2016年12月31日土曜日

Ruinous/Graves of Ceaseless Death

アメリカはニュージャージー州のデスメタルバンドの1stアルバム。
2016年にDark Descents Recordsからリリースされた。
比較的新しいバンドだが3人組でボーカルも務めるギタリストが元Funebrarum、もう一人のギタリストがImmolation(このバンドは聴いたことがない)、ドラマー(調べたらまだ31歳だとか)が元Disma。共通して過去Funebrarumで活動したことがあるようだ。(Metallumより。)私はFunebrarumの「Sleep of Morbid Deams」が結構お気に入りなので買って見た。知るきっかけはみちのくさんの年間ベストで。

まず1曲めのイントロのギターのフレーズからしてFunebrarum感満載で楽しくなってくる。ベースレスの3人組としてはちょっと考えられないくらい音の密度が濃いバンドで(ただしベースは録音していると思う。徹底的にダウンチューニングしたギターかもだが。)、漆黒のオールドスクールなデスメタルを演奏している。がっつり金属的なバキバキメタリックサウンドでうねうね動くような気持ちの悪い定温リフをこれでもかというくらい詰め込んでいる。弾き方としてはそこまでではないけどPortalのようなリフの気持ち悪さ。ギターソロは短めなものがかなりテクニカルに鳴らされるが、かろうじて暗黒の霧を払うよすがにはならない程度。ブリッジミュートの使用頻度がそこまで高くないのでスラッシュ的な爽快感はほぼ皆無で、溜めがあって乗りやすいわけでもなく、さらにBPMはそこまで速くないので正直聴きやすいバンドではないかもしれない。
ボーカルはギャウギャウ喚き声と地に這う低音を使い分けるタイプでこれもFunebrarumを感じさせるもの。ドラムは突っ走るにしてもバタバタ位だけどやはりテクニカルで手数が多く、瞬間的に破裂するようなスネアの連打が印象的。
やはりFunebrarumの系譜を感じさせ、ドゥーミィな要素も非常に色濃く、悪夢的にねっとりと蠢いていく楽曲はコズミック・ホラー的な気持ちの悪さ。沈み込む低音の波濤に思い出したように細かく動く触腕的な高音ギターリフを重ねてくるパートが個人的にはお気に入り。
密室感というか真綿で首を絞められているような閉塞感が売りのバンドで曲の密度も濃い。金属質で確実に肉体を伴ったような攻撃的なサウンドなのだが、それを外に放出するというよりはうちにうちに落ち込んでいくような負の螺旋サウンド。それこそ悪夢に囚われたような感覚に浸ることができる。好きな人にはたまらないやつ。

デスメタルに一種の爽快感を求める人にはなかなか難しいかもしれないが、ひねくれた気持ちの悪さに居心地の良さを感じてしまうような人にはバッチリはまるのではなかろうか。Funebrarum好きな人は是非どうぞ。

Martyrdöd/List

スウェーデンはヴェストラ・イェータランド県ヨーテボリのクラストパンクバンドの6thアルバム。
2016年にSouthern Lord Recordsからリリースされた。
Martyrdödは2001年に結成されたバンドでメンバーチェンジを経て今までに5枚のアルバムをリリースしてきてた。今は4人体制とのこと。私はTwitterで今回の新作のリリースの盛り上がりで初めて知ったので過去作を聞いたことはない。どうも日本の特定の人たちの間ではかなり有名なバンドのようだ。

いわゆる”ブラッケンド”という形容詞がつくクラストパンク/ハードコアバンドで、アングラ界隈で昨今隆盛を見せるジャンルの一つ。6枚のフルアルバムをリリースしているから先行者ということにはなるのかもしれない。
全部で10曲が36分、平均3分台なのでハードコアにしても速さを売りにしているバンドでないことがわかる。じっくり聴かせる、というと語弊があるかもしれないがとにかく叙情的なバンド。別にボーカルがしっとり歌い上げるわけではない。つまりクリーンボーカルは皆無で、どうしようもないクラストボーカルが綺麗とはお世辞にも言えないしゃがれたダミ声で、メロディ性のあまり感じられないシャウトをかましていく。じゃあ何が叙情的なのかというとギターがひたすらメロい。メロすぎるほどにメロい。ほぼほぼ途切れなく弾きまくっていくハードコア/ブラックメタルスタイルで、音が非常にクリアかつきれいに仕上げられており、高音でキラキラ装飾されたトレモロリフが極めて滑らかに(ここ結構大切)メロディ成分を曲にバンバン追加していく。どうしても「俺らハードコアだからさ…」となりがちな男の虚栄心(テキトー言ってますよ)がサウンドの一片一片までも小汚くしようとしてしまい、それすらも男らしさの象徴として賞賛されがちなこの界隈で、ここまで思い切ってハードコアにあってはいけない”綺麗”さをしれっと表現仕切ってしまうとは、まさにその姿勢がハードコアスピリッツに溢れているのかもしれない。ギターソロもかなり泣いてきてその思い切りの良さはもう凄まじいものがある。
こうなってしまうともう何かによって心が洗われてしまったブラックゲイズのようなサウンドになるんでないの?って気もするがこのバンドはそれでもどっからどう見てもハードコアだ、と思わせるからさらにすごい。なぜかというとギター以外は余り美麗な方向に引っ張られていない。前述のボーカルはそうだし、また特にドラムとベースが担当するビートの部分は明確にハードコアだ。重たいドラムを回すようにロールさせたり、ズタタズタタと重さとリズムの小気味好い気持ち良さを併せ持ったD-ビートを明確に曲の根幹に据えているので「俺たちハードコアです」と問答無用にぶっといビートで持って聞き手の顔面に叩きつけてくる。
音楽で何かの要素をブレンドするときどうしても両者を程よく接近させる手法が一番手っ取り早いのだろうが、このバンドに関してはハードコアはハードコア!、ブラッケンドはブラッケンド(つまりギター)!と明確に線を引いてそれをハードコアという土台の中で両立させているからすごい。溢れんばかりの叙情性というとTotem Skinに似ているが、激情っぽいTotem Skinに比べてこちらは明確にクラストという感じなので似ているところもあれば違うところもある。

賛否両論の新作ということだが、私は前述の通りこの作品で初めてこのバンドに触れたので素直にいいな〜と思ってしまった。実のところ過去作を聞いた上で今作に否定的な意見こそ聴きたいなと思ったしまったりもする。
叙情的なハードコアなんて手垢のついた表現かもしれないがいつの時代も言葉で説明仕切ることができない音楽をやっている人たちがいるものだ。ぜひどうぞ。非常にかっこいいおすすめ盤です。

SITHTER/CHAOTIC FIEND

日本は東京、東高円寺のデスソニックノイズスラッジバンドの2ndアルバム。
2016年に梵天レコードからリリースされた。
裏ジャケット(とおまけに着いているステッカー)がBlack SabbathのVol.4を彷彿とさせるものだったり、「混沌の悪鬼」という邦題(もちろん日本のバンドなのだが)、ドクロやぐるぐる模様、キノコをモチーフにあしらったアートワークも往年の(具体的には60年代なのか70年代なのか恥ずかしながらわからない)サイケデリックかつオカルティックな芸術へのリスペクトをとこだわりを感じさせるし、見た目からも音楽性がある程度想像できる。
現在は4人体制で2006年に前身のPSYCHOTOBLACKというバンドが改名する形で結成された。(この手のバンドにすると珍しくオフィシャルに結構きっちりしたバイオが書いてある。)ライナーノーツによるとバンド名の元ネタは最近番外編が公開されたスター・ウォーズの敵陣営、シス(ら)のマスターということ。シスマスターでシスター。

