2017年9月24日日曜日

Coke Bust/Confined

アメリカの首都コロンビア特別区(District of ColumbiaでD.C.)ワシントンのハードコアバンドの2ndアルバム。2013年にGrave Mistake Recordsからリリースされた。その後スプリット2枚とライブアルバム1枚をくっつけた「Confined/Anthology」という同じジャケット(手に取ったわけではないのでひょっとして違うかも)の編集盤もリリースされているが、私はBandcampで購入した9曲入りの「Confined」。たしかユニオンの中古LPのところでよく見るな〜と思って買ってみた次第。とにかくジャケットがかっこいい。メンバーの一人はMagurudergrindのメンバーらしい。ストレートエッジのバンドである。どうもCoke Bustというのはちょっとふざけたバンド名らしい。(なんだろうコーラの胸???スラングでしょうね。)

全9曲を9分4秒でやってのけるわけだからフルアルバムったって、普通のアルバムを聞く間に4周くらいできるコスパの良いアルバム。(最近の人はとにかく損をしたくないらしくコスパの良さを重視するよな。)とにかく激烈な音を出しているので「ウヒョーこれはパワーバイオレンス…!」と思ってしまうのだが、じっくり聞いてみるとちょっと違うかもな、というのが私の印象。
ノイジーなフィードバックにまみれたハードコアで(このアルバムでは)1分20秒より長い曲は存在せず、露骨な速度のチェンジが短い曲中で何回もある。ここまではOK。このバンドあんまりスラッシーではない。ミュートを挟んだメタリックなリフは使わないという意味で。もちろん使わないわけではないのだが、疾走するパートでは特に伝統的なハードコアの流れをくむジャージャーと休止を利かせない弾きまくるリフを使ってくる。下手すれば単調に聞こえるわけだけど、単にアップダウンで弾くのではなく抑揚は聞いているし、コード進行がよく練られているからか非常にかっこよく、かつキャッチーである。
昨今のパワーバイオレンスというと速度のチェンジ、というか低速パートに落とし込むいわゆるブレイクダウンが大胆に取り入れられており、洗練されたそれより音も汚く、ラフなアトモスフィアを感じさせるそれは遅いハードコア、つまりスラッジコアからの影響を強く感じさせる事が多い。一方速いパートはとにかく速いので、同じ曲の中で両極端を行ったり来たりするという醍醐味があるわけなのだ。しかしこのCoke Bustはそのスラッジ的な成分はあまり感じられない。遅いパートはあるのだが地獄のように遅く、引きずるようなそれではない。むしろ中速くらいで一点突っ走ったリフがちょうどよくグルーヴィにうねりだすイメージ。速度を落としても結構音の数は多い。踊れる(つまり暴れる)ハードコアというハードコア的なノリの良さはありつつ、現行のパワーバイオレンスとは微妙に一線を画す攻め方、曲の作り方である。
そう考えると前述の速いパートのリフもそうだが、パワーバイオレンスというか往年のハードコアを激速で演奏しているのがこのCoke Bustなのでは、という感じがしてきた。たしかに高速に対応する低速パートがあるわけだけど、そこもうまく自分たちなりの色を出していてちょっと他のパワーバイオレンスとは結果違うなと。ファストコアのモダンなアップデートみたいな感じだろうか。

パワーバイオレンスじゃない!ってわけではなくてよく聞くと結構面白いことやっているなあという感じで、人々がパワーバイオレンスに求める爽快な暴力性はきちんと備わっている。速いパートでも遅いパートでもスラッシーではない、リフのかっこよさがあるので大変聞きやすい。気になってい人は是非どうぞ。

2017年9月23日土曜日

ジェフリー・フォード/ガラスのなかの少女

アメリカの作家の長編小説。
山尾悠子さんの本が読みたいけど高いな〜と思っていたところ、彼女が訳している本があるという。それがジェフリー・フォードの「白い果実」という本でこちらもやはりというか国書刊行会から出版されておるわけで、それならまず作者の違う本を読んでみるかと思って手に取ったのがこの本。絶版なので中古品を購入した。

1932年のアメリカは大恐慌真っ最中。市民は貧困に喘いでいるが、金はあるところにはあるものだ。17歳の少年ディエゴはメキシコからの不法移民で今はインド人になりすまし、インチキ霊媒師トマス・シェルを父親代わりに詐欺を働いて生計を立てている。ある日訪れた金持ちの屋敷でシェルが本物の幽霊の少女を目撃、彼女はその少し前に失踪していた。ディエゴたちは彼女たちの失踪事件を調べ始める。

どうもジェフリー・フォードというのは山尾悠子さんが翻訳するくらいなので、普段は幻想文学のジャンルで活躍している人のようだが、この小説は霊媒師という”不思議”を扱いつつも結構真面目なミステリーになっている。この小説でアメリカ探偵作家クラブ賞を受賞したというのだからなかなかどうして器用な人である。禁酒法が幅を利かせており、人種差別が色濃く残る過去のアメリカのミステリーというとまっさきにジョー・ランズデールの名作「ボトムズ」が頭に浮かぶし、実際その雰囲気もいくらか共通していると思うのだが、こちらの方は「ボトムズ」ほど暴力的ではないし、むせかえるような南部のねっとりとした闇は書かれていない。フォードの幻想文学という出自もあってかもっと上品に(しかし差別や歴史の暗部に鋭くメスを入れる批判精神は負けていない)書かれているのが本作だろうか。ロマンスあり、弱い立場にいるものたちが団結して巨悪に立ち向かうという構図の胸のすく冒険的な展開もあり、さらには主人公が大人になりきれない17歳というのもあってヤングアダルト小説と言ってもいいくらいの雰囲気がある。
主人公が過去を回顧するという形式もあってか昔のアメリカのセピア写真を見ているようなノスタルジーがあってそこが魅力。インチキ霊媒師やフリークスなど、現代ではおそらく善意によって生きられない存在がたくましく生きている姿が端正な文体で描写されている。ディエゴのターバンを巻いたオンドゥーの格好もそうだが、ややゴシックな香りがするのだが、もちろんそれも虚構であって中身はもっとしたたか。蝶を愛するシェルというキャラクターの性で腕っ節で生き抜くアンダーグラウンドというより、華麗に人を煙にまく幻想味といった空気感になっている。

がっちりした男たちによるミステリーと言うよりは、どこか奇妙の色合いのする謎めいたミステリーと言う感じなので、そんな感じの世界観が好きな人は是非どうぞ。
私も楽しく読めたのでいよいよフォードの書く幻想文学の本も読んでみたいと思っている。

2017年9月18日月曜日

Queens of the Stone Age/Villains

アメリカ合衆国カリフォルニア州パームデザートのロックバンドの7枚目のアルバム。
2017年にMatador Recordsからリリースされた。
元Kyussのなんていう言葉はもはや不要になっているJosh Homme率いるロックバンドの最新作。ビルボードで3位、英国では1位、iTunesでは日本含む各国で1位になっているらしい。要するにとても売れている。この夏にはFujiRockに出演して大いに聴衆を沸かせたそうだ。
元々私は学生時代に友達から教えてもらったのが知ったきっかけ。「Songs for the Deaf」の頃で「Go with the Flow」はいいけど、友達が押している「No One Knows」はそこまで…って感じだった。(当時はグラインドコアとかを好んで聞いていた。)それがなんのきっかけかは忘れたけど再発された1stを買ったらこれにハマって、結局アルバムを買い揃えることになった。なので新作出たら買うぜとなったわけ。

プロデューサーにMark Ronsonという人を迎えていてどうもそれが結構な驚きとともに迎えられたらしい。私は知らない人なのだが調べてみるとヒットチャートによく出るような音楽を主にプロデュースしている人らしい。QotSAはいってもその出自はアンダーグラウンドであるから、そうやって表舞台の仕事をこなしている人を起用するというのは結構意外な出来事だったのかと思う。
さて多分山崎さんのサイトで見たのだと思うけど、JoshはQotSAの音楽をストーナーと評されるのをたいへん嫌っており、ロボットロックだよ!と彼の作った言葉で読んでくれといっているらしい。このロボットロックというのは機械的にという意味で確かにリフをリフレインしていく様はロボットのようだ。QotSAは面白いバンドでどんどんメジャーになっていく(というか私が知った3rdの頃は(その時点でKyussは知らなかった)とっくにメジャーなバンドだったんだけど)けどどこかのアルバムの時点で強烈にその音楽性を変えたわけではないけど、自然に少しずつ洗練されていって表舞台に出てきた、というイメージが有る。私は1stでハマッているから懐古主義者というわけではないけど「Avon」や「The Bronze」(ギターソロがめちゃかっこいい)、それから一番が「In the Shade」(ちなみに歌詞もすごく良いのだ)ってな具合で昔の曲のほうが好きかも。そんなもんで長くなってしまったけどもうロボットロックではないかな〜なんて思っていたのだが、いざ買って聞いてみると「Feet Don't Fail Me」のイントロなんてまさにロボットロックじゃん!音こそ初期のそれとは違う軽くて乾いたものだけど、まるで戯画化された工場の流れ作業を視覚的に聞いているようだ。
Joshはもっと光の中に出ていきたかったのかもしれない。7枚というアルバムの中で初期のこもって埃っぽく重量感のある、いわばストーナーの幽霊というか呪いを引きずった音(私はこの音も超好きなのだが)が徐々にJoshとバンドから落ちていき、そして残ったのが、もっと普遍的に”楽しい”(このバンドは暗い曲はいっぱいあるけど陰鬱とまで突き抜けた、あるいは落ち込んだ曲はないし、アルバムで見ればどれもやはり楽しい。)ビートがそのままリフになり、それを繰り返していくような”ロック”が残ったのかもしれない。「悪者たち」というタイトルには「ロックって悪いものでしょ」というJoshの思いが込められているとのこと。このアルバムの音は枯れたように軽く、ゆったりとしており、そしてとにかくJoshの声は演奏に縛られないくらい(音を軽くして更に歌が自由になった印象)自由だ。楽しくて、しかしでもやっぱり鈍く光るロックのかっこよさがある。それは枠にとらわれない”悪さ”でもあるのだ。演奏はソリッドだが、歌う声の艶もあって出来上がった局は非常に幻想的で浮遊感すらある。ソリッドでかつ浮遊感があるのだ。この相反する2つの要素を徐々に完成させていったのがQotSAなのだ。バンドからしたらこれはまだ通過点だろうがそれでもやはり初期から聞いていると、その進化っぷりにすげーなと思わせる。革ジャンをきて荒野を歩く大きい背中のJoshのバンドの最新作である。かっこいいぜ。

ハーメルンの笛吹き男のように男の子(と女の子)を惹き寄せてやまないQueens of the Stone Ageの新作。ロックが好きな人は是非どうぞ。おすすめ。

2017年9月17日日曜日

GASP/Sore For Days Demo'96

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのパワーバイオレンスバンドのデモ音源。
1996年に自主リリースされていたものが2017年にDark Symphoniesから再発された。もとはカセットだったが、今回はCDのフォーマットで再発。
Gaspは1996年から1999年まで活動していたバンドでフルアルバムは1枚のみしかリリースしていない。ベーシストの女性はDespise Youでツインボーカルの片方をやっていた人のようだ。InstagramやFBでの動きがあるのでどうも再活動を始めているような感じがする。Full of Hellが影響を受けたアルバムとして彼らの唯一のフル「Drome Triler of Puzzle Zoo People」(これはかのSlap a Ham Recordsからリリースされた。)を挙げていたので気になっていたのだが廃盤だしな〜と思っていたところ図ったようなタイミングで再発されたので買ってみた次第。

なんとなくパワーバイオレンスにノイズを加えた激烈なショートカットチューンをやってそうな先入観があったのだが、果たして聞いてみると結構印象が違った。
このデモ音源には8つの曲が収録されていて、トータルタイムは約28分だから結構この手のジャンルにしては尺が長い。
不穏なニュースのSEから幕を開ける1曲め表題曲「Sore For Days」からして圧倒的に遅い。ヌケの良い乾いたドラムがパタパタ刻み、その上をジリジリノイズがかかったギターが叩きのめしたような牛歩リフを奏でていくさまはどう聞いてもスラッジコア。タフというより何かに追い詰められている、もしくはそのたぐいの妄想を抱いている偏執病患者のような病的な声でタフなハードコア、パワーバイレオンスのそれとは明らかに一線を画す。もったり陰鬱なスラッジから、不穏なアルペジオを挟み突如切れたかとのように疾走パート(曲によってはブラスビートを入れているのでグラインドコアといっても差し支えないはず。)に突入する。パワーバイオレンスといっても色んな形があるが、その一つに低速から高速を中間を挟まずに移動する、というのがある。今でこそ目新しくないが、Gaspはこれをもっと時間を贅沢に使って表現している。スラッジパートはスラッジバンドのそれと同じように楽しめるし、激走パートはファストコアさながらである。今はいいとこ取りがパワーバイオレンスの醍醐味見たくなっているが、Gaspの場合はこれを馬鹿正直に1つの曲に丁寧に両パートを演奏する。曲によってはそのつなぎに不穏なパートを入れて、唐突な激速チェンジに一旦かませることで違和感を減じようとしているのだ。これは今ある程度パワーバイオレンスの方が決まっているから、こういうことができるけど当時はこれが試行錯誤の果にあった最先端だったのだと思う。これを今再発するということがどういう意味を持っているかを考えると特に。
(今聞いても)たらたら長いパワーバイレオンスにならずに、私からすると奇形のスラッジコアと言う印象が強くてめちゃかっこいい。逆に型にはまっておらず非常に自由だ。ある程度長い時間を使って曲を演奏するからこそできる、パワーバイレオンスだと思う。「何日間ものひりつく痛み」というタイトル(医者が言うセリフのようだ)が不穏である、病的なジャケットもやはり一捻りした厭世的スラッジの成分を感じてしまう。

世界で1,000枚限定とのこと。現時点では普通に店頭に並んでいるので気になっている人は早めにどうぞ。パワーバイオレンスファンはもちろん、Griefなど往年のスラッジバンドのファンにはピッタリあってくる音楽だと思う。
このアルバムはノイジーであるもののハーシュノイズの要素はあまり感じられず、話を聞いているとどうもフルアルバムはまたこの音像とは全く異なるらしいので、再始動をしている今他の音源も再発されないかなと、密かに期待しているものである。

2017年9月16日土曜日

エドワード・バンカー/ストレートタイム

アメリカの作家による長編小説。
原題は「No Beast So Fierce」、どうやらシェイクスピアの文(創作物の一部なのか、格言なのかはわからないが)の一部からとっているらしい。
1973年に発表された小説。
さて世の中にはいろいろな作家がいるが、このエドワード・バンカーという人はプロの犯罪者だったという意味で非常に珍しい経歴を持っている。プロというのはつまり犯罪で飯を食っていたという意味だ。この長編は彼が獄中で書いた(おそらく)フィクションの第一冊めということで、もちろん創作だがその多くは本人が実際に体験した事柄で構成されているようだ。あとがきでも触れられているとおり、私の好きなジェイムズ・エルロイも怪しい経歴と収監歴があるが、バンカーのように完全に犯罪をなりわいにしていた人とは明確に異なる。日本でも元ヤクザの作家の方がいるが、どうもバンカーは特定の組織に属さずに一匹狼でやっていたようだ。ギャングに関しては組織だって金儲けに特化しているが臆病だとこの作品中でバッサリ切っているのは面白い。

マックス・デンボーは31歳で仮出獄を迎えた。物心ついた頃から犯罪を働き、幼くしては感化院、ある程度の年を食ってからは監獄とシャバを行ったり来たりの毎日で、この度は八年間のお勤めを食らっていた。八年間の間にマックスは改心することを決意。もう二度と(少なくとも)重犯罪には手を出さない。まっとうな職業を得てカタギとして生きていく。しかし獄中から送った履歴書はことごとく不採用の返信が。自分には犯罪者の知り合いしかいない。果たしてまっとうに生きていけるのか、マックスは自由になれる喜びと同じくらいの不安を抱えながら出所の日を迎える。

私は犯罪者でないからこの小説がリアルであるか?という判断はできない。しかしこの物語では他の犯罪小説が書いていない(知らないのでかけないということだろうと思うが)犯罪者の生活、彼らが犯す犯罪について事細かく書いている。麻薬の隠し場所、使い方、強盗に入るときの心得、盗品の捌き方、犯罪と犯罪の合間に彼らがすること、それから犯罪者の家族に生まれるということがその後の生活どういう影響を及ぼすかなどなど。マックスの目を通して平明な文体でサラリと書いてある。(もちろんフィクションだから誇張や省略大いにあるだろうが、決して大げさに書かないのがバンカーの流儀らしく、私はそんな文体がとても好きだ。)
マックスは犯罪者以外の生活しか知らないし、当然周りの人も(出所したとしても)犯罪者として扱うので、彼は自然に昔の生活に引き戻されていく。この生き方しか知らない、といえばかっこいいが、実際にはそんな格好いいものではない。当然周囲の圧力に負けずにカタギとして改心して生きている犯罪者もいるわけで(おそらく作者もこの本を書いたあとはまっとうに生きている)、そういった意味ではこの小説はマックスによる長い言い訳でもあるのだが、それでもなかなかどうして元犯罪者というのは辛い目に合うのである。面白いのはそれでももしあなたが隣人を選べるとして、犯罪履歴のある人とない人どちらをえらぶだろうか?私はきっと犯罪歴のない人を選ぶだろうと思う、臆病者だから。マックスが悪さを犯すことを言い訳するように、私も適当な言い訳で犯罪者を差別して圧力をかけていることになるわけで、なんとも素晴らしい世界が構築されていくさまが見えるようだ。私は犯罪をおかすことは悪いことだと思うし、やはり懲役を終えても周囲の人が同じように扱うのは難しいし仕方のないことだと思うが、元犯罪者だからといって不法に不当に扱えばそれは犯罪である。その場合は犯罪者を犯罪者と断罪せしめたまさにその法で裁かれるのは当然であると思う。
デニス・ルヘインの「夜に生きる」だったと思うが、やはり犯罪者の主人公が犯罪者というのは生き方で、とにかく他人のルールで生きるのはまっぴらゴメンである、というようなことを言っていてこの小説の主人公マックスもやはり同じように感じているのが面白い。彼は誰にも守られない立場で育ったので、根本的に豊かに育った人々(例えば私のような)とは根本的に考え方が異なる。彼らは怒りで生きているようだし、実際そのようだがマックスも言うとおり人間というのはどんなときでもいかっているのは非常に難しい。そしてどんな手段で手に入ったとしてもお金はお金で、犯罪者は稼いだ金を湯水のごとく使ってしまう。一回ミスをすれば下手するとしぬ世界で、宵越しの銭はルールの中で生きているものとは異なった価値を持つ。犯罪者はこの世のすべてが虚飾で、金で楽しむ世界がかつて彼の尻を手ひどく蹴飛ばしたこともわかっているが、それでもそこで酔いしれずにはいられない。一体ルールの外で生きるとは何なのか、ルールは誰が作っているのか、本当のルーラーはどこにいるのか、私たちは誰の手のひらの上で踊っているのか、そんなことを考えるのである。

というわけで非常に面白かった。この小説はもう40年も前にかかれているのだが、犯罪者のというの何時の時代もいるし、使っているデバイスは変わっても彼らの心持ちというのはきっと大差がない。この本にはそういった意味で犯罪(者)の本質がある程度書かれているだろうと思う。気になっている人は是非どうぞ。ちなみ過剰な暴力描写なんかはあまりないのが驚きでもある。すでに絶版なので(しかし作者の他の長編「ドッグ・イート・ドッグ」がニコラス・ケイジ主演で最近映画化されているというのにその原作本すら再販しないって一体どういうことなんだろうと思わざるをえないのだが)、古本でどうぞ。

DEATH SIDE/BET THE ON POSSIBILITY

日本のハードコアバンドの2ndアルバム。
元々は1991年にSelfish Recordsからリリースされた。私は1stアルバムとともにリマスターの上Break the Recordsから再発されたCDを購入。
DEATH SIDE前作から二年後にリリースした2nd。もちろん1stと同時に購入したわけです。「その可能性に掛けろ」という希望に満ちたタイトル。バンドはこのあとはフルアルバムはリリースせずに1995年には解散している。

レコード屋のdisk unionが配布しているfollow upという冊子に今回のリマスターにあたってDEATH SIDEのボーカリストであるIshiyaさんのアルバム解説が乗っている。それによるとこのアルバムというのは、当時プログレに凝りだしたギタリストのChelseaさんがああでもない、こうでもないと1年以上もレコーディングを続けていてさらに終わりのみえない感じになっていた(非常に凝り性な方だったのだろう)のをIshiyaさんがある程度ディレクションをして完成に導いたそうだ。
もともと1stもハードコアとして素晴らしい攻撃性を持ちながらも、非常に表情豊かな曲が魅力的なアルバムだったわけで、その背後にはこのハードコア以外のジャンルに対する音楽的なバックグラウンドがあったのだろうと思う。(大体バンドをやっている人はとにかく音楽好きなのだから幅広い知見を持っているのはどのバンドでもそうだろうとは思うけど。)この2ndではさらにその方向性が推し進められており、インタールード的な曲の導入や一貫した世界観(Chelseaさんにはコンセプトアルバムにしたい!という希望があったそうだ。)、チャンネルを多用した録音、ピアノの音(!)などが取り入れられている。15曲と1stから曲数は落としているが、トータルは42分半と収録時間は伸びている。
ただ1stであった爆発するかのような推進力を失っているかというとそうではない。最後の曲が7分あるので実は1曲あたりの曲の長さも1stからそんなに変わっていない。このバンドはとにかく表現力がすごいと個人的には思うわけなんだけど、この2ndでは1stをさらに推し進めて、短く、速く、攻撃的というハードコアの枠の中で一体どれくらいの表現ができるのか、というテーマにチャレンジしている。速くて短く恐ろしい曲がハードコアの最高峰なら、Naplam Deathの名曲「You Suffer」があればハードコアはもう充分なはずではないか?
低音部だけでなく、中音域から高音域までを自由に使ったリフはなんとなくオリエンタルな雰囲気がある(1曲めや8曲目など!)、吐き捨て型のボーカルを彩る熱いコーラスワーク(にも曲によって非常にバリエーションが有る)、あいかわらずメリハリの効いた曲展開(ギターのアルペジオパートを導入するなど1stに比べるとかなり鮮やかだ。遙か後ののポストロックや激情に影響を与えたというと言いすぎだろうか。)、そこに込められた渦巻く感情の豊かさ(このあたりはただ怒りを撒き散らすのではなく、ただクソだと言い捨てられない世界に対する様々な感情を、「どうしたら良いのだ?」という一種のやるせなさに彩られた歌詞にこめているように思えて、個人的にはとても好きだ。このアルバムから歌詞はIshiyaさんも書くようになったとのこと。それまではChelseaさんが書いていたようだ。)、それを表現する叙情的なメロディ、そしてなにより技術一辺倒にはなりようがないトータルできっちりまとめるハードコア。
やはり8曲目の「Life is Only Once」が個人的には好きだ。テーマとなるリフがかっこいいし、その背後で黙々とリフを綴るようなベースも良い。その上に乗るギターは中音域がよく伸びて感情の高まりとともに高音域に伸びてくる。コーラスに彩られたボーカルがメッセージを吐き出すが、曲全体を覆う雰囲気はもっと複雑だ。そしてテーマを速度を落としながらリフレインするクライマックス。1stの「Mirror」が突進型ハードコアの一つの精華だとすると、この曲にはグラデーションがあって、ハードコアでありながらもそこを飛び越えようとするこのバンドの良さがギュッと詰まっているような気がする。

ハードコアでありながらも豊かな表現力が魅力のバンドだと思うし、まさにその限界に挑んだという感じがするのがこの2ndアルバム。個人的には非常に甲乙つけがたいのだけど、通して聞くなら1st。じっくり曲単位で聴き込むならこちらの2ndかな〜〜。是非1stとセットでどうぞ!

