2017年3月5日日曜日

バリントン・J・ベイリー/カエアンの聖衣

イギリスの作家によるSF小説。
ちょっと前に読んだ同じ著者の「ゴッド・ガン」という短編集が面白かったので長編のこちらも購入。1978年に発表された小説で日本でも発売されたが、早川の創立70周年記念ハヤカワ文庫補完計画で新訳で復刊された。この補完計画も意識しているわけではないけど何冊か読んでいるね。

遥か未来宇宙に進出した人類。惑星、銀河系単位で独自の文化を育んでいた。そんな宇宙で隣り合うザイオードとカエアン。カエアンには変わった文化が根付いており、彼らは服飾に心血を注ぎ「服は人なり」という哲学を持っていた。文化が発展して真っ裸も許容されるザイオードとは相いれず、両国間では緊張が高まっていた。しかしカエアンの衣装の素晴らしさはザイオードでも一目置かれており、借金で首の回らなくなったザイオードの仕立て屋ペデルは小悪党らに付け込まれ、不時着したカエアン船から衣装を盗む仕事に一枚噛むことになる。そこでペデルが見つけたのはカエアン衣装の最高峰のスーツだった。

ベイリーの各作品はワイドスクリーン・バロックと呼ばれているようだ。どうも壮大なホラ話、という意味を含んでいるらしくwikiを見ると「バカSF」とまで呼ばれるようだ。ちょっと前のスリップストリーム文学もよくわからないジャンルわけだがこのワイドスクリーン・バロックというのもよくわからない。SFはネタが壮大になりがちだけどフィクションなんて全てホラ話に決まっている。もちろん愛はあるのだろうけど「バカSF」というのはどうだろう。少なくとも読む限りはそんなことは全く感じなかったが。いきなり愚痴になってしまったがまず読み終わってそう思ったのでした。
程度の問題で結構ありえない設定を使うのがその所以だろうということはわかる。(しかし衣装が人を操るというのはそこまで奇想かな?クトゥルーでも頭にペタッと張り付く寄生生物ネタがあったよね。)カエアンの聖衣に操られるペデル、それからザイオードからの調査チームはその性格上どうしても道中行き当たりばったりになるわけでそう言った意味では途中物語がどこに進んでいるのかややわかりにくいかもしれないが、それでも金属スーツこそ我がからだと思うロシア人の末裔、彼らと敵対する日本人の末裔(ヤクザ坊主)など目を引くアイディアをぶち込んでくる(ここら辺もバロックと称される所以か)のでなんだなんだと中弛みなく読み進めることができる。
全体的に妙なコミカルさが作為的にまぶされているのだが実は断絶がテーマで、ザイオードとカエアンもそうだが、ペデルとマスト、アマラとエストルー、そして人類とそうでないもの、結局誰も彼もが断絶している。(アレクセイだけは他人とわかりあっていたがそれもあっさり断絶させられてしまう)、特にアマラがそうなのだがわかり合うという選択肢が初めから排除されており、基本的には利用し、利用される関係が書かれている。人間誰しもそうでは、と嘯くこともできるのだがそれでも一定以上のルールがあることを認めざるをえないと思う。そう言った意味ではある意味精神的に荒廃しきった未来を描いており、実はペシミスティックな雰囲気が全体を覆っている。

というわけで私は最初から最後まで楽しく読めた。ユーモアはあるがバカっぽさは感じられなかったので、ワイドスクリーン・バロックかあとちょっと否定的に思う人がいたらそんなことは全然気にせず手にとって見るのが良いのではと。

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