音の方はというと本人らも公言している通りNOLA(ニューオリンズ・ルイジアナ)シーン、そしてスラッジの大御所Eyehategodの影響下にある音を演奏している。
時代を経るとともに残虐化、轟音化しがちなメタル/ハードコアシーン(批判しているわけではないです)では結構珍しいかもしれないくらい、伝統に敬意を払ったオールドスクールな音楽を演奏している。悪い知らせを報道するニュースをカットアップしたような不吉なSEで幕を開け、耳障りなフィードバックノイズが垂れ流されれば否応無くテンションが上がってくるというもの。そして「泥濘」とも称されるスラッジサウンドが期待を裏切らずに飛び出してくる。腰にくる、うねりとコシの強いグルーヴィなリフはビンテージでサザンなテイストに溢れており、陰惨なアトモスフィアを瘴気のように撒き散らしながらも粘りの強いズンズンくるリズム(何と言ってもタメのあるリズム感が秀逸で”ズンズン”と言っても近年クラブで鳴りがちな明快なものとは明らかに一線を画す)で持って高揚感を煽ってくる。重さのための重さ、遅さのための遅さを追求する強さ自慢ではなくて気持ちの良いスピードと重量感がこれだ、という曲至上主義なのもオールドスクールならではのこだわりを感じる。重たい曲が一気にスピードを上げていくのも必殺技めいていて素晴らしい。
また何と言ってもEyehategodのMike Williamsを感じさせる世捨て人ボーカルがかっこいい。日本人ではちょっと類を見ないくらいの堂の入りようで、しゃがれて苦しげに吐き出すようなボーカルはおどろおどろしいスラッジサウンドによく合う。
このままだと和製Eyehategod、という感じの説明になってしまう。私はこの「和製」って形容詞が好きじゃないし、何よりSITHTERは単なるEyehategodのコピーバンドではない、もちろん。どこかEyehategodと異なるのかというと、これはタイトルにもなっている「Chaotic」=混沌に他ならない。カオティックハードコアとは全然異なるが、かなりワウを多用したギターリフは(アルコールや違法薬物の支配下にあるとしても)比較的ソリッドなイメージのあるスラッジというよりは例えばEarthlessのような空間的に広がりのあるサイケサウンドに似たところを感じる。より眩惑的だ。ラストを飾る大曲(16分ある)は特にそんなSITHTERのサイケデリアを存分に感じることができる。地獄のちょうど中間に配置された「Lost Flowers」でもせん妄状態で見る古き良き思い出めいたノスタルジアをノイズの中爪弾かれるギターサウンドに感じることができる。ピアノを用いた「Engrave The Misery」も伝統的なスラッジサウンドからすると異色かもしれない。いずれも頭でっかちに、過分にアート的にならない、持ち味である陰惨さを損なわない比重の登場頻度なのが良い。

懐古主義というか原理至上主義ではないのでモダンになっていくジャンルの中で伝統を維持しつつあるバンドというのが無条件で良いわけではないと思うけど、純粋に伝統に則った方法でかっこいい音楽をやられると「まだまだやりようがあるんだぜ」と言われているみたいで痛快であると思う。
EyehategodやBuzzov.enが好きなコアなスラッジャー(スラッジスト?)はもちろん、サイケな音楽が好きな人もハマると思う。

2016年12月25日日曜日

椎名誠/埠頭三角暗闇市場

作家の椎名誠さんのSF長編小説。
椎名誠さんのSFはとにかく大好きなので迷わず購入。
表紙は吠える犬で「チベットのラッパ犬」もそうだったが、椎名さんは犬が好きなのかも入れない。この小説でも犬が重要なキャラクターで出てくる。思うに野犬というのは椎名さんがよくいく辺境と呼ばれる地域にはたくさんいて(日本では野良猫はいるけど野犬はもう見なくなりましたね、私は一回子供の時に見たギリです。)、そして彼らが自由にたくましく生きているからだろうか、なんて思ったりする。

未来の日本はのちに「大破壊(ハルマゲドン)」というテロとそれによる破壊により壊滅的なダメージを負い、中国の属国になっていた。それでもまあ日常というのは存在するもので、舞台になるのは東京湾に面するとある埠頭。ここでは「大破壊」で傾いた高層ビルと埠頭に打ち上げられた客船が斜めに寄り添い、巨大な三角を形成していた。その三角の下の薄闇にはなんでも揃う危険な闇市が展開されていた。そこで北山は暗闇市場の倒壊しかけたビルで人と獣の魂を分離合成するモグリの医師をやっている。ある日やはり訳ありのヤクザと思わしき集団が北山の部屋に訪れる。

椎名誠さんのいわゆる一連の「北政府」ものとは別の世界軸で展開されるのが今回のSF。色々な意味で前述のそれらに比べて読みやすい作りになっている。
一つは舞台が日本の東京とその周辺であること。そして割と近しい未来であること。もちろん主人公の一人北山が扱う人獣合魂エンジンなんて技術は現在存在しないし、ありと高度なアンドロイド達も出てくるが、あとは携帯電話の進化版だったり、移動は車やバイクを使ったりとあまり現代から隔たりがない。(ただし一風変わったガジェットや施設(個人的には秘密裏に密会できる立体駐車場なんてのは非常に面白かった)は出てくる。)登場人物達も魂が入れ替わっている人と、ミュータントの走りみたいな人が出てくる以外には人体改造至上主義者は出てこない。作者の小説の醍醐味のよくわからないがワクワクさせる語感の得体の知れない(どう猛な)植物・動物達も数は絞れられている。(ただし結構な重要や役柄で出てきたりする。)
もう一つは一つの世界を舞台にした連作小説ではなく、一つの筋が通った物語が展開されているので、視点が固定されて読みやすいと思う。(私は連作小説でも読みにくいと思ったことはないのだが、一般的に。)割と野放図に始まった物語が結構な中盤まで行き当たりばったりでどこに向かうか登場人物と同様に首を傾げていると、終盤に入ると次第にカオスに一つの軸が浮かび上がってくる。そのままラストになだれ込む様は椎名SFでは珍しいかも知れない。エンタメ的なカタルシスがあって非常に良い。
それでは持ち味が薄くなった作品になってしまっているかというとそんなことはなく、持ち味である危険な状況で遺憾無く発揮される人間と(特に)動物のたくましさがのほほんとした筆致で書かれている。善悪をはっきり超越した生命力に顔を思わずしかめてしまう場面もあるが(主人公の一人である(暫定)警察機構に勤務する古島は結構なクズ人間)、現代社会にはない(がきっとその背後で世の中を動かしている)法則に圧倒され、時に魅せられる。人間なんて暴力で一皮剥けばこんなもんなんだよ!という暗く諦めたような感情で書かれているのではなくて、どちらかというと人間結構どんな環境でもそれなりに楽しく生きられるもんだよ〜って感じで書かれている気がする。殺伐としているけど笑いもあれば、憩いもある。こうやって物語を書ける人は他に知らない。

大きく大きく(もしくは小さく小さく)、時には肉体を超越して拡散・広がっていく最先端のSFとは明らかに一線を画す野蛮な世界。椎名誠さんの描くSFの魅力がぎゅっと詰まっている。個人的には荒廃仕切って諦めが支配する退廃に一条の光を投げかけるのが”これ”かも知れない、というラストは非常に面白かったし痛快だった。面白かった。おすすめ。椎名誠さんのSFはどれから読んだらいいのか、という人はまず手にとっても良いかも。

2016年12月24日土曜日

Haymaker/Taxed...Tracked...Inoculated...Enslaved

カナダはオンタリオ州ハミルトンのハードコアバンドの2ndアルバム。
2016年にA389 Recordingsからリリースされた。
Haymakerは強烈な一撃という意味でLeft For Dead、Chokeholdなどのハードコアバンドの元メンバーにより結成された。1stアルバムは2001年にリリースだからどうもこのアルバムがリリースされる間に休止の期間があったようだ。
FBによると5人組で彼らのライブは喧嘩とそれによる怪我が元に強制的に終わってしまうのが普通だとか。おっかない。
このバンドもみちのくさんの年間ベストから。

