2017年8月5日土曜日

スタニスワフ・レム/ソラリス

ポーランドの作家によるSF小説。
私が買ったのは早川から出ている新訳版。
SFで著名な作品だけど個人的にハードルが高いな〜となんとなく思うのが「ハイペリオン」、「砂の惑星デューン」とこの「ソラリス」なんだけど、いよいよ!と思って買ってみた。他の二つは長いからまだ躊躇している。

遥か未来、ソラリスという惑星には粘性の海があり、そしてこの海は意志を持った生命体であることがわかった。人類は長きにわたってソラリスに学者たちを派遣し、海とコンタクトを図ろうとしてきたがまともな交流には成功していなかった。様々な仮説と憶測が入り乱れ、次第にソラリスに対する期待と熱量が冷めてきつつある時代、心理学者であるケルヴィンがソラリスにジンルが設置したステーションに到着する。ところが3人いるはずの学者のうち一人は死亡。残りの二人の態度も極めて不自然である。不信感を募らせるケルヴィンの前に地球で死別した恋人が現れる。

有名なアンドレイ・タルコフスキー監督(一作も見たことないんだけど)とスティーブン・ソダーバーグ監督(この人のもどれも見たことないや!オーシャンズ〜の監督。)によって二回も映画化された。本邦でも発表されてから60年後に新訳が出るくらいだから、世界的な人気のほどがうかがわれる。二度の映像化に関して作者スタニスワフ・レムはどちらもひどく不満だったようだ。どうも色々な解釈をされる作品であるようだが、私はこの作品は科学的な挑戦と不屈の意志を描いている作品だと思う。なるほど自殺してしまった恋人と急かつ不自然に再開し、恐れつつも以前とは異なる関係を結ぶ、というところは非常にロマンティックで実際大変面白いのだけど、この作品は明らかにその先を描いている。
人間は想像力があっても基本的には既知のものから新規のものを考えることしかできない。いわば地球の法的式のようなものがあって(魔法的なものでなく環境的なもの)人間はそれに縛られる。ところが無限に広がる(広がり続けるとかいや縮んでいるとか色々言われる)深遠な宇宙では当然この方程式が聞かなくなってくるだろうと思う。確かイーガンだったと思うが、地球と異なる物理法則に計算で戦争するみたいな短編がなかっただろうか。いわば絶対的な法則も実は多様性の一つでしかなかったみたいな壮大さが自分は好きで、これはもう妄想の域だが、それでもやはり宇宙には全く異なる生物というのがいたとして、彼らと人間が出会った時向こうがなんの反応も示さなかったりはしないだろうか?(レムもいっているがアメリカだと大抵向こうが殴りかかってくる(それはそれで好きだが))はたまた精神体みたいな存在がいるのではないだろうか?なんて色々子供の時から考えたものだ。そんな多様性から出発したのがこの「ソラリス」ではなかろうか。そんな中でもあくまでも(能力的な限界でもあるから仕方がないのだが)コンタクトを図ろうとする人間たち。それをマクロ的な視点(主人公ケルヴィンが図書館に納められた書物から紐解くソラリス史)とミクロ的な視点(いうまでもなくケルヴィンが体験する様々な事柄)で書いているのが今作。結局なんなのか?という問いが残るケルヴィンと死別した女性との再会。白黒はっきりするだろうな、というのは淡い期待であることをレムは書いている。仲良くなるわけでもなく、喧嘩するわけでもない、ただ同じ時と同じ場所で別の生き物が生きているという事実。ケルヴィンを始めとする地球人たちの試みはこの小説の時点でははっきりとした成果を出せていないのだが、それでも自分たちなりのやり方でやり続けようというのが、この小説なのではなかろうか。要するに意志の問題を書いていて、未知のものに挑んでいく高潔さを書いているのでは。根本的に努力が報われると思っている人からしたら虚無的だろうが、疲れ切ったケルヴィンがステーションを飛び出し出会う景色はむしろ感動的だと思った。(ここは物語的ではある。つまりちょっとご褒美っぽくも見えてしまう気もする。)ここではないどこかに連れていくのは自分の足なのだということをそれとなく解いているようにも思える。

二つの色の違う太陽に照らされるソラリス、そこに横たわる広大な海が一つの生命体で、粘性のあるその体を使って様々な現象を引き起こすという絵が大変美しく、そして圧倒され畏怖の念が出てくる。この設定だけで映画人を引きつけるというところは非常に納得感がある。そこで繰り広げられるのは切ない恋模様というよりは、より硬派な不屈の意志であると思う。硬派だ。グッとくる。是非どうぞ。

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