DEATH SIDE/WASTED DREAM

日本のハードコアバンドの1stアルバム。
元々は1989年にSelfish Recordsから発売された。私が買ったのは2017年にBreak the Recordsから三度目に再発されたもので、紙ジャケ仕様でリマスターが施されている。
DEATH SIDEは1983年、もしくは1984年頃に結成されたハードコアパンクバンドで1995年には解散している。近年何回か再結成の上、ライブをやっているようだ。
私も最近知ったのだが日本のハードコアというのはかなり独特で非常に先鋭的。日本でなく海外のバンドに多大な影響を与えたそうだ。時にバーニング・スピリットというサブジャンルで語られることもあるその手の音だが、「Burning Spirit」というのはこのDEATH SIDEというバンドの曲名である(この曲はこのアルバムでなくこのあとの2ndアルバムに収録されている)。また再結成して海外に遠征すればアメリカのニューヨークのライブハウス(700人入るという規模)が2日間瞬く間に完売するという人気がある。そんなバンドなので三回も再発されているのもうなずけるが、私は聞いたことがなかったのでこれを気に購入した次第。ボーカルのIshiyaさんが今やっているForwardのライブを何回か見て感銘を受けたというのもある。

全18曲を39分で駆け抜ける、1曲大体2分のハードコア。一般のポップスからしたら短いが、最先端のハードコアからすると馬鹿みたいに短くはないことがわかってもらえるだろう。ただその中には爆発するかのような突進力があり、それを120秒維持できる(ただ突っ走って120秒は長い)曲の構成力がある。
リマスターのせいもあるだろうが、楽器の音はどれもクリアでクラストのそれのように意図的に(あるいは環境的に)わざとたわませたような劣悪な音質で録音されていない。ベースとギターはどれもメタリックな硬質なカバーでその音を武装している。いわゆるメタリックなハードコアを演奏している。ギターは特に重量感のある太い音で曲に迫力を持たせている。基本的にミュートを多用せず(効果的に用いている場面は多々ある)、常に突っ走るように弾き、初期衝動に満ちたハードコアを自由奔放に描き出していく。だがそれならもっと曲が短くてよいはず。このギターと曲には実は結構秘密があると思う。
一つはリフが魅力てかつ多彩。ただただジャージャー、ジャージャー、ジャージャーとただ同じようなストロークでコードだけ変えて引くのではなく、きちんと抑揚がついたリフをかなりの速さで弾いている。(例えば「Laugh Til You DIe」なんかは速くて短い拍の中に乙一の多いリフがギュッとコンパクトに入って繰り返されているのがよくわかる。)速い、ミュートを使わないという厳しいルールの中で多彩なハードコアリフが詰め込まれている。後ろの演奏がこっているから基本吐き捨て型のボーカルだけど曲が非常に豊か。
もう一つ、曲がよく練られていてわかりやすい展開があること。それはリフの種類もそうだし、イントロ、Aメロ、サビのように明確に展開がわかれている日本の歌謡の影響もあるのかもしれない。(別にわかりやすいサビがあるわけではないが。)それからちゃんと聞くとハードコアのかっこよさのキモである速度(テンポ)のチェンジをうまく取り入れている。遅めのイントロから加速するのはわかりやすいし、ある程度の速度を維持しながらこっそり(ってわけでもないと思うけど)変えたりよくよく曲が練られているな〜と思うのはここらへんが由縁である。
短いけどたまに入るギターソロは昨今のハードコアのそれとは趣が異なり、かなり感情に満ちて叙情的である。コードの妙なのかわからないが曲もほどよくメロディアスである。ボーカルは叫びっぱなしなので、やはり曲が感情的なのだ。歌詞を見るとやはり怒りに満ちているのだが、その怒りを表現するにしてもいろいろな手法、アプローチでただ聞き手に叩きつける以上の成果物を提供していると思う。
とにかくアイディアと気配りがこれだけ込められているのに、結果曲からハードコアの初期衝動に満ちた攻撃性が全く削がれていないのが、この音源の一番すごいところ。凝ったリフ、メロディアスな叙情性すべて入っているが、完成したのは全くタフなハードコアだ。つまり技術的な説明をしてもこの音源に関してはその魅力を半分も伝えられないかもしれない。怒りに満ちて叫ぶのがハードコアならこのアルバムは最高のハードコアアルバムである。

前述の通り曲の良さに加えて、リマスターの質が非常に良いせいもあるのだろう、とにかく全く古びて聞こえないのでハードコア興味があるという人は(好きな人はもうすでに聞いているような気がするので)この機会に是非どうぞ。ハードコアってこんなに表現力豊かなのか!とびっくりすると思う。おすすめ。

2017年9月10日日曜日

ブライアン・オールディス/スーパートイズ

イギリスの作家の短編集。
ブライアン・オールディスといえば「地球の長い午後」が有名だろうか。いわゆるニュー・ウェーブの先鋒に数えられる人で、J・G・バラードとともにこのムーブメントの勃興と発展に大いに寄与したとか。(そういえばバラードの本は日本でも数多く出版されていてまだ読めるのに、オールディスはそうでないのはなぜなんだろう。)「地球の長い午後」は最近装いも新たに再発されたはずで私も買って読んだ。たしか弐瓶勉さんもすごい好きだ、みたいに書いているのをどこかで見た。その後何気なくかった「寄港地のない船」が素晴らしかったのだが、日本ではこの二冊くらいしか売っていないため、その他の本は読めていなかった。最近は古本を買い出し始めたので(ちょっと前まで結構抵抗あった、今でも新品のほうが好きだ。)、そういえばという感じでオールディスの短編集を買ってみた。全然知らなかったのだが、タイトルにもなっている「スーパートイズ」という非常に短い短編はスティーブン・スピルバーグの手によって「A.I.」として映画化されている。もともとはオールディスが鬼才スタンリー・キューブリックと長いことタッグを組んで映画化をもくろんでいたが、断念。ポシャった企画をスピルバーグがキューブリックの死後買い取り、「A.I.」として映画化したそうな。そんなキューブリックとの経緯を書いたオールディスのエッセイもこの本に収録されている。恥ずかしながら私は「A.I.」見ていないんだが。

SFでいうところの「ニュー・ウェーブ」というのは私はバラードの作品を通してしかほぼ触れていないので大層なことは言えないが、少なくともバラードは宇宙の神秘を外部でなくて人間の内部に求めて、それまでのSFとは趣の異なる作品を多く書いている。異常な状況に揺れる人間心理を丁寧かつ登場人物に近づきすぎないように冷静に書いているのが印象的で、非常にSF的異常な世界を書いた「結晶世界」や「沈んだ世界」に限らず、その作品的な求心力はたとえば「楽園への疾走」や「クラッシュ」など私達の日常生活、現代の状況にもその精神を適用して様々な作品を書いている。ハードコアなSF原理主義者というわけでもない私は大変面白くバラードを読み、あまりニュー・ウェーブ感を意識もしてなかったが、このオールディスの短編集を読んでなるほどニュー・ウェーブか〜と少し思った次第だ。というのもオールディスの上記2つに上げた長編というのはこれもやはり異常な世界を書いていて、その他の描写もかなりはっきり緻密になっている、いわば真面目なSFというイメージだったのだが、短編になるとその想像力とそれを形にする筆致というのはもっと自由奔放に制限のないシュールな世界を描き出すようだ。一連の「スーパートイズ」三部作はそれでも分かり易いが、ただし思っていたよりずっと短いし、意識的にほぼ登場人物たちの行動をシンプルに書いているだけである。オールディスはどうやらその言いたいところをあえて書かずに読み手に感じさせるタイプの作家のようだ。この短編集に収められている短編はどれも短く、そして世界観の異様さは様々だが(見たこともない異世界を描いているのもあれば、一見現代を舞台にしたような作品もある)たいてい説明が不足しており、ぼんやりとした認識のままきりの間から現れた断崖絶壁のように唐突のように幕を閉じていく。難怪というよりはややシュールでとにかく作者の意図が読み取りにくい。作者の意図というのは概ね読者にとっては意味のないものではあるが、それでもなにかしらの例えば批判的な精神が感じ取れる場合はそれは結構重要にもなってくる。オールディスはどうもその批判的な精神で持ってかなり痛烈かつシニカルに現代文明を風刺をしているらしいのだが、フィクションのオブラートで何重にもそれを包んでいるため、結構わかりにくくなっちゃうのだ。ただ終わりまで読むとここの作品というよりは全体的なオールディス感をつかめるのでそういった意味では大変有益な意味がある。
概ねオールディスは人間はおろかで、広大かつ深遠な自然というものが地球という楽園では人類に取って大いに有益に働いているのに(聖職者が主人公の作品もあるし異形の神が出てくる話もある。要するに神がこの楽園(もしくは別の宇宙)を意図的に作り出したという理由付け)それを全く解せず、自分たちのわがままで持って自分たちだけでなく自然とその美を破壊している。破壊している私達も連帯すれば幸福になれるチャンスが有るのに、ここの隔絶と猜疑心、エゴイズムが私達を不幸にして破滅させていると(はっきりとここが地獄だと言っている短編がある)、そういうふうに思っているようだ。非常にシニカルであって救いがない。そんな中で「遠地点、ふたたび」は無知がほろび、また新しいサイクルが始まるという無常観かつ深遠な輪廻の車輪の存在を感じさせる一品だし、ラストを飾る「完全な蝶になる」は無知に対する歯止めがやっときくその軌跡の瞬間を色鮮やかに書いてなんともいえない感動がある。まだオールディスも希望を捨ててないのではと思わせる。

スピルバーグの作った「A.I.」が原作をどう解釈しているのか気になるので、今度機会があれば見てみようと思う。なんかすごい感動系みたいなプロモートだったのであまり興味がわかなかったが、実際はそうでないなら良いな。
オールディスはまず新品で手に入る長編の二作を読んでみて、感動に震えたぜ!という方々はこの本を手にとって見ることをおすすめ。

Dead Cross/Dead Cross

アメリカ合衆国はカリフォルニア州南カリフォルニアのハードコアバンドの1stアルバム。
2017年にIpecac Recordingsからリリースされた。
Dead Crossは2015年にSlayerの元ドラマーDave LombardoがカリフォルニアのハードコアバンドRetoxのメンバーといろいろな偶然が重なって始めたバンド。オリジナルメンバーだったボーカリストが脱退したため、2016年に様々なグループで活動するMike Pattonが加入した。新体制になって録音されたのがこの音源。プロデューサーはRoss Robinson。いわゆるスーパーグループなのだろうが、結果的にという感じで面白い。もともとDaveがやっていたバンドが急に解散してしまったがライブのブッキングは残っており、Rossとレコーディングを約束していたスタジオに居合わせたメンバーと結成。ボーカル脱退のため、Mikeに声をかけたと。DaveはFantomasでもドラムを叩いているからおそらくその流れでMikeを誘ったのだろう。

さてMike Pattonである。Faith No Moreのボーカリストとして有名なのだろうが、私はマスコアバンドThe Dillinger Escape Planとコラボした作品から知って、そこからMr Bungle、Fantomas、Tomahawk、Peeping Tom、Naked City(これはJohn ZornのバンドにMike Pattonが参加した感じかな?)なんかを聞いた。アヴァンギャルド・メタルというとこの人のイメージでとにかく型にはまらないボーカルワークが特徴。Bjorkの作品に声で参加したり、ラップをやったり、テクノとコラボしたりと声を武器に八面六臂の活躍をしている人だ。今度はハードコアと聞いておお?どんな?となるのが人情ってものだ。
RetoxにMike Pattonだからまあゴリゴリのハードコアにはならないだろうという事はわかる。このジャケットのアートワークは結構秀逸だと思うのだが、骸骨がバタバタ騒いでいるその軌道を描いているもので、中身の方もそうやってなんだかバタバタ騒いでいる。
イメージ的にはやはりMike PattonのプロジェクトでDaveも参加しているMelvinsのBuzらとのFantomasのごった煮グラインドコアに似ている。ただブラストビートという縛りもない中でよりPatton先生の多彩な声の魅力にあふれているのがDead Crossかな。さらに音も意図的に重さを幾分抜いてメタルの重々しさから見事に脱却している。The Dillinger Escape Planとのコラボはもっとマスマスしていたが、こちらはもっと妖しさにパラメータを振った感じ。
やはりMike Pattonの個性が凄まじく、がなりたてる早口、妙な擬音(ちゃんと歌詞があるのかも)、酔っ払ったような咆哮、金切り声、ハリとツヤのある美しくも怪しい歌声でのメロディアスな歌を歌い、オペラのように声量のあるボーカル、怪しいウィスパー、次々に飛び出してくる。それこそまるでおもちゃ箱をひっくり返したように、まるで息継ぎなしのように、違和感なく、そしてきちんと曲と調和して声だけでプログレッシブなパットン劇場を繰り広げていく。
Daveはじめとする演奏陣もそんな人間離れした個性に引けを取らずに負けじと短いスパンのなかでコロコロ変わる楽曲を提供。止まったりかと思ったら突進したり、低音かとおもったら高音に移動したり、うるさいと思ったら急に黙ったりと目まぐるしく動い気回る楽曲は次の展開が読めない。Daveのドラムは流石に手数が多くて、速度が乗っていないときでもむしろ回転しつつおかずを入れまくるように軽快かつグルーヴィ、そしてベースとギターに関しても相当変なことをやっていて1曲の中でもリフのバリエーションが非常に多彩。かなりノイジーなリフもあったりで、ボーカルが特異な分シンプルに抑えるのかと思いきや、かなりややこしいことをやっている。たまにでてくるメロディはPattonに任せているところもあって、多分ボーカル無しで聞いたらかなり演奏もすごいことになっているのではなかろうか。ふと思ったのだがひょっとしたらコロコロ展開を変えるブレイクコアもどきみたいに聞こえるかもしれない。昔のVenetian Snaresみたいな。
相当ややこしいことをやっているし、オペラっぽい雰囲気はその独特な歌唱法で演出しつつ、かったるいプログレッシブさは排除しているところがハードコアだろうか。相当異形のハードコアで、タフなそれとは全然趣が異なるが。よくPattonの関わる音楽は”変態”という言葉で語られることが多く、そういった意味ではこのDead Crossも変態的なのだが、この場合の変態的、もしくはイカれているという表現は病的とも言えるほどの表情の豊かさであろう。超高速で喜怒哀楽をコロコロ変えている人がいたらヤバイやつだが、まさにそういった感じ。それをきちんと表現できるスキルが有るのは本当すごい。

一つ不満があるとしたら音質かな。ちょっとこもっていて分離が悪い。私はあまり良い環境で音楽を聞いていないし、さらにBandcampでかったMP3形式なのでそこらへんの事情もあるかもしれない(ただこの形式でも分離が良いのはあるのでやっぱりちょっとこもっているとは思う。)が、かなりごたごたしているテクニカルなバンドなので、もっとクリアでも良かったような気もする。

さすがのクオリティは保証されているので、Mike Pattonの各種プロジェクト好きな人、FantomasとかThe Locust、Retoxとかちょっと変態的なエクストリームい音楽が好きな人は是非どうぞ。

東雅夫 編/文豪妖怪名作選

アンソロジストの東雅夫さんが編纂したその名の通り文豪たちが書いた妖怪のお話(フィクション/ノンフィクション)を集めたアンソロジー。
収録作家と作品は以下の通り(東京創元社のHPより)

「鬼桃太郎」尾崎紅葉
「天守物語」泉鏡花
「獅子舞考」柳田國男
「ざしき童子のはなし」宮澤賢治
「ムジナ」小泉八雲(円城塔訳)
「貉」芥川龍之介
「狢」瀧井孝作
「最後の狐狸」檀一雄
「山姫」日影丈吉
「屋上の怪音──赤い木の実を頬張って」徳田秋聲
「天狗」室生犀星
「一反木綿」椋鳩十
「件」内田百閒
「からかさ神」小田仁二郎
「邪恋」火野葦平
「山妖海異」佐藤春夫
「荒譚」稲垣足穂
「兵六夢物語」獅子文六
「化物の進化」寺田寅彦
文豪というので全部日本人、ラフカディオ・ハーン先生が入っているが帰化しているの日本人ということでひとつ。私は適当な読書好きなのでかつて読んだことのあるのは「天守物語」と「ムジナ」だけであとは初めて読む作品だった。

「妖怪」なのでおおよそそのプロフィールと外見(私の場合はほぼ水木しげるさんの描く姿が思い浮かんだりして、そうやって考えると本当水木しげるという人は医大で影響力のある人だったんだなと改めて思う。)がある程度はっきりしているのでよくわからない怪異と異なり概ね読む人各人に同じような姿が思い浮かぶはずである。出てくるのも河童、一反木綿、のっぺらぼう、座敷わらしなどなど結構メジャーどころが出てくるので日本人としては非常に読みやすい。尾崎紅葉の一種異様な目新しいおとぎ話もあれば、宮沢賢治の手による私達が見たことないはずなのにたしかにノスタルジーを感じ取ってしまうようなかつての日本の山野が息づいている不思議な昔話もある。
一体妖怪とは何なのか。それは今ほど科学が発展しておらず、知識の敷衍も十分でなかった時代に住む人々が説明不可能な不可知の減少に名前を与えたものと言うこともできるが、その怪異にいろいろな特性を与えて恐ろしくも可愛げのあるキャラクターにしてしまう(今で言うところの擬人化であろうか)のは、これは日本人の特性というのはきっともう何百年も変わらずに私達にあるのではなかろうか。存在のきっかけに寓意を含んだとしても(しばしば怪談や昔話というのは何らかの教訓を示唆していることが多い)、妖怪かあるいは物語の作者たちが妖怪を自由に遊ばせるものだから、ただ単に「親孝行しろ」という説教臭くてつまらないお話にならなかったのが日本のおとぎ話かもしれない。そのために怪談というのは縱橫に広がり、その真意は時に全く汲み取れないシュールさを持つこともある。そんないわば創作にうってつけの存在たちを題材に文豪たちが筆を執った作品を集めたのがこの本と言える。
なかでも気に入ったのは下記の作品。
宮澤賢治の「ざしき童子のはなし」。こちらは視界いっぱいに広がる東北の満天の星空が心のなかにブワーッとパノラマで浮かび上がってくるような静かな説得力がある。妖怪という得意な存在を呼び出すにはやはりそれなりの場所が必要(現代の怪談でも怪異が出てくるのはたいてい廃屋など曰く付きの場所だろう。)なのだが、この座敷わらしという無邪気な妖怪はまったくきれいな日本の原風景にしか生きていないのである。綺麗な水がないと生きていくことのできないカジカのように、そこには儚さとすでになくなったものに対する憧憬がある。それは大変美しく、そしてなんとなく胸を打つ。
室生犀星の「天狗」も良い。一見妖怪が出てこないような滑り出しがよい。人間なのか?妖怪なのか?という構図と、一応現代に立ち戻って科学的な説明をつける様はいかにもミステリー的だが、それでも説明のできない一抹の不安が残り続けるラストはまさに怪談といっていい。妖怪が機能なら、立派に妖怪譚である。
個人的に一番良かったのは寺田寅彦の「化物の進化」でこれは物語ではなく、物理学者でもあった寺田のエッセイというか妖怪評である。私は前々からもし科学技術の発展が人類を不老不死にするだろう、と思う人があればそれはもう信仰であり宗教にほかならないと思っている。私は科学に囲まれその恩恵を受け、科学は好きだが、それを必要以上に崇め奉っていてそれで私は実際的な人間的ですといっているような人たちが好きでないだけだ。このエッセイは1929年に書かれたのだが、もう90年弱昔には発展する科学をこのように冷静に見ている科学者の方がいたとは素直に感服する他ないし、その仰るところは非常にしっくりくる。教科書に乗せてくれと本当にそう思うくらい好きだ。
点が3つ並んでいれば人の顔に見えるのが人間なのだから、妖怪なんて現代にアホらしいというのは非常に愚かしい。豊かな想像の世界是非飛び込んでどうぞ。絢爛豪華に血みどろなんでもござれの。