全部で20曲で19分弱だから1曲1分ないことになる。パワーバイオレンスというよりはひたすら早いハードコアという感じ。今風のブレイクパートはほぼなし。常に突っ走る激走スタイルでここら辺はメンバーがかつてやっていたLeft For Deadに通じるところがある。(私はLFDは大好きなんだ。)
ボーカルが結構特徴的でハードコアでは珍しくないのかもしれないが、ハリがありつつも甲高いおっさんボーカルで男臭い咆哮と、曲の速度に合わせて早口でまくしたてるような歌唱法が声質と相まってかなり独特で初めは戸惑うものの異常な中毒性がある。
ザリザリとささくれて荒っぽい音質はハードコア然としているが同じく今年新作をリリースしたSex Prisonerに比較するともっと音がクリアに録音されている。またノイジーで奔放な高音で構成されたフレーズを重たいリフに重ねてくるので部分的に見ればかなりメタリックで、時にメロディアスだ。一見とっつきにくいが、ひたすらシンプルな曲がキャッチーなリフで明快に進行するために実は結構聴きやすい。暴力的なサウンドだが内省さはほぼ皆無でひたすら前に前に、外に外に押し出していく。行動原理は怒りで「課税され、追いかけられ、植え付けられ、奴隷にされる」というアルバムのタイトルにもそこらへんの感情が見て取れる。
まさにレイジング・ハードコアという感じで聴いていると否応無しに高揚してくる。よく考えればシンプルかつキャッチーなリフでを反復し、その上に詳しくはわからないが(英語わからないし、歌詞カードが手元にないので)なんとなく怒っているなーという感じの演説(歌)が乗っかるわけでこれは結構構成的なアジテートだ。マニアックなメタルと違って聴いたら誰でも楽しめる(まあ実際には好きな人しか聞かないだろうけど…)全方位的なのがハードコアって感じでカッコ良い。

こりゃかっこいいわ。Left For Dead好きな人は是非どうぞ。おすすめっす。

Sex Prisoner/Tannhäuser Gate

アメリカはアリゾナ州ツーソンのハードコアバンドの1stアルバム。
2016年にDeep Six Recordsからリリースされた。
あまり情報がネットにないバンド(こういったところからもバンドの姿勢がなんとなーく伺える。FBの影響を受けたものにはビールの銘柄を挙げている。)で4人組で、最初の音源は2010年にリリースされている。惜しくもこの間解散したAntichrist Demoncoreと(Magnumforceというバンド含めた3バンドによる)スプリットもリリースしている。満を辞してということでリリースされたのがこのアルバムなのかも。私は全く知らなかったがみちのくさんの年間ベストに入っていたのをきっかけに購入。

「Tannhäuser Gate」ってなんだっけ?「ハルシオンランチ」?と思って調べたらどうも元ネタは映画「ブレードランナー」みたいだ。とはいっても音の方はSF感は全くないパワーバイオレンス。全部で16曲、トータルタイムは23分弱。平均1曲あたり1分ちょい。
ざらついたロウな音、つまり生々しく、そして低音が強調された音で例えば前述のACxDCなんかに比べるともっともこっとしてざらついている。メタリックさはあまり感じられず、ギターソロなんかもなし。
パワーバイオレンスらしいスットプアンドゴーはあるものの、わかりやすいブレイクというよりは真綿で締めるようなビートダウンがえげつない。ファストな時はファストだが、忙しないというよりはどっしり構えていて(ブラストというよりはズタズタ刻むのが主体のドラムはかなりハードコアな感じ。)音の少ないパートは鈍器で後頭部を強烈に打ち付けれているように頭が触れる気持ちの良さ。速度のコントロールが上手いのと溢れ出るブルータリティをタメのあるリフに打ち込んでいるので結果手に非常に踊れる(=モッシュできる)おっかない音楽になっている。
ボーカルはやはりハードコアらしい、野太いマッチョなもの。エネルギッシュで悪い感じ。思ったのだがこういったボーカルの金切り声みたいな歌い方は結構つぼだ。やや声の質が違うバッキングボーカルも良い。
全編にわたって飾らない粗野なハードコアかと思いきや、中盤やや長い尺の2曲(といっても2分半もないんだけど)が結構異色。1曲はフィードバックノイズとブレイクを合わせたハードコア新機軸で、もう一方はアコギのインストからややブラッケンドなリフとモッシュパートを合体させたみたいなメタリックな曲でどちらもめちゃかっこいい。

今かっこいいという現行のブルータルなパワーバイオレンスを聞きたい人は是非どうぞ。

裸絵札/Selfish

日本は大阪のヒップホップユニットの4thアルバム。
2016年に至福千年音盤からリリースされた。
裸絵札は2005年に結成されたグループで長らくラッパーとトラックメイカー/DJの二人で活動していたが、3rdアルバムリリース「孕」を2012年にリリースしたのちギタリストが加入して3人組になっている、はず。ちなみにグループ名は「はだかえふだ」と読む。

自分は「孕」を持っているが、ヒップホップというジャンルでくくっていいのかわからない面白い音楽性をやっていて結構好きだ。「dance noiz vandalism」を標榜する彼らはクラブシーンだけでなくハードコアシーンとも接近しているように、その音楽と活動は垣根なしに幅広い。
「ノイズ」とあるくらいでヒップホップというにはまずトラックが非常にうるさい。サンプリングもしているのかもしれないが、結構一から組み立てているのではなかろうか。ジャズネタをループなんて伝統は糞食らえとばかりにノイジーで攻撃的な電子音でトラックが構成されている。バキバキに武装されたビートはブレイクビーツ生まれのブレイクコアを経由した(アーメンビートも飛び出してくる)ぶっといものでヒップホップにしては圧倒的に手数も多い。そこにノイズ成分多めの上物が乗っかる。ぶった切ったピアノのサンプリングを用いるのは前作からの流れだがおしゃれさは皆無でむしろ不穏。メタリックなギターが入ることでミクスチャー感も増しているが、ロックかというとちょっと難しい。実はヒップホップでもロックでもなくてインダストリアルなダンスサウンドというのが裸絵札の音を形容する上ではしっくりくる気がする。前作でも薄々感じていたがトラックが間違いなくかっこいい。完全にアングラ思考の音だが、暗闇でギラギラ光る蛍光色のような陽性の響があって、ヒップホップとロックを飲み込みつつも非常に”踊れる”音に仕上がっている。手数が強調されたビートは原始的な響きで持って気分を盛り上げてくるし、これもヒップホップの伝統では珍しいメロディアスさが程よい塩梅(インストトラックだとここが前面に押し出されてかっこいい)でまぶされている。ミニマルというよりは縦横無尽に展開するのも個人的には非常に良い。
そこにラップが乗っかるわけだが、このラップも伝統を意に介さない型破りのものでヤンキー的なオラついた感じに下品なリリックを乗せるえげつのないものでうるさいトラックに全く引けを取らない。生々しいセックスネタをややニヒルに吐き出していくのだが、あまりに具体的なので得体のしてないどっぷり感がある。(前作「孕」もそうだったが割と赤裸々な性がテーマのグループなのかもしれない。)リリックはセックスまみれだがトラックは無慈悲なマシーンって感じなので聴きやすいのも非常に良いと思う。トラックまでエロくされたら正直ちょっときついかもしれない。

ギラギラ派手で下品というと「The大阪」(大阪の人は皆下品ってわけじゃなくて上品ぶらない、くらいの意味でお願いします。)という感じでかっこいい。Vampilliaも大阪だが、きっちりしている印象の東京と違ってとにかくあふれるエネルギーを型破りなやり方でぶちまける、みたいなのがあって非常にワクワクする。
個人的にはトラックのかっこよさがもろに出るインスト曲も多めで大満足な内容。

2016年12月18日日曜日

Jeff Rosenstock/Worry.

