2017年11月19日日曜日

Iron Monkey/9-13

イギリスはイングランド、ノッティンガムのスラッジコアバンドの3rdアルバム。
2017年にRelapse Recordsからリリースされた。
Iron Monkeyは1994年に結成されたバンド。Earacheから2枚のオリジナルアルバムと日本のChurch of Miseryとのスプリットなど幾つかの音源をリリースして後、1999年に解散。その後2002年にはボーカル担当のJohnny Morrowが心臓発作により逝去。Iron Monkeyといえばこのボーカル、ってこともあり再結成は絶望的に。ところが今年になって再結成して作った音源がこちら。ギターを弾いていたオリジナルメンバーJim Rushbyが真っ白い覆面マスクをかぶってボーカルを担当(ギターも弾く)。解散前に脱退したギタリストであるSteve Watsonがベースに転向。ドラムにScott Briggsを迎えた三人編成。Briggsはアーティスト写真でただならぬ存在感を漂わせているな…と思ったらハードコアパンクバンドChaos U.K.のドラマーとのこと。ボーカル不在という難しい状況をオリジナルメンバーを主体に再結成ということでこれはかなり期待が煽られるというもの。私はだいぶ遅れてオリジナルアルバム2枚セットの音源を買った周回遅れの後追いで、多分それが起因して今回の音源は結論から言うと非常に楽しめています。(オリジナルのボーカリストの魅力が…という意見もあるようで、やはり思い入れのある方はそういう感想を持ってしまうこともあるよなと。私も当時から聴いていたら多分そうだったと思う。)

イギリスと言うと紳士の国だが、ドゥームの国でもあるというのは半ば常識であって、そもそもからBlack Sabbathがイングランド出身ということもあり、現行ではやはりElectric Wizardや解散してしまったけどCathedral(とRise Above Records)などなど、激しいだけでなく怪しい、不穏である、剣呑な、退廃的な、そんな形容詞のよく似合うドゥームバンドをたくさん排出しております。私は激しさの探求からスラッジコアにたどり着いてやはりEyehategod(アメリカ、ニューオーリンズのバンド)を聴いてわかりやすく「やべー」となった口。Iron Monkeyを聴いたときはその一見するとの聞きやすさにびっくりしたものの、すぐにその軽快かつだるくて不穏な音世界にハマったものだ。
音質的には確実に2010年台の洗練されて迫力のある音にアップデートされている。ジリジリした感じは消えて非常にクリアだ。ただ中身的にはやはりIron Monkeyだ。バンドが存続していたらなるほどこういう音を出していただろうと言う感じ。スラッジコア/サイケ・ドゥームを自称することもあってただただ遅く陰惨なスラッジとは一線を画す音と曲作り。ヴィンテージ感のあるロックからの由来を感じさせる溜めのある、ひっぱるようなリフが特徴でゴリゴリ圧殺系とは明らかに異なるうねりのあるリズム感が魅力。決して音の数は多くないのに魔術のような空間を組み立てるリフ。もっと危険な音を出すバンドはあるが、このIron Monkeyの現実的なヤバさというのはジャンルは異なるがUNSANEなんかに似ているかも。ひょっとしたらストリート感と言っても良いかもしれない。不敵に微笑む危険な男、という感じで余裕がある感じが逆に不穏だ。酩酊しきって酔歩するように経過なロック/ドゥームの境界を超えて、明らかに行き過ぎた/やりすぎた感のあるスラッジの世界に足を突っ込むところが最高。前半のノリの良さがゲートウェイでヤバみが増してくる後半に気づくと案内されている、というかケツを足蹴にされて悪夢の陥穽に落ちたような非道な感じ。ラスト「Moreland St.Hammervortex」は大団円という感じ。
そしてやはりボーカルが一番気になるところ。なくなったJohnny Morrowという人はほんとう危険な感じのする声の持ち主で混沌とした悪徳を声で表現した、みたいな魅力の持ち主だった。このバンドの(当時の)看板はMorrowの独特なボーカリゼーションということは残されたメンバーも自覚するところであって、全く異なる系統のボーカルを載せるというよりはMorrowの歌唱法をなぞるようにJimがマイクを取る。前のボーカリストは上手い下手とかではない次元で人を魅了したが、その魅力は声質によるところもあって、異常なしゃがれ声だった。さすがにJimは体格と喉も別物なのでそのしゃがれの妙味というのはほぼない。ただぐしゃっと潰したようなこもった高音がよく出た耳障りな下品な、というところはかなり良い味を出している。ナチュラルに歌い上げる、もしくは叫ぶ(Morrowはかなりナチュラルに思える。)というよりはやはり演技力というのは明らかに酷だけど装飾性を感じるのは確か。ただし個人的にはこのくらいくどい方がいかがわしさがあって良いと思う。私的にはIron Monkeyの今のボーカルはJimで全く問題ない。思い入れのある方はまた違うのだろうが。

Iron Monkeyは名前だけしか知らないな〜という人はまずこの音源から買ってみたら時代のギャップはないと思う。Iron MonkeyといえばJohnny Morrowでしょ!という人も気持ちはわかるが、一旦通して聴いてほしい。やはり他に類を見ないバランスの”悪い”スラッジコアを鳴らすバンドだと思う。
どうでもいいけどとにかくあのお猿のロゴが格好良すぎてパーカーとLPのバンドルを買った上にT-シャツも購入した。もったいなくて着れないくらいかっこいい。

DS-13/UMEÅ HARDCORE FOREVER, FOREVER UMEÅ HARDCORE

スウェーデンはヴェステルボッテン県(調べるとスウェーデンの上の方)、ウメオのハードコアバンドのディスコグラフィー盤。
2017年にLPやCDの形式で複数のレーベルからリリースされた。私が買ったのは日本のCrew for Life Recordsからリリースされた日本盤。(CD形式は日本盤だけみたい。)
DS-13はDemon System 13の意味で1996年に結成、本国だけでなくアメリカ、ヨーロッパ、日本なども含めて世界的に活動したが2002年に一度解散。2012年に再結成し、また精力的に活動している。Pusheadのイラストを使った音源は聞いたことない私でもなんとなーく知っていた。おそらく来日を記念してという意味もあってのこのディスコグラフィー日本盤だろうと思う。私は再来日ライブには行けなかった。この音源とても内容が素晴らしいので非常に残念。
この音源はアルバムを除く1997年から2000年までのスプリット音源や、EP、コンピレーションに収録、提供した音源を集めたもの。全部で67曲あり、リマスターが施されている。

最近日本のハードコアバンドのインタビューを読むと一昔前は本当にハードコアを聞く人が少なくて大変だったようだ。最近は(自分が興味を持ったことも大きいだろうけど)一昔前に比べるとやや盛り上がってきたのかな?という感じ。
このDS-13は1996年から活動しているバンドだから現行スタイルにはむしろ影響を与えた方のバンド。67曲を聞いてて思ったのは非常に聞きやすいってこと。(とくにパワーバイオレンスなどの激しいタイプの)ハードコアバンドは1曲が短いからアルバム全体も短くなる傾向にある。短くても中身的には結構重たくて濃いので、濃厚な家系ラーメンのように短い尺がちょうどよいくらいなのだけど、このバンドに関しては67曲がすっと聴ける!それもあとに残らない軽さではなく、これはいい曲、これもいい曲という感じに耳を通して脳にガツガツくる。こういうのはなかなかない。ディスコグラフィーだから良い曲のみを集めたベスト盤ってわけでもないし。この聞きやすさの秘密は今のところ3つくらいあって、一つは音がおもたすぎないこと。低音をバリバリ強調して不穏でノイジーなフィードバックノイズを添えた昨今の音とは一線を画す、ハードコアパンクの延長線上にある中音域の厚みがあたたかみすらある音が非常に気持がよい。もう一つは曲によって聞き所がきちんと用意されていること。たしかにとんでもない速度で突っ走る曲がほとんどなのだが、スラッシュ一辺倒でなくて結構コード感のある聞きやすいパンクな曲構成になっていたりもする。シンガロングに彩られたメロディが出て来る曲もある。(「Degenerated Generation」や「(I'm Not Your)Steppin' Stone」なんかは歌えるくらいキャッチー。)強烈な速度とその極端にある急停止からの鈍足、というスタイルが(もちろん良いことでもある)一つのやり方になっている昨今は特に、こういうふうに脇道にそれているというか、いろいろな試行錯誤が、結果的に勢いのある曲を主体とした音源の中でいい感じに異彩をはなちつつ凹凸を作っている。そして最後の要素は全体を覆うポジティブ感。ぬるいポップパンクだというのではないし「死んだ警官だけが良い警官だ!」と叫ぶ過激さ、攻撃性がありながらも、音的には陰惨にならないでエネルギッシュでありながら創造的だ。聴いていて単純に元気が出てくる。

演奏の感じやボーカルの親しみやすさからCharles Bronsonにちょっとだけ似ているかな?なんて思った。非常に格好良くこのDS-13というバンドを紹介しているディスコグラフィーだと思う。現行のパワーバイオレンスのようなキレッキレのハードコアが好きな人も、きっちりとしたハードコアパンクが好きなのだという人にも進められる音源では…なんて思ったりする。非常におすすめ。

ダン・シモンズ/エンディミオン

アメリカの作家のSF小説。
「ハイペリオン」シリーズの第3弾。順調に読み進めてまいりました。
上巻は新品で買えたのだが、下巻が品切れて中古で購入。

7人の巡礼たちの物語が終わって300年。人類はテクノコアと決別し、瞬間転移などテクノコア由来の技術の多くが使用できなくなり、人類の統合組織は崩壊。恒星間の距離が再び絶対的なものになり、移動に時間が掛かる分各惑星は断絶状態になり、独自の進歩を続けていくことになった。そんな第二期の宇宙史でヘゲモニー時代は虫の息だったカトリック教会がテクノコアの技術、人体を組成させる十字架の改良に成功。蘇生の際の人体劣化を克服し、人類にほぼ完全な不死を提供することであっという間に宇宙における人類の領域を征服していく。巡礼たちの物語も過去の伝説めいたものになりつつある”今”、伝説の舞台になった惑星ハイペリオンに生まれたロール・エンディミオンはなんとなく気に入らない、という理由からカトリックの洗礼(つまり不死)を拒否。自由気ままに暮らしていたが、ある日冤罪で死刑の憂き目に合うことに。窮地の彼を救ったのは伝説の巡礼のうち一人、「詩篇」を書いたマーティン・サイリーナスだった。彼はロールに対して人類の救世主となる巡礼の一人の子供である少女を守って銀河を救えという。

「ハイペリオン」シリーズは全部で4つの物語があるが(文庫だと全部上下分冊だから全部で8冊。)、一旦前作「ハイペリオンの没落」で物語的には一区切り。登場人物や設定は引き継ぎつつ、大きなブレイクスルー(人類の不死の獲得)と時間の経過(300年)を間にはさみつつ、また新しい物語がこの「エンディミオン」と続く「エンディミオンの覚醒」で書かれることになる。
読んでみると前作までとは色々変わっていて面白い。まず設定だけど転移ゲートがもたらす、瞬間転移技術(これはその仕組は人類は結局わからなかったけど便利だから使い続けていた、という設定が人類らしく適当で良い。)がなくなったこともあり、人類同士の連携が取れずに宇宙にいながら文明は大きく後退している。技術の間断ない共有というのが進歩に大きく有効であるということがよく分かる。前作ではヘゲモニーという組織が人類の音頭を取っていたが、これが崩壊し、とっくに捨て去ったはずの神権政治が取って代わっている。それも不死をちらつかせての反映だから(ココらへんにも人間の弱さ、都合の善さが表現されている)、実際ろくなもんでもないことははじめからわかっている。前作ではつましい求道者だったキリスト教徒は醜い権力者になっている。
それから物語の構造も変わっていて、過去の因縁がある7人の巡礼が集まり、過去を語りながら宇宙の欺瞞を暴きつつ、その後の世界を変える戦いに結実した重たい(もちろん褒め言葉で)前二作に比較すると、今回新しい主人公は良くも悪くも軽い男で重たい過去も因縁もなく、いわば巻き込まれ型と言うかたちで物語に参加することになる。小さい女の子と給仕のようなアンドロイド(彼は典型的な執事キャラで肌は真っ青という物語的な個性がある。スターウォーズにも通じる典型的な感じがある。)と悪い奴ら、つまりカトリック教会からただひたすら逃げていく、というシンプルな物語になっている。これによって娯楽性が大いにましており、あとがきにも書かれているとおり本当にただただ若者二人+アンドロイドの逃避行、ってことになっている。物語の面白さはその構造的な複雑さや逆に単純さにはよらない、というのは非常に面白い。逃避行は惑星巡り、と言うかたちになっており、全く道の新世界という要素と、現代のつまり読む人がいる今の世界に通じる基地の要素がうまく混ぜ合わさり、地球とは異なる環境(その中の幾つかは非常に極端、つまりすごく寒いとか、呼吸ができないとか)で再現されている。この物語はなんといってもこの異星、異世界といっていいほどの魅力がある別世界の描写が素晴らしい。想像力の限界に挑む、という新奇さだけでなくなんとなくノスタルジックな現代の残り香があるところがその魅力の秘密かと思う。
敵を張るカトリック教会サイドのキャラクターも魅力的で(ただし一部不満もあってそれは今読んでいる「エンディミオンの覚醒」の時に書くと思う。)物語を盛り上げる。

どうやら4部作でこの物語が一番好きだという人もいるらしい。多分前二作を読まなくてもわかると思うけど、可能だったらやはり「ハイペリオン」から読んだほうが良いと思う。

2017年11月5日日曜日

V.A./Twin Peaks:Music From The Limited Event Series

アメリカのTVドラマのサウンドトラック。
2017年にRhino Entertainment Company、a Warner Music Group Companyからリリースされた。

今年ハマったものがあってそれがアメリカのTVドラマ「Twin Peaks」。鬼才デヴィッド・リンチがマーク・フロストとタッグを組んで作成したドラマで1990年に放送開始され、その後日本でもブームになった。私はたしか秋本治さんの漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でその名前が出てきたのを覚えているが、当時ドラマは見たことがなかった。今年25年ぶりに新作「Twin Peaks The Return」が放送されるということで、「へー」くらいに思っていたが私の上司が「Twin Peaks」のファンで「見れるなら絶対見ろ!」ってことなので(「Twin Peaks」はいまんとこwowowでしか見れない状態で私の家はwowowが見れる。)、新シーズン前に放送された旧シリーズを見たらこれがまたすごい面白いくてどっぷりハマったわけ。
新シリーズは面白いことにエンディングの曲が毎回異なる。劇中でロードハウスと呼ばれるバー(正式名称はバンバンバー(Bang Bang Bar))で様々なアーティストがライブを披露する、という体裁でエンディング曲が流れるのだ。(これ子供の頃に例えば自分アニメとかの監督になったら毎回好きな曲流したいな!とか誰でも妄想すると思う。)その曲がいちいち格好いいので個別に買うよりは、と思ってそのエンディング曲を集めたサウンドトラックを購入したわけ。(別に劇中の曲を収録したサントラもある。)

なんといっても目玉は第8話にでてくるnine inch nailsの「She's Gone Away」かな。曲自体はもうバンドの「Not Actual Events」というEPで聴いていたのだが、なんとこの曲はリンチの要望でこのドラマのために描き下ろしたものとは知らなかったな。しかも一回作ったものをリンチが「明るいな〜、こういうのじゃないんだよな〜」ってボツにしたんだって。ninに曲作ってもらったらどんな曲でも「すげー曲っす!もちOKす!!」って普通はなると思うのだけど、さすが監督すげーなと思います。
「Twin Peaks」はとある少女の殺害事件から端を発する、冒頭はわりとかっちりした犯罪捜査者かなと思いきや、回を重ねるごとに怪しい世界に入り込んでいく作品。リンチ監督も御年70歳を超えてくるということでもっとおとなしめの、ぼやーっとした曲が多いのかと思いきやninもそうだけどかなりしっかりとした、多彩な曲が並んでいるのが印象的。びく皆曲もあるけど、明るい曲も多い。やはりアメリカということでカントリー調の曲もそれなりにある。「Twin Peaks」はただ殺人を、ただ不気味さを書いている作品ではなくて、ワシントン州にある架空の小さい町ツイン・ピークスとその子に住む様々な人々の生活の模様を書いている作品である。ロードハウスというのはそんなツイン・ピークスに住む人がやすらぎや、楽しみを求めに来る場所なので当然、架空の登場人物、主人公たちだけでなく街に住む普通の人々が好んで毎日聞きそうな曲が選ばれているのだと思う。恐れる曲もあれば、しっとり聞ける曲もあるが、通して聴いてみるとどれも没入感のある、かなり力のこもった曲ばかり選ばれているように思う。安易に日本のテレビ番組を批判するのもちょっとどうかと思うが、例えば主役を張るアイドルの男の子、女の子が所属する、とにかくポップで名だたるプロデューサーが手がけたよくも悪くも軽い曲、というのとは一線を画す内容でどれも非常に重たく、濃い。毎日がただ良いことの連続で内容に、架空の、存在すらしない人々の気持ちを反映したかのような豊かな感情が、バリエーションの有る楽曲に現れているのだと思う。ドラマを見ていない人がこのアルバムを聞いてどう思うのかは気になるところだけど、ドラマを見ると最後の曲が毎回違う、曲の雰囲気も輪ごとにガラリと変わるというのは「Twin Peaks The Return」の場合は非常にしっくり来る。見た人ならわかるだろうがリンチ監督は尺を贅沢に、普通の監督なら省くような人の動きをゆっくり、じっくり、執拗に時間をかけて画面に映し出す。そこには喜怒哀楽というシンプルな4つの元素に分解できない何かに対する強いこだわりがある。それ故何が言いたいのかわかりにくいと批判されることもあるだろう。ちなみにデヴィッド・リンチは音楽に対して非常にこだわりのある人でたしか自分でも作曲をするはずだ。そんな監督のこだわりが選曲にも表れているなと。
個人的に気に入ったのはどっしりとしたラテンのリズムに半端ない声量と技量がのっかるRebekah Del Rioの「No Stars」。重厚なのに歌いたくなるくらいポップなのがすげー。ひたすらクールなロックンロールZZ Topの「Sharp Dressed Man」。むかし車のCMとかで目にしたZZ TOP初めて聴いた。声がすごくセクシー。アメリカ!のイメージをそのまま曲にしたような爽快さ。

「Twin Peaks」はとても面白いドラマなので是非オススメしたいが、やはり新旧合わせるとそれなりにボリュームがあるので躊躇する人もいるだろう。まずはサントラ聴いて雰囲気を掴んでは、ってのは難しいか。私は本編に好感があるからそれがサントラにも反映されていると思うが、それを抜きにしても良いアルバムだと思うので気になった人は是非どうぞ。

ninが出た8話放送時はやっぱり興奮した!

