2017年6月25日日曜日

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/幻獣辞典

アルゼンチンの作家による辞典。
世界各国に伝わる架空の存在について項目ごとに記したもの。
この手のジャンルだと真っ先に中国の「山海経」が思い浮かぶが、あちらは今日では架空の生物を当時の本当にいるように書いているのに対して、こちらは現代に架空のものという前提で書いているから中身というか趣はだいぶ異なる。

私もボルヘスに関しては思い出したように何冊かをつまむように読んでいるだけだから詳しく知らないが、「知の巨人」と称されるようにとにかく博識・博学でいわゆる書痴のような人だったようだ。(図書館の司書をやっていて本をたくさん読んだとのこと。)そんな色々な原典からの知識をボルヘスが再分類、再構築してまとめたのがこの本。だからこん本に関してはノンフィクションということになると思う。
全部で120の項目があり、神話に出てくる怪物、妖精、妖怪、神獣からカフカの短編に出てくる奇妙な「オドラデク」まで。”架空である”ということを条件に古今東西の存在についてその存在の(主に宗教が関わって生じる)高低を御構い無しにどんどん紹介していく。日本でいうとヤマタノオロチなんかがその名前を連ねている。大胆にも原典からそのまま地の文を乗せているいくつか項目もあるが、基本的にはボルヘスが自分で得た知識をまとめて説明を書いている。今読もうとすると難しかったり、そもそも手に入りにくい原典からボルヘスがわかりやすい言葉(はじめ学生の頃ボルヘスの本買ったら難しくて諦めたんだけどこの本を最初に買えばよかったなと)で書かれている。辞典といっても体長や重さ、といった共通の項目があるわけではなく、それぞれの原典に書いてあることを抜粋し、再構築の上まとめているので項目によって結構書かれていることはバラバラ(当然書かれていないことは性質上書けないし、ボルヘスも自身の創造力で持ってその空白を埋めるようなことはしない。)なのだが、そういった意味では物語というよりはやはり非常に辞典的である。標本といっても良いのだろう。別々の世界(本)から採取された異形の怪物がなるべく第三者的な視点で持ってわかりやすくガラスの中にピンで止められている。異形のコレクションはあくまでもボルヘスが集めたものであって、彼が生み出したものではない。こう書くと無味乾燥な、とっくに存在が否定された死んだ知識のカビ臭い収蔵庫と思ってしまうけど、実際はそんなことはない。神話で生きる異形たちはそれだけで存在しているわけではない。その背後には絶対何かしらの歴史や背景がある。誰かの子供で、何をしたかということがその存在に詰まっている。宗教ではその存在自体が何かの象徴であることも多い。要するに物語が詰まって居て、なんなら存在自体が物語なわけでその異形たちを冷静に説明していったらその背後にある物語性が否応無しに滲み出してきて、これがたまらなく読者の好奇心をくすぐるのである。一体異形はなんで異形出会ったのか、その多すぎる足は、その恐ろしいツノは一体なんのためであったのだろうか?ということが頭に去来するわけで、この想像の楽しみはいわば読書の醍醐味ではあるまいか。神々の創造という一大事業に不遜ながら私のような矮小な人間が入り込めるのだから、なんとも背徳的といってすらいい楽しみがある。

物語を主体とした本ではないのでとっつきにくそうな気がするが、誰もが知っている架空の存在たちについて短く書いているので、むしろとても読みやすい。知っている名前のところだけちょいちょいっと読むだけでも非常に面白いと思う。特に日本人は架空の神性についてゲームなどの創作物で慣れ親しんでいるから、結構誰にでもお勧めできるのではと。

Cavernlight/As We Cup Our Hands and Drink From the Stream of Our Ache

アメリカ合衆国はウィスコンシン州オシュコシュのドゥームメタルバンドの1stアルバム。
2017年にGilead Media(Thouとかドゥーム/スラッジ系のリリースが多いようだ。)からリリースされた。
2006年に結成された4人組のバンドとのこと。バンド名は「洞窟光」だろうか。アルバムのタイトルは「手でカップを作って(両手を合わせるあれね)私たちの痛みの流れからそれを掬い、飲む」というような感じだろうか。よろしくないですね。曲名も軒並み長くて嫌な感じ。

全5曲で35分40秒、1曲だいたい7分前後だ。ドゥームにしてはバカみたいに長いわけではないが、アルバムを一通り聞けばこれが程よい長さだとわかるだろう。これ以上長いとこちらが死ぬからだ。いわゆるトーチャースラッジとは異なる地獄感のある音楽を鳴らしている。
粒度の荒いジメッと質量のあるギターが圧殺リフを奏でていく。ひたすら遅く爽快感のある疾走とは無縁の世界で真綿で絞め殺されるような展開が続いていく。何かよくないことが最近あったのに違いないボーカルが共感しないし、共感されることを拒否しているかのような世捨て人スタイルで吐き出していく。
これだけだと確実に真っ暗でしかないのだが、このバンドはこの地獄の中にそれこそ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、カンダタに降ろされた一本のか細い蜘蛛の糸のような救いが、例えば妙に冷たくありながらも人間的な、ただし非常に単調でメロディ性のわずかな残り香が感じられるようなシンセ音に託されている。これがまた良い。蜘蛛の糸が結局千切れることでカンダタをもう一度地獄に突き落としたかのように、逆説的に希望がその周りの地獄感を際立たせるからだ。これはえげつない。なんてひどい。
実は感情的でありそういった意味ではフューネラルドゥームさを感じる。強烈な音楽性の中にも寂とした自傷的なデプレッションを表現するあの感じには通じるものがある。そう思ってよくよく聞くとコード進行なんかは結構温かみのあるメランコリックな人間性が感じられるから面白い。女性ボーカルの導入、曲中のメリハリのある展開、贅沢な尺の使い方など結構ポスト感のある構造をしているのだが、それを持ち前の黒さで半ば塗りつぶしてしまっている。結構そういった意味では意図的なバンドで、だから底意地の悪い音楽がよく映えている。二律背反というよりは時の黒さを目立たせる暖色の使い方がやはり非常に巧みだ。