2017年9月3日日曜日

ジェイムズ・エルロイ/ハリウッド・ノクターン

アメリカの作家ジェイムズ・エルロイの短編集。
個人的なエルロイの著作をちょくちょく読んでいこうシリーズの第何弾。

今度は短編集で書かれたのは1994年で、四部作の最後を飾る長編「ホワイト・ジャズ」が1992年。一区切りしたあとに書かれたのが今作ということになるのだろうか。そういうこともあって四部作に出てきたキャラクターがちょいちょい出てくる。
LAのギャングミッキー・コーエンを始め実際に当時を生きた人をしょっちゅう小説の中に登場させるのがエルロイ流(別にこの人の専売特許でもなかろうが)なのだが、今作では執筆当時存命だった人(残念ながら2017年4月に鬼籍に入られたそうだ)が主役を張っている「ディック・コンティーノ・ブルース」がやはり目玉だろうか。さすがのエルロイも当人に何回か実際にあって執筆の許諾をもらったそうな。
実際どうだったかは謎だが、エルロイが書くアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッドとは相当胡散臭いところだったらしく、今と同じ映画・芸能業界の華々しさの後ろには詐欺師と売春婦と犯罪者がひしめき合っており、彼らは金を巡って醜聞を撒き散らしている。ある意味では大らかでそんな浮ついた半端者を取り締まる警察官というのも(やはり実際のところはわからないが)結構自由に犯罪者や半端者をぶん殴ったり、袖の下を受け取ったり、権力の手先たる自分の地位をそれなりに謳歌している。いわば現代から見たらタガが半分外れかけた混沌の世界で、善悪の彼岸も曖昧なもったり暑い熱気に浮かされて右も左もろくでなしが右往左往拳や拳銃を奮っているわけで、血と暴力と死に彩られたそれはまさに低俗。美女と拳銃、血に汚れた警官バッヂなんかは完全に男(の子)の世界である。男のロマンといったら聞こえが良いし、フィクションでは概ね狂気の沙汰は褒め言葉であるが、わかりやすい権力欲、逆に恐怖心の克服、見栄なんかはばっさり益体もない、と切り捨てられるものかもしれない。だがその低俗さ、露骨な悪趣味さがエルロイの魅力だろう。エルロイの描く小説はマッチョイズム賛美、あるいはそのものの描写とはことなる。マッチョであろうとして失敗する様、といったらいいかもしれない。あるいは失敗し続ける。権謀術数渦巻く世界でもあるが、例えばエリス・ロウなんかも一皮むけば権力欲に取り憑かれた臆病者であって、どの人物も非常にピュアだと思う。不器用と言ってもいい。卑小存在が渇望するのがエルロイの書く人物たちであって、だから非常に親しみやすいんだよね。それがエルロイの書く一見とっつきにくいこと極まりないが、じつは読んでみると非常に読みやすく、また共感できる理由ではなかろうか。

薬と不眠と披露で目がかすみように、ページをめくるごとに正気を失っていく少人口たちが特徴だけど、短編だと狂気のバロメータがページ的な制限もあって振り切れないから、物足りないところもないわけではないけど、手っ取り早く楽しめる利点もある。これも現在では絶版状態だが気になる人は古本屋さんで探してみてどうぞ。

Framtid/Defeat of Civilization + Split EP Tracks

日本は大阪のクラストコアバンドの編集盤。
2017年にMCR Companyからリリースされた。
耳慣れない「Framtid」という言葉はスウェーデン語で「未来」という意味らしい。ひねくれた名前も良いけど、シンプルかつストレートでかっこいい。
2002年には1stアルバムをリリースしているから結成はその以前ということになるが、この手のバンドにありがちなあまり情報がない。Discogsを見るとそこまで音源の数が多くなく、マイペースに活動しているよう(1stと2ndの間には11年の隔たりがある)だが、その名は日本だけでなく世界でも広く知られているようで、由緒あるアメリカの音楽祭のトリを飾ったりしているそうな。名前は気になっていたし、1stのカセットはユニオン新品コーナーでも横目にしていたけどなんとなく聴けてなかったが(私はカセットを再生できる機器を持っていない)、CD形式で音源が出るということで購入してみた。タイトルもストレートで2ndアルバム(ミニアルバムと書いているページもある)「Defeat of Civilization」(2013)を主体に(アートワークはこちらのアルバムから引き継いでいるようだ、少なくとも表のカヴァーは)3つのスプリット音源(2004〜2009)を収録している。2016年の音源を除いて、概ねこのバンドの最近の音楽を聴くことができる編集版のようだ。

音の方は完全にクラストコアだ。トゲトゲに逆立てた頭、鋲を打ちまくった革ジャンという見た目、「どんな理由だろうが戦争はいらねえ」というメッセージ、見た目も音もクラストスタイル。D-ビートに高音に潰れた特徴的なサウンドのギターが乗る。思うにクラストというのは非常にとっつきにくい音楽性だ。(いろんなバンドがいるけど大抵は)メロディアスではないし。速度も速く激しいが、熱いシンガロングがあるわけではない。ひたすら疾走する地獄感に聞き手も打ちのめされるような感じがする。このバンドも間違いなくそんな厳格なクラストの血統を受け継ぐもので、決してフレンドリーではないが、ギターのノイズ加減も程よく調整されていてノイズコアというほどにリフが判別できないわけではない。終始弾き倒すでもなく、ミュートを挟んできちんと曲にメリハリをつけている。ボーカルも伝統的なクラストスタイルを受け継ぎつつ低音に特化している野太い歌唱方法とはちょっと違って中音も出ているので聴きやすいと思う。
歌詞は基本的に英語で歌われているが、この編集盤でもきちんと読める形で掲載されていてしかも和訳もついている。ハードコアで歌詞がきちんと読めるバンドが私は好きだ。私たちの主張を読んでくれ、ってことだもの。一体大抵はひどくうるさい形式で発される音楽が何を言いたいのかというのは私にとっては重要だ。戦争、(大量破壊)兵器、虐殺、格差をテーマとした歌詞からは攻撃的なパンクアティテュードをひしひしと感じられるが、思った以上に攻撃的ではないのに驚く。「あいつを打ち倒せ」「破壊しろ」なんて少なくともこの音源のどの曲でも一言も言ってない。むしろ淡々と悲劇的な光景の描写をするそれからは、怒りを通り越した嘆きを強く感じられる。音楽自体は力強くうるさいのだが、その歌詞はなんとも言えない無常観に包まれていて、それゆえ瞬間風速的な、というよりこの世の不条理に対する怒りがふつふつと燃え続けている様が感じられている。黒い瞳の奥に地獄の業火が燃え盛っているように。奥に秘めた激情が溢れてくるようで私的には非常に好きな歌詞の書き方だ。
何と言っても「ヒロシマ」「ナガサキ」という歌詞が轟音から飛び出して脳に突き刺さる15曲目「Land of Devastation」が良い。その後は「私たちは立ち続けよう あの荒廃の地に」と続く。誰を責めるわけでもないが覚悟が見て取れる、非常にかっこいい歌詞だと思う。

今ならまだ手に入りやすいと思うので、気になっている人はこのタイミングで是非どうぞ。クラストという音楽性がおっけーという人なら購入して間違いないだろう。激しい音楽性はもちろん是非歌詞も読んでいただきたい作品。オススメ。

Martyr A.D./On Earth As Its In Hell

アメリカ合衆国はミネソタ州ミネアポリスのハードコアバンドの2ndアルバム。
2004年にVictory Recordsからリリースされた。
Martyr A.D.はこの間紹介した同じくミネアポリスのハードコアバンドDisembodiedが解散後に、楽器隊(ギター、ベース、ドラム)の3人が新しく1999年に始めたバンド。残念ながら2005年には解散してしまっている。(かわりにDisembodiedが再結成している模様。)Disembodiedがかっこよかったので買った次第です。

いわゆるメタルコアというジャンルに属するバンドで、この場合のメタルコアその名の通りメタルとハードコアをくっつけた、1990年台後半にアメリカで勃興した音楽のことを指す。とにかくガッチリ金属質に武装したギターが装飾性のない鉄塊のようなリフを刻みまくるハードコアで、ハードコアの一つの信条であるスピードを犠牲にしてでもハードコアにはなかった重さを獲得しにいっている。メタルにありがちなこってりとした様式美はなく、良くも悪くも形を強引に拝借してきたようなストレートなブルータルさが特徴だろうか。どうしてもメインストリームに躍り出た激しい演奏と一点メロディアスなサビの対比が思い浮かんでしまうが、このバンドはそのようなキャッチーさとは無縁。
Disembodiedと何が違うかというとブルータルながらひたすら内にこもるような陰鬱さ、暗さがあったそちらと違って、どう聞いても明るいとはいえないのだがそれでもやや外向きに開かれた音楽を演奏しているのがこちらのバンド。なので聞きやすいというかとっつきやすいのはこちらかな?と思う。ボーカルは前バンドから人が変わっていてこの人は基本的にほぼスクリームしかしていない。いい感じに汚さのある荒々しいボーカルはやはりハードコアで、Disembodiedのボーカルの用いていたボソボソクリーン(ほぼ聞き取れない)のような技は使わないのでもっとピュアで攻撃的なハードコア。ほぼリズムだけで構成されているような、低音プラス(おそらく)ハーモニクスを聞かせた超高音の対比をバリバリに聞かせたモッシュパート(尺的には結構短い)も健在というか、より磨いてきていて、その他のリフもハードコア文脈的にひたすら攻撃的なので自然と体が暴れだす危険な音楽になっている。基本的には圧殺するような低音リフを中速で刻みまくり、曲によってはツーバスを踏んだりしてかなりデスメタリック。中音厚みがあり抜けのあるドラムの音と、ギロギロしたベース、吐き捨て型のボーカルでハードコアらしさを保っている。曲の方もよくよく練られているものの(テンポチェンジだけでない展開の妙がある)、無駄を削ぎ落とした非常に肉体的なものできっちりメタル”コア”をやっている印象。

ゴリゴリのメタルコアを聞きたい人は是非どうぞ。非常に筋肉質であくまでもハードコア。Disembodiedであったややドリーミィな陰鬱さはきれいに払拭されてよりピュアになった印象。

2017年8月28日月曜日

FULL OF HELL/THE BODY/FRIENDSHIP Japan Tour 2017@新代田Fever


まずはこの動画を見てほしい。

演奏しているのはアメリカ合衆国のFull of Hellというバンドである。ハードコアの極北パワーバイオレンスにノイズを混ぜ込んだ激烈な音楽をやっている。そんなFull of Hellが新作「Trumpeting Ecstasy」のリリースに合わせて来日するという。それなら問答無用で行くしかない。Full of Hellは日本のノイズ神Merzbowとコラボレーションを行なったことがあり2014年にも来日経験があるのだが私はいっていないため今回見るのが初めてである。Full of Hellともコラボレーション作品をリリースしている(今年もさらに1作品リリース予定)厭世ノイズ・スラッジデュオThe Bodyも帯同するのだからさらに嬉しい限りである。
典型的なオタクなので弱い言葉がいくつかある。その一つが「限定版」だ。今回FoHの新作の限定版LPがあるというので勇んでいったのだが残念ながら売り切れ。開演前にT-シャツとピンズとパッチを購入。ボーカルの方が物販にいらっしゃいましたよ。とてもにこやかでした。

Friendship
一番手は日本から若い身空で刺青びっしり親不孝アウトローたちによる重低音ハードコア。今回の来日ツアーに帯同している。彼らが今年リリースした待望の1st「Haetred」も形式は異なるもののノイズを意識した強烈なハードコアをやっており、いわば一つの潮流としてのハードコア+ノイズに対する日本の回答なのであります。
いろんなイベントで目にする彼ら。いつもとにかくセットは少ないが音のデカさとタフに持続する正確性で強烈な個性を放つドラムに目が釘付けになってしまうので、今日はそこ以外をしっかり注目という気持ち。セルフブランディングもあってかとにかく強面、タフなバンドというイメージが強い(実際タフです)が轟音に負けないようによくよく聞いて見ると曲がよく練られていることに気がつく。ドラムに目が行きがちだが、ベースとギターは非常にうまくでかい音で空間と時間を区切っている。とにかくミュートの使い方がうまく、体を揺らせるでかいビートをバンドアンサンブル全体で生み出している。ただ速い、ただ遅いではなくきちんとつんのめるようなハードコアのリズムをものにしている。
そしてまさに豪腕という感じで、膂力でテンポをぶった切るように変えて行く。「ぎゅドン!」という感じで乗せたスピード一瞬で殺してくる。これにはやはり積み上げたアンプによる非常にボリュームの大きい音が効果的だと思う。
ボーカルはフロアに降りてきて暴れる。単にステージとその下で映える、というだけでなく放っておいたら何をするかわからない、2秒後にはこっちに体を低くして突っ込んでくるのでは(実際突っ込みます)という危機感もあって目が離せない。非常に華のあるボーカルだと思う。暴れすぎてマイクが物理的に断線。MC一切なし、客に拍手する隙すら与えない孤高のステージングだった。

Endzweck
続いては1999年から活動を続ける日本のハードコアバンド、Endzweck。ライブを見るのは初めてで実はこの日とても楽しみだった。ドラムの方はとにかくいろいろな国内外のハードコアのライブに関わっているようで、お名前を見ることがとても多い。ボーカルの方はバンドと並行してきちんと社会人やれるよ!という記事がついこの間話題になった。私も読ませていただいたが非常に面白く、また社会人として感銘を受けた。なんでもやろうと思えばできるのだ。
Friendshipから一点ライトをつけた明るいステージで丁寧なMCも間に挟んで行く。演奏するのは紛れもないハードコアで明確に良い意味で流行とははっきり距離を置いた堅実なもの。基本的に速度は早めでテンポチェンジも派手には行わない。速度を落として暴れさせるようなある種の”わかりやすさ”もなし。ひたすら突っ走る。途中でマイクから音が出ないトラブルもあったが、むしろ後ろで鳴っている演奏が聴けて私的には良かった。(その後すぐにマイクは復帰した。)終始叫んでいるボーカルと対をなすように演奏はとても饒舌。日本あるギターは両方とも勢いがあるが、表現力がとても豊かで厚みのあるリフに絡みつくような中音〜高音がよく出たトレモロや単音がとにかくかっこいい。じんわりと体の奥に火をつけるような”熱さ”を感じるのは曲に感情豊かに奏でられるメロディがあるからだろうか。
ボーカルの方のバンドから一歩出たインタビューも、明るいステージングも、背中を押すような曲も、動き回るメンバーも、全てが赤裸々だ。Friendshipはベールをうまく使うバンドだが(中身がないというわけでは断じてない)、Endzweckは包み隠さずに胸を開いて感情を出して行く。とてもかっこよかった。この日むしろ異質な音楽性だけど、それゆえひときわまっすぐ輝いていた。もう途中で絶対音源買って帰ろうと思った。(実際買って帰りました。)

Endon
続いてはやはり日本からハードコアとノイズをミックスして強烈に放射しているバンド、Endon。ただしこのバンドに関しては出自がノイズではっきりとしたバンドサウンドが前に出てきたのはConvergeのKurt Ballouとがっちり手を組んだ最新作「Through the Mirror」からではなかろうか。
1曲めてっきりとニューアルバムの冒頭を飾る「Nerve Rain」かと思ったら違う。とにかく音の分離が良くて、ノイズもきっちりギターと別れて(このバンドギターは重低音で潰すのではなく、ジャキジャキした艶のあるサウンドにしていることもある)綺麗に聞こえる。とてもバンドっぽいぞ、と驚く。そういえば昨今のライブのお供である強烈な白い光を放つプロジェクターがない。なになにバンドサウンドで勝負かと思いきや、曲が進むについれてノイズ成分を強めてくる。「Your Ghost is Dead」で速くノイジーな真骨頂はその頂点を迎え、そこから一点強烈に速度を落としたスラッジノイズ地獄へ。いろいろな楽曲を連続性を持って変遷して行く様はまさにノイズそのもので、このバンドの出自を意識させる。変幻自在だがどれも強烈にEndonであるのは、このバンドの本質が曲の型にあるわけではない、ということを露骨に証明していると思う。ボーカルの方は相変わらずひたすら感情的に叫んでいる。Endonは言葉に頼らないバンドなので(抽象的であるということにこだわりがあるのではと思うが)、きっとどこの国に行っても通じるだろうなと思う。もやの中を異世界の巨獣がが悠然と歩いているような様から、ノイズはそのままにギターが物悲しいアルペジオを奏でるアルバム終盤の流れに。ここで一回放棄した理性がまた違う形で戻ってくる。落差もあって非常にドラスティック(劇的)でドラマチックだ。ビリビリ震える空気の中で、感動で身も震えた。

The Body
続いてはアメリカからの刺客、The BodyがまずはFull of Hellのつゆ払いをば。The Bodyといえば底意地の悪い、とにかく厭世感に満ちたノイズスラッジが印象的だがこの日はなんとドラムもギターもなし。メンバーの二人がそれぞれノイズ機材にがっつり向き合う特別編成のライブ。普段ならギター/ボーカルのChip Kingもインパクトがあるが、頭をがっつり剃って(長髪のイメージだったものでびっくり)EmperorのロンTに身を包んだドラム担当のLee Bufordもヒゲのせいか陰気なフィリップ・アンセルモ的な危ない空気を放射していた。怖い!
おそらくその場でアナログ音源をいじって音を出しているのだと思うが、ぶちぶちいうノイズを垂れ流す。概ねビートが入っているため思った以上に聴きやすい。しかし重たいそれはダブやテクノという観念からあまりに距離がある陰鬱さ。シンプルかつミニマルなビートにゴロゴロ唸る重低音ノイズが乗る。その上にグリッチめいたノイズが飛び回る。音はでかいし、一部はドローン的に垂れ流されるのだが、音の種類と数は極限まで削られていて、きっちりとエレクトロ方面としての質が担保されている。不穏な人の声のサンプリングも非常に効果的でこれはめちゃかっこいいし、Chip Kingの巨体とは似つかわしくない高いボーカルもバッチリ頻度高めに登場するし、これは確かにThe Body。Endonもそうだが、バンドの本質がどこにあるのか、というのがはっきりしていると多少形を変えても全く軽薄な感じがしない。結構即興的な部分もあったのか、二人のメンバーの間に緊張感があり、それがビリビリ中間で帯電しているような不穏さを生んでいた。

Full of Hell
そしていよいよFull of Hell。ああついにこの日が来たのかとすでに感動と期待でステージを見上げる視線にも熱がこもる。
ボーカルのDylanが卓に据えられた機材のつまみをいじるとヒュンヒュンノイズが飛び回る。彼がマイクを握ってからほんの数秒、そこにマジで本当にわたし的には一番期待感のこもった至福の時があったと思う。まるで爆発したかのような推進力。止まらないブラスト、ギターとベースはかなり運指の激しい複雑なリフを奏でる。そしてそこに乗るボーカル。這いずり回るような低音から耳をつんざくような高音まで、バックの演奏御構い無しに寸断なく移行する。吠えまくる。まるでツインボーカルのように隙間がない。この人は高音と低音をまるで同時に出すように、高音から一転嘔吐するようなえげつない低音に連続性を持って変遷して吐き出してくる。Endonと違ってなんとなく言葉っぽいなとわかるのだが、あまりに早くて、そして異形すぎてこの人にしかわからない言葉を喋っている異星からやって来た人みたいだ。私たちと生きている速度が違うんじゃないのというズレ感。上背のあるからだを独特のやり方で(冒頭の動画を参照ください)動かしまくる。やばい。情報量が多すぎて全く脳が追いつかない。全て別々にすごいスピードで、止まったり爆速で動いたりを繰り返しているように思う。この日どのバンドも非常に極端なハードコアを演奏したが、明らかにFull of Hellが一番振り幅がでかい。Full of Hellはハードコアというよりはやはりパワーバイオレンスだ。それも今風の爆速と低速の間を全力でシャトルランするタイプの。パワーバイオレンスはその極端さからどうしても感情が研ぎ澄まされたピュアになってしまうのだけど、Full of Hellの場合はボーカルの多彩さとそれから何よりノイズに良い意味で”雑念”というか”逆巻く感情”を込めているので、さらに情報量が多く、そしてそれがバンドサウンドのニトロのように作用している。
途中ソロめいたパートもあったがドラムがブラストしまくりで、相当ややこしいことをできているのはこの人の豪腕があってこそなのかもしれない。ごまかしのきかない凄み。この時間が終わらないでくれーと思いつつ轟音に身をまかせる気持ちの良さ。私の言いたくて言えなかったことを全部言ってくれるような、心中の感情が体の外に出ていくような快感。

念願のFull of Hellはもちろん期待のはるか上方をいく凄まじさだったし、意表を突かれたThe Bodyもむしろすげーもん見れたという感じ。一方で相対する日本勢もどのバンドも一歩も引かない堂々たる演奏で本当出てくるバンドがどれもかっこよかった。ハードコア+ノイズでもこんなに多様なバンドがいて一堂に会してそれぞれ異なる音を鳴らすってすごい。主催の方々には本当ありがとうございますという気持ち。
終演後Chip KingからT-シャツを買ったらとっても丁寧で、フィットさせてもらうと「Good!」と言って指を立てて微笑んでくれたのだけど、(Full of Hellもそうだけど)この柔和な笑顔の背後にとてつもない厭世感と断崖絶壁のような感情が渦巻いているのかと思うとなんだかゾクゾクしますね!!長生きして地獄のような音楽を作り続けて欲しいです。
最後にFull of HellのDylan(開演前も終演後も物販にいてニコニコ対応してくれました)に「日本に来てくれてありがとう」と伝えることができて(伝わったか怪しいんだけど)とてもよかった。すごく距離がある極東の異国にはるばるこうやって来てくれるのは本当嬉しいです。
というわけで非常に良いライブでした。寝るとこの感動を忘れそうなのでとにかく今日のうちに書きたかった。
Full of Hellはもう一つ公演が公式にアナウンスされたので行ける人は是非!!!!