THE DONOR/ALL BLUES

日本は石川県金沢市のハードコアバンドの2ndアルバム。
2017年にTill Your Death Recordsからリリースされた。
前作「AGONY」からコンピレーションアルバムの参加などを経て3年ぶりにリリースされた新作。真っ黒いイメージが印象的だった前作から打って変わって白を貴重としたアートワークになっている。ギタリストは同じ金沢のGreenMachineでも活動している。このアルバムのアートワークに使われている写真も多分GreenMachineのメンバーが撮ったものだと思う。

全部で10曲を22分で駆け抜けるわけだからだいたいその音楽性はわかると思う。今年リリースされた3LAのコンピレーションにも曲を提供していたが、いわゆるネオクラスト、激情とは一線を画する音楽性。もともと内省的な音楽性を日本の激情バンドたちはさらに激化させた内容にアップデートして悩み苦しむハードコアにしている印象もあるが(批判しているわけではない)、THE DONORはその流れにはあまり与しないようだ。悩みがない人間は私が知っている限り存在しないが、その内省的な葛藤をこのバンドはすべて攻撃力と機動力のパラメータに振り切っているようだ。多分に感情的だが、叙情的とはいえない。音楽ジャンルとしてのエモーショナルなハードコアとは距離をおいた荒涼としたハードコアを演奏している。
とにかくささくれだって重量感のある、錆びついた金属のようなギターの音質はたわんだ北欧のメタル/ハードコアを彷彿とさせる。はじめ聞いたときは前作以上に例えばTrap Themのようなバンドの出すサウンドに通じるところがあると思う。速さの逆を行く遅さ、つまりスラッジ成分も取り込んでいるところもその手のハードコアに通じるところがある。いわゆるアンビエント、アトモスフェリック、ポストといった形容詞が表現するともすると冗長、高尚になってしまう要素に関してはこれを余計な夾叉物として一切を排除する。いわば極悪非道なハードコアなのだが、よくよく考えてみるとこういったピュアなバンドというのはなかなか日本にはいないかもしれない。もっと先鋭化してパワーバイオレンスの荒涼とした地平にひたすら残虐性とヘイトを求めるか、もしくは日本人の真面目さを反映した悩み多き鬱屈さを追求するエモバイオレンス方面のハードコアに舵を切るか、その二択のいずれかを選択するようなバンドが多い気がする中、あえてピュアなハードコアを鳴らすというのは結構稀有ではと思う。
ただまったくもって北欧スタイルを金沢で再生したのがTHE DONORかというとそこが少し違くて、そしてそこがこのバンドの面白いところ。激しい音楽に抒情性を混ぜ込む、というのは陳腐な言い回しだが、実際にやるとなるとある程度手法は決まっていて、そういった意味では日本の激情はその手の表現が得意である。THE DONORはここを別の手法で攻めていて、感覚的にはトレモロに感情を込めるブラックメタルに似ているが、そこまでわかり易くないのが、チャレンジンクで面白いし、仕上がりが絶妙に格好いい。そういった意味では3LAのコンピ「ろくろ」に提供した「kagerou」はやはり白眉の出来では。コンピとアルバムでは別バージョンになっており違いを楽しむことができる。とにかくアウトロの放り出すような、ヤケクソめいた表現が曲の終わりってことで最高のクライマックスになっている。
いわゆるジャパニーズスタイルのハードコアが激しい音楽性にいろいろな形で豊かな表現を取り入れたとしたら、やはりこのバンドもその系譜にあるということだろうか。

前作をまっとうにアップデートさせた素晴らしい内容でこの手の音楽が好きなら聞き逃す手はない非常におすすめしたい音源。この音源とそれに伴うライブの後、THE DONORは年内での活動休止をアナウンスしている。非常に残念なことだ。視聴できるところが見つからなかったので買って聴いてください。

ダン・シモンズ/ハイペリオンの没落

アメリカの作家によるSF小説。
「ハイペリオン」から始まる4部作の第2弾。一応この4部作は2つに分けることができるので、ここで一旦「ハイペリオン」から始まった物語に片がつく。

意を決して時間の墓標に足を踏み入れた6人の巡礼たち。しかし肝心のシュライクは顕現しない。やきもきする一行をよそに惑星はるか上空での連邦ヘゲモニーと宇宙の蛮族アウスターとの決戦は激化の一途をたどる。思いがけない方法によってウェブ内にアウスターが進行していることがわかり、連邦はその存続の危機に立たされることになる。

大団円に向かう前にとにかく大風呂敷を広げまくるダン・シモンズ。矢継ぎ早に連邦は危機に立たされることになる。前作では巡礼6人がそれぞれ別個の物語を旅の途中で語る、という形式だったため、作者があえて6つの物語を異なるジャンルと言ってほどのバリエーションを持たせて1冊の本にした入れ子構造がまるで「ハイペリオン」という本を連作短編集のようにしていた趣があったが、今作では過去が一通り語られたあとで物語が未来に向かって一直線に動き始める。視点の転換はさすがにあるものの、概ね主人公というのが巡礼とその他に設定されており、ある程度固定化された視座から物語を読者が俯瞰できる。
また合う人類属する連邦対アウスターの宇宙を舞台にした戦争が物語の中心を貫いており、スケール感がアップ。巨大な連邦が窮地に陥っていくさまはなかなかのスリルがある。
とにかく物語よく練られていて最近ありがちなどんでん返しだけで目を引く、オチだけで長いページを持たせる系のとんでもSF(謎がいっこしないのはいいとしても、それありきのストーリーが予定調和でむりがあって全然しっくりこない)やセンセーショナルな状況ややたらと個人の判断が世界の行く末を判断する、薄っぺらい残酷さなどで悪目立ちする軽薄な小説群とは明らかに異なる、非常にしっかりとして骨組みのある”物語”がある。この物語にどっぷり浸れるのが読書の醍醐味の一つだと思うがそれをもう120%以上満たしてくれる濃厚さ。大森望さんの解説でも書かれているとおり、実はこの「ハイペリオン」というのは全く革新性がない物語なのだが、それでも面白さというのは抜群だ。
思うに人間というのは誰かに操られている、と考えてしまってそれが許せない性質があるらしい。登場人物の一人ソルの例もあるし、「ハイペリオン」でも裏で人類を操る何者かからの開放というのが物語的なカタルシスとして働いている。シュライクというのは特定の登場人物たちによって神の立場崇め奉られているという点も興味深い。実際今息災にやれているなら一体誰に操られていようと気にしなくてもよいのでは?と怠惰な私は思うのだ。西遊記の孫悟空のごとく、お釈迦様の手のひらの上でもかまわないというのが私なのだが、それが仏なら良いが悪鬼羅刹だとかなわないというのはわかる。しかし最終的に偶然を擬人化して暴君のレッテルを貼るのも無理な話で、今自分が何者かに操られている、以内の判断はどうしたら?とも思うわけで、そう考えると宇宙に拡大した人類から一掃されない号の深さのようなものも感じられて面白い。やはり良い物語というのはそのスケールや舞台に関係なく、普遍性というのがその核に閉じ込められていると思う。

数々の謎にもきれいに答えが並べられており、決してハッタリや虚仮威しではない物語の完成度に感服する4部作の前編のフィナーレ。ぜひ「ハイペリオン」からどうぞ。私はもちろん「エンディミオン」からの後半も楽しむつもりである。

2017年10月29日日曜日

THE DILLINGER ESCAPE PLAN FINAL JAPAN TOUR 2017@渋谷Cyclone

The Dillinger Escape Planというバンド名の元ネタは私もはじめは勘違いしていたのだが、(セクシーな女スパイが隠し持っている)小さい銃のデリンジャー(Derringer)ではなくて、1930年台のアメリカの銀行強盗John Dillingerのこと。この人はFBIからは公共の敵を意味するPublic Enemy(同名のヒップホップユニットの創始者Chuck Dはここからグループ名を取った)と称されたくらいの凄腕の強盗で、義賊ということで民間にもすごく人気があったそうな。とくに逃げ際が彼の持ち味で指名手配されて多額の賞金がかけられているのに全然捕まらなかった。The Dillinger Escape Planはそんな「デリンジャーの逃亡計画」と意味。(完全に余談だが、スティーブン・キングがジョン・デリンジャーの落陽を書いた短編小説がとても面白いので興味のある人は「第四解剖室」という短編集をどうぞ。)TDEPの音楽は破天荒でスタイリッシュで、カオティックで親しみやすく私も大音量で聞きながら彼らと迫りくる警官から来るまで逃亡するような気持ち(妄想)に浸ったものだ。

さて台風が接近してまたしても荒天に見舞われる日本列島、The Dillinger Escape Plan最後の日本公演二日目に。今度のライブハウスは20週年を迎えるという老舗の渋谷サイクロン。ハロウィンで浮かれる渋谷の街は二重の意味で私のようなオタクには歩きにくいがなんとか到着。ライブハウスのハキハキとして対応も丁寧。キャパシティは300人。前売りはソールドだが、当日券で30人位入れたとのこと。(雨の中せっかく来てくれたので、ということでした。)というわけでさすがにパンパン。サイクロンはステージは一段高いところにあるものの、ほぼフロアとの隙間がない。この日は客演なしの一本勝負ということで前日以上の荒れ模様が予想され、やはり主催Realising Mediaの今西さんから怪我人ゼロでいきましょう!とアナウンス。

The Dillinger Escape Plan
期待感からか「デーリンジャー!デーリンジャー!」とコールも始まる。相変わらずちょっと焦らしてからメンバーが登場。この日も圧縮が半端なかった。死ぬとか思ったけどそれどころではなかった。死んでいる場合ではない。1曲めは前日から異なり5thアルバム「One of Us is Killer」から冒頭「Prancer」。そこから順当に「When I Lost My Bet」。からの4th「Ire Works」からの「MIlk Lizard」なのでもう0から100に一気に加速したフロアが沸点を超えて煮え立っている。ステージが近い、狭いライブハウスなのでサーフの数が半端ない。後ろから飛び出して人の頭の上を転がって、ステージ前面に行くわけだけど、Cyclamenのメンバーお二人に加えてボーカルのGregが太い腕でぐっとサーファーを捕まえて押し出していく、またはステージに上げると、華麗にさばいていく。私はと言うとぎゅうぎゅうで手を挙げると下げる隙間もない、のでほぼ腕をうえに振り上げっぱなし。ダイバーの何かが顔面にぶち当たり、早々にコンタクトレンズが脱落したのでほぼ半目でステージを見上げることに。Gregは相変わらずライブハウスの中を縱橫に動き回る。アンプの上、人の上どころか最終的には人の頭の上を通って、はるかステージ後方2回のPAスペースの作にぶら下がっっていた。(その間ももちろん叫ぶし、歌う。)Gregはとにかく終始笑顔で楽しそうだった。ちなみに客もほとんど笑顔。いかついお兄さんもすごい笑顔。唯一のオリジナルメンバーであるBenは笑顔は見せないのだけどやっぱり動き回りアンプの上に登り、ジャンプし、最終的にはなぜか客の頭の上に直立でとどまり、ギターを引いていた。天草四郎ですら水の上を歩いたのに、なぜか微動だにしないBen。どういう仕組なのでしょうか。Gregと二人で1本のマイクにシャウトを決めたり、とても良いコンビ。
演奏は相変わらず劇的にタイトで「Prancer」でもその魅力を発揮していたが、休符の使い方がとんでもなく大胆で外すと露骨にミスが目立ってしまうところをきっちり決めていく。音質は流石に前日のLiquidroomに譲るものの、この日はベースの出音がでかくて個人的には荒々しい迫力が良かった。セットリストも抑えるところは抑えつつ、やや変更してきたイメージ。看板の二人以外のメンバーも良い感じにはっちゃけていた。(もう一人のギタリストKevin Antreassianの黒いボディに蛍光緑のピックアップのギター存在感あったな〜〜。Vigierというブランドみたい。)とにかく正確性の上に快楽がある、というドグマのもとに荒々しくもかっちりとした楽曲を披露していく。メンバーは各々暴れて目配せとかもしてないようだが、よくまああんなにきっちり合っていくものだ。パワーバイオレンスとは全く異なる極端性、つまり速い遅いの二元論に加えて、ジャズを意識させるアンビエントパート、特にコアな音楽界隈では軟弱と切り捨てられかねないわかりやすいメロディという別次元を加えた多次元宇宙的な世界観を高尚さ、そしてメタルっぽさと明確に切り離したハードコアのフォーマットで繰り出していく。まさに不可能への挑戦、無限を計算し続ける艱難辛苦の果にある、お手軽に音楽が作れる現代における時代の徒花めいた非効率的な音楽にこそ、そんな複雑さ、考え抜かれた思考と試行錯誤の先に、その先にこそThe Dillinger Escape Planにしか出せない、頭のおかしいくらい複雑な曲なのに一体感のある音楽がある。音源で聞く正確性、そしてフロアとステージの高さをなくす親しみのあるステージング。”ヤバさ”が取り上げられがちだが、要するに演者と客という両者の柵を取っ払う、演者からの観客に対する接近こそが一体感の秘密かもしれない。盛り上げたいならまず自分からを地で行くステージングだ。客が拳を振り上げ、一緒にメロディを歌う(叫ぶ)というフロアの状態は、危険なピットができるハードコアとは異なり、日本のkamomekamomeのライブにちょっと似ているなと思った。インタビューによるとボーカルのGregは思い注意欠陥障害(ADHDのこと)でステージに上ると頭が真っ白になるそうなのだけど、この過激なステージングは彼にとっては世界の付き合い方の一つなのだろうか。
Gregから「今回のツアーで最高のライブだ」とアナウンスがあり、アンコールでは初日にやらなかった「Mullent Burden」を披露。爆速。その後1stからの「43%Burnt」で〆。やはり1st「Calculating Infinity」の曲はまだニュースクール的なハードコアリフがあってめちゃかっこいい。かなりゴリッゴリきて気持ちよい。

終わってみると私は本当に汚い話で申し訳ないのですがパンツまで汗びっしょり。おそらく重篤な怪我人は出なかったのではなかろうか。フロアに明かりがつくとみんな名残惜しそうにそれでも笑顔だったのが印象的だった。
主催の今西さんに握手して、また渋谷の浮かれた人混みをビショビショで帰ったのですが、今ならマスコアパンチが打てそうないい気分だったので問題なし。

バスから降りて家まで歩いている時に急にバンドが解散したらあの素晴らしい楽曲群をもう誰も演奏しないのかと思って悲しくなり泣けてくる。(私は愚かなので人が死ぬときもその後に残される知識や本とかのことを考えないとその喪失が実感できない。)私がもうずっと大好きだったバンドがなくなってしまうのである。そうしたら音源を聴いて一人で拳を突き上げようと思う。彼らの曲は永遠だ。この日は本当に破天荒なデリンジャー・ギャングたちが運転する車の後部座席に乗って派手で荒々しくも華麗な逃走劇を楽しんでいるような感じだった。当局の銃弾が飛び交う中、猛スピードで車がバウンドしていく。ばかみたいなスピードで窓の外を風景が流れていく。彼らの笑顔がすぐ先にあって、おこがましくも私もその悪事に一枚噛んでいるような背徳感のある楽しさがそこにあった。そうして時間が来ると、彼らは私を真っ黒いフォードから下ろし、またあっという間にまた駆け抜けていった。そうしてきっともう今年の終わりにはこの世界からあっという間に、そして華麗に脱出していくのだろう。ありがとう。The Dillinger Escape Plan。
主催のRealising Mediaの皆様本当にありがとうございました。

The Dillinger Escape Plan Final Japan Tour 2017@恵比寿Liquidroom

音楽好きなら自分の既存の世界観をぶち壊して、興味を次の次元に持ち上げてくれたアルバムというのがかならずあると思う。手にとって聴いたときは「なんじゃこら??」となって全然わからないのだが、しばらく聴いているとこんな世界があったのか!!と虜になる。そしてそのアルバムがゲートウェイになってまた様々な音楽を掘っていく。私は中学生の時に買ったnin inch nails「The Fragile」、それから大学生の時に買ったThe Dillinger Escape Planの「Miss Machine」がそれだ。出会ってからそれぞれ15年以上、10年以上たっても未だによく聴く私の音楽の救世主だ。
そんなThe Dillinger Escape Planは今年の年末での解散を発表している。多くのベテランバンドをディスるつもりは毛頭ないが、長いキャリアでなかなか初期の名作群を超越しながら新作を出すというのはとても難しい。ジャンルは違うが「シャッター・アイランド」などで有名なアメリカの作家デニス・ルヘインもそういう趣旨で人気シリーズに幕を下ろしていた。だから全盛期で解散、というのはなんとも潔く、そして格好良い、気持ちはわかる。そんな彼らが解散直前に日本に来ることになった。TDEPは来日経験は何回かあるのだが私は見たことがないので今回が初めての機会ということで2つの公演のチケットをとった。
招聘しているのはRealising Mediaで過去に色々な海外のバンドの来日公演を手がけ、なんと招聘率は100%だ。これは海外のライブ行く人なら結構驚異的な数値だとわかると思う。大きな会社でなくDIYでやっているところでなんせ連絡先が個人的っぽいGmailなんだよね、本当すごいです。
1日目は恵比寿Liquidroomだ。収容人数は900人と大きめだが、ほぼ前売りは売り切れ寸前だったようだ。私は初めて行くライブハウスだがきれいで、それなりに大きさのあるトイレが有るのは良いな〜と思った。
前の方で見るから物販は終演後にしようと思ったのだが、これが間違いで終演後には私の着れるサイズはほとんど売り切れておった。前売りもあったのでこれを使っとくべきだったと後悔。

Cyclamen
この日は対バンがあってそれが日本(結成はイギリスでメンバーのうち一人は半分タイに住んでいるんだけど)のCyclamen。主催者の今西さんのバンドである。
2日間のライブの段取りも完璧だったと思うし、そんな情熱が柔らかい言葉にでるMCを披露し、ライブがスタート。ドラムにギターが二人、そしてボーカルの4人組。(少なくとも曲によっては)ベースの音を同期させていたと思う。
いわゆるDjentと呼ばれるカテゴリーの属するバンドだと思うが、非常にプログレッシブでテクニカルなメタルを演奏する。まずは変拍子を含めた曲展開の複雑さ、それを支えるタッピングを始めとする(もっと他にもすごいテクがあると思うんだけど)テクニック。ボーカルもウィスパー、裏声からスクリーム、シャウトなどを多彩にこなしていく。歌詞はおそらく日本語でハード一辺倒ではなく、(最近発表された女性ボーカルを大胆にフィーチャーした曲はとても格好良い)アンビエントなパートの導入や、キャッチーなメロディーを取り入れたりしている。ハードコア感は希薄だが、こういった要素は紛れもなくTDEPからの影響も大きいはず。結構な曲数をポンポンこなしていくが終わってみると30分しか立ってない。プログレッシブになると曲が長くなりがちだが、Cyclamenは多分非常にコンパクトに纏めることにこだわりがあるみたいで、結果私にような門外漢でも楽しめた。終盤の方でやった曲間でゆったりとしたテンポ、音になる曲が個人的には良かった。タッピングってうるさいフォーマットでしか聴いたことがないので、ああいうゆったりとしたクリーンでもかっこいいというのは驚きだった。

The Dillinger Escape Plan
いよいよ本命の登場となる。私は特に意識せずに空いているところを探してステージの下手、ギタリストのBen側に。とにかく事前に主催者から相当激しいことになるから気をつけてくれとアナウンスされ、twitterでは運動会などと揶揄されている。ちなみにこの日はいかつい黒人のセキュリティがステージ全面に控えていた。前は相当きついことになるだろうが、やはりこれは前に行かねば。サウンドチェックの人が出てきたりしてなかなか始まらない。ライブが始まる前はいつも軽い緊張感があるのだが、この日は速く始めるか、もしくはいっそ中止になったからとアナウンスしてほしいくらい、期待感で心臓に負担がかかる始末。ロン毛の細身のスタッフ(ライブ中は写真を取っていた)がバンド準備OKという意味のライトをチカチカやった瞬間は一生忘れられないだろう。脳から出たアドレナリンが一瞬で体に充填されていくあの感じ。ステージが暗くなり、メンバーが登場。すかさず最新作にして最終作の「Dissociation」から冒頭の「Limerent Death」。開放された真空に空気が殺到するようにステージに客が詰めかけ圧縮される。私はここから終演後までほぼ頭が真っ白になった。ぎゅうぎゅうどころの騒ぎでない乗車率300%オーバーの中飛んだり跳ねたりの運動会である。
TDEPはとにかくハードコアにしては楽曲が複雑すぎるが、それでもどこまで言ってもハードコアでしかないというバンドで、明らかに演奏がタイトである。ライブハウスの非常に優良な音環境もあって音質はほぼ完璧だ。複雑な曲がいっぺんの狂いもない(ように思える)状態で再現される。一見盛り上がりとは無縁の様相が想像されがちだが、全く逆なのがとにかく面白い。バンドのメンバーは客に劣らず動き回る。アンプの上に登る、その上で歌うもしくは演奏する、飛び降りると。こんなに動きつつも演奏は劇的にタイト。
クラウドサーファーが大挙として発生し、ステージ全面に落ちては捌かれていく。何人かはステージの到達してからのダイブを披露していた(ように思う)。Gregもアンプの上から何メートルしたかにめがけてダイブをかまし、サーフしながらも途切れることなく歌い続けステージに復帰する荒業をやってのけていた。
私本当メロディアスなパートがある曲ほとんど歌える事に気がついた。(なんちゃって英語だけど。)ということですげー歌ってしまった。本当すごい音痴なので周りにいた人には申し訳ない気持ちがあるんだけど、多分みんな歌ってたから大丈夫。Milk Lizardとか大合唱でした。
新旧アルバムからかなりまんべんなくプレイしていたように思う。みんなもそうだと思うけど「Setting Fire to the Sleeping Giant」は最近のセットリストにはあまりないようだったのでまったくもって心躍るサプライズだった。
最終的にはドラムのBilly Rymerがシンバルを持ったまま客席にダイブし、サーフしながらシンバルを叩いていた。お祭りか。

TDEPはマスコアと称されることもあって、複雑な曲展開を持っており、激しいパートは激しく、ジャズの要素を取り入れたアンビエントパートに、一転メロディアスなパートも持っている。それをめまぐるしい速度で1曲の中で演奏していく。だからカオティックと呼ばれるわけなんだけど、じつは非常に整合性の取れたかっちりとした世界で異常な技術に支えられた演奏力でカオスを再現している(時点で正確には混沌とは言えないわけなんだけど)バンド。この日思ったのはとにかくリアルであること。弦楽器の音は非常にバリエーションが有るのだけど、どれもわかりやすい重低音などに偏向していない。どれも楽器のもとの音が生き残っている感じ。ジャギジャギしているところは非常に生々しい。メチャクチャな速さでうるさいパートを演奏していても、ギターの音は程よく中音がきいた生々しい音だったりする。これはすごい。ハードコア(のある分野の特性)はどんどんタフになっていくけど、TDEPはそうでない。本当にタフならある意味それを証明する必要はないから、いわばタフであるという物語になってくるのがハードコアの一側面である(実際にはタフでないと言っているわけではないです。)としたら、TDEPはその運動には寄与していない。じゃあハードコアじゃないじゃんって人がいたらこのステージを見てくれよ!と思う。(無理を承知で。)別に派手に人が暴れるからハードコアで、だから(ボーカルが人の頭の上を歩いて行く動画などで注目されがちだけど)TDEPはハードコアバンドだというのではない。それ(ライブ)は結果です。そもそも今MInor Threat聴いて音がしょぼいのでハードコアじゃないという人はいないのではないでしょうか。つまり音や曲(だけ)でハードコアはできてないってことが言いたい。向上心があるのが(現状を変えたいと思うのが)ハードコアだと私は思うんですけど、TDEPは複雑な曲を演奏するけど、音自体は非常に飾りっ気のないもので声もメロディも別に特別な飛び道具を使っているわけではない。手元にあるものを研ぎすませて限界に挑戦していくのがこのバンドで、だからどこまで言っても”リアル”なハードコアなのだ。一体無限を計算しきれるわけはないだろう?1stからこのバンドの精神性は一貫していますね。メンバーはタイトさが高尚さを持たないように腐心して(天然かもしれない)、ステージ上でもそのように振る舞う、そして結果一体感のあるライブになるのでは。