アメリカはニューヨーク州ロングアイランドのインディーロックミュージシャンの5thアルバム。
2016年にSideOneDummy Recordsからリリースされた。
Jeff RosenstockはもともとスカパンクバンドThe Arrogant Sons of Bitchesを始めいくつかのバンドで活動するミュージシャンだったが2012年ごろからソロでも活動を始めている。多作な人でソロになってからはなんと毎年1枚のペースでリリースしている。
私はもちろんこの人のことは全く知らなかったのだが、ぺちゃさんが下半期ベストの1位に上げていて私は人の年間ベストを見るのが好きなのでウヒョーとばかりに飛びついたのがこのアルバム。(ぺちゃさんのベストからこのアルバム以外にもいくつか買って聴いている。ありがとうございます。)

ジャンルとしてはパンキッシュなインディーロックで良いのだろうか。だがとにかく勢いがあり(17曲で37分だから平均すると1曲2分ほど)、曲にもバリエーションがある。これだけだとまあ多彩な人なのかなというくらいなのだろうが、どの曲もポップでキャッチーというぶっとい軸で貫かれているためにこれが本当に気持ちの良いロックアルバムになっている。
スカパンクバンドという出自を生かして、ホーンを取り入れたり、ハードコアだったり、メロコアだったり、またアコギを取り入れたフォーク/カントリーだったりと、多様かつどれもしっかりものにしている。共通しているのはベースの強さであり、どの曲でもベースがうねりのある非常に腰の強いプレイを披露しており、勢いがありつつも安定したドラムとともにしっかり曲の背骨となっている。インディーロックというとどうしても文系めいた小難しさやアート性が含まれる(これが大きい魅力の一つになっている)ことも多々あるんだけど、Jeff Rosenstockに関しては「細けえことはいいんだよ!」というべらんめえ口調の江戸っ子顔負けの聴いたら踊りたくなるような本能に訴えかける動物的なロック、つまり一流のロックを演奏している。何と言っても声が良くてハリのある中音で温かみがある。たまたま友達に誘われていった飲み会で全然知らないやつだったけど、酔っぱらうと気が合う。どうも吹いているような気もするけどなんか妙に説得力と愛嬌があって胡散臭くも憎めない友達の友達、みたいな感じ。非常にあっけらかんとしていて外向的、ちょっと戸惑ってしまうんだけど声に感情がこもっているから嘘くさくない。非常にのびのび歌って気持ち良い。本人も別に顔がかっこいいわけでもスタイルがいいわけでもない、30代の男って感じでそこもまた良いのかもしれない。
何と言っても一番の魅力はバリエーションのある楽曲全部に普遍的にあるポップセンス。非常にメロディアスでめまぐるしい37分が過ぎた後、どの曲だかわからないけどなんか口ずさんでいる、そんな感じ。生活感があるというか多分楽しかったり、悲しかったり、普通の生活が想像できる、そんな雰囲気がある。つまり楽しい中にもちょっと哀愁のあるメロディがあってそれが楽しい気持ちの後にジンワリ胸に広がってくる。たまらん。決して大言壮語や自分と縁のない世界の物語ではないんだよな、と感じてしまう。

微妙に偏った音楽ばかり紹介しているブログだけど久しぶりに誰にでもお勧めできる素晴らしいアルバム。音楽好きだって人は是非どうぞ。またメロコア世代、パンクを通った人なら結構このメロディセンスはバッチリ刺さるのではなかろうか。非常にお勧め。是非どうぞ。

2016年12月17日土曜日

マイケル・バー=ゾウハー/復讐者たち

イスラエルの作家によるノンフィクション。
作者のマイケル・バー=ゾウハーは政府の報道官だったり、兵士だったりと多彩な経歴を持つ人で、作家としてはスパイ小説も書くがノンフィクション作家としても活躍している。この本はそんな中の一冊。1967年に書かれた本で、日本では1989年に発売されている。絶版になっていたがハヤカワ文庫の補完計画の一冊として去年復刊した。この補完計画も気づけば何冊か読んでますね。

原題は「The Avengers」、「復讐者たち」はストレートな訳。何に対する復讐かというと、ナチスに迫害を受けたユダヤ人たちの、である。「復讐とは甘美な感情である」というのは沙村広明さんの「おひっこし」だったか、軽い気持ちで読んだらこれがなかなか感想を書くのが難しい本だった。
元々私はナチスのユダヤ人絶滅計画に関してはほとんど無知であって、一番有名な「夜と霧」も読んだことがない。ただ例外的にプリーモ・レヴィの「これが人間か」を読んでヤバいくらいのショックを受けたことがある。これは強制収容所に入れられた作者の実体験をもとにした壮絶なノンフィクションで、入ったら最後99%死ぬという絶滅収容所の実態とそこでの収監者たちの暮らしが書かれている。
この本は戦後直前から戦後今に至るまでの、いわば絶滅収容所の後にナチスに報復すべく立ち上がった人々についてを描いている。いわばやられる一方だったユダヤ人たちが弱腰の連合側の手緩い対応に業を煮やし、時には非合法な手段をもとり攻勢に出た姿を描いている。そういった意味でも「これが人間か」に比べると動きのあって、なんならスカッとする内容に違いないくらいの野次馬根性で手を出したわけだがこれがなんとも裏切られることになった。
以下に書くのは(あたりまえだが)私の個人的な感想であることを改めて断っておく。
一つは何と言ってもナチスの残虐さ、その酸鼻を極める所業にはまずもって気分が悪くなる。当然殺されそうになった、または家族を殺された、友人を恋人を殺されたユダヤ人たちは復讐に燃え、実際に雪辱を晴らすわけなんだけどこれがすっとすることがほとんどなかった。前述の通り満足な国際的な支援が受けられなかったから私的な制裁を加えていくのだけど、これは私には気持ちの良いものではなかった。
一体日本人というのは昔から復讐が大好きで、武士の時代には仇討ちが合法どころか立派な行為でもあった。私も復讐は好きだが個人的にはっきり私的な制裁には反対である。理由としては人はおおよそ間違うものだからだ。ただし法的機関が常に個人に対して万能であるから時にやむ得ない場合というのもあるのかもしれない。そういった時は誰かが復讐するのは止める気はないが、復讐を果たした後その人ははっきりと社会的な制裁を受けるべきだ。そもそも社会的な制裁が期待できないから私刑に走るわけで、そんな事情もわかるのだけど、みんながみんな私的な制裁に走ったら社会はどうなる?私は個人を説得するために社会を持ち出す卑怯な大人になってしまった。しかしやはりここは譲れないところでもある。人間は間違うし、碌でもない奴はいるものだ。そんなやつら(もいるのに)に私的な制裁を与えることを許してしまうことはできないと思う。
もちろん私は三食昼寝付きで安穏と暮らしている。自分が殺されかけたこともなければ、親しい人たちを理不尽に奪われたこともない。人種的に絶滅の危機に瀕したユダヤの方々の気持ちは根本的に理解できていないからこういうことが言えるのだと思う。私も同じ立場にあったら復讐しないにしても復讐しようという同胞がいたら応援するに決まっている。ただ私は部外者で、やはりそういった行為を読んでみても素直に応援する、という気持ちにはなれなかったのだ。
また作者の書き方もこれはどうしても仕方ないのだけど、復讐者たちは普通の人間であることが強調されていて、それどころか優しく穏やかで復讐したことで殺人を犯した過去を悔やんでいる(ただ後悔はしていない)と一様に表現されている。いわば皆完璧な人間で全ての復讐はクリーンかつ正当なものだった、正義だった、と書かれているわけであって、これにはうーむ、と感じてしまう。完璧に優しい人間がイギリス軍人に化けて、ナチスの高官の家を強襲、拉致した上で罪状を読み上げて殺すのだ。何かがおかしい。無論このおかしさが、ナチスによって歪められたユダヤの方々の苦しみの歴史の証左に他ならないわけだけだ。今更話し合いで解決できるわけはもちろんないだろうが、全ての復讐はクリーンだったのだろうか。それはクリーンで素晴らしかったと日本人の私がいっていいものだろうか?
私はナチスの戦犯を許せといっているのではない。彼らに対しては罰がふさわしい。それは極刑かもしれない。「これが人間か」にはユダヤ人たちが出てきた。絶滅収容所で生き残ろうと足掻く人間たちだ。彼らは善人だったのだろうが、収容所という環境がそれを許さなかった。生き残るというのはたくましくなければいけなかった。時には囚人同士で騙し合うこともあった。それがその地獄のような環境が戦争という忌むべき異常状態を端的に表現できていた。「復讐たち」ではそんな収容所に入れられた人の恨みを入れられなかった人が晴らすわけだけど、復讐者たちのやったことが全部正義だったのだろうか。