2017年8月27日日曜日

大岡昇平/野火

日本の作家の長編小説。
「野火」といえば2015年に塚本晋也さんがメガホンを取った映画が記憶に新しい。(ちなみにそれより以前に市川崑さん監督でも映画化されている。)私はこの映画は見ていない。終戦の8月ということを強く意識したわけではないが、なんとなく買ってみた。

太平洋戦争最中、田村は一等兵としてフィリピンはレイテ島の戦線に派兵されるが、結核の症状により事実上戦線から脱落。病院では食料の乏しい患者は受け入れていないこともあり、アメリカ軍の攻撃に合わせて発生した混乱をきっかけに田村はフィリピンの野を彷徨う。そこで田村はフィリピンの美しい自然と仲間の死体を目にし、そして常に飢えに悩まされる。彷徨する田村はやはり離散した日本兵たちと合流、彼らは別の戦地で人肉を喰って永らえたという。田村たちは退却に備えて日本軍が集合しているというレイテ島北部パロンポンを目指す。相変わらず食料は不足している。

私も読む前からなんとなく知っているが大岡昇平さんの「野火」は悲惨な戦争を描いているのが一つ、それから大体の(先進した)文化に属する人間に取ってのタブーである人肉食について書いているのが一つだ。好んで人肉を食べる人もいないから、そうさせる状況つまり戦争の悲惨さを書いている小説で、戦争だから仕方がないという許しの中に”人肉食”が果たして含まれるのか、という結構凄惨なテーマも入っているのではと思う。
銃弾飛び交う鉄火場の派手さというのはこの小説ではなく、日本兵は強大なアメリカ国にいいように蹴散らされている。戦線は散り散りで戦局は分散されており、散発的に敗残兵に対して主に迫撃砲を主体とした攻撃がなされるといった体である。この物語はとにかく人間の体にフォーカスしており、そこに戦争の悲惨さの秘密がある。派手などんぱちはなく、壊されるべく存在する戦場の絆といったものもなく、ただただ人体が不潔に汚され、清潔にされないまま損壊し、命を失って腐っていく。だから常に戦いの後の死体の描写がされる。多くはおり重なり、南国の熱気に当てられ醜く膨らんでいる。生命溢れる、ということは死体もむしろ自然の産物のはずだが、楽園のようなレイテ島で日本兵の死体はなぜか汚らしく、妙に不自然に見える。それが戦争という不合理を表現しているようにも思う。確かティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」だったか、兵士というのは不思議なもので通常の生活では全く信用できないようなやつでも戦場では命を預ける、みたいな書き方があってそれが印象に残っている。この物語でも田村は兵士たちと独特の関係を築くのだが、それも大抵は油断ならなくて簡単に壊れてしまう。極限状態なのでエゴがむき出しになり、塩を持っているという利点でのみ仲間とみなされる、お互いに信用できない共生関係、そして同士討ちと碌でもない。私は優しいふりをするのが優しい人だと思うので、こういうのを読んで人の本質は悪だとか言いだす人に対しては「何いってんいるんだろう」となってしまう。ここにあるのは本質だが、それは半分であって普段隠されているといってもそれこそが真実というわけではない。いわば建前を剥ぎ取った原始の状態に戻らざるを得ないのが極限状態であって、それはやはり戦争はよろしくないということになる。
兵士といえば鉄の掟で縛られた集団というイメージだが、とにかく日本軍はすでにバラバラで兵士たちが単独で動いている。だからこの小説ではアメリカでは決して描かれることはなかっただろう。田村はフラフラのていでレイテ島を彷徨う。一人で、そして仲間たちと。どこにいても彼は全くその場に馴染めていない。このどこにも属する場所がない、というのが戦争小説では非常に特異だし、同時に戦争の範疇を超えた趣をこの物語に追加しているように思う。田村の意識は拡大し、神との対話も始まるが、やはり独りよがりで救いがない。一体地の果てまでいって、そして命からがら帰ってきてそれでもやっぱり居場所がない。それは一体戦争とそこでの経験が田村を変えてしまったのだろうか。物語の後半、最後の部分に関してはどうしても私的には解釈が難しい。戦争が与えた傷とそこにタブーが関わっているわけで、結果発狂というのもわからなくはないがどうしても正直なところ少し安直に思えてしまう気もするが。途中で出てくる半分錯乱した男が「帰りたい」「俺が死んだら食べていいよ」というところの方が私的にはグッときた。ああ、戦争は嫌だと思った。

戦争に対しては私は色々思うことがあって結果ちょっとわからなくなっている。この本を読んでもやっぱりわからないな〜と思うけど、やはり戦争は嫌だ。戦争というよりは日本兵、望まないで戦場に取られた全ての兵士の気持ちがこの本を読めば少しはわかるかもしれない。楽しくはないが、良い小説だ。こういう本をたくさん読むのはいいことだと信じている。

Arms Race/New Wave of British Hardcore LP

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国はロンドンのハードコアバンドの1stアルバム。
2016年にLa Vida Es Un Musからリリースされた。
どうもあまりネットに情報のないバンドのようで2013年にはデモ音源を出しているから結成はそれ以前。現在は専任ボーカルにギタリストが二人の5人体制で活動しているようだ。私は全く知らなかったのだが来日するというので音源を買って見た次第。

「New Wave of British Hardcore」というタイトルが面白い。明らかに「NWOBHM」つまり「New Wave of British Heavy Metal」をもじっている。元ネタはニュー・ウェーブといっても1970年代のムーブメントなので、それから40年経って今度はハードコアの番だ!ということだろうか。
音の方はというと明らかにオールドスクール・ハードコアだ。最近はやりのモッシュパートを後列に意識したハードコアとも、ノイズなどの夾雑物を一切含まない混じりっけなしのハードコアだ。速度は速いがパワーバイオレンスとは明らかに違うどっしりと構えたハードコア。全身が固い筋肉で覆われたしなやかで攻撃的なそれである。ちなみにバンド名は「銃器競争」ではなく「軍事拡張競争」という意味だそうだ。
カチカチに固めたスネアの音が気持ち良いドラムが気持ちが良い。いわゆるDビートとは異なってよく動くベースと相まってより開放感がある土台を作っている。ギターに関してもざらついたほどよい厚みのある音で、クラスト勢に比べると圧倒的にグルーヴィでミュートをあまり使わない弾き方もあってとにかく前に前に出る。ただ早く突っ走るのではなく、曲に展開をつけているのでそこで緩急が生まれる。ギターソロは皆無でほぼほぼハードコアのビート感の詰まった疾走感で空間を埋めていく。店舗のチェンジとリフの転換がカッツリ合わさって非常に気持ちが良い。
どうもボーカリストの方は2000年代後半から2012年頃の英国のハードコアについて不満があるらしく(曰くうつ病の時期)、それに対する生きの良いハードコアという意味でNew Wave of British Hardcoreというムーブメントを盛り上げ、そして初のフル音源の冠にその言葉を選んだようだ。なるほどリバイバルの雰囲気はありつつも、ハードコアの真髄である生きている、気力のある、そして聴く人を奮い立たせる音楽を演奏している。ピットが盛り上がれば良いとはやはりボーカリストの言で、わかりやすく踊れる(=暴れる)パートがあるわけではないが、やはり体が動いてしまうあのつんのめるようなハードコアのビートにあふれている。

音源を購入してから知ったのだが、ライブ写真を見ると非常にいかつい。音源よかったらライブ行こうかな、とか思っていたが私のような者が入ったら死ぬのでは、と身の危険を感じるレベル。非常にタフだ。怖いものみたいさでちょっと興味があるな、ライブ。
非常にタフなハードコア。この時代生き残るには力強さが必要だと思う人は是非どうぞ。夢見る隙がないほど肉体的な音楽。とてもかっこいいです。

2017年8月20日日曜日

ロジャー・ホッブズ/ゴーストマン 時限紙幣

アメリカの作家による犯罪小説。
大学在学中にこの物語を書き上げ、卒業の日にエージェントに送付。デビューが決まり2013年に出版されるや名だたるミステリーに送られる文学賞を受賞。映画化も決定したという作品。私はtwitterでオススメされていたので購入して見た。

私の名前はゴーストマン。プロの銀行強盗で自分を含めて姿を消すのが仕事。変装のプロで様々な年齢の”誰か”に変身することができる。恋人がいなければ友達もいない。家族もいない。一つのところに留まらない。孤独でいることがプロの鉄則だからだ。よほどの強盗仕事でなければ引き受けない。そもそも普通の人は自分に連絡を取ることすら不可能だ。普段は古典の翻訳をやっている。そんな私に世界屈指のジャグマーカー(強盗仕掛け人)から仕事の依頼がくる。彼の仕事に問題が発生し、カジノから強奪した金を回収しろという。その金には時限爆弾がついており、時が来れば爆発しあっという間に当局に取り囲まれてしまう。通常なら受けない仕事だが、ジャグマーカーであるマーカスには大きい借りがあった。私、ゴーストマンはニュージャージー州に飛んだ。

銀行強盗は割りに合わない。だいたいの人がそう思っているだろうし、実際そうだろうと思う。とにかく警備が厳重であり、何かあればすぐに警察が押し寄せる。いわばそんな難攻不落な不可能に挑む犯罪者の話が今作。行き当たりばったりの低所得者、ジャンキーたちの犯罪とは違う、ゴーストマンを始め、ジャグマーカー(立案者)、ホイールマン(逃し屋、車の運転係)、ボックスマン(金庫をこじ開ける鍵師)、ボタンマン(力仕事担当)などその道のプロたちが綿密な計画を立て、強奪を実行する。性格上スピードが絶対的に求められるため、そのやり口は芸術的である。(フィクションならね)だから危なくもスタイリッシュという雰囲気があるわけで、そういう意味で非常に人を惹きつける小説である。ゴーストマンはその名の通り人々の記憶に残らない幽霊男。彼が一人で失敗しつつあるカジノ強奪計画を解決に導く。出てくるのは犯罪者たちばかりで金を巡って荒事の連続、銃も打たれれば人は死に、麻薬が出てくる。非常に派手な物語である。主人公が目立たないが実は凄腕というのは「暗殺者グレイマン」に似ている。あちらはスパイだったから、物語は壮大だったが、こちらはあくまでも強盗なのでスケールとしては街レベルだがそのぶん身近に感じられて良い。美女が出てくるわけでもなく、誰も信用しないゴーストまんが孤独に戦っていく。こいつは顔のない男なのだが、ところどころ個性と弱点が露出しており、そこが面白い。マーカスに借りを作るきっかけになった彼の過去の失敗についても同時進行で語れるわけでそういった意味では、ただただ無敵の男の活躍を指をくわえて見るというのではなくそこが良い。作者のホッブズはドナルド・E・ウェストレイクを敬愛していて彼の書いた「悪党パーカー」シリーズ(メル・ギブソン主演で映画化された「ペイバック」が有名か)の主人公、冷徹でタフな男パーカーをゴーストマンの手本としたとか。なるほど納得できる人物造形である。パーカーは女を必要とするが、ゴーストマンはもっと孤独で、もっと冷徹である。ただ結構こだわりもあれば、弱みもある(ただこの弱みは今作ではあまりマイナスに働かない。)という人間的な要素を入れたのは非常に良かった。
ただちょっとやっぱり強すぎるところが気になったかな。結構何回も窮地に陥るのだが、機転とハッタリで切り抜けるのはともかく、肉体的にも非常に強い。そもそもゴーストマンというのは逃し屋に属するはずで、そんな人が強くても良いのだが変装の名手という以外でもゴーストマンのゴーストマンたる所以がもうちょっと欲しかったところ。これだと変装のうまいボタンマンと変わらない。そういった意味ではチーム一丸となる過去編の方が好みだったかな。

非常によく練られた小説で、当時大学生だったホッブズは自分から遠い世界を描くためにならず者たちにバーでその半生を語ってもらったとか。やはり作者からしてプロな人だと思う。非常に残念ながら昨年28歳の若さで逝去されたそうで非常に残念なことだ。2作目は出版されることが決まっている。ワクワクする犯罪小説を読みたい人はどうぞ。

Guilty Forest & MOCHI presents Under The Surface Vol.4@東高円寺二万電圧

暑いのが苦手なのでしばらくライブに行かずにいたのだが、気になるバンドがいくつか出演するイベントがあるというので参加してきた。
主催の一方であるGuilty Forestとは同名の音楽レビューサイトでまずサイト名が良い。おそらくCoaltar of the Deepersの曲からとったのだと思うが。今は休止中のようだが昔から愛読していて、このブログがきっかけで購入した音源も少なからずある。そんな人とそのお友達(のMochiさん、この方はこの前までプロの音楽ライターだったようだ。)が主催するのだから良い企画に違いないのだが、私が参加するのは今回4回目が初めてである。「表層の下」という規格名通り、アンダーグランドと呼ばれるバンドを集めた企画。面白いのは結構ジャンルがバラバラのようだ。私がきちんと音源を持って聞いたことがあるのはRedsheerとSunday Bloody Sundayだけ。その二つをみるのはもちろん名前は知っているものの気になっているバンド、名前すら知らなかったバンドも名を連ねており、これは良い感じである。雨の予報だったが開演少し前にギリギリ降られずにつくことができた。しかし雷鳴がすごくまさに嵐の予感を孕んだ、むしろこの手のジャンルには吉兆のような幕開けだった。

Redsheer
一番手はRedsheer。このバンドはカオティックでとてもストレートとは言い切れないのだが無駄な装飾が一切ない。むき出しという感じがしていて、それも暗いし陰鬱といった音楽性なのだがなぜだか心にビシビシくる。ハードコアなので高揚感があるが、いわゆる血気盛んなそれらと違ってじんわり私に細胞に音が浸透してくる。ライブだと特に。
いつもただただ圧倒されるのがドラムなのだが、今日よく聞いてみると相当複雑ではなかろうか。三拍子だったり、色々な音がなっていてそもそも何ビートなのかわからなかったりする。それが同じ曲の中でコロコロ表情を変えていく。派手な必殺技を出してくるのではなく地の部分がすでに複雑なのだ。それに乗っかるギターも3人体制という布陣の弱点を補って余りある分厚さである。おそらくだが一度に低弦の数が多い。だからRedsheerの音はただただ低音によっているわけではなく、厚みのある音の中に高音から低音までがぎっしり詰まっている。こちらもテクニカルなソロを弾くわけではないが、いくつもの展開をめまぐるしく(余り感じさせないのがすごい)変えていく。とにかく表情豊かなバンドなのだが、こういう音の作り方も絶対その完成形に一役買っているはず。
曲全体では渦巻きのように落ち込んでいくのだが、決死のボーカルの絶叫はその落下に抵抗しているように思える。だから退廃的(いわば理想形としての美しい後退)というよりは血が通っている(時になりふり構わない生々しさ)し、むしろ絶望的(な抵抗)とも言える。それが良い。非常に良い。1000の安い応援ソングよりも私の心を打つ。今日もかっこよかった。

Punhalada
続いては名古屋のバンドPunhalada。ブラジルと日本の混成バンドとのこと。バンド名はポルトガル語で「刺す」という意味だと思う。みるのも聞くのも初めて。おどろおどろしいアートワークからオールドスクール・デスメタルバンドかと思っていたが、半分正解だった。ボーカルの方がブラジルの方だろう。がっしりとした巨躯にカリカリの頭髪はさすがに日本人離れしている。
Redsheerと比べると圧倒的に音がかっちりしている。鈍重なデスメタルというよりはかっちりとしたクロスオーバー・スラッシュという感じでザクザク刻んでいくギターに吐き捨て型のボーカルが乗っていくストロングなスタイル。びっくりしたのはギターの方とベースの方のボーカルの入れ方。力強いシャウトなのだが、これが曲に圧倒的なハードコア感をプラスしている。今年何回か見ているいわゆるジャパニーズ・スタイルのハードコアを彷彿とさせる。そういえば短く生き急いでるようなギターソロもメタル的というよりはハードコア的な情緒に溢れている。曲は直感的でわかりやすいのだが、展開があって特に曲の速度の転換を非常に効果的に使っている。一気に加速するところはめちゃかっこいい。かっちりしている曲と、ボーカルの(いい意味での)汚さが良い対比でなるほどこれが理想的なクロスオーバーか!と思った。フロアも盛り上がっていて踊る人突っ込む人がいた。ボーカルの人もフロアに降りてきて楽しそう。東京でのライブは久しぶりと言っていたが、この間みたDieaudeのように距離があるとやっぱり型にはまらない異質さがあると思う。それが新鮮。

Ry
3人組でギター兼ボーカルの人はエレキギターに加えてアコースティックギターも持っている。前の二つのバンドとは明らかに異なる佇まいで、アコースティックギターを大胆に用いた曲からスタート。足元のペダル類の数の多さがすごくて(この日ペダル多めのバンド多し)、アコギでも色々なエフェクトをかけている。伸びやかなボーカルも高めの声でクリーンで歌い上げるまさにゆったりという感じで夢見心地かな?と思っていたが、ドラムが入ってくるとすぐにその認識が間違っていることに気がついた。もちろん優しさ、美しさはあるけど同時に力強さもあって、フォーキーというよりはやはりポストロックである。ボーカルが多めで頭でっかちでインテリな感じのそれとは違い、歌も多めでもっと直感的である。ゆったりしているが音はそれなりに大きく、曲もよく動く。エレキギターに持ち変えるとさすがにロック然とするが、それでもエフェクトの使い方は絶妙で切ない音がよく伸びる。この伸びるというのが非常に気持ちよくて時にはシューゲイザーに振り切ったAlcestを感じさせたり。キラキラした音質は繊細で太陽そのものというよりは葉叢から差し込む日光のように程よく拡散していて優しい。

Sunday Bloody Sunday
続いてはみるの久しぶりで楽しみだったSunday Bloody Sunday。佇まいから完全にグランジな感じでかっこいい。3人組のバンドで去年リリースした1stアルバムは本当いろんな人が絶賛している。オルタナティブとは昨今でも聞くが、グランジというのは概ね過去の音楽を指す言葉になりつつある昨今、現行でグランジな音を鳴らすバンド。
音のデカさではない(十分でかいんだけど)轟音という感じで中身がぎゅっと詰まった厚みのある低音、キャラキャラした高音を縦横に行き来する。ずっしりとしているが肉体的でよく動くし、リフではミュートを多用するがやはりメタルとは一線を画す音楽性。この音楽性の秘密はなんだろうね?やはり中域が出ているギターに秘密がありそうなものなんだけど。高音の使い方もよくなじんでいてそこらへんもあるきがする。楽器の音が肉厚な感じなので泥濘感も結果的にストーナーな雰囲気を醸成しない。転調はあるけどドラムのビートは非常に力強いがビートは非常にシンプルってこともあるかも。ザラついているが艶っぽい、それは重たい楽器隊と対比をなすボーカルによるところが大きい。ハリと伸びがある、ちょっと幼さの残る声質で、声というのはいじったり作ったりが難しい(特にシャウトを多用しないと)ので本当にtalentだと思う。新曲も披露してフロアはかなり盛り上がり。