ぼろぼろになって物販に行くとほとんどSかMが売り切れで仕方なくパーカーのMだけ購入。頭の中がお花畑状態で帰宅。
恵比寿の駅に私より年下のおしゃれなスーツきた男性がモデルみたいな女性と歩いていてこんな世界あるのか!と思いながら帰宅。

2017年10月22日日曜日

Jlin/Black Origami

アメリカ合衆国はインディアナ州ゲイリーの女性プロデューサーの2ndアルバム。
2017年にMike ParadinasのPlanet Muからリリースされた。
ジューク/フットワークというテクノのジャンルがあり、私は日本のCRZKNYというアーティストからたまたま知ったのだが、それに属するのが彼女。2015年リリースの1stアルバムがWIREというイギリスの雑誌で年間ベストに選出されたり、日本盤が出たりとかなり注目されている人のようだ。たまたま目にしたアルバムのジャケットが良かったので購入した次第。ジューク/フットワークはシカゴで生まれたジャンルらしく、その中でもRP Booという人がとても有名、このJlinという人はそのBooが取りまとめるD'Dynamicsという集団に属しているらしい。(クルーってやつらしい。)
ジューク/フットワークは足技を中心とするダンスとの切り離すことのできない関連性(ダンスバトルの伴奏としての役割があるそうな)がある複雑で速い(一拍三連のリズムが特徴らしい)テクノ音楽。よく「ゲットー」という言葉がでてくる。

なんせCRZKNYしか聞いたことが無いから、彼の作り出す音楽と比較するしかないんだけどCRZKNYの目下の最新作「Meridian」とは結構音楽性は異なるな〜という印象。
結構色々要素はあるのだが、まずJlinは結構音の数が多い。ほぼほぼビートしかないような音楽で、つまりわかりやすいメロディラインがほぼ皆無なので、そういった意味では低音が高調された無骨な音楽のだが、Jlinの場合はそんな中でも結構音の数が多い。細かく多い感じ。金属質の小さい物体転がっていくような、速くて軽いビートはなんとも心地よい。(バスドラムの)キックがあまり多用されていない、というか主眼に置かれていないのもこの手のジャンルでは珍しい(のかな?)。これはようするにフットワークというジャンルゆえだろうと思う。面白いのはミニマルでありながらも結構展開があって曲が動いていく。これもやはりダンスミュージックゆえなのではと思う。展開があるのでダンサーにとっては縛りでもあり、新しい動きのきっかけにもなるだろうからこういった曲を使えば、きっと面白いダンスバトルになるだろうと思う。
もう一つの特徴は声のサンプリング。とにかく不気味なくらいサンプリングを重ねてくる。子供がふざけてサンプラーを叩いているみたいな無邪気さなのだが、結果的に声から感情が失われていき、無機質かつ不気味になってくるのが面白い。
全体的にはなんとも言えない異国的な情緒にあふれている。表題曲なんてちょっと和風なテイストがあるかな?と思ったけど全体的には、金属質なビートが特にもっとアフリカンだ。孫引きになってしまうのだがこの記事によると「フットワークのルーツはアフリカにある」とおっしゃっているようでなるほどな〜という感じ。アフリカという広大な大地を暗く、冷たくパッケージした感じ。こういう書き方だと悪いイメージだけど、きっとそうじゃない。ただ情熱を前出しすれば愛情が大きいわけではないと思う。

暗くて冷徹なのだが、忙しないビートが癖になる感じ。例えばハードかつミニマルなテクノとは部分部分共通項があっても、仕上がりは結構別物。ちょっとダルい感じを演出するのは最近の音楽という感じ。

2017年10月21日土曜日

デニス・リーマン/囚人同盟

アメリカの作家による長編小説。
1998年に出版された小説で、原題は「The Getback of Mother Superior」。
Mother Superiorとは聞き慣れない言葉だが、これは邦訳すると「女子修道院長」となるそうだ。
これはいわゆる塀の中、つまり監獄の中を舞台にした小説でそういった意味では、ピカレスク小説ということができる。
この手のジャンルでは”リアル”であること(というよりは”リアルらしく見えること”)が、その小説の中身を保証する指針というか、もっというとハクになるわけだけど、この小説に関しては著者のデニス・リーマンはの輝かしい経歴でとんでもないハクがついている。
というのもリーマンその人は武装強盗などで都合53年の実刑判決がでているからだ。執筆当時は保釈の予定もなかったので当然この本は塀の中で書かれたものになるわけだ。
犯罪者が書いた小説というと、私が好きなジェイムズ・エルロイだか彼は投獄歴があるがプロの犯罪者ではなかったはずだ。この間呼んだエドワード・バンカーはれっきとしたプロの犯罪者だった。
デニス・リーマンはあとがきを読むにプロの犯罪者かは議論の余地があるが、少なくとも重大な犯罪歴があるというのは間違いない。つまりこの本は重犯歴のある犯罪者が書いたリアルな犯罪小説だったことだ。

俺ことフラット・ストアはワシントン州タコマ市にあるマクニール島刑務所で刑期を務める元犯罪者だ。罪状は詐欺など。同じ牢屋には他にも個性的な面々が揃っている。
刑務官を除けば犯罪者しかいない刑務所で五体満足で生き残るのは難しい。なんてったって殺しも日常茶飯事だ。
そして刑務所長一派は立場を利用して私腹を肥やすことしか考えていない。
俺ことフラット・ストアも仲間たちもそんな世界で更生とは無縁な生き方をして、出所の日を待ちわびている。そんな房に変わった新入りが入ることになった。ガッシリとした体躯、ハンサムな顔立ち、知性を伺わせる立ち居振る舞い、軽やかな弁舌、全てが刑務所に似つかわしくないこの男は当初刑務所が派遣したスパイかと疑われたが、どうも違うらしい。マザーとあだ名されたこの男には何かしらの計画があるらしい。フラット・ストアたち同房の仲間はマザーの計画に巻き込まれていくことになる。

およそ刑務所で計画といったら脱獄計画に間違いない。
名作と名高い「ショーシャンクの空に」(原題は「塀の中のリタ・ヘイワース」というスティーブン・キングの小説だ)もそうだったし、「プリズン・ブレイク」もそうだった。
ところがこの話はそうではない。もう一度原題に戻るけど、Getbackとは復讐という意味もある。だから邦題は「女子修道院長の復讐」ってことになる。
この女子修道院長というのは謎の登場人物、通称マザーのことだ。このマザーという男が俺含め犯罪者の面々を彼の復讐に巻き込んでいくのだ。これがすごく面白い。
始めに言ってしまうとこの本には一つ短所があってそれは長いってことなんだな。なんせ著者は刑務所に入っているから時間はすごくあるのでそれもあってか結構長い小説になっている。600ページあって、無駄なシーンが多いわけではないけど、結果的に前半のテンポがやや悪くなっている感は否めないと思う。
ただしそれ以外は本当に面白い。
幾つか理由がある。(というか私にもある程度説明できると思う。)

まず一つ、登場人物が面白い。
全員犯罪者でそれもあまり学がない(マザーを除くと一人だけ例外がいる)低所得者、低学歴という犯罪者の累計のような人が登場人物の大半である。
シンナーだったりギャンブルだったりに中毒になっている奴らもいる。
ルールがないのが怖いのではなくて、常人には理解できないルールが怖いのだ。
そういった意味では一件理屈の合わないルールで動く囚人たちは魅力的で、恐ろしい(恐ろしいゆえに魅力的だ。)
主人公サイドの犯罪者に関してははっきり明言されていないが、おそらく殺人者はいないはずだから読者が嫌悪感をいだきにくいというのもある。(これは人によるだろうが。)

そしてもう一つは世界が面白い。
この話は殆どが塀の中で進行する。
刑務所というのは(それもアメリカの)常人には理解できない場所だ。
登場人物同様ここも特別ルールで動いている。
ジョジョの奇妙な冒険ストーン・オーシャンを読んだことのある人なら刑務所内の貸し借りの厳格さを知っているだろうが、あんなルールが厳格にある。
タバコが通貨のように扱われ、男色行為が存在し、ルールを破ったやつは死ぬことになる。
刑務所内で殺人なんて馬鹿な、と思う人もいるかもしれなし、今はどうだかわからないが、きっと昔は当たり前のようにあったのだろう。
犯罪者が死んで誰が気にするのだ?
刑務所の中ではもっと暴力がわかりやすく支配している。外から見たら馬鹿らしいが、命がけで虚勢を張らないと行きていけない世界なのだ。
ここは更生する場所ではなくゴミ溜めであって、刑務官はゴミが溢れないように檻の外をうろついては警棒の一撃をくれるくらいなのだ。
ただしなかには魅力的な刑務官もいるのが魅力的で、ステレオタイプでなくこの小説が面白いところなのだ。
デニス・リーマンにとってはこの異様な世界が彼の家であって、世界なのだ。
考えてみてほしい、大の男が6人で一つの監房に入れられ、用を足すにも全員の目の前でだ。最初っからまともな世界とは全く異なる。

それから話の筋が面白い。
異様な世界で異様な男たちが奮闘する話なのだが、構図的にはこうだ。
マザー率いる社会の底辺が、そんな彼らをカモにする上層構造と対決する。
びっくりすることに勧善懲悪の筋になっていて、核になっているのが「復讐」である。
忠臣蔵を始め一体日本人というやつは復讐譚が好きだが、巌窟王を引き合いに出すまでもなく外国に住む人々もそうらしい。
エドワード・バンカーは悪辣な人間が悪辣なことをするというアタリマエのことを書いたが、
リーマンは違う。塀の中で無限と思われる時間(繰り返すが懲役53年)の中で育まれた一種の夢みたいなものを真っ白いページに書きつけたのだ。
いわばファンタジーなわけだが、ゴミみたいな奴らが集まり、ちょっとずつ変わりながら、悪を打ち倒すとなればこれはもう人々が大好きな物語である。
物語の類型というか、基本的にバリエーションなんてこれしかないというくらいの、いわば物語そのものの核である。
落ちこぼれがラグビーとか野球やる話、すきでしょ?
私はそういうの全然好きじゃなかったけどこの「囚人同盟」は面白い。
特に後半の所長とのやり取りはまさに手に汗握る。
またもやジョジョに例えるなら、ジョジョリオン冒頭から引用して「呪いを解」く物語でもある。
犯罪者に生まれ、犯罪者にしかなれなかった者たちが、身に染み付いた悪という呪いを自力で解くのがこの物語なのだ。熱くないわけがない。そして同時に優しい物語でもある。

なるほど有名になるにはあまりに粗野で、あまりに汚すぎる。
リーマンはきっと素直な人で、もしくは非常に皮肉な諧謔のある人で囚人という立場を存分に利用して物語を綴った。
物語自体は典型的だが、結果非常にアクのある個性の強い物語になっていることは確かだ。
ただし、おためごかしが鼻につく人だっているはずだ。
あるいは悪という概念(仮想の、本質ではない)に惹かれる人もいるかも知れない。
ひねくれた自己評価の低い人間なら、ありがちな成功譚にはたとえフィクションでもつばを吐きかけるだろう。
しかしこの本は違うかもしれない。
「囚人同盟」という本はそんな一部の人に深く刺さるかもしれない。
心当たりがある人は是非読んでみていただきたい。非常におすすめ!

skillkills presents 「The Shape of Dope to Come Release Tour Final」@Club Asia

この日ありがちなことにライブがかぶっていたが、私が行ったのはこのライブ。
Zazen Boysのライブが見たいというのが第一で、Skillkillsはよく目にするものの訊いたことも見たこともないバンドなのでこれは良い機会と思ったわけ。この日はSkillkillsの新作のリリースツアーのファイナル日。
なんとか仕事を放り出して会場に当日券で文字通り潜り込むと、Zazen Boysのライブがまさに始まったところだった。

Zazen Boys
ベーシストの吉田が今年限りで脱退することがアナウンスされたが、ステージングは落ち着いたものだった。照明をほぼ全開にしたステージは明るくそしてあけっぴろげであった。
私は30を半ばなのだから、思春期に洋楽の洗礼を受けてもNumber GirlとスーパーカーはOKという謎の方程式により、よくよくNumber Girlの音楽を聞いていた。(こういう輩は多いのでは。)初めて接したときの印象が強いのは音というよりMutomaJapanでみたフロントマン向井による手書きのMVの漫画テイストだったんだが。
このZazen Boysというのは完全に周囲とは隔たった音楽を追求するバンドで、私はこの手のジャンルに詳しくないのでよくわからないが、ロックをベースにプログレやファンクやジャズなどが引き合いに出されるようだ。(要するにNumber Girlとは異なる音楽性でそれ故私は少し敬遠していた。)
複雑ってことなのだが、音源聞いても分かる通り非常に肉体的な音楽だ。楽曲全体がリズムでできているようになっていて、相当ややこしいのだが私のような音楽的な知識がない輩でも踊りたくなっちゃうような音楽だ。生で見て思うのはとにかくZazen Boysの音楽は身軽である。難解になると技術の鎧がどんどん分厚くなるが、このバンドは音をどんどん抜いていっている。結果的に難解なリズムの骨組みのみが残っている。音の数は決して多くないが、余計に間が重要になってきてそしてそれらがとにかくきっちりあってくる。ドラム一つとっても今拍子はなんだろう?ってくらいで、楽器隊がそれぞれ別に何かやっているのが、何かわからんが偶然合っちゃって曲ができているような感じすらする。めちゃくちゃ緊張感があるのだが、ユーモアを交えたゆるさ(演奏以外の)があって、高尚な音楽にならずにあくまでも楽しい音楽にとどまり続ける。私が音源で聞いている曲も一回ばらばらにして再構築しているように、もはや別の曲では?というくらいの再現度。即興性も取り入れつつ、コールアンドレスポンスを取り込んだり(「Whisky&Unbubore」という曲、途中なんとなくNumber Girlの「Eight Beater」を彷彿とさせる)、酩酊の楽しさがにじみ出るようなステージングを進めていく。ステージの後ろの方でゆらゆら体をしているのが楽しかった。次はもっと前でみたいな。

Killer-Bong
続いてはBlack Smokerの首魁Killer-Bong。見るのは2回めで前回はコントラバス奏者とのコラボレーションだったので、単独を見るのは今回が初めて。
卓の上に据えられたサンプラー(?)2台位とマイクのみ。照明は落とされているが、プロジェクターを使った強烈な光線が暗闇を線上に切り裂いていく。この日のVJはENDONのライブでもおなじみのロカペニス。
このKiller-Bongという人はおそらく即興をやる方で、予めサンプラーに閉じ込めた膨大な料の元ネタをその場で曲に組み立てて、それにラップを載せていく。いわばその場でつくるヒップホップだ。(ただし既存の曲も演奏する。)ヒップホップというカルチャーで言うまでもなくサンプリングは重要な要素だから、実は基本に忠実なラップミュージックをプレイしているのだが、あまりこういうやり方を演る人というのは聞いたことが無い。元ネタはキックやハイハットなど単発のビートの部品、ジャズなどから引っ張ったピアノやホーンなどのリフなん小節か。これを組み合わせてあっという間にトラックを作っていく。Killer-Bongは低音の聞いた独特の声質をしていて、それが言葉の継ぎ目をあえて明確にしない、唸るようなラップをやっているものだから、おそらくリリックは日本語なのだろうが、よく聞こえない。ただ一本調子に呻吟するのではなく、節回しのようなラップも披露して、めっぽう格好良い。どうも酩酊しているようなトリップ感がある。そして自分の声すらその場でサンプリングしてオーバーダブを繰り返していく。ヒューマンビートボックスほど明快に音楽化されていないので、相当前衛的な仕上がりのトラックになる。この日は「うわあ〜、よんよんよん」みたいな叫び声をサンプリングして繰り返し流していた。
始まっていきなり卓をひっくり返すKiller-Bong。卓の上にはなみなみと注がれた飲み物があったのだが、機材と一緒にグチャー。スタッフが袖から何人も集まってきて必死に直しているのだが、本人は気にした様子もなくいま出る音で演奏し続ける。機材が壊れるのでは…とハラハラするが、本人はあまりそこら辺に頓着がないようだ。(なんかのインタビューで自分の部屋にものがほとんど何もない、と言っていたと思う。)マイクから音が出なければ叫び出す、というはっちゃけぶり。とにかく余裕のある人でトラブル感まったくなく、機材が元通りになってからも言葉を拾いながら演奏を続けていく。最後の方ではSimi LabのトラックメイカーHi'Specとの共作「やくそくのうた」を披露。リリックは変えてくるが、繰り返される「歌うんじゃねえ、ただ歌うんだ〜」というフレーズが即興的な自分のスタイルを象徴しているように思う。かっこよかった。

Skillkills
最後はこの日主役のSkillkills。名前はよく耳にするけど聴いたことないバンド。ドラム、ベース、ラップからなる三人組で、生音のヒップホップを演奏する。とにかくベーシストががっしりとした体躯に、横を刈り込んだ爆発頭にサングラスという出で立ちでよく目立つな〜と思った。見た目にパワーが有る。
三人のバンドだが、ビートの上に上モノを同期させる。”ラップ”ミュージックというくらいだから、トラックがすごくかっこよくてもやはりいちばん目立つのはラップなのだが、Skillkillsはバックトラックが(サンプリングに対して)ライブなのでその強みを活かしてよく動く、音も大きい。ただし「やかましいヒップホップ」という表現は半分しか当たってない。生で聴いてみるとその音のデカさにびっくりするものの、よくよく聴いてみるとやはりヒップホップに忠実であることもわかる。まずヒップホップなので音の数は決して多くない。例えばラップ・メタルなんかとは明確に異なる。Skillkillsの演奏はどこまでいってもヒップホップのトラックであり続ける。鳴らし方が違うだけだ。なのでビートは非常にタイトだ。この2つは人が演奏しているが、まさにマシンのようなタイトさ。この日Zazen Boysも激タイトだったが、あちらはバカテクが楽器それぞれ独立しているのになぜか一つの曲ができました、という感じだが、Skillkillsはドラムとベースの一体感が半端でない。日本の伝統建築のようにオーガニックな要素がガッチリはまって、粘りの強い強烈なビートを作り出している。Skillkillsも”間を抜”くことによってグルーヴのあるビートを生み出していて、特にドラムの人の「ここぞ」ってときの遅らせ方が絶妙。そこ絶対叩くよね?ってところを一つか2つ送らせてくるような感じ。とにかく気持ちよくて、前半の曲ははくの終わりを告げるシンバルのクラッシュが本当必殺!という感じだったし、後半シンバルメインの決めにスネアを叩く、というリフも非常にかっこよかった。
そしてここに乗るラップの正確さ!びっくりするくらいここもタイトに決めてくる。もっとルーズなのかと思ったが、たゆまぬ努力を感じさせる言葉のビートへの落とし方よ。ガチガチ合致する。それでいて即興要素をいれてリリックをいじってくる。これは気持ち良い。リリックも独自の世界観を構築するものでユーモアを交えつつ、一体感を煽ってくるポジティブさ。ロックフォーマットは良くも悪くもわかりやすく、感情の高まりをシャウトによって吐き出せるが、Skillkillsはずっとラップで感情をじわじわ上げてくる。フックもすごく格好良いが、フックのためのバースにならずにバースで上げてフックに持ち込むというヒップホップの格好良さがギュッと詰まった演奏だった。
途中のMCもシンプルかつ素直で本人たちがとても楽しい、という気持ちが伝わってくる良いものだった。今までのツアーでは(本人たちがいないので)できなかったという、Killer-Bong、それからZazenの向井さんを迎えた曲は一つのクライマックスでフロアが前にギュッと圧縮されていた。

結構思いつきでふらっと行ってしまったんだが非常に楽しかった。普段見ているジャンルとちょっと異なるのでそういった意味でも新鮮だった。Skillkillsの新作「The Shape of Dope to Come」を購入して帰宅。

2017年10月15日日曜日

UNSANE/Sterilize

アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークのノイズロックバンドの8thアルバム。
2017年にSouthern Lord Recordsからリリースされた。
メンバーチェンジや活動休止などもありつつ1988年から一貫してノイズロックを鳴らし続けるバンドUNSANE。中心となるのは唯一のオリジナルメンバーでボーカルとギターを務めるChris Spencer。前作「Wreck」から5年ぶりの新作。オリジナルアルバムのカバーアートは常に血まみれで、今作でもそれは健在。