なんともモヤモヤした気分を抱えてしまう本だった。つまらないというのではもちろんなかったのだが、なんともすっきりしたとは言い難い。それが戦争の辛さなのかもしれないが、それなら「これが人間か」の方が痛烈にそれを感じることができた。
難しい本だと思うし、いろんな人に読んでもらって感想を聞きたいと思っている。

ロード・ダンセイニ/二壜の調味料

イギリスアイルランドの作家による短編集。
作者ロード・ダンセイニは本名エドワード・ジョン・モアトン・ドラックス・プランケットといい、アイルランドはダブリン州にあるダンセイニ城に居を構える正真正銘の貴族である。軍人、チェスの名手でもあったが、中でもその創作群で有名。異界の神々の生態(?)を描いた「ペガーナの神々」を初めとするファンタジー作品は後世に大きく影響を与え、中でもしょっちゅう引き合いに出されるのが現代も生き続け多くの作品に影響を与えながら拡張し続ける架空の神話体系「クトゥルフ神話」の礎を築き上げた不遇の作家ハワード・フィリップス・ラブクラフトだろう。コズミック・ホラーで有名なラブクラフトだがダンセイニに色濃く影響を受けたアンビエントなファンタジー短編もいくつか書いている。(そしてどれも絶妙に素晴らしい!)またテレビにもよく出てくる書籍蒐集家で作家でもある荒俣宏さんもダンセイニに影響を受けてペンネームをもじった団精二(だんせいじ)としたくらい。
私も何年か前にファンタジー作品は貪る様にして読んだのだが、ミステリー作品に関してはほぼスルーしていたので、この度ハヤカワ文庫からまとめられた本が出るということで飛びついたわけだ。

400ページ超に26の短編が収められている。どれも短め。
ミステリーだから「誰が如何に(犯罪を犯したか)」がテーマというか、物語の基本的な構造になってくるわけだ。この本の短編集ももちろんそんなルールに従って書かれているが、ガチガチの硬派のミステリー、つまり緻密なトリックを使って難解なパズルの様に組み立てられたそれらとは一線を画する内容で、表題作を読んだ江戸川乱歩は「奇妙な味」と評した様に緻密というメインストリームからは少し外れた独特なミステリーが展開されている。具体的には短い短編の中では多くの場合犯人が読者に明らかにされているので、「如何に」の部分にフォーカスされているわけで、さらにこれも緻密に計算されたトリックというよりは人間の思考の盲点を突く様な、または思考の裏を書く様な奇抜なアイディアであることが多い。作者の出した謎に読者が挑戦するというよりは作者の奇想に読者は幻惑される様な趣があって、そういった意味では一般的なミステリーに比べると自由で柔らかい。流石に幻想味はないものの暖かかくも時に残酷な(この唐突感がなんとも味わい深い)欠点のある人間たちが登場する。そちら方面が色濃くあわられているのがシャーロック・ホームズの影響を受けたというリンリーのシリーズ。ひたすら有能、冷静で知的なリンリーと、知力は劣るものの愛嬌と優しさ、そしてガッツのある小男スメザーズの組み合わせが軽妙。特にリンリーと警部アルトンの真面目な会話にずれた茶々を挟むスメザーズが良い。温かみに微笑んでいると思わぬカウンターパンチを食らわせるかの様な痛烈なオチが小気味良い。

正直なところダンセイニを読むなら間違いなく一連のファンタジー作品群をお勧めするのだが、普段それらに慣れ親しまない人ならこちらの本からてをつけてみるのはよいかもしれない。またすでにダンセイニ作品のファンなら、全く異なる趣のあるこの作品を読むことはまた楽しみになるだろうと思う。

バリントン・J・ベイリー/ゴッド・ガン

イギリスのSF作家による短編集。
日本でも何冊か翻訳されている作家だが私は読んだことがなかった。「ゴッド・ガン」というタイトルに惹かれて購入した。ハヤカワ文庫。
1937年生まれで時期的にも距離的にも「ニュー・ウェーブ」の波の影響を受けたが、結構独自の道を進み続けた特異な人だった様だ。決してメインストリームで活躍したわけではなかったみたいだが、サイバーパンクの立役者の一人ブルース・スターリングはベイリーを師匠と仰いでいたとのこと。

全部の10個の短編が収められていて時代設定は遥か未来のことが多い。当然現代の科学から隔たりのあるガジェットもたくさん出てくる。SFでは特異な設定をそのまま当然のものとして扱うことがあるけど、ベイリーの場合はこれらに対して科学的な(というよりはSF的)な設定をきちんと書いている。もちろん実際ではないのだが一応こういう仕組みで動いているんですよ、と書いてある。私は科学的な頭を持っていないので一体どこまで真実味を含んでいるのかはわからないが、難しい単語が並べてあってそれらしい。ガジェットと合わせてSF好きの琴線を揺さぶる。ただ反面やや難解になりとっつきにくい分読者に対するハードルが高くなることもあるだろう。
あとがきには「ワン・アイディア」の人と評されていて、短編の多くには中心に大きな謎があって、それを日常に属する(設定が未来だったりするから読者のそれとは違う)登場人物がその謎に挑み、そしてそれを解き明かした時に登場人物と読者をあっと言わせる、という一つの形式をとることが多い。こうなると謎とオチのみで構成されたショートショート風の作品を想像してしまいがちだが、(実際この短編集に収録されている物語はどれもそこまで長くない)前述のガジェットも含めて設定とそれの説明に枚数を使うのできちんとドラマが展開されていて読み応えがある。
奇想とも評されるそのアイディアは枠にとらわれず宇宙に広がって行く一方、性差と男性が持つ男性優位性、そこに起因するホモフォビアを軽妙に描いた「ロモー博士の島」などひどく身近なものまで、本当に「なんでかね〜」という疑問に立脚した様々な物語が極彩色に展開される。中でも白眉の出来が「ブレイン・レース」だろう。地球から遥か離れた星で瀕死の重症(文字通り体がバラバラになった)密猟者が、医学に長けた、しかし接触を法的に厳しく禁じられている異星人に助けを求めることから始まる悪夢を描いた作品。内臓が露出した生物、それどころか自走する内臓たち、血と肉に彩られた真っ赤なグロテスクが緻密な描写によってページを通して読者の眼前に展開する。私は血が苦手(だけど同時にフィクション限定で惹かれる)ので通勤途中のバスの中で足が萎える様な感じに襲われてしまってこれが大変楽しかった!

