。)テクノロジーのまさに最先端にある部品、例えば鋭く尖ったレバーに刺し貫かれたり、丸いハンドルに胸郭を押しつぶされたり、粉々になったフロントガラスに顔面をずたずたに切り裂かれたりと…まあまあそういう事もあるかも、という感じ。ところが自分がこれになるというのは基本的に大変難しい。勿論ほぼほぼ死ぬか重傷を負ってしまうので。なので主人公たちは夜の町でこうなっている状態の人を探す毎になる。彼らを目に、シャッターに収める事になる。パパラッチではなくあくまでも自分で楽しむためだが、それでもやはり異様な光景ではある。それから車内でのセックス。これはまあ理想状態に至までの道というか、それらの代用的な意味合いを持っているのだろうと思う。ただ相手が、そして自分があくまでも柔らかい体を持った人間であるので、冷たく(もしくは非常に熱い)金属の体(といっていいのか)を持つ車体とはかなりの隔たりがある。この作品での車中セックスは進行めいた、祈りめいた、ひたむきさがある。(といっても描写はかなり生々しくとても下品だ。)いわば衝突への倒錯というのは、むくわれない進行の様な求道的なストイックさがあり、それゆえ登場人物の一人ヴォーンは殉教という破滅に文字通り詩を顧みない自動車の暴走する速度にのって一直線に向かっていく。最先端のフェチズム、テクノロジーによって虚無感に浸った頭のおかしい人たち、イカレた変態たち、それらは恐らく半分で、これも一つの「インナー・スペース」だとすると異常なフェチズムに静かに(バラード特有の冷たさ、オフビートさはこの作品でも健在)熱狂する彼らは、特に火花をスパークしながらオーバーヒートする情熱で不可解な性を生きる現代人たちのデフォルメなのだろうか。衝突というのは全く強引な接触手段の一つだという事が出来るかもしれない。
一つ面白いのはヒースロー空港を飛び立つ飛行機の描写の多さだ。同じ、さらに先進的なテクノロジーの集合体である空飛ぶ奇跡たちは、地上の主人公たちのドロドロした欲望とは無関係のように見える。一体これは何の象徴なのだろうかとひたすら考えた。

現代の変態小説ってことになるのだろうか。バラード好きの人以外でどんな人に進めたら良いのかさっぱり分からないが、衝突シーンになんか見せられてしまう貴方は是非どうぞ。

2016年8月14日日曜日

.NEMA/BRING OUR COURSES HOME

アメリカはミシガン州アナーバーのハードコア/クラストコア/ブラックメタルバンドのディスコグラフィー(同名の1stアルバムにその他の音源を追加したものとの事。)
1999年にSound Pollution Recordsから発売された。
元はと言えばtoosmell RecordのHPで見つけたのだが既に在庫はなく、どうやらデジタルでの販売もなさそうなので、他のショップで購入した。
1995年に結成されたバンドで1999年に解散している。どうもバンドメンバーの変遷が多かったようだ。

「私たちの呪いを家に持ち込む」というのはいささか変わったタイトルだ。ひょっとしたら元ネタがあるのかもしれない。
彼らの音楽を説明するならブラックメタルに強い影響を受けたハードコアだろうか。所謂ブラッケンドというと手っ取り早いのだが、まあ待ってほしい。オリジナルとなるアルバムリリースされたのは1998年(アルバムは1年速いようだ)でバンド自体は95年からやっている訳だ。きっと当時には「ブラッケンド」という言葉はなかったのではなかろうか。いわばオリジネーターの一角をになうバンドなのだろうがメジャーさで言えばどうだろうか?(私が知らなかっただけでひょっとしたらみんな知っているのかもしれないが。)
一見無慈悲に見えるが実は陰としたメロディを奥に秘めたのトレモロリフ。元々共通項があるハードコアとブラックメタルなのでこの融合は非常にしっくり来る。ボーカルは複数人がとる体制で、恐らくメンバーチェンジもあってか結構バリエーションがある。Gehennaを思わせる厭世観/嫌悪型満点のブラックメタラーもはだしで逃げ出しそうなイーヴィルなもの。いかにもハードコア然とした低音、わーわー叫ぶ高音、そしてのどから吐き出す早口吐き捨てパンクス中音。曲によってはそれらが同時にわめいたりして非常に異形のハードコアらしくてとても良い。このバンドのブラッケンドというのはブラックメタルの技術的なものを取り出して来てハードコアに当てはめているというよりは、とにかくトーラルで見たときの暗さに一番良く反映されている気がする。クラストコアの持つ追い込まれた捨て鉢な厭世観が異界に結びついた様な感じで、ストイックで現実的なハードコアのその先にヤバい世界が見え隠れしました、というイメージ。そういった意味では完全に異世界に負見れ入れているメタルとは違って、神経的に病んできました…感が強く音楽的にはタフさも勢いもある故にそのまずさが恐ろしい。
手元にある音源で一番似ていると思ったのはGehenna。ブラックメタル化した曲調や吐き捨て型のボーカル。この世に対する憎悪しかありませんが?という不遜で冒涜的な態度はかなり似ている。ただGehennaが完全に奇形的な悪魔の首領的な孤高の雰囲気を出しているのに対して、こちらはもっと若くて試行錯誤している印象。ハードコア特有のストレートさでいうとむしろGehennaなのかもしれないが、色々取り入れるどん欲さはこちらに分があるか。全22曲でも結構曲にフックというかバリエーションがあって面白い。(メンバーチェンジの多さで曲にバリエーションが出ている、というのもあるのでは。ボーカルも。)個人的には反復を執拗に繰り返す7分台のスラッジチックな曲は未来先取りだな〜という感じで好き。