UNSANEを聴いてて思うのは彼らが演奏するノイズ・ロックというのは文字通り「うるさいロック」であって、ここでいうノイズと言うのはハーシュノイズに代表されるノイズミュージックとは一線を画す。ジャンルとしてのノイズと言うのは常にメイン、オーバーグラウンドに対するアンダーグラウンド、カウンターであって、それをロックやハードコアや、メタルなどに要素の一つとして取り込むやり方も今では珍しくない。今年リリースされた作品だけ見てもFull of Hell、本邦のENDONなどはノイズの影響を受けたうるさい(ロック)バンドだが、本質的なノイズ・ロックとは異なる。UNSANEの場合はそういった意味でのノイズは一切用いない。核となるのは骨太なロックで、芯が太く、ぶれない。ガッツリ硬質な音はオルタナティブ・ロック、メタルにとても良く似ている。例えばHelmetなんかには結構共通したものがあると思がもっとプリミティブだ。ノイズというのはブレみたいなものだから、かっちりしたそういったロックにノイズと言う形容詞をつけるのは面白いが、つまりは極端にうるさいのがUNSANE。
ガシャガシャした質感が残りつつも重量感のあるギター。それと対をなすカッチカチにハードに固めたベース。突っ走り勝ちになる危うさを溜めのある連撃で引き締めるドラム。そして飾りっ気がないが、真に迫ったシャウト主体のボーカル。曲速はミドルでだいたい3分程度。余計なものは一切なく、淡々とロックを演奏していく。ロックから派生したハードコア、メタルは先代の衣鉢を注ぎながら、着々と武器も増やして武装してきているが、UNSANEに関しては流石に音に関しては重たくそしてクリアだが、その他は基本的に装飾が殆ど無い。最小限のメンバーでいわば徒手空拳で勝負を挑んでくる。特にこの音源を聞いて思うのは、ある種のルーズさ。UNSANEより力強く、凶暴そうな音楽はほかにもあるが、UNSANEを聴いているとなんとも言えない居心地の悪さを感じるものだ。まずは不穏さが一つ。油をよくさした工業機械に囲まれているような、居心地の悪さ。そしてもう一つはシニカルなユーモアである。張り詰めているところは異常に張り詰めているのだが、どうも薄ら笑いのような酷薄さ、皮肉さ、空虚さがその背後にあってそれが熱量のある曲を同時に薄ら寒いものにしている。ここらへんはもうすぐ30年を戦い続けるベテランゆえの力配分の妙なのだろうか。
個人的には5曲目「Lung」から7曲目「Distance」までの中盤がたまらない。特に「Distance」はコーラスのところも良いが曲の最後になかなかつかみにくい感情がむき出しになっているようで震える。

ある意味ではノイズ+ロックの本命というか。オルタナティブ世代がかつての栄光の本質が死ぬどころか強靭に生き残り続けることに感涙の涙を流してもよし。最新鋭のサブカルとしてのノイズ世代が、ぶっというるささにぶん殴られて恍惚とした血の味を口の中に感じるのもよし。無慈悲な音に目がない人はぜひどうぞ。

Ben Frost/The Centre Cannot Hold

オーストラリアのメルボルン出身で今はアイスランドのレイキャビークを活動の拠点としているアーティストの5thアルバム。
2017年にMuteからリリースされた。
前作「A U R O R A」から3年ぶりのリリース。間には英国の作家イアン・バンクスによる小説「蜂工場」に影響を受けたコンセプトアルバム「The Wasp Factory」をリリースしているが、これは戯曲というか大胆にボーカルをフィーチャーした異色作になっている。今回はSteve Albiniがレーコでィングを担当している。アルバムに先立ち「Threshold of Faith」というEPもリリースしている。

私は前作「A U R O R A」から入った口で容赦のないノイズに同居する美しさ、いわば荘厳なノイズに痛く感動したものだった。今作もそんな彼の特色が遺憾なく発揮されているが、個人的には前作ほどわかり易い内容にはなっていないと思う。前作の路線を踏襲しつつ、より曖昧に抽象的になったのが今作という感じだろうか。ビリビリ震えながら流動的にその姿を変えていく、いわば生きている轟音、ハーシュノイズを中心に据えながら、黒い絵の具のように排他的ですべてをただ”ノイズ”一色に染め上げてしまう強烈なパワーを制御しつつ、別の要素を主役たるノイズの魅力を減じさせることなく同居させるのが彼の強みで、前作収録の「Nolan」などはノイズとほぼ融合したような凍てつくような美麗なメロディがガリガリとその実体感を増していく素晴らしい楽曲で、まさに魔術師たるBen Frostの魅力がつまりまくった曲だった。今作でもノイズ以外の要素に力を割いており、わかりやすいのはビートの導入、それからノイズにかぶさるメロディ、リフ、ぶれない輪郭を持った明確でソリッドの音使いなど。ノイズアーティストながらどこかしら透明感のあるような美しい風景を作り出してくる。それがあざといくらいの美しさ、メロディとは距離をおいたやはりどこか北の方の極寒の厳しさを同時にはらむコールドなもの、というところがまた良い。コールドかつ背後の美メロという意味ではやはりブラックメタルに通じるところがあるかもしれない。
今作は中盤を過ぎたあたりからノイズの登場頻度と言うか、使い方がちょっと変わってきて、ボリュームレベルを下げて底流に這わせるような使い方をしている。いわばノイズの氷塊がとけだしてそれ以外の要素が顕になっているわけで、そこにあるのは非常に繊細かつアンビエントな曖昧な世界であった。てっきりノイズがなければ美しさが残るかと思えば、果たしてそこにあったのはもっと曖昧ななにかであった。ドローンめいた、僅かな光のような。相反するものをぶつけることがBen Frostの醍醐味かと勝手に解釈していたが、どうやらそれは違うらしく、この人は足し算というよりは掛け算で曲を作っているのだろう。

今作では緩急をつけることでまた新しいことをやっている。とにかくうるさいのがノイズでしょ〜というとちょっと驚くかもしれないが、一旦自分の曲をバラバラにして要素を一つ一つ吟味した上で再構築しているような、チャレンジ精神を感じる。そういった意味ではやや実験的な内容になっているかもしれない。曲単位で見れば彼の醍醐味が遺憾なく発揮されている曲もあるので、前作が気に入った人なら大丈夫だと思う。

2017年10月11日水曜日

Various Artists/ろくろ

日本のレーベルLongLegsLongArms Recordsのコンピレーションアルバム。2017年に同レーベルからリリースされた。
参加しているアーティストと収録曲は以下の通り。(レーベルHPからコピペ。)
1. ILIAS - 存在と理由
2. The Donor - Kagerou
3. KUGURIDO - 桃源郷夜想曲
4. KLONNS - KNIVES
5. KLONNS - SODOM
6. SWARRRM - march
7. unfaded - 漆黒
8. PRIZE OF RUST - Decade
9. PRIZE OF RUST - Spectator
10. ENSLAVE - Killing Me Softly
11. Pterion - Schwein
12. ungodly - 蝕
13. Yvonxhe - Incessant Mournful Tale
14. Vertraft - MEMORIZE
すべて日本のバンドで、バンドの活動拠点は東京、関東にとどまらず関西・金沢・四国と様々。レーベルオーナーが実際にあったバンドからセレクトされている。

LongLegsLongArms Recordsは主にハードコアを取り扱うレーベルだが、主にネオクラストと呼ばれるジャンルをメインに紹介している。ハードコアのなかのサブジャンル、クラスト(コア)のさらにサブジャンルであるネオクラストだからまあ結構マニアックな音楽だと思う。このネオクラストというのが(個人的には)かなり難しいジャンルで説明するのが難しい。説明する時に「ブラッケンド」「激情」「クラスト」「エモ」「エモバイオレンス」なんかの単語を使うとうまくいくような気がする。そんなに歴史のあるジャンルではないと思うので、おそらく私だけでなく演奏する方も難しいな〜とは思っているのではなかろうか。というのも真性のネオクラストバンドというのはまだ日本にはそうそういないのではなかろうか。この音源だとネオクラストを自称している(=明確に指向している)バンドは多分姫路のKUGURIDOだけではなかろうか。その他のバンドはネオクラストという言葉が浸透する前にそういった音楽をやっていたバンド、要素としてネオクラストを取り込んでいるバンド、一聴したところ(ネオ)クラスト感のあまりなさそうなバンドなど。おそらくより浸透性のあるジャンルで言うと、ハードコア、ニュースクール、カオティック、グラインド、ブラックメタル、エモバイオレンス、激情などにカテゴライズされるのではなかろうか。要するにその中にネオクラストの影響(意図的なものと無意識的なもの、両方)を感じ取ったレーベルが、少なくとも日本では未だ黎明期にあるネオクラストシーンにこれだ!と押すのがこのコンピレーションなのではと個人的には思う。まだ良くも悪くも混沌としているネオクラストという概念をそれを取り巻く周辺含めてすくい取ったのがこの「ろくろ」という一つの音源なのではなかろうかと。
レーベルはサンプラーと称してそれに所属するバンドを紹介する音源を作ることがあるが、まさにこの「ろくろ」は紹介する意味合いが強い。(ただ既存の曲を集めたわけではないからサンプラーとは呼べないだろうが。)全部で4万字を超える各バンドへのインタビューもその紹介、もっというと収録するバンドを理解し、咀嚼してそれを第三者(リスナー)に伝えようというレーベル姿勢の表れと見て取ることができる。(私の感想は作品を理解しようという試みなので(つまり読書感想文と同じ一つの解釈にしかならないのです。)、こういった姿勢は非常に共感できるのです。)

収録されている音を聴いてみると前述のような状況なので統一感がありつつもバリエーションの有る個性的な音楽が矢継ぎ早に展開される。(おおむね1曲あたりの収録時間は短め。)ニュースクール・ハードコアに日本なりのハードコアの伝統を融合させた音、ブラックメタルの影響色濃いいわゆるブラッケンドと称されるハードコア、もはやブラックメタルにしか聞こえないブラックメタルなど。このオムニバスの面白いところのもう一つは全国から収録バンドを集めたこと。音楽を語る上で切っても切れないのが”シーン”という言葉だけど、これが横というか平面上で語られるのが地域で、もはや結線されてもいないネットで結ばれた社会では情報が均質化されるが、それでも地方ごとのシーンというものは健在であるようである。その地方ごとの特色がきっとバンドの出す音に表れているのであろう。一言に激情と言ってもテンプレート的な激情の影響を収録曲に見出すことは困難である。(バンドの個性なのかシーンの特色なのかはちょっと判断できないのだけど。)

レーベル名は足長手長(手長足長とも)という妖怪なので「ろくろ」ときくと「これはろくろっ首のことに違いない!」と早合点したのだが、どうも陶芸を作るときのろくろという意味もあるらしい。面白いと思ったのは新しいものを作る際にはたいてい土を捏ねる、という言い方をするが、ろくろはある程度形になっているものを整形するのに使う。多分日本でのネオクラストの土台はである程度出来上がったので、3LAとしてはそれを集めて形を整え、全国にお届けするよ、ということなのだろう。「ネオクラストはわしが育てた」という居丈高の態度ではないのが非常に謙虚だと思う。

まだこれからのジャンルだと思うので、耳が早いひとはチェックしてみると面白いのではなかろうか。降って湧いた進行ジャンルではなく、静かに進行した音楽的傾向を「ネオクラスト」としてすくい取ったイメージだ。なので妙な作為性や違和感は皆無である。

3LA-LongLegsLongArms Records-Presents『ろくろ』@新宿Nine Spices

よくあることなんだけど10月8日は面白そうなライブがかぶって困る日だった。そんな中でも足を運んだのはこちら。このライブは日本のLongLegsLongArms Recordsが主催するもので、先日リリースされたレーベル初めてのコンピレーションアルバムの発売を記念してのもの。アルバムに曲を提供しているアーティストが出演する。さすがにアルバム収録全アーティストとは行かないが、出演陣は下記の通り。
PRIZE OF RUST (茨城)
ungodly (香川)
unfaded (奈良)
SWARRRM (神戸)
Pterion (京都)
KLONNS (東京)
ILIAS (神奈川)
ご覧の通り東京のバンドが一つしかない。奈良、神戸、京都、香川と普段はなかなか見れないような地域で活動しているバンドが名を連ねており、それならこの機会に見るべき!と思ったわけ。もちろんコンピレーションアルバム「ろくろ」の内容が素晴らしいことも理由の一つ。

この日会場のSEではHelmetが流れていた。アメリカのオルタナティブ・ロック(メタル)バンドである。この3LAというレーベルは一風変わったハードコアを世に紹介するレーベルで、もう一つの可能性という意味で「オルタナティブ」という言葉がよく似合う。その集大成の一つが日本全国からバンドを集めて作った「ろくろ」なわけで、それが眼前で見れるということで期待が高まる。
例によって道に迷ったので(馴染みのない駅を使うとかならずぜんぜん違う出口を選択するのが私)私がおっとり刀で会場にたどり着くとすでに一番手が始まっているところだった。

PRIZE OF RUST
茨城(いばらき)のハードコアバンド。この間見たときも同じ3LA企画でやはり同じ会場だった。4人組のバンドでコンピレーションアルバムでもお気に入りだったので二回目に見るのが楽しみだった。改めてライブで見るとニュースークール・ハードコア!という感じ。音が非常にゴツゴツしている。音が非常にメタリックで、ミュートを使った刻み込んでくるリフをあまり多様せず、滑らかにつややかなリフを弾きまくる。このリフが非常にメロディックで、ツインボーカルはシャウトしかしないのでその対比が本当に”叙情的”という感じ。低音低速で力任せにぶん回すモッシュパートみたいなのもあって非常に暴力的だが、歌詞は多分日本語で、モッシュ用ハードコア(それはそれで好きだけど)ではなくて訴えかける何かがある。マイクにかぶりつくように歌う様もそうだが、前のめりにメッセージ性がある感じは日本の激情系からの流れを感じさせる。個人的には日本ならではのニュースクール・ハードコアという感じで、どうしても悩みすぎている激情に比較すると、懊悩はあるけどアクセルを踏み切っているような潔さが魅力。重量感があるけど滑るようなメロディアスなリフを低音で急ブレーキ掛けるところが非常にかっこよかった。

ungodly (香川)
続いては香川のバンド3ピースでボーカルの方がボーカルを取る。「ろくろ」収録の曲しか知らないものでどんな音なのか?白塗りにしている動画があったようだしブラックメタルよりの(ブラッケンドな)ハードコアかな?と思っていたら、結構想像と違った。まずはリフの音の数が多い。刻みまくるような密度濃く詰め込んだリフは、相当テクニカルでかっちりしたスラッシュの影響色濃いデス/ブラックだった。トレモロにそこまで比重をおいているわけではないというか、印象ではもっと刻みまくっていたようなのでボーカルの喉に引っ掛けるようなイーヴィルなシャウト意外はわかりやすいブラックメタルの要素はないし、塊をぶん回すのがハードコアの真髄の一つだとするとそういった意味ではハードコア感はほぼない。ただ(間違っているかもだが)ドラムはツービート主体だったり、曲もアルペジオをなどを効果的に導入しつつ起伏に飛んでいるが、ダラダラ長くないし、あまり耽美/アーティステックな雰囲気もしないので終始殺伐としてて個人的にはそこが良かった。

unfaded (奈良)
つづいては奈良のバンドで、MCでいっていたのだが10年位は活動しているが県外でライブをするのは2回めで東京はこの日が初めてだったらしい。「ろくろ」ではとにかく攻撃的でメロディアスな楽曲がかっこよかったのでこの日楽しみだった。
スリーピースで基本的にギタリストの方がボーカルを取る。この日一番”激情”という感じだったのでなかろうか。内省的な歌詞をうずまきのような轟音にのせて送り出すあのスタイルである。ただいわゆる激情というよりはむしろエモバイオレンスという感じで、具体的には激情でありがちな静かなパートは必要最小限にとどめて勢いとスピードを殺さないように、そして飾らないシンプルさでほとばしる激情を披露していた。歌詞に関しては演奏の合間に吐き出す、というようなスタイルで演奏のよく練られた細やかさが感じられた。うるさいバンドだが、なんとなく寡黙でいぶし銀なスタイル。ギタリストの方はDeath SideのT-シャツを着ていたが、envyからの激情というよりはむしろジャパニーズ・ハードコアの流れを強く感じた。音源を購入したのだがシンプルだが力強い歌詞も勿体つけない音楽性とあいまってシンプルかつ力強いハードコアの進化系という方がしっくり来る。ドラムがやたらと印象的だった。

SWARRRM (神戸)
続いては「カオス&グラインド」を掲げるSWARRRM。この日は冒頭から激速で一気に耳目を集め、そこから「幸あれ」、そしてkillieとのスプリット音源から「愛のうた」「あなたにだかれこわれはじめる」、ろくろ収録の「March」と大胆に歌を取り込んだバンドの昨今を披露していく。「カオス&グラインド」とは単なるスローガンではなく1曲に1回はブラストビートを入れる、という厳格なルールでもある。このバンドは常に何かに挑戦しているように個人的には感じられる。すべての曲はそれ自体完成品だが、同時に何かに対する一つの試行錯誤の結果に見れる。バンドとしての挑戦の結果が曲として残っているようなイメージだ。常に高みに、だから孤高のバンドと呼ばれるし、目下最新アルバム「Flower」以降での大胆な歌へのアプローチも単純なセルアウトとは絶対解釈されようがない。ルールと言うのは縛るものだが、他のバンドが良くも悪くもとどまり続けるフィールドを、SWARRRMはルールを使ってあっさり(はたからそう見えるだけで実際には苦労を重ねた末にだと思うが)乗り越えていく。ビリビリ震えた。

Pterion (京都)
つづいては京都のバンド。このコンピで初めて知ったのでバンドの情報については殆ど知らなかった。(結成は2017年ということもあり。)5人組でボーカルは専任。ボーカル以外は顔を白く塗っている。ボーカルがガッチリした体躯に編み上げブーツを履き込んで一人だけ素顔を晒している。他のメンバーは顔を塗っているものの服装は結構バラバラでなかなか作為が読み取りにくいスタイルで面白い。
曲が始まってみるとこの日一番ブラックメタルだった、というか完全にブラックメタルだ。ギタリストの一人は多分7弦ギターで、ベーシストと三人で相当テクニカルなリフを矢継ぎ早に繰り出していく。ミュートも使いながらも主体となるのはブラックメタル然としたトレモロを主体としたリフで、不穏なアルペジオや低速パートを使いながら自らの持ち味である激速トレモロパートに持ち込んでいくスタイル。面白いのは「ろくろ」ではYvonxheなんかはアンダーグラウンドなブラックメタルだったが、このPterionに関しては曲に起伏があるし、ドラスティックな曲作りをしていて結構メジャー感というか、そういう感じがあって面白かった。多分メンバーはまだすごく若いと思うが、あまり動かないメンバーに対してボーカリストの人は声にバリエーションがあるし、動きも派手。面白かった。

KLONNS (東京)
つづいては唯一の東京のバンド。ライブを見るのは2回め。ブラッケンドとは距離をおいている的なインタビューが面白かったが、たしかに音源を聞いてみてもライブを見てもバンドの核はハードコアな感じ。メンバー全員が黒い服に身を包みスタイリッシュ。
ぬろぬろ動き回るベースがかっこいいのだが相当な轟音でとにかくやかましい。ドラムもとにかく叩きまくりで、ギターとボーカルには強烈なリバーブ効果がかけられており、特にギターは音がでかい。非常にノイジーだが、例えばノイズ専用の装置を使っていないところなどあくまでもハードコアで勝負という姿勢の現れだろうか。曲も基本的にはシンプルな構成で、たまにギターソロなどを挟むもののほぼ一直線で進行するオールドスクールスタイル。ボーカルも歌うというよりは要所要所に吐き捨てて置いていく、のような歌唱方法。ステージを降りてきて客席に突っ込むという場面もあり、この日一風変わったバンドが多い中で一番やかましく、一番肉体的だったのがこのKLONNSだったと思う。

ILIAS (神奈川)
トリを飾るのはコンピレーションの冒頭を飾るILIAS。ライブを見るのは初めて。専任ボーカルにギタリスト二人を擁する5人組。「存在と理由」というタイトルの1曲からはいわゆる激情系かとおもっていたが、ライブで見るともっと、というかだいぶかっちりとしたハードコアだった。ニュースクールや日本の激情を巻き込んだバランスの音で、ハードコアなりの強面感と叙情感を勢いを殺さずに取り込んでいる。曲によってはガッツガッツした暴れるパートとドラスティックと言っていいくらいのトレモロい叙情的なパートが奇妙に同居している両極端さが魅力的。この日のバンド概ねそうだが、このバンドも激情というよりは絵もバイオレンスという感じで、冗長とした感じは皆無。ボーカルの人のちょっとかすれた歌唱法もあって、場面によってはkhmerの新作がちらっと頭をよぎった。ブラッケンド感は皆無だし、一聴したところクラスト感もそこまで感じられないのだが、(MCでもあったが)あとからそのような流れを聴いて影響を受けたのかもしれない。
この日唯一のMCをちゃんとするバンドでポジティブなメッセージが印象的だった。

音楽を本当に好きな人は国や州、県、など地域で音楽を語り、そのときは所々の「シーン」という言葉が出てくる。今少なくとも日本を含めた先進国だとおおよそインターネットを通じて均等に音楽の昨今を知ることができるが、それでもやはり地方ごとのシーンが出来上がるのは面白い。(すべてが均質化されているならそもそもシーンと言う言葉がなくなるはずだ。)先輩からの伝統だったり、内輪での流行り廃りだったり、きっとそういうものが積み上がって地域ごとの差を生み出しているのだろう。別に全国からバンドを集めようというコンセプトではないだろうが、結果的に「ろくろ」というコンピレーションには相通じる要素を通して全国のバンドが名を連ねたわけで、この日はそんな各所のシーンを垣間見れて面白かった。出演者の皆様はわざわざ遠いところありがとうございました。
Prize of RustとUnfaded、それからungodlyの音源を買って帰宅。