禁忌を物ともせずに想像と表現の限界を軽く超えてくるその作風はなるほど確かにマニアックだが、特定の人にはそれが大変な魅力になるだろう。間違えないで欲しいのは決して倒錯的な作家ではないことだ。ただその想像力に縛りがない(もしくは常人に比べるとゆるい)だけなのだ。書かれている物語は非常にSF的で、硬質かつソリッドである。ある意味無慈悲にグロテスクを書いているわけでそれがまた魅力の一つになっている。
一風変わった物語が好きな人は是非どうぞ。私は非常に楽しめた。

2016年12月11日日曜日

夢野久作/死後の恋-夢野久作傑作選-

日本の作家による短編集。
日本にも三大奇書(元ネタは中国)というものがあって小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」、中井英夫の「虚無への供物」、そして夢野久作の「ドグラ・マグラ」だ。中でも一番著名なのが「ドグラ・マグラ」ではなかろうか。読んだら気が狂うという触れ込みで1935年に発表されて以来、未だに出版され続け人々に読まれている。サブカルチャーに多大な影響を与えて今でも呉一郎やモヨ子というワードを見たりする。ミーハーを地で行く私もそんな訳で「ドグラ・マグラ」を手にとってのは大学生の頃。内容を理解できたのかは怪しいところだが大層面白く読んで、よし自分が何か仮の名前を名乗るならこの本の登場人物からとった正木にし様などと思ったものだ。(幸か不幸か10年以上経ってもそんな機会はなかったが。)その後当時読めた短編集をいくつか読んだ。
2016年は夢野久作没後80年ということで今はことごとく廃刊になっている全集の代わりに!という志で出版されたのがこの本で売上次第では第2弾以降も、ということだそうだ。印象的な表紙の絵はバンドたまの「電車かもしれない」のアンオフィシャル(?)MVで有名な近藤聡乃さんの手によるもの。

独特なカタカナづかいがとにかく印象的な文で語れられるのは凄惨な、いわゆるエロ・グロ・ナンセンスというやつなのだろうか(私はこの文脈で語れる芸術に触れるといつもナンセンスではないなと思うのだが)。冒頭を飾る「死後の恋」、のっけから狂人の語り口でとんでもない与太話(かどうかの判断はあなた次第)が披露される。その酷いこと。凄惨な殺生の描写がいかにもグロテスクかつ耽美的だ。続く9本の物語も多かれ少なかれそんな色彩に彩られている。ところがやはり昨今の猟奇趣味とは明らかに一線を画す。例えばエルロイのマッチョかつ常軌を逸した男たちの狂気、とは少し趣を異にする。というのも「瓶詰地獄」に代表される様な禁忌、「支那米の袋」に描写される恋の熱情、なるほど夢野久作の描く物語は死体によって彩られているのかもしれないが、じゃあその死体が一体どの様な力学で生産されるか、というそここそが面白い。一言で言えば狂気であろうし、もっというなら狂気に至るまでの道であり、登場人物は実は概ね真面目なのだが、外的要因によって多大なストレスを受ける。そしてその逃避として、またはPTSD的に歪められた精神によって狂気に陥るのであって、凄惨であり猟奇であってもナチュラルボーンのサイコパスの生み出すそれではないのである。そういった意味ではどの物語にも一抹の、それ以上の悲しみとツラさがあり、それがえもいわれぬ味を生み出している様に思う。夢野久作は作家以外にも色々な顔を持つ人だった様だが、その中でもなんとお坊さんだったというから驚きだが、仏教にある因果応報と無常観という概念がよくよくよんでみるとその作品に滲み出ている様にも感じる。「木魂」の主人公の描写を読んでほしい。あれは自縛であって、神経症、うつ病というのは簡単だが、一体最愛の妻と子供を相次いで失った彼が最後の瞬間に何を考えていたか、あるいは何を考えなくてもよくなったのか。誰がどうやったのか、という探偵小説の枠からどう考えても逸脱している作家だと思う。

あなたが狂気が何かと思うなら手にとってみると良いかもしれない。耽美的なそれに続く道はしかし苦痛に満ちたそれだった。禁忌の果実は甘く、そして苦いのだ。

Oathbreaker/Rheia

ベルギーはオースト=フランデレン州ヘントのハードコアバンドの3rdアルバム。
2016年にDeathwish INC.からリリースされた。
2008年に結成されたバンドでボーカルに女性を擁している。今までに2枚のアルバムをリリース済み。
今年の夏にこのアルバム収録曲のMVが公開されるや否や日本のTwitterでも話題になった彼ら。私は慌てて彼らの2ndアルバムを買うくらいのにわかファンで「前から知ってましたけど?」という顔でこのアルバムを買いました。

女性ボーカルのハードコアバンドというとドイツのSvffer、この間来日してたアメリカのDespise You(男女ツイン)、デンマークのGorilla Angrebなんかが思い浮かぶけどこのバンドはそれらのどれとも異なる。あまりに激しくて性を超越しつつある前者ふたつとも、激しいパンクスプリットの中に歌心を混ぜて来るGorilla Angrebともやはり違う。
あえて批判を恐れずにいうとこのOathbreakerはもっと女性であることの強みを活かしたバンドだと思う。ここでいう女性というのは何かというと不安定さに他ならない。Oathbreakerはちょっとどうかしているハードコアバンドだ。世にどうかしているハードコアバンドというのは多いが、なかなかこのバンドに似ているのはない。ほとんどが男性ボーカルというのもある。男性だって不安定になるし、悩みまくったりする。しかしその感情自体、またはその感情を表現としてアウトプットするときに意識的/無意識的に男らしさという強さのバイアスがかかることが多いと思う。女性だってもちろん女性なりのバイアスがかかるのだろうけど、やはり成果物としては女性特有のものになる。OathbreakerのボーカルCaro Tangheは男顔負けに叫びまくるが、クリーンで歌いもする。ウィスパーボイスも使う。不安定に揺れる彼女の声は、正気と狂気のあわいにいる”危うさ”がある。いわば中間色であって、両極端の間で揺れ続けるその不安定さ、そこが魅力だ。ここが女性であることの強み、だと思う。
演奏の方も彼女の声と個性を後押しする様に動く。音で言えば強烈なのはもちろんだが、ボーカルの声を押しつぶすくらいに漆黒に染めらえていない。コード感のあるギターが導く曲は適度な軽さと隙間があるし、速度も劇速ではない。静から動への移行が非常にスムーズなのも特筆すべきで、これは直線上にあってぶれ続ける(女性の)感情を表現している(と思うのだ)。唐突に起こり出す男性とは違う。少しづつおかしくなっていく。そしてまた優しく戻っていく。連続し途切れない波がある。だからちょっと催眠的でもある。激しさをあえて落とすことで”違和感”を作り出している。そう行った意味ではこの上なく不穏な音ではなかろうか。

最高だなと思う。ちょっとどうかしているハードコアで頭幾つか抜きん出ているのでは。話題を読んだリードトラックである1曲め、2曲め、5曲め以外にも良い曲があって今これを聞かないで何を聴くんだ!というくらいおすすめです。

Downfall of Gaia/Atrophy

ドイツはハンブルグ、ベルリンのネオクラストバンドの4thアルバム。
2016年にMetal Blade Recordsよりリリースされた。
Downfall of Gaiaは2006年に結成され(2008年とされることもあるが、3laのインタビューでメンバーが発言。当初はバンド名が違った様だが。)たバンドで今まで3枚のアルバムをリリース。昨年来日経験も果たした。前回のアルバム「Aeon Unveils the Thrones of Decay」からドラムとギターのメンバーが入れ替わっている模様。
タイトルの「Atrophy」は「萎縮」という意味とのこと。
クラストを基調としならがブラックメタル、アトモスフェリック・スラッジ、ポストメタルなどさまざまな異種音楽をミックスした独特の音楽を鳴らしており、ネオクラストと紹介されることもある。

