2016年9月19日月曜日

Yaphet Kotto/The Killer Was In The Government Blankets

アメリカ合衆国カリフォルニア州はサンタクルーズのハードコアバンドの1stアルバム。
1999年にEbullition Recordsからリリースされた。
1998年に結成され2005年に解散しているバンド。「ヤフェット・コットー」という変わったバンド名は何となく知っていたが、このバンド名の元ネタは黒人の俳優というのは初めて知った。有名なのだと「エイリアン」、「バトルランナー」にもでていたそうな。私もこの人だと言うのは湧かないけどきっと見た事はあるだろう。
バンド名に有名俳優の名前を拝借するというとパワーバイオレンスバンドCharles Bronsonが思い浮かぶ。なにかそういった文化があるのだろうか。
このバンドは激情系ハードコアの文脈で語られる事が多く、私は一体激情が何たるかわかっていないのでこれを機に買ってみた次第。

ハードコアを土台にしながらもマッチョイズムを排し、凝った演奏、メロディラインを導入、内省的な感情を吐露するその音楽性は、今では簡単に「エモ」とくくられてしまうのだろうが、発表された1999年にはまさに過渡期の、そして言葉は悪いが消費された「エモ」という音楽ジャンルに冠しては報われない(「エモ」が隆盛を極めた時一体どれだけの人がこのバンドまでたどり着いたのだろうか、分からないが今Yaphet Kottoは有名なバンドではないと思う)功労者ということなのだろうか。wikiのエモのページを見ると欧米では「エモーショナル」という言葉は「悪い意味で感情的」という意味があるらしい、そうなるとあえてハードコアのフォーマットで「弱さ」を吐露するエモというジャンルは(弱さを吐き出しつつ、オーソリティに与しないという意味で)中々挑戦的である。
良くも悪くも生々しい音質で録音されたこのアルバムはあまりゆがみをかけないジャキジャキしたギターを複雑にかき鳴らし、そのでかい音に埋もれそうになる文学的な雰囲気を持ったボーカルがバックの演奏に負けないように声を張り上げて、時に叫びながら(シャウトはクリーンに被る事もあるのでひょっとしたらそれぞれ別の人が担当しているのかも)メロディを紡いでいく。その様はまさに巨大な都市に渦巻く喧噪に半ば飲み込まれながらも反抗の声をあげる冴えない、ひょろひょろした若者の声のようだ。そういった意味デャ非常に詩的だし、何故このフォーマットで(つまりバックの演奏をもっと大人しくしてメロディを強調しないのか?)やろうとしたのか、というところが面白い。今ならそれは「エモ」というジャンルだからといえるだろうが、当時は一体どうだったのか。
それほど曲が速い訳でもないし、メロディもそこまで分かりやすいものでもないが、逆巻く感情をそのまま曲にしたみたいな演奏はかっこ良く、いわゆるカオティックといっても良いくらい結構こちゃこちゃしている。クリーントーンの単音のフレーズがキャッチーさ醸し出すのとと縦横に広がっていく曲をまとめあげているようで心地よい。

伝えないといけない事がある!と言わんばかりの感情に突き動かされて胸のうちを赤裸々に吐露する様な熱い音楽性に胸を突かれる事請け合いのハードコア。この手の音が好きな人は是非どうぞ。

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