The Creator of
続いてはThe Creator of。1994年に結成されたバンドで昔は日本で言うところのモダンヘヴィネス、向こうで言うニューメタルへの日本からの回答という音楽性で確か当時熱心に見てたハングアウトとかの深夜番組でPVを見たことがある。ニューメタルといっても洗練されたそれというよりはグランジを乗り越えたねっとりしたもの。その後活動を休止したのだが、2009年ごろに再始動。かなり音楽性が変わったことをそれこそGuilty Forestで読んで気になっていた。この日は1年半ぶりのライブということだった。まずバンドの背後、ライブハウスの壁の全面を覆うように白い布が張りわたされる。自前のフラッグを掲げるのではなく無地。これはVJを使う感じである。メンバーはギターの二人のエフェクターの量が多分この日一番多い。ボーカル兼任のメンバーはそれ覚えられるのですか?というくらい。
始まってみるとポストロックに一番似ているが、やはり肉体的(この日この要素が共通していておそらく主催の二人の好みなのだろうな〜と思った)で次々に展開を変えていく洗練されてオシャレ感が漂うバンドとは明らかに一線を画す。もっと荒涼としていて、とにかく非常にミニマルである。静かなメロディにならないフレーズを反復していき、音のレイヤーをどんどん厚くしていく。それが執拗に繰り返され、徐々に、非常にゆっくりその姿を変えていく。ピアノなどの楽器(ひょっとしたらレフェクターをかけたギターかも)も使っているが、派手なきらびやかさはなくひたすら潜行するよう。ボーカルが入る曲はボコーダーを使いとにかく人間性を排除している。スクリーンには幾何学模様が浮かび続け、幾何学はつまり数学的であるからなんとなく巨大な機械が唸りを上げる空間にたまたま迷い込んでしまったような感じがする。ひたすらマシーンかというとギターの音は強烈で、むしろミニマルな地平線にかすかに、しかし力強く夜明けの予感のような感情が見えてそこがかっこよかった。

割礼
ラストを飾るのは割礼。バンド名は知っているがみるのも聞くのも初めてである。1983年に結成されたバンドでメンバーを変更しつつ現在まで活動し続けるバンドのようだ。最近だとborisとライブをやったりで名前は知っていて、マニアックなサイケデリックバンドかな…と思っていた、がこれもやっぱり半分違った。
メンバーは4人だが全員今までのバンドとは佇まいが全然違う。さすがに私より年上のバンドでみなさん泰然としている。このメンツでは割礼が異質なのだろうが全く動じていない。ボーカルの方はとにかく一番変わっていて転換の時から行動がゆっく〜りしている。メモを見ながらアンプのつまみを「ムムム」という感じで設定しているところを見て、大変失礼ながら「だだだ大丈夫か?」なんて思ってしまったがライトが落ちて曲が始まってみるととんでもない化け物だったという話。まず音がでかいわけだけど、実際の音量という意味では前述のバンドの方が大きい。エフェクトはかけているものの生々しさの残る音はどれも非常にソリッドである。音の数はそこまで多くないのだが、どれもここにある最適の音という感じで主張が半端がない。そしてサイケデリックなバンドというよりは、非常にメロディアスな歌ものバンドといったも良い音楽性である。ただそれが非常に遅いのだ。ドゥームのような遅鈍と違うのは音の軽さ、音の密度、そして何よりドラムのビートは遅くなく(早くもない)、そこに乗る弦楽隊がゆったりとしている。いわば二つの時間軸が存在するのだが、それがきちんとそうであるように同時に存在している。ちょっとわけがわからない。ボーカルの方は異様な声をしていてゆったりとした見た目からは到底想像できないハリのある声、そしてまだまだ幼さの残る妖艶なもの。ビブラートをかかって怪しく歌い上げる。ギターソロは多めだがサイケデリックのように高速で弾きまくるというよりは、ノイズの領域に時に突っ込んでいくような縦横無尽なもので、こちらも緩急、ゆっくりの怪しさがある。ミニマルな演奏の中まるで無軌道にかけていくが、歌と同じでとてもメロディアス。前人未到の秘境といった孤高を感じさせるが、高尚な仙人というよりはずっと長いことやっていたら前人未到の地にいました、という自然な感じ。まさに泰然自若。おっかねえ。ビリビリするのだがメロディアスで、とにかく妖しい!

流行りのバンドを集める、というのではなく好きなバンドを集めるからみんな見てくれよ!という気持ち、つまり自分の好きな音楽を人にも共有したいという中学生くらいの頃からあるあの自然な気持ちが素直に現れていて非常に楽しかった。バリエーションがあって、色々なジャンルに跨っているのだけどどのバンドも非常に肉体的、というところが共通項だったと思う。規格名通りマニアックで楽しかった。ライブハウスを出ると雨も止んでてラッキー、という気持ちで爽やかに帰宅。

2017年8月13日日曜日

Disembodied/Psalms of Sheol

アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスのハードコアバンドの編集版。
2009年にPrime Directive Recordsからリリースされた。
Disembodiedは1995年に結成され二枚のフルアルバムといくつかのEPやスプリットをリリースし、1999年には解散。その後再結成をしたようだが現状はやはり解散状態のようだ。メンバーは二つの異なるバンドに分かれて活動している。
「黄泉詩篇」と題されたこの音源はアルバムには未収録の音源をあつめたもの。気になっているバンドだったのだが、直近手に入りやすい(どうもその他の音源はプレミア化しているようだ)のがこちらだったので手っ取り早く新品で買って見た。Disembodiedはこの音源で初めて聞く。

大胆に黒魔術をあしらったアートワークからわかるように音的にも大胆にメタルの要素を持ち込んだハードコア。いわゆるメタリック・ハードコア、ニュースクール・ハードコアに属する音でザクザク刻む音に吐き捨て型のボーカルが乗っかるハードコア。ハードコア生まれの強面なリズム感にメタル譲りの黒く重たい要素がいい具合に組み合わさっている。このバンドはハードコアというにはかなり陰鬱で、オールドスクール・ハードコアの気持ちの良い明快さがほぼ皆無なのが面白い。ミドルテンポを主体に重苦しい雰囲気で進行し、ここぞって時にさらに速度を落としたりする。ダミ声ではなく結構艶のある声は吐き捨てシャウト以外にも、ダウナーな雰囲気のつぶやきからクリーンボーカルでのメロディのある節回しなどもこなすが、隆盛を極めたメタルコアスタイルのゴリゴリ演奏から一点甘ったるいメロディアスなサビを乗せるきらびやかな手法とは無縁なのが良い。曲はだいたい3分から4分くらいで冗長なパートには一切時間を割かない。単刀直入なのはいかにもハードコア的であって、変な飛び道具を使わず重量感がありつつも輪郭がやや潰れたギターの音は個人的にとても好みだ。ソリッド過ぎないのが良い。音的にもほぼほぼ低音のミュートを多用したリフに特化しており、つんのめるようなリフはスピード感をあえて殺すことでハードコア的なグルーブが生まれている。陰鬱な世界観ながらもあくまでも体を動かすハードコアとして成り立っている。

ラストはMetallicaのカバーを披露している。
こりゃかっこいい。メタリックさと黒い雰囲気で持って表現の幅をグッと広げているが、その実徹頭徹尾どこまで言ってもハードコアなのだ。個人的には電子音を使わないのにインダストリアルな雰囲気も感じられる「Scratch」が非常に好み。見つけたら是非どうぞ。

2017年8月12日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/キラー・オン・ザ・ロード

アメリカの作家による短編小説。
きっかけはもう忘れてしまったがジェイムズ・エルロイという作家が好きでもう何作かを読んでいる。母親を誰かに殺されてそして今でも未解決という体験があるからか、相当思い入れの強い人のようでどの作品も筆者の異常な執着が反映されており、それが私にとっては気持ちが良いのである。だいたい警察官が主人公なのだが、警察官と犯罪者どちらの立場にいようが違うのは立場だけで出てくるのは悪党ばかりである。中でも「血まみれの月」という作品に出てくる、主人公ロイド・ホプキンズに対抗する殺人鬼が私は好きなのだ。文学少年だったのに男にレイプされてから男に目覚めたのだが、それを受け入れきれず初恋の女性に似た女を殺さずにはいられない、いわば殺す方も殺される方も決して幸せにならない、全てが間違ったやつなのだが、その間違いようがとても好きなのだ。(私は自分がそうだから弱くて冴えないやつが好きなのだ。いうまでもないが現実の殺人は全く好きではない。)この「キラー・オン・ザ・ロード」はエルロイの作品にしてはいくつか珍しい点があるが、その一つに主人公が警察官ではなく犯罪者である。彼の犯す犯罪というのは性に絡む殺人で、そして彼はシリアル・キラーでもある。これは読まずにはいられない。とっくに絶版の本だが中古で購入した。

いくつか作者にしては目新しさがある本だと書いたが、その一つとしてこの本は非常にオフビートな文体で書かれている。エルロイの本なら一番有名なのは映像化された「LAコンフィデンシャル」、「ブラック・ダリア」あたりだろうが、そのあたりの本を読んだことのある人ならわかるだろうが、”熱病に浮かされたような”とも評される異常なテンションの一人称の語りに圧倒される。どいつもこいつも(エルロイは器用な作家ではないからかき分けはあまりできないということもあるかもしれない)、何かにとらわれていて、決して癒されることのない乾き(出世、金、女、恐れ、トラウマなどなど)に突き動かされている。汗と血と精液の匂いがページから立ち上って来てむせ返るような、そんな趣がこの本からは全く感じ取れない。というのもこの本はシリアル・キラーがその半生を振り返って執筆した本(の一部)という体裁をとっているからで、この主人公というやつが全くエルロイの描く主人公像からかけ離れているからだ。ただやはりこの男というのが何かに囚われていて、それによってアメリカ全土をさまよっている。そして彼にしかわからない法則によって無辜の人々を殺して回っている。セックス殺人であるが、彼はレイプはしない。これはエルロイらしからぬと思われるかもしれないが、犯罪者の心理に迫るという意味では大きな成功だったと私は思う。このためコマーシャルな暴力性に特異な個性が埋没しなかった。エルロイは残酷な犯罪を描きたいのではなく、犯罪を犯す人を描きたかったのはと思う。彼の姿はエネルギッシュな殺人鬼というよりは、徹底的に周囲の世界に溶け込めない半分死人のように見える。彼の法則は理解できないが(どうも彼の妄想は統合失調症の域まで達しているように、素人目には思える)、しかし彼の行動の動機は少し理解できる。というのもそこまで人並みから外れたものではないように見えるからだ。後半彼がやっとその思いを満たすことができるのだが、普通の人が難なく達するところができる地点に彼のように殺人行脚(彼は100人くらい殺してる)を経てようやく不器用にたどり着くのだ。それは愚かと言えばそうなのだが、やはり何かこうわかってしまう。良い悪いではなくて、そういうことはあるだろうなと思うのだ。つまり殺人が彼にとっては目的でなく(当初はどうも目的だったような感じはあるが)、手段に思えてくる。普通の人が話しかければ事足りるところ、彼は殺人を犯すのだとしたらそんなに間違っていることはないだろう。そしてその間違いが面白い。思わずため息が出る。決して報われることがないという意味で、非常にべっとりと陰湿であると同時に嫌になるくらい虚無的な物語であり、それゆえ最高なのだ。

忌まわしい話だが、色々と感じるところがある人もきっといるのではなかろうか。人と上手く接することができないと感じる人は手に取ってみると良いかもしれない。

2017年8月5日土曜日

スタニスワフ・レム/ソラリス

ポーランドの作家によるSF小説。
私が買ったのは早川から出ている新訳版。
SFで著名な作品だけど個人的にハードルが高いな〜となんとなく思うのが「ハイペリオン」、「砂の惑星デューン」とこの「ソラリス」なんだけど、いよいよ!と思って買ってみた。他の二つは長いからまだ躊躇している。

遥か未来、ソラリスという惑星には粘性の海があり、そしてこの海は意志を持った生命体であることがわかった。人類は長きにわたってソラリスに学者たちを派遣し、海とコンタクトを図ろうとしてきたがまともな交流には成功していなかった。様々な仮説と憶測が入り乱れ、次第にソラリスに対する期待と熱量が冷めてきつつある時代、心理学者であるケルヴィンがソラリスにジンルが設置したステーションに到着する。ところが3人いるはずの学者のうち一人は死亡。残りの二人の態度も極めて不自然である。不信感を募らせるケルヴィンの前に地球で死別した恋人が現れる。

有名なアンドレイ・タルコフスキー監督(一作も見たことないんだけど)とスティーブン・ソダーバーグ監督(この人のもどれも見たことないや!オーシャンズ〜の監督。)によって二回も映画化された。本邦でも発表されてから60年後に新訳が出るくらいだから、世界的な人気のほどがうかがわれる。二度の映像化に関して作者スタニスワフ・レムはどちらもひどく不満だったようだ。どうも色々な解釈をされる作品であるようだが、私はこの作品は科学的な挑戦と不屈の意志を描いている作品だと思う。なるほど自殺してしまった恋人と急かつ不自然に再開し、恐れつつも以前とは異なる関係を結ぶ、というところは非常にロマンティックで実際大変面白いのだけど、この作品は明らかにその先を描いている。
人間は想像力があっても基本的には既知のものから新規のものを考えることしかできない。いわば地球の法的式のようなものがあって(魔法的なものでなく環境的なもの)人間はそれに縛られる。ところが無限に広がる(広がり続けるとかいや縮んでいるとか色々言われる)深遠な宇宙では当然この方程式が聞かなくなってくるだろうと思う。確かイーガンだったと思うが、地球と異なる物理法則に計算で戦争するみたいな短編がなかっただろうか。いわば絶対的な法則も実は多様性の一つでしかなかったみたいな壮大さが自分は好きで、これはもう妄想の域だが、それでもやはり宇宙には全く異なる生物というのがいたとして、彼らと人間が出会った時向こうがなんの反応も示さなかったりはしないだろうか?(レムもいっているがアメリカだと大抵向こうが殴りかかってくる(それはそれで好きだが))はたまた精神体みたいな存在がいるのではないだろうか?なんて色々子供の時から考えたものだ。そんな多様性から出発したのがこの「ソラリス」ではなかろうか。そんな中でもあくまでも(能力的な限界でもあるから仕方がないのだが)コンタクトを図ろうとする人間たち。それをマクロ的な視点(主人公ケルヴィンが図書館に納められた書物から紐解くソラリス史)とミクロ的な視点(いうまでもなくケルヴィンが体験する様々な事柄)で書いているのが今作。結局なんなのか?という問いが残るケルヴィンと死別した女性との再会。白黒はっきりするだろうな、というのは淡い期待であることをレムは書いている。仲良くなるわけでもなく、喧嘩するわけでもない、ただ同じ時と同じ場所で別の生き物が生きているという事実。ケルヴィンを始めとする地球人たちの試みはこの小説の時点でははっきりとした成果を出せていないのだが、それでも自分たちなりのやり方でやり続けようというのが、この小説なのではなかろうか。要するに意志の問題を書いていて、未知のものに挑んでいく高潔さを書いているのでは。根本的に努力が報われると思っている人からしたら虚無的だろうが、疲れ切ったケルヴィンがステーションを飛び出し出会う景色はむしろ感動的だと思った。(ここは物語的ではある。つまりちょっとご褒美っぽくも見えてしまう気もする。)ここではないどこかに連れていくのは自分の足なのだということをそれとなく解いているようにも思える。

二つの色の違う太陽に照らされるソラリス、そこに横たわる広大な海が一つの生命体で、粘性のあるその体を使って様々な現象を引き起こすという絵が大変美しく、そして圧倒され畏怖の念が出てくる。この設定だけで映画人を引きつけるというところは非常に納得感がある。そこで繰り広げられるのは切ない恋模様というよりは、より硬派な不屈の意志であると思う。硬派だ。グッとくる。是非どうぞ。

Integrity/Howling,For the Nightmare Shall Consume

アメリカ合衆国はオハイオ州クリーブランドで結成され、今はベルギーを中心に活動しているハードコアバンドの10枚目のアルバム。
2017年にRelapse Recordsからリリースされた。
1988年に結成されボーカリストのDwid Hellionだけは不動のオリジナルメンバーとして活動し続ける(長い活動の歴史で中断はあったようだが)ハードコアバンド。知らない人でも印象的なロゴマーク(トゲのついた帽子をかぶって牙の生えた骸骨?)はどこかで目にしたことがあるのではなかろうか。私は全くもっての後追いで一つ前のアルバム「Suicide Black Snake」(2013)から聞き始めた。ブルータルでプリミティブなハードコアかと思って聞いてみたらかなり印象の違う音でびっくり。以前の聞かないとな〜と思いつつ新作が出たので買ってみた。

デジタル版をBandacmpで購入したのだが、ボーナストラックが5曲入っており、全部で15曲。全部で72分ある。その音楽的な”濃さ”もあって一回聴き通して見るとうおお、濃厚だな…とただただ圧倒されたのだが何回か聞いて見ると結構この世界に入り込むことができたのか、全然普通に聞ける。(全体でちょっと長い感は否めないけど。)
Integrityというのは初期は知らないのだが、少なくとも直近の2作ではメタリックなハードコアを演奏している。メタリックなハードコアは「メタルコア」という名称も含んで実際はかなり懐の深いというか、同じくくりでも様々な音楽が内包されている。(きっと本当にすごく議論が尽きないところだと思う。)そんな中でもIntegrityは独特のメタリックハードコアを鳴らしている。なんせ、メタルとハードコアという要素が非常に明確に一つの曲、Integrityという一つの音楽性の中で分離して共存しているからだ。一番わかりやすいのは非常に饒舌なギターソロだろうか。さすがにクラシカルさやテクニカルさでは本場の先鋭的なテクニカル・メタルとは一線を画すだろうが、ハードコアでここまでメロディアスで叙情的なギターソロを飛び道具的ではなく曲に持ち込んでいるバンドは他に知らない。やけっぱちな短いソロがキンキンしてやや潰れた音で披露されることはあるが、Integrityの場合は明らかにクリアで聴きやすい音で滑るように滑らかに弾きまくられる。
メタリックなのでリフでも刻んでくるのだが、いわゆるスラッシュコア、スラッシーなハードコアという名称もこのバンドの場合はあまりしっくりこない。鬼のような速度で刻みまくる勢いというのはあまりなくて、曲は結構ミドルテンポで尺もそれなりにある(今作は特に)のでHellnationみたいなざらついたパワーバイオレンスめいたスラッシュコアというの音像からは距離がある。今作では女性ボーカルを取り入れた曲もあるし、なんというか世界観が本当に独特。
もうメタルでいいんでは?という気が通して聞くとそんなにしないのは、やはりDwid Hellionのボーカルもあるかもしれない。ちょっとMotorheadのLemmyに似ている酒や煙のダメージを露骨に受けたようなしゃがれたかすれ声。低音が強いがあまり作為的な香りがしない、結構ナチュラルな歌い方だが、この歌唱法は周りのバンドサウンドと同じくらい他に類のないもの。
メタリックというとだいたい音の種類のことをさすがこのバンドの場合、ハードコアにはない漆黒感(ブラックメタル感ではないです)を持ち込むためにメタルの武器を使っているという感じ。だから前に進んでいく攻撃的なパワーバイオレンスにならなくて、むしろ奥行きを増して曲が長くなっていくのではなかろうか。女性ボーカル、アコギ、ストリングスと使っている楽器の種類も豊富でボーナストラックはちょっとトラッドな雰囲気すらある。表現力という意味ではやはりちょっと別の次元で勝負しているハードコアバンドなのだが、そうなるとハードコアってなんだろうな…となる。難しい。全体的にメタリックではあっても、メタルには聞こえないんだよな〜。不思議。

来日公演も迫ってきたしきになる人は是非どうぞ。漆黒のメタリックハードコア。ハードコアでは稀有な濃密さに驚くけどハマるとかなり良いです。


2017年7月29日土曜日

ジェイムズ・エルロイ/獣どもの街

アメリカ文学会の狂犬、ジェイムズ・エルロイによる連作短編集。
犀のファッションに身を包んだマッチョな刑事と、殺人も厭わない強靭な精神を持った女優を主人公に据えたエルロイ流のおとぎ話。

