2017年4月27日木曜日

ロバート・ブロック/アーカム計画

アメリカの作家によるホラー小説。
「アーカム計画」というタイトルで好きな人はわかると思うけどクトゥルーもの。
ロバート・ブロックはアルフレッド・ヒッチコックの手で映画化された「サイコ」が一番有名だと思う。それ以外にも映像化された作品がいくつかあって、ハリウッドの近いところにいた作家なのかもしれない。「鬼警部アイアンサイド」にも別名義で関係していて(原作担当)、「俺の中の殺し屋」で有名なジム・トンプスン(オリジナルノベライズを担当した)もちょっと関わりがあるのが面白いすね。
クトゥルー神話の創始者であるハワード・フィリップス・ラブクラフトとは年が27歳も離れているにも関わらず愛弟子という感じで非常に彼に可愛がられたとか。(直接会うというよりも文通が主だったのだと思う。)ブロックが考えたアイテムを師匠がその神話体系の中に組み込んだりと、なかなかの仲良しっぷり。

親族の遺産で悠々自適の生活を送るキースは美術工芸品の収集が趣味。ある日骨董屋で見かけた絵画はグールが人間を食っているという不快なものだったが、なぜか心惹かれてこれを購入。すると偶然その絵を目にした友人が言う「この絵はピックマンのモデルでは?」。どうもラブクラフトという作家が書いた小説にこの絵に関するエピソードがあるようだ。俄然興味を持つ友人に対して、眉に唾をつけるような気持ちだったキースだが、骨董品屋を再訪すると主人が殺されていることがわかりキースの運命は急展開を迎える。

この作品、現代は「Strange Eons」(直訳すると「見知らぬ永遠」とでもなるのだろうか)で、書かれたのは1978年。師匠であるラブクラフトは既に鬼籍に入っている(ラブクラフトは1937年没)から、この作品はブロックの彼の敬愛する師匠とその作品たちに敬意を払った作品になっている。ピックマンの書いた絵画を皮切りに様々な要素が直接的にラブクラフトの作品から取られ、またそのことが作品内でも言及されている。オマージュでなく直接的にラブクラフトを取り入れ紹介している。奇矯なアングラ作家ラブクラフト、実は彼は真実を書いていた、という体である。
面白いのは一連の神話体系に登場する人外どもを中盤まで極力直接的に書かないことで、中盤までは一般的なホラー作品と言っても差し支えのない作りになっている。これはあえてクトゥルー神話の固有名詞を多用しないことで無用にハードルを上げずに、クトゥルーを知らない人でも入ってこれるようにしているように感じられた。さらにうがった見方をすれば未だに(1978年の時点で)カルト的な作家である師匠ラブクラフトの地位向上のためにこういう体裁をとっているような気がする。マニア御用達の作家じゃないんだぜ。もっと面白いんだぜ、そんな配慮がなんとなく感じられるかな。とはいえブロックも根っからのワイアード・テイルズ作家ということで物語は中盤以降どっぷりクトゥルーに使っていくので好きない人にも安心。あとがきで翻訳者の大瀧啓裕さんも触れているが、ブロックはどちらかというとクトゥルー原理主義者とでもいうべき姿勢、つまり師匠であるラブクラフトの世界観に影響を受け、ピュアな形でそれを受け継いでいる。同門のダーレスは曖昧模糊とした神話に方程式を持ち込んで体系化し良くも悪くも明確化したが、ブロックはもっと混沌としており、恐ろしく、救いがない。あくまでも旧支配者に対して人間は無力である。それから旧支配者たちが恐ろしいのはその巨大な肉体的な強さでは断じてない。醜い巨体はむしろかりそめのもに過ぎず、真に邪悪なのはその精神である。そこから滲み出した毒素が人間を狂わせ、その手足となる。そんな要素をラブクラフトは憑依や精神的な人間の乗っ取りという形でしばしば表現していたが、ブロックもその要素をこの小説の中で存分に発揮している。多様化した神話体系の中で優劣はもちろんないと思うが、私はやはりこのような無力な人間が邪悪になすがままに翻弄される、または怪異の周辺にいて異世界を垣間見る、という物語の形式が醍醐味だと思っているので、そう言った意味でもこの「アーカム計画」は抜群に面白いクトゥルーものとして読めた。

ラブクラフトの愛弟子、そしてブロック自身も師匠に対する敬愛の度の半端ない高さをひしひしと感じる物語であった。すでに絶版状態だが、ラブクラフトの描く物語こそがクトゥルーだ!という困ったクトゥルー・ファンダメンタリストの方々は是非どうぞ。

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