2017年1月29日日曜日

ダフネ・デュ・モーリア/人形 デュ・モーリア傑作集

イギリスの女性作家の作品を集めた短編集。
ヒッチコック監督により映画化された「鳥」を書いた人で、同じく東京創元社から出た一つ前の短編集「今見てはいけない」が非常に面白かったので、続くこちらの短編集も発売と同時にゲット。

後味の悪〜い短編を書くのがこの人なんだけど、そういった作風だとやはり最近読んだ「くじ」で有名なシャーリイ・ジャクスンが思い浮かぶ。両者の違うところってなんだろう?と思いながら楽しく読めた。まずデュ・モーリアは超自然的な要素はほとんど(というのも全部押さえたわけではないので)書かない。現実的というのもそうなんだけど、人の内面にフォーカスして、人との繋がりや対話の中でそのいやらしさというのが滲み出てくる。ジャクスンの方はダメになっていく動き(正常から狂気への)があるけど、モーリアはある意味持って悪い、すでによろしくない何かの一部分を切り取っていて、つまり最初から最後までずっと悪い。(もちろん最初はわからなかった”悪さ”が露呈していく過程を描いている物語も多いので、そういった意味ではきちんと小説という形式的には十二分面白い。わからなかったものの正体が読み進めることでわかってくるという楽しみがあるので。)ジャクスンが神経症的な怖さがあるのに対して、モーリアははなからどうかしている。調子が狂っている。どちらも魅力があり、甲乙つけがたいのはもちろんだが、モーリアには諦観めいた絶望感があって読むとゾクゾクするいやらしさがある。同時に弱いものに対する同情、そして愛情があると思う。この短編にも娼婦であるメイジーを主人公に据えた物語が二つあるのだが、メイジーは学がなく、見た目も貧相で、自業自得で悪の道に落ちたわけだが、読むと何かしら存在しない彼女に対して複雑な思いが浮かび上がってくるのはきっと私だけではないのではなかろうか。一度失敗したらもう取り戻せないのだろうか。無知でい続けることは罪だが、最初の決断の時に無知なのは罪なのだろうか。自業自得という言葉を使うのは、私は最近特にそう思うのだが、実力があるというよりは今までずっと幸運だったものなのではないだろうか。私の、そしてあなたの人生がとてつもない災厄に見舞われて嵐のように落ち込んでいくこともあるのかもしれない。安全な位置にいるものが「しょーがないでしょ」と言い切ってしまう残酷さに歯止めをかけるような、そんな優しさが、モーリアの小説にはあるような気がしてならない。
モーリアの小説を読んだ時のなんとも言えない嫌な気持ち、居心地の悪さは、行間に潜む「しょーがない」の背後に潜む弱いものたちの声なき叫びが読み終わった後も安穏な人生を送る私たちの耳に残り続けるからなのかもしれない。私たちは生きているだけで誰かの人生を踏みつけているのかもしれない。

読んで気持ちの良くなる本ではないけど非常に面白い。ホラーがファンタジーとして機能するなら、ホラーですらないのかもしれない。ただ怖い、そして嫌な感じだ。

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