今でこそ「ブラッケンド」という言葉は一定の音楽ジャンルを説明する形容詞として定着しているが、その成立には色々なバンドの地道な活動が確実に寄与していたんだなと感慨深い気持ちになるとともに、歴史的な意味を考慮しなくても一個の音源として非常に楽しめる音源。私が買ったショップでは今ならA389からリリースされていてもおかしくない、とか書かれていてなるほどなと思った。「ブラッケンド」というジャンルに目が無い人は見つけたら是非買ってみてどうぞ。

Interment/Scent of The Buried

スウェーデンはアヴェスタ・ボーレング・ストックホルム(読み方違うかも…)の面々が集うデスメタルバンドの2ndアルバム。
2016年にPulverised Recordsからリリースされた。
1988年にBeyondとして結成され、それからバンド名の変更、幾多のメンバーチェンジ、休止期間を挟み2002年から本格的に再起動。2010年にやっとのことで1stフルアルバム「Into the Crypt of Blasphemy」をリリース。それから6年ぶりの新作がこちら。私は前作がかなりのお気に入りだったので購入。今回はデジタル版。
Intermentというバンド名を飾る名詞は「埋葬」という意味だが、今回のアルバムは「埋葬された死者のかほり」というなんとも情緒に溢れ芳醇かつグッドなスメルが漂ってきそうなタイトル。

デスメタルとウオツカを愛し自らのジャンルを「Swedish Old School Death Metal」と称するあたりその音楽性は割と想像できると思う。完全に流行とは距離を置いた昔ながらのおどろおどろしいデスメタルを演奏するバンドで、デスメタルの持つ滴る血でむせ返る様な邪悪さをそっくりそのまま現地から流通とインターネットにのせて世界各地にお届けしている。
基本的には前作からの延長線上。
弦楽隊のぶわぶわした音像が特徴的で、モダンなソリッドかつ鋭敏な音とは明らかに一線を画す。叩きのめした様な粒の粗さが適度な間隔を空けて詰まっており、その境界はあいまいに撓んでいる。勢いはありつつも曲はほぼ中速で作られており、ドゥーミィとは言わないものの間を贅沢に使っている印象で、リフによっては弛緩しきったような音が伸びテイク様は気持ち値がよい。音の輪郭はメロディアスかつ不安定なギターソロに代表される、力強さを表現する下品な低音と相対する高音が狂気をはらんでいて良い。
ギター同様もこもこしたベースと、それらと対照的にソリッドなドラムがともすると不定形に拡散しがちな曲をびしっとまとめている。ドラムは技巧自慢する訳ではないのだが、堅実かつ直情的に欲たたき実際の曲の速度より迫力が増している。
メタルというとカッチリとした様式美的な側面も強いが、このバンドは決めるところは決めつつルーズというかラフな雰囲気があってそれがたんとも退廃的でかっこ良い。語弊があるかもしれないが下品というか、だらしないというかそういった腐敗臭がする感じ。完璧を目指し人間らしさを失っていくのとは違い、血の通った生々しさが全体を覆い、デスメタル特有の「シック」さを非常に巧妙に演出している。それは流れる血のリアルさにほかならない。勿論音楽だから実際流血がある訳ではないが、聞き手の頭には凄絶かつ凄艶な真っ赤な光景が浮かんでくる訳。

デスメタルだ。世に色んなデスメタルはあれども、何と言ってもデスメタルはこうでないとなと思わせるこの底力。疲れた男が場末のバーのカウンターにどっかり坐り頼む強い酒のようだ。「これだけで良い、デスメタルは」と言わんばかりの格好良さ。明確な世界観がありながら想像力を刺激してくる。非常にカッコいいのでとてもオススメ。

