2018年4月8日日曜日

Portal/ION

オーストラリアはクイーンズランド州ブリスベンのデスメタルバンドの5枚目のアルバム。
2018年にPrfound Lore Recordsよりリリースされた。
1994年に結成されたバンドで、ボーカルはラジオのようなオブジェをかぶったり、指に触手をはめたりして異様な格好をし、それ以外のメンバーは共通して死刑執行人のような不吉な黒いマスクをかぶっている。見た目も異様なら鳴らす音も同様で、7減ギターの指板を所狭しと指が這い廻り、いわゆるテクニカル・デスメタルとは明らかに流儀が異なる技工で気持ちの悪いオンリーワンなデスメタルを鳴らすバンド。おそらくH.P.ラブクラフトの創作した異形の神話に触発された世界観を音と見た目でで再現するという冒涜的な挑戦を続けている。
何年か前の来日公演を幸運にも目にすることが出来たが、名状しがたいという言葉ぴったりなくらい異次元なライブだった。

異様で偉大な旧支配者クトゥルーの寝床、今は海底に沈むルルイエは人間には理解できない角度で巨石が組まれているらしいのだが、その不自然な異様さを表現するかのごとく、メタルやハードコアというジャンルで一般的に追求される美学とは異なる角度でヘヴィさを追求している稀有なバンドだ。面白いのはあくまでもデス/ブラックメタルという表現の”枠”で勝負していること。神秘性を演出する際、シンセサイザーやその他の、例えば盲目白痴の神を慰める太鼓と笛などの楽器を用いることは基本的にない。流行りのハーシュノイズに手をのばすこともない。楽器もそうだし、曲でも芸術的なスローパートなどを用いることは一切ない。あくまでもデス/ブラックメタルの手法を用いる、という厳格な縛りを自らに課している。このストイックさは、見た目の異様さ(同時に目を引くキャッチーさでもある)に見られる計算高さ、ともすると醸し出されるあざとさとは相対する要素であり、決して奇抜な見た目で耳目を集めようという奇をてらったバンドではないことを証明している。
2013年の「Vexovoid」から5年、基本的な曲の方構成としては正しく前作(そしてそれ以前の作品)を踏襲する流れになっているのだが、大きい変化もある。それは音だ。ギターとベースの音が劇的に違う。音がクリアにそして軽くなっている。重たい、ということはこの手のジャンルでは生命線だ。音楽は時代とともに変化してきたが、基本的にメタルの世界では音はどんどん重たくなってきていると思う。(もちろんバンドによっていろんなバランスがあるのだが。)技術の進歩がメタルの生命線に常に加担しているといってもいい。そのくらい基本的なところをやはりPortalも抑えてきたわけだ。重たさを神秘性に絡めてうまく使っている印象があったから、今回ここを捨てたというのは純粋に驚きだった。
一体神秘性とはなにか、それは隠匿にほかならない。マスクをかぶるのも、変名を使うのも、コープス・ペイントを施すのも、個人から個性を剥ぎ取り、別のなにか、異様ななにかになる儀式だ。人は何かよくわからないものに心を惹かれる。Portalはここをうまく使っている。もったりとした音作りから生まれる重量感を霧のように使って神秘性を演出していたのに、今作ではその霧が晴れて一件見晴らしが良くなっている。リフも低音だけでなく指板をまんべんなく使った鋭角的なものが目立つ。音がはっきりしたことで奇怪なリフの異様さが目立っている。ドスを訊かせるというよりは冒涜的なカルトの司祭の詠唱めいたボーカルは健在で、音は変わったもののどう聞いてもPortalだ。むしろやはりその異様さがソリッドに表現されている。
しかしこの鋭さはなんだろう。ジャケットの稲妻がヒントだ。この鋭さと角度。「ION」というタイトル。SF的だ。名状しがたさに形が備わった気がする。とはいえ一気にサイボーグしたわけではなく、肝である蠢く生々しさは健在である。だから小説で言えばチャイナ・ミエヴィルの「ペルディード・ストリート・ステーション」的な世界観だ。SFと怪奇が入り混じった都市で異形が練り歩く、まさにあの世界観ではないか。ラブクラフト的な暗黒から一歩踏み出した、そしてその先もやはりどうかしている。すげー面白い。

音の重量感を敢えて減らすことで本性を顕にしている恐ろしいアルバム。やはりぶっ飛んでいるな〜と思う。(ルールが)厳格であるということはやはり表現を面白くするのだな〜と思わせる。また来日してほしいな。

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