地獄のような音楽が好きなろくでなしは涙を流して聞けるのではなかろうか。非常にこれは良い音楽ですよ。この世には希望なんかないんだというあなたにはきっと薬のように作用するのではなかろうか。さあ是非どうぞ。

khost/Governance

イギリスはイングランド、バーミンガムのインダストリアル/ドゥームメタルユニットの3rdアルバム。
2017年にCold Spring Recordsからリリースされた。
khostは2013年にJustin K BroadrickといくつかのpロジェクトをやったこともあるAndy SwanとDamian Bennettによって結成されたバンド。最近では日本の林田球さんの漫画「ドロヘドロ」のコンピレーションにも参加している。私はこのコンピレーションから興味を持って2nd「Corrosive Shroud」を購入した次第。
Sunn O)))に影響を受けたような垂れ流しの重低音に、エクスペリメンタルなインダストリアル要素とある意味よりとっつきの良いドゥームメタル要素をぶち込んだ楽曲を披露しており、モダンにアップデートしたGodfleshとも例えられるようなどっしりとした音楽だった。とても気に入ったので今回の新作も購入。

基本的な路線というか土台は同じで、一撃の重たい重低音を引きずるように垂れ流す。すでにリフは溶解しており、パワードローンといった趣すらある。そこにやけに金属的なドラムを絡めてくる。金属板をぶっ叩いて出しているかのようなキンキンした音は無人で動き続ける非人間的かつディストピア的な未来の工場で録音された騒音のようだ。ギターが奏でる重低音の響と、重低音〜金属的な高音まで抑えたドラムの相性はあいも変わらずバッチリ。そこに乗るボーカルはしゃがれたデス声でこれは妙に感情が抜けていて、明らかに焦点の合わない目で空虚にボソボソと呟かれている。デスメタルなんかは非常に感情的な音楽であるのに、激烈な音楽性を保ちつつそこを放棄しているのが面白い。一方妙に怪しい節のある「のわ〜〜」とした詠唱のような歌声も頻繁に使ってきてひじょに”リチュアル感”がある怪しい世界を構築している。ここまでは基本的に前回と同じ世界観であり、「ドロヘドロ」コンピレーションに提供した1曲目「Redacted Repressed Recalcitant」何はそのkhostの要素がぎゅっと詰まったキラーチューンと言える。ところが2曲目「Subliminal Chloroform Violation」では大胆に我が国の民謡「さくらさくら」をフィーチャー。khost流のインダストリアルに侵されて感情が抜けて腐敗している歌声が何とも恐ろしくそして虚無的で、退廃的である。いわば攻撃性から軸をずらしてもう少し別の地平を目指した音を作り出そうとしている姿勢が見られる。この曲以外でも「Low Oxygen Silo」では管楽器(トランペットかサックスかと思うが)がメインを張っているし、その他の曲でもアンビエント、女性ボーカルの導入(どれも感情が抜けている)、アコースティックギターなどなど、いわゆるヘヴィと称される音楽性では通常用いない要素、アイテムを大胆に取り込んで唯一無二の音楽を構築している。いわばデスメタル的な力自慢から明確に一歩退いて独自の音楽性を模索しているわけだけど、もともとインダストリアル成分と、程よく隙間の空いたドゥームメタルのフォーマットは新要素を持ち込むのは適していたのだろう。また過去作品でkhostの重低音は完成されていたわけだから、それを土台に次の武器を探しにいった過程がこのアルバム、といっても良いかもしれない。
「エクスペリメンタル」というのは今結構曖昧な意味でメタル界隈では使われているが、このように多様な音楽性を取り込みながらも唯一無二音を鳴らしているバンドには非常にしっくりくる形容詞だと思う。「Governance」では”非人間的な虚無さ”という統一されたテーマでまとめ上げられているため、異なる角度が全て円の中に収まっているように感じる。

2ndから大きく化けたんだけどこれが非常にかっこいいわ。こうなるために前作があったのかというようなぢ続き感もあってあるべきところにきっちりはまった感じ。インダストリアル好きは人は是非どうぞ。徹頭徹尾不穏で楽しい。金属的な響きにはその余韻に妙に寂しさがあると思うが、その余韻をひしひしと感じられるとても良いアルバム。非常におすすめ。

2017年6月18日日曜日

デニス・ルヘイン/コーパスへの道 現代短編の名手たち1

アメリカの作家の短編小説。
早川書房の「現代短編の名手たち」というシリーズの第一弾。このシリーズ他にはジョー・ランズデールをよんだことある。
もともとデニス・ルヘインは好きな作家であるのだけれど、この今となっては絶版になっている短編集は読んだことなくてtwitterで面白いよ!ということだったので買ってみた。これで一応日本で翻訳・発売されているデニス・ルヘインの本は全部読んだことになると思う。一番有名なのは映画化された「ミスティック・リバー」なのだろうか。ミステリー、ハードボイルド好きな人ならパトリック&アンジーシリーズは有名だろう。犯罪を犯す側、それを追いかける側の物語を書くことが多い。ディカプリオ主演で映画化された「シャッター・アイランド」なんかは犯罪と扱いつつも作者の新境地を切り開いた作品ではなかろうか。トム・ハーディの「クライム・ヒート」(原題「The Drop」)や、べん・アフレック主演の「夜に生きる」など主たる作品の映画化も続くし、本国での人気がうかがえる。日本ではどうなんだろう??

