2018年3月11日日曜日

ミシェル・ウェルベック/闘争領域の拡大

今世界で一番売れっ子の作家の一人、フランスのウェルベックのデビュー作。この度文庫化されたので購入。

日本人が出っ歯にメガネ、スケベでカメラを取りまくっている小男の集団だとすると、フランス人は情熱的でその人生は恋愛に捧げられている。パリを歩けば数多の美男美女の組み合わせが「ジュテームジュテーム」言いながらきつく抱きしめあい、そして熱いベーゼを交わしているというのは常識だと思う。実際にはそんなことはない。私達が出っ歯で7:3分けの小男のみで構成されていないように、フランス人にだってブス醜男は居る。おそらく割合からしたら日本人と変わらない位いる。彼らは悲しくなるほど異性にモテなく、中には一生パートナーに縁がないまま終わるやつも結構な数いる。なぜなら民主主義の現代、経済だけでなく恋愛も自由主義だからだ。だれも誰かの結婚を止める権利はない、逆に無理やり結婚させる権利もない(それらのケースがだがしかし実際にないわけではない。)、すべてが貴方次第。臆病な自分にサヨナラを告げて理想の恋人を手に入れよう!というのが今なのだ。フランスだってそうなのだ。頑張ればなんでも手に入れられるパラダイス。この一見理想の未来世界はしかし、しかし周りを見てみていると富者と貧者の格差がひろがるばかり。持てるものはありあまる資産を運用し、その腹を肥やしていく。一方持たざる者は日々の糧を肉体を酷使することでようやく得ることができる。そもそもかけるチップがないので両者の隙間は埋まるどころか広がっていく。これと同じことが恋愛の領域でも起きている、というのがウェルベックの主張である。
今まで何冊か読んだウェルベックの本でこの本が一番わかりやすく、そして最も直線的な怒りに満ちている。まさに初期衝動に溢れたロックバンドの1stアルバムといった風情のこの本が、作中にも書かれているが現代社会の不平等ではなく不当さを声高に糾弾している。ウェルベックはなにも国家が配偶者を斡旋しろとか、お見合いをしろとか言うわけではない。主人公たちだってパートナーを見つける、という点ではもっとなにか出来ただろう。ウェルベックは確実に現代に存在する敗者の声なき声を小説という形に昇華することで取り上げたのだ。贅沢だとか、自己責任だとかいえばそれはそうかもしれないがしかしなんといっても実在する苦しみに一つの形を与えという意味では、恐ろしい物語であり、しかし怒りに満ちていながら弱者に対する優しい眼差しがある。

主人公というのがまた嫌なヤツで、係累はない。友達は数少ないがいる。恋人はまあいる(別れたのは2年前)。仕事はそれなりにできる。全く能動的ではなくて、ウェルベックの他の小説にもでてくる無気力な男たちよりもっとひどい。売春旅行に行くでもなく、フリーセックスが売りのキャンプに行くわけでもない。ただ一人で居るほど強くなく、行動はしない割に絶望している。自分より外見に恵まれない同僚に対しては連品と同情を感じつつ、安堵も感じている。いやなやつだ。でもこんなやつ見たことないか?割としょっちゅう目にする気がする。そう、これは私だったのだ。敗者だけどただ愚直ないい人ってわけではない。そこにリアリティがある。生活がある。そして彼の苦しみが理解できるのである。この小説はプロット的には大したことがあるわけではない。それぞれ歪んだ登場人物たちが(完璧に理想的な人間は一人も出てこないのでは)、見にくく右往左往するだけの話だ。「なんでこんな簡単なことを出来ないのかね?」「一歩踏み出せよ」持てる人(モテる人)はそう言うだろう。そしてそれはきっと正しいのだろう。私達は悪い循環に勝手に入ってそこから抜け出せないのである。どんなに愚かに見えてもそれはとても苦しいのだ。

終始男からの目線で書かれている。訳者の方は女性である。女性が読んだらどういうふうに思うのだろう。闘争領域ではもっともっと辛酸を嘗めているのは確実に女性なのではと思う。女性の感想をよんでみたい。

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