2017年10月7日土曜日

Chelsea Wolfe/Hiss Spun

アメリカ合衆国カリフォルニア州ローズヴィルの女性シンガーの5枚目のアルバム。
2017年にSargent Houseからリリースされた。
前作「Abyss」の発売が2015年だからコンスタントに新作を発表し続けている感じ。私が聞き出したのは2ndアルバムの「Apokalypsis」から。この人は結構アルバムによって音楽性に幅がある用に感じる。インタビューを読むと元々フォークの人らしく、なるほどどのアルバムにもその要素は感じられる。フラフラ流行りに乗っているというよりはフォークを足場に色んな要素を取り込んでいるということだろうか。どうもバンドメンバーと出会うことでその音楽性の幅を広げているようだ。前作「Abyss」はかなりロック寄りの”重たい”アプローチを取ったアルバムだった。今作でもかなり歪んだバンドアンサンブルを取り入れており、基本的にはその路線を踏襲している。個人的にはやはり2ndのフォークとロックの危ういバランスが好きなのでこの路線は歓迎だった。今作私はとても好きだ。

録音はConvergeのメンバーで売れっ子プロデューサーKurt Ballou。(彼はプロデュースはしていない。)それからこの間新作を出したQueens of the StoneageのギタリストTroy Van Leeuwen、SumacのAaron Turnerが参加している。
ギターとベースは歪められ重たい。ノイズを伴ってもったりと演奏されるさまはなるほどドゥームと称されるのもうなずけるが、結構個人的にはオーソドックスなロックフォーマットだなと感じた。というのも彼女の歌が全面に出ているから。Aaron Tunerはゲストとして雄々しいボーカルを披露しているが、Wolfe本人はウィスパーなど歌唱法は色々ありつつも基本的にはクリーンボーカルで節回しのある歌を歌っている。曲によっては大変メロディアスで、やはりここがかっこいい。アンダーグラウンドのメタルやハードコアだとわかりやすいメロディとかは敬遠されることもあるが、彼女の場合はやはりフォークシンガーなのでまずは歌ありきだと思う。ロックというフォーマットは意地悪く言うと虚仮威しといってもいいかもしれないが、わかりやすいという利点があって、でかい音は出しつつもChelsea Wolfe本人の歌声の邪魔はしないで、むしろ音が小さいというフォークの弱点を打ち消している。轟音の中で響くか細い女の人の声というのはシューゲイザーを引き合いに出すまでもなく魅力的で、蠱惑的である。
素晴らしいインタビューによるとタイトル「Hiss Spun」というのは「ホワイトノイズ+酩酊」という意味らしい。なるほど彼女の声はゴシックというかちょっと神がかりなところがあって、速度の遅い靄のかかったような音(轟音とそれからリバーブを効かせた静かな曲、両方が楽しめるが共通点はある程度の”曖昧さ”があるところ)にどっぷり浸れる。調べてみるとhissと言うのは「シューという声」、spunはspinの過去分詞でspinには「吐く」という意味があるらしい。となると「シューと吐かれた声」というふうにも取れる。猫を飼っている人はわかると思うけど、彼らが「シュー」というのは興奮したときの威嚇の声である。この威嚇というのは攻撃性とその背後にある恐れ、つまり弱さがあいまっている。この新作も女の人の情念というのが色濃く出ているが、恨み節や怒りの声というにはやや曖昧である。というのもその背後に”恐れ”があるからではなかろうか。(彼女がうずくまっている姿が印象的なアートワークもなんとなく怯えている猫のようにも見える。)強いのには憧れるが、弱さにも美しさがある。私が弱い人間だからかもしれないが、弱さは人の胸を打つ。いい意味で轟音の中に煮え切らない感情が渦巻いている。それをゴテゴテ賢しげにいじくり回さずに、スパッと吐き出したのがこのアルバムではなかろうか。惑う心中が弦の震えに共鳴して放射されているようで大変心地よい。ロックサウンドは彼女の声の増幅装置として働いている。

Chelsea Wolfeはどのアルバムかっこいいが、今作は3rd以降で一番好きかもしれない。気になっている人は是非どうぞ。非常にかっこいい。おすすめ。

ダン・シモンズ/ハイペリオン

個人的に名作だと誉れ高いが読むのに難解でハードルが高いなという本がSFだと「ソラリス」と「デューン」、そして「ハイペリオン」だった。興味はあるのでそろそろ読もうということでこの間、スタニスワフ・レムの「ソラリス」を読んだらやっぱりとてもおもしろかった。(難解ではなかった。)じゃあ次は「ハイペリオン」!となったわけ。私の大好きな椎名誠さんもたしか「すごい!」といっていたので。読んでみるとやはり大変面白く、そしてやっぱり難解ではなかった。むしろ明快なくらい。

28世紀の人類は地球が不幸な事故で消失したこともあり、銀河に大きく乗り出していた。連邦(ヘゲモニー)が統合的に人類を管理統括し、巨大なAI群テクノコアと連帯して居住可能な惑星に人類を送り出し、瞬間転移システムで遠く離れた惑星を結んでいた。転移システムでの移動・連絡網はウェブと呼ばれる。そんなヘゲモニーの管理する広大な宇宙にもたったひとつ管理外にあるものがあった。惑星ハイペリオンにある時間の墓標である。全く人類には道の材質でできた建造物で、ここでは通常とは異なる時間(過去に向かって進んでいるのではと人類は憶測する)が流れており、おまけに墓標の周囲にはシュライクと呼ばれる化物が出現する。シュライクは巨大輝く体躯に真っ赤な相貌を持ち、全身ナイフが生えたような異様で瞬間移動を繰り返し、近づく生物を気まぐれに殺して回っていた。ある時この未開の(ウェブに取り込まれていない)ハイペリオンにヘゲモニーにくみさない人類の勢力、宇宙の蛮族と呼ばれるアウスターの船団が向かっていることが明らかになった。ヘゲモニーはシュライクの元に最後の巡礼7人を派遣することにする。シュライクは気まぐれに人の願いを叶える、という噂があるのだ。選ばれた7人の男女は長い道すがら各々のハイペリオンにまつわる昔話を語ることにする。

このハイペリオンという物語は面白い構造をしていて、人類が謎の存在、時間の墓標とその周囲に出没するシュライクの本質に迫るという大きな流れが一本貫いているが、同時に7人の主人公たちのうち6人の物語が入れ子になって含まれている。じつは「ハイペリオン」は4部作の冒頭の1冊(文庫だと上下分冊だけど)で、実際巡礼たちの話だけでこの「ハイペリオン」は終わってしまう。(念のため言うが謎は残されるが、この一冊だけでも十分面白いと断っておく。)この6つの物語というのが、もちろん同じ世界観を共有しているという前提はありつつ、オカルトあり、ハードボイルドあり、スペースオペラあり、泣けるSFならではの人情噺ありと実に多彩な魅力に飛んでいる。一個の長編でありながら、連作短編小説のような趣があるわけだ。それでも全く接点のなかった男女の話を聞いてみると、ハイペリオンという星がヘゲモニー、そして人類が掌握する宇宙の中でいかに特別で異質な存在なのかがわかってくる。そしてその謎もほんのすこしずつ詳らかになるという仕組み。これはワクワクする構造であるよね。いわば末端にそれていくような別個の物語が実は巨大な物語の一部で、読み進めることで本筋に修練していく。
さて宇宙に人類が進出したら、というのは巨大な思考実験だ。様々なことが起こり得る。敵対異星人との白熱するバトルだけがSFでは断じてない。光を超える移動方法で時間の概念、公平性がうしなわれるだけでこの作品だけでなく、数々のドラマが生まれてきた。それから巨大な宇宙を果たして統治できるのか?という問題もこの「ハイペリオン」ではやはり取り扱われている。昨今やはり国のなかの一勢力の独立という事柄が世を賑わせているが、やはりこの独立権というのが未来でも重要になってくる。自由というのは一体不思議な概念で、呪いのように人間はこれを追い求めていく。ハイペリオンはそういった意味では深く人類の内部に切り込んでいく作品で、おそらくもしかしたらほんとうの意味で(つまり人類が作ったのではない)神かもしれないシュライクという存在が、この後に続く作品でその存在感を増していくのだろう。一体人間の自由意志と言うは何か?というのがあんにこの4部作の冒頭を飾る「ハイペリオン」では提示されているように思える。

もちろんこの次に続く「ハイペリオンの没落」も読む気でいるが驚いたことにこちらはもう絶版になっているのだな。「ハイペリオン」は重版しているのにちょっと勘弁してほしい。とても続きが気になるようにできているのだから。
面白いSFを読みたい人は是非どうぞ。

2017年10月1日日曜日

Telefon Tel Aviv/Fahrenheit Fair Enough

アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身で今はシカゴで活動している音楽ユニットの1tアルバム。2001年にHefty! Recordsからリリースされた。私が買ったのは
バンド結成15周年ということで2016年に日本のレーベルPlanchaから(日本だけで)再発されたもので、オリジナルの楽曲9曲に未発表音源8曲を追加したもの。
Telefon Tel Avivは1999年にJoshua EustisとCharles Cooperの二人で結成された。幾つか音源もリリースしたが2009年にCooperが亡くなり、残されたEustisはユニットを停止させたが、最近は活動を復活させた。
Telefon Tel Avivは恥ずかしながら全く知らなかったが、実は中の人がやっている音楽を私は2つ持っていて、一つはnine inch nailsのリミックス音源集「Things Fall Apart」でこちらでninの「Where is Everybody」のリミックスをTelefon Tel Avivが担当している。Joshua Eustisはninのライブメンバーでもあったのだ。(知らなかった。)もう一つはThe Dillinger Escape PlanのボーカリストGreg Puciatoが組んだバンドThe Black QueenでこちらではEustisは正式メンバーである。他にもToolのMaynardのプロジェクトPusciferと仕事をしているようだ。
実はこの間来日するというのでDommuneに出演して格好良かったので名盤とされる1stを買ったわけ。ライブはSold Outだったので行けなかった。

丁寧な解説を読むとどうもApex Twinに代表されるようなIDM(踊れない、もしくは踊りにくい作り込まれた電子音楽)に影響を受けた二人が宅録環境で作ったのがこのアルバムらしい。面白いのは録音した音源をマスタリングする過程で二人が想定していた音から結構乖離してしまったらしい。そんな齟齬がありつつ、この音源は名盤とされている。
さてIDMとったら曖昧な言葉なわけだけど結構ハードな音の作りのイメージはある。生音に接近したSquarepusherなんかも初期はとってもハードだ。このアルバムは2000年頃に作られているから、メンバーの二人としてもハードな音として作ったようだが、出来上がった音は決してそうではない。前述の通りの事情がどれくらい影響しているのか知らないが、多分マスタリングを掛ける前の音もハードなIDMとは一線を画すものだったのではあるまいか。このアルバムかなりゆったりしているがビートは鋭く、それこそハードだ。フリーキーなビートといってもいいが、Aphexの繰り出すドリルンベースと称される、ブレイクコアめいた手数の多いそれとは全く異なる。音の隙間が強烈に意識されており、ゆったりしていると言ってもいい。ただし繰り返すがビート自体は鋭く、解説にも書かれているとおり、冥界で音の数が少ないという意味ではヒップホップのそれに似ている部分があると思う。
元々メンバーのふたりともバンドをやっていたようで生音を載せることいて以降はなかったのだろうと思うが、生音(もしくは生音っぽい機械音)例えばアコギやピアノなどを大胆に上モノに使っている。どれも明快にメロディを奏でるというのではないが、淡々としているが温かみのある音で独特の余韻や残響が効果的に使用されている。そのオーガニックさを彩るのが若干の”ノイズ”成分でハーシュノイズの連続するドローン性はほぼない、空電のようにランダムに飛び回るグリッチノイズを効果的に用い、アンビエントな世界観を壊さないように気を使っている。フレーズがミニマルに繰り返され、全体がゆっくり回転しながら遷移していくような気持ちよさがある。
結果的にハードなビートがありつつもゆったりとした、やや曖昧模糊(音の使い方とメロディの隠れ方)な音像になっており、なるほどこれは確かにエレクトロニカに通じるものがある。電子音楽を基調としながら生音などにも範囲を広げてポップか、もしくはなんかアートっぽいことをやっているのが私の勝手なエレクトロニカのイメージなのだが、このTelefon Tel Avivの音源は(あとから聞いているからというのも非常に大きいと思うが)、エレクトロニカっぽくありつつも、アートらしさより生々しさが打ち勝ち、明快なポップ性もあまりない。要するにおしゃれになりきれない、なんならちょっとナードっぽいエレクトロニカになっておりそこが面白い。

アクシデントもあり結果名盤になったという面白いアルバムでこれはこれでもちろん非常に格好いいのだが、そうなると他のアルバムが気になってくるわけで。仕事中にこっそり見たDommuneでもこのアルバムとはかなり毛色の違う音を出していたようだし、他の音源も聴いてみようと思う次第。久しぶりにエレクトロニカという感じの音を聞いたのも面白かった。10年から15年くらい前にエレクトロニカ聞いていたなと言う人は今このアルバムを買ってみると面白いかもしれない。

2017年9月24日日曜日

Khmer/Larga sombra

スペインはマドリードのネオクラストバンドの2ndアルバム。
2017年に複数のレーベル、WOOAAARGH、Long Legs Long Arms、In My Heart Empire、Halo Of Flies、The Braves Recordsからリリースされた。
私が買ったのは日本盤のLPでこれはLong Legs Long Armsからリリースされている。この通称3LAというレーベルはこのKhmerというバンドに黎明期(バンドは2012年結成)から注目しており、ディスコグラフィー含めて幾つかの音源をリリースしている。前回のノルウェイのLivstidとのスプリットもそうだったが、今回も上質の紙を利用した二つ折りジャケットを使った特殊な装丁から始まり、スペイン語の歌詞とそれを日本語に訳した(曲名全てに邦題をつけている徹底ぶり)小冊子がついている。小冊子にはバンドのボーカリストMarioの手による絵が収録されている。ただ帯をつけて日本盤としてリリースするレーベルもあれば(これも発売してくれるという意味では有益だとは思うが)、こうやって手作りで物理的な距離と言語の相違を埋めようとしてバンド側の言わんことを日本人のリスナーに伝えようと奮闘するレーベルもあるものだ。

さて装丁も素晴らしいこの作品タイトルは「長い影」。聞いてみると結構難しいなと。内容がイマイチというのではなく内容は素晴らしく、ディスコグラフィーをこのタイミングで聞いてみると音の拡充ぶりがただならぬことになっており、その表現力には改めて驚かされるわけだが、このいわば拡大し、充実し、芳醇になったハードコアを一体なんと言ったらいいかわからなくなったのだ。「Khmerね、はいはい、ネオクラストっしょ。新作、いいね。」といってしまえば良いのだが、個人的にはこの作品を聞いてみてそもそも一体ネオクラストがなんなのかという問題に直面してしまった。正直今までの音源だとブラッケンドなクラスト・コアなんですかね〜くらいの認識でいたわけで、それがまあつまりネオクラストすっかね…という感じだったのだが、今作を聞いてみるとあまりブラッケンドな感じがしなくてちょっと驚いてしまったわけです。
ブラッケンドはそもそもブラック・メタルに特有な音的特徴を他のジャンルに持ち込んだもので、一番印象的なのは何と言ってもコールドなのにメロディアスなトレモロギターだろう。この要素は(もともとあったものだが)シューゲイザーやドリーム・ポップの方面にまで(ときにはAlcestのようにブラック・メタルを通過しつつ)その触手を伸ばしている。今回のKhmerの新作ではあまりこのトレモロを使っていない。Khmerはだいたいがその黎明期からあまりミュートを使った力強いメタリックなリフをメインの武器に数えてこなかったから、ノンストップで弾きまくるハードコアなリフがその持ち味であり、今作でもそれは多用しているのだが、あまりこう型にはまった美麗トレモロという感じではない。ギタリストは一人なので必要性から、そしておそらく目指している音の方向性から低音に特化して極端に重たくエフェクトをかけるやり方ではなく、低音から高音まで全域を贅沢に使って、アッタクの音も生々しくも非常に厚みのある(温かみのある)音に仕上げている。実際のところは分からないがコード感にあふれていて6つの弦すべてがなっている印象といえば伝わるのではなかろうか。音がギュッと詰まっていて、弾き方についても単にオルタネイトに弾きまくっていくトレモロとは違う。もっと余韻を活かしたひねりのあるもので、腕の振り方というのか程よく音を抜いていて緩急がついている。非常にメロディアスという意味ではブラッケンドに共通点があるが、メロディは別にブラック・メタルにしかない要素ではないので、これはもっと別の何かだろうと思う。あえていうならもっと色鮮やかな何かである。別に明るいわけではなく、むしろ確実に暗い方だと思うがその黒さは単に黒一色で塗りつぶすのではなく、無数の色彩が兼ねられているような印象だ。(レーベルでは「哀愁」といっててなるほど!と思う。)
慌てて過去作を聞き返してみると、やはり単純なブラッケンドとは明らかに一線を画す曲を展開していて、そういった意味では軸がぶれていない。私の聞き込みがあまかったというのと、黒と白の世界に大胆に色彩を持ち込んだかのような大胆な音の使い方を持ち込んだことでその異質さがより明確に現れたのがこの2ndアルバムなのでは。(特に1stと聴き比べてみると大変面白い。)たとえば曲にわかりやすいメロディ(流行したメタルコアのサビのような)を持ち込んだとしたらわかりやすく、そして感情的になるがそうではないところに美学を感じる。歌詞もそうだが、そうそうわかりやすくはなく、感情を溶かしてリフと曲に塗り込めている。それで書いたのがこの絵(アルバム)というわけだ。そういえばMario(デザイナー/グラフティアーティストとして活動している)のアートワークは完全にモノクロで構成されているのも面白い要素だと思う。
ちなみにMarioのボーカルは特徴的でしゃがれていて、やはり低音強くないので強いて言えばこの要素はブラック・メタル的だが、持って生まれた天性もあってこれだけでブラッケンドというのは個人的にはちょっと難しいかな〜という感じ。
個人的にはブラッケンド≒ネオクラストくらいの適当な感覚でいたもので、今回の音源はそういった意味では違うのか〜という驚きがあって面白かった。

歌詞を読むとかなり長さがある。多分あまりリフレインがないのだと思う。その世界観は抽象的だが読んでみるとかなり個人的であって驚く。まるで人の日記をこっそり読んでいるような感じがある。例えばラストの曲のタイトルは「孤独」という意味なのだが、歌詞はアルバム全般に渡って結構閉塞感がある。いわゆるハードコア的な歌詞(打ち倒せ、もしくはユナイトしろ)とは一線を画す。どうしてもTragedy以降という認識があるんだけど、歌詞の内容は明快にクラストだったそこからもう一歩進んだのがネオクラストなのだろうか。激情というと悩んでいる内省的な(歌詞)世界が曲に反映されているから似通っているところはやはりあるのではともおもう。

とにかく曲と音の充実ぶりに驚く新作。暗くもメロディアスな作風は日本人に結構あっているのではと思う。Khmer気になっていたけど、という人は是非今作からどうぞ。

Coke Bust/Confined

アメリカの首都コロンビア特別区(District of ColumbiaでD.C.)ワシントンのハードコアバンドの2ndアルバム。2013年にGrave Mistake Recordsからリリースされた。その後スプリット2枚とライブアルバム1枚をくっつけた「Confined/Anthology」という同じジャケット(手に取ったわけではないのでひょっとして違うかも)の編集盤もリリースされているが、私はBandcampで購入した9曲入りの「Confined」。たしかユニオンの中古LPのところでよく見るな〜と思って買ってみた次第。とにかくジャケットがかっこいい。メンバーの一人はMagurudergrindのメンバーらしい。ストレートエッジのバンドである。どうもCoke Bustというのはちょっとふざけたバンド名らしい。(なんだろうコーラの胸???スラングでしょうね。twitterで教えていただいたのですがコカインで逮捕される、という意味だそうです。)