さてこの短編集には7つの短編が収められている。そのうち一つは俳優をやっている兄のために書いた戯曲で、これはその性質上地の文がなくてほぼ台詞のみで構成されているからちょっと異色といっても良いかもしれない。それ以外の作品はルヘインのお得意の犯罪を扱った小説。特徴として犯罪を犯す人が街のギャング止まり、というかプロの犯罪者というのはいなくて、一般人、もしくはチンピラくらいだろうか。若者が主人公になっている作品も多くて、そういった意味ではパトリック&アンジーシリーズの初期の作品に通じる雰囲気がある。重厚な長編を書く人なのでどの短編も長編とは趣がはっきりと異なり、どれも起承転結がやや曖昧である(話も多い)。扱っている時間が割と短めなので主人公たちも小説中で起こる出来事にはっきりとまだ意味や意義を付与できていない感じがあり、それが不思議な味となって読者の口に運ばれてくる。
オフビートな会話の中にも根っからの悪人(根っからの犯罪者ではなく、人生のある地点からドロップアウトしたという設定が非常に面白い。)である父親とムショ帰りの息子の対決を描いた「グウェンに会うまで」は非常に強烈だ。水面下では生き死にがマジで関わった火花がばちばち音を立てている。それをとぼけた会話の応酬で覆っているのだが、この緊張感がめちゃくちゃ怖い。ある意味更生する話だったのに、結局暴力から逃れられないような筋もルヘインらしくて良い。
そんな中でも一番気に入ったのは冒頭を飾る「犬を撃つ」だ。これに出てくるブルーという主人公の友人が素晴らしいんだ。歳食ってさすがに思春期と同じように本を読んで「自分みたい」って登場人物に感情移入することは減ったと思うんだけど(読む本の種類が変わってきたこともあるかもだけど、そういった意味では若いうちに名作と呼ばれる本を読むことはとても大切だと思う!!別に年取ってから読んでももちろん良いけど。)、このブルーというやつはあまりに冴えないやつで久々に読んでて心臓にビシビシきた。こいつはチビで顔も醜く、ひどい環境で育ち大人になっても貧しいまま。主人公以外は友達がいなく、当然女の子と付き合ったことなんかない。ビッチみたいな女(結婚してるし、主人は彼女と寝てる。ブルーもきっと気づいているんだろう。)に子供の時からずっと恋をしていて、それは年を経てグロテスクな崇拝になっている。まさに現実生活から微妙にずれている”ミスフィッツ”なわけだ。重要なのは彼はみんなに嫌われているわけではない。変わり者だが無害な奴と思われていて、要するに誰の記憶にもきっちり残らないような存在感なわけだ。そんな奴が暴力にその逃げ場を求めていくのはわかるよね。ちなみに彼は銃には異常に詳しいのだけど、身体的に徴兵検査を落とされている。この世界との不調和をルヘインがブルーの”ギクシャクした体の動き”で表現しているのだけど、これがすごい。
武器を操作しているときは別だが、ブルーは動きが突発的でぎくしゃくしている。震えが四肢を伝わり、指がものを落とし、肘や膝が細かく動きすぎ、硬いものに思い切りぶつかる。血の流れが速すぎて筋肉が脳の命令に従うのが四分の一秒遅れ、ついでその遅れを取り戻そうと速くなる、という感じだった。
なんてったって自分にも覚えがあるんだよね。いつもどこか緊張していて変な動きになってしまう。私も昔そんな自分の動きを「変だね」と指摘されたことがあるもんで。いわばこいつは悲しい奴なんだ。いっそのことカジモドくらい醜かったよかったのかも。「どうでもいい奴」でいることは悪人でいることより辛く、そして惨めだから。ルヘインの描写は執拗で弱い者の立場に立つ、というよりもはやいじめている側では??ってくらい私からした心にくる。ブルーが一体どうなるのか、それはもう予想通りな訳なのだけど。それが辛く救いがなく、そしてよかったのでは、とすら思ってしまうほど悲しい。彼はいい友達を持ったのだと思いたい。ブルー最後はどう思ったんだろう、きっとわかっていたのだろうと思うけど。この「犬を撃つ」だけでも十二分に読む価値があるよ、本当にね。
かなりの歳になって男の胸にわいた希望は非常に危険だ。希望は若者や子供たちのものだ。希望は、大人の男にとって-特に、ブルーのような、ほとんど希望に馴染みがなく、それが訪れる見込みのない男には-そうした希望は、潰えるときに焼けて血を煮えたぎらせ、その後に、何かたちの悪いものを残すのだ。

個人的には素晴らしい読書体験。本を読むってこれだから楽しい(別にうわーいって楽しくは全然ないんだが、むしろ辛い)と思う。是非どうぞ。

リチャード・スターク/悪党パーカー/人狩り

アメリカの作家による犯罪小説。
私が買ったカバーには若きメル・ギブソンが力の入った表情で銃を構えている。というのもこの作品メル・ギブソン主演で「ペイバック」というタイトルで1999年に映画化されている。実はこれより先んじて1967年に「ポイント・ブランク」というタイトルで映画化されている。要するに二度も映画化されるような人気作なわけだ。この物語の主人公はタイトル通りパーカーという悪党なのだが、2006年にも新作が発売されているくらいの人気シリーズになっている。作者のリチャード・スタークは又の名をドナルド・E・ウェストレイク。スマートとも悪党とも言えない犯罪者ドートマンダーたちの笑える活劇が人気だろうか。私も「ホット・ロック」のみ読んだ。とても面白かった。このパーカーのシリーズはそんなウェストレイクの面白さとは真逆の犯罪小説だというから興味を持って買ってみた。ちなみに「ペイバック」も子供の頃見たがもう内容は覚えてないな〜。

交通量の多いワシントン橋を強風の中朝8時に男が歩いている。彼の頭にあるのは貸しの取り立てである。武器の取引現場を襲い金を奪ったのは良かったが、妻と仲間に裏切られて重傷を負った。朦朧としているところを浮浪罪で逮捕され、監獄へ。看守を殺し脱獄し、1ヶ月かけてアメリカ大陸を横断。やっと彼を裏切ったやつらのもとにたどり着いた。男の名前はパーカー。