メンバーチェンジの影響からか、前作とは結構印象が違う出来になった。
ブラッケンド、つまりブラックメタルに影響されたクラスト・ハードコアという大きな音楽性自体はブレないものの、曲作りに関しては若干の変更が見られる。
10分にやや満たないくらいの長い尺は相変わらずだが、中身はひたすら大作志向だった前作に比べるとややシンプルになっている。静のパートと動のパートという基本はもちろん、曲の速さやリフなど1曲の中に色々ぎゅっと詰め込んでいたのが前作だとすると、今作はミニマルとまではいかないもの明確なテーマがあってそれを長い尺の中で繰り返すことで盛り上げていく様に作風がいくらか変わっている。
どちらがというのは個人の好みだろうが、私は今作の方が好きだ。やや難解だった前作は聴き処が明確に際立ちすぎていたが、さすがに聴き処以外は魅力なしというわけではないが、今作はあえて削ぎ落としてきていることで全編聴き処にすることができていると思う。つまりこのバンドの持ち味である、激しくも感情的に突っ走るトレモロリフが全編にわたって楽しめるからだ。端的に言えば魅力を10分弱聴かせることができているということじゃないだろうか。繰り返すがこの評価はこのバンドに何を求めるかでかわってくると思う。表層的にはかなりブラックメタルの要素が強いが、外に開いていく様な開放感(閉塞感だけにとらわれない)、そして明るいとまでは言えないものの光に向かう様な必死かつ温かみのあるリフに込められたメロディー(3曲め「Ephemerol」の美しさ!)を考えると(そしてまたインタビューでもパンクが出自という通り)その中身はブラックメタルとは違う何かを感じ取れる。
喚き声のボーカルに一切キャッチーさがない反面、疾走するトレモロリフがメロディアスを担う。「言葉にすると嘘になる」割とよく聞くフレーズだが、確かに言語化するとわかりやすくなる反面、意味が固定されてしまう。渦巻く感情をテーマにする場合は言語に頼らない、つまりそれ以外(別に音楽でなくても絵画とかでも)で表現するのは非常に理にかなっていると思う。ただ激しいだけでない、激情/ネオクラストと表現されるゆえの、悩みや不安、そして言葉にならない事事が反映されたDownfall of Gaiaの音楽がこの様な携帯を取るのは必然かもしれない。(そうなるとジャンルが先に来るのか、後に来るのかって問題があってこれをどう考えるかは非常に面白いと思う。)

長所をぎゅっと濃縮してきた新作。私はこの変化を非常に楽しめた。前作がやや難解だったという人も今作は楽しめるんではなかろうか。非常にオススメ。

REDSHEER x NoLA Split 7inch ~Gray Matter~ Release GiG@東高円寺二万電圧

年の暮れも迫った12月の日曜日、昼間の12時から高円寺でTILL YOUR DEATH RECORDSのコンピレーション第三弾で収録されているREDSHEERとNoLAがスプリット音源をリリース。そのタイミングでライブをするというので足を運んだ。日曜日は出不精になりがちだけど昼間からというのは嬉しい。
鈍りがちな体も動かしたいし、高円寺なら大丈夫かな?と思って自転車で新宿経由で行ったら道に迷ってまさかの遅刻。(ちなみに自転車楽しかったけど超疲れた。)既に一番手REDSHEERが演奏中。一生の不覚。フロアはかなり埋まっている感じ。
二万電圧は初めていったのだが、革ジャンに身を包んだスタッフが外に立っているからわかりやすいし、ソフトドリンクでグレープフルーツジュースがあるのが個人的にはよかった。

REDSHEER
入ると前述のコンピに収録されていた「DistortionsControtions」のちょい手前。
ベースボーカルのオノザトさんは既に汗だくで鬼の形相である。
最新音源を聴いても思ったが(というかそういう趣旨で集められたコンピなので)、REDSHEERはその歪んだ音像に圧倒されるが、激情/カオティックに親和性がある。ただ美麗なポスト感や贅沢な音使いが絶望的に皆無で、3人編成で余計なものを極力削ぎ落としまくっているし、出来上がった音が(日本の)激情系特有のユースっぽさを微塵も感じさせないので、それらと比べると結構違和感があるのだと思う。しかし、マイクを食べる様な勢いで喚きまくり、そしてときに歌う様なボーカルだったり、豊かな表情を持つ複雑な曲展開だったりは確かに激情の影響が色濃い。今日改めてなまで見て思ったのは、REDSHEERは非常にエモーショナルなバンドだ。イカツイ見た目(と音)に惑わされがちだが、ギターに注目してみるとこの上なく感情に溢れている。低音一辺倒ではなく良い感じに粒々した音がぎっしり詰まっている様な音が個人的にはとても好きだし、そんな音で披露されるブラックメタル顔負けに弾きまくるトレモロリフ、鋼鉄の塊の様に叩きつける低音はひたすらかっこい良い。何と言っても細かい音で作られるアルペジオが魅力的でクリーンかつクリアでゆったり、ディストーションがかかった速度の速いものだったり同じアルペジオでも出される色が全く違う。どれもが非常に感情に満ちている。REDSHEERはボーカルがないパートも結構な比重を占めるけど、むしろそんなパートに言葉にできない感情が溢れている様に思う。リズムをキープしつつ音の数が多いドラムはSadness Will PrevailらへんのToday is the Dayのそれにちょっと似ているなと思った。
全体的にギュルギュルと内巻きの螺旋で落ちていく様な、そんな悲壮感、絶望感がある。しかし退廃的というよりは首だけになっても噛み付いていく狂犬の様な、そんな強烈なエネルギーに満ちている。これが高揚感と、そしてさらに胸の奥深くに突き刺さってくる。とにかく無駄がない分全編異常な緊張感に包まれていてヒリヒリしたという形容詞がぴったりだ。こういうタイプのバンドと音でライブを見てこんな感情が湧いてくるというのが個人的には驚きで、そして非常な楽しみである。やっぱり最高だ。どんな言葉より励ましになる。

NoLA
続いてはNoLA。前述のコンピで聞いたのみなのでほとんど前情報がない。
5人組のバンドでボーカルは専任。メンバーは皆背が高く細い。スタイルが良いのでよくステージで映えていた。
曲が始まるとREDSHEERとは全然違う!!すごいびっくりした。もっと素直にエモバイオレンスな激情かな?と思っていたのだが、音自体はかなりサザンロックというか泥臭いビンテージなロックの影響のある、ともするとElectric Wizardを豊富とさせるためのあるリフが飛び出してくる音を演奏していた。ただこれを凶暴にアンプによってブーストさせていてもはやドゥーム感はほぼない。スピードも速いし、テンションも高めで外に外に開いていく感じ。バネが仕込まれている様に跳ねる大音量のバスドラムが生み出すビートに身を任せていくと異常な高揚感に浸れる。専任ボーカルは楽器がない分ステージ上のアクションで魅せる。長い手足を活かして動き回る、白目をむいてヘドバンする、客席に倒れこむ、お客さんの帽子を被る、などなど。次は何をするんだというワクワク感は激しい音を鳴らすバンドを象徴する魅力的なキャラクターだと思った。REDSHEERにあった閉塞感・緊張感などの陰性の雰囲気はあまり感じられず、とにかく粗野で凶暴だ。本能に訴えかけるボディミュージックで良いも悪いもあるかという感じ。例えば草食動物を捕食するライオンを見て良いとか悪いとかいうのは変でしょう。ただ暴力的で恐ろしいがなんとなく野生を捨てた人間には魅力的に見えてしまう。NoLAはそういったバンドの様に感じた。とにかく凶暴、獣。非常に楽しかった。