全9曲を9分4秒でやってのけるわけだからフルアルバムったって、普通のアルバムを聞く間に4周くらいできるコスパの良いアルバム。(最近の人はとにかく損をしたくないらしくコスパの良さを重視するよな。)とにかく激烈な音を出しているので「ウヒョーこれはパワーバイオレンス…!」と思ってしまうのだが、じっくり聞いてみるとちょっと違うかもな、というのが私の印象。
ノイジーなフィードバックにまみれたハードコアで(このアルバムでは)1分20秒より長い曲は存在せず、露骨な速度のチェンジが短い曲中で何回もある。ここまではOK。このバンドあんまりスラッシーではない。ミュートを挟んだメタリックなリフは使わないという意味で。もちろん使わないわけではないのだが、疾走するパートでは特に伝統的なハードコアの流れをくむジャージャーと休止を利かせない弾きまくるリフを使ってくる。下手すれば単調に聞こえるわけだけど、単にアップダウンで弾くのではなく抑揚は聞いているし、コード進行がよく練られているからか非常にかっこよく、かつキャッチーである。
昨今のパワーバイオレンスというと速度のチェンジ、というか低速パートに落とし込むいわゆるブレイクダウンが大胆に取り入れられており、洗練されたそれより音も汚く、ラフなアトモスフィアを感じさせるそれは遅いハードコア、つまりスラッジコアからの影響を強く感じさせる事が多い。一方速いパートはとにかく速いので、同じ曲の中で両極端を行ったり来たりするという醍醐味があるわけなのだ。しかしこのCoke Bustはそのスラッジ的な成分はあまり感じられない。遅いパートはあるのだが地獄のように遅く、引きずるようなそれではない。むしろ中速くらいで一点突っ走ったリフがちょうどよくグルーヴィにうねりだすイメージ。速度を落としても結構音の数は多い。踊れる(つまり暴れる)ハードコアというハードコア的なノリの良さはありつつ、現行のパワーバイオレンスとは微妙に一線を画す攻め方、曲の作り方である。
そう考えると前述の速いパートのリフもそうだが、パワーバイオレンスというか往年のハードコアを激速で演奏しているのがこのCoke Bustなのでは、という感じがしてきた。たしかに高速に対応する低速パートがあるわけだけど、そこもうまく自分たちなりの色を出していてちょっと他のパワーバイオレンスとは結果違うなと。ファストコアのモダンなアップデートみたいな感じだろうか。

パワーバイオレンスじゃない!ってわけではなくてよく聞くと結構面白いことやっているなあという感じで、人々がパワーバイオレンスに求める爽快な暴力性はきちんと備わっている。速いパートでも遅いパートでもスラッシーではない、リフのかっこよさがあるので大変聞きやすい。気になってい人は是非どうぞ。

2017年9月23日土曜日

ジェフリー・フォード/ガラスのなかの少女

アメリカの作家の長編小説。
山尾悠子さんの本が読みたいけど高いな〜と思っていたところ、彼女が訳している本があるという。それがジェフリー・フォードの「白い果実」という本でこちらもやはりというか国書刊行会から出版されておるわけで、それならまず作者の違う本を読んでみるかと思って手に取ったのがこの本。絶版なので中古品を購入した。

1932年のアメリカは大恐慌真っ最中。市民は貧困に喘いでいるが、金はあるところにはあるものだ。17歳の少年ディエゴはメキシコからの不法移民で今はインド人になりすまし、インチキ霊媒師トマス・シェルを父親代わりに詐欺を働いて生計を立てている。ある日訪れた金持ちの屋敷でシェルが本物の幽霊の少女を目撃、彼女はその少し前に失踪していた。ディエゴたちは彼女たちの失踪事件を調べ始める。

どうもジェフリー・フォードというのは山尾悠子さんが翻訳するくらいなので、普段は幻想文学のジャンルで活躍している人のようだが、この小説は霊媒師という”不思議”を扱いつつも結構真面目なミステリーになっている。この小説でアメリカ探偵作家クラブ賞を受賞したというのだからなかなかどうして器用な人である。禁酒法が幅を利かせており、人種差別が色濃く残る過去のアメリカのミステリーというとまっさきにジョー・ランズデールの名作「ボトムズ」が頭に浮かぶし、実際その雰囲気もいくらか共通していると思うのだが、こちらの方は「ボトムズ」ほど暴力的ではないし、むせかえるような南部のねっとりとした闇は書かれていない。フォードの幻想文学という出自もあってかもっと上品に(しかし差別や歴史の暗部に鋭くメスを入れる批判精神は負けていない)書かれているのが本作だろうか。ロマンスあり、弱い立場にいるものたちが団結して巨悪に立ち向かうという構図の胸のすく冒険的な展開もあり、さらには主人公が大人になりきれない17歳というのもあってヤングアダルト小説と言ってもいいくらいの雰囲気がある。
主人公が過去を回顧するという形式もあってか昔のアメリカのセピア写真を見ているようなノスタルジーがあってそこが魅力。インチキ霊媒師やフリークスなど、現代ではおそらく善意によって生きられない存在がたくましく生きている姿が端正な文体で描写されている。ディエゴのターバンを巻いたオンドゥーの格好もそうだが、ややゴシックな香りがするのだが、もちろんそれも虚構であって中身はもっとしたたか。蝶を愛するシェルというキャラクターの性で腕っ節で生き抜くアンダーグラウンドというより、華麗に人を煙にまく幻想味といった空気感になっている。

がっちりした男たちによるミステリーと言うよりは、どこか奇妙の色合いのする謎めいたミステリーと言う感じなので、そんな感じの世界観が好きな人は是非どうぞ。
私も楽しく読めたのでいよいよフォードの書く幻想文学の本も読んでみたいと思っている。

2017年9月18日月曜日

Queens of the Stone Age/Villains

アメリカ合衆国カリフォルニア州パームデザートのロックバンドの7枚目のアルバム。
2017年にMatador Recordsからリリースされた。
元Kyussのなんていう言葉はもはや不要になっているJosh Homme率いるロックバンドの最新作。ビルボードで3位、英国では1位、iTunesでは日本含む各国で1位になっているらしい。要するにとても売れている。この夏にはFujiRockに出演して大いに聴衆を沸かせたそうだ。
元々私は学生時代に友達から教えてもらったのが知ったきっかけ。「Songs for the Deaf」の頃で「Go with the Flow」はいいけど、友達が押している「No One Knows」はそこまで…って感じだった。(当時はグラインドコアとかを好んで聞いていた。)それがなんのきっかけかは忘れたけど再発された1stを買ったらこれにハマって、結局アルバムを買い揃えることになった。なので新作出たら買うぜとなったわけ。

プロデューサーにMark Ronsonという人を迎えていてどうもそれが結構な驚きとともに迎えられたらしい。私は知らない人なのだが調べてみるとヒットチャートによく出るような音楽を主にプロデュースしている人らしい。QotSAはいってもその出自はアンダーグラウンドであるから、そうやって表舞台の仕事をこなしている人を起用するというのは結構意外な出来事だったのかと思う。
さて多分山崎さんのサイトで見たのだと思うけど、JoshはQotSAの音楽をストーナーと評されるのをたいへん嫌っており、ロボットロックだよ!と彼の作った言葉で読んでくれといっているらしい。このロボットロックというのは機械的にという意味で確かにリフをリフレインしていく様はロボットのようだ。QotSAは面白いバンドでどんどんメジャーになっていく(というか私が知った3rdの頃は(その時点でKyussは知らなかった)とっくにメジャーなバンドだったんだけど)けどどこかのアルバムの時点で強烈にその音楽性を変えたわけではないけど、自然に少しずつ洗練されていって表舞台に出てきた、というイメージが有る。私は1stでハマッているから懐古主義者というわけではないけど「Avon」や「The Bronze」(ギターソロがめちゃかっこいい)、それから一番が「In the Shade」(ちなみに歌詞もすごく良いのだ)ってな具合で昔の曲のほうが好きかも。そんなもんで長くなってしまったけどもうロボットロックではないかな〜なんて思っていたのだが、いざ買って聞いてみると「Feet Don't Fail Me」のイントロなんてまさにロボットロックじゃん!音こそ初期のそれとは違う軽くて乾いたものだけど、まるで戯画化された工場の流れ作業を視覚的に聞いているようだ。
Joshはもっと光の中に出ていきたかったのかもしれない。7枚というアルバムの中で初期のこもって埃っぽく重量感のある、いわばストーナーの幽霊というか呪いを引きずった音(私はこの音も超好きなのだが)が徐々にJoshとバンドから落ちていき、そして残ったのが、もっと普遍的に”楽しい”(このバンドは暗い曲はいっぱいあるけど陰鬱とまで突き抜けた、あるいは落ち込んだ曲はないし、アルバムで見ればどれもやはり楽しい。)ビートがそのままリフになり、それを繰り返していくような”ロック”が残ったのかもしれない。「悪者たち」というタイトルには「ロックって悪いものでしょ」というJoshの思いが込められているとのこと。このアルバムの音は枯れたように軽く、ゆったりとしており、そしてとにかくJoshの声は演奏に縛られないくらい(音を軽くして更に歌が自由になった印象)自由だ。楽しくて、しかしでもやっぱり鈍く光るロックのかっこよさがある。それは枠にとらわれない”悪さ”でもあるのだ。演奏はソリッドだが、歌う声の艶もあって出来上がった局は非常に幻想的で浮遊感すらある。ソリッドでかつ浮遊感があるのだ。この相反する2つの要素を徐々に完成させていったのがQotSAなのだ。バンドからしたらこれはまだ通過点だろうがそれでもやはり初期から聞いていると、その進化っぷりにすげーなと思わせる。革ジャンをきて荒野を歩く大きい背中のJoshのバンドの最新作である。かっこいいぜ。

ハーメルンの笛吹き男のように男の子(と女の子)を惹き寄せてやまないQueens of the Stone Ageの新作。ロックが好きな人は是非どうぞ。おすすめ。

2017年9月17日日曜日

GASP/Sore For Days Demo'96

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのパワーバイオレンスバンドのデモ音源。
1996年に自主リリースされていたものが2017年にDark Symphoniesから再発された。もとはカセットだったが、今回はCDのフォーマットで再発。
Gaspは1996年から1999年まで活動していたバンドでフルアルバムは1枚のみしかリリースしていない。ベーシストの女性はDespise Youでツインボーカルの片方をやっていた人のようだ。InstagramやFBでの動きがあるのでどうも再活動を始めているような感じがする。Full of Hellが影響を受けたアルバムとして彼らの唯一のフル「Drome Triler of Puzzle Zoo People」(これはかのSlap a Ham Recordsからリリースされた。)を挙げていたので気になっていたのだが廃盤だしな〜と思っていたところ図ったようなタイミングで再発されたので買ってみた次第。

なんとなくパワーバイオレンスにノイズを加えた激烈なショートカットチューンをやってそうな先入観があったのだが、果たして聞いてみると結構印象が違った。
このデモ音源には8つの曲が収録されていて、トータルタイムは約28分だから結構この手のジャンルにしては尺が長い。
不穏なニュースのSEから幕を開ける1曲め表題曲「Sore For Days」からして圧倒的に遅い。ヌケの良い乾いたドラムがパタパタ刻み、その上をジリジリノイズがかかったギターが叩きのめしたような牛歩リフを奏でていくさまはどう聞いてもスラッジコア。タフというより何かに追い詰められている、もしくはそのたぐいの妄想を抱いている偏執病患者のような病的な声でタフなハードコア、パワーバイレオンスのそれとは明らかに一線を画す。もったり陰鬱なスラッジから、不穏なアルペジオを挟み突如切れたかとのように疾走パート(曲によってはブラスビートを入れているのでグラインドコアといっても差し支えないはず。)に突入する。パワーバイオレンスといっても色んな形があるが、その一つに低速から高速を中間を挟まずに移動する、というのがある。今でこそ目新しくないが、Gaspはこれをもっと時間を贅沢に使って表現している。スラッジパートはスラッジバンドのそれと同じように楽しめるし、激走パートはファストコアさながらである。今はいいとこ取りがパワーバイオレンスの醍醐味見たくなっているが、Gaspの場合はこれを馬鹿正直に1つの曲に丁寧に両パートを演奏する。曲によってはそのつなぎに不穏なパートを入れて、唐突な激速チェンジに一旦かませることで違和感を減じようとしているのだ。これは今ある程度パワーバイオレンスの方が決まっているから、こういうことができるけど当時はこれが試行錯誤の果にあった最先端だったのだと思う。これを今再発するということがどういう意味を持っているかを考えると特に。
(今聞いても)たらたら長いパワーバイレオンスにならずに、私からすると奇形のスラッジコアと言う印象が強くてめちゃかっこいい。逆に型にはまっておらず非常に自由だ。ある程度長い時間を使って曲を演奏するからこそできる、パワーバイレオンスだと思う。「何日間ものひりつく痛み」というタイトル(医者が言うセリフのようだ)が不穏である、病的なジャケットもやはり一捻りした厭世的スラッジの成分を感じてしまう。

世界で1,000枚限定とのこと。現時点では普通に店頭に並んでいるので気になっている人は早めにどうぞ。パワーバイオレンスファンはもちろん、Griefなど往年のスラッジバンドのファンにはピッタリあってくる音楽だと思う。
このアルバムはノイジーであるもののハーシュノイズの要素はあまり感じられず、話を聞いているとどうもフルアルバムはまたこの音像とは全く異なるらしいので、再始動をしている今他の音源も再発されないかなと、密かに期待しているものである。

2017年9月16日土曜日

エドワード・バンカー/ストレートタイム

アメリカの作家による長編小説。
原題は「No Beast So Fierce」、どうやらシェイクスピアの文(創作物の一部なのか、格言なのかはわからないが)の一部からとっているらしい。
1973年に発表された小説。
さて世の中にはいろいろな作家がいるが、このエドワード・バンカーという人はプロの犯罪者だったという意味で非常に珍しい経歴を持っている。プロというのはつまり犯罪で飯を食っていたという意味だ。この長編は彼が獄中で書いた(おそらく)フィクションの第一冊めということで、もちろん創作だがその多くは本人が実際に体験した事柄で構成されているようだ。あとがきでも触れられているとおり、私の好きなジェイムズ・エルロイも怪しい経歴と収監歴があるが、バンカーのように完全に犯罪をなりわいにしていた人とは明確に異なる。日本でも元ヤクザの作家の方がいるが、どうもバンカーは特定の組織に属さずに一匹狼でやっていたようだ。ギャングに関しては組織だって金儲けに特化しているが臆病だとこの作品中でバッサリ切っているのは面白い。

マックス・デンボーは31歳で仮出獄を迎えた。物心ついた頃から犯罪を働き、幼くしては感化院、ある程度の年を食ってからは監獄とシャバを行ったり来たりの毎日で、この度は八年間のお勤めを食らっていた。八年間の間にマックスは改心することを決意。もう二度と(少なくとも)重犯罪には手を出さない。まっとうな職業を得てカタギとして生きていく。しかし獄中から送った履歴書はことごとく不採用の返信が。自分には犯罪者の知り合いしかいない。果たしてまっとうに生きていけるのか、マックスは自由になれる喜びと同じくらいの不安を抱えながら出所の日を迎える。

私は犯罪者でないからこの小説がリアルであるか?という判断はできない。しかしこの物語では他の犯罪小説が書いていない(知らないのでかけないということだろうと思うが)犯罪者の生活、彼らが犯す犯罪について事細かく書いている。麻薬の隠し場所、使い方、強盗に入るときの心得、盗品の捌き方、犯罪と犯罪の合間に彼らがすること、それから犯罪者の家族に生まれるということがその後の生活どういう影響を及ぼすかなどなど。マックスの目を通して平明な文体でサラリと書いてある。(もちろんフィクションだから誇張や省略大いにあるだろうが、決して大げさに書かないのがバンカーの流儀らしく、私はそんな文体がとても好きだ。)
マックスは犯罪者以外の生活しか知らないし、当然周りの人も(出所したとしても)犯罪者として扱うので、彼は自然に昔の生活に引き戻されていく。この生き方しか知らない、といえばかっこいいが、実際にはそんな格好いいものではない。当然周囲の圧力に負けずにカタギとして改心して生きている犯罪者もいるわけで(おそらく作者もこの本を書いたあとはまっとうに生きている)、そういった意味ではこの小説はマックスによる長い言い訳でもあるのだが、それでもなかなかどうして元犯罪者というのは辛い目に合うのである。面白いのはそれでももしあなたが隣人を選べるとして、犯罪履歴のある人とない人どちらをえらぶだろうか?私はきっと犯罪歴のない人を選ぶだろうと思う、臆病者だから。マックスが悪さを犯すことを言い訳するように、私も適当な言い訳で犯罪者を差別して圧力をかけていることになるわけで、なんとも素晴らしい世界が構築されていくさまが見えるようだ。私は犯罪をおかすことは悪いことだと思うし、やはり懲役を終えても周囲の人が同じように扱うのは難しいし仕方のないことだと思うが、元犯罪者だからといって不法に不当に扱えばそれは犯罪である。その場合は犯罪者を犯罪者と断罪せしめたまさにその法で裁かれるのは当然であると思う。
デニス・ルヘインの「夜に生きる」だったと思うが、やはり犯罪者の主人公が犯罪者というのは生き方で、とにかく他人のルールで生きるのはまっぴらゴメンである、というようなことを言っていてこの小説の主人公マックスもやはり同じように感じているのが面白い。彼は誰にも守られない立場で育ったので、根本的に豊かに育った人々(例えば私のような)とは根本的に考え方が異なる。彼らは怒りで生きているようだし、実際そのようだがマックスも言うとおり人間というのはどんなときでもいかっているのは非常に難しい。そしてどんな手段で手に入ったとしてもお金はお金で、犯罪者は稼いだ金を湯水のごとく使ってしまう。一回ミスをすれば下手するとしぬ世界で、宵越しの銭はルールの中で生きているものとは異なった価値を持つ。犯罪者はこの世のすべてが虚飾で、金で楽しむ世界がかつて彼の尻を手ひどく蹴飛ばしたこともわかっているが、それでもそこで酔いしれずにはいられない。一体ルールの外で生きるとは何なのか、ルールは誰が作っているのか、本当のルーラーはどこにいるのか、私たちは誰の手のひらの上で踊っているのか、そんなことを考えるのである。

というわけで非常に面白かった。この小説はもう40年も前にかかれているのだが、犯罪者のというの何時の時代もいるし、使っているデバイスは変わっても彼らの心持ちというのはきっと大差がない。この本にはそういった意味で犯罪(者)の本質がある程度書かれているだろうと思う。気になっている人は是非どうぞ。ちなみ過剰な暴力描写なんかはあまりないのが驚きでもある。すでに絶版なので(しかし作者の他の長編「ドッグ・イート・ドッグ」がニコラス・ケイジ主演で最近映画化されているというのにその原作本すら再販しないって一体どういうことなんだろうと思わざるをえないのだが)、古本でどうぞ。

DEATH SIDE/BET THE ON POSSIBILITY

日本のハードコアバンドの2ndアルバム。
元々は1991年にSelfish Recordsからリリースされた。私は1stアルバムとともにリマスターの上Break the Recordsから再発されたCDを購入。
DEATH SIDE前作から二年後にリリースした2nd。もちろん1stと同時に購入したわけです。「その可能性に掛けろ」という希望に満ちたタイトル。バンドはこのあとはフルアルバムはリリースせずに1995年には解散している。

レコード屋のdisk unionが配布しているfollow upという冊子に今回のリマスターにあたってDEATH SIDEのボーカリストであるIshiyaさんのアルバム解説が乗っている。それによるとこのアルバムというのは、当時プログレに凝りだしたギタリストのChelseaさんがああでもない、こうでもないと1年以上もレコーディングを続けていてさらに終わりのみえない感じになっていた(非常に凝り性な方だったのだろう)のをIshiyaさんがある程度ディレクションをして完成に導いたそうだ。
もともと1stもハードコアとして素晴らしい攻撃性を持ちながらも、非常に表情豊かな曲が魅力的なアルバムだったわけで、その背後にはこのハードコア以外のジャンルに対する音楽的なバックグラウンドがあったのだろうと思う。(大体バンドをやっている人はとにかく音楽好きなのだから幅広い知見を持っているのはどのバンドでもそうだろうとは思うけど。)この2ndではさらにその方向性が推し進められており、インタールード的な曲の導入や一貫した世界観(Chelseaさんにはコンセプトアルバムにしたい!という希望があったそうだ。)、チャンネルを多用した録音、ピアノの音(!)などが取り入れられている。15曲と1stから曲数は落としているが、トータルは42分半と収録時間は伸びている。
ただ1stであった爆発するかのような推進力を失っているかというとそうではない。最後の曲が7分あるので実は1曲あたりの曲の長さも1stからそんなに変わっていない。このバンドはとにかく表現力がすごいと個人的には思うわけなんだけど、この2ndでは1stをさらに推し進めて、短く、速く、攻撃的というハードコアの枠の中で一体どれくらいの表現ができるのか、というテーマにチャレンジしている。速くて短く恐ろしい曲がハードコアの最高峰なら、Naplam Deathの名曲「You Suffer」があればハードコアはもう充分なはずではないか?
低音部だけでなく、中音域から高音域までを自由に使ったリフはなんとなくオリエンタルな雰囲気がある(1曲めや8曲目など!)、吐き捨て型のボーカルを彩る熱いコーラスワーク(にも曲によって非常にバリエーションが有る)、あいかわらずメリハリの効いた曲展開(ギターのアルペジオパートを導入するなど1stに比べるとかなり鮮やかだ。遙か後ののポストロックや激情に影響を与えたというと言いすぎだろうか。)、そこに込められた渦巻く感情の豊かさ(このあたりはただ怒りを撒き散らすのではなく、ただクソだと言い捨てられない世界に対する様々な感情を、「どうしたら良いのだ?」という一種のやるせなさに彩られた歌詞にこめているように思えて、個人的にはとても好きだ。このアルバムから歌詞はIshiyaさんも書くようになったとのこと。それまではChelseaさんが書いていたようだ。)、それを表現する叙情的なメロディ、そしてなにより技術一辺倒にはなりようがないトータルできっちりまとめるハードコア。
やはり8曲目の「Life is Only Once」が個人的には好きだ。テーマとなるリフがかっこいいし、その背後で黙々とリフを綴るようなベースも良い。その上に乗るギターは中音域がよく伸びて感情の高まりとともに高音域に伸びてくる。コーラスに彩られたボーカルがメッセージを吐き出すが、曲全体を覆う雰囲気はもっと複雑だ。そしてテーマを速度を落としながらリフレインするクライマックス。1stの「Mirror」が突進型ハードコアの一つの精華だとすると、この曲にはグラデーションがあって、ハードコアでありながらもそこを飛び越えようとするこのバンドの良さがギュッと詰まっているような気がする。

ハードコアでありながらも豊かな表現力が魅力のバンドだと思うし、まさにその限界に挑んだという感じがするのがこの2ndアルバム。個人的には非常に甲乙つけがたいのだけど、通して聞くなら1st。じっくり曲単位で聴き込むならこちらの2ndかな〜〜。是非1stとセットでどうぞ!