要するに仲間と妻に裏切られた男がやり返す話なのだが、大変面白いことに純粋な意味での復讐譚ではない。パーカー本人もいっている通り実は復讐というほど思い入れがあるわけではない。妻に裏切られたのもの別の女を探そうと思っているくらいだ。ただ彼は異常に貸し借りにこだわる。いわば取られすぎている状態だからおまけをつけてその借りを返してもらおう、というのがパーカーの論である。だから苦しめて殺してやる!じわじわ追い詰めてやる!とかいった湿っぽさとは無縁である。常に不敵に、そして乾いている。いわばこのパーカーという男がかっこいい物語である。彼は目標に沿って最短距離で歩く。復讐すべき男を追い詰めても金を取り戻さないと彼の旅は終わらない。だから裏切った男が所属するシンジケート(アウトフィットと呼ばれる)に手ぶらでいって自分の金を返せという。そんなことが通用するわけがないのだが。ドートマンダーはあの手この手を考え、そして苦労しながら実行する(大抵うまくいかないのが面白い)のだが、パーカーに計画はない。まっすぐ行く。この男のかっこいいのは、いきなりアウトフィットを襲撃して銃をぶっ放し、金を奪うというやりかたはしない。まずは知る限りの一番偉い奴のところに行き、「金くれ」というのである。不敵すぎる。もちろん障害となるのであれば殺しに対して一切の呵責や頓着がない。面倒だから普段は殺さないだけなのである。そもそも自分を裏切った男も、パーカーは最初っから臆病者だと思って自分が頃好きだったのだもの。妻に裏切られても泣くわけでもない。完全に悪党である。人間的な感情が多く欠落しているので、サイコパスといっても良いのかもしれない。彼の中には基本的には自分しかない。無鉄砲さもありがちな「死に場所を探している感」なんてセンチメンタリズムの出る隙がない。どんな危機も切り抜ける気でいるし、そうでないならその時考えるという不敵さ、傲慢さである。この非人間性がこせこせ生きている私たちを引き付けるのだ。結果的に構築された悪党のルールに魅了されるのである。
約250ページくらいの長さにパーカーの無駄のない行動がぎゅっと詰まっている。本当にこの短さによく収まったな!というくらいの濃密さで。無駄のない小説である。そして圧倒的に古びない。だからこそ30年以上経ってから映画化されても面白いわけである。多分現代に直して映画化しても面白いと思う。昔気質の犯罪小説が好きな人は是非どうぞ。

Entombed/Left Hand Path

スウェーデンはストックホルムのデスメタルバンドの1stアルバム。
1990年にEarache Recordsからリリースされた。
Entombedは1987年にNihilistとして結成され、その後バンド名をEntombedに変更。活動休止や分裂などを経て2017年現在も活動中。いわゆるスウェディッシュな(デスメタル)音楽では大変な功績のあるバンドと言うことで遅まきながら購入した次第。タイトルの「Left Hand Path」は左道のことで右道に対する要するに黒魔術と言うか、よろしくない方の魔術のこと。左利きもそうだけど世界的に左はよくない方向なのだろうか。なんでなんだろね。

聞いてみて思ったのはIneterment(同じくスウェーデンのデスメタルバンド)だな〜、という感じ。まあ順序が逆なんだけど。ブワブワたわませたようなぐしゃっと潰れた音が汚らしくリフを刻んでいくタイプのデスメタル。音質は決して良いわけではないのだが、前のめりに迫ってくる生々しい迫力がある。テクニカルでないわけではないが、もっと別のところを目指しているようなタイプの音で、その後メタルの範疇を超えてハードコアバンドに影響を与えたのも頷ける。ドラムのスッタスッタ刻むリズムも結構ハードコアっぽさがある。Trap Themのアルバムとか改めて聞いてみると「うへー」となること請け合い。何が良いってボーカルが良くてデス声というにはもっと掠れていてしゃがれている厭世スタイルで吐き捨てていく。
クリーンボーカル(呻くようないや感じのはたまに)もメロディアスさもほぼ皆無なわけで、グラインドコアにあるような勢いもないので、非常にぶっきらぼうかつわかりにくい音楽な訳で一体何がこんなにかっこいいのかというと一つは生々しい迫力があること。それから曲自体が優れていること。めまぐるしい技工みたいなものはないのだが、反復的に鳴らされるリフがかっこいい。荒々しい音の作り方もそうだが、現行のデスメタルに比べると結構空間的には隙間が空いた印象。速度の転換は結構あってドゥーミィだがやりすぎなほど遅いわけではないし、後世の発展系の原型が詰まっているようなイメージ。他の楽器が鳴り止んでギターが刻むリフを披露するパートがかっこよすぎる。かなり性急といった感じのギターソロが多め。

今からもう30年近くも前のアルバムだけど古びれた感じはないのでお勉強と言う感じで全くなく聞ける。(さすがに録音はちょっと弱いかなと思うけど。)デスメタルというジャンルも時を経て進化を続けているのだが、この音源はデスメタルの核心をついたアルバムなのかもしれない。「スウェディッシュ」という言葉がきちんと確立しているのだが、なるほどこういった音源があったからなんだなと実感する。いろんなスウェディッシュを今でも聞くことは多いので、そういった意味でもまだ聞いたことない人は聞いてみると面白いのではないかと。

Wear Your Wound/WYW

アメリカ合衆国はマサチューセッツ州エセックスのハードコアバンドの1stアルバム。
2017年にDeathwish Inc.からリリースされた。
Wear Your WoundsはアメリカのハードコアバンドConvergeのフロントマン、Jacob Bannonによるソロプロジェクト。Convergeのボーカル以外にも非常に影響力のあるレーベルDeathwish Inc.を運営したり、自身のバンドのアートワークも手がけるグラフィックデザイナーと活動しているJacobが新しく(と言っても2010年ごろから始めたらしい。)始めたのがこのバンド。全ての作詞作曲は彼が手がけている。この音源の録音は盟友Kurt Ballouが手がけている。ライブも結構頻繁にやっているようで、ライブは録音ではThe Red ChordやTrap Themのメンバーがヘルプとして入っているようだ。