2016年8月7日日曜日

アルフレッド・ベスター/分解された男

アメリカの作家によるSF小説。
ベスターと言えば何と言って「虎よ、虎よ!」が有名だと思う。広大な宇宙と現代とは大きく姿を変えた地球の人間社会を舞台に描かれた壮大な復讐譚で私も大変楽しく読んだ。この「分解された男」はそんな「虎よ、虎よ!」の前に書かれたベスターの第一長編。

24世紀の地球では犯罪は絶対に起こりえない。なぜなら超感覚者エスパーたちの誕生により犯罪に至る前の段階でそれらを未然に防ぐこぐ事が可能になったためだ。モナーク物産の社長ベン・ライクは「顔のない男」の悪夢に悩まされていた。モナーク物産は実はライバル企業であるド・コートニー・カルテルとの競争に負けつつあった。ライクの頭に浮かんだ起死回生の一策とはド・コートニー・カルテルの社長であるクレイ・ド・コートニーの殺害であった。ライクは不可能になった犯罪に挑む。

本当は「ネタバレあり」とかくこと自体ネタバレになるので(なんかあるのか!と構えてしまう)、そういった書き方や核心に迫る事は書かない感じでやりたいんですけど、この本に関してはどうしても結末、それも「虎よ、虎よ!」の結末も書いてしまわないと気が済まないので、両方読んだ人や気にならないよという人は続きから読んでいただければと。完全に言い訳めいてますが「分解された男」も「虎よ、虎よ!」も結末を知ったからといってもその魅力が大きく減じることはないと思います。

Self Deconstruction/Wounds

日本は東京のパワーバイオレンス/グラインドコアバンドの2ndアルバム。
2016年にBreak The Recordsからリリースされた。
ボーカル、ギター、ドラムという3人編成のバンド。(以前は男性のボーカルがいたそうな。)2010年に結成され、今までに1個のアルバムと複数個のデモやスプリット音源をリリースしている。私は2016年にリリースされたでも音源「Triad」を持っていて、ライブも1回だけ見た事がある。すごいけど何がなんだか分からないという呆然とした時間だったので、音源で聴けば何がすごいのか分かるだろうなと言う期待もあって購入。

23曲で16分弱という収録時間。平均1曲1分以下!ほぼほぼ全編突っ走るタイプでパワーバイオレンスといっても流行の低速織り交ぜた音像とは一線を画す、まさに独自のスタイルを極めて行く音楽性。
再生するとライブと同じで「うおお…」となっていて良く見ると4曲目位になっている。なんてことだ…。なんといっても曲と曲のつなぎ目がわからないのだ。この手のジャンルに関しては速すぎるとか曲の区別がつかない、とか割とありがちなのだが、言ってもまあ大抵のバンドでは次の曲だな〜と分かるものだが、このバンドに関しては(まだ聴く回数が足りないのだろうが)やっぱり曲のつなぎ目が分からない。意図的に曲間をあまりとらないように録音しているのもあるのではと思うんだけど。一通り聴いて思ったのは「一筆書きグラインドだ!」ということ。新しいのジャンルが一つ誕生しましたね。
一筆書きグラインドは一旦おいておいて、なんで曲のつなぎ目が分かりにくいのかというと、音楽、少なくとも私が好んで聴くメタルとかハードコアとかテクノとか、たまにヒップホップとかはだいたい曲構成がある程度決まっており、反復によってそれらが構成されていると言っても良いのではなかろうか。良く出る(私も知った様な顔で使っている言葉である)リフというのも実際は「リフレイン」という言葉をさす。リフレインとは言うまでもなく反復である。あるテーマみたいなのがあって(これがフレーズだったりコード進行だったりするみたいだけど)それを繰り返しながら、微妙に形を変えつつもAメロ、Bメロ、サビみたいに曲が進んでいく訳。とんでもなく激しいデスメタル、なんかもじつはこういったルールに則って進行するので聴きやすいというかはっきりしている。ところがこのバンドだと曲の法則の中心にある事が多い(べつにこの法則で進行しないと逮捕されるという法律がある訳ではない。)そのルールが非常に希薄なのでは。
リフ(というかフレーズなのか)はあるのだが
①曲に対してリフが非常に多い
②それらが目まぐるしくきりかわる
③同じリフ(テーマ?)があまり繰り返されない(これはあまり自信ない)
という感じになっており、そもそもリフ(レイン)ってるのか?という音楽性であり、同じ事を2度と繰り返さないとしたらこれはもうすげーってことになる。そういった意味の「一筆書きグラインド」な訳です。
weeprayなど様々なバンドでプレイしているあたけさんという方がいらっしゃるのですが、その方が
というツイートをしていてなるほどなと思ったのですが、確かに激しく五月蝿い音楽の断片的に拾って来て(一から作る場合もアリ)1個の新しい曲として再構築するというブレイクコアの一つの手法(全部がそういう訳でもないので)に通じるところがあるなと。他にもジャズじゃないか?という意見もあったりして、ここら辺がフリースタイルグラインドと呼ばれる由縁で、そういった意味でかなり変わったそしてこだわりのある手法で曲が制作されているようだ。