REDSHEERとNoLAは同じカテゴリでも正反対と言っていいほど個性の異なるバンドだと思った。ハードコア、非常に懐の深い音楽。スプリット音源とNoLAの音源2枚を購入して外に出ると冷たい12月の外気が暑くなった体が良い感じに気持ちよかった。日差しも気持ちよくてお昼のライブは良いものだな〜と思った。(感想もその日中に書ける!)
主催者・出演者の皆様ありがとうございました。

2016年12月4日日曜日

Mantra/鼻とゆめ

日本は福岡のロックバンドの3rdアルバム。
2016年にPops Academy Recordsからリリースされた。
「何だかよく分からないけれど、とにかくすごい。」がコンセプトのバンドだそうで2007年から活動している。メンバーは3人だが、ライブ時などはそこに各種メンバーを迎える形で活動している模様。その活動は楽曲制作にとどまらずバンドのMV、絵画(オフィシャルでいくつか見ることができる)などの芸術領域で活動しているとのこと。天狗に思い入れがあるらしく、メンバーが天狗ということなのだろうか。
私は何をきっかけで知ったのか忘れたが、とにかくこのバンドの「鼻男」という曲が気に入っていたので、その曲が収録されているというこのアルバムを買った次第。

コラージュがなんともヒドイ特徴的なジャケットで私が買ったCDにはなんと特典として退職届がついている。帯にはこう書いてある「全ビジネスパーソン必聴!!〜御社の利益に貢献する珠玉の15曲〜」なんとも嫌な煽りである。通常ビジネスから逃げる手段としての音楽ではないのだろうか。凝ったやたらと厚みのあるインナーを開くと「休みなんていならない 人生の全てはビジネスにコミットしてしている」とかどこかで聞いたことのある様な嫌なワードが散りばめれている。
どうもとある疲れた「ビジネスパーソン」の心の様、その移り用を時系列におったコンセプチュアルなアルバムらしく、ある楽曲に出てくるワードが以降の曲にも引き継がれていたりと全体が一つの流れになっている。楽曲自体はかなり縦横無尽で、ロックにしてもその感覚は広く開かれており、ドゥーワップ(違うかも)だったり、重さのあるハードロックだったり、いかにもなポップスだったりとその守備範囲はとんでもなく広い。まるで表情豊かな劇を見ているかの様なバラエティ感と、それを突き通すコンセプトが作る統一感を楽しめる。
全体的に”いかがわしさ”が多分に含まれた楽曲であって、それが毒となり、ユーモアとなりのフックとなり、形態的にはやたらとレトロなアレンジだったり、逆にめちゃくちゃキャッチーでJ-popを感じさせるメロディラインやギターソロに現れている。やけに朗々とした良い声のボーカルや、バンドアンサンブルに加えてパーカッションやピアノ・シンセサイザーを取り入れた表情豊かな技術でもってその”いかがわしさ”を贅沢に表現している。
ビジネスパーソンという概念を用いることで人を過労死させる現代社会をネタにしつつ、次第に疲弊していき心を壊されていくその過程を物語的に見せていくことで、その過酷さを強烈に皮肉、批判しているレベル・ミュージックだ(と思う)。特にその”病み”を表現するのがボーカルでこの人が老婆の声から、切羽詰まったビジネスパーソンの声、完全に正気をうしなった鼻男の声と、完全にどうかしている感を一手に担う。現実から目を背けさせずに、あえて”ユーモア”という糖衣に包みつつリスナーにビジネスパーソン界隈の非情さに直面させるその姿勢は真面目かつ、なかなかラディカルであると思う。ラスト「終幕」の穏やかさは一体何を表現しているのか。その安らぎが何によって得られたのか、と考えると怖くなってしまう。
「営業日誌」なんかを会社で聴いているとなんとも背徳的な気分になって面白いし、実際「老婆の店」なんかを聞くと笑いが漏れて同僚に変な顔をされること請け合いである。
個人的にはルーツであるRammstein(コピーバンドだったらしい)を感じさせる「鼻男」の様なヘヴィさを備えた楽曲がもう何曲か聞きたいところ。

という訳で終わりのない日常に忙殺されているビジネスパーソンはまさに必聴。「コミット」に代表される横文字に殺意と吐き気を催す社畜の皆様はこのアルバムを聴いてサディステックな(あるいはマゾヒスティックな)笑みを浮かべて見るのはいかがでしょうか。私は非常に楽しんで聴いている。おすすめ。

Anaal Nathrakh/The Whole of the Law

イギリスはバーミンガムのエクストリームメタルバンドの9枚目のアルバム。
2016年にMetal Blade Recordsからリリースされた。
ブラックメタルにグラインドコアの激しさをミックスした激しい音楽性でファンを獲得。今年の夏には待望の初来日も果たしたAnaal Nathrakhの前作から2年ぶりの新作アルバム。セルフプロデュース作品。
私は2003年のEPを当時買ったきりだったが、ふと思い立って前作「Desideratum」を買ったらこれが非常にかっこよくて愛聴。新作ということで一にも二にもなく買った次第。ちなみに今年の夏のライブは行きませんでした。

メタル、ハードコアでも男がやる激しい音楽というのは一個の指向性として”強そう”というのがあると思うのだ。ひたすら重くなり、音の数は多くなり、速度は速くなる、声も叫びを通り越した獰猛さを備えることになる。一聴した限りAnaal Nathrakhはその方向性を突き詰めた音楽を演奏している様である。ひたすら連打されるバスドラム、重たさと速さを兼ね備えて突っ走るトレモロ、咆哮するボーカル、それらに加えてノイジーなインダストリアル要素、大仰で広がりのあるクラシカルアレンジ。ブラックメタルという範疇に限らず進化するメタルの一つの到達点、少なくとも今後進化し続けるジャンルの一つの里程標ということができるのではなかろうか。
Anaal Nathrakhはマニアックなバンドだが、アルバムは(たぶん)売れている方だし完全に知る人ぞ知るバンドではない。音質は非常にクリアだし、例えばゴアグラインドやノイズブラックメタルの様な先鋭化するあまり完全に玄人好みのバンドになっているわけではない。一つは強さを指向するバンドが例えば軟弱さの一つとして切り捨てているメロディラインを曲の中で効果的に使用している。朗々とした(Anaal Nathrakhは何と言ってもボーカルが大変魅力的だ。叫ぶにしても歌うにしても抜群の声量が圧倒的に説得力を増してている。)クリーンボーカルが歌を取るそのメロディラインは、一般的な楽曲でいうところの「サビ」の様に捉えることができる。曲の苛烈さと、歌いやすいキャッチーなメロディ。やはりこの組み合わせは人を惹きつける。クリーンボーカルだけでなく、ブラックメタル然としたイーヴィルなシャウトに緩急のあるメロディーも入れてくる。ここら辺はもともと寒々しく人を寄せ付けないながらもそのコールドさの背後に隠したメロディセンスが重要なファクターになっているブラックメタルという背景を強烈に感じさせる。
前作に比べて明らかに劇化しており、気持ちの悪いうねりのあるファルセットボイスを大胆に取り入れたり、マニアックかつ濃厚な曲でありつつもアレンジを閉鎖的でなく外に外に広がっていく様に大仰にしたりとなんとなく劇場感すらある。
個人的には2曲目の「Depravity Favours the Bold」の後半のクリーンパート、特に2分15秒あたりからの、大きく広がるあのクライマックス感。真っ黒い暗黒舞踏で急に強烈にスポットライトを当てられたかの様な、声の堂々とした主役感、これだけで完全にやられてしまった。圧倒的な強さ。

ぶれない強さを発信し続ける最新作。過去作が好きな人は迷わずどうぞ。とにかくむしゃくしゃしているぞ、俺はという悩める諸兄も芸術に触れてその煩悩を晴らすのはいかがでしょうか。