ハードコアという範疇以外でも非常に大きな存在のConverge。日本ではThe Dillinger Escape Planと並んでカオティック・ハードコアという言葉(ジャンル)で紹介されていた。(今ではどうなんだろ?)基本的には激しいのだが、アルバムによってはなんとも哀愁のある曲をプレイする。例えば「Axe to Fall」の「Wretched World」(このアルバムで一番好き)とか、名盤「Jane Doe」の「Jane Doe」、「No Heros」の「Grim Heart/Black Rose」などがパッと思い浮かぶ。曲の速度もそうだが、その他の曲とは一線を画す世界観で私は激しい曲と同じくらいこれらの楽曲が好きだ。Jacobがソロをやってしかもその世界観はConvergeのそれとは違ってくる、というので俄然Convergeの前述の曲群が頭に思い浮かんだわけ。そう言った期待感で聞いてみると、やはりConvergeの激しさは皆無。でConvergeのゆっくりした曲とは確かに似ているのだけど、半分くらいで後の半分はそれとも異なるような要素が感じられる。じゃあそれは何かと言うと、一言でいうと”ポスト感”だろうか。ただこれも型にはまったそれらとは異なる、独自の方向性を持ったものだ。基本的にはバンド形式で曲が構成されているが、アコースティックギターやピアノを始め様々な楽器を取り入れていること。速度は基本ゆっくりで比較的長めの曲をやること。歪んだギターは頻繁に出てくるもの攻撃性はほぼないこと。こうやって書くと美麗なポストロックという感じがしてくるのだが、このプロジェクトの志向する世界はもっと曖昧である。メロディはあるが決して前面に出てこない。カーテン越しに呟いているようなボーカルもどこか個人的でわかりやすい共有がない。分厚いギターのトレモロと言ったキャッチーさもない。もっと儚く、その真意にはたどり着きがたく感じる。拒絶されている、といよりは個人的な感じがしてなかなか読み取れないのだ。
一言で表現するなら「ノスタルジー」だろうか。もちろん私は生まれも育ちも日本なのでJacobとは世界観を共有はしていないのだが、ゆったりとした曲調の向こう側に何かしら色あせた風景が蘇ってくる。長らく誰もいない家(廃屋と言うほど荒廃していない)で見つけた家族のアルバムを眺めているようだ。経年でくすんだ写真一枚一枚に(私がよく知らない)ドラマがある。誰か他人の物語だ。アルバムから目を挙げると埃っぽいガラスを張った窓から見える空は夕焼けに染まっている、そんな風情。物語だなあと思った。そうやってみると非常にロマンティックで、Convergeの荒廃して厳しい音の嵐の向こう側に垣間見える男っぽい(作家で言うならデニス・ルヘインだろうか)エモーションに通じるところはあると思う。整合されていない(定型化されていない)ノスタルジックさ、拡散していく美麗さは結構混沌としている。

綺麗でありつつもなんとも形容しがたい独自の音楽性を持っているのはさすが。ConvergeがConvergeと言う存在たりえているのはなぜかと言うことが少しわかるかもしれない。

2017年6月10日土曜日

ヤン・ヴァイス/迷宮1000

チェコ(当時はイレムニツェ)の作家によるSF小説。
漫画「BLAME!」の元ネタの一冊ということで買ってみた。

ふと目覚めると巨大な構造物の階段だった。自分が誰なのかわからない俺。服のポケットに入っていたメモを見るとどうも俺は探偵らしい。オヒスファー・ミューラーなる人物が作った1000の階層を持つ巨大建築物、通称「ミューラー館」にミューラーに誘拐された小国の姫君を救出に潜入したのだが、何かの出来事で記憶を失ってしまったようだ。特殊な技術によって透明になった俺はタマーラ姫、それから館のあるじと邂逅すべく巨大な館の捜索を開始する。

巨大な建築物を探し物をしながら彷徨う、というところは「BLAME!」に似ているがその設定だけで実際はかなり異なる。なんせ記憶を失って目覚めた主人公が口にするセリフが「どちらにしよう?のぼるか、くだるか?よし、上だ!」だもの。相当エネルギッシュなやつである。そして空気より軽い物質で作られた(なので上へ上へと常識を超えた大きさを保つことができるのだ)巨大な館もいかがわしい喧騒で満たされている。謎の人物オヒスファー・ミューラーが独裁統治する昼も夜もない館では主人がすなわち法である。そこに住まう人々は全て監視され、会話はミューラー本人に盗聴されている。ミューラーの気まぐれによって不幸を被り、押さえつけられ、暗殺や権謀術数が渦巻き、不満を持った体臭がクーデータを起こしている。相当きな臭い場所である。つまりミューラー館は現実世界の縮図であり、そういった意味ではこの物語はディストピア小説といっても過言ではなかろう。1929年に発表された物語だがあとがきでも触れている通り、ナチのガス室を思わせる設備が書かれている。どうやら作者は未来に対して卓越した先見性を持っていたようだ。喜怒哀楽のはっきりした主人公の性格、ぶっ飛んだ設定もあって喜劇的な趣向も備わった通俗小説だが、一読すれば現代とそして地続きにある未来に対する警鐘がみて取れるだろう。すなわち欺瞞に満ちた公的事業、死体すら金儲けに使う拝金主義、監視され自由を奪われる住みにくく醜くゆがんだもう一つの私たちの世界である。
といっても例えば不朽の名作ジョージ・オーウェルの「1984年」のような閉塞感はなく、フリークスめいた狂人たちが闊歩する奇妙な地獄めぐりのようなロード・ムービー的な面白さ、騎士が美人で不遇の姫を救うという冒険譚の要素をきっちり抑えた通俗小説になっている。いわば甘い糖衣で包まれているわけで非常に読みやすい。会話はちょっと演劇めいているものの、読んで見ると時代性といい意味で無縁な普遍的な物語になっていることがわかる。
天を摩する巨大な建築物という設定、物語を彩る濃いキャラクターの面々で色彩豊かな活人画のような趣だけどその核には強烈な風刺の精神がある、まさに反骨の異色のSF。「BLAME!」好きな人にはあまり親和性がないかもしれないがディストピアものが好きな人は是非どうぞ。