この間「悪党パーカー 人狩り」を読んだらそのあとがきで訳者がエルロイをして「ケレン味がある」暗に本当のノワールとは言えないと批判するような形で書いていて、まあ確かにとは思って面白かった。一体エルロイという人は「狂犬」とか「熱に浮かされた」とかいった言葉で表現されるようにとにかくその筆に勢いというのは情熱的でそして大仰である。なんせホモフォビアの筋骨隆々の刑事が血まみれ、薬物まみれで大きく損壊された死体に立ち向かって行くような話ばかりを書いている。警察、ギャングどちらのサイドにいようが基本は悪人であって、ある意味では非常にアメリカ的なわかりやすい話をものすごく低俗に描いているとも言える。そんなエルロイがセルフパロディのように書いているのがこの物語。元はと言えば作品集に書いた作品の中から、この犀狂いの刑事リックと、彼のファム・ファタールドナのシリーズ三作品を抜き出したもの。三作品あれば十分一冊にはなる重厚さだけど、一つ一つは短編なのでエルロイ流の嫌になるくらいの濃厚さはちょっと抑えめで、陰惨さもそこまでではない。バラバラ死体は出てこないし、何より権謀術數渦巻く警察の闇の描写も少なめで全体的にカラッとしている。(ねっとりとした強迫観念が(あまり)ないのだ!主人公のドナへの深い想いはむしろ純愛に転化している。)その代わりいつも以上にエルロイの筆が冴えまくり、とにかく前編主人公リックから語られる言葉がマシンガンのようになっている。何がどうなるかわかりにくいところもあるのだが、勢いでとにかくリックに首根っこを掴まれてぐいぐい追い立てられているようだ。
そんな勢いが現れているのが文体で、もともと「ホワイトジャズ」ではその一つの到達点に行ってしまった感もある、独特の文体が持ち味のエルロイなのだが、この一連のシリーズでは徹底的に頭韻が踏まれている。私も頭韻って何だ?と思ったが例えばこの一文である「信じられないような臭気の襲撃に死にそうになる。顎に朝飯があふれかける。羽虫を払いのける。」要するに単語の頭の子音が一致している。書いたエルロイ本人もすごいが、何より訳した人がすごい。意味が変わるといけないから使える言葉は限られるだろうに、頭がさがる。熱狂的な語り口が無軌道にほど走っているように思えるが、その実相当緻密に組み立てられている。具体的には頭韻を踏むことで無意識に(結構意識しないとそのまま読んでしまうのだ)リズムが生まれて、その波に乗るが如く勢いに乗ってスイスイ読める。
わかりやすいのは主人公リックのドナに対する愛情でこれはもう常軌を逸している。なんせドナのいきそうな飲食店の店員を手なずけて彼女が来店したら連絡するように情報網を作っている。連絡を受けたらすぐに飛んで行く。それなら普通に連絡したら良さそうなものなのに、どうもそうはいかないらしい。要するにストーカーめいているわけなんだけど、そんなリックをドナは愛している。異常な事件とドナによる殺人がないと二人の愛は最終的には燃え上がらないわけでそう行った意味では異常な二人なのだが、それでもリックに比べるとドナは男にとって理想的な女になってほとんど健全に生き生きしている。つまりもうこれは現実を通り越しているわけで、エルロイの方も外連味を効かせすぎていることは承知でこれを書いている。いわば突き抜けた作品になっていて、そう行った意味でおとぎ話めいていると思う。こんな幻想の中でももちろんエルロイの魅力は全くその輝きを失ってないわけで(むしろ順序が逆で自分の強みをルールの外にまで伸ばしてるわけだから)、突き抜けることで躊躇の無さが面白さになっている稀有な例かもしれない。波の作家なら遠慮してしまって中途半端になるところではなかろうか。

あとがきにも書いてあるがエルロイ初めての一冊にはこの本が良いかもしれない。絶版だけど。エルロイ気になっているけど、三部作とかな〜とか気になっている人は是非どうぞ。いわゆるエルロイサーガとは別系統だけど、好きな人はもちろん楽しめるはず。

V.A./Asylum

日本のベースミュージックレーベルGuruzのコンピレーションアルバム。
2014年にGuruz Recordsからリリースされた。
GuruzはDJ Doppelgengerにより設立された東京のレーベル。主にベースミュージック、ダブのジャンルのレーベルらしい。タイトルの「Asylum」は収容所という意味、通常「アサイラム」と読むと思うがこのアルバムは「アシュラム」と読み仮名がついている。Guruzが主催しているライブイベントのタイトルから取ったものだと思う。
コンピレーションアルバムということで様々なアーティストが参加しているが、多分みんな日本の人ではなかろうか。沖縄の人と北海道の人が曲を提供しているまさに日本全国からのコンピ。
私は全くこのレーベルのことも知らなかったが、とあるライブでDJの方がかけている曲がカッコ良いのでShazam(みんな知っていると思うけど曲を聴かせると情報を教えてくれるアプリ)を使って調べて見たらこのコンピ収録の曲だったので買った次第。大抵ライブ行くとかっこいい音楽がかかっているので私はしょっちゅうShazamを起動しています。

さてアルバム冒頭を飾るHarikuyamaku(この単語も沖縄の踊りから取っているようだ)による「KumeAkaBushi」(「久米阿嘉節」が元ネタかと)を再生するとのっけからダブと沖縄民謡がマッシュアップされた楽曲に驚く。続くChurasima Navigator(美島と書いてちゅらしま、もちろん本邦の沖縄のこと)や、City1など沖縄にゆかりのある(多分沖縄の方)アーティストたちが自分たちの出自をうまくテクノに融合させていることがわかる。この異国情緒が電子音楽に新しい息吹を吹き込んでいる。結構元ネタが濃いというか、口で歌われる民謡にそのままビートをつけたような(もちろんそんなことはないのだが、うまく調整されて作曲されているはず)生々しさ、同じ日本だが別の系統を育んできた本土とは全く異なる、むせ返るような濃厚な熱気が冷徹なビートに乗っているのが面白い。土着的であり、もっというと魔術的でもある。
一体ビートミュージックとは何かというとどうも低音に特化した電子音楽で、元をたどるとヒップホップにその源流があるという。なるほどビートは強烈だが音数は決して多くない。一撃一撃が重たく、そしてただ重い音の垂れ流しではなく、”少ない音で作る”という制限(縛りが物事を面白くするというのは特に芸術、音楽ではとても有効だととみに思うのだが)がシンプルなビートをとても作り込んだものにしていると思う。キックに対するスネアだったり、ビートの隙間を埋めるような小さい音だったり、複数組み合わせて作っているような重厚なビートだったりと、技巧が見える。
重たいビートにもったり煙たいスローなダブがよく合う。エコーを響かせ、回転して行くような上物が被ってくるわけだけど、ここに土台を作るビートに加えて各人が自分の持ち味を活かしている。沖縄勢も強烈だが、もちろんそれ以外のアーティストも洗練されたモダンなそれではなく、やはり土着のものっぽい濃厚で荒々しい”原型”をうまくコントロールしてビートの作る土台に融合させている。
お経を繰り返し唱えることで法悦に浸るように、陶酔感にはミニマルの要素が重要なわけでそのためには曖昧模糊とした感じで全てを覆うのではなく、強固なビートで持ってそれに至る道を作って行くというのが面白い。

どれも低音がすごい出ているし、濃厚な土臭さみたいなのもあるからクラブで聴いたら楽しいんだろうけど、以外にも一人で大音量で聴いてもだいぶ楽しい。でかい音自慢みたいな感じでは全くない。気になった人は是非どうぞ。

Elliott/False Cathedrals

アメリカ合衆国ケンタッキー州はルイビルのポストハードコアバンドの2ndアルバム。
2000年にRevelation Recordsからリリースされた。
ElliottはハードコアバンドのFalling Forwardが解散し、そのメンバーとEmpathyというバンドから離脱したメンバーによって結成されたバンド。1995年から2005年まで活動し、既に解散している。
Revelation RecordsがBandcampを開設したのでなんか買おうと思ってジャケットが良いのでなんとなく買って見た。

ポストハードコアといってもメンバーがもともとハードコアをやっていた(視聴するとFalling Forwardも楽器隊はハードだがのちにElliottに通じる歌のセンスがあるようだ。)という経緯があるからそう呼ばれているだけなのでは、と思ってしまうくらい歌が溢れたロックを鳴らしている。実際wikiにはインディーロックと書かれている。もちろんヒットチャートに乗るような音楽性ではなかろう、つまり楽器の演奏がしっかりしていて、(適度に)うるさくなっている。といってもザクザク刻むメタリックなリフも、軽快にツビートで疾走するハードコア感も皆無。伸びやかな声を持つボーカルがメロディを歌い上げる。このメロディがバンドの肝になっていてなんともノスタルジックで良い。とにかく甘く、とにかくくどく、わかりやすいがすぐに印象が薄れていくような初速だけ意識したメロディアスさとは違う。もっと静かで抑制が効いており(ほぼ叫ぶようなこともしないので、さすがにスクリーモの文脈で語るのも無理なくらい)、一見地味のようだけど腰を据えて効いて見るとじわじわとあなたの心の隔壁を溶かして浸透してくる。陰鬱ではないし、むしろ曲によってはきらめいてさえいるんだけど、それが例えば昔の写真や楽しかった風景を今思い返しているような、ちょっと昔日の過去めいたノスタルジーさ、懐かしさ、今はもうないという切なさに満ちている。楽しかった夏休みの思い出のように、どこかくすんできらめいている、あの感じである。叙情的という言葉がバンドで再現するとやはりくどくなることがあるが、このバンドに関してはあくまでも過ぎ去る風のようにさわやか。
全体的にあえて抑えている美学があって、ポスト(ハードコア)といっても難解で美的センスの高い装飾性は皆無で、クリーンなアルペジオ、適度に歪ませたギターのコード感、手数の多くないが力強いドラムなど、全てがあえて自分を抑えることで曲を完成させているイメージだ。その曲というのは一見抑えてあるトーンの中に、それと同調することで拓けてくる感情を込めることに他ならない。ボーカルのあくまでも叫ばないという縛りの中で訴えかける歌い方が読み手の感情に呼びかける、特定の感情を惹起する。つまり演奏する側で完成していないような、ある種聞き手がいて初めて完成するようなそんな感じであり、なんとなく優しい感じがすると思ったら、多分この要素がその優しさの秘密であろうか。

もはや世に出てから17年という月日が流れた作品だが、おそらく普遍的な感情を歌っているのではなかろうか。全く古びることなく、それこそ昔取って今忘れられた写真のように屋根裏であなたを待っているような音楽ではなかろうか。ぜひどうぞ。

2017年7月23日日曜日

Zyanose/Why There Grieve?

日本は大阪府のクラスト/ノイズコアバンドの3rdアルバム。
2013年にLa Vida Es Un Musからリリースされた。
読み方は「ザイアノーズ」でドイツ語でチアノーゼのことらしい。ギターレスのツインベースという一風変わった体制のバンドで写真を見る限り、ヨレヨレを通り越したボロボロの格好をしているクラスト・ハードコアバンドのようだ。
※メディアを含めた外部への露出に気を使っているバンドのようですが、オフィシャルにはレビューはご自由にと明記されていたので書いてます。問題ありましたらおしらせください。

昨今ノイズとハードコアの組み合わせがちょっとした一つの流れになっていて、特に今年2017年は日本ならENDON、海外ならFull of HellやCode Orangeなどブルータルさの一歩先をノイズに託すバンドが日の目を見ている。(というのもその組み合わせは昔からある。Bastard NoiseとかThe Endless Blockadeとか。)
それとは別にハードコアを突き詰めたらノイズ化したという分野もあって、このZyanoseはその系統に属すると思われるバンド。自分はほとんど通ってこなかった道なんだけど、パッと思い浮かぶのは同じく日本のDiscloseだろうか。後アメリカのLotus Fucker。厚みのないギターが、さらにスカスカになりホワイトノイズめいたシャーシャーした音になる感じ。このバンドは空をさらに突き詰めている。出しているのはベースなのだろう。おそらく片方のベースは割とベースっぽい音でリフを奏でているのが分かる。ギターがない分かなり饒舌なフレーズだと思う。そこにもう一方のベースがかぶさってくるのだが、ノイズ特有のぐしゃっとした触感で高音が出ているかと思いきや、音に重量感があって厚みが半端ない。私は言われなければベースの音だとわからないくらい原型がない。ノイズ発生器といっても過言ではない。多分きちんと聞くとリフを反復しているはず、だと思う。音楽性はだいぶ違うけど減額隊で出している音の種類的にはStruggle for Prideのノイズ具合に通じるところはあるのではと。
ノイズに耳が奪われるけど曲はちゃんとしていてノイズの奇抜さに全てをかける一芸入試的なバンドではない。野太いシャウトもDis直系のハードコアだし、そこに絡んでくるギャーギャー喚きボーカルがかっこいい。ただただ突っ走るわけではなく、短い曲の中でもきちんと展開と速度の転換がある。あくまでもクラストをやっているバンドで、たまたまベースがノイズを出しているだけ、とはさすがに行かないけど、ちゃんとハードコアパンクの系譜に属するバンドだということはわかる。「なんで悲しみがあるんだろう?」という根源的な問いであるアルバムのタイトルにもそういったバンドの姿勢が表れている。
個人的にはたまに出てくるメロディというか歌い回しが非常にかっこいいと思う。このバンドの持つ感情的な面が一番わかりやすく出ているかも。

調べて見ると1stと2ndはこの手のバンドには非常に珍しいアートワークをしているようで、なかなか読めない中身を持っていそう。既に廃盤かもだけどユニオンとかで地道に探してみようかと。ノイズとハードコアという単語に興味がある人は、流行りとは異なるその組み合わせという意味で聞いて見てはいかがでしょうか。

R・D・ウィングフィールド/フロスト始末

イギリスの作家による警察小説、フロスト警部シリーズ第6作目にして最終作。
怒りに満ちた小説である。おそらくこのシリーズの以前書いた感想でも書いたと思うが、怒りに満ちた小説であると思う。フロスト警部シリーズといえば、下品なオヤジフロストが主人公、イギリスの郊外の街デントンの警察官で見た目はむさ苦しい、毎日同じヨレヨレのスーツを着ているオヤジで、経費をちょろまかしたり、後輩に指で浣腸をかましたり、下品なオヤジギャクをかましたりと、ユニークな人柄でちょっと面白い警察小説みたいなイメージがありそうだし、実際はそうなんだけど、ユーモアに富んだ警察小説です、といえばこの本の魅力を半分も説明できていない。バラバラに切り刻まれた死体、女子供に対する暴力、強姦、そして殺人。楽しげなユーモアのすぐ下には陰惨な事件が描かれている。そしてそれを犯すのは普通の人間たちなのだ。陰惨さのインフレを起こしている犯罪小説界ではどんな陰惨さも既知のものである。新しい化け物としてシリアルキラー、サイコパスなんて単語ももうなんとも珍しくない。その傾向から真逆に舵を切ったのがこのシリーズである。普通の人間が犯罪を犯す、そんな当たり前を描いている。フロスト警部シリーズはリアルだ。もちろん完全にフィクションだが、生々しさという点では他の小説より群を抜いている。描写は紳士的だが、人間が犯罪を犯すその愚かさ、勝手さ、傲慢さの描写は私たちの生活の延長線上にある。犯罪者ではないがとにかく評価のことしか気にかけないマレット署長、新登場のスキナー警部など見れば私たちの周りにいそうな嫌な奴、その本当にいやらしい本性をまざまざと書いている。こういう身勝手な奴らが真面目に働いている人間の働きを台無しに、手柄を掠め取っていくのである。嫌になる日常、嫌になる程普通の日常、サイコパスではない隣人が汚らしい性欲を満たすために犯罪を犯す、その醜さ。それら犯罪に対して立ち向かっていくのがフロストな訳だけど、この人フロスト警部は決して銃を撃たない。ものには当たっても暴力は振るわない。ぼやきながらも誰よりも働く。誰よりも働くからミスも目立つ。(もし同じ確率で人がミスをするなら、たくさん仕事をする人が一番ミスが多い。)今作でははっきり書かれているが、フロスト警部は出世なんかどうでも良い。クタクタになるまで働いているのはなぜ?はっきりと明言されていないが、間違いない、それは罪のない市民(この時罪のないというのは聖人ではなくて普通にあつかましいけど人を傷つける意思のない人、冒頭の赤ん坊誘拐されたと喚く娼婦を思い出して欲しい。)を守ること。だから今作では犯人を逮捕するというよりは、行方が分からない子供の心配をしているのがフロストなのだ。世に警察小説はいっぱいあって、色々な刑事たちがいるけど、ひょっとしたら私は冗談抜きにフロスト警部が一番かっこいいのではと思う。今回彼は窮地に立たされていることもあって、いつも以上にうまくいかなかった自分の結婚生活に思いを馳せていることが多くなった。幸せだった日常がいつ壊れてしまったのだろう。好き合っていた二人がなぜいがみ合うようになってしまったのだろう。あるのは後悔で、そしてそれはもう取り返しのつかない昔の出来事なのだ。誰しもきっと分かるはずだろう、あの時こうしていれば、きっと誰でも一つや二つやあるいはそれ以上あるだろう。フロストはそんな思いを抱えて、疲れた体に鞭打って働く。そこには私たちの生活が透けて見えるような気がする。私はそんなにかっこよくないが。そこでも悲喜こもごもの、大抵は辛いことの多い毎日が優しく推奨されているように思うのだ。

原題は「Killing Frost」だが本当は「An Autumun Frost」だったらしい。作者のR・D・ウィングフィールドが亡くなってしまったのでこの題名に変更されたとか。本当ならもう何冊か読めたのかもしれないと思うと切ないが、これでフロスト警部とはお別れである。オヤジギャクで包んであるけど、その実人を人と思わない傲慢な奴らに対しての怒りに満ちた小説だと思う。本当に楽しかったぜ、6冊(上下に分かれているから実際はもっと多いけど)を読むのは。最高にかっこいい男が出てくる最高の小説だと思う。芹沢恵さんの翻訳も本当バッチリだ。オヤジギャクを邦訳するのとか大変だったんではなかろうか。村上かつみさんの表紙絵も良い。フロストといえばこの顔で固定されている、私の中では。
面白い警察小説を読みたいなら是非読んでいただきたいシリーズだ。読んだ後ポジティブな気持ちになれる最高のシリーズ。ぜひぜひどうぞ。

SUPER STRUCTURE presents "NO STRENGTH TO SUFFER vol.5" -TRAGIC FILM「Violent Works」 Release Show-@西荻窪Pit Bar

アメリカ合衆国はネバダ州リノのハードコアバンドFall Silentが14年ぶりに復活。
EPもリリースしてその流れで来日するという。
私は完全に後追いで「Drunken Violence」をなんとなーく買って見たら大変かっこよかったのでその後来日のニュースが出たからには行かねばなるまいと足を運んだ次第。
都内を中心に結構ぎっちり色々なバンドと共演していたのだが、私的には金曜日に西荻窪に足を運ぶことに。たまたま日程の折り合いがつかなかったので行けるのがこの日だけだったのだが、初めていくPitBarはとても小さいライブハウス。西横浜のEl Puenteよりは大きいかなくらい。19時開場で20時前につくとすでにライブハウスは満杯状態。
この日は特別にPitBarのキャパが2万人まで増えたらしい。メンツもあってかとにかくハードコアな方が多い。ガタイが良くおしゃれ。こういうところにうっかり紛れ込むといつ「テメー、ポーザーだな」とバレてボコボコにされるのではと内心とてもビクビクしている。バーの女の子のシャツがExtortionだった。ライブハウスで働いている女の子、可愛い子、多くないですか?気のせい?