DEATH SIDE/WASTED DREAM

日本のハードコアバンドの1stアルバム。
元々は1989年にSelfish Recordsから発売された。私が買ったのは2017年にBreak the Recordsから三度目に再発されたもので、紙ジャケ仕様でリマスターが施されている。
DEATH SIDEは1983年、もしくは1984年頃に結成されたハードコアパンクバンドで1995年には解散している。近年何回か再結成の上、ライブをやっているようだ。
私も最近知ったのだが日本のハードコアというのはかなり独特で非常に先鋭的。日本でなく海外のバンドに多大な影響を与えたそうだ。時にバーニング・スピリットというサブジャンルで語られることもあるその手の音だが、「Burning Spirit」というのはこのDEATH SIDEというバンドの曲名である(この曲はこのアルバムでなくこのあとの2ndアルバムに収録されている)。また再結成して海外に遠征すればアメリカのニューヨークのライブハウス(700人入るという規模)が2日間瞬く間に完売するという人気がある。そんなバンドなので三回も再発されているのもうなずけるが、私は聞いたことがなかったのでこれを気に購入した次第。ボーカルのIshiyaさんが今やっているForwardのライブを何回か見て感銘を受けたというのもある。

全18曲を39分で駆け抜ける、1曲大体2分のハードコア。一般のポップスからしたら短いが、最先端のハードコアからすると馬鹿みたいに短くはないことがわかってもらえるだろう。ただその中には爆発するかのような突進力があり、それを120秒維持できる(ただ突っ走って120秒は長い)曲の構成力がある。
リマスターのせいもあるだろうが、楽器の音はどれもクリアでクラストのそれのように意図的に(あるいは環境的に)わざとたわませたような劣悪な音質で録音されていない。ベースとギターはどれもメタリックな硬質なカバーでその音を武装している。いわゆるメタリックなハードコアを演奏している。ギターは特に重量感のある太い音で曲に迫力を持たせている。基本的にミュートを多用せず(効果的に用いている場面は多々ある)、常に突っ走るように弾き、初期衝動に満ちたハードコアを自由奔放に描き出していく。だがそれならもっと曲が短くてよいはず。このギターと曲には実は結構秘密があると思う。
一つはリフが魅力てかつ多彩。ただただジャージャー、ジャージャー、ジャージャーとただ同じようなストロークでコードだけ変えて引くのではなく、きちんと抑揚がついたリフをかなりの速さで弾いている。(例えば「Laugh Til You DIe」なんかは速くて短い拍の中に乙一の多いリフがギュッとコンパクトに入って繰り返されているのがよくわかる。)速い、ミュートを使わないという厳しいルールの中で多彩なハードコアリフが詰め込まれている。後ろの演奏がこっているから基本吐き捨て型のボーカルだけど曲が非常に豊か。
もう一つ、曲がよく練られていてわかりやすい展開があること。それはリフの種類もそうだし、イントロ、Aメロ、サビのように明確に展開がわかれている日本の歌謡の影響もあるのかもしれない。(別にわかりやすいサビがあるわけではないが。)それからちゃんと聞くとハードコアのかっこよさのキモである速度(テンポ)のチェンジをうまく取り入れている。遅めのイントロから加速するのはわかりやすいし、ある程度の速度を維持しながらこっそり(ってわけでもないと思うけど)変えたりよくよく曲が練られているな〜と思うのはここらへんが由縁である。
短いけどたまに入るギターソロは昨今のハードコアのそれとは趣が異なり、かなり感情に満ちて叙情的である。コードの妙なのかわからないが曲もほどよくメロディアスである。ボーカルは叫びっぱなしなので、やはり曲が感情的なのだ。歌詞を見るとやはり怒りに満ちているのだが、その怒りを表現するにしてもいろいろな手法、アプローチでただ聞き手に叩きつける以上の成果物を提供していると思う。
とにかくアイディアと気配りがこれだけ込められているのに、結果曲からハードコアの初期衝動に満ちた攻撃性が全く削がれていないのが、この音源の一番すごいところ。凝ったリフ、メロディアスな叙情性すべて入っているが、完成したのは全くタフなハードコアだ。つまり技術的な説明をしてもこの音源に関してはその魅力を半分も伝えられないかもしれない。怒りに満ちて叫ぶのがハードコアならこのアルバムは最高のハードコアアルバムである。

前述の通り曲の良さに加えて、リマスターの質が非常に良いせいもあるのだろう、とにかく全く古びて聞こえないのでハードコア興味があるという人は(好きな人はもうすでに聞いているような気がするので)この機会に是非どうぞ。ハードコアってこんなに表現力豊かなのか!とびっくりすると思う。おすすめ。

2017年9月10日日曜日

ブライアン・オールディス/スーパートイズ

イギリスの作家の短編集。
ブライアン・オールディスといえば「地球の長い午後」が有名だろうか。いわゆるニュー・ウェーブの先鋒に数えられる人で、J・G・バラードとともにこのムーブメントの勃興と発展に大いに寄与したとか。(そういえばバラードの本は日本でも数多く出版されていてまだ読めるのに、オールディスはそうでないのはなぜなんだろう。)「地球の長い午後」は最近装いも新たに再発されたはずで私も買って読んだ。たしか弐瓶勉さんもすごい好きだ、みたいに書いているのをどこかで見た。その後何気なくかった「寄港地のない船」が素晴らしかったのだが、日本ではこの二冊くらいしか売っていないため、その他の本は読めていなかった。最近は古本を買い出し始めたので(ちょっと前まで結構抵抗あった、今でも新品のほうが好きだ。)、そういえばという感じでオールディスの短編集を買ってみた。全然知らなかったのだが、タイトルにもなっている「スーパートイズ」という非常に短い短編はスティーブン・スピルバーグの手によって「A.I.」として映画化されている。もともとはオールディスが鬼才スタンリー・キューブリックと長いことタッグを組んで映画化をもくろんでいたが、断念。ポシャった企画をスピルバーグがキューブリックの死後買い取り、「A.I.」として映画化したそうな。そんなキューブリックとの経緯を書いたオールディスのエッセイもこの本に収録されている。恥ずかしながら私は「A.I.」見ていないんだが。

SFでいうところの「ニュー・ウェーブ」というのは私はバラードの作品を通してしかほぼ触れていないので大層なことは言えないが、少なくともバラードは宇宙の神秘を外部でなくて人間の内部に求めて、それまでのSFとは趣の異なる作品を多く書いている。異常な状況に揺れる人間心理を丁寧かつ登場人物に近づきすぎないように冷静に書いているのが印象的で、非常にSF的異常な世界を書いた「結晶世界」や「沈んだ世界」に限らず、その作品的な求心力はたとえば「楽園への疾走」や「クラッシュ」など私達の日常生活、現代の状況にもその精神を適用して様々な作品を書いている。ハードコアなSF原理主義者というわけでもない私は大変面白くバラードを読み、あまりニュー・ウェーブ感を意識もしてなかったが、このオールディスの短編集を読んでなるほどニュー・ウェーブか〜と少し思った次第だ。というのもオールディスの上記2つに上げた長編というのはこれもやはり異常な世界を書いていて、その他の描写もかなりはっきり緻密になっている、いわば真面目なSFというイメージだったのだが、短編になるとその想像力とそれを形にする筆致というのはもっと自由奔放に制限のないシュールな世界を描き出すようだ。一連の「スーパートイズ」三部作はそれでも分かり易いが、ただし思っていたよりずっと短いし、意識的にほぼ登場人物たちの行動をシンプルに書いているだけである。オールディスはどうやらその言いたいところをあえて書かずに読み手に感じさせるタイプの作家のようだ。この短編集に収められている短編はどれも短く、そして世界観の異様さは様々だが(見たこともない異世界を描いているのもあれば、一見現代を舞台にしたような作品もある)たいてい説明が不足しており、ぼんやりとした認識のままきりの間から現れた断崖絶壁のように唐突のように幕を閉じていく。難怪というよりはややシュールでとにかく作者の意図が読み取りにくい。作者の意図というのは概ね読者にとっては意味のないものではあるが、それでもなにかしらの例えば批判的な精神が感じ取れる場合はそれは結構重要にもなってくる。オールディスはどうもその批判的な精神で持ってかなり痛烈かつシニカルに現代文明を風刺をしているらしいのだが、フィクションのオブラートで何重にもそれを包んでいるため、結構わかりにくくなっちゃうのだ。ただ終わりまで読むとここの作品というよりは全体的なオールディス感をつかめるのでそういった意味では大変有益な意味がある。
概ねオールディスは人間はおろかで、広大かつ深遠な自然というものが地球という楽園では人類に取って大いに有益に働いているのに(聖職者が主人公の作品もあるし異形の神が出てくる話もある。要するに神がこの楽園(もしくは別の宇宙)を意図的に作り出したという理由付け)それを全く解せず、自分たちのわがままで持って自分たちだけでなく自然とその美を破壊している。破壊している私達も連帯すれば幸福になれるチャンスが有るのに、ここの隔絶と猜疑心、エゴイズムが私達を不幸にして破滅させていると(はっきりとここが地獄だと言っている短編がある)、そういうふうに思っているようだ。非常にシニカルであって救いがない。そんな中で「遠地点、ふたたび」は無知がほろび、また新しいサイクルが始まるという無常観かつ深遠な輪廻の車輪の存在を感じさせる一品だし、ラストを飾る「完全な蝶になる」は無知に対する歯止めがやっときくその軌跡の瞬間を色鮮やかに書いてなんともいえない感動がある。まだオールディスも希望を捨ててないのではと思わせる。

スピルバーグの作った「A.I.」が原作をどう解釈しているのか気になるので、今度機会があれば見てみようと思う。なんかすごい感動系みたいなプロモートだったのであまり興味がわかなかったが、実際はそうでないなら良いな。
オールディスはまず新品で手に入る長編の二作を読んでみて、感動に震えたぜ!という方々はこの本を手にとって見ることをおすすめ。

Dead Cross/Dead Cross

アメリカ合衆国はカリフォルニア州南カリフォルニアのハードコアバンドの1stアルバム。
2017年にIpecac Recordingsからリリースされた。
Dead Crossは2015年にSlayerの元ドラマーDave LombardoがカリフォルニアのハードコアバンドRetoxのメンバーといろいろな偶然が重なって始めたバンド。オリジナルメンバーだったボーカリストが脱退したため、2016年に様々なグループで活動するMike Pattonが加入した。新体制になって録音されたのがこの音源。プロデューサーはRoss Robinson。いわゆるスーパーグループなのだろうが、結果的にという感じで面白い。もともとDaveがやっていたバンドが急に解散してしまったがライブのブッキングは残っており、Rossとレコーディングを約束していたスタジオに居合わせたメンバーと結成。ボーカル脱退のため、Mikeに声をかけたと。DaveはFantomasでもドラムを叩いているからおそらくその流れでMikeを誘ったのだろう。

さてMike Pattonである。Faith No Moreのボーカリストとして有名なのだろうが、私はマスコアバンドThe Dillinger Escape Planとコラボした作品から知って、そこからMr Bungle、Fantomas、Tomahawk、Peeping Tom、Naked City(これはJohn ZornのバンドにMike Pattonが参加した感じかな?)なんかを聞いた。アヴァンギャルド・メタルというとこの人のイメージでとにかく型にはまらないボーカルワークが特徴。Bjorkの作品に声で参加したり、ラップをやったり、テクノとコラボしたりと声を武器に八面六臂の活躍をしている人だ。今度はハードコアと聞いておお?どんな?となるのが人情ってものだ。
RetoxにMike Pattonだからまあゴリゴリのハードコアにはならないだろうという事はわかる。このジャケットのアートワークは結構秀逸だと思うのだが、骸骨がバタバタ騒いでいるその軌道を描いているもので、中身の方もそうやってなんだかバタバタ騒いでいる。
イメージ的にはやはりMike PattonのプロジェクトでDaveも参加しているMelvinsのBuzらとのFantomasのごった煮グラインドコアに似ている。ただブラストビートという縛りもない中でよりPatton先生の多彩な声の魅力にあふれているのがDead Crossかな。さらに音も意図的に重さを幾分抜いてメタルの重々しさから見事に脱却している。The Dillinger Escape Planとのコラボはもっとマスマスしていたが、こちらはもっと妖しさにパラメータを振った感じ。
やはりMike Pattonの個性が凄まじく、がなりたてる早口、妙な擬音(ちゃんと歌詞があるのかも)、酔っ払ったような咆哮、金切り声、ハリとツヤのある美しくも怪しい歌声でのメロディアスな歌を歌い、オペラのように声量のあるボーカル、怪しいウィスパー、次々に飛び出してくる。それこそまるでおもちゃ箱をひっくり返したように、まるで息継ぎなしのように、違和感なく、そしてきちんと曲と調和して声だけでプログレッシブなパットン劇場を繰り広げていく。
Daveはじめとする演奏陣もそんな人間離れした個性に引けを取らずに負けじと短いスパンのなかでコロコロ変わる楽曲を提供。止まったりかと思ったら突進したり、低音かとおもったら高音に移動したり、うるさいと思ったら急に黙ったりと目まぐるしく動い気回る楽曲は次の展開が読めない。Daveのドラムは流石に手数が多くて、速度が乗っていないときでもむしろ回転しつつおかずを入れまくるように軽快かつグルーヴィ、そしてベースとギターに関しても相当変なことをやっていて1曲の中でもリフのバリエーションが非常に多彩。かなりノイジーなリフもあったりで、ボーカルが特異な分シンプルに抑えるのかと思いきや、かなりややこしいことをやっている。たまにでてくるメロディはPattonに任せているところもあって、多分ボーカル無しで聞いたらかなり演奏もすごいことになっているのではなかろうか。ふと思ったのだがひょっとしたらコロコロ展開を変えるブレイクコアもどきみたいに聞こえるかもしれない。昔のVenetian Snaresみたいな。
相当ややこしいことをやっているし、オペラっぽい雰囲気はその独特な歌唱法で演出しつつ、かったるいプログレッシブさは排除しているところがハードコアだろうか。相当異形のハードコアで、タフなそれとは全然趣が異なるが。よくPattonの関わる音楽は”変態”という言葉で語られることが多く、そういった意味ではこのDead Crossも変態的なのだが、この場合の変態的、もしくはイカれているという表現は病的とも言えるほどの表情の豊かさであろう。超高速で喜怒哀楽をコロコロ変えている人がいたらヤバイやつだが、まさにそういった感じ。それをきちんと表現できるスキルが有るのは本当すごい。

一つ不満があるとしたら音質かな。ちょっとこもっていて分離が悪い。私はあまり良い環境で音楽を聞いていないし、さらにBandcampでかったMP3形式なのでそこらへんの事情もあるかもしれない(ただこの形式でも分離が良いのはあるのでやっぱりちょっとこもっているとは思う。)が、かなりごたごたしているテクニカルなバンドなので、もっとクリアでも良かったような気もする。

さすがのクオリティは保証されているので、Mike Pattonの各種プロジェクト好きな人、FantomasとかThe Locust、Retoxとかちょっと変態的なエクストリームい音楽が好きな人は是非どうぞ。

東雅夫 編/文豪妖怪名作選

アンソロジストの東雅夫さんが編纂したその名の通り文豪たちが書いた妖怪のお話(フィクション/ノンフィクション)を集めたアンソロジー。
収録作家と作品は以下の通り(東京創元社のHPより)

「鬼桃太郎」尾崎紅葉
「天守物語」泉鏡花
「獅子舞考」柳田國男
「ざしき童子のはなし」宮澤賢治
「ムジナ」小泉八雲(円城塔訳)
「貉」芥川龍之介
「狢」瀧井孝作
「最後の狐狸」檀一雄
「山姫」日影丈吉
「屋上の怪音──赤い木の実を頬張って」徳田秋聲
「天狗」室生犀星
「一反木綿」椋鳩十
「件」内田百閒
「からかさ神」小田仁二郎
「邪恋」火野葦平
「山妖海異」佐藤春夫
「荒譚」稲垣足穂
「兵六夢物語」獅子文六
「化物の進化」寺田寅彦
文豪というので全部日本人、ラフカディオ・ハーン先生が入っているが帰化しているの日本人ということでひとつ。私は適当な読書好きなのでかつて読んだことのあるのは「天守物語」と「ムジナ」だけであとは初めて読む作品だった。

「妖怪」なのでおおよそそのプロフィールと外見(私の場合はほぼ水木しげるさんの描く姿が思い浮かんだりして、そうやって考えると本当水木しげるという人は医大で影響力のある人だったんだなと改めて思う。)がある程度はっきりしているのでよくわからない怪異と異なり概ね読む人各人に同じような姿が思い浮かぶはずである。出てくるのも河童、一反木綿、のっぺらぼう、座敷わらしなどなど結構メジャーどころが出てくるので日本人としては非常に読みやすい。尾崎紅葉の一種異様な目新しいおとぎ話もあれば、宮沢賢治の手による私達が見たことないはずなのにたしかにノスタルジーを感じ取ってしまうようなかつての日本の山野が息づいている不思議な昔話もある。
一体妖怪とは何なのか。それは今ほど科学が発展しておらず、知識の敷衍も十分でなかった時代に住む人々が説明不可能な不可知の減少に名前を与えたものと言うこともできるが、その怪異にいろいろな特性を与えて恐ろしくも可愛げのあるキャラクターにしてしまう(今で言うところの擬人化であろうか)のは、これは日本人の特性というのはきっともう何百年も変わらずに私達にあるのではなかろうか。存在のきっかけに寓意を含んだとしても(しばしば怪談や昔話というのは何らかの教訓を示唆していることが多い)、妖怪かあるいは物語の作者たちが妖怪を自由に遊ばせるものだから、ただ単に「親孝行しろ」という説教臭くてつまらないお話にならなかったのが日本のおとぎ話かもしれない。そのために怪談というのは縱橫に広がり、その真意は時に全く汲み取れないシュールさを持つこともある。そんないわば創作にうってつけの存在たちを題材に文豪たちが筆を執った作品を集めたのがこの本と言える。
なかでも気に入ったのは下記の作品。
宮澤賢治の「ざしき童子のはなし」。こちらは視界いっぱいに広がる東北の満天の星空が心のなかにブワーッとパノラマで浮かび上がってくるような静かな説得力がある。妖怪という得意な存在を呼び出すにはやはりそれなりの場所が必要(現代の怪談でも怪異が出てくるのはたいてい廃屋など曰く付きの場所だろう。)なのだが、この座敷わらしという無邪気な妖怪はまったくきれいな日本の原風景にしか生きていないのである。綺麗な水がないと生きていくことのできないカジカのように、そこには儚さとすでになくなったものに対する憧憬がある。それは大変美しく、そしてなんとなく胸を打つ。
室生犀星の「天狗」も良い。一見妖怪が出てこないような滑り出しがよい。人間なのか?妖怪なのか?という構図と、一応現代に立ち戻って科学的な説明をつける様はいかにもミステリー的だが、それでも説明のできない一抹の不安が残り続けるラストはまさに怪談といっていい。妖怪が機能なら、立派に妖怪譚である。
個人的に一番良かったのは寺田寅彦の「化物の進化」でこれは物語ではなく、物理学者でもあった寺田のエッセイというか妖怪評である。私は前々からもし科学技術の発展が人類を不老不死にするだろう、と思う人があればそれはもう信仰であり宗教にほかならないと思っている。私は科学に囲まれその恩恵を受け、科学は好きだが、それを必要以上に崇め奉っていてそれで私は実際的な人間的ですといっているような人たちが好きでないだけだ。このエッセイは1929年に書かれたのだが、もう90年弱昔には発展する科学をこのように冷静に見ている科学者の方がいたとは素直に感服する他ないし、その仰るところは非常にしっくりくる。教科書に乗せてくれと本当にそう思うくらい好きだ。
点が3つ並んでいれば人の顔に見えるのが人間なのだから、妖怪なんて現代にアホらしいというのは非常に愚かしい。豊かな想像の世界是非飛び込んでどうぞ。絢爛豪華に血みどろなんでもござれの。