山岸真編/SFマガジン700【海外編】

早川書房が出版している雑誌SFマガジンの創刊700号を記念して組まれたアンソロジー。
収録作品と作者は以下の通り。(オフィシャルよりコピペ)
「遭難者」 アーサー・C・クラーク
「危険の報酬」 ロバート・シェクリイ
「夜明けとともに霧は沈み」 ジョージ・R・R・マーティン
「ホール・マン」 ラリイ・ニーヴン
「江戸の花」 ブルース・スターリング
「いっしょに生きよう」 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
「耳を澄まして」 イアン・マクドナルド
「対称(シンメトリー)」 グレッグ・イーガン
「孤独」 アーシュラ・K・ル・グィン
「ポータルズ・ノンストップ」 コニー・ウィリス
「小さき供物」 パオロ・バチガルピ
「息吹」 テッド・チャン
私はSFマガジン自体は手に取ったことのないSF好きの風上にも置けない不信心者なのだが、収録されている作家が魅力的なので買ってみた。ちなみに日本人の作家のみで組まれた【国内編】も発売されている。
編集した山岸真さんがあとがきで書いている通り、長い歴史を持つSFマガジンから優れた作品を抜粋する、というコンセプトではなく、今読んで面白い作品をなるべく時代が被らないように選んでいるとのこと。クラークから始まってイーガンやバチガルピなど最先端で活躍する作家まで、色々な支流がありつつ発展していく様々なSFをしかし一本の大きな流れとしてまとめあげている。こうやって見るとマーティン、グィンやチャンなど映像化されている作家もたくさんいるね。
個人的に気に入っているのはイアン・マクドナルド「耳を澄まして」。SFの醍醐味にスケールのでかさがあると思うのだけど、この作品はその大きなスケールを絶海の孤島のたった二人の関係に落とし込んでいる。世界の危機が少ない人数に文字通り集約されている。ある意味セカイ系なのだろうが、ひたすら静謐で個人的であり、SF的なガジェットがない中で粛々と物語が展開して行くのが面白い。少しずつ沸き立っているようにエンパス(一番優しい人間)が協力して少年を助けることで人間を次のステージに押し上げて行くという展開が熱い。
「神の水」でも破滅的な未来を書いた根暗ペシミストのパオロ・バチガルピの「小さき供物」は相変わらず不幸が予言されているが、一連のゲド戦記シリーズの作者アーシュラ・K・ル・グィンの「孤独」も結構人間の暗黒面を書いている。非常に原始的な世界のエキゾチックさに目が奪われるが、その世界のわけのわからなさを強調すること、血は繋がっているものの所属する社会(世界)が異なるために決して分かり合えない親娘の間の断絶がなんとも痛ましい。基本的に尊重しつつも確実に存在する先進的な文明側から遅れている文明に対する侮蔑が浮き彫りになっている。未来は常に良いものなら私たちは古代の人間から見れば幸福なのだろうし、実際寿命も延びているのだろうがじゃあ自分が幸せなのか?と考えると一体進歩が人間に何をもたらすのかが面白い。
私は物語に書かれている人間の動きを楽しむタイプの人間なのでSFというジャンルであっても基本的には同じ。そういった意味で上にあげた作品、それからそ以外の作品でも基本的に特異な状況でも人間の心と体の動きが丁寧に書かれているから非常に楽しめた。ただイーガンは別でこの人は先進的な科学技術を根拠に難解な話を書く。じゃあ人間がかけていないかというと全然そんなことはないのだが、このアンソロジーに収録されている「対称」に関しては特異な状況がフォーカスされていて主人公たちもそれをどう受け取っていいのかわからない、という混沌とした状況が極めて冷静な文体で書かれている。イーガンは日本でも人気がある作家の一人だが、こういったマニアックさというか、極めて科学的でハードなんだけど結構これどう受け取ったらいいのだ、というところが受けているのかもしれないなと思った。

そのジャンルに属する面白い作品を読めるという意味で奇を衒わないとても良いアンソロジー。手っ取り早くSFの面白いのを読みたい人は是非どうぞ。

2017年6月5日月曜日

Granule Presents AURORA@渋谷Ruby Room

解散したBOMBORIのメンバーらによって結成された新バンドGranule。2017年に音源「AURORA」をリリース。それに合わせていくつかのライブを主催。その中の1日に行ってきた。音源が良かったGranuleを見たいというのもちろんだけどDooomboysが個人的にとても見たかったのが決め手。
場所は渋谷Ruby Room。最近よく聞くライブハウスだが行くのは初めて。渋谷の道玄坂の手前?らへん。ライブハウス(もうちょっとこうイベントスペースという雰囲気でもあった)にしては珍しく2階にある。扉を開けるとどちらかというと狭いくらいのライブハウスだと思うんだけど、奥の壁が斜めになって屋根裏感がある。薄暗い照明や凝った内装も秘密基地めいていて狭いことを逆手に取った良い雰囲気の場所。なんとなく女性のお客さんが多かったのは場所のせいだろうか?

Friendship
一番手は待望の1stフルがいよいよ発売間近のFriendship。フロアにアンプが積み上がっている。ライブハウスが狭いのでいつもより密度がびっしりでアンプのすぐ前がドラムセット。ちなみにこの時点でもう結構人が入っている。Sunn O)))を思わせる低音が売りのバンドなのだが、この日はヒュンヒュン不安定に飛び回る高音フィードバックノイズが強め。多分新作からの楽曲を中心にしたセットだと思うが、曲中にもフィードバックを活かしていてちょっとした新機軸ではなかろうか。強烈な低音をソリッドかつ正確なドラムがビシッと引き締めている。ドラミングについても新曲はフィルインが多めでミニマルで非常にモッシーな曲をドラムが車輪になって重量感をそのままに回している感じ。どのパートもかっこいいが個人的にはやはりドラムに目と耳が行きがち。ただこの日ボーカルも鬼気迫る勢いでかっこよかった。
この日アルバムを先行発売していたのだが、特典付きのを予約していたので泣く泣くスルー。はよ聞きたいものです。
アンプの壁を除けると奥にステージがあったのか〜とちょっとびっくりした。多分アンプが多すぎてステージに乗らないからステージでやったんだね。