Super Structure
一番手は企画の主催者Super Structure!バンド名のSuper Structureはもちろん本日トリを務めるFall Silentの2ndアルバムからとったもの。ちなみに企画名は1stから取っている。ある意味Fall Silentに対する日本からのアンサーなバンドなわけで、メンバーの方々は一体どういった気持ちで今日のステージに立つのかと思うとすごくワクワクしてくる。のっけから緊張感がバチバチだったが始まった瞬間に圧倒的な加速力で最高速を迎え、フロアが地獄の様相に。New SchoolなFall Silentに対して圧倒的にパワーバイオレンスなSuper Structureなので音の表層は違うのだが、Fall Silentの持つブルータルさを拡大解釈したかのような音楽性に、狭くかつ密集したフロアで腕をぶん回すもの、足を振り上げるもの、人の上に乗っかるもの、タックルするものと、さながら与太者の大博覧会。暴風域から後ろにいたものの押したり引いたりでまっすぐ立っていられない状態。メンバーのやる気が見ている側に見事に伝染していく素晴らしいライブだった。なんせやっぱり曲が良い。最後にやった高音が血液とアドレナリンを爆発させるキラーチューンもそうだけど、体が思わず動いちゃうような扇情的な暴力性がかっこいい。何としても音源が欲しい。

Saigan Terror
続いては高円寺のスラッシュコアバンドSaigan Terror。相変わらずギタリストの方のMCが面白い。この日はお酒を飲んでないんだよな〜とぼやいておりました。
曲の方が劇タイトなハードコア。何回か見たことあるんだけどいつも勢いにやられてしまう。この日はちゃんと聴くぞ!という気持ちで臨む。ボーカルの人のいかついステージアクションとどすの利いた声(ベーシストの方のボーカルもやばい)は(トータルでは)紛れもなくハードコアだが、演奏陣は非常に正確できっちりしている。刻みまくるギターにまず目がいっちゃうけど、よくよく聞いてみるとドラムのバリエーションが非常に多彩である。荒々しく突っ走る時はシンプルに(シンプルといっても絶対簡単ではないはず)ツービート、速度をやや落として8ビートでスラッシーのギターリフと絡みつくように、それからブラストビートでこちらはボーカルの咆哮と相まって暴力が爆発するような迫力。アティテュードはハードコアなんだけど、メタルから大胆に取り入れた表現力をハードコアの威力を殺すことなく融合させていてスゲえなと思った。Fall Silentも刻みまくるハードコアだから、この日とてもぴったりだったと思う。かっこよかった。こちらのバンドもですね、音源が欲しいんですね。

Tragic Film
下調べもしなかったので完全に初めて見て聴くバンド。この日はこのバンドのディスコグラフィーのリリースパーティでもあるわけだから主役。バンドの佇まいからするとエモーショナルなハードコアかな…と勝手に思っていたら全然違った。完全にパワーバイオレンスだった。それも非常にロウかつハードコアな感じ。1曲めが始まった瞬間くらいにボーカルの方がフロアに矢のように飛び出していき、しばらくすると真っ白いタンクトップがなぜかビリビリに、そんな感じのバンド。メタリック感はほぼゼロで次々落ちる雷のように乱打されるドラムに、ざらついたギターがコード感のあるハードコアなリフを重ねていく。伝統的なパワーバイオレンスかと思いきや、リフに結構メロディックなコード進行があってそこが面白い。結構日本的なハードコア感な匂いがする。何と言ってもボーカルの人のキャラクターがすごくて叫びっぱなしなのだが、エモーショナルすぎてマイクと離れているのかよく聞こえなかったり、バテて?次の曲になかなか行けなかったり、感情がこもりすぎたMCに野次を入れられたりと。楽曲は激しいのになんとなくあったかい雰囲気になっていた。

Fall Silent
トリはお待ちかねFall Silent。期待感こもるフロアはぎゅうぎゅう。メンバーは全員ガタイがよく刺青もびっちり。確か復活に伴いベースの人が変わっているらしい。ベースの人は一人だけ他のメンバーより若そうだったけど、転換の時からマイクに叫んだりして陽気な人っぽかった。だいたい立ち居振る舞いで人となりがちょっとはわかるものだけど、Fall Silentに関してはみんな良さそうな人でいい感じにリラックスしている感じ。ステッカーをお客さんに配ったりもしてました。
始まってみると一気にフロアがうわっと盛り上がって前に押し寄せる。この瞬間というのがライブの醍醐味の一つかも、期待感と実際がぶつかり合って何かが脳内に溢れてくる。刻みまくるギターは紛れもなくFall Silent。Fall Silentは色々な魅力に溢れたバンドだけど、唯一無二の才だと思うのはボーカルの声質。やんちゃっぽい高い声なのだけど、この独特な声がブルータルな演奏陣と対比をなしていて曲を独創的なものにしていると思う。歳をとるとあの艶やかな声がいくらか失われているのでは…とちょっと不安に思ったけど、果たして艶のある声は健在。ライブなのでもっと暴れていて、振り絞るように絶叫する声の、喉に負担がかかりすぎるように伸びるところがかっこよすぎた。個人的に大好きな2ndからの「One More Question」もやってくれてテンションマックス。後半のパート脳と体を揺さぶってくるモッシュパートだと思う。曲にやられている、そんな感じがライブでは物理的な感じでさらによかった。刻み込むリフはメタル的というよりも、ドラムの延長線上にあって曲(時間)をハードコア的に区切るリズミカルなものだということを実感。つまり暴れるためにはうってつけ。
フロアは地獄の様相で狭いフロアを人がごちゃごちゃごちゃごちゃ、拳と足が振り上げられ、狭い天井をこするように人が頭上を行き来する。恐ろしいのだが、みんな笑顔だった。これは本当すごい。マジでみんな笑顔。どんだけ愛されているバンドなのだろう。「Looking In」はみんなでシンガロング。他の曲もそう。最後にやった「The Ruler」という曲もみんなすごく歌っていたのだけど、これEPに入っている曲でみんなよく聞いているな〜と思った。ちなみにSuper Structureのメンバーの方々もフロアにいて、特にギタリストの方は本当すごい良い笑顔でした。
モッシュピットがすごいからすごいライブ、じゃなくて、ステージングが良いからフロアが盛り上がるんだよな、と。そういうライブだった。終演後も「やばい」とか「最高」とか聞こえてきて本当に良いライブだった。メンバーの人柄なのか音楽的にもフロア的にもブルータルだったが、陽性のエネルギーに満ちたライブだったと思う。

音楽的にもすごかったけど、ライブという意味で非常に良い時間と空間を堪能できた。あの狭い空間にエネルギーがバリバリ帯電しているような感じ。
Fall Silentはさすがのかっこよさ。何と言っても飄々とすらしているような佇まいがかっこよかった。日本に来てくれてありがとうという気持ち。

2017年7月17日月曜日

LOSTTRIP@新宿ロフト

日本のハードコアバンドVVORLDのドラマーチンウィルさんの企画。
真夏の新宿ロフトで全17バンドが出演するハードコアパンクのお祭り。
見たいバンドがいくつかあったのとの興味のあるけどほとんど聞いたことがないジャパニーズ・ハードコアを1日でいくつも聴けるのは良いな!と思っていってきた。
このあいだのVVORLDのリリースパーティ@新代田Feverと同じようにステージとバースペースで二つの舞台を作って交互にバンドが演奏してくスタイル。このやり方だと転換の間の待ち時間がなくなるわけです。最終的にはちょっと両方のステージが被りだしたけどほぼ押さなくて時間通りだったと思う。
新宿ロフトは広いし、トイレにも余裕があるので良いなと思いましたよ。

本当は12時開場の13時開演なのだが、私は余裕の重役出勤をかましついたらちょうどWrenchが終わるところ。Wrenchはいろんなイベントに呼ばれている気がする。当時はミクスチャーバンドという文脈だったと思うけど、いろんな音楽のイベントにハマるというのはミクスチャーなんだな〜と。

Fuck You Heroes@バースペース
とりあえずじゃあというわけでバースペースの方に移動すると超満員でかなり後ろの方から見る。メンバーが何人かもわからない。若さが何かは知らないが、サウンドを聞く限りは若い!という感じの音で、基本早めのビートにコーラスワークの爽やかなパンクという印象。場面によっては非常にメロディアスだった。

Black Ganion@ステージ
続いては愛知県名古屋のハードコア/グラインドコアバンドBlack Ganion!お目当の一つ。ハードコアというにはひねりすぎている凝った悪夢的なアートワーク(2ndその名も「Second」は非常に凝った装丁の特殊ジャケット仕様。)が象徴するように誰にも似ていいない音を鳴らすバンドなので一度ライブを見たかった。メンバーの立ち居振る舞いは完全にハードコアで、特にギタリストの方の顔というか表情が尋常じゃなくて恐ろしい。ジャニーズのライブに行く女の子じゃないんだけどライブ中に目があったような気がしたんだけど怖すぎました。
まず思ったのがスネアの音が徹底的にカラカラに乾いていてグラインドコア、ゴアグラインドっぽい。そしてブラストしまくり。指弾きベースはあくまでも不穏なのに対してギターのとは金属質であえて重量をある程度削ぎ落としたカミソリサウンド。そこに不明瞭に呻くボーカルが乗っかるという地獄仕様。ただ激しい一辺倒ではなく例えばアルペジオも入れてくるような起伏を曲に持ち込んでいるが、美麗なポスト感皆無でひたすら不気味。ソリッドなギターもともするとエフェクターのつまみをいじって異常なノイズを発生させていた。耳が慣れてくると楽器の音がそれぞれバランスよく聞こえてまさに音を浴びている状態。気持ちよかった。

ELMO@バースペース
お次はおそらく東京?のハードコアバンドELMOで前回のVVORLDのリリースパーティの時には異常に尖りまくっていたのでまた見たかった。こちらのバンドもお目当の一つ。
前回同様VVORLDのギタリストの方がギターのヘルプ。高音のノイズを異常に放出しまくる一目で危ないサウンドでワクワクが止まらない。前回見たときは異常に怒りまくっている感じだったが、今回は他のアーティストに対するリスペクトを言葉にしていた。とはいえ音の方はというと非常に凶悪な耳を痛める系でエフェクト過剰でほぼノイズになったリフの中を高音ボーカルが絶叫。高速パートもさることながら、ノイズがひゅんひゅん飛びまくる低速パートが個人的にはたまらん。怒りの感情をストレートでない歪んだ形で表現しているところがかっこいい。ただあくまでも感情的でちょっとメランコリック。もっと長いこと見たいものだと思ってしまう。
「Still Remains...」しか持ってなかったので「Change But True」とT-シャツ付きのThirty Joyとのスプリットもゲット!音に反してメンバーの人は丁寧な方でした。

Warhead@ステージ
古都京都の1990年結成のハードコアバンド。ボーカルの人は刺青びっしりに真っ赤なモヒカン頭という清く正しいジャパニーズ・ハードコバンンド。
「Fuck Off!」という絶叫から幕開けるステージは正しく反抗するという意味でパンクだった。しゃがれ声でシャウトするボーカルは一体何回「Fuck Off!」と叫んだのやらわからない。声質がジョニー・ロットンに似ている。円熟味もあるんだけどやんちゃな感じがしてよかった。曲はシンプルなハードコア・パンク様式だが相当速いスピードで駆け抜ける。コーラスはあるんだけどメロディアスさはあまりなく、本当掛け声という感じで高揚感はあるが曲自体はかなりハードコアだと思う。
曲が終わるたびに次やる曲の名前をコールし、一体どういったメッセージが込められているか(概ね曲名がそのメッセージを代表するワードで構成されているみたい)をぶっきらぼうな言葉で語って行く。これが全くもって自分たちの言葉という感じでまさにパンクスだった。ステージの強烈なライトの逆光に生えるモヒカンがかっこよかった。

kamomekamome@パースペース
Warheadを最後まで見終えてさては次はkamomekamomeだな〜と思ってバースペースに向かうとすでに人がパンパンでした…。完全に油断していた。新代田Feverで見たライブがとてもよかったので前の方で見たいなと思っていたのだが、そういえばあのときもすごく前の方はぎゅうぎゅうだったのだった。それでは!という感じで後ろで見たのだけど、もはやこの界隈のアイドルかってくらいの人気というか愛されようで、人が暴れる暴れる。ハードコア的な殺伐さではなくて笑顔で人がポンポン飛んでいる感じ。kamomekamomeは複雑な楽曲にメロディアスなパートがある曲が多いんだけど、メロディアスなところはみんな歌う。本当に後ろから見てそれと分かるくらい合唱。激しいだけだともっと殺伐とするし、メロディアスすぎたらもっとしっとりしてしまうし、両極端の要素を楽曲に融合させている本当にすごいバンドなんだな…と後ろの方から思ったりした。当たり前にかっこよかった。

EX-C@ステージ
続いては大阪のハードコアバンド。みるのも聞くのも初めてで名前も知らなかった。メンバーの方の様子から見てオールドスクールなハードコアバンドかなと思ったら全然違った。明らかにタフなバンドだった。基本的にボーカルの方がぎゅっと結んだバンダナが勇ましいレイジングなハードコアなのだが、曲にボーカルの入らないモッシュパートがあって、曲の速度がガクッと落ちる。するとフロアでは運動会が開催されるといった激しさ。一個前のkamomekamomeとはまた違った激しさでこちらはとにかく肉体的で拳やら足が振り回さられる剣呑なもの。といっても曲自体はストレートで勇ましいもので負の要素は皆無。もちろん前の方に行かなければ暴れなくてもライブを楽しめる。よく聞いてみると楽曲自体はただ暴れるための、というよりはツインのギターが叙情的なメロディを奏でたりとよくよく練られているものだったのが面白い。

Forward@バースペース
続いては東京のハードコアバンド。Death Sideという大変有名なハードコアバンドのボーカリストのIshiyaさんという方が今やっているバンドで、私はForwardもどちらも聞いたことがなかったのだが、Ishiyaさんのコラムを面白く読んでいたりしたので是非一度見たかった。見事に立ったモヒカンもあっていかついバンドかと思っていたし、実際相当いかついのだけど楽曲はちょっと思ってたのと違ってもっと温かみのあるものだった。メロディアスさはあまりない掛け声コーラスが雄々しいオールドスクールなハードコアなんだけど、Motorheadのようなロックなギターソロが結構入るのと、日本語歌詞を噛み含めるように独特の節でシャウトすると歌うの中間くらいで発生するボーカルで思ってたのよりもっと親しみやすい。速度もそんなに速くないのでギリギリ歌詞の短編が聞き取れるくらい。
お酒が飲めなくなったMCもそうだけどタイトな楽曲とシリアスさの中に柔和な一面があって、それがすごくよかった。個人的にはこの日とてもよかったバンドの一つ。また見たいです。

ENDON@ステージ
この日Wrenchとともに異色なバンドだったのではなかろうか。この日は結果的に出している音は違ってもハードコアバンドが集う日だったけど、ENDONの場合はバンドフォーマットを取っているけど出自がノイズで憧れからハードコアに接近した経緯があるから、そういった意味では明確に異色の人選だったのではと。
さすがの貫禄で全く動じずマイペースに最新アルバムの冒頭「Nerve Rain」からスタート。プロジェクターから放射される強烈な光が印象的で、チカチカ点滅するとメンバーの動きがコマ送りのように飛び飛びのように見える。ENDONの音楽は抽象的だが実際には物語性が明確にある。アルバムと同時に展開されたメンバーによる小説作品はオフィシャルでありながら、解釈でもあると思う。無数の解釈はあるのだが詳らかにされることを拒否しているようでもある。パンクスがやるハードコアは物語というよりはメッセージ(という物語である、ということもできるが。)だから、単に音楽以上の隔たりがあるかもしれない。そんなことを明滅するライトの白さに思ったりした。かっこよかった。

KiM@バースペース
続いて京都のバンド。このバンドはウッドベースがいるというのはなんとなく知っていたので一体どんな音になるのか気になっていた。さすがにウッドベースの存在感は半端ない。バーのステージは決して広くないのだが、くるっと回したり、掲げたりしていた。(重くないのだろうか。)
パンクスはメッセージだと思ったけどこのバンドはそのメッセージが強烈だった。そして音的には非常にタフ。不良を通り越して怖いです。”男らしさ”というのが強烈に意識されていて、それを曲に落とし込んでいる。わかりやすいモッシュパートがあるわけではないが、全編フロアが危険なことになっていた。バチバチ、カチカチなるウッドベースはさすがのかっこよさ。ロカビリー感というのはそこまでなかったけどシンプルかつ力強いハードコアサウンドに独自な音を追加していてかっこよかった。とにかくタフな男のハードコア、怖かった。

九狼吽@ステージ
続いて名古屋のハードコアバンド九狼吽。「クラウン」とよむ。ボーカルの人は巨躯でモヒカン頭、両目を横断するように黒い線を引いている。ベースの人は金髪リーゼントに鋲を打ちまくった革ジャンを着込んでいた。この日革ジャンを着込んでいたのはこの人だけかな?冷房効いているとはいえ暑かろうに。とてもかっこよかった。
ジャパニーズ・ハードコアスタイルだが、ボーカルがダミ声。曲の速度はWarheadよりは遅いかな?Forwardと同じくらいでおそらく日本語の歌詞が聞き取れるかな?くらい。コーラスワークが「お〜お〜」とメロディをなぞるように入ったりするから見た目に圧倒されるけど楽曲自体は結構聴きやすく、ライブハウスでは一体感が出る。あくまでもハードコアの音で中域をブーストしたどっしりとした温かみのある音で、Motorheadのようなロックンロールなリフや一点刻みまくるようなリフなど、ギタリストの方は豊かな表現力で曲に多彩な表情があるのが印象的。Warheadのようにメッセージを自分の言葉で(借りてきた言葉感ないのが良い)不器用ながらにもきちんと語ってそこから曲に流れ込むスタイル。まずはメッセージありきのパンクバンドだと思う。

ここでちょっとお休み。バーステージではMeaningが演奏中だが漏れてくる音を聴きつつ休憩。

Fight it Out@ステージ
トリは横浜のパワーバイオレンスバンドFight it Out。休憩中はステージの方にいたんだけ
ど出している音が凶悪でこの日見たどのバンドにも似ていない。
幕が上がってボーカルのYoungさんがフロアから柵に手をついてヒョイっと乗り越える様がかっこよかった。(結構高さがあるのを軽々飛び越えた。)
Black Ganionに似たソリッドな音だけどもっと厚みがある強烈な音で音質だけならかなりメタリック。ベースもガッチガチした音で、バンド全体で音響のせいか分離が良く、フロアに向けて放射される音に埋もれる感じ。始まってみればフロアではでかいピットが出来上がり。ボーカルの人はほぼステージから降りてフロアに。タフなんだけどKiMの盛り上がりとはちょっと違う感じ。こちらの方がもっと混沌としているのはパワーバイオレンスというジャンル故だろうか。高速と低速を行ったり来たりするめまぐるしい楽曲が次々と繰り出されていく。激烈な曲の中にもちゃんと決めどころがあって結構場所によってはみんな歌う(というか叫ぶ)。 例えば速すぎたりして曲が激烈だとなかなか乗りにくかったりするのだけど、Fight it Outはとても乗りやすいからすごい。最後にふさわしい盛り上がりだった。

ハードコアといってもやはり色々な種類があるな、と当たり前ながら思った次第。そういった意味でハードコアというところを共通点に全国のバンドを1日で見れてしまうとても良いイベントだった。ライブハウスの音響も良かったと思う。特にステージの方は。気になっていたバンドを見ることができたし、実際に見てみると色々自分の好みについても言語化できたりして面白い。
ありがとうございました。

2017年7月16日日曜日

スティーヴン・キング/ダークタワーⅠ ガンスリンガー

アメリカの作家の長編小説。
言わずと知れたアメリカモダンホラーの帝王キングのライフワークとなる超長編の初めの一冊。どうやらハリウッドで映画されるらしくそれに合わせて新装版が角川から出るというのでとりあえず買ってみた次第。
あとがきによるとキングのすべての作品の土台になっているのがこの「ダークタワー」シリーズだという。そういえば「不眠症」にでてくる男の子がこの物語ですごく重要な役割を果たすのだっけな。長さゆえに躊躇していたけど別に気が向いたときにポツポツ買って読めばいいかという気持ち。(こういう態度だと絶版になったりする。)

ここではないどこか、中間世界(ミッドワールド)では崩壊が進んでいた。砂漠化が進み緑が失われ、同じく減りつつある食料と水は貴重品だ。生き物は突然変異を繰り返し異形になっているばかりか、説明のつかない化け物どもが跋扈する。そればかりか時間の進み方が一定でなくなり、過ぎ去った過去が一様に溶け込んでいる。人心も荒みきったその世界で最後のガンスリンガー、ローランド・デスチェインは故国を滅ぼした仇である”黒衣の男”を孤独に地の果てまで追いかけていた。黒衣の男の先には世界をつなぎとめているタワーがあるという。

前書きでキング自身が述べているが指輪物語に露骨に影響を受けており、それを西部劇にとけこましたというのがこの物語の大雑把な形だろうか。
キングの作品はいくつか読んできたが「IT」なんかでももちろんそうだが基本的に人類含めたすべての生き物に対して悪意を持っている存在の末端(本人と同一であろうが別の姿をとったようなもの)に対して、善なる人間が立ち向かうというもの。この構図はたまに子供っぽいと揶揄されるようだがけど、キングの場合は書き方が巧みだからそのように思ったことは一度もない。読んでみればわかるがこのとき人間の武器になるのは、常に勇気というか、やってやろうという気持ちだった。この前進する気持ちがマイナスの感情を持つ悪に対しての唯一の武器になる。だからキングの主人公達は明確な武器を持たなかった。(そうしてみるとやはり映画化された「ミスト」なんかは結構異色のサバイバル・ホラーと言える。)そういった意味で銃を持った男が主人公のこの「ダークタワー」シリーズというのはちょっと面白そうである。だいたいが一般的な社会人(女性子供老人含めた)が主人公を張ることが多かったキング作品。というのももし銃を手にしてもきちんとその扱い方を心得ていない。だから基本的に悪の存在に立ち向かうということ自体が異常事態になるわけだけど、今作の主人公は職業兵士のようなのでいわば銃を携帯しその扱いに慣れた殺し屋なわけだから、今までにない過酷な戦いがその前途に待ち受けていると想像するにかたくない。ローランドが目的のために非情な男であることもこの後の変化をほのめかしているようでもある。

長い物語の一番初めなので登場人物と世界の説明に終始し、街を巻き込んだ大虐殺という見せ場は用意されているもののそこまでの盛り上がりはないなというのが正直なところ。これから物語が本格的に動いていくからまた続く二冊目以降をのんびり読んでいくつもり。

Public Enemy/Nothing is Quick in the Desert

アメリカ合衆国はニューヨーク州ロングアイランドのヒップホップグループの14枚目のアルバム。
2017年に自主リリースされた。
Public Enemyは1982年に結成されたヒップホップグループ。調べてみると「社会的」と捉えられることが多いようだ。メタル的には1991年のスラッシュメタルバンドAnthraxとの共演「Bring the Noise」ということで有名だろうか。(改めて聞いてみたらとてもかっこいい。)私は名前を知っているくらいで全然聴いたことがなかったのだが、最新作が無料DLで!というニュースを聞いてなんとなくDLしてみた。ヒップホップは結構突然、もしくは予定より早めリリースとか、無料DLとかがトレンドなのだろうか。