2017年9月3日日曜日

ジェイムズ・エルロイ/ハリウッド・ノクターン

アメリカの作家ジェイムズ・エルロイの短編集。
個人的なエルロイの著作をちょくちょく読んでいこうシリーズの第何弾。

今度は短編集で書かれたのは1994年で、四部作の最後を飾る長編「ホワイト・ジャズ」が1992年。一区切りしたあとに書かれたのが今作ということになるのだろうか。そういうこともあって四部作に出てきたキャラクターがちょいちょい出てくる。
LAのギャングミッキー・コーエンを始め実際に当時を生きた人をしょっちゅう小説の中に登場させるのがエルロイ流(別にこの人の専売特許でもなかろうが)なのだが、今作では執筆当時存命だった人(残念ながら2017年4月に鬼籍に入られたそうだ)が主役を張っている「ディック・コンティーノ・ブルース」がやはり目玉だろうか。さすがのエルロイも当人に何回か実際にあって執筆の許諾をもらったそうな。
実際どうだったかは謎だが、エルロイが書くアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッドとは相当胡散臭いところだったらしく、今と同じ映画・芸能業界の華々しさの後ろには詐欺師と売春婦と犯罪者がひしめき合っており、彼らは金を巡って醜聞を撒き散らしている。ある意味では大らかでそんな浮ついた半端者を取り締まる警察官というのも(やはり実際のところはわからないが)結構自由に犯罪者や半端者をぶん殴ったり、袖の下を受け取ったり、権力の手先たる自分の地位をそれなりに謳歌している。いわば現代から見たらタガが半分外れかけた混沌の世界で、善悪の彼岸も曖昧なもったり暑い熱気に浮かされて右も左もろくでなしが右往左往拳や拳銃を奮っているわけで、血と暴力と死に彩られたそれはまさに低俗。美女と拳銃、血に汚れた警官バッヂなんかは完全に男(の子)の世界である。男のロマンといったら聞こえが良いし、フィクションでは概ね狂気の沙汰は褒め言葉であるが、わかりやすい権力欲、逆に恐怖心の克服、見栄なんかはばっさり益体もない、と切り捨てられるものかもしれない。だがその低俗さ、露骨な悪趣味さがエルロイの魅力だろう。エルロイの描く小説はマッチョイズム賛美、あるいはそのものの描写とはことなる。マッチョであろうとして失敗する様、といったらいいかもしれない。あるいは失敗し続ける。権謀術数渦巻く世界でもあるが、例えばエリス・ロウなんかも一皮むけば権力欲に取り憑かれた臆病者であって、どの人物も非常にピュアだと思う。不器用と言ってもいい。卑小存在が渇望するのがエルロイの書く人物たちであって、だから非常に親しみやすいんだよね。それがエルロイの書く一見とっつきにくいこと極まりないが、じつは読んでみると非常に読みやすく、また共感できる理由ではなかろうか。

薬と不眠と披露で目がかすみように、ページをめくるごとに正気を失っていく少人口たちが特徴だけど、短編だと狂気のバロメータがページ的な制限もあって振り切れないから、物足りないところもないわけではないけど、手っ取り早く楽しめる利点もある。これも現在では絶版状態だが気になる人は古本屋さんで探してみてどうぞ。

Framtid/Defeat of Civilization + Split EP Tracks

日本は大阪のクラストコアバンドの編集盤。
2017年にMCR Companyからリリースされた。
耳慣れない「Framtid」という言葉はスウェーデン語で「未来」という意味らしい。ひねくれた名前も良いけど、シンプルかつストレートでかっこいい。
2002年には1stアルバムをリリースしているから結成はその以前ということになるが、この手のバンドにありがちなあまり情報がない。Discogsを見るとそこまで音源の数が多くなく、マイペースに活動しているよう(1stと2ndの間には11年の隔たりがある)だが、その名は日本だけでなく世界でも広く知られているようで、由緒あるアメリカの音楽祭のトリを飾ったりしているそうな。名前は気になっていたし、1stのカセットはユニオン新品コーナーでも横目にしていたけどなんとなく聴けてなかったが(私はカセットを再生できる機器を持っていない)、CD形式で音源が出るということで購入してみた。タイトルもストレートで2ndアルバム(ミニアルバムと書いているページもある)「Defeat of Civilization」(2013)を主体に(アートワークはこちらのアルバムから引き継いでいるようだ、少なくとも表のカヴァーは)3つのスプリット音源(2004〜2009)を収録している。2016年の音源を除いて、概ねこのバンドの最近の音楽を聴くことができる編集版のようだ。

音の方は完全にクラストコアだ。トゲトゲに逆立てた頭、鋲を打ちまくった革ジャンという見た目、「どんな理由だろうが戦争はいらねえ」というメッセージ、見た目も音もクラストスタイル。D-ビートに高音に潰れた特徴的なサウンドのギターが乗る。思うにクラストというのは非常にとっつきにくい音楽性だ。(いろんなバンドがいるけど大抵は)メロディアスではないし。速度も速く激しいが、熱いシンガロングがあるわけではない。ひたすら疾走する地獄感に聞き手も打ちのめされるような感じがする。このバンドも間違いなくそんな厳格なクラストの血統を受け継ぐもので、決してフレンドリーではないが、ギターのノイズ加減も程よく調整されていてノイズコアというほどにリフが判別できないわけではない。終始弾き倒すでもなく、ミュートを挟んできちんと曲にメリハリをつけている。ボーカルも伝統的なクラストスタイルを受け継ぎつつ低音に特化している野太い歌唱方法とはちょっと違って中音も出ているので聴きやすいと思う。
歌詞は基本的に英語で歌われているが、この編集盤でもきちんと読める形で掲載されていてしかも和訳もついている。ハードコアで歌詞がきちんと読めるバンドが私は好きだ。私たちの主張を読んでくれ、ってことだもの。一体大抵はひどくうるさい形式で発される音楽が何を言いたいのかというのは私にとっては重要だ。戦争、(大量破壊)兵器、虐殺、格差をテーマとした歌詞からは攻撃的なパンクアティテュードをひしひしと感じられるが、思った以上に攻撃的ではないのに驚く。「あいつを打ち倒せ」「破壊しろ」なんて少なくともこの音源のどの曲でも一言も言ってない。むしろ淡々と悲劇的な光景の描写をするそれからは、怒りを通り越した嘆きを強く感じられる。音楽自体は力強くうるさいのだが、その歌詞はなんとも言えない無常観に包まれていて、それゆえ瞬間風速的な、というよりこの世の不条理に対する怒りがふつふつと燃え続けている様が感じられている。黒い瞳の奥に地獄の業火が燃え盛っているように。奥に秘めた激情が溢れてくるようで私的には非常に好きな歌詞の書き方だ。
何と言っても「ヒロシマ」「ナガサキ」という歌詞が轟音から飛び出して脳に突き刺さる15曲目「Land of Devastation」が良い。その後は「私たちは立ち続けよう あの荒廃の地に」と続く。誰を責めるわけでもないが覚悟が見て取れる、非常にかっこいい歌詞だと思う。

今ならまだ手に入りやすいと思うので、気になっている人はこのタイミングで是非どうぞ。クラストという音楽性がおっけーという人なら購入して間違いないだろう。激しい音楽性はもちろん是非歌詞も読んでいただきたい作品。オススメ。

Martyr A.D./On Earth As Its In Hell

アメリカ合衆国はミネソタ州ミネアポリスのハードコアバンドの2ndアルバム。
2004年にVictory Recordsからリリースされた。
Martyr A.D.はこの間紹介した同じくミネアポリスのハードコアバンドDisembodiedが解散後に、楽器隊(ギター、ベース、ドラム)の3人が新しく1999年に始めたバンド。残念ながら2005年には解散してしまっている。(かわりにDisembodiedが再結成している模様。)Disembodiedがかっこよかったので買った次第です。

いわゆるメタルコアというジャンルに属するバンドで、この場合のメタルコアその名の通りメタルとハードコアをくっつけた、1990年台後半にアメリカで勃興した音楽のことを指す。とにかくガッチリ金属質に武装したギターが装飾性のない鉄塊のようなリフを刻みまくるハードコアで、ハードコアの一つの信条であるスピードを犠牲にしてでもハードコアにはなかった重さを獲得しにいっている。メタルにありがちなこってりとした様式美はなく、良くも悪くも形を強引に拝借してきたようなストレートなブルータルさが特徴だろうか。どうしてもメインストリームに躍り出た激しい演奏と一点メロディアスなサビの対比が思い浮かんでしまうが、このバンドはそのようなキャッチーさとは無縁。
Disembodiedと何が違うかというとブルータルながらひたすら内にこもるような陰鬱さ、暗さがあったそちらと違って、どう聞いても明るいとはいえないのだがそれでもやや外向きに開かれた音楽を演奏しているのがこちらのバンド。なので聞きやすいというかとっつきやすいのはこちらかな?と思う。ボーカルは前バンドから人が変わっていてこの人は基本的にほぼスクリームしかしていない。いい感じに汚さのある荒々しいボーカルはやはりハードコアで、Disembodiedのボーカルの用いていたボソボソクリーン(ほぼ聞き取れない)のような技は使わないのでもっとピュアで攻撃的なハードコア。ほぼリズムだけで構成されているような、低音プラス(おそらく)ハーモニクスを聞かせた超高音の対比をバリバリに聞かせたモッシュパート(尺的には結構短い)も健在というか、より磨いてきていて、その他のリフもハードコア文脈的にひたすら攻撃的なので自然と体が暴れだす危険な音楽になっている。基本的には圧殺するような低音リフを中速で刻みまくり、曲によってはツーバスを踏んだりしてかなりデスメタリック。中音厚みがあり抜けのあるドラムの音と、ギロギロしたベース、吐き捨て型のボーカルでハードコアらしさを保っている。曲の方もよくよく練られているものの(テンポチェンジだけでない展開の妙がある)、無駄を削ぎ落とした非常に肉体的なものできっちりメタル”コア”をやっている印象。

ゴリゴリのメタルコアを聞きたい人は是非どうぞ。非常に筋肉質であくまでもハードコア。Disembodiedであったややドリーミィな陰鬱さはきれいに払拭されてよりピュアになった印象。

2017年8月28日月曜日

FULL OF HELL/THE BODY/FRIENDSHIP Japan Tour 2017@新代田Fever


まずはこの動画を見てほしい。

演奏しているのはアメリカ合衆国のFull of Hellというバンドである。ハードコアの極北パワーバイオレンスにノイズを混ぜ込んだ激烈な音楽をやっている。そんなFull of Hellが新作「Trumpeting Ecstasy」のリリースに合わせて来日するという。それなら問答無用で行くしかない。Full of Hellは日本のノイズ神Merzbowとコラボレーションを行なったことがあり2014年にも来日経験があるのだが私はいっていないため今回見るのが初めてである。Full of Hellともコラボレーション作品をリリースしている(今年もさらに1作品リリース予定)厭世ノイズ・スラッジデュオThe Bodyも帯同するのだからさらに嬉しい限りである。
典型的なオタクなので弱い言葉がいくつかある。その一つが「限定版」だ。今回FoHの新作の限定版LPがあるというので勇んでいったのだが残念ながら売り切れ。開演前にT-シャツとピンズとパッチを購入。ボーカルの方が物販にいらっしゃいましたよ。とてもにこやかでした。

Friendship
一番手は日本から若い身空で刺青びっしり親不孝アウトローたちによる重低音ハードコア。今回の来日ツアーに帯同している。彼らが今年リリースした待望の1st「Haetred」も形式は異なるもののノイズを意識した強烈なハードコアをやっており、いわば一つの潮流としてのハードコア+ノイズに対する日本の回答なのであります。
いろんなイベントで目にする彼ら。いつもとにかくセットは少ないが音のデカさとタフに持続する正確性で強烈な個性を放つドラムに目が釘付けになってしまうので、今日はそこ以外をしっかり注目という気持ち。セルフブランディングもあってかとにかく強面、タフなバンドというイメージが強い(実際タフです)が轟音に負けないようによくよく聞いて見ると曲がよく練られていることに気がつく。ドラムに目が行きがちだが、ベースとギターは非常にうまくでかい音で空間と時間を区切っている。とにかくミュートの使い方がうまく、体を揺らせるでかいビートをバンドアンサンブル全体で生み出している。ただ速い、ただ遅いではなくきちんとつんのめるようなハードコアのリズムをものにしている。
そしてまさに豪腕という感じで、膂力でテンポをぶった切るように変えて行く。「ぎゅドン!」という感じで乗せたスピード一瞬で殺してくる。これにはやはり積み上げたアンプによる非常にボリュームの大きい音が効果的だと思う。
ボーカルはフロアに降りてきて暴れる。単にステージとその下で映える、というだけでなく放っておいたら何をするかわからない、2秒後にはこっちに体を低くして突っ込んでくるのでは(実際突っ込みます)という危機感もあって目が離せない。非常に華のあるボーカルだと思う。暴れすぎてマイクが物理的に断線。MC一切なし、客に拍手する隙すら与えない孤高のステージングだった。

Endzweck
続いては1999年から活動を続ける日本のハードコアバンド、Endzweck。ライブを見るのは初めてで実はこの日とても楽しみだった。ドラムの方はとにかくいろいろな国内外のハードコアのライブに関わっているようで、お名前を見ることがとても多い。ボーカルの方はバンドと並行してきちんと社会人やれるよ!という記事がついこの間話題になった。私も読ませていただいたが非常に面白く、また社会人として感銘を受けた。なんでもやろうと思えばできるのだ。
Friendshipから一点ライトをつけた明るいステージで丁寧なMCも間に挟んで行く。演奏するのは紛れもないハードコアで明確に良い意味で流行とははっきり距離を置いた堅実なもの。基本的に速度は早めでテンポチェンジも派手には行わない。速度を落として暴れさせるようなある種の”わかりやすさ”もなし。ひたすら突っ走る。途中でマイクから音が出ないトラブルもあったが、むしろ後ろで鳴っている演奏が聴けて私的には良かった。(その後すぐにマイクは復帰した。)終始叫んでいるボーカルと対をなすように演奏はとても饒舌。日本あるギターは両方とも勢いがあるが、表現力がとても豊かで厚みのあるリフに絡みつくような中音〜高音がよく出たトレモロや単音がとにかくかっこいい。じんわりと体の奥に火をつけるような”熱さ”を感じるのは曲に感情豊かに奏でられるメロディがあるからだろうか。
ボーカルの方のバンドから一歩出たインタビューも、明るいステージングも、背中を押すような曲も、動き回るメンバーも、全てが赤裸々だ。Friendshipはベールをうまく使うバンドだが(中身がないというわけでは断じてない)、Endzweckは包み隠さずに胸を開いて感情を出して行く。とてもかっこよかった。この日むしろ異質な音楽性だけど、それゆえひときわまっすぐ輝いていた。もう途中で絶対音源買って帰ろうと思った。(実際買って帰りました。)

Endon
続いてはやはり日本からハードコアとノイズをミックスして強烈に放射しているバンド、Endon。ただしこのバンドに関しては出自がノイズではっきりとしたバンドサウンドが前に出てきたのはConvergeのKurt Ballouとがっちり手を組んだ最新作「Through the Mirror」からではなかろうか。
1曲めてっきりとニューアルバムの冒頭を飾る「Nerve Rain」かと思ったら違う。とにかく音の分離が良くて、ノイズもきっちりギターと別れて(このバンドギターは重低音で潰すのではなく、ジャキジャキした艶のあるサウンドにしていることもある)綺麗に聞こえる。とてもバンドっぽいぞ、と驚く。そういえば昨今のライブのお供である強烈な白い光を放つプロジェクターがない。なになにバンドサウンドで勝負かと思いきや、曲が進むについれてノイズ成分を強めてくる。「Your Ghost is Dead」で速くノイジーな真骨頂はその頂点を迎え、そこから一点強烈に速度を落としたスラッジノイズ地獄へ。いろいろな楽曲を連続性を持って変遷して行く様はまさにノイズそのもので、このバンドの出自を意識させる。変幻自在だがどれも強烈にEndonであるのは、このバンドの本質が曲の型にあるわけではない、ということを露骨に証明していると思う。ボーカルの方は相変わらずひたすら感情的に叫んでいる。Endonは言葉に頼らないバンドなので(抽象的であるということにこだわりがあるのではと思うが)、きっとどこの国に行っても通じるだろうなと思う。もやの中を異世界の巨獣がが悠然と歩いているような様から、ノイズはそのままにギターが物悲しいアルペジオを奏でるアルバム終盤の流れに。ここで一回放棄した理性がまた違う形で戻ってくる。落差もあって非常にドラスティック(劇的)でドラマチックだ。ビリビリ震える空気の中で、感動で身も震えた。

The Body
続いてはアメリカからの刺客、The BodyがまずはFull of Hellのつゆ払いをば。The Bodyといえば底意地の悪い、とにかく厭世感に満ちたノイズスラッジが印象的だがこの日はなんとドラムもギターもなし。メンバーの二人がそれぞれノイズ機材にがっつり向き合う特別編成のライブ。普段ならギター/ボーカルのChip Kingもインパクトがあるが、頭をがっつり剃って(長髪のイメージだったものでびっくり)EmperorのロンTに身を包んだドラム担当のLee Bufordもヒゲのせいか陰気なフィリップ・アンセルモ的な危ない空気を放射していた。怖い!
おそらくその場でアナログ音源をいじって音を出しているのだと思うが、ぶちぶちいうノイズを垂れ流す。概ねビートが入っているため思った以上に聴きやすい。しかし重たいそれはダブやテクノという観念からあまりに距離がある陰鬱さ。シンプルかつミニマルなビートにゴロゴロ唸る重低音ノイズが乗る。その上にグリッチめいたノイズが飛び回る。音はでかいし、一部はドローン的に垂れ流されるのだが、音の種類と数は極限まで削られていて、きっちりとエレクトロ方面としての質が担保されている。不穏な人の声のサンプリングも非常に効果的でこれはめちゃかっこいいし、Chip Kingの巨体とは似つかわしくない高いボーカルもバッチリ頻度高めに登場するし、これは確かにThe Body。Endonもそうだが、バンドの本質がどこにあるのか、というのがはっきりしていると多少形を変えても全く軽薄な感じがしない。結構即興的な部分もあったのか、二人のメンバーの間に緊張感があり、それがビリビリ中間で帯電しているような不穏さを生んでいた。

Full of Hell
そしていよいよFull of Hell。ああついにこの日が来たのかとすでに感動と期待でステージを見上げる視線にも熱がこもる。
ボーカルのDylanが卓に据えられた機材のつまみをいじるとヒュンヒュンノイズが飛び回る。彼がマイクを握ってからほんの数秒、そこにマジで本当にわたし的には一番期待感のこもった至福の時があったと思う。まるで爆発したかのような推進力。止まらないブラスト、ギターとベースはかなり運指の激しい複雑なリフを奏でる。そしてそこに乗るボーカル。這いずり回るような低音から耳をつんざくような高音まで、バックの演奏御構い無しに寸断なく移行する。吠えまくる。まるでツインボーカルのように隙間がない。この人は高音と低音をまるで同時に出すように、高音から一転嘔吐するようなえげつない低音に連続性を持って変遷して吐き出してくる。Endonと違ってなんとなく言葉っぽいなとわかるのだが、あまりに早くて、そして異形すぎてこの人にしかわからない言葉を喋っている異星からやって来た人みたいだ。私たちと生きている速度が違うんじゃないのというズレ感。上背のあるからだを独特のやり方で(冒頭の動画を参照ください)動かしまくる。やばい。情報量が多すぎて全く脳が追いつかない。全て別々にすごいスピードで、止まったり爆速で動いたりを繰り返しているように思う。この日どのバンドも非常に極端なハードコアを演奏したが、明らかにFull of Hellが一番振り幅がでかい。Full of Hellはハードコアというよりはやはりパワーバイオレンスだ。それも今風の爆速と低速の間を全力でシャトルランするタイプの。パワーバイオレンスはその極端さからどうしても感情が研ぎ澄まされたピュアになってしまうのだけど、Full of Hellの場合はボーカルの多彩さとそれから何よりノイズに良い意味で”雑念”というか”逆巻く感情”を込めているので、さらに情報量が多く、そしてそれがバンドサウンドのニトロのように作用している。
途中ソロめいたパートもあったがドラムがブラストしまくりで、相当ややこしいことをできているのはこの人の豪腕があってこそなのかもしれない。ごまかしのきかない凄み。この時間が終わらないでくれーと思いつつ轟音に身をまかせる気持ちの良さ。私の言いたくて言えなかったことを全部言ってくれるような、心中の感情が体の外に出ていくような快感。

念願のFull of Hellはもちろん期待のはるか上方をいく凄まじさだったし、意表を突かれたThe Bodyもむしろすげーもん見れたという感じ。一方で相対する日本勢もどのバンドも一歩も引かない堂々たる演奏で本当出てくるバンドがどれもかっこよかった。ハードコア+ノイズでもこんなに多様なバンドがいて一堂に会してそれぞれ異なる音を鳴らすってすごい。主催の方々には本当ありがとうございますという気持ち。
終演後Chip KingからT-シャツを買ったらとっても丁寧で、フィットさせてもらうと「Good!」と言って指を立てて微笑んでくれたのだけど、(Full of Hellもそうだけど)この柔和な笑顔の背後にとてつもない厭世感と断崖絶壁のような感情が渦巻いているのかと思うとなんだかゾクゾクしますね!!長生きして地獄のような音楽を作り続けて欲しいです。
最後にFull of HellのDylan(開演前も終演後も物販にいてニコニコ対応してくれました)に「日本に来てくれてありがとう」と伝えることができて(伝わったか怪しいんだけど)とてもよかった。すごく距離がある極東の異国にはるばるこうやって来てくれるのは本当嬉しいです。
というわけで非常に良いライブでした。寝るとこの感動を忘れそうなのでとにかく今日のうちに書きたかった。
Full of Hellはもう一つ公演が公式にアナウンスされたので行ける人は是非!!!!