HIMO
続いては北新宿ハードコア、HIMO。ここからバンドはステージに乗る。名前は知っているが見るのも聞くのも初めてなので楽しみだった。メンバー4人のうち3人が坊主頭で、ちょっと他にない見た目のインパクトがある。かなり強面なので一体どんな音なのだろうか、きっとめっちゃ無愛想な日本的なハードコアに違いないと思っていたのだが、果たして実際は全然違って良い意味で期待を裏切られた。低音に偏向しない、非常に生々しい音を主体にフリーキーな楽曲。パワーバイオレンスとは全く異なるストップアンドゴー、というよりは休符、休止を強烈に意識した(恐らく、というのも音源は聞いたことないので)短い曲。ボーカルは勢いがあるが、節をつけて歌うというよりは言葉を早口にどんどんまくし立て、吐き出していくのでラップに聞こえる。曲が短く、反復やわかりやすい王道な構造性も希薄なので掴み所がない。爪弾くように引くギターは突然ギターとは思えない強烈なエフェクトをかけて引きまくったりする。パッと思い浮かんだのは54-71だが、シャウトも入るし曲がフリーキーだからむしろへんな例えだが、あぶらだこがRage Against the Maschineをやったかのようだ。つまりめちゃかっこいい。唯一無二の音であること自体難しいと思うが、それがかっこいいというのは奇跡めいている。見た目に反して熱く、血の通ったバンドだった。いい意味で本当に期待が裏切られた。そんな熱量がストレートに表れているMCも良かった。(ちなみにこの日まともなMCをやったのはHIMOだけ。)
音源を買ったが、メンバーの方はとても人の良い方だった。

Dooomboys
続いてはDooomboys。この日一番異色のヒップホップユニット。Wrenchなどで活躍するドラマーMurochinさんと、Think TankのメンバーでもあるBkack SmokerのBabaさんの二人組。電子ドラムを追加したドラムキットに、恐らくサンプラーなどを配線しまくった電子機器をBabaさんが操作しながらラップする。
Murochinさんがドラムを叩き、その上に上物を乗せてラップをしていく。この上物はジャズやダブ、ノイズをサンプリングし、音を加工し、ドロドロに溶かしたものを即興で再構築していくような技で再生というよりは再構成、生成されていく。音源に入っている曲もやったが、やはり生で再現するともっと生々しく少し様子が違う。ラップはエコーがかけられてすでに煙たい。電子機器でドラム音も入れたりするから、生のドラムとダブルになってそういった意味ではかなりテクノっぽい要素もある。よくもまあこう言葉が淀みなく流れ出ていくものだと感心する。非常に特徴的な声質だが、ライブで聴くとなめらかでかっこよかった。目配せで曲を制御するその様は即興性が強く、ゆえに二人のメンバーの間にはバチバチ火花が散るよう。Murochinさんのドラムはとにかく正確でタイト。だからヒップホップのフォーマットにぴったりはまる。マシンぽいドラムというとともすると批判的な文脈になってしまうが、とんでもない。めちゃかっこいいぜ。ヒップホップにしてはビートがかなり複雑かつ多様なんだけどまさにそこが二人でやる由縁なのだろう。黒煙に巻かれて非常に気持ちよかった。また見たいし、音源も新しいのを出して欲しい!12インチとかで新曲とか!

Granule
トリは東京のGranule。こちらは音源を聴いているからだいたいどんな音かわかっている、と思ったけど生で見るとかなり印象と違って面白かった。上背のあるメンバーは挑発も多くてこの日一番アングラメタル感出てた。音源を聴いた印象は長尺の強烈なスラッジだが、ワウを効かせたソロなどサイケデリックで地獄感と同時に煌びやかさもある音という感じ。ところがライブだともっと肉体的でおぞましかった。オールドスクールなスラッジをもっとでかい音で、もっと音の数を減らし、もっと一つの音を伸ばす、そんな音像。一撃をこれでもかというくらい強調するあたりはフランスのMonarch!っぽくもある。窒息するような緊張感も似ているがあちらは魔術的なドゥームだが、こちらはもっとハードコアっぽいスラッジ。ボーカルもどんどん喉があったまったのか最終的には低音、高音どちらも迫力が出て怖かった。途中で暴れる場面もあって音源よりよっぽど剣呑だった。しかしかっちりあったアンサンブル、何より引きずりのたうちまわるようなフィードバックノイズにその美学が込められており、無心に頭を振るうちにも退廃的な美しさを感じられてよかった。

ライブに行くと音源を持っているバンドでもそうでないバンドでも、大抵こうだろうな〜と思っていたことが違うので面白い。この日は特にそんなことが多かった。あと結構通ぶって楽器の方がきになる風でいるんだけど、最近はボーカルがすげえな!と思うことが多い。主催のGranuleに比べるとFriendship以外のバンドは結構音楽性が異なるんだけど、その違いが結果的にとても楽しかった。
あとHIMOとDooomboysの間に女性のDJが曲をかけていたのだけど、かかる曲がハードなテクノばかりでどれも非常にかっこよかった。全部曲名教えてくれろ!という感じ。
週末の渋谷には色々な人がいる…と思いながら帰宅。

2017年6月4日日曜日

The Endless Blockade/Primitive

カナダはトロントのパワーバイオレンスバンドの2ndアルバム。
2008年に20 Buck Spinからリリースされた。
The Endless Blockadeは2003年に結成されたバンドで残念なことに2010年には活動を終えてしまった。確か今Sete Star Septでドラムを叩いている人がメンバーとして在籍していたことがあったのではないかな。パワーバイオレンス(ハードコア)バンドということでスプリット含めてそれなりの数の音源を残している。私はBastard Noiseとのスプリット「The Red List」のみ持っている。なんとなしにデジタル版でこのアルバムを買ってみた。ミックスはPig Destroyerなどで活躍するScott Hullが手がけたようだ。