という訳であまりに衝撃に曲に対しての考察みたいなものがほとんどになってしまったが、もう後は聴いてくれ!(丸投げ)ちなみに実際に目の前にすると同じリフが…とか考えなくても「あわわ」となっているうちに楽しい時間が過ぎるので大丈夫です。音源も色々考えなくてもかっこ良いです。

The Repos/Poser

アメリカのハードコアバンドのアルバム。
2016年にYouth Attack Recordsからリリースされた。
The Reposはかの有名なアメリカのパワーバイオレンスバンドCharles Bronsonの元メンバーがやっているバンドで、恐らく2004年に結成された。あんまり情報の少ないバンドみたいで多分ニューヨークを拠点にしているのではと思うのだが。(BandcampのタグにNewYorkがある、んだけどレーベルの拠点なのかも…)。このアルバムも3rdアルバムっぽいが詳しい事は分からない。FBもオフィシャルページもあるにはあるが熱心には更新していないみたいで、少なくともネットじゃなくてリアルの私たちを聴いて、見てどーぞというアティチュードのようだ。ツアーはかなりやっている模様なので。

さて「Poser」(カッコつけ野郎)というタイトルが素人お断りなピュアなハードコア感を演出しているこのアルバム。まさにポーザーである私が恥ずかしながら思った事を書いていきます。
全部で16曲収録されているこのアルバムはトータルで収録時間が12分半しかない。平均すると余裕で1分切ってくる訳で、恐ろしく速いハードコアという事になる。そういった意味では真っ先にパワーバイオレンス、ファストコアな雰囲気が思い浮かぶのだが、例えばDeathwishやSouthern Lord界隈で隆盛を見せている陰惨なクラスト要素は皆無。さらに高速と低速を行ったり来たりする極端かつブルータルなパワーバイオレンス要素もなし。というか低速パートがない。例えばドイツのYacopsaeの様なグラインドコア要素も大胆に取り入れたファストコアっぽさも(まあYacopsaeはTurbo Speed Violenceなんだが、正確には)あまり感じられない。じゃあどうなのだ、というと曲は短いものの決して高速を至上としそれを追求する事のみに身を削るバンドではない。その代わりに曲に様々なフックを加えている。それらのフックはあまたのパワーでバイオレンスなバンドがスピードとストレートな攻撃性を獲得するために敢えて捨てて来たものなので、そういった意味ではこのバンドはそれらのバンドとは明らかに一線を画す。勿論中速でまったり、という音楽性ではなく、やっぱり速い訳だし、突っ走るドラムが特有の攻撃性を演出する紛れもないハードコアなのだが。とにかくギターが伸びやかでギューンと伸びる様な弾き方、小説の終りに高音のオマケを入れてくる弾き方なんかは普通この手のジャンルではあまり聴けない。ギターソロも結構多めで、このソロが非常にキャッチー。ソロを入れてもささっと澄ませるバンドが多いのだが、このバンドはゆったりとは言わないが短い曲の中でも非常に自由気侭にソロをいれてくる。ロックンロールなそれはハードコアの激しいタテノリの中で異常に楽しい。
いかにもアウトローな吐き捨て型のボーカルがこれまた良い。のどを使ってぐええと吐き出す様な感じ。酒やけしたっぽい声だけどハードコアの世界ではビーガンの人だったりお酒飲まない人もやらない人が多いので実際はどうなのかは分からない。
どうもスラッシュコアと言われるジャンルにカテゴライズされる事が多いみたい。そういわれると多彩でミュートを使ったりリフや短いながらも妙にキャッチーなギターソロはスラッシュの要素に満ちている。

やけっぱちな音楽性の中にもかなり凝った曲作りを感じさせるバランスの良いハードコアで激しいのだが、なんとも”楽しさ”を感じ取れてしまう希有な音楽性。速度とともに酷薄になっていくこの手の音楽の中ではまさにオアシス的な存在では!(もちろん”癒し”なんてことは絶対ないが。)爽快な音楽性というヤツで短い事もあって繰り返し何度も聴ける大変かっこ良いアルバム。