聞いてみるとさすがに早い段階にメタルとがっぷり四つで組み合ったことも頷けるパワフルかつ、多彩なサウンドに驚く。非常にに明快でシンプルなトラックに色々な音を上物として乗っけている。おそらくサンプリングを使いつつ専用に録音した生音を使っているのではと思う。イントロの役割を持った表題曲「Nothing is Quick in the Desert」が終わると滑らかなサウンドのギターソロが非常に印象的かつキャッチーな「sPEak!」が始まる。30年以上活動し、10枚以上のアルバムを出せば自然と老獪といってもいいほどの円熟味のあるサウンドでは〜と勝手に思ってしまったがとんでもない。非常にラディカルで外へ外へと広がりつつある温度とテンションの高い楽曲が次々と飛び出してくる。
ミクスチャーとまではいかないがギターを大胆にフィーチャーした楽曲など、枠の外にある”異質さ”を積極的に取りに行く。それはやはり明快かつストレートな攻撃性を曲に取り入れるためだろうか。ジャズを元ネタにあくまでもしっとりとした円熟味のあるヒップホップを聞かせたA Tribe Called Questの最新作に比較するとこちらの方がバリエーションに富んでおり、その分俗っぽくもありその成果高みからの神の声というよりは同じ地上に、つまり路上(ストリート)にある詩人の歌という感じがして、好みの問題だろうが、私的にはこちらの方がグッとくるかもしれない。曲名や歌詞にやたらでてくる「Beat」という言葉もそんな攻撃的な音楽を象徴しているようだ。ぶちかましてやれ、という初期衝動をいつまでも失わない。普通は成功と長い活動期間で磨耗して行くそれを、むしろ活動の長さの中で獲得する技術でもって一歩上のクリティティブに昇華させる様は無敵感すら漂う。その一方でラスト「Rest in Beats」では鬼籍に入ったヒップホップのミュージシャン達にリスペクトを捧げていて、ういう曲はさすがに大御所でないと作れないのではと。積み上げた行動、つまり言葉の重みがずっしりくるようで、最後に貫禄を見せる後ろ姿はさすがの渋さ。

かなりロック寄りのトラックもあって私にはとても聞きやすかった。わかりやすい盛り上がりがあるので高揚感が半端ない。

2017年7月15日土曜日

Fall Silent/Superstructure

アメリカ合衆国はネバダ州リノのハードコアバンドの2ndアルバム。
1999年にGenet Records(など)からリリースされた。
Fall Silentは1994年に結成され、2003年に一度解散、その後メンバーを一人チェンジして2015年に再結成。2017年には来日ツアーも決まっている。
私が買ったのは2017年に702 Recordsからリリースされた再発盤のLP。来日記念盤としてボーナストラックを追加した日本版のCDも出ている模様。
私は再結成後の7インチ「Cart Return」を初めに買って、それから3rdアルバム「Drunken Violence」を購入しているから、今回の2ndもそうだけどディスコグラフィーを逆から辿っている状況。

「Superstructure」は上部構造という意味らしい。だいぶ抽象的である。3rdがかっこよかったのでこちらも買って見た。3rdを聴いた時はスラッシュメタル!もしくはデスメタル!といってもいいくらいかもしれない位刻みまくるその音楽性にびっくりしたものだ。ボーカルは完全にハードコアだが、演奏はすごいメタリックだ。こうなるとハードコアってのは一体どんな形式の音楽を指すのか?なんて思ったりした。
遡ってこの2ndアルバムを聴いてみると3rdとは結構違う。こちらはどう聴いてもハードコアだ。もちろん刻みまくるギターは健在だが、「Drunken Violence」に比べるとまだ伸びやかだ。拍(フレーズ、リフ)の後ろにミュートを持ってくるとつんのめるようなグルーヴが生まれるのだが、これは非常にハードコア的だ。昨今ではとにかく下品なまでに速度を落とす、ブレイクダウンがハードコアの醍醐味の一つになっているが、それはあくまでもハードコアの一部を極端にしたものだということがわかる。2000年代直前に作られたこのアルバムではその一歩手前の爆発しそうなテンションがきゅうきゅう、本当窮屈といってもいいくらい曲全体に詰め込まれたハードコアを聞くことができる。(デス)メタリックなリフで何をしているかというと暴れまくるハードコアをあえて抑圧しているのである。だから常に二つの力が曲中でぶつかって爆発寸前のエネルギーが帯電した空気のようにビリビリ震えているのである。2曲め「One More Question」を聴いた時「めっちゃブルータル…」と思わず震えが体を走ったのだった。後半のモッシュパートは延々リピートできる。
音楽的にはニュースクール・ハードコアに属するようだ。私的にはニュースクールというとShai HuludやPoison the Wellなどいわゆる”叙情的”という要素をメタリックな音質と共に曲に持ち込んだバンドが頭に思い浮かぶのだが、このFall Silentは感情的であるものの叙情的というには強靭過ぎて、カオスすぎる。むしろ攻撃性に前述のような新しい”型”を与えてやり、そいつをバンドアンサンブルの中でひたすら暴れさているように感じる。
Journeyの「Anyway You Want It」のカバーを入れてきて今回もまた独特のユーモアが炸裂している感じ。

個人的には3rdよりこちらの方が好きかも。非常にかっこいい。豊かな表現力を全て攻撃性に打ち込んでいるところがかっこいい。とにかくエネルギーに満ちている。非常にオススメ。

2017年7月9日日曜日

イアン・バンクス/蜂工場

イギリスの作家による小説。
もともとBen Frostがこの小説にインスパイアされて作った音源「The Wasp Factory」がノイズを超越したできでかっこよく、元ネタが気になって読むはずが、先に弐瓶勉さんの「BLAME!」の元ネタの一つ「フィアサム・エンジン」を読んでしまったので、改めてこちらの「蜂工場」よようやっと購入。
その後色々なジャンルで活躍する作者だが、デビュー作はこの「蜂工場」。1984年のことで、あとがきによると若者たちの熱狂的な支持を受けたのだとか。

スコットランドの離れ小島に住んでいるフランシス・コールダムには戸籍がない。父親が届け出なかったからだ。彼は16歳になるが学校に入ったことがない。日がな一日島を歩き回り、小動物を殺してその死骸を”柱”に打ちつけたり、ダムを作っては自作のパイプ爆弾で吹き飛ばしたりしている。彼には独自のルールがあり自宅の屋根裏には巨大な蜂工場を作っている。複雑な迷路に蜂をはなし、その死に様で運命を占うのだ。フランシスは変わり者の父親と暮らしている。彼は今までに3人の人間を誰にも知られず殺したことがある。彼の兄はとある出来事により精神を病み、近所の犬という犬に片っ端から火をつけて殺し、今では病院に収容されている。フランシスには小人の友達しかいない。フランシスは幼い頃犬に噛まれて去勢されている。ある日電話を受けると兄のエリックで病院を脱走した彼は家に帰るという。

フランクはサイコパスなのか?どうもそんな気がする。彼は根っからの悪人ではない。人をだまし傷つけることに快感を覚えたりしない。彼は自分のルールがあり、それが絶対であり、ルールのために人を殺すことを躊躇しないだけだ。そのルールが他の人には絶対理解できないだけだ。それ以外は気のいい奴のようだ。なるほど学校に行かず、ほぼ一人で生きているから同年代の子供からしたら大人びて世界を斜に見ているかもしれないが。知識もあれば度胸もあるので、ためらいなく爆薬を手にそれを遊びに使う。小動物を殺して儀式めいたことにその死体を用いる。半ば崩壊している家庭で育っている。サイコパス(で大量殺人者)には崩壊した家庭で育ったとか、脳に損傷があったとか、原因めいたことが後から提示されることが多いのだが、フランクもこういう条件が揃っていることが示唆されている。もう一つ要素があってフランクは去勢されているから男として不十分であるという思いが非常に強く、それゆえ男らしい行動を取ることにこだわりがある。こうなると彼の残虐行為も違った方向で見えてくるから不思議である。つまり男らしさを取り戻すための代償行為でその必死さは、ちょっとサイコパスの世間とズレた感じと一致しない。(ただ確かアンドレイ・チカチーロとかは不能が彼を殺人に走らせたファクターでもあるからここら辺はなんとも言えない。私のここでいうサイコパスというのはフィクションでのそれのような感じがする。)島という環境でいわば独自の生活圏で育ったアウトサイダーたるフランクの、普通でなさを描こうとしているのかもしれない。つまり文明の反対に位置する野生としてのフランクである。逆説的に文明の力と、文明が恣意的なルールであることと、世界の混沌とを表現し、虚無的な思春期という文明の産物に、運命と戦うというフランクの濃くて暑く混沌としている青春をぶつけてきたような感もある。腹立ち紛れに自作の火炎放射器で罪のない野ウサギを焼き尽くし、逃げたうさぎが川辺で力つき、ガソリンと肉の焼けた匂いに包まれて死にかけている、躍動する生命というにはあまりに間違った、そんな青春であるが。

主人公の残酷さに目を奪われるが、形式としては正しい青春小説なのかもしれない。あとがきでも述べられている通り、凄惨な描写は抑えめでどちらかというと黒いおとぎ話めいた浮遊感がある。ねっとりとした熱情の欠如は若さゆえだろうか。気になった人は是非どうぞ。

エレファントノイズカシマシ V.S. KLONNS@新宿Hill Valley Studio

日本のノイズバンド、エレファントノイズカシマシと東京のブラッケンドハードコアバンドのKlonnsがライブをやるらしいということで行ってきた。実は両方のバンドとも名前は知っているけど聞いたことがない。そもそも何回か名前を見て覚えているなら気になっているということに違いないので、良い機会だと思って行って見た。スタジオライブというのも初めてで面白そうだったので。場所は新宿にあるHill Valley Studio同じ通りにある老舗のライブハウスAntiknockが経営しているらしい。入ってみると白い内装がとても綺麗なスタジオだった。本当にスタジオ。そのスタジオの結構広い一室を使ってライブがされる。結構広いと行ってもスタジオはスタジオなので非常に近い距離でバンドとその演奏を見ることになる。とても楽しそうだ。

エレファントノイズカシマシ
一番手はエレファントノイズカシマシ。そもそもエレファントカシマシだって聞いたことない、ノイズならなおさらである。トイレ工事とコラボしたりしている変わったバンドらしい。
この日メンバーは5人で、ギターとベースはいる、バンドなので。ドラムのところにいる人は結局ドラムを叩かなかった。代わりに金属でできたデジリドゥ?みたいなのを吹いてた?手の動きが怪しかったのでテルミンかもしれない。あと金属を叩く人でこの人は螺旋状になった細い金属をやはり叩いたりしていた。(どれも自作の楽器だろう。)それから配線でごちゃごちゃになった卓をいじる人で、その卓の上にはエフェクターだけでなくおもちゃみたいな鍵盤やバット状の何かに配線とライトを取り付けたものなど、色々とよくわからないものが乗っている。
ノイズというとともすると高尚になってくるがこのバンドは結構くだけた雰囲気でホッとする。まずは小さめのノイズが少しずつ音の数を増やしつつうねっていく。まるで予兆のような出だしである。普通のバンドだと予兆と本編はだいたい区別されていることが多いのだが、ノイズだと予兆が連続して本編に移行していく(つまり区別がない)ところが面白い。次第にテンションとそして音圧を上げていく。ハイ・ボルテージという言葉がぴったりくる。気がつくと様々なノイズがビュンビュン飛び回り、ギターの人のフレーズは溶解して変な音(まさにノイズ)になっている。ベースの人はなぜか缶コーヒーのようなものでベースを引き出し、言葉にできない感情をマイクに叫んでいる。螺旋状の金属は金属の棒で叩かれていて、これが仮のビートを生み出しているが、すでにノイズは成長しているのでビートで制御するのは難しい状態。野放図に出しているかと思いきや、きちんとフロントマンの男性(卓の前にいる方)が手振りでアンサンブルをコントロールしている。指の数と動きでバンドを制御する様はさながら(実際)指揮者のようであり、落とすところではきっちり抑制されている。見た目と編成、それからバンド名で受けを狙ったバンド(ただユーモアという意識がとても大きいバンドだと思うが)かと思いきや新しいノイズを生み出すという気概に満ちた迫力に満ちた音楽。最終的には耳が痛くなるほどの大音量でノイズを浴びせかける。見た目にも、特に光に気を使っており、卓上ライト(勉強机についているような)や小さく鋭い光を放つライト、きわめつけはメンバーの前に据えられた小さいミラーボールのようなものを曲のクライマックスで一斉に点灯。毒々しい光は結構チープなのだが、シニカルなユーモアがある殺伐としたノイズに不思議と調和して非常に格好良かった。

KLONNS
続いては東京のKLONNS。何度か耳にするバンドでいよいよ聞けるなという気持ち。こちらは4人組の、ボーカル、ギター、ベース、ドラムの完全なバンド形式。
おしゃれなBandcampのイメージから勝手にモダンなブラッケンドかな…と思っていたのだが、どう聞いてもこれハードコアじゃないかなと。それもかなりハードなハードコアだ。攻撃力というかアグレッションがすごい。というのもほぼボーカルの人の迫力に当てられてしまった感がある。(のできちんと曲を聴いてみようと思っている。)MerzbowのT-シャツに黒い手袋、短パンを履き、腰の後ろに手を置くスタイルで狭いスタジオの中を動き回る。客にぶつかる、むしろぶつかりにいく。吐き捨て型のボーカルは(若干イーヴィル感もあるけど)昨今のブラッケンドにありがちなおしゃれ感がゼロ。非常に粗暴な立ち居振る舞いはまさにハードコア。
こうなると演奏が気になってくるわけなのだけど、まずギターでこれはなるほど結構トレモロを使っている。不穏な高音フレーズ、短めのソロなどはブラックメタル的だった。ただ美麗なトレモロやなきのフレーズという感じはゼロ。展開は結構曲中であるようだが、一つ一つの単位で見ると結構ハードコアっぽいシンプルなコード進行が目立ったように思う。ドラムとベースはかなりハードコアでこれも弾き方が結構バリエーションがある(そういった意味ではハードコアとブラックメタルの要素から良いところを引っ張ってこようという意識はあるのかもしれない)が基本的にはDビートだったり硬質でアタック感の強いベースの弾き方はハードコア要素が強いと思った。ハードコアといってもモダンなそれではなく結構オールドスクール感があり、最終的な音の感じは違うのだが、なんとなくリバイバルのハードコアをやっているProtesterなんかに似ているんじゃないかな?と思った。全然知らないでいったら良い驚きだった。ブラッケンドというとモダンなイメージがあるけど、むしろオールドスクール感があってすごくかっこよかった。

結構異質な組み合わせの2バンドだったけど、既定路線から外れて独自の路線を追求する(アヴァンギャルドなのかも)という点では共通していると思った。スタジオライブゆえの近さもよかった。エフェファントノイズカシマシの音源を買って帰った。

2017年7月8日土曜日

FRIENDSHIP/Hatred

日本は千葉のハードコア/パワーバイオレンスバンドの1stアルバム。
2017年にDaymare Recordingsからリリースされた。
「友情」という名のバンドだが、びっしりと刺青の入ったメンバー(おそらくまだとても若い)がタワーのように積み上げたオレンジのアンプから大音量で凶悪なハードコアを鳴らす。活動開始がいつなのかはわからないが、その音の凶悪さはかなり早い段階からSNSなどで話題になり、いくつかの音源も世界のいろんなレーベルからいろんな形でリリースされている。そんなバンドの今回満を辞しての1st。

真っ黒いハードコア。漆黒とは音の凶悪さ、重さ、デカさなどが挙げられるが実はハードコアで漆黒を演出するのは難しいのではと思う。激しい音楽だとなぜだか知らないが大抵暗くなるので、この手の界隈ハードコアだろうがメタルだろうが黒いバンドばかり。しかしハードコアで黒くなろうとすると余計な要素を増やしてしまうので、ピュアなハードコアからは遠くなってしまう。メタルならそれでも良いだろうが、なるべく飾らないことという一つの信条(誇り、ルール、美学、強制されていない分かっこよく説得力がある)があるハードコアでその精神を保ちつつ”黒く”なるということは難しいのではと思うわけだ。(この問題への一つの解決策としてノイズの要素を足すバンドが昨今一つの潮流になっている。)ところがこのバンドはどう聞いてもハードコアなのに確かに真っ黒である。
積み上げられたアンプの異様さに目を奪われるし、出している音は徹底的に低く、そして音量が大きい。しかしやっている曲は徹底的にぶっきらぼうでシンプル。シンガロングやメロディアスさは皆無。かと言ってわかりやすいストップ&ゴーがあるわけでもないし、踊れるモッシュパートが提示されているわけでもない。フィードバックノイズが強調されたハードコアはとにかく無愛想。非人間的と言っても良い。わかりやすい感情、共感が一切排除されている。攻撃力に全振りしたステータスはしかしピュアなハードコアでその魅力を遺憾無く発揮している。疾走するパートの突き抜けるような爽快感、それをミュートで強制的に停止させて、這い回るような低速パートに突入するカタルシス。ツボをきちんと押さえつつ、有り余る膂力(つまり音のデカさ)でハードコアの魅力は倍増している。
精力的にライブ活動を行い色々なイベントにその名を連ねている。私も何回か見たことがあるが、このバンドはドラムがすごい。シンプルなセットだがどのパーツも非常にでかい。これをでかい音で正確に叩く。色々なドラマーがあり、色々なプレイスタイルがあると思うし、すげーと思ったことは数多くある。FRIENDSHIPのドラムは派手に様々なフレーズを叩くわけではないし、むしろシンプルだがそれが異常に正確に続いていく。考えて見てほしいがもし絵を描くなら真円を描くのはすごい難しい。同様にドラムでは同じリズムで正確に叩き続けるのが一番難しいのでは(私はドラム叩けないから違うかもだけど…。)。それをでかい音で軽機関銃の掃射のように続けていくドラミングは本当かっこいい。この音源でもそんなドラムはきっちりその魅力を発揮しているので嬉しい。

思うにこのバンドのかっこよさの一つは寡黙さだ。饒舌な音楽をやっているがその凶悪な曲の中をのぞいてみると厳格にハードコアだ。余計なことは喋らない。MC一切しないし、SNSを見てもフレンドリーさはない。ただブランディングにもこだわりがあり、美学が遺憾なく発揮されたマーチャンダイズ(私もいくつか買っている。)一つとって見ても、結構きちんと考えてセルフプロデュースをしていると思う。結構したたかであると思う。もちろん中身が伴わないとハッタリになってしまうので、それを含めて高い注目度にバシッと叩きつけるのがこのアルバム。素晴らしい出来。激しい音が聞きたい人は是非どうぞ。おすすめ。

heaven in her arms/白暈

日本は東京のポストロック/ハードコアバンドの3rdアルバム。
2017年にDaymare Recordingsからリリースされた。
コンスタントに活動しているような気がすぐがそれでも同じく日本のブラックメタルバンドCoholとのスプリット「刻光」が2013年なので4年ぶりくらいの音源になる。

Convergeの曲から名前をとった5人組のバンドでボーカルがギタリストも兼任、合計3本からなる重厚かつ繊細なアンサンブルが特徴のバンド。難しい漢字を使いつつもも内省的で自己と他者、自己と世界的な世界観をポストロック的な静と動を行き来する(比較的)長めの尺の曲で表現する手法は、正しくenvyに端を発する日本の激情型ハードコア(スクリーモ、エモバイオレンスとは美的感覚という点でやはりちょっと違うジャンルだと思う)に属するバンドだと思うが、その中でもセンチメンタルさを疾走するトレモロリフというブラックメタルからの要素を大胆かつ器用に取り込んだバンドではなかろうか。とってつけたような必殺トレモロというよりは、トレモロを使って表現するポストハードコアという感じで完全に独自の手法を確立させようという意識で持って曲を作り、またライブではとてもかっちりした演奏をしているのが印象的だった。
「白暈」とは「ハクウン」と読む(ハクマイではない)。白い眩暈のことかと思ったら暈とは”太陽または月のまわりに見える輪のような光。”のことらしい。確かに英語の題名は「white halo」だ。今までは黒を基調としたアートワークが基本だったと思うが、心機一転新作では白を基調とした美しいものになっている。
全7曲で前述のスプリット「刻光」収録の「終焉の眩しさ」を中心に据えていることもあり、基本的には前作からの延長線上にある音。改めて1st「黒斑の侵食」を聞いてみると使っている音の類やコンセプトは同じでも結構印象が違う。今の方がずっと滑らかでスムーズな印象。ガツっとしたハードコア感は減退したが、模索の末に独自の世界観を手に入れたのだろうと思う。トレモロと言ってもプリミティブなブラックメタルからそのまま拝借してきたらガリガリした非常に攻撃的なものだろうが、それを音をクリアにし、音の輪郭を整えて角を取った非常に温かみと美しさのあるものに作り変え、初期ではカオティックという表現もしっくりくる性急に展開する曲を醍醐味をそのままに油を丹念に刺したかのように滑らかなものにした。それは音の作り方とさらに曲の作り方も影響しているのだろうと思う。それがコード進行なのかよく練られた展開なのかはわからないが、閉鎖的で厭世的で個人的な曲というよりは、外に外に開けていく(ここら辺は空間的というポストロックの要素が浮遊感とは別の視点で意識されているのではと思う)壮大な曲に変遷しつつあるように思う。別に明るくなっているわけではないし、どちらかというと悩みが感じられるくらい曲ではなるのだが。弱って死にそうに丸まるのではなく、嫌味なくさらけ出していくようなイメージ。そう言った意味では白地に荒々しい青というのは曇天とその切れ間に覗く晴天のようなアートワークは非常にあっていてカッコ良い。

喉を枯らしてのスクリームとボソボソしたポエトリーリーディング、独自の世界観を持った歌詞とテーマ、アルペジオの静かさトレモロの激しさが同居した曲などきっちり激情のツボを抑えているところも好きな人にはたまらないのでは。個人的には何か非常に真面目なバンドというイメージが勝手にあって、今作を聞いてもやはりそうだなと思ってしまった。ブラッケンドで真面目というと同じく日本のisolateを彷彿とさせるのだが、あちらは半分狂気なのだがこちらはあくまでも真面目でアーティスティック、美麗という言葉すら似合うハードコア。