全12曲を21分で走り抜ける正しいパワーバイオレンスバンド。だいたい1分くらいの短い曲の中を高速〜低速をストップアンドゴーを交えてめまぐるしくシャトルランして行く。基本はしゃがれた高音喚きボーカルでたまに低音ハードコア喚きボーカルが乗る。ややぎろんぎろんした太くて主張の強いベースがMan is the BastardやSpazzを思わせる。ミュートを多用しないギターも非常にハードコア的である。ドラムも速い時は速いが音が軽くて抜けが良い。疾走感というよりは早回ししているような痙攣的で不自然な速さが、いつのまにかトーンダウンして停滞しだす。ストップアンドゴーと言っても速度の止め方というところにこのジャンルの面白さがあると思うけど、このバンドはそこらへんが非常に巧みで短い曲でもあっという間にテンポを転換させて行く。
割と伝統的なパワーバイオレンスを軸にこのバンドのすごいところはさらにノイズの要素をぶち込んできている。不穏なSEはともかく、明らかにハーシュノイズを曲に持ち込んでいる。イントロ的に使う場合もあるが、スラッジ成分を強調した長い尺の曲(基本2分台くらいだがラストは7分40秒ある)ではノイズの登場頻度も増してくる。ハーシュノイズは流動的かつミルフィーユのように多重構造だが、その層をいくつか剥がしてきてハードコアの表面に貼り付けている。(あるいは足元に滞留させている。)分厚いハーシュノイズをそのまま使えば個性の強すぎるノイズゆえにノイズにしかならないだろうから、心得た使い方だと思う。

ハードコア(パワーバイオレンス)にノイズの要素を追加するのが昨今の一つの流れ(Full of HellやCode Orangeあたり。日本のEndonはノイズがバンドサウンドに憧れから接近したとしたらちょっと違うかな。)だと思うけど、この流れは何も今に始まったことではないなと改めて実感。いうまでもないが「The Red List」で共演しているBastard Noiseはパワーバイオレンスの元祖とされることもある元Man is the Bastardのメンバーが始めたバンドであるから、別に今の潮流が単なるリバイバルとは全く思わないけど、きちんとこういうった土壌があるところから最近のバンドがすくすく育っているんだな〜という感じ。
そんなわけで最近のFull of Hellなんかが好きな人たちはバッチリハマると思うので是非どうぞ。個人的には大変かっこよく楽しめた。おすすめ。

Dying Fetus/Destroy the Opposition

アメリカ合衆国はメリーランド州バルチモアのブルータルデスメタルバンドの3rdアルバム。
2000年にRelapse Recordsからリリースされた。
Dying Fetusは1991年に結成されたバンドでこの界隈ではかなり有名なバンドではなかろうか。私は実は聞いたことがなかったわけで、なんで今なの?という感じなのだけど、近々8枚目になる最新作「Wrong One to Fuck With」が発売されるので過去作を聞いておこうというのと、それ以前にハードコアっぽいデスメタルと聞いていたのでそれなら聞いてみようとなったわけだ。聞いたことない私でもこの印象的なジャケット(アンクルサムが疲れている)は知っていたので(多分大昔に読んだBurrn!にもレビューが載っていたような)このアルバムをチョイス。

聞いてみるとこれが非常にかっこいい。ハードコア要素もあると言われるのも納得の内容。一番びっくりしたのは音の作り方でかっちりして重たいのだけど、意図的に風通しをよくしているので全体的にカラッと乾いた雰囲気がある。手数が多いドラムはまるでLast Days of Humanity(こっちはすこここという感じだからちょっと違うけど)を思わせるような徹底的に乾いた音に仕上げられてスタスタスタ突っ走る。後述するがこのバンドはテンポチェンジが頻繁になるのでそれに対応して非常に叩き方が豊富なのも魅力。
ギターは湿り気のあるひたすら重低音というメタルらしさとは違って、中にぎっしり砂が詰まった鈍器のような重さ。目の細かい粒子をぎゅっと圧縮したような密度の濃い、見た目以上に重量感のある音。このギターがかっちりリフを刻んで行くのだが、基本的にはとてもメタリックでテクニカル。低音弦をメインに据えた、ミュートを多用した刻みがメインでドラムと相まって非常に正確。ギターソロなんかも少なめなのだが、たまに高音でテクニカルなピロピロが入る。ただここも音の輪郭を丸めてあるので耳に痛くなくて、ひたすらブルータルな楽曲に不思議とマッチしてこのバンドの大きな特徴の一つになっている。
ボーカルは低音をメインに吐き捨てるような中音なども挟み込んでくるスタイル。「メロディ?うちにはないよ」なメタルだけど、このバンドの名前知っている人ならそこらへんは多分気にしないじゃないだろうか。
曲はだいたい平均すると4分くらい。メタルとしては普通長さだけどいわゆるグラインドコアなんかと比べれば長いわけで、激烈なブルータルでその尺をどう使っているかというと、ハードコアの要素を大胆に取り入れてテンポチェンジをやっている。メタルは(だいたい)テクニカルさも志向することが多いので速度の変更や変拍子も珍しくはないのだろうが、このバンドの場合はブレイクダウンのような大胆で強引なテンポチェンジを仕掛けてくる。ミュートを使ったゴリゴリのリフがここでハードコアのモッシュパートのように断然映えてくる。この間だけはテクニカルさをかなぐり捨てて肉体的に、そして暴れる間隙をわざと空けてきてフラストレーションを一気に解放させてくる。音の作り方もそうだけど、極北みたいな音楽をやっているけど実は力の配分が絶妙で減らすところは減らしている印象。単純にブルデスプラスハードコアのただの足し算でないのだな〜と。

基本的にはやはりブルータルデスメタルだと思うのだけど、見事にハードコアの要素をブレンドして独自の音楽をやっている。実はまだ聞いたことないな…という人がいたらこっそり聞いてみるのが良いのではないでしょうか。