2017年12月24日日曜日

Amenra/Mass IIII

ベルギーはウェスト=フランデレン州コルトレイクのポストメタル/ハードコアバンドの4thアルバム。2008年にHepertension Recordsからリリースされた。私が買ったのは一つ前の記事の前作とセットになった編集盤の、さらに日本盤でTokyo Jupiter Recordsからリリースされたもの。

基本的な路線は前作を踏襲しているが、大きく変えているところはある。
一つは演奏技術力の向上による表現力の幅の増加。スキルが上がったことと更に、そこを支点にして曲に新しい要素を加えようという意思を感じる。これは展開にあらわれていて、ミニマル差を実験精神の表現として使っていた前作から脱却して曲を”動か”すことに意識を向けている。プログレッシブ方向に舵を取ったとも言えるが、むしろ曲の中を区切ってそれぞれのパーツの差異がはっきりして陰影がついた。立体的になって曲が鮮やかに(明るくなったという意味ではなく)なっている。私の耳には各パーツの以降はスムーズに聞こえる。つまりドゥーム的な”重苦しい長さ”はプログレッシブさの導入により損なわれていない。
もう一つはよりハードな方面への舵取りで、クリーンボーカルの登場頻度を減らしている。前作の感想で書いたが、重苦しく閉鎖的で更に長い楽曲だからこそクリーンなメロディ(ただし陰々滅々とした)はよく映えたし、ハードなバンドのわかり易い表現の取っ掛かりになっていた。ここを大胆に減らしている。完全にオミットしているわけではなく使用自体はしているが、曲中占める割合は減り、ともすると何回か聞けば聞き手が一緒に歌えるくらいの明快なメロディというのは減退しており、より曖昧に、不穏な部分を強調するような断片的なものに変更されている。自分たちの持ち味がどこにあるのかという時にやはりハードコアだろうという判断が生じたのかもしれない。
この手のジャンルで用いられるアトモスフェリックというのは何かというと、個人的には浮遊感や壮大さというか、バンドサウンド以外の音も積極的に取り入れて得る”非ソリッド感”のような気がしている。表現の幅が広がる反面、バンドサウンドの生々しさや直感性は損なわれるわけだ。そこへ来ると前作もそうだったが、Amenraに関してはそういったアトモスフェリックなテイストはあまり感じられない。アートワークや宙吊りになるというステージングからアート感というより、どうやって自分たちが見られるか、そして見られたいか、という意図や企図は感じられるのだが、音の方は徹頭徹尾暗く陰気である。閉塞感という言葉がしっくり来る。増やした展開も重たい霧のように全体を覆い尽くす陰鬱さを切り裂くようなものではない。変転する世界が幾つもの層を持っているとして、世界の変転を認めず、そして明るい面を半ば無視して暗い面ばかり凝視しているような音楽である。そんな生き方は体に毒だと思うのだが、鈍い輝きは人を引きつけるのかもしれない。

ぜひTokyo Jupiter Recordsから出ている前作とのセットの編集盤をどうぞ。年内に売り切れると来日の可能性アリとのことなので。このあとの5th、それから最新